××(きみ)のいないその世界で
榛名 縁
本作品の主人公。男性のような口調で話す。
草薮出 湊月
3年生で『ホラー小説同好会』の部長。心霊スポットを始めとした廃墟が大好き。
土道 千絵
3年生。ホラー小説をこよなく愛する。垂れ目が特徴。心優しく真面目な性格。
富士村 心
佐島の知り合い。
佐島 夕輝
3年前に『異世界コックリさん』をやって、あちら側に行った生存者。
※前作『その世界に××はいない』を読んでからの方がより楽しめます。
ホラー小説同好会。こちら側に戻って来てから、私が入部した部活の名前である。オカルト的なモノを追究するのに、一番適しているからと感じた。入部する動機なんてそのようなものだ。
全てはあの過去を暴くため。
私こと、榛名縁は籠宮学園の高等部に通う高校2年生だ。この籠宮学園は他の学校とは比べ物にならないぐらい都市伝説が実話に近い。『異世界コックリさん』や『女子トイレの首吊り用務員』、『地下の祭壇』が、私の学校で言い伝えられている、いわば“学校の怪談”だ。信じられないことだろうが言おう。
――――3年前、私は異世界に飛ばされ、元の世界に戻る代償に友人を失った。
これは紛うことなき事実。この世界に、私の友人である湖口恋歌はいない。
学校の地下にある、祀られた祠に宿ったのは神様ではなく、呼ばれた鬼。たまたま降霊術をやった子どもたちが降ろしたのはコックリさんではなく、そいつだった。鬼は子どもたちを呪い殺し、その時かくれんぼをしていたオニに取り憑いた。鬼がオニに憑く。これは一体なんのジョークだろう。
そして、呪われた少女の魂と鬼が作り上げたのは、血のように赤く染まった此処とは異なる世界。その正体をコックリさんに問うことであちら側の世界に呼ばれる。呼ばれてしまうらしいのだが―――
「はー!分からない!」
部長の草薮出さんが大きく伸びをした。
「分からないって何がだ?」
「決まってるでしょ!?あちら側のことだよ。様々な文献を読んだけれど、“鬼”が何者なのか、さっぱり分からない。…つーか、本当に鬼だったの?勘違いじゃない?」
「あれは鬼だ。違いないよ。死体にあった額の傷口は、間違いなくアレが乗り移ってた後。あの傷は鬼の目印であるツノだ。体を乗っ取ってから魂を食って捨てるなんて、全く…趣味が悪すぎる」
そのまま私は続ける。
「元の世界に戻るには、召喚する時に媒体にした紙を持ってる人間が対価にされてしまう。仮に恋歌が生きていたしよう。もう一度私があちらに行って、彼女を救い、戻ってこれる可能性はある。だが、その為には誰かの死を犠牲にしなきゃならない。こんなエグい話、もう終わりだ。……それにしてもさ、こんな話よく信じるよな?佐島さんが転校した今、これってただの私の妄言でしかないだろう?」
「そうかもしれないけど…。まー、榛名がいるから、あたしら同好会は、学校から存続を認めらているようなもんだよ。仲間ならきちんと理解してやらなきゃね。それに、とても興味深いから。……祠に宿った鬼か…。あの事件から行方不明者は出てない…、みたいだよね?」
「出ていないのが幸いだ。学校中で囁かれるぐらい有名な都市伝説なのに、なぜ選ばれたのは私たちなんだ?他にやっている奴もいるだろう…。理解出来ない」
「謎がかなり残るね…。正体を突き止めるのは不可能かなぁ。いなくなったとされている、ここの神様は、洪水だとか氾濫…まあ、水害だよね。そういうのを鎮める神様らしいけど。ちなみにこの地域限定の土地神様だよ」
「…決めつけるのは良くないが、鬼がそんなのと関わり合いがあると思えないな。何故そのような水害を鎮める神を鬼が追い出すのか。訳が分からん」
丁度その時、部室の扉が開いた。もう1人のホラー小説同好会のメンバーである土道千絵さん。草薮出湊月と同じく、私よりもひとつ上の3年生、先輩だ。だが、本人は先輩というよりも友達として見て欲しいらしい。私は彼女らの好意に甘えてタメ口で会話している。
「あ、どみっちー!遅いよー!掃除?」
「いいえ。生徒会の雑務だけど。…それよりこれ。湊月と榛名は新聞見た?」
土道さんは、机の上に新聞を置く。私の住む地域でしか発行されていないものだ。それを数枚捲ったところで私の指は止まる。最後に見たのは3年前になるはずの名前。私の知る彼女の名がそこには記されていた。その衝撃に私の思考回路はショートする。
「…佐島夕輝が…行方不明?」
「やっぱり。榛名さんの友人の人だよね?3年前、あちら側に行ったけれども、帰って来ることが出来たもう1人の人物」
「なんで?いつから!?…もしかして」
「落ち着いて。榛名の言っていることが正しければ、あちら側に行くのはこの学校からじゃないと無理だよ!?転校した佐島さんには出来っこない!」
佐島夕輝。あの日、同じ空間にいたというだけで、私と恋歌のやった『異世界コックリさん』に巻き込まれた被害者だ。だが、彼女は被害者ながら、私たち以前よりもあちら側へ転移した姉の影響からか、元の世界への帰還方法を知っていた。
こちら側に戻ってきた後、混乱した私が心無い言葉をぶつけたからか。彼女は籠宮学園を立ち去った。噂で聞く限り、家は引っ越していないらしく、変わったのは学校のみらしい。佐島夕輝はずっと徒歩通学だった。ならば、簡単にこの学校に立ち寄ることは可能である。
「佐島さんはいつからいないんだ?」
「一昨日から。…あちら側には3人いないと行くことは不可能だよね。呪いじゃなくて、誘拐の可能性だってある。決めつけるのはまだ早いよ」
「だけどさー、3人いないと向こうに行けないなんてルールは存在しないよ。同時に行方不明になったのが“3人のみ”っていうのが多いだけで」
草薮出さんは部室の棚からファイルを出す。ホラー小説同好会が私を含めたメンバーで活動を初めてから、ちまちまと地道に集めてきた新聞スクラップだ。過去、この学校の生徒で行方不明となった者の記事ばかりが連なっている。
「これ、3人ばかりだけど、中には4人や5人だって、僅かながら存在してるはず。確かさ、あちら側に行く時、空間ごと転移するんだよね?」
「私が経験した時はそうだった。着いた時は皆バラバラの場所だったけど」
「…でもさ。怪しくない?夕方…逢魔ヶ刻を最後に学校から姿を消した。それも籠宮学園の可能性は低い、別の場所から。何らかの方法で巻き込まれたかもしれない。ちょっと試したいことがあるの」
土道さんはファイルを閉じて椅子から立ち上がった。ホラーをこよなく愛する少女は、お淑やかな垂れ目を、愉しそうに細める。変人の集いと化したこの部活で新たな事件の薫りが鼻腔を貫いた。
「久しぶりに怪談検証といきましょう」
着いた先は1階奥の女子トイレだった。
実は、以前にも学校で噂される都市伝説を検証したことがある。『異世界コックリさん』は本当に危険なので、私の意思を尊重してやらなかったが、他に噂される『地下の祭壇』と『女子トイレの首吊り用務員』を確かめようと試みた。しかし、そもそも祠のある武道場の倉庫には入れないし、片っ端から学校の女子トイレに入っても何の事件も発生しなかった。やはり、噂はタダの噂なのだろうか。
「…ここ。3番目の個室」
「どみっちー、わざわざ調べたの?」
「調べるほどじゃない。私が気付かなかっただけよ」
トイレに入ると、重苦しい空気が私を押した。1階の隅にあるトイレなので、生徒はあまり利用しない。綺麗なはずなのに、空気が苦しい。床のタイルに睨まれているような錯覚に陥る。
「…ね、鏡に今何か写らなかった??」
「やめろって。そんな訳ないだろ?」
「ほ、ほら!黒い影みたいなのがサーッって!」
怖じ気立ったのか、私の腕を草薮出さんが掴む。
私以外も、このトイレの違和感に気付いているようだ。何かが変だ。
「やっぱり変だって…。何かいるよ!?心霊スポットよく行くから、あたしこういうのに関しては冴えてるよ!?」
「逢魔が時だ。それに学校自体が呪われている。信じたくはないが…、何が起こってもおかしくない」
「私ね、『地下の祭壇』が『異世界コックリさん』と繋がっているように、『女子トイレの首吊り用務員』も他の2つと共通していると思ってるの」
「…と、言いますと?」
澄ました顔で、土道さんは3番目の個室トイレを開ける。普通の洋式便所だ。おかしなところなんて1つも存在しない。
「…ここの真下、何があると思う?」
「そこが首吊った場所か?」
「違うわ。建物自体が変わってるからトイレのあった位置を特定するのは難しい。…まあ、現在の校舎でいうなら、予想になるけれど、多分此処とは真逆の1階南校舎の廊下かしら。それより、この場所。この下。首吊った用務員よりもヤバいはずよ」
「地下って武道場じゃないのか…?…あ、」
「うちの校舎って作りが複雑だから気が付かないのよね。そう、地下は武道場。だけど、正しくは、武道場じゃなくて」
武道場の倉庫。それは即ち、祠の場所を指す。どうして今までこのことに気が付かなかったのだろうか。
