第3話「エル・エルフ(2)」
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探検王ジョマの冒険記#6
このクソみたいな大陸にこんな美しい生き物がいるなんて想像していなかった。
あの森を抜けて、血みたいな水がそこら中から噴き出す不気味な場所を
数人の仲間と共に彷徨った後、何処からいきなり小さい女の子が
俺らに話しかけて来た時は、幻覚か何かと勘違いしそうになった。
実際、何度も目を擦って見間違いではないか確認したほどだ。
彼女が何を言っていたのかは分からなかったが、
何処かに連れて行きたがっているようだった。
最初は仲間も彼女の事を訝しんでいたが、その少し前に喉の渇きに耐え兼ね、
地面から出て来る赤い水を飲んだ奴が急に倒れ込んだので、
そいつを助ける為に結局は彼女に付いて行った。
結果は大正解。
暫くついて行くと、先程の異様に長く伸びた森とは違う、
一見は普通の森と言える場所が見えてきた。
そして、あの森に入った瞬間。あれは今までに体験した事もない。
まるで、体中の汚れや悪い所が全て浄化されたかのような軽やかさと爽快さ。
微睡みから覚めた時の心地良さがずっと続くような感覚。夢心地とは正にこの事だ。
その後森を進むと開けた場所に出た。
そこは、この森に棲む種族の住処のようで、青い水が流れる小川が流れ、
森の中とはまた違った植物が生えており、空からは光が降り注ぐ。
水晶をちりばめ、きれいな鱗や鞣した動物の皮で作られた優雅な服装を纏う
尖がり耳の美しい種族が住まうここは、正に楽園だ。
赤い水を飲んだ奴は、動物皮の担架で運ばれていった。
この里に着いてから、大勢の住人に話しかけられ、
恐らく彼らの長だろう人物にも謁見したが、
結局お互いに言葉を理解する事は出来なかった。
しかし彼らは俺らを邪険にはせず、沢山の酒や食べ物を渡してくれ、
あの森には、お香を使えば安全に通れるらしい事や、ここの植物を
無暗に傷つけてはいけない事、あの赤い水は、
何かしらの鉱物が液化した物だと言う事など、絵や身振り手振りで色々な事を
教えてくれた。
俺もその好意に負けじと、
地元の踊りや歌を披露した(酒を飲み過ぎたわけではない)。
彼らはそれを見て、俺たち人間と同じように笑い、
見よう見まねで一緒に踊ってくれさえした。
先程も書いたが、この大陸に、
一緒に笑い合える人たちがいるなんて思いもしなかった。
この先にも彼らの様な種族がいるのだろうか。
もしかしたら、この旅もそこまで悪い物でもないのかもしれない。
2、3日ここで休んだら、また、先を目指そう。
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昔、砂漠と言う場所が外の世界にあるという話を聞いた。
そこは、一切の生き物が生まれず、ただ漠然と砂が広がる大地だと。
この、血吹き平原も似たようなものかも知れない。
あるのは得体の知れない茶色の地面だけ。
生き物も、きっといない。
私は何もない平原を、ただ足跡のみを追って進む。
歩を進め、遠くを見渡し、また歩く。
ただ悪戯に時間だけが過ぎて行く様な焦燥感と、
退屈によって思考の隙間が出来る事で生じる、
悲観的な考えを極力打ち消して進む。
時折訪れるサプライズはあるものの、決して楽しめる様な物ではなかった。
歩き続ける内に空は徐々に日を落とし、微かに月が見え始める。
本当にここは何もない。
景色が変わらないので、時折自分が本当に前へと進んでいるのか不安に陥る。
しかし後ろを見ればポールフォレストは既に遠くの景色の一つになりかけていて、
それから私はたまに後ろを向く事で、自分の進歩状況を把握していた。
周囲には山の様な物も幾つか見えるが、
海の遠くに見える島の様にただそこに在るのだろうという事が把握出来るだけで、
空に映る星々にも地面があると言われた時の様に、それが見えても、
進めばいつか辿り着ける場所だという実感が沸かない。
