第2話「シーカー・オア・ルーカー(終)」
エルフ。その言葉に対する反応は、島の中と外では大きく異なる。
初期開拓者たちがエルフの言葉で「リャナカスト」と言われる森に辿り着いた時、
ヒトと言う異種族を知らなかった金エルフ達は、彼らを受け入れ、里へと招いた。
その十余年前、森に棲む美しい種族の噂を嗅ぎ付けたハンター達に
よって行われ始めたのが、金エルフの乱獲だった。
グランド・グランドに古くから住むエルフ族の中でも、
金エルフ族は神の直系とも言われ、その美貌と長寿、知性、そして強靭な肉体は、
一対一であればおよそ人間の敵う相手ではない。
しかしヒトは、彼らにとっては不運にも集団戦闘に長ける種族であり、
千年以上に渡り争いを続けてきたヒトの知識の前に、G2の中で
比較的平穏に暮らしてきた彼らは成す術もなかった。
ヒトと言う物の危険性を知らなかった金エルフの女性達の多くが攫われ、
島外では奴隷として、立派な邸宅が建つ程の値段で売買されている。
魔術の素材としてエルフを使う所もあるらしい。
最も、入手の難しさから希少動物として慎重に扱われる為、
一般人が実物を見る機会はそうそうないようだ。
そして金エルフは人間に対して一切の接触を断ち、
森の中で人間狩り「マナント」を行う様になり、
聖なるリャナカストは島外の人間から「金生り森」と呼ばれる様になった。
そうした経緯から、島内の人間からは、エルフは畏れと悔恨の象徴となり、
島外の人間はエルフを好奇と侮蔑の対象として扱う。
唯一島内外で共通している認識は、
エルフは美しく、危険で、人間を恨んでいるという事。
「シーカー・オア・ルーカー」。それは金エルフの決意を表す言葉だ。
追う者か追われる者か。ならば我々は追う者になろう。
心を分けた者の為。自らの矜持の為。やがて生まれる我が血の盟友の為に。
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定期的に体を揺らす振動と、息を切らす音で目が覚めた。
揺れながら、明かりに照らされた周りの景色が流れて行く。
遅れて、背中に乗せられているのだと把握する。
その時、私が意識を失う前の出来事が蘇った。
私は反射的に相手の背中を蹴り、支える手を振りほどいた。
私を抱えていた人物はよろけ、私は地面に辛うじて着地する。
体の痛みはない。
暗がりで人物の姿が把握出来ないまま、私は声を上げながら炎を両腕に溜める。
「待て!」
大声で制止を呼びかけるその声に聞き覚えがあったので、
私は攻撃を思いとどまる。
私の腕で燃え盛る炎に白く照らされた相手の顔が安堵するのが分かる。
「スミカ殿。無事だったか。」
目の前にいるレガートさんがそう言う。私を抱えてかなり走ったのだろう。
良かった。と言うと、全身を一杯に使い息をしながらその場に座り込んでしまった。黒い鉄製の膝当てが音を立てる。
「レガートさん。私、気を失って。あのエルフは?あの後どうなったの?」
息を切らすレガートさんにそう問いかけながら体を確認するが、
傷らしい傷は一つも見当たらなかった。
「馬車の中から貴女が抱えられそうになっているのが見えたので、
私が後ろから始末した。」
そう言うと、腰に差した剣の一つと鞄を私に投げ渡す。
受け取った剣と鞄は、私の物だった。
「その後、他のエルフの騎馬部隊が、
聞きなれない言葉を発しながら馬車に近づいて来た。
私は部下4名に、衝撃で気を失ってしまった姫を守るよう指示した。
そして残り3名を馬車から降ろし、我々はエルフと打ち合わねばならなかった。」
レガートさんは下を向きながら話す。
「その戦いで相手の2人いる内1人を始末し、此方は3人共やられた。
そして残った敵の一人は何を思ったのか、私の襟を掴みそのまま走り出したのだ。
私が馬ごとそいつの足を突き刺し動きを止めるまでで、
馬車とはだいぶ離されてしまった。」
「それで?」
私は剣を腰に差し戻す。
「そして、」
そう言うとレガートさんは言葉を切る。地面に付いた手が強く握られ、地面を削る。
「敵は、多かった。
その後十数名にもなる騎馬部隊が現れ、私が馬車に辿り着く前に、
馬車に火矢が放たれ、残った部下は殺された。
そして、燃え盛る馬車にエルフが数人入って行き、」
「どうしたの。」
「トリア殿とヒウリス様が攫われた。」
その言葉に、私は息を呑むしかない。
「元々人攫いが目的だったのかもしれん。
私が馬車に着いた時は、既に馬に乗り奴らは去っていた。
ご丁寧に死んだ仲間の馬まで持ち帰ってな。
だが貴女だけは、私が殺したエルフの死体が陰になり攫われていなかった。」
そして私を担ぎ、敵の後を追ったのだと言う。
「そんな。」
私のせいだ。警告したのに。エルフが人里に攻撃を仕掛けるなんて。
頭の中で様々な思いが浮かび、思考が思うようにまとまらない。
「私が森に入った時、まだ町にはエルフが残っていた。
その部隊がこの森に来るのも時間の問題かもしれん。早く姫を見付けなければ。」
そう言って立ち上がろうとするレガートさんの言葉に、
私は今いる場所が何処か分かっていない事に気付く。
「もしかして、ここって。」
先程まで日が昇っていたはずなのに、
ここは明かりが無ければ相手の顔も分からない程暗い。
森に入った。と言ったレガートさんの言葉を思い出す。
