僕たちの宴Ⅱ
◆ ◆ ◆
『全部隊に通達。予定時刻になった。作戦を開始する』
通信機から聞こえてくる声を最後に、端末のチャンネルを切り替える。オリオン隊の専用回線。雅少佐が手を加えており、外野が横槍を入れてくることのない特別仕様だ。
『我々も作戦を開始する。ナタリー』
『あいよ』
気安い返事が返り、向こうの通信が切れる音が聞こえた。吸血鬼と接触するにあたって、通信機を付けたままだと怪しまれるので、外したのだろう。だがこれで、脱出までの間、ナタリーは一人で敵地に居続けないといけない。
「ぼんやりしている時間はないな……。ちゃんと潜入できたかを見届けたら、【トライスター】を設置しないと」
今回は隊ごとに担当するアジトが違うので、適当な吸血鬼に連れ去られるわけにもいかない。よって、既に《魅了》された体でアジトの近くまで接近し、そのまま眷属化されに行く、という計画だ。
しかし、どこの吸血鬼が魅了したかもわからない状態で接近すると、相手に警戒される恐れがある。潜入に失敗すれば、最悪そのまま戦闘開始だ。いつでもサポートできるように、敵に見つからないギリギリで待機しておく必要があるだろう。
と、そこでアジトに変化があった。
「出てきたな……」
ふらふらとアジトに接近していくナタリーを見て、敵も動き出したようだ。
拳銃やナイフを持った吸血鬼が三体、眷属化した人間を一人ずつ盾にするようにして出てきた。ゆっくりと、警戒するようにナタリーに接近していく。
「……ん? 銃にナイフ?」
吸血鬼は基本的に武器を持たない。吸血鬼の身体能力をもってすれば、小道具などあってもなくても大した差はないからだ。
固体によっては、正面からなら発砲を見てから弾を避けられる反射神経があるし、鋭い爪は金属と同程度の硬度を誇る。それに何より、吸血鬼には牙がある。本気を出せば、包丁ぐらいなら噛み砕けるはずだ。
「妙だな……。一応、報告しておくか」
ナタリーは今、通信できない。俺は手早く見たものを雅少佐に通信すると、ナタリーが確保され、そのままアジトに連行されるのを横目に、計画の準備に向かった。
◆ ◆
(九、十.汚い場所だな……)
侵入した吸血鬼のアジトの中で、ナタリー・ネスフェリアは嘆息していた。
そこは工事中のビルのようだったが、現場は作業が中止になったまま、放置されているようだった。
ガラスの付けられていない窓には木の板が乱雑に打ち付けられており、薄暗く、空気は澱んでいる。排泄物の臭いがするのは、眷属化した人間が垂れ流してしまうからだろう。
眷属化しても、生命活動は行われている。だからこそ、助けられる余地もある。
しかし、この環境を見るに、彼ら彼女らに食事は与えられていないだろう。文字通り使い捨ての駒、あるいは他の吸血鬼に数を見せつけるための飾りとしてしか見ていないことが窺える。
(二十三、二十四。胸糞悪い……)
ナタリーは嫌悪感に顔を歪めそうになるのを、懸命に堪えた。
今はまだ、《魅了》を受けた哀れな一般市民を装わなくてはならない。他にも捕まっている人がいれば、戦闘に巻き込まれる前に避難させるために。
(三十、三十一。なぁんで引き受けちゃったかなー)
理由はわかっている。都刃紗は間違いなく、部隊で最強の戦力だ。半分吸血鬼の血が混じっている自分と遜色ない身体能力に、元々ただの高校生だったとは思えない戦闘勘。
このタイミングで敵の只中に放り出すと、その分行動が制限されてしまう。それは惜しかった。
(【トライスター】の設置もあるしな)
【リゲル】ほどではないが、【トライスター】もなかなか扱いづらい。
三つの手のひら大の機械を設置して起動するだけだが、範囲と威力が反比例することと、四角形ではなく三角形で攻撃が展開されるせいで、正確に敵の動きを読まないと、充分な効力を発揮しないのだ。
前後を、武器を構えた吸血鬼に挟まれ、アジトの奥へと連行されながらも、ナタリーは現状の整理に努めていた。
その途中、通り過ぎた部屋の、わずかに開いた扉の隙間から、ナタリーは嫌なものを見てしまった。
(あれは……)
それは、まだ小学生に上がったばかりのような、年端もいかない子どもたちだった。手足を鎖に繋がれ、壁に並ばされている。
襟ぐりの広い貫頭衣を着させられている。顔色を悪くして俯いているのは、意識を失っているからか。
(食用じゃない。眷属化が目当てでもない)
食用なら、量も少なく、未熟な子どもの血は好まない。成人前後の乙女の血が好物のはずだ。
眷属化が目当てだとすると、今度は成人男性の方が戦力になるだろう。吸血鬼の力で底上げできるとはいえ、素体の力が強いに越したことはない。
