ジョン、という人
俺はジョン。
今はただのジョン。過去に『ジョン・レイナルド・ロックハート』と名乗っていたことがある。だが罪を犯し『ロックハート』は剥奪された。俺の罪は、婚約者だった公爵令嬢を冤罪で貶めた事。その彼女が殺される原因を作ってしまった事。王の意思を蔑ろにした不敬もある。
そして、王家の一員として過ごして来たが、実はその血は引かず、殿下などと呼ばれる立場の人間では無いにも関わらず、長い間周りの人間を謀っていた事。
2年間の幽閉生活で、俺はそれを学んだ。
本来は毒杯を賜るなり、餓死するなりしてそれらの罪を贖うはずだったのだが、王国が滅亡し共和国に生まれ変わる過程で俺は生かされた。いわゆる恩赦だ。
国王と呼ばれる存在はもう居ない。
父上……いやレオン王太子が、その主権を放棄したのだと。そして貴族という特権階級の存在も居ないのだと知らされた。
恩赦で釈放されたが、2年間の塔での暮らしで俺はすっかり弱っていた。塔の階段を自力で歩いて降りる事も出来ない程だった。王宮の養護室で暫く保護された俺は、周りの様変わりに驚きで声も出なかった。
俺が保護されたのは内宮、だった場所。
今は
国会議員の執務室やら職員の控え室やら……
外宮だった場所は国会議事堂、とやらいう場所なのだそうだ。
詳しくは分からなかったが、つまり、今まで王宮は王の為の居住空間だったが、一般市民(市民! 平民ではない、皆が平民なのだ!)の中で選ばれた者が住まう場所になる、らしい。住まう、と言うより国の政治の中枢? になる?
よく分からなかった。
因みに、俺のいた王子宮は迎賓館となって、諸外国からの来賓を饗す場所になるのだとか。
「なんせ、お金が無いからね! ある物は有効活用しないと勿体無いだろ?」
俺を塔から解放した男、なんとこの国のトップ(首相というらしい)でエラい立場らしいが、暇になると(?)俺の顔を見に来る。
「勿体無い、とはなんだ?」
「元王子さまには、ちょーとピンとこないかなぁ」
なんだか馬鹿にされてる気がする。が、俺が馬鹿なのはよく知っている。知らない事は知るしかない。
「よく分からない。教えてくれ」
ロベスピエールと名乗った赤毛の男は、ニヤリと笑った。
「まず、言葉遣いからだな!」
曰く、俺の言葉は“偉そう”なんだとか。王子という身分もない俺が、誰に対してもこの言葉遣いなのは、礼儀知らずの無礼者に当たるらしい。
年上には、せめて丁寧語で話すべき、なんだとか。
「そうか……そう、ですか」
ロベスピエールは朗らかに笑って言った。
「君はいいね。学ぶ姿勢がある。将来有望だ」
恩赦を受け君は自由だと言われたが、俺には何処にも行く宛など無い。母方の子爵家は、随分前に没落して行方不明だし、父上だった人に頼る訳にもいかない。なんせ本当の父親ではないし、一生恨むと言われている……。これは、いわゆる天涯孤独という立場である。物語で主人公がそこから這い上がるのを読んだことがある。その時は『そういうモノ』だと思って読み進めたが、自分がその立場だと、何やら心細い物なのだと理解した。
俺を護る人は誰もいない。
今まで俺の世話をしてた人たちと、今は同等。俺は気ままに振舞ってきたから、もしやだいぶ恨まれてるのではないのか?
