送還作戦とご主人様 1 〜イルベルside
隠蔽の魔法を全員に掛け、体を岩の一部に溶け込ませておいた。
『隠蔽』の魔法とは姿を眩ませたり、対象の姿を特定の人物や物に似せる効果がある。
本当に体が変形したり、見た目が変わる様な効果は無いが、視覚とは曖昧なものでぼんやりとした隠蔽でも意外と効果がある。
乱戦になった時点で、この計画は失敗してしまう。
全てのケルベロスがここに集まって来るまで、気付かれないまま留まっておく必要があった。
「鼻の効く奴らだね……最初の1頭目が現れたようだ」
『匂』の煙が充満し、周囲に霧が掛かり始めた頃、森の方から1頭のケルベロスが姿を表した。
岩の上で座禅を組んでいたルーシスの横を素通りし、誰かの匂いを追っている。
「作戦通りなのだ。私の匂いに釣られてまんまとやって来た様だな……見ろ、他のケルベロス達も集まって来たぞ」
続け様に他の個体も現れ、岩場の周りを数十体のケルベロスがくるくると徘徊し始めた。
大きく鼻を鳴らし、主人の匂いを探っている。
「さすがにこの距離だ……匂いで私の位置がバレないのか?」
「風の魔法で周囲に匂いを閉じ込めておいたからね。ルミネス君の正確な位置までは分からないだろう」
「なるほど、抜け目のない奴なのだ……」
まんまと敵を檻の中へと誘い込めたな。では、次の作戦に移る。
『旋律』を奏で、奴らを眠らせる。
「眠れ……。現代魔法・『メロディー』」
予め、岩に刻んでおいた魔法陣から、美しいピアノの旋律が流れ出した。
効果覿面だな……旋律が流れ出してからまだ数秒も経っていないのに、もうケルベロス達の瞼が重くなって来た。
一体、また一体と睡魔に襲われ、岩場が獣達の寝床と化していく。
ものの数秒で、全てのケルベロス達を眠らせる事に成功した。
「思っていたよりもあっさりと成功したね……終わったよ、もう動いても大丈夫だ」
「ぬぅ、この様な、3頭を持つおぞましい姿の魔獣が校舎裏の森に居たとはのぅ……」
ルーシスが、ぐっすりと眠るケルベロスに近付き、考え深い顔で漆黒の体毛を撫でた。
「漆黒の毛並みの魔獣じゃな……こやつらの生息地はどこじゃ?」
「確か、忍の国の魔獣だったような……あまり記憶にないな」
少なくともエリシアスの魔獣では無い。追影先生がケルベロスを仕留め慣れていたのは、出身国の魔獣だからだと言っていた気がする。
「さぁ、ルミネス君。今しかチャンスは無いよ。契約刻印を刻んでケルベロス達を強制送還するんだ」
「ああ、任せるのだ!」
3つの犬頭の付け根の間に入り込み、ルミネス君が召喚刻印を刻み込んでいく。
「よし、契約完了なのだ。
カエレ! 『ゲットホーム』」
漆黒の巨体が送還の光に包まれ、魔法陣へと吸い込まれて消えた。
「どんどん行くのだ!」
そのまま同じ手順を繰り返し、眠っていたケルベロス達の送還を成功させていく。
どこかへ送還されたようだが……行き先はルミネス君任せなので不明だ。今は余計な詮索はしない方が良いか。
「これで最後の一頭なのだ!」
最後の一頭に刻印を刻み終え、高らかに呪文が唱えられた。
これで作戦終了だ。
岩場から全てのケルベロス達の姿が消え、不思議と森に静けさが戻っていた。
緊張の糸が切れたのか、唐突にルミネス君が膝をついた。
「にゃぁ、やばい……もう限界なのだ……はぁ、はぁ……」
「大丈夫かい? 無理し過ぎたようだね……」
尻尾が気だるく垂れ下がり、額から汗がとめどなく流れ落ちている。
「さっきより魔力が不安定じゃな……お主、そろそろ体が限界じゃろう」
「ほ、放っておけ……私に…触れるな……」
魔法の使い過ぎだ……この症状は、魔法師が身の丈に合わない消費量の魔法を連続使用した際に陥ってしまう『魔力欠乏症』に似ている……このままだと意識を失って倒れてしまうだろう。
「無理はしない方が良い、私がおぶって学校まで連れて行こう」
「はな……すの…だ……zzz」
心配して声を掛けると、ルミネス君はパタッと地面に倒れ込んでしまった。スースーと気持ち良さそうな寝息が返って来る。
「眠っておる様じゃな……いつまでもここに居る訳にもいくまい、こやつを担いで養成学校まで戻るぞ」
魔力欠乏症で大事に至った例は無いが、安心は出来ない。
仕方なく、眠ったままのルミネス君を背中に乗せて岩場を歩き出した。
何はともあれ、これでケルベロスの脅威は去った。この子は一旦、我々で保護するしかないな。
「あれ……? 旋律が鳴り止んでる……」
不意に、周囲の異変に勘付く。
いつの間にか、鳴っていたピアノの音が聞こえない。
……旋律の魔法が妨害されているのか? 嫌な予感ががする……。
「ルーシス校長、何か感じ無いか?」
「じゃのう……体が揺さぶられるわい」
ルーシスへと声を掛け、周囲を探ろうとしたその瞬間一一一一
ズバーン‼︎っと凄まじい稲妻が避雷し、岩場の一部から黒煙が上がった。
そのとてつもない閃光と轟音に、目と耳の感覚が一瞬にして麻痺した。
何が起こってる⁉︎ 今のはサンダーボルトの魔法か……?
「……な、何じゃこの魔力は……」
ルーシスが見上げた先には、逆光を背にし、冷たい視線でこちらを見下ろす人影があった。
飛行魔法か……あの人物が今の魔法を放ったのか。
「動かないで下さい。今すぐその隠蔽の魔法を解いて貰えませんか? 場合によっては、落雷の魔法を発動させます」
こちらを指差し、淡々と警告してくる人影の背後には2つの天空魔法陣が漂っていた。
まったく、ケルベロス問題が解決したと思っていたらまたこれだ……近頃、災難続きだね。しかし、何者だ……? 相手も隠蔽の魔法で姿を眩ましているようだが……。
「奴は何者じゃ……まさか、今の稲妻の魔法を飛行状態で放ったとでも言うのか……?」
「ただ者では無いのは一眼で分かる……どうする? 隠蔽の魔法を解くかい? それとも交渉を続けてみようか?」
私の出した提案に、ルーシスは首を左右に振って答えた。
「このままでも問題なかろう……ワシが奴を捻り潰し、逆に隠蔽の魔法を剥ぎとって黙らせるだけじゃ。そやつを連れて隠れていろ……」
完全に武道家スイッチが入ってしまっているね。しかし、ルーシスに攻撃魔法を放つ愚か者が現れたのは何年ぶりだろうか……。
例え、隠蔽の魔法でルーシスの姿が解らないとは言え、普通の冒険者であればその威圧感に圧倒され、戦いを挑んだりはしない。
だと言うのに、上空に浮かぶ人影は相変わらず落ち着いた様子でこちらを見据えていた。
クルクルと指先を動かし、天空魔法陣の位置を調整している。
「この辺りに獣人の女の子がいると思うんですが……心当たりは無いですか?」




