身代わりの巫女Ⅰ
第二章開始です。
初夏の風が感じられるようになってきた、とある昼下がり。やはりというか、路地裏には一発の銃声が鳴り響いていた。
「だっから撃つなって言ってるだろそろそろ学べーー‼」
隊長に怒られるのは俺なんだぞ⁉ と睨んで見せるも、ナタリーはそっぽを向いて知らん顔。フッと銃口から出る硝煙を吹き消している。その仕草が妙に決まっているのにも腹が立つ。
「都刃紗、カリカリすンなよ。将来ハゲるぞ」
「誰のせいだと……!」
俺の視線の先で、『対吸血鬼特殊工作部隊 第十六小隊』の囮捜査官、ナタリー・ネスフェリア少佐は、銀の銃身の拳銃を、ホルスターにスタイリッシュに収納した。
行動がいちいち格好いいのは、その身に半分流れる吸血鬼の血の影響か、はたまた本人の気質か。
囮用にうなじ――より厳密には首筋――を見せつけるように上げられていた髪を下ろす仕草すら様になっている。
見とれていたことに気付いて、慌てて視線を逸らす。こんなことでからかわれたらたまったもんじゃない。
指をピッと立てて、お説教。
「ナタリー、銀の銃弾をホイホイ使うんじゃない。君は囮捜査官だろうが」
「そーいや、今回は『都刃紗って言うな。ツバサにしろ』って言わないんだな。『翼』みたいなイントネーションに拘ってたのに」
「もう諦めたんだよ……。何回言ったと思ってんだ……」
重い、それはもう重い溜息が出た。このお転婆姫が俺の言うことをまともに聞いたことなどあっただろうか。………………ないかも。
「やー、一回言われたらその日のうちくらいは直してたと思うぞ? たぶん」
「毎日言い直すのも疲れたんだよ……」
「なンだよ。つまんねーな」
なんで文句を言われるのか、意味が分からない。かまってちゃんなのか? 今までそんな素振りなかったのだが。
「いいから帰るぞ。報告会だ」
隊長に怒られるために帰るようなものだ。ホントに勘弁してほしい。
◆ ◆ ◆
「…………」
「…………」
「……はぁ」
「黙って溜息つくの、地味に堪えるからやめて欲しい……」
「言いたいことはわかるね?」
「ナタリーのせいにしてもしょうがない、ってことですか?」
「いや、これは明確に君の責任だ。天霧中佐」
「ホントこの役割嫌だなぁ……」
何が悲しくて、スカウトで入った部隊で子守りの仕事をしているのか。
「天霧中佐」
そこで、横合いから声が掛かった。我らが部隊の清涼剤、西林雅少佐だ。
おお、お説教タイムに救いの天使が――。
「応援要請、おそらく吸血鬼です。十中八九戦闘になります。対吸血鬼特殊部隊随一の戦闘力を誇る、対応力においても右に出る者のいない天霧中佐のお力が必要不可欠な事態になるかと思われます」
「天使と悪魔のハイブリットだったか……」
「はい?」
いつもの褒め言葉コンボと、突然の出動要請。
雅少佐は俺の言葉の意味がわからなかったのか、キョトンとした。
さあ、お仕事の時間です。休憩なしで。この職場ほんとブラックだ……。
◆ ◆ ◆
現場に到着した俺が見たものは、全滅した部隊と、そこに立つ一人の吸血鬼だった。
が、吸血鬼が掴んでいる人物に、俺は覚えがあった。
「緒方……?」
先週、資料で顔を見たばかりの人物だ。
階級呼びはほとんどウチの部隊がやっているだけなので、他の部隊員を階級で呼ぶことは少ない。
しかし、今回はそもそもその例に含まれない。それは、彼女が正式に部隊に所属している人間ではないからである。
彼女は、ナタリーと同じ囮捜査官。しかし、ナタリーとは性質が全然違う。
ナタリーは噛まれても魅了されず、他の吸血鬼を呼び寄せやすい体質だから囮捜査官になった。しかし、彼女は人工的に作られた囮だ。
吸血鬼にとって害のあるものをひそやかに体内に蓄積し、血を吸わせることでじわじわと吸血鬼を苦しめさせる、人間爆弾としての囮なのだ。
その計画を、俺は一週間前に隊長に教えてもらったばかりだ。隊長も、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのをよく覚えている。
だが、まだ実践投入の前段階だったはず。なぜ既に前線に出ているのか。
「緒方……!」