一度、ライング・ハニーからポールフォレストを抜ける場合の到着地点である町に
寄るべきかとも考えたが、
ポールフォレストに沿って見えたその町があまりに遠かった為諦めた。
無心になるよう努めながら進んでいてもそれには限界があったので、
私は思考の隙間を埋めるように、手記に書かれていた金生り森の事を思い出す。
正確にはその手記の、植物やエルフの挿絵が描かれたページに綴られていた、
ロンガナおじさんの注釈だ。
//リャナカストはエルフ狩りが行われてから、
森全体が不可視のヴェールで隠されているらしい。
どうやってかは知らんがそれが事実だ。
今あそこは危険な森だ。たとえ見つけても、
もし中に入って何かを感じても、決して奥に入るな。
どんなに里が美しくとも、
結局そこはヒトにとって、G2と言う天外魔境の一つに過ぎない。//
全く。馬の足跡を追っているとはいえ、
透明な森をどうやって見つければいいのか。
金エルフは、悠久の歴史の中で、
アームの模造品であるアーティファクト(魔具)と呼ばれる品々を作り出した。
それは力こそアームに遠く及ばぬものの、面妖な力を操れるという面では同様だ。
きっとその透明化もアーティファクトによる物なのだろう。
もしかしたら、蹄の跡を消す魔具だってあるかもしれない。
もう直ぐに跡が立ち消えてもおかしくない。
思考が悲観的になったので、私はかぶりを振ってそれを打ち消す。
今となっては、なぜそんな事を考えたのか。と自分を責めずにはいられない。
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暫く歩き、空の影が濃くなってきた頃。
肉眼で足跡を追うのも少しづつ困難になり、
明かりの準備をしようかと考えていた頃、それは起きた。
いや、実際には、起きていた。の方が正しいか。
今まで追っていた蹄の跡が、跡形もなく無くなっていた。
必死に目を凝らし辺りを見渡すが、やはりそれらしい物は無い。
完全に撒かれてしまった。
今までもその跡はただ真っ直ぐ続いている訳ではなく、
途中途中血柱を避けたのか乱れていたり、何故か斜めを進んだり、
半円を描くように残っていたりと不可解に歪んでいた為、
消えた先を進めば目的地に辿り着けるとも限らない。
ただ、遠くに何かを落とした様な跡が残っているだけで、
それ以外の痕跡は一切無くなった。
唯一の希望が絶たれた事に茫然とし、
暫く途切れた跡を見つめたまま固まってしまう。
徐々に、もう助けられないという悲観や絶望が思考を蝕む。
悲壮な態度を貫くことが、中々出来ない。
気付けば、地面に座り込んでいた。心の軸が折れ、体を支えられない。
私に全てを託したレガートさんの顔を思い出す。
私がいれば大丈夫だと言ったのにこの様か、
私は、アマルガムだというだけで何でも出来ると思い込んでいただけ。
実際は、一つの約束すら守れないただの無能な人間なんだ。
地中から濁った音がしても、動く事が出来ない。
そのまま、噴出した血柱を全身に浴びる。
勢いよく吹き上がる赤い水は体を押し上げはせず、体を通り抜ける様に空へ伸びる。
反射的に目は瞑ったものの、
水が止まった後も濡れる体を気にする気にもなれなかった。
顔に濡れた髪が張り付く感覚に、一層惨めな気持ちが増す。
もうこのまま、
あの夕日を湛える空から訪れる宵闇に溶け消えてしまいたいと思った。
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何時までそうしていたのだろうか。
私は、話しかけられている事に気付いた。
何時から話しかけられていたのかすら分からない。
顔を見上げると、紫色の空に照らされた、同い年位の少女が立っている。
そのピン、と尖がった耳から、何者であるかは容易に察する事が出来た。
「大丈夫?びしょびしょだけど。」
長い金の髪を後ろに垂らした彼女は、その髪と同じ、
大きな金色の瞳で不思議そうに私を見つめていた。