「ポールフォレスト、と言ったか。」
その言葉に、私は、嘘でしょ。と漏らさずにいられない。
「香炉もなしにポールフォレストに入るなんて!無茶よ、今すぐ戻らないと。」
私は後ろを振り向き走り出そうとするが、
レガートさんが私の腕を掴みそれを抑える。
「香炉ならある。」
レガートさんはそう言うものの、周りにそれは見当たらない。
「持ってないじゃない!おかしくなったの?」
私は腕を振りほどこうとする。
「聞いてくれ。幸いと言うべきか、エルフもここを通るには香炉が必要なようだ。
そして香炉とは当然匂いを発するもの。更に匂いは、簡単に消える事は無い。」そう言うとレガートさんは周りを見渡す。臭いを嗅いでいるようだ。
「つまり、エルフの香炉の臭いを追っていけば、外敵に襲われる事無く、
必然的に目的地へたどり着く。」
「そんな、でも、着いた所で助けられるかどうかも分からないじゃない。
もう死んでるかも。」
私は思わずそう言ってしまう。
「死んではいない。私には分かる。
そして、姫を助け、イデアを手にしなければ、どの道我々は死んだも同然だ。」
私の腕を掴むレガートさんの手の力が強くなる。
「どうしてそこまで、あるかどうかも分からないのに。」
「あるという可能性があるならそれで十分だ。そうでなければ、」
そこまで言って、レガートさんは手を放す。
「私達の国は滅ぶ。」
そう言ったレガートさんの声は、私にはひどく悲痛な声に聞こえた。
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「我々には最早一刻の猶予もない。
もし無理だと言うなら、すまないが一人で帰ってくれ。報酬はこの場で渡す。」
レガートさんが、私を真っ直ぐに見つめながらそう話す。
「何言ってるの。私いなきゃそれこそ本懐を果たせず終わりよ。
今更無理でした。なんて言って宿に帰るわけにもいかないし。」
私は大きくため息を一つ付いて、レガートさんの提案を断る。
「トリアと女王様を助けてイデアを手に入れて、
ついでに世界のあらゆる問題を解決してあげるわよ。行きましょ。」
私はそう言ってレガートさんに水筒を渡し、辛うじて分かる程度の匂いを追う。
暗闇に閉ざされたポールフォレストは、どこを照らしても
柱の様に聳える木々と地面を這う巨大な根が支配する世界で、
匂いが無ければどこに向かっているかも分からなくなる程だ。
本来ならここを通る人間が付けた目印を追って進むのだが、今回はそうはいかない。
根から根へと飛び移り、ひたすら地面を蹴り、足を動かし続ける。
暗闇が晴れる気配は無い。
「針グモよ!伏せて!」
横に生える木々の間からカチカチと嘴を合わせるような音が聞こえ、
私はレガートさんにそう叫ぶ。
その直後、音のした方から人差し指程の大きさの針が
無数に暗闇から飛び出してくる。
私はそれに炎で応じ、針の勢いを殺す。
「スミカ!前だ!」レガートさんが鋭く叫ぶ声に、私が前を向きなおすと、
目の前には木と木の間を塞ぐように巨大な蜘蛛の巣が張られていた。
私は咄嗟に全身を炎で包み巣に飛び込む。
巣は炎で焼かれ、その穴からレガートさんも続く。
姑息な針グモが仕掛けた罠を抜け、只管に走り続ける。
しかし、香炉の臭いはどんどん薄れて行く。
どんなに急いだ所で、森を風のような速さで走る有角馬には追い付けない。
疲れも問題だ。
私はともかく、鎧を着たレガートさんは草原での戦闘と、
私を担いで走った事でかなり消耗している。
いつまで走ればいいのか。焦りが足を囃す。
尚も針グモはしつこく私達を追いかける。
針グモは群れる生物ではないが、面倒な事に変わりはない。
死角から放たれる針を炎で制している内、針を出し尽くしたのか、
針グモは二つの木に糸を掛ける事で、その黒と緑で彩られた体を
パチンコ玉のように打ち出してきた。
鈍く輝く七つの赤い瞳が私を狙う。
その時だ。
聞き覚えのある、風を切るような音がしたと思うと、
針グモは急速に勢いを失い地面に落ちる。
その背中には、やはり見覚えのある大きな矢が刺さっていた。
既に、町を襲っていたエルフの部隊は私達の元に追い付いている。
恐らく、私が出す炎の光で位置を把握したのだろう。
「明かりを投げて!」
私はレガートさんに近づきそう言って、なるべく遠くへランタンを放り投げると、
近くの根に身を隠す。
エルフが通り過ぎるのを祈るしかない。
馬の蹄が地面を踏みしめる音が近づき、隠れている根の裏から明かりが漏れる。
既に、エルフは一つの根っ子越しまで近づいていた。
香炉の甘い匂いが漂ってくる。
ライング・ハニーで売られている物よりも匂いが濃い。
「≪エギーユに当たったか。スバナに嫌われたな、エトエラ。≫」
エルフの話し声が聞こえる。
乱れた息を必死に抑えているレガートさんが、何を言っているんだ?と
言いたげな表情をしているのが微かな光で分かる。
私は自分の指に口を当て静かにする様ジェスチャーする。
「≪狩りの神は気まぐれなんだ。光が走った方へ向かうか?≫」
恐らくエトエラと呼ばれた方がそう言う。こちらには気づいていない様だ。
「≪私に聞くな。サエナ様を待て。大体お前はいつも逸りが過ぎる。≫」
二人は如何やら、サエナと言うエルフの部下の様だ。
「≪フォエラ。お前が言うか?