とても嫌な予感がする。胸騒ぎが止まない。
「あれ?榛名、電話が鳴ってるよ?」
「…あ。本当だ」
「私たちに気にしないで出て良いから。バイトかしら?」
「いや、私はバイトはしていないが…。誰だろう。こんな時間に掛けてくるなんて」
2人に言われて、慌てて携帯をポケットから出す。ディスプレイに表示される名前。その名前に混乱する。夢なのか…?もし、これが夢なら、私はどうすれば良いのだ?ずっと消せなかった名前がそこには浮かんでいた。
「嘘だろ…?どうして恋歌が?」
「どういうこと?恋歌って、あの湖口恋歌?あちら側の人柱にされた…」
「消していない連絡先から掛かって来ているから、私の知っている彼女から、それも恋歌の携帯電話からだろうけど…。何かの間違いだったら良いが…」
湖口恋歌はあの世界で死んだはずだ。こちら側に戻って来た時に、嫌というほどに思い知らされた現実である。悲惨な死を遂げた彼女はもう息を吹き返すことはない。死んだ人間は生き返らない。この世の真理だ。
光る湖口恋歌の四文字。私は恐る恐る、画面をスライドし、応答を試みる。
「も、もし…もし?……恋歌?」
「…っ」
「恋歌なの!?恋歌なのか!?!?」
僅かに聞こえた吐息に聞き返す。まくし立てても、呼吸の音しか耳に届かない。
「死んだはずの人間から電話…。へー、本当に都市伝説みたいね…。すっごい不思議…、本当にその子は湖口恋歌なのかしら?」
「死者からの着信ってB級ホラー映画っぽいね!でも好き!」
「ねえ!?あんたらどうしてそんなに冷静なんだよ!?……おい、答えろ!恋歌じゃなかったら、お前は誰なんだ!?」
「榛名、待って。もし、その相手がコックリさんなら、姿を聞いちゃいけないんじゃ…」
この学校と繋がる異世界。得体の知れない者に正体を問うことは、その縛りに値する。即ち、私たちに待っているのは、呪われた歪みで構築された、あの真っ赤に染まる世界。
「…―――助けて」
何者かの、助けを求める声が聞こえた。空間が、視界が歪む。いつかのデジャブだ。声が聞こえない。草薮出さんと土道さんが私の方へ手を差し伸べる。届かない。脳の中身が沸騰したみたいに熱い。頭が別の何かに支配され、私の体は底無しの沼に落とされたみたいだ。
そうして、私の意識の帳は降ろされた。
「榛名、起きろー。朝だよー?朝じゃないけど!」
間延びした独特な言葉回しが私を覚醒させる。
木と埃の匂いがした。くさいぐらいの古い香りは、あの日に起きた嫌なことを彷彿させる。
目を開けると、突き刺さるような赤色が広がる。一瞬で理解した。ここはあの世界だ。
「異世界転移ね。全然嬉しくないことになっちゃった」
「…ここは?旧校舎のトイレの前か?」
「そう、この奥がトイレ。榛名はここで倒れていたみたい。あたしは廊下。どみっちーは…」
「1年のプレートが掛かった教室。どうやら1番初めに目を覚ましたのは私らしい。…こちら側に来るとバラバラの場所に配置されるのは本当のようね」
「…すまない、2人とも。私の迂闊な行動のせいで巻き込んでしまって」
「大丈夫。私自身、こちらの世界にとても興味があったから。それより朗報ね」
「朗報?どうしてだ?」
「そりゃ、コックリさんをする以外でこの世界に着くことが出来たことに決まっているでしょう。確か、榛名は、正体不明の相手からの携帯の通話に応じたら、こうなってしまったのよね?」
「そうだ。…恋歌の番号を使った何者が私の携帯に掛けてきた」
「湖口恋歌の番号かぁ…。佐島夕輝が行方不明になった件と関連性はあるか、疑問だよねー」
「忠告。湖口恋歌という少女は死んだ。この先何が待ち受けてるか定かじゃない。いい?幻想に惑わされないこと」
「…問題ない。現実逃避なんかしないさ」
私が答えると「貴方を信じてるわ」と土道さんは言った。
恋歌は死んだ。死んだのだ。辛いけれど、そのことをしっかりと胸に刻む。
「探索しない限りはじまらない。まずはどうしましょうか。残念ながら、こちらに旧校舎の地図は持ってきてないのよ。榛名、祠の場所、案内出来る?」
「ああ。もちろんだ」
私はそう肯定しつ立ち上がった。まだ少しだけ頭の中がクラクラする。車酔いをした後みたいで、やや気分が悪い。
「ほへー、木造校舎って雰囲気あるねぇ。エモいね!うん、エモい!」
「…エモい?」
「人が手を出さずに朽ちていくほど美しいものは存在しないと思うのさ」
草薮出さんが目を輝かせ、キョロキョロしながら廊下を歩く。時々人差し指と親指で窓の形を作り「エモーショナル!」と呟く様子は、正直、幽霊と同じぐらい奇妙で怖い。
そう言えば以前、廃墟マニアだと言っていた気がする。休みの日はよくバイクに乗って廃墟へ赴き、写真を収めるらしい。残念ながら私には理解できない趣味だ。
「2人共ホラー耐性強すぎないか?適応能力がラノベ主人公級だぞ…。……ちょっと羨ましいぐらいだ」
「あたし、平気そうに見えてる?だけど、いつ霊に襲われるか分からないのは怖いよね」
「そうかしら?湊月と榛名を探すついでに、一応校舎を歩いてみたの。だけど、それらしいのは見つからなかった。…かくれんぼでもしているのかしら?」
「かくれんぼ、ねぇ…。榛名がこっちに来た時は、いきなり強制かくれんぼが開始したん?」
「いや。かくれんぼよりも、まず襲われた。…ここだ」
この木造校舎は、私たちが現在使っている校舎とは異なり、少しだけマップが変わっている。1階端にあるトイレから廊下を直進し、L字型の校舎の直角の部分に当たる場所―――階段のところへと足を運んだ。
「ここって階段じゃない。階段の怪談に、オニに鬼。これって駄洒落?」
「んなこと知らん。でも日本人は昔からオヤジギャグ好きだから完全に否定出来ないな……。…ここの床を剥がすんだ。こうやってな」
過去の犠牲者・榎小夜と名乗る少女に教えて貰ったように、浮いている木の部分を引っ掛けるようにして持ち上げる。ベリベリ、と嫌な音がして床下が顕になった。
「ここが『地下の祭壇』に繋がる場所…」
「もしかしたら、死体が転がっているかもしれない。注意して降りよう」
「し、死体!?…え、湖口さんのもあったりするのかな…?ここを最後に榛名や佐島夕輝と別れたんだっけ?だったらいるのかも…」
「その可能性は否定出来ないかも。覚悟をしましょう」
「恋歌…。いるかもしれないのか」
3人で顔を見合わせ頷く。
「んで、誰から行くの?…もち、若い子優先で」
「こんな時だけ先輩ズラするの、みっともないわよ…湊月。って言ってもこの先に、人ならざる者がいると考えると…。ごめんなさい、私も怖い…」
「…私から降りる訳か。まあ、行ったことある人が先行した方が良いよな」
携帯を触りライトを付ける。異世界のため、電波は仕事をしていないが、機械自体は使えるようだ。その明かりで床下を確認する。どうやら下に物はなさそうに見える。
細い隙間に足を入れ、そのまま体を落とすように滑らせる。慎重に手をかけ、降りると、地面に足が着いた。そのまま着地し、完全に私の体は地下に侵入する。
「嘘だ…!?そんな訳ないだろ!?」
「榛名どうしたんだ?何かあったのか?」
「死体が…、ひとつもない」
「やっぱりね」と、土道さんが滑らかに着地する。それに続き、草薮出さんも降り、3人全員が無事に地下へとやって来た。
あの大量の死体が腐った、強烈な臭いがしない。そもそも、この場所の先に、本当に祠が存在するのか分からない。それぐらい普通で、赤い視界を除けば、極めて一般的な床下だったのだ。
「ねーねー、やっぱりって何?どみっちーなんか分かったん?」
「ここは、榛名が来た赤色の世界とは違う…。別の世界線かも」
「どういうことだ?パラレルワールドみたいな?」
「うん…それに近いかも。だからここには、鬼やそれに魂を囚われた者たちはいない」
「来た道が違うからか?道順が違えば、到着する場所も違う。…そういうことか?」
「ええ。…だからと言って気は抜けない。細心の注意を払いましょう」
歩みを進めると、祠のある場所につく。
木造で組まれた小さな社。大きさは、小柄な小学生が1人入るぐらいだ。色は赤茶色で、ところどころ禿げかかっているところが、余計に禍々しく感じさせる。近寄るのも畏れ多いぐらいで身震いする。
肝心の観音扉には鍵はかけられていなかった。
「これが祠…。とりあえず写真を撮っておきましょう。流石に最低でもオーブは映りそうね」
「ヤバいのが映りそうだな…。木造校舎だった当時、既にこの中には神様はいなかったんだよなぁ」
「だろうね。そうじゃなきゃ、化け物は住み着かないよ。どう?どみっちー何か撮れそう?」
「戻った時データが残っているかは分からないけど一応。『地下の祠』じゃなくて『地下の祭壇』って呼ばれるヒントのひとつぐらい得られたら良いかな…」
数回フラッシュを焚いて辺りを撮ると、満足したようで彼女は携帯をしまった。