そう思うと外に出るのが怖かった。
内宮の地下部分に今まで使用人達が居住していた空間がある。そこの一室を俺用に貰えた。
俺は『働く』事を学んだ。
皆、働いている。
働いて金を稼ぐ。
稼いだ金で家族を養う。
平民……いや、一般市民が当たり前に行っている事が俺には新鮮だった。
俺に特殊技能はない。
昔ならそれなりに剣を振るえたが、幽閉され筋力の衰えた今は自分の体重を支えるだけで精一杯だ。
仕事は体力を使う事は避け、書類仕事を貰った。あらゆる部署の必要書類を清書する。
字は綺麗だと褒められた。
少しだけ、嬉しかった。
世の中は、色々な事が同時に起き、目まぐるしく変化していた。
『王都』と呼ばれていた場所は『首都』と名を改めるようになった。
今まで各地方を治めていた貴族は領地を国に返還、『州知事』となって国に代わって管理する役目に変わった。
騎士団は警察と消防、そして国軍とに分割され名を改めていた。
国会、裁判所は貴族のものではなく、民の、一般市民の物になった。
学校の設立。病院の設立。
どこも人手が足りず、忙しそうだった。
地方の活性化、特産品の強化。
隣国との付き合い方も変わっていった。
全部。
俺の元婚約者が手紙で『こうしたい』と書いてあった事が実現して行く。
暦もそうだ。帝国暦を採用している。本来ならフォーサイス共和国元年なのに、帝国暦768年と併用している。首相曰く
『隣に立派な物差しが有るんだから、活用しないと勿体無いでしょ? いずれ使いやすい方が残って、面倒臭い方は淘汰されるよ♪』
ロベスピエールは、凄い。
毎日すごい量の仕事をこなしている。ロベスピエールの仲間たちも凄かった。今まで王宮を支えていた者達も、新しい役目を貰って生き生きと働いていた。
たまに虐められた。
没落した元・殿下はからかうのに丁度いいらしい。
からかっても、誰にも咎められない。
重い書類を関係部署に配る時、足を引っ掛けられ転ばされた事もあった。その時、俺の元婚約者を思い出した。俺に断罪され、周りは敵だらけだったあの時の。それでも凛としたあの美しい姿を。
俺は、俺を転ばせた者の目を正面から見つめた。彼は何を思って俺を転ばせたのか、知りたいと思った。
ただ見つめていただけなのに、相手は何やら捨て台詞を残して去って行った。確か、学園で見た顔だったと思う。名前は覚えていない。俺は、覚えていない事、知らない事が多すぎる。知る事が出来たのに、それを怠ったのは俺の罪の一つだと思う。
体力が戻ってきた頃、『人手が足りないから』と言う理由で、都内に作られた庶民用の排泄物集積所の清掃の仕事を任された。1箇所に集積された排泄物は、地方の農地に運ばれ肥料となって再利用されるのだとか。これが『勿体無い』精神か。人の排泄物まで再利用するとは恐れ入る。
『それがそこに有るのには意味があるんだよ。物も、人もね。無駄なんて一切ない。そこに存在する価値がある。要は、それに気が付くか付かないか、だよ』
ロベスピエールの言う事は、いちいち面白い。
しかし、そうは言っても集積所の清掃は大変だった。都内に何ヶ所もあるそれの清掃は、臭いだけでも頭痛がするし、身体にその臭いが染み付いてるような気がする。これも虐めの一環だったのかもしれない。
でも外に出るいい機会だった。
徐々に。
俺に普通に話しかける人が増えていった。『元王子殿下』に嫌味を言いに来るのでは無く、市民課のなんでも屋の『ジョン』に話しかけてくれる。
嬉しかった。
たまに。
極々たまに、俺を政治利用しようと話しかける輩もいた。そんな奴らは俺を持ち上げる発言をした。曰く、ちゃんとした王子教育を施された貴方なら、あんな何処の馬の骨か解らない者よりマトモな政治をするでしょう、と。
善政を敷いているロベスピエールでも、政敵は居るのだな、と理解した。大概そんな輩は無能な元貴族だったが。