吸血鬼が立ち去ろうとしている雰囲気を察して、慌ててその背を追いかける。しかし、吸血鬼は〈コウモリ化〉を行い、緒方を覆い隠すように包むと、そのまま飛び去ってしまった。
その直前、こちらのことを憐れむように見た吸血鬼の視線に足を止めてしまった俺は、その背に追いすがることはできなかった。
◆ ◆ ◆
「どういうことですか、隊長!」
「私にもわからない。しかし、まだ彼女に出動要請は出ていなかったはずだ」
帰還後、隊長に事の次第を問い詰めたが、返ってきた答えは芳しいものではなかった。
しかしそれも当然のこと。
この隊長なら、知っていれば出動前に俺に伝えただろう。その方が効率的だからという理由で。良くも悪くも合理的な考えをする人だ。
それがなかったということは、隊長にとっても不測の事態。組織の上層部の独断か、上層部にとっても想定外に事態が進んだのか。
「今回はナタリーのときとは違う」
隊長の深刻な声に、意識を目の前に戻す。
「【ベテルギウス】があるナタリーとは違い、緒方清香は発信機の類を所持していない。探すのは骨が折れるぞ」
「せめて何か、いなくなった原因がわかるようなものとか、彼女個人を追跡可能な私物とかはないんですか?」
匂いのついたものがあれば、警察犬の力が当てにできるかもしれない。
「それが……」
おずおずと声を発したのは、オリオン隊の情報担当、雅少佐だった。
「例の実験――人間爆弾を作る実験――を行うにあたって、吸血鬼に体内の毒素を悟られないように、臭いを隠し、偽装する仕掛けも施されています。その結果、個人の匂いがありません。被験者は一律で同じ匂いがするはずですし、濃度も希薄です。識別は困難かと」
組織のトップシークレット級の情報にやすやすとアクセスしていることには、今更驚かない。しかし、発言内容はやはり芳しくない。
「どうしたもんか……」
重い溜息を吐く。打てる手立てがないというのは、こんなにも心を重くするのか。
「上層部が動くのを期待するしかないだろうな。使い捨ての人間爆弾とはいえ、実験段階で敵の手に渡ったら放置はできないだろう」
隊長は感情を押し殺すように吐き捨てた。自分で言っていて不愉快になったのだろう。自分の顔も、おそらく同じような感じになっていると思う。
「別にいーンじゃねーか? また掴まれば」
顔を見合わせて押し黙っていると、いつもの能天気な声が割り込んだ。
「ナタリー……」
「いつものことだろ。アタシが行く」
あっけらかんというその姿に、頼もしさを覚える。
普段は命令無視の常習犯だが、ナタリーの生存能力の高さは、部隊の誰もが信頼しているところだ。
「しかしナタリー中佐。敵は既に一人確保している。この短期間で新たにエサを欲しがるとは考えにくいが?」
隊長がナタリーに問いかける。ナタリー相手に、今更「エサ」という言葉を躊躇うような真似はしない。それは、ナタリーのことをエサとして見ているからではなく、ひとえに積み重ねた時間、信頼の問題だ。
そして、その疑問に対して、俺には思うところがあった。
「さっき吸血鬼と会ったとき、あいつはこっちのことを憐れむように見ていた。きっと目的はエサとしてじゃない、はずだ、と思う。たぶん……」
自信がなくて、言葉が尻すぼみになっていく。しかし、雅少佐はそんな俺の判断を全面的に支持した。大きく頷くと、可愛らしく顔の横で両拳をぐっと握った。
「こういうときの勘は、バカにできないですよ」
「まあ、な。根拠は乏しいが、対吸血鬼でのツバサ中佐の観察力は相当なものだ。それが直感という形で何かを予期することもあるだろう」
隊長まで肯定的で、かえって居心地の悪い気分になる。
「でも、じゃあ何のためだよ? 吸血鬼があの子を攫っていったのは」
「その場で血を吸わなかったということは、緒方さんの特性に気付かれた可能性もあるのではありませんか……?」
「上層部はその点には特に気を遣っていた。そうそうバレるとは思えないのだが……」
ナタリーの疑問に答える雅少佐だけでなく、隊長の言葉まで自信なさげな様子だ。
「まあ、今は考えても仕方がない。エサとしてではないのであれば、ナタリー中佐の囮も有効かもしれない。その線でいってみよう」
隊長の号令で、この場での俺たちの方針は固まった。しかし、俺はこの件がもっと大きな思惑を抱えたものに思えてならなかった。