祠からはとてつもない妖気を感じるが、あの時のような“何かがいる”気配はしない。この観音扉の奥には何が祀られているのだろう。
「じゃあ、開けてみましょうか」
「やっぱりそうなるのかー!?…罰、当たんない?」
「そもそもこの中には神様なんていない。学校側が土地を買い取った時に、もう祀られていた神様は祠から離れている」
「その場合、罰じゃなくて祟りでしょう。…この世界線の鬼を信用してみましょう。元の世界に戻るためよ。仕方がない」
意を決して観音扉に手をかける。ギィィと鳴る錆びた蝶番の音は、まるで幼い子どもの悲鳴のように思えた。
扉の中には両掌に収まるサイズの物体が置かれていた。円く、緑の縁に囲まれた中身は鈍い銀色を放っている。覗き込むと、そこには私の顔が写った。
「…鏡?」
「うん、そうみたい。…これが御神体なん?」
「実際中に入っていたからそうなんじゃないか?…って、ひっ!?こ、今度はなんだ!?」
私が驚いたのは携帯のバイブレーションだ。慌ててポケットから出す。着信だ。文字化けしていて、誰からのものなのか分からない。だけども、心当たりがあるとすれば、1人だけいる。
「湖口恋歌を名乗る人物からかしら?ここは圏外。私たちに掛けてくる時点で一般人じゃなさそう」
「…今は出るしかないか」
「そうだね。あたしらにも聞こえるように、スピーカーにできる?」
「分かった。その方が心強い。いざとなったら助けてくれよ、先輩?」
「…ったく。当たり前っしょ?」
設定をスピーカーモードにし、音量を上げた。
そして、画面をスライドして応答を試みる。今まで以上に緊張する。心臓が跳ねるように脈を打つ。
唾を飲み込み、私は携帯の向こう側にいる何者かに問うた。
「…もしもし。お前は恋歌なのか?」
「………、違う」
数秒遅れての返答。恋歌ではない、という否定された事実に複雑な感情を抱く。
「……こちらからだと会話出来るのね。まず謝るわ、ごめんなさい、勝手に湖口さんの電話を使ってしまって。たまたまこれが手に入ったから使わせて貰ったわ。時間が無い。単刀直入に言う。――――“書き換えて”」
「は?書き換える?何をだ?」
「助けてなんて、ちょっと荷が重いわよね。無理なら強要しないわ。ただ、協力して貰えたら嬉しいの。だから、そこに置いてある鏡を持って行って欲しい」
「おい、待て。さっぱり理解出来ないんだが」
通話相手は早口で言葉を並べる。聞いたことのある透き通った声色。久々にその声を耳にした。予想の遥か斜め上を行った方向に思考が追いつかない。
「帰る方法はただひとつ。わたしに正体を問いなさい。もう、わたしが誰か分かっているんでしょ?だから尚更。我慢して。分からない振りよ」
「お前は――――」
「わたしの名前を言っちゃ駄目。いい?貴方たちはわたしのことを知らない。それを前提で話を進めること。それがこの世界のルールだから、仕方ないの。もう時間よ。貴方たちの仕事はひとつ。“書き換える”こと。良いわね?」
通話が切れた。
無心になった状態で私はあの言葉を呟く。
「…あんたは、誰だ?」
その口にした〝あんた〟が誰に当たるのか分からない。
空間がねじ曲がる。三半規管がやられる。気持ちが悪い。意識が飛ばされる前に私は歯を食いしばり、瞼を閉じた。
6時を知らせる夕焼けチャイムが鳴っている。パイプオルガンで奏られた『ふるさと』のメロディ。泣きたくなるような哀愁漂うその音楽は、音楽に罪はないと知っていても、聞くだけで心の中を不安にしていく。
あの時と同じ。私のトラウマのひとつだ。
「…何だったんだ、あれ」
吐いた声は自分のものとは思えないぐらい、掠れていて、震えていた。頬を抓る。こちら側は現実。視界がまだ赤色を帯びていて、立ち上がろうとするとめまいがした。仕方なくその場にペタリと座り込む。
「夢じゃないみたい。現に私の掌には鏡があるわ」
「帰って来れたー!ひゃっほい!」
テンションに差があるものの、私たちは顔を見合わせ、安堵の笑みを零した。
1階校舎の端の女子トイレ前。そこに腰が抜けたように座り込んでいた。よろけながらも、壁に手を付きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「…佐島夕輝」
「だと思った。あの話から、化物とは思えないし、何も知らないただの巻き込まれた人間だとは到底思えない。榛名の知り合いじゃなきゃ納得出来ないわ」
「え…?なんで佐島夕輝がこちらに接触して来たの!?しかも湖口さんの携帯を使用して。『異世界コックリさん』をした時に飛ばされる異世界にいるってこと?」
「分からない。明日から調べ上げることが大量にあるな。何からしたらいいのか…」
「私は写真と鏡の解析をする。祠以外にも幾つか写真を撮っておいたの。鏡は似た資料引っ張り出してくれば良いかな…?」
「じゃあ、そっちは頼んじゃおっか。榛名とあたしは何すればいい?調べられることはもうファイル纏めちゃってるよね?」
「私は佐島さんのSNSを探してみる。リア友垢で接触すれば何か分かるかもしれない。上手く情報掴めたら良いが」
「あたしはどうするか…。“書き換える”って言ってたよね?どういうことだろう?あたしも佐島さんの知り合い探して当たってみるよ。幸い、佐島夕貴の転校先の高校と実家近いし」
「“書き換える”ね。…とりあえず今日は解散。明日は情報共有と祠の潜入でもしましょうか」
下校時刻はもう過ぎてしまっている。ここで見回りの先生に見つかって、部活動の活動停止を言い渡されたら困る。長居は禁物だ。私たちは一旦部室に戻り、今日はもう帰宅することにした。
「じゃあ、また明日」
私は帰宅する前に寄りたいところがあった。学校裏に密集する住宅街。古くから建っている一軒家ばかりだ。そのため、三世代家族が多い。この中のどれかが佐島夕輝の実家だったはずである。
直接交渉する訳ではない。だが、佐島夕輝の姉は異世界コックリさんの被害者であり、その妹である本人も現に何らかの方法であちら側に行ってしまった。偵察も任務の内だろう。
「あ、あった」
彼女の家は直ぐに見つかった。
在り来りな『佐藤』ではなく、『佐島』の表札がかけられている。白を基調とした三階建ての一軒家で、築5年ぐらいだろうか。目立った汚れもなく綺麗だ。
窓の明かりはついていない。中に人はいなさそうだ。インターホンを鳴らすか迷う。
「…その制服、籠宮の生徒の人?」
突如、背後から声をかけられる。
私に話しかけてきたのは、1人の少女だった。暗くて顔がよく見えないが、真っ赤なリボンが揺れる特徴的な女子制服はブレザー。少なくとも、籠宮学園の生徒ではない。
「誰?ここの住人の友人か?」
「う、うん…。そんなところかな。先生に頼まれてプリントを届けに来ただけだけど。あなたは?」
「見たまま籠宮学園の生徒だ。変人認定されそうまが、心霊現象だとか呪いだとか、そういうことに関して探ってる。今回の一件、佐島さんの行方不明と無関係ではないかと睨んでる。…最近行方不明になったと聞いた。協力出来ることはないか?何か情報があったら欲しい」
「…やっぱり噂は本当なのね」
「噂?」
ビンゴだ。この少女は何か知っている。
SNSを利用しなくても佐島さんの知り合いと接触出来るなんて運が良い。
少女は長い髪をかきあげると、視線を大通りの方に向けた。
「ここじゃアレだから。場所、変えようか。近くに喫茶店あったよね。そこで話そう」
場所は変わって喫茶店『ことり堂』。適当に席に着いて、ブレンドを2つ注文する。
可愛い名前と裏腹に、店内は、大正ロマンを思わせるようなレトロな装飾が施されていて、趣きを感じさせる。こういうのを「エモい」と言うのではないのだろうか。
少女は「さて」と呟くと、鞄からA4の大きさの紙を出した。
「自己紹介がまだだったね…。私は富士村心。夕輝ちゃんとは同じ部活で同じクラス、あと家もたまたま近くなの。…っても、そこまで仲良くないけど」
「…榛名だ。呼び捨てで良い。よろしく」
「は、はるなちゃんかな?うん。よろしくね」
富士村さんは優しく微笑む。悪い人では無さそうだ。
「これを見て」
A4の紙を手に取る。校内新聞のようだ。見出しには、『学校の都市伝説に迫る』と書かれている。内容を斜め読みしていくと、異世界に行く方法だとか、コックリさんが鬼だとか、籠宮学園の都市伝説に通じることが見受けられる。あの事件を忘れたくて転校したのだと思っていたが、まさか違う学校でもこんなことをしてしたのだと考えると、意外だ。
「私たち心理学研究会で…。でも趣味でちょっと変わったことしているの」
「らしくないことか?それが、ここに書いてある都市伝説の検証とか?」
「いいえ。間違ってはないけど…、違うわ」
ゆっくりと富士村さんは首を横に振る。
「都市伝説の創作よ」
都市伝説の創作?というと、掲示板でよく見る『洒落怖』だとか、私たちの部活の本来の目的であるホラー小説を読んだり書いたりすることなのだろうか?