俺を利用して甘い汁を吸おうとする卑劣な輩。
なんとも嫌らしい笑顔で俺を見る。
なるほど、俺の元婚約者の手紙にあった『困った輩』とはこれか。そいつらの事を『虫唾が走る』とも書かれていた。女の身でこんな奴らと対峙していたのか。それも十代の少女が。二十代の俺でも『虫唾が走る』。つくづく、元婚約者は偉大だった。
そんな『困った輩』を俺は観察する事にした。ただ黙って見つめていると、何故か怒り出した。折角こちらから良い話を持ってきたのに何も返事をしないなんて、馬鹿にしているのか! と。
それでも観察を続けると、何やら捨て台詞を残して去って行くのだ。
俺は何も言ってないのに。不思議だ。
そうやって日々は過ぎ、俺は夢中で働いていた。
つくづく思う。
俺に『王子』という立場は荷が重すぎた。やらずに済んでほっとしている。
もし、俺の元婚約者が女王として辣腕を奮っていたら? そんな事も夢想する。
彼女は正統な王家の血を引いていた。前王にも期待され、為政者となるべく教育を受け、それに相応しい知力も胆力も持っていた。彼女ならきっと善政を布いただろう。けれど、嫉妬と猜疑心に凝り固まった俺が王配では、彼女の足を引っ張るばかりで改革のお荷物になっていただろう。
帝国暦770年。積もった雪が徐々に溶け始めたある日。決して多くはないが貯金も出来るようになってきた頃、アンジー・スチュアート ───ロベスピエールの仲間の一人で財務大臣の職に就いている。彼も度々俺の様子を見に来ていた──── から、王太子の死を教えられた。死んでからだいぶ日が経って発見された死体は、一目瞭然で餓死だったという。王家の墓では無く、市民の共同墓地に葬られたと聞いた。
「餓死……何故? ちゃんと食べられなかったって事、ですか? 病気?」
「彼は無職だったから」
「無職? もう貴族じゃないのに職に就かなかったと? 元貴族でも前の領地で代官……いや、知事って言うんでしたっけ? 知事になって働いてるのに……何故……」
「彼は王族としての全ての権利を放棄した。当然、王家所有の領地もだ。ただ、個人財産として金や宝石なんかは山ほど持って市井に降りたんだが……上手く資産運用出来ずに使い果たしたらしい」
「何も……本当に何もしていなかったと?」
スチュアートは頷いた。
「馬鹿か、あの人は。働かなければ金など消えてくばかりだろうに」
過去の俺の行いのせいで、俺を一生恨むと、憎み続けると言っていた。
死んでしまったら、もう、俺を憎めないじゃないか……
「お墓の場所、教えようか?」
どうする? という顔で俺を見るスチュアート。
「いいえ。必要ありません」
俺に墓参りなどされたら、彼も困惑するだろう。
「わかった。君がそれでいいなら。
しかし。君、表情筋死んでるね。ニコリともしなければ悔しそうな顔もしない。せっかくハンサムさんなんだから活用しないと!」
「活用?」
「君がちょーーーっとだけ口角上げて笑えば人間関係スムーズになるよ? ……まだ時々いじめられてるんでしょ?」
「笑う……」
「ほらほら、笑ってみそ?」
両頬摘んで引っ張らないで貰いたい。そして伸びる伸びると嬉しそうにしないで貰いたい。
「ほんと、ここまでされても無抵抗なんだね。顔色変わらないし」
どこか悲しそうな目で俺を見るのは何故だろう?
「怒ったり笑ったりして、良いんだよ? 生きてる人間なんだから」
そう言われても。
「俺に、その資格はありませんから」
本来なら俺は死んで詫びなければならない立場なのだ。笑うなど……
俺の頬から手を離したスチュアートは、『困った顔はするんだねぇ』と言いながら俺の肩を二度ほど軽く叩いた。
「君がもっと自由に生きられる事を、願っているよ」
これが親切、というものなのか。いや、優しさ?なのか?