私は、一人で駆け出すお前を追うようサエナ様に言われたんだ。
こんなに走らせてはお前のカンロイが可哀想だ。≫」
「≪カンロイに構ってられるか。あの女がロズエラ達を殺した。
フェリエルの力を奪った卑しい人間が。直ぐに捕らえなければ。
哀れなラノエナに夫を殺したヒトの首を与えず何とする?≫」
フェリエル。
私を抱えようとしたエルフも同じことを言っていたが、何の事かは分からない。
「≪とにかくここで待機だフォエラ。サエナ様が来るのを待つ。≫」
今は二人しかいないのか。二人なら何とか出来るかもしれない。
そう思いレガートさんの方を見て、なるべく相手に聞こえないよう、
レガートさんの耳元で囁く。
「相手は今二人しかいない。本隊はまだ到着していないらしいわ。」
「何を言っているのか理解できるのか?」
私の言葉にレガートさんが驚く。
「なんでかね。ともかく、今相手は二人で、敵はレガートさん一人だと思ってる。
奇襲するには絶好じゃない?」
私がそう伝えると。レガートさんは考え込むように口に手を当てる。
「それが確かなら、私に一つ案がある。」
「何?」私は尋ねた。
「私が囮になる。その隙にスミカ殿は攫われた二人を追ってくれ。
私一人だと思われているなら、貴女が追われる事は無い。」
「え?何言ってるの?二人を倒して、香炉を奪って逃げればいいじゃない。」
「確かに。そう出来ればな。
だが香炉を持っていては匂いを追う事は出来ない。
それにエルフはひどく強い。本隊もこちらに来る。戦うにはリスクが大きい。
そして、不甲斐無いが、私はもう長く走れないだろう。
一緒に行くより、ここで奴らを足止めした方が役に立つ。」
そういってレガートさんは片脚を光に晒す。
腿に、針グモの針が鎧を貫き刺さっていた。
針グモの針は鉤状になっており、
簡単に抜く事が出来ない。
私は、一人の命を見捨てなければいけない状況が差し迫っている事実を
受け止める事が出来ない。
「いいか、スミカ殿。ヒウリス様がいてイデアがあれば国は保てる。
貴女にはヒウリス様の護衛を任せたはずだ。それを全うしてほしい。
私の一生の願いだ。頼む。」
そう言うとレガートさんは剣に手を掛ける。
「駄目よ。そんな事。」
私は言うが、レガートさんは聞かない。
「私の合図で、光に当たらないよう動いてくれ。
あっちに行けば、きっと森を出られる。」
レガートさんは、先程まで匂いを追って向かっていた方を指す。
「無理よ。臭いなんてもう分からないかもしれない。」
「かもしれないな。そこはアマルガムの力で何とか乗り越えてくれ。」
レガートさんは力なく笑う。
「約束してくれるか。スミカ殿。」
レガートさんは私の肩を掴んで、真っ直ぐ私を見つめてそう言う。
「約束なんて出来ない。けど、逃げない事は誓う。二人を助ける為に。」
私は逡巡した後、同じくレガートさんの目を見つめてそう答える。
「そうか。短い間だったが。良い付き合いだった。」
レガートさんがそう言って笑う。
そして、レガートさんは、良し、今だ。と小さく言って剣を抜き、
根を乗り越え敵の前に飛び込んだ。
私は、レガートさんとエルフの雄叫びを背に、木の影を縫うように走った。
刃が体を斬り付けた音がして思わず振り向くが、
既に木々に隠れ姿を見る事は出来なかった。
私は戻ろうとする気持ちを必死に押し殺し、足を前に出し続ける。