「創作…?作り出すのか?」
「そう。私の考えは、あくまで幽霊なんていない。そんなもの人の思い込みで、作られた固定観念に過ぎない。つまり、脳のエラーをきっかけに、何もない現象でも幽霊だと錯覚する。だから、私たちで都市伝説を作り、それを大衆に煽り、思い込ませる。それが、籠宮学園の裏にある、呪われた世界にどう変化があるのか。とっても興味深い話だと思わない?」
「別に」
「そんな冷たいこと言わないでよ」
眉を下げ、悲しそうな表情を浮かべる。
再び富士村さんは鞄から紙を出す。先程よりも日付が新しい。「ちょっと読んでみて」と言って私の方に差し出した。
「えっと…、『死者からの電話』。死んだ者の電話番号を残したままにしておく。すると、逢魔ヶ刻にその者の携帯電話から着信が来る。それに返答をすると、誰もいない、存在しないはずの異世界へ飛ばされてしまう。…なんだこれ、児童向けの怖い話か?」
「馬鹿にしないでよ!?違うに決まってるでしょ。心当たりない?」
「有りまくりだ。ただ、私の場合は死者ではないけど。正しくは、恋歌の名義を用いた佐島夕輝からだ」
「でも実際、行ってきたでしょう?」
「ああ。――――だが、お前はそのことを何故知ってる?」
私があちら側に行ったことは富士村さんは知らないはずだ。そのことに私は疑問に思う。
「いや。これはただの推理だから。予想に過ぎない。あなたに直接聞いて確めたかったからちょうど良かった。神様っているものね。こんな偶然、滅多にないよ。…で、今の話で大体分かった?」
「“書き換える”の意味ぐらいなら。そちらに協力すれば…、いや、利用すればあの世界は消える。そう捉えて正解か?」
私は腕を組んで考える。
運ばれてきたコーヒーに口をつける。苦さの中に、上品な香りが響く。自宅で飲むのと全然違って、とても美味しい。
「どうして、佐島さんはいなくなってしまったんだ?籠宮学園とは何も関係ないはずじゃないか」
「…分からない。考えられるとすれば2つ。呼ばれたか、自ら赴いたか。…私はあちら側に呼ばれた、と睨んでいるけど」
「実際、『死者からの電話』と同様の状況に陥ったのは私らだけだ。佐島さんがそうだとは限らない。何故あちら側に呼ばれたのか、予想はついているのか?」
「ただの勘だよ。それを調べるのがあなたたちの役目じゃないの?大体私はあちら側なんて信じていないし。〝書き換える〟ことなら協力はするけどね」
「ごめん。うち、門限厳しいから」と富士村さんは残ったブレンドを一気飲みして立ち上がった。
「連絡先。知っておいた方が良いでしょ?えーっと…」
「縁。榛名縁だ。部活の先輩…、2人いるんだが、富士村さんのアドレス、彼女らと共有しても良いか?」
「いいよ。その方が便利だし、合理的でしょう。何か困ったことがあったらここに連絡して」
恋歌が関わっている以上、放置は出来ない。それにあの先輩2人もノリノリだ。この取引を無視をする選択はないだろう。
私は富士村さんと連絡先を交換し、帰路に着いた。
「…とんでもないものが写っていたの」
翌日、放課後。顔を死人のように真っ青に変えた土道さんが部室に現れた。顔色は悪くても、表情はサンタクロースからプレゼントを貰った子どものように張りがあり、何処か嬉しそうだ。
「コンビニで写真をプリントしようとしても、エラー吐いて駄目。画質は残念だけど、自宅のコピー機で印刷しようとしたら、今度はぶっ壊れたわ。こっそり学校の印刷室で繋げたら何とか印刷出来た。ねえねえ!!これテレビ局に売りつけたら、一体幾らになるかしら!?」
「怖がってるのか興奮してるのかどっちなの!?」
「どっちもよ!」
紙に印刷されているのは昨日、異世界で撮影した祠の写真だ。一見、何の変哲もないように見えるが、目を凝らすと赤い光のようなものか疎らに散っている。
「オーブ?」
「違うわよ。もっとヤバいやつ。『祭壇』って呼ばれる理由が少しだけ理解出来た気がするわ」
その時、誰かに見られている気がして振り返った。視線を感じる。
部室のロッカーのガラス越しに人の顔が映る。
ぽっかりとくり抜かれた空洞の両目、ナイフで裂かれて歪んだ三日月のような口。見覚えがある。鬼に憑かれ、体を奪われた少女。その彼女が存在しない瞳で、私の姿を射抜く。
「どったの?榛名眠たい?」
「お…女の子…。あいつみたいな女の子が。こっちを覗いてた」
「女の子?何処にもいないけど?」
草薮出さんの声で我に帰る。
その時には、もう少女はいなかった。幻覚か、それともあちら側からの干渉か。
あれは何だったのだろう…?