(……つまり、こいつらの趣味か)
ナタリーは、お腹の奥が冷えていく感覚を味わった。奥歯を音が鳴るほど噛み締める。
だが、吸血鬼はその変化を見逃さなかった。
「おい、こいつやっぱり《魅了》されてないぞ!」
「意識がある! すぐに仕留めろ」
「え、惜しくないか? 上玉だぞ? 血を吸ってからでも……」
攻撃しようとしてくる者、血を吸おうとしてくる者で意見が対立し、一瞬膠着状態になる。その隙にナタリーは駆け出した。
「あっ、おい!」
慌てて追いかけてくる声を振り切り、先ほどの部屋へと跳び込む。耳にワイヤレスの端末を挿入、開口一番に告げる。
「バレた! 回収頼む!」
『【ベラトリックス】の設置は?』
「済んでる!」
アジトに入ってからずっと、歩数で距離を測っていた。アジトの全景を見たときに割り出した全体の大きさを考えても、ほとんど中央に設置できたはずだ。
ビルである都合上、上下においても中央を目指すべきかとも思ったが、それは必要なさそうなのでやめておいた。
『宙!』
『裏手に脱出用の車を回している!』
「子どもが六人捕まっている! 乗り切るか?」
ナタリーの呼びかけに、一瞬の沈黙が返った。おそらくは、先ほどのナタリーと同じ考えに至った時間。
『……何とかする! 連れてこられるか?』
「拘束されてる! すぐには――……」
言葉の途中で、扉が勢いよく開け放たれた。そのまま蝶番を破壊し、破片が吹き飛んでくる。ナタリーは自らの身体で、子どもたちを破片から守った。
「っく……!」
「ったく。人間風情が、随分と調子に乗った真似してくれるじゃねぇか」
どやどやと部屋に入った吸血鬼は、眷属化した人間を盾にし、その肩越しから拳銃を構えている。
都刃紗からの応答は、ない。
ナタリーはふっと息を抜くと、大仰に肩をすくめて見せた。
「吸血鬼様ともあろうお方が、随分なビビりようだな。陰からコソコソ遠距離武器で威嚇とか、小物感が隠しきれていないぞ?」
「……あん?」
「丸腰の女一人相手に、寄ってたかってみっともないって言ってるンだよ、チキン野郎」
「……ほざけ、人間」
無数の銃口がナタリーを捉える。ナタリーは半吸血鬼だが、これだけの数の銃口を、この距離ですべて回避することはかなわない。数秒ともたずハチの巣になるだろう。
だから――
「早く来やがれ、リゲル」
◆ ◆ ◆
「バレるの早いっての!」
俺は悪態をつきながら、誰の目にも止まらないよう、慎重かつ高速で走り回っていた。
仮にも囮捜査官だ。ナタリーは女優さながらの演技力を持っている。
「相当嫌なものでも見たかな……」
ナタリーが《魅了》にかかっている振りを崩してしまうような事態だ。どんなことがあったのかは想像できてしまう。
「おっし設置完了! っとうおっ!」
最後の【トライスター】を設置した直後、銃弾が至近距離をかすめて飛んでいく。振り返ると、吸血鬼。
「――一人か」
即座に意識が切り替わる。身体は自動的に動き、最小限の動作で、最大限の速度で、ホルスターから銃を抜き、発砲。
サイレンサーで音を殺された銀の銃弾が、吸い込まれるように吸血鬼の心臓に突き刺さった。
しかし、吸血鬼が倒れる重たい音は響いてしまう。
「早く援護に行った方がいいな……!」
俺は速やかにその場を離れると、いつでも【トライスター】を発動できる状態にして、アジトの中心部に向かって駆けた。
「【ベテルギウス】が起動している……?」
移動中、ナタリーの居場所の詳細を求めて端末画面を開くと、【ベテルギウス】起動時特有の表示が出ていた。
「温存って言ってたのに……!」
おそらくは発信機として起動したのだろうが、ナタリーの身に危険が迫れば、自動で爆発してしまう。
ここには眷属化した人間たちもいる。吸血鬼用の爆弾なので、本当に爆発するわけでもないのだが、近くに人がいたら危険だ。
というか、まず間違いなくいるだろう。あいつらは、人間を盾にすることをなんとも思っていない。
「間に合え――!」
俺は表示のあったところが見える位置に辿り着く。そこでは、今にも発砲しそうな吸血鬼たちの姿が。
「あいつッ! 煽ったな!」
吸血鬼の意識を、後ろの子どもたちから逸らすためだろうか。だが、そのせいで時間がない。
呼吸を整え、右の銃を構える。息を吸う。発射。
続けざまに、もう三発。
「ぐっ!」
「うあっ!」
「がはっ!」
吸血鬼が次々と倒れる。その瞬間、ナタリーも隠し持っていた拳銃を取り出す。囮捜査官として持ち運びやすいよう、銃身が短いタイプ。
近場の吸血鬼に銀の銃弾を撃ち込むと、眷属化していた人たちが、崩れるようにしてその場に倒れ込んだ。おそらく、あの吸血鬼の眷属が大半だったのだろう。
