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チロル書庫

ある日の悔恨

作者: 赤佐多奈

 今ここに一つの懺悔をさせてください。

 それは自分が中学の最上級生となったその日のことでした。担任の吉田先生の自己紹介が済んで、一時限目の準備の為に職員室へと引っ込んだ時、教室内の生徒たちは、変に浮ついてざわざわしていました。原因はわかりきっていて、それはずばり、吉田先生の特徴的な顔なのです。生徒たちは、誰かが上手いこと、彼の顔を形容せしめる、秀逸な渾名を言い出すのを待っていて、それで浮足だっているのでした。

 そんな中にあって、自分は、その役目をぜひ担いたいという思いに駆られ、無い頭をなんとか回転させている最中でした。教室の内で、自分は言わば、剽軽さを以て尊敬を勝ち得ようとしたのです。しかし、ユーモアの欠落した自分では、取り立てて優れた渾名は思いつきません。自分は半ば諦めかけていました。

 その時でした。どこからか、ぼそっと呟くように、「〇〇」と聞こえてきたのです。その声は教室内のざわめきに紛れ、辛うじて自分の耳元に届くぐらいのか細さでした。声の出どころは、前の席に座るAからです。その呟きは傑作でした。吉田先生の風貌の持つ既視感は、まさしく、それだと感心させられる渾名です。

 不意に私は周囲に向けて、こう言い放ちました。

「ほう、あの先生の顔を見たかい? まるで〇〇だよ」

 言い終えるや否や、教室は爆笑の渦に包まれました。自分もみんなと一緒に笑いました。生徒たちに認められた気になって、自分はいい気持ちになっていたのです。

 数瞬の後、自分の行為の卑劣さに、自分でぞっとしました。賞賛欲しさに、自分は悪辣な手段を講ずる卑劣漢に堕していました。そしてさらに卑劣なことには、自分はAに謝罪をするでもなく、むしろ彼による告発を恐れ始めたのです。あいつは便乗しただけで、本当にあれを考えたのはぼくなのだ。Aが一言そう告げれば、自分の不道徳が眼前に晒される。内心は不安と恐怖に包まれ、されど自業自得であり、自分は悔恨を必死に抑えていました。       

 しかしAが名乗り出ることは結局ありませんでした。彼はつまらなそうに、窓外を眺めたまま、ただ時間が過ぎるのを待っているようでした。

 今にして思えば、Aは嫌みの一つでも言ってくれればよかったのです。例えば、〇〇とは傑作だね、なかなか面白いセンスじゃあないか、とでもいった風に。自分は俯き、唇を噛み、それであの悔恨は一時の痛みを以て浄化されるはずでした。しかし彼は何も言わず、私もまた、素知らぬ振りを続けてしまいました。

 Aとは卒業後、二度と会っていません。しかし、あの日の悔恨は今もなお、喉につかえた魚の骨のように、ちくちくと私の心を刺激してやまないのです。

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