赤の他人の為に『願う』と。
この人といい、首相といい、忙しい人があまり俺などに気を使わずとも良いものを。
だが、そんな気遣いは何やらほんのり胸の辺りが温かくなる。
不思議な感覚だった。
表情筋が死んでいる
無表情、無反応、総じて気味が悪い
俺の外部評価だ。全部事実だ。
そんな俺だが、女性に告白された事があった。
好きです、付き合ってくださいと。
俺の事、元王子だと知っていた。
現在、なんの権力もない事も、王家の血を引いていない事も。
「君は……どれだけの期間、無視されても耐えられる?」
「え?」
「俺に話しかけても、何をしても、ずっと無視し続けられたら、やっぱり嫌だろう?」
「そ れは、やっぱり、はい……無視されるのは、嫌、です……」
「俺は10年無視できる酷い男だ。もはや人でなしだ。告白、ありがとう。でも俺に返せるものは何も無い」
告白してくれたのは、食堂で時々話す給仕係の女性だった。
俺になど関わらない方が彼女の為だろう。俺は元婚約者を10年間冷遇した男だ。鬼の所業だ。人と触れ合ってはいけない人間だ。
あの女性は、暫くしたら親しげに話す男性職員が出来たらしい。
良かった、と思った。
『人手が足りないから』という理由であちこち駆り出されるようになった。
地方の畑にでる猪退治に出向くとか。
建設途中の建物の夜間警備とか。
大学構内の並木道を飾る木の植林とか。
時間が許す限り、何処にでも赴き、何でもやった。
そこでの俺は『ただのジョン』だった。
猪退治をした村では、夜一緒に宴会をした。
夜間警備をした次の朝、交代の警備員に差し入れだと温かい飲み物を貰った。
我が国初めての国立大学には、試験を受け選抜された学生が俺の植えた木々の間を抜け、学舎へ通い始めている。
「最近、ちょーーーとだけ笑うんだって?」
「……首相……」
「ジョンは、幾つになった?」
「36、です」
「嫁を貰う気は無いの?」
「……ありません」
「なんでよ。好きな女はいないのか? それとも、忘れられない人でもいる?」
「……昔、将来を誓った娘が、居ましたが……俺は彼女に騙されていました……それでも、彼女より愛せる女は居ないと、思うので……」
マリア。
騙されていたかもしれない。
でもやっぱりお前を愛したあの時間は、本当だったと思うから……
「なんか……悪い事聞いたかな……ゴメンな」
「首相は……最近、浮かれてますね。体調はもう良いんですか?」
「へ?」
「一度、体調不良で退任したじゃないですか。3年後くらいに復帰されて、その後は元気っぽいですけど」
「あぁ! うん、もう平気。ありがとな! ……しかし、お前が人に気を遣うようになるとはねぇ……お兄さんは嬉しいよ!」
「誰がお兄さんですか!」
もう子どもでもないのに、無遠慮に髪をかき混ぜてくる。この人には幾つになっても敵わない。
そういえば、そんな会話を交わした事があった。
記録的な大雨の中、氾濫する川の向こう岸から、こちら側に村人を避難させながら、俺はそんな事を思い出していた。
ロープを伝って背に負った子どもを避難させる。最後の村人を運び終え、さぁ、現場撤収かとひと息ついたその時。
俺の立っていた場所が突然崩れた。
氾濫する濁流の中に投げ出される身体。
他の職員に抱かれ避難する子どもと目が合った。驚いたように見開かれる瞳。
俺は『静かに』と言うように人差し指を唇に付けた。
笑えてたと思う。
冷たい濁流にあっという間に飲み込まれた。
水中は意外と静かだった。
多分、あの子は静かにしていてくれる。
誰も俺の事に気がついてない。
心配なんかしない。
俺はひっそりと死ぬ。
それでいい。
誰の迷惑にもならなければ、それでいい。
いっぱい楽しかった。
『王子』をやってた時より、よっぽど充実していたと思う。
だから、もういい。
もう、充分だ……
ありがとう、ロベスピエール……
ふふっ
お兄さん、か……
「行方不明だったジョンの遺体、回収出来たのか」
「あぁ…………ったく、こんな所で死んじまうような奴じゃ、なかったのにな……」
「無口だったけど……嫌な奴じゃなかったよ。よく助けて貰ったし」
「死に顔、きれいだったぞ。……ちょっとだけ笑ってた」
「もっと、話してみれば良かったな……」
「惜しい奴を……」
【終】
蛇足。
罪を犯した人間は、いつまでそれを悔いればいいのでしょうか。
ちゃんと反省して悔やんでいても、罪は消えません。でもそれを他人がとやかく言ってもいいのか。
答えが出ません。