会話や仕草から、どの吸血鬼が一番偉いのか、あらかじめ割り出していたのだろう。言動からはわかりづらいが、やはり非常に優秀な吸血鬼狩りだ。
『ツバサ!』
ナタリーの声が通信機越しに聞こえる。俺はすぐさま左の黒い銃を抜くと、その場から連続で狙撃する。
通常の拳銃弾は、狙い通り、子どもたちを拘束している鎖を破壊していく。
『さっすが!』
『なんだ、どこから――』
通信機越しに聞こえてくる吸血鬼の声は動揺している。その吸血鬼に、今度は右の銀の銃弾を撃ち込む。一撃で心臓を捉え、絶命。
その間にナタリーは、子どもたちをまとめて担ぎ上げると、半吸血鬼の膂力で一気に外へと運び出す。
『みゃーちゃん、いいぞ!』
『【ベラトリックス】、起動』
通信機越しの雅少佐の声。おそらく、【ベラトリックス】に設置されているスピーカーからも、同じ音声が流れている。
音声認識によって、【ベラトリックス】が起動する。
広範囲神経系ジャミング兵器。
吸血鬼も、眷属化した人間も、みんなまとめて、平衡感覚を失い、その場に倒れていく。身動きを取ることすらかなわない。
そう。このために、俺はこの距離を維持し続けていた。
有効範囲の外にいることで、どのタイミングでも起動できるように。
『範囲外の奴が追ってきてる! 逃げきれない! 拾ってくれ!』
『了解!』
ナタリーは追われているようだが、そっちには伯父さんが向かった。そもそも、本来、潜入・逃走において、伯父さんほどの適任はいない。
と、そこで爆発音が鳴り響いた。
『どうした!』
隊長の声にノイズが混じる。
『吸血鬼が爆弾を使いやがった!』
『爆弾!?』
そうか。吸血鬼は弱点以外で攻撃されても、時間をかければ再生してしまう。心臓ですら例外ではない。
『自爆覚悟か……!』
『ああ、だが振り切れる!』
ナタリーの声と同時、建物を破壊して、何かが突っ込んできた音が聞こえた。お迎えのかぼちゃの馬車だろう。
『よし、回収した!』
『宙! 使用を許可する!』
隊長の声に、伯父さんが微かに笑ったのがわかった。
『【サイフ】、起動』
伯父さんの特殊武装。攪乱用の特化型兵器。
【トライスター】同様、太陽光を蓄積するが、用途は攻撃ではない。
閃光・迷彩が可能であり、光を放出し折り曲げることで、敵の視界から姿を消すことができるのだ。
しかも、対象は使用者だけにとどまらない。接触していれば、車一台分くらいはまとめて迷彩化することができる。
車もそれを想定していたのか、ほとんど音が出ないものだ。近くならさすがに気付かれるだろうが、一気に距離を取ってしまえばもう大丈夫だろう。
そして――この好機を逃す手はない。
「【トライスター】、起動」
広範囲殲滅用特殊武装。設置した三つの装置を結んだ内側を、蓄積・収束した太陽光線で貫く、オリオン隊の代名詞。
熱はなく、光の束だけが、範囲内を下から上へと撃ち抜く。その性質上、縦方向は実質、範囲無制限だ。
だが――
「発動しない……?」
起動の合図を送っても、設置した【トライスター】が反応する様子はない。
そこで、雅少佐から通信が届いた。
『天霧中佐! 先ほどの爆発で、【トライスター】のうちの一つ、エネルギー貯蔵部が損傷したようです!』
「それでか!」
エネルギー貯蔵部。つまり、太陽光を蓄積していた部分が損傷したのだ。エネルギーがなければ、それがたとえ一つでも、【トライスター】は発動しない。三つ合わせて初めて使えることも、この兵器の難易度が高い原因だ。
『低位の吸血鬼なら、パスを繋げて無理矢理起動すれば倒せるかもしれませんが、アジトには中位の吸血鬼も交じっていたはずです! このままでは……!』
「くっそ、どうしたら!」
『落ち着け』
焦る俺たちの耳に、隊長の冷静な声が響いた。
『宙』
『【サイフ】、解除』
伯父さんの声に驚愕する。
「そんな、迷彩を解除したら……」
『大丈夫、もう充分距離はとった。ここまでくれば安全だよ』
伯父さんの声はどこまでも落ち着いている。
『宙の特殊武装は、【トライスター】と同じ太陽光蓄積型だ。エネルギーが足りないなら、【サイフ】と【トライスター】を繋げることでバッテリー代わりになる』
「なるほど……!」
【トライスター】は特殊武装の初号機だ。他の特殊武装がその機能を補うように設計されているのは、むしろ納得のいく話だった。
『アタシが運ぶ!』
『ああ、僕は子どもたちを見ておく。頼んだよ』
『おう!』
ナタリーが跳び出すのが、音で理解できた。
なら、俺がやることは、さっきとちょうど逆。
「ナタリーがここに到着するまで、吸血鬼を足止めする」
バトル、スタート。