「見間違い…かしらね。私は霊感ある方だけど感じなかった」
「だったら良いのだが…。ごめん。聞いてなかった。もう一度説明貰えるか?」
「ええ、構わないわ。湊月も理解出来なかったみたいだし、もう一度繰り返して情報を整理し直した方が良いでしょう」
そのまま土道さんは続ける。
「『アステカの祭壇』って聞いたことはある?」
僅かだが、薄らと内容は知っている。確か検索してはいけない言葉のひとつだ。写真にオーブのようなものが大量に映り込み、それは赤ければ赤いほど呪力が高いらしい。昔、生贄をしたとか何かそのようなオカルト話だったはずだ。しかし、地名であるアステカは日本ではない。過去のこの学校とどう通じると言うのだろうか。
「まさか、『地下の祭壇』って『アステカの祭壇』から名付けられたのか?そもそも祭壇って祠と同じ意味なんじゃ…」
「うーむ。ちょっとニュアンスが違うね。祠が神様の宿なのに対して、祭壇は神棚と言ったところかな?死んだ神様や仏様を祀る場所も祭壇って呼ばれるみたい」
電子辞書を眺めながら草薮出さんは言う。
「地下のアレは、死んだ神様を祀っているのかしら?この赤い光はあちら側で死んだ籠宮の生徒の魂?」
「落ちつけ。大体あそこの社には神様はいない。得体の知れない鬼だけだ」
「でもさー、この光を見ると、『アステカの祭壇』の生贄にされた人たちと重なるよね…。望まないで殺された痛みが伝わって来る気がする…」
「榛名は何か分かったの?」
「佐島夕輝の友人と会話した。…“書き換える”の意味が分かったかもしれない」
私は昨日の夜、富士村心と会話した内容を伝える。創作した都市伝説であちら側に行ってしまったかもしれないことと、私たちが知らない内に巻き込まれ、協力せざるをえないこと、そして私たちの行動次第であの呪われた世界を消せるかもしれないことだ。
「なるほどね。…つまり、私たちが今ある都市伝説を“書き換える”ということ。そうよね?」
「流石は土道さん。正解だ」
「だと思ってた。ちょっと咋すぎよ?…これ、見て」
そう土道さんは言って、ノートパソコンの画面を私たちの方へ向けた。どこかのサイトのようだ。ブログ記事のように日記が綴られている。
「その佐島と富士村の学校のサイト。ここの学校って部活動ごとにホームページが持てるらしいの。学校公認でほら、リンクも踏める」
バックグラウンドには学校のホームページがあった。つまり、あのなんたら研究会のも存在する。
「あるわ。胡散臭い創作話も。つまり、今私たちが巻き込まれているのはこれがきっかけ。噂が現実になる」
「そんなゲームみたいなことがあるわけ無いじゃん!」
草薮出さんが反論する。
「怪異ってものは人間の思い込みが現実になる。噂といったら大袈裟だが…そっちの言い分も一理ある」
「そう。だからこれが真理か確かめるのに私たちも応戦しようと思うの」
今度はスマートフォンを取り出した。表示されたのは掲示板のオカルト板だ。
「あの…まさかだけど?」
「さっきスレを立てた。ちなみにタイトルは『ワイが異世界に行く方法を教えるでwww』って感じ。ほらほら、見て。結構見てくれてる人いるのよ」
「そこに佐島夕輝がいるかもしれない空間のことを書くのか」
「正確には脱出方法。認知されればきっと出来るはず。あ、待って『今から行ってくるでwww』って送っておくから」
グループのトークに貼られたURLを踏むとそのスレッドに行けた。頭の痛くなるようなエセ関西弁で会話が進んでいる。意外にも、創作認定はされておらず、彼女の言う通り盛り上がっているようだ。
「これは私らが失敗した時の保険って言うか…、メインはこっち。あとね、また、ひとつだけ試してもいいかしら?これ、なーんだ」
鞄から取り出したのは、鍵のようだ。プレートは付いておらず、何処のものかは分からない。学校の何処かのものであるのは確かだ。
「はぁ…やれやれ。きっと、どみっちーのことだから、武道場倉庫の鍵とか言い出すんでしょ?」
「よく分かったね。湊月にしては賢すぎる…。何か変なの食べたでしょう?」
「馬鹿にしすぎでしょ!?あたし変人の自覚はあるけど馬鹿にされるほどネジはぶっ飛んでないけど!?」
「どうやって盗んで来たんだ?」
「盗むなんて心外な…。ちょっと職員室寄って、先生に資料取らせている間に、かっぱらって来ただけよ。まあ、私が生徒会をやってて良かったと思う一番の出来事かしら」
「それを盗んだって言うのでは!?」
「ともあれ」
土道さんは鍵を摘み、ゆらゆらと揺らす。チャリン、と金属音が部室に響く。
「調べてみても、御神体である鏡が何なのかさっぱり分からない。故に、物語は始まらない。私たちは潜入するしかないのよ」
武道場、倉庫前。その手前で私たちは怖気付く。
「…本当に良いのにかしら」
「良心の呵責に苛まれるな。私たちで決めたことだろ?」
「そうだけどねー。やっぱドキドキするっ!ふーっ、この緊張感エモい!」
倉庫の鍵を合わせる。ジャンケンで決めた結果、私がやることになった。
固い南京錠が快い金属音を出した。
「…開いた」
「そりゃそうでしょ。ここの鍵なんだからさ。…開ける?」
互いに目を合わせて頷き合う。
時刻は五時過ぎ。今日は武道場を使う部活はない。下校時刻さえ過ぎなければ、警備員や日直の教員は来ないだろう。
「開けるよ…」
扉を開いた。ギギギィ…と重い音が武道場に響き渡る。
「ねえ、どみっちー、これでいい?」
「閉まらないのならば何でも良い」
ホラー映画に、急に扉が閉まり脱出不可能になるという王道がよくある。念には念を入れ、扉と壁の狭間に通学バックをねじ込んだ。これで完全に閉まることはないだろう。あとこれがフラグにならない事を願うのみだ。
暗い空間の中、壁を伝い、蛍光灯のスイッチを入れる。
「すごい…本当にあるのね。――――祠が」
倉庫なんて表向きの名前。運動部が使うようなマットや防具、それにダンス部が使用するような大型の鏡なんてない。集会用のパイプ椅子もない。
10畳程度の空間に社があった。即ち、これが祠。神様の住む宿。
「…でも、入って来たのは良いけどどうするんだ?祠の扉を開けるのか?」
「決まってるでしょ。鏡があるのかの確認よ。いくわ…!」
土道さんは観音扉に手をかける。扉の中には―――
「鏡かな?それって昨日拾ってきたやつと一緒?」
「拾ったんじゃなくてかっぱらってきたんだろ」
「どちらにせよ、その言い方は罰当たりよ…」
元とは言え、御神体。
スカートのポケットから、土道さんは昨日取ってきた鏡を出す。縁が緑色で不思議な模様が刻まれている。指で触れながら確認してみると同じもののようにも見える。
「どういうことかしら?同じものが2つ…。どちらかがレプリカとかは?」
「考えられないこともない。だが、本当に瓜二つだな…。持ち帰って調べてみるか?」
「いいえ。それは止めましょう。本来の目的は佐島夕輝をこちら側に帰すことだから」
土道さんが興味津々にその表面を見比べる。刻まれているのは模様ではなく、文字のようだ。ケータイのカメラで拡大しながら読むことを試みる。
「…?神様の名前かしら?何かが書いてあるのは読めるけれど…。榛名は読める?」
「〝童〟?…あと、〝籠〟みたいなのがあるな。これは籠宮市の土地の名前か。…しかし、この〝籠〟の〝童〟って文章、古語だよな?籠宮の子どもってことなのか…?確か、ここに入っているはずの神様って、水害を鎮める神様だったよな?子どもとどう関わりが?」
「どの文献にも載ってないんだよねぇ……。御神体が鏡だとは聞いたことないし」
「てかさ、此処の中は神様が居ないんじゃないの?あの異空間にも鏡はあるし、何なのよ…。祠の中は御神体のみで抜け殻だってこと?」
唸る私たち。そもそも何故この中に鬼が住み着いたのかが分からないのだ。佐島さんはそのようなことを言っていたけど、いまいち納得に欠けてしまう。
「嫌な予感がするわ……。とりあえず。榛名、彼女に電話してみて。話はそれからよ」
「分かった。掛けてみる」
着信履歴を辿ろうとした時。唐突に草薮出さんが息を漏らした。
「…足音…、聞こえない?」
だが、私たちが足音に耳を澄ます間もなく、異変ははじまる。
バンッ!
扉が重い音を立て、勢いよく閉じた。
ドアのストッパー代わりにしていた鞄は知らぬ間に転がり、倉庫の中に棄てられたように置かれている。
「ちょっ!?なんで閉じないようにしたのに閉じてるの!?フラグ立てたの誰だし!」
「キレるところそこじゃないでしょ!?」
「でも鞄が内側に転がって良かったわ…。必要なものがたくさん入っているもの」
蛍光灯がチカチカと光り、蝋燭を吹き消した時の如くフッと消える。
武道場のフローリングが、不気味な音を立てて軋む様子が伝わってくる。人の足音じゃない。
あいつだ。あいつが外からやってくる。
「駄目…、開かない…」
ガチャガチャと金属製の重い扉を揺らす。しかし、激しい音がするのみで開く気配はない。まるで接着剤でくっ付けたみたいだ。
「榛名、電話は?」
「こっちも駄目。電波が届かないって」
「どうするの!?あたしら、あいつに閉じ込められたってこと!?てかさ、何で鬼が外から来るの!?中からじゃないの!?意味わかんない!!!」
「そんな事知らないわよ…。どうにかして出る手段を探さないと…!」
丁度その時、警備員の人の声が聞こえた。あの不気味な足音ではない。パタパタとこちらに近寄って来る。今の騒ぎを聞き付けたのだろう。
「…?おーい、そこに誰かいるのか?」
その問いに私は声を張り上げる。
「います!閉じ込められちゃって!外から開けることは出来ますか?」
「待って―――」
待ってろよ、と言おうとしたのか。警備員の声が突然消えた。どういうことなのか。
ふと、足元が濡れている事に気付く。
「は、榛名…」
目を見開いた。まるで何かと遭遇してしまった時のように、土道さんの声が掠れる。
かけ続けていた電話を切り、アプリをひらいて懐中電灯を灯す。そして下側を照らすと―――
「血…?」
どうして?何故こんなところに赤い液体が?誰のだ?まさか、これは、あの警備員のものなのか?
