迷い猫とケルベロス1 〜イルベルside
「隠れるんだ! 茂みの向こうに何かがいる……」
「あれは、我が授業の時に倒したケルベロスに似ているでござる」
獣道を歩いていた私達の目の前に、突然、大きな黒い獣が現れた。月明かりに照らされたその獣の頭部は3つあり、悪魔の様な鋭い眼光を放っていた。
「幸いにも、こちらには気付いていないようだね」
「イルベル殿の隠蔽の魔法が、匂いを妨げているお陰でござる」
息を殺して耳を澄ますと、不気味な低い唸り声が響いてきた。
見つかるのは危険だ……ケルベロスは、普通の魔獣とは比べものにならない程に強い。
実技の授業が行われたあの日、SSSランクの冒険者ドミニク・ハイヤードの手によって、数十体のケルベロスが森に召喚された。
しかし、授業が終わった今もケルベロス達は主人の元には送還されず、我が物顔で森を支配していたのだった。
この件をルーシス校長に相談した所、この私イルベルと新入生の担任、追影にて対処に当たるようにと支持を受けた。
無論、この事は生徒達には話していない。余計な心配は掛けたくないからね。現在、校舎裏の森は土砂災害による立ち入り禁止という事になっている。
「ケルベロスは食欲旺盛だ。この森を全て食い尽くしたとしても、あの巨大な胃袋は満たされないだろうね」
「うむ。腹を空かせたケルベロス達が餌を求め、養成学校へと降りて来てしまっては不味い……何としてもここで食い止めねばならぬ……にん! 動きがあったでござるよ!」
何かに勘付いた様子で、ケルベロスが周囲の匂いを嗅ぎ始めた。
隠蔽の魔法が甘かったか……微弱な匂いを感知されるとは……。
「気付かれたようだね。私も腕が鈍ってしまったようだ……」
「この距離まで近付けただけでも充分でござる。我は隠蔽の魔法すら使えないでござるからな‼︎」
隠蔽の魔法が使えない? そう言えば、追影先生は隠密スキルを保有しながらも、その適性が最低ランクだとルーシスから聞いた事がある。色々とバレバレなのはそのせいか?
いや……他人の事をとやかく言ってる場合じゃないな。私も気を引き締め直さないと行けない!
追影先生が腰に掛けていた刀を抜き、戦闘態勢に入った。
「魔法師のイルベル殿が、ケルベロスを倒すのは容易ではござらぬ。我に任せるでござる!」
「任せたよ。もしも危険を感じたら、すぐに撤退するんだ」
ケルベロスは不死身と言われる程に強力な『再生能力』を持っている。倒すには一撃で心臓を貫くしかない。追影先生もそれをよく理解しているようだった。
「行くでござる!」
シュババ!っと追影先生の姿が一瞬で消え、風圧で足元の木の葉が舞い上がった。
なんて速さだ……これが魔法ではなく、鍛錬された肉体によるものだと言うのだから驚きだ。
「にん! 現代魔法・『影縛り』
呪文が聞こえた次の瞬間、闇の中から放たれた影の縄が、