思考を巡らせるために、脳と肺が限界まで、酸素を欲している。何だよ、何だよこれ…。
「い、…い、いや……」
「ど、どうしたの、湊月!?ねえ!?湊月!?」
草薮出さんが苦しそうに呻く。自分の手を首元に当て、得体の知らない何かを離そうとしているように見える。
慌てて彼女の傍に駆け寄り、塩をまく。いざとなった場合に携帯しておいたものだが、役に立つだろうか。
「まさか…あいつが!?どうして?そんなにここに入られるのが嫌なの!?」
「榛名…、よく考えて…。変よ…。何であいつは、鬼は入って来ない……?警備員さんを傷付けてまで、無理矢理開けようとしているの……?」
「それは扉が閉められているから…、―――あ」
違和感が喉に引っかかる。おかしい。
鍵の掛かっていない扉を只管に叩く音。何度も何度も、ガシャン、ガシャン、と鳴り渡っている。
「…自分で閉めたくせに、入って来ない?」
あの時、扉はしまった。そして倉庫の外から足音が聞こえた。あいつなら既に祠の中にいてもおかしくはないのだ。今現在、祠に住まうのはこの土地の神様ではなく、鬼なのだから。
ようやく落ち着きを取り戻した草薮出さんが息を数度吐き出し、咳き込む。
「…し、死ぬかと思った…。ありがとう、二人とも……」
草薮出さんは喉に触れる。まだ少し苦しいようだ。
「まさかだけど…、あたしを苦しめたのって、外のあいつが?」
「あいつは入れない、んだろ?だったら、多分、あいつに寄せられた、そこら辺の幽霊が、草薮出さんに悪戯をしたのだと思う」
「その説は有り得るわ。それより朗報。あいつは神様がいる前では〝危害を加えられない〟」
「……鏡だな」
「ビンゴ。扉から手を離してもあいつは入って来ないもの。榛名といると、本当に世の中不思議なことがあるって認識させられちゃう」
ハンカチに包んだ御神体の鏡。祠に納められているものではなく、異世界から取ってきたものだ。それを私は優しく撫でる。
私としては、巻き込んだことに申し訳無さが込み上げて来てしまう。
「…だけど、外、このままじゃ出られないよ?」
「大丈夫よ。方法はまだあるから」
脱出方法。ある意味、こちらの危機を避けるために、あちら側へ行くというのは、危なさすぎる。だが、自分の身を案じているようでは、私たちの戦いは終わらない。それに今回は佐島夕輝の救出役もに担っている。現にあの時、私は彼女に救われていた。やるしかない。もう、恋歌のような被害者を増やさない為にも。
放課後。外は夕方だ。態々、この時間を狙ったのだ。アレをする他ない。
「…榛名、その鞄取って」
遠くに転がっていた鞄を土道さんへパスをする。
彼女が考えていることが大体分かった私は、制服のリボンを解く。それを見て、草薮出さんも土道さんも同じようにした。
「私は準備するから、榛名は逸れないように足首にリボンを巻いて。湊月はその鞄を背負って。あとは、御神体は失くさないように、制服のポッケに入れること」
「分かった」
「らじゃー!」
それぞれ頷く。
3人で紙を囲む形になる。足首にリボンを巻いて、固結びをする。到着した時、3人ともバラバラに配置されるのを防ぐためだ。こうしていると、体育祭の二人三脚を連想してしまい、少しだけ口元が綻んだ。
事前にコックリさんの紙を用意していたのか。用紙を中心に広げて、3人の髪の毛を五円玉の穴に通した。
扉はまだ鳴り続けている。今にも壊れてしまいそうに、蝶番が歪み、軋み。叫ぶ。
あいつが今すぐにでも、私たちを襲ってしまいそうな恐怖に駆られる。
「扉が、破壊されそうだ…!土道さん…」
「安心して。もう出来るから。…さあ、指を置いて」
鳥居の模様の上。五円玉と人差し指を優しく添える。
そして再び、互いの目を見合わせた。深呼吸を大きくする。
「…コックリさん、コックリさん、お出でになられたら、〝はい〟の所まで動いてください」
音が止まった。
五円玉はゆっくりと〝はい〟を示す。
「だ、大丈夫かな?五円玉にあいつが乗り移ってるようなものでしょ、これって…」
「指先を離さなければ平気よ。じゃあ、大役は榛名に譲るから」
「はっ!?私か!?…い、いくぞ」
条件は問題ない。
五円玉は動いた。腕時計は5時手前を指している。それに、場所は噂の女子トイレの下でもあり、開かずの倉庫の中なのだ。
「コックリさん、コックリさん―――」
私は大きく息を吸って、正体を問う。
「―――あなたは、だぁれ?」
襲う目眩。平衡感覚は奪われる。脳がミキサーで攪拌されたかの如く揺さぶられ、吐き気が込み上げて来る。耳鳴りが止まらない。
次に目を開くのは、きっとあの世界だろう。
私はその瞼を閉じた。
「…っ!」
唐突に目を覚ます。立ち上がろうとしたが、バランスを崩し、大きく尻餅を付いた。木で貼られた床が鳴る。
その衝撃に隣の少女たちも目を開けた。
「…赤い……。め、目が痛い!?」
「来れたわね…。ここは〝あちら側〟……」
赤に覆われた世界。呪われた子どもたちが作り出した異世界。
頭を突き刺すぐらい毒々しい赤は、つい先日体験した、こことは異なる〝あちら側〟とも変わらない。
私は足首を固定していたリボンを解いて襟に通した。
木造校舎の教室。20ほど並んだ木の机が、私たちが生きていた時代とは違うのだと認識させる。
「やっぱり固定して正解だったな。バラバラにはならなかった」
「だねだね!でも、リボンが切れちゃうんじゃないかって、緊張したよぉ…。ここは、本当に〝あちら側〟なのかな?」
「100%とは言いきれないが、恐らく。きちんとした工程を踏んで来たんだ。この間の呼ばれたのとは違う。…土道さん、どうする?」
「地下に行きましょう。そこに佐島もあいつもいるはず」
立ち上がる。
スマホの画面を付けると圏外だった。やっぱりそうだ。駄目元で佐島夕輝へと電話を掛けたが、かからない。電波が届かないのか。着信を貰うだけでこちらからは掛けられないのだろう。
「こっちに跳んだのは良いが…、どうやって帰るんだ?鏡を祭壇に置いても、この空間が消失すると保証された訳じゃないし」
「でもそれが1番確実よ。あと、私が噂を広めたからそれを信用するしかないかしら。…最終手段は佐島夕輝をいなかったことに……、ごめんなさい。倫理的じゃないわね」
「…いいよ。大丈夫だよ。心のどこかで皆思っちゃうことだから」
寂しそうな顔で草薮出さんが言う。
帰るには、コックリさんに使用した紙と五円玉を持つ人間が人柱になる。確か、そのようなルールだったはずだ。
「で、土道さんが広めた帰る方法とは?」
「内緒。ギリギリまで知らなかった方が面白いでしょ」
こんな状況及んでも面白いという表現が出るのは、この人が変わっているからだろうか。土道さんにしろ、草薮出さんにしろ、何処か楽しそうなのが、私にとって非常に不思議な点である。
そう会話していると、1階の階段の手前にやって来た。
私たちが転移した場所は、1階の端の教室のようで、歩いてみるとそこまで離れた場所ではなかった。
「……臭うな」
「地下に死体があるのよね?ちょっと開けるのが怖いかも。湊月に任せて良い?」
「これだっけ?あたしがやるよ……ん、っしょ」
草薮出さんが進んで名乗り出る。1つだけ浮いたその床板に手をかけた。浮いているだけあって、板は思ったよりも軽い力で持ち上げられたのか、勢い余って彼女は尻餅を付いた。
「誰かいる…?あ、あんたが佐島…」
「静かにして」
ぬるっと姿を表したブレザーの少女は、人差し指を口元に当てた。肩口で揃えられたショートカット、特徴的な睫毛の長い釣り目。無機質ながらも美しさがある少女を私は知っていた。
「佐島夕輝!?」
「2度も言わせないで。静かにして」
佐島さんは周囲を見回す。
「ここじゃあれだから。トイレなら個室よね……。そこに行きましょう。あとは歩きながらこれまでの話を伺うわ」
狭い個室に女子生徒が4人。かなり窮屈で、土道さんの鞄が私の腹に食い込んで痛い。それに、足元の黄ばんだ和式便器に顔を顰めたくなる。
これまでの経緯は全て佐島さんには伝えてある。だが、聞きたいことがありすぎて何から質問したら良いのか分からず、黙りしてしまう。
そんな、無言の空気の中、静かな声で、佐島さんが口を開いた。
「……今は9月の何日?」
「…?10月の10日だけど。まだ暑いから夏服が丁度良いよ?」
「榛名さん…、やはり、あちら側とこちら側での時間の進み具合は異なるようね」
佐島さんが舌打ちをする。過去、赤い世界に来た時、異世界転移したのに関わらず時間が数分しか経過していなかった。私はそのことを思い出す。
しかし、この時間の進み具合は、空間自体が歪んでしまっているからだろうか。
「お腹…、空いてないのか?」
「大丈夫よ。不思議と減らないから。……それより」
そのまま彼女は続ける。
「…書き換えるだけで良いって言ったのに。あのブログ記事さえ削除すれば、どうにかなるんだから」
「でも、それじゃこの世界は完全に消滅しない。恋歌のような被害者を出さない為にも、私たちがやらなきゃいけないことだ」
「そう。榛名さんって、結構お人好しなのね。とりあえず、……ありがとう」
「デレた?この子デレたの?」
「湊月、うるさい。貴方の話を聞かせてちょうだい。何でこんな所にいるのか、さっぱり分からないわよ。静かに話している分には問題ないわよね?」
「ええ。ただ、わたしは〝かくれんぼ〟をしてる最中だってこと、忘れないで」
オニになった鬼が探しに来る。こちらに来た彼女は3年前と同じように、こうするしか方法が無かったのだろう。私にとっては、この狂気じみた世界で、未だに生き残っていることに、尊敬してしまう。
「何から話せば良いかしら」と、あの日からちょっとだけ大人びた佐島さんは腕を組み、悩む。そして、徐に語り始めた。
「まず、これは呪いなの」
「呪いか?あの少女たちのとは違う?」
「ええ。ここじゃない現実で、わたしは確実に恨まれ、こちら側に送られた。心当たりがあるとしたら…、あの子かしら」
「あの子……?」
佐島さんは悲しそうな表情を浮かべる。
「―――富士村心」
背筋が凍るような気がした。転校した先の学校で一緒になった、佐島さんと同じ部活の仲間でクラスメイト。そう本人は言っていたはずだ。
「あれ?この子って榛名と連絡先交換した子だよね?富士村が創った都市伝説が現実になるとかかんとか……。まさか、超能力者!?」
「違うわ。でも噂を現実にする能力と呼んでも、まあ、意味合いは大して変わらないか…。あの女は、鬼に願った」
鬼に願う。その意味がどのようなものなのか分からない。
「それが佐島夕輝が飛ばされた…、いえ、この赤い世界に連れて行かれたという、呪いの正体ね?」
「ええ。あの女に嫌われてたわたしは、多分遊び半分だったと思うんだけど…。どのような方法で呪いをかけたのかは知らない。だけど、富士村は『佐島夕輝があちら側へと神隠しにする』といった内容を願った。それが異なる方向で傾いて、『噂が現実になる』って形に成したみたい。…神様……、いえ、鬼の悪戯ね……」
「…だけど、あの人、オカルトには興味無いって言ってたぞ?オマケに佐島さんの家にまで様子を伺ってたし」
「ただのカムフラージュでしょ。わたしだって疑いたくはない。ところで―――」
言いかけたところで木製の床が軋む音がした。廊下からだ。
人の足音とそれに遅れて合わさる木の音。その音の軽さから子どものような体型を思わされる。
考えられるのはひとつしかないと私は確信する。間違いない。あいつだ。
「…静かに」
佐島さんがつり目を更に上げる。私は両手を口元に当て、息が漏れないようにした。足音は私たちのいる個室の前で止まる。
「…鏡があるから大丈夫じゃないの?ここにははいれないんじゃ」
草薮出さんが佐島さんの耳元で囁く。囁かれた彼女は首を左右に振った。そして微かな声音で言う。
「…ここじゃ関係ない」
これが何を意味しているのか。
突如、向かい合っていた土道さんが右上を見上げた。その顔色は蒼白で、まるで幽霊や化け物と遭遇してしまったみたいだ。
「……振り向いちゃ、だめよ…」
恋歌もそんなこと言っていた。なんて、浸っている場合ではない。
そう言われると振り返りたくなるのは人間の本性だ。確か、カリギュラ効果だとか、そのような名前だったっけ。
私が振り向く間も無く、あいつは言葉を発した。
「みーつけた」
トイレの壁に顎が乗る。明らかに人の身長が届く距離ではない。
私を襲った時とは違う。自我がある。故にこいつは、恋歌を殺した忌むべき相手だ。
ねっとりと絡みつくような幼い声。あどけないはずのそれなのに、自ずと戦慄してしまう。
凄惨な事件で死んだはずの少女の顔をした鬼は、失われた双眸で私たちを見据え、にやりと、頬まで裂けた口を開いて笑った。
「…お前はここには近づけないはず」
「それはむこうでのこと。こっちはちがうの。ワタシが、皆のおもいがつくった世界」
「何言ってるかはさっぱり分からないけど、分かっちゃうのはどうしてかしら…」
事前に説明しているだけあったのか、土道さんは納得した。一言で表すのなら、子どもたちの呪いで構成された異空間だ。
「ひとつ教えて。わたし……佐島に呪いをかけたのは富士村心?」
「おなまえは知らないけど。女の子なら、たしかにワタシのところに来た」
「来た……?あいつはどうやって鬼に願ったんだ?」
「あれれ?聞くのはひとつだってやくそくだけど?」
現実にも鬼が現れるのは、先程の地下で身に染みた。ただ、残る疑問は鬼に願う方法だ。あれに会うか、または召喚する方法―――『異世界コックリさん』か祭壇のある武道場倉庫に侵入するしかない。
つまり、富士村心は籠宮の地下に不法侵入した可能が高いのだろうか。
「ワタシのところに来なさい。たすけたいんでしょ?まってるから」
音もなくあいつは消える。
顔を出していたトイレの壁には誰もいない。
「……地下に行こう」
その提案に頷くしかなかった。
再び、あの場所にやって来た。もう3度目にもなる床下の板を剥がす。途中、土道さんに掲示板のことについて尋ねたのだが、教えないの一点張りだ。
私たちは床下の空間に体を滑らせて着地する。
「ひっ……、凄い死体の数ね…。よくこんな所に隠れていたわね…。考えられない」
「ずっとっていう訳じゃない。一時的に身を潜めていただけよ。……臭いのは否定しないけど」
白骨化した女子生徒の死体が蔓延る光景に、さすがの土道さんも音を上げる。
私は死体の一つ一つの顔を覗いてみるが、どれも崩れており、どれが恋歌なのか検討がつかない。
「見つけない方が良いわよ。世の中、知らなきゃ良かった、なんてこと、沢山ある」
「…そうだよな」
恋歌の死体を見つけたら、きっと私は気が狂ってしまいそうになる思う。私は佐島さんの忠告を聞き入れて、親友を探すのを断念した。その場で黙祷を捧げる。
「…おでこに傷がある…。これが角の跡なの?」
露骨に鼻を指で摘みながら草薮出さんは言う。
「私はそうじゃないかって睨んでいる。生徒に乗り移って魂を食べる。そういう解釈だ」
「…鬼、ねぇ……」
「どみっちー、どうしたの?腑に落ちない?」
土道さんは鞄から電子辞書を出すと、『鬼』と検索する。
「鬼。…死者の魂だとか、天津神の対義語、邪神や禍津神なんて意味があるわ」
「鬼は鬼よ。それ以上でも以下でもない。あなた…土道さんだっけ?何が言いたいの?」
「…この鬼も崇拝の対象である神じゃないかってこと。だから願うことが出来る」
「……そうね。悪くない説かしら。土道さんの言う、その鬼神様は、神が鬼に堕ちたもの?それとも神様と鬼神、どちらも異なる登場人物?」
「私は堕天説を推すわ」
「面白い。ちなみに、わたしは以前にそこの榛名さんに伝えたのと同じ、神様と鬼は別人物説を推すかしら」
そのまま、死体を避けながら歩く。目と鼻の先にあの祠が見えた。古びた社はこの世のものではないと象徴するぐらい、妖しいオーラを纏っている。
ふと、草薮出さんが息を吸うように呟いた。
「…祭壇。神様や死霊に犠牲や供物を捧げる場所。籠宮高校の都市伝説、『地下の祭壇』」
「いきなりどうしたんだ?」
「写真の中の、赤い光…、あれは人の魂だとか、念みたいなものなんだよね?」
「ここで死んだ籠宮の生徒じゃないのか?」
「……あたしは、違うと思う。きっとここの神様と由のある、もっと昔の人々」
「心霊写真?」と佐島さんが怪訝な表情で横から言う。土道さんは黙って、現像した写真をファイルから取り出して彼女に見せた。
「…そうね。籠宮の生徒だったら、はじめにあなたが行き着いたあの世界に、生徒の魂は現れないはずよね…。あそこでは誰も死んでいないから」
「だよね。……あとさ、ここにいたはずの神様は水害を鎮めてくださる神様なんだよね?」
「らしいわ。わたしも詳しくは分からない。全てが隠蔽されたように情報がないのだもの」
祠の前で足を止める。待ってると言ったあの鬼はいない。
土道さんは何かを勘づいたのか。「あ」と、小さな声を漏らした。
「…人柱」
その言葉を私は反芻する。
「人柱?どうして今そこに出てくる?」
「ここからは完全に仮説よ。昔、籠宮市…、旧籠宮村では水害が酷かった。そこで土地神を祀るようになった。だけど、雨が降る度に川は氾濫する。…だから」
「人柱を埋めた、と?つまり、祭壇の光は、人柱の霊魂?」
「昔から噂になるようなオカルト話だからね。実際にあってもおかしくないよ。まあ、現代じゃ、人道的に許されるものではないけどね」
「まあ、あってるかな。おねえさんたちすごいよ。はじめて真実にちかづいたおねえさんたちにおしえてあげる」
知らぬ内に姿を現した鬼が、グロテスクな顔で笑っていた。
「……あんたは、一体、誰なんだ?」
私はそれに正体を問う。
「それはきいちゃいけないこと。口に出してもいけない。神でもなく、人でもない。ちゅうとはんぱないきものだから」
舌足らずな声で言う。実質、舌を抜かれている可能性もあるのだろうが。
コックリさん。その正体はそこら辺の霊でも狐でも、ましては神でもない。元人間の、それも子どもだ。
「…あなたは、村の大人たちに埋められたの?」
「そうだよ。だまされて、気づいたら地めんのしたなんだもん。ワタシだけじゃなくて、川があふれるたび、こどもがいけにえになっていった」
「…酷い……。それで村が助かるの?」
「そんなわけないじゃん。だから水がふえるたびにこどもはぎせいになる。…でもね、そんなことをくりかえしていたある日、きみょうなじけんがおきた」
「…奇妙な……事件か?」
鬼は続ける。今の少女からは殺意は感じない。
「人がね、いなくなっちゃうんだ。いけにえをしたわけじゃないのに。まあ、そのしょうたいは、ワタシたちがした、イタズラなんだけどね」
「…神隠しね。そこからは察するわ。村の人は自分たちが捧げた子どもたちのことが原因だと思った。そこで、土地神とは異なる神が、籠宮学園の前の民家に祀られるようになると」
「もともとは人だから完全には神さまじゃないよ。いれいひ、みたいな感じかな?でもね、おさまっても、学校ができたことでまた呪いはよみがえるの」
「それが籠宮学園の三大都市伝説か。…いや、待てよ?とそういうことは、あの地下には、元々はあんたたちが祀られていたってことなのか?」
「住みついたなんて言いだしたのはだれかな、ほんとうに」
「…わたしの考えが裏切られた気分ね」
佐島さんはまた溜息をつく。
だが、正解は導けた。鬼の正体は、昔、この土地に埋められた人柱で、祀られて鎮められたはずの村の子どもたちだ。御神体の鏡は、子どものものだったりするのだろう。
また、莉子の体は仮初で、きっとあの中には何人のも魂が宿っているのだろう。自我の有無はその影響なのだと考えられる。
「ここまで聞けたのなら、もう良いわ。この世界を消して」
「むりだよ。これは呪いだから。とけないかぎり、おわらない」
「だったら――――」
土道さんは鬼の横を素通りする。そして観音扉を開けた祠の奥に、鏡を置いた。
「…それがワタシたちの本体…、だからって」
「そうね。でも、富士村心の願いを叶えた時点で、もうあなたたちの負けなのよ。きっとあなたたちは遊び半分だったのだろうけど」
そして、土道さんは高らかに、勝ち誇った笑みで言った。
「…ここは」
瞬間的に移動したようだ。まばたきをしたらここにいた。床のタイルの色と雰囲気から、籠宮学園の高等部の何処かなのだと思う。
「…佐島さん!?佐島さん!?大丈夫かな!?」
部員は無事に立てるが、佐島さんだけが地面に倒れ伏せて動かない。独特な色をしたリノリウムの床に、見慣れないブレザーが、花のように散る。
彼女に近寄り、脈を測る。生きてはいるようだ。だが、非常に弱々しい。
「…こ、これまずくないか…?…もしかして、あの呪いのせい?」
「し、知らないわよ…。私にこの子をどうしろって……」
「こう言う時は、救急車…!救急車……!呼ばなきゃ…!」
それからのことだ。佐島夕輝は病院に送られ、入院となった。倒れた原因は不明。ただ、内臓がかなり衰弱しているのだと言う。
と言うものの、現在は意識はあり、私たちと普通に会話出来るまでに回復している。
「…呪いなのかしらね」
ベッドの背もたれを立たせたまま、佐島さんは言う。
もう暫くは退院出来そうにないらしい。
「…一応、お祓いには行ってきた。郷山神社ってところで、なかなかお墨付きらしい。佐島さんも退院したら一緒に行こう」
「あなたたちには迷惑かけっぱなしね。本当にありがとう」
「あ、そうだ」と佐島さんは言うと、病室の棚を引いて、表面に傷の付いたスマホを取り出した。
「それって…」
「湖口さんのよ。あちら側で拾った。榛名さんが持っていた方が良いでしょ。たまたまわたしが持っていたモバイルバッテリーと型が一緒だったから使っちゃったけど。それは許してね」
「…恋歌」
電源は付かない。黒い画面に私の顔が映る。
それを優しく胸元に寄せた。恋歌はこの世界にはいなくても、私には恋歌の形見がある。少しだけ涙が込み上げてきた。
「…それで。今日はわたしにあの時のトリックを教えに来たんでしょ?」
佐島さんが土道さんに問う。
「ええ。って言っても簡単よ。あんたの言う〝書き換える〟ことをしただけ。それも不特定多数の人が見る掲示板でね。…色々試してみたけど、〝あちら側〟に関することなら全て実現するみたいよ」
「…うっわぁ…、流石どみっちー、チャレンジャーだねぇ。失敗したらどうするつもりだったの?」
「大丈夫。保険を大量に作っといたから」
つまり、経過は関係ない。鬼の正体を突き止め、祠に鏡を戻す。最終的にこれを果たすことであの世界は消失し、私たちはこっちに戻って来れるというのだ。
「…私たちは、運が良かったな」
「そうだねぇ。あちら側で死ぬのは完璧して欲しいな」
鬼の正体が分からなかったら、と考えると背筋が凍る。しかし、いざ、考えてみると、土地神が水害を鎮めてくれたり、御神体が二つあったり、見知らぬ女子高生の願いを実現させたりと、伏線はあったように思える。
「…ねえ、書き換えたことによって、本当にあちら側は消えたの……?」
「気になる?じゃあ、試してみるかしら?」
「遠慮しておくわ……。ちなみに聞いておくと、あのブログ記事は?」
「私たちが佐島さんを連れて帰ってきた後に確認したが既に消えてた。まあ、富士村が消したんだろ。だから、呪いは時効だ」
確かめる術はあれしかない。態々、『異世界コックリさん』をする訳にもいかない。富士村の願いの能力が失せている以上、今回のように全員が生還出来る保証はどこにもない。
「お騒がせ女・富士村心は?どうなったの?ブログ記事消してとんずら?」
「あ、そうそう。私も気になってたの。榛名、連絡取れた?」
私は首を左右に振る。
あの後、何回か富士村宛に連絡を試みた。しかし、既読は付かないし、通話にも応答しない。私たちの仕返しが怖くて、雲隠れしてしまったのだろうか。
「…嘘」
「どうしたの、佐島さん?」
話しながらクラスの子と連絡を取っていたのだろう。佐島さんが、整った顔で私たちを見つめる。
「…富士村、行方不明だって」
人を呪えば穴ふたつ。災いを招いた身の程知らずの少女は、この世界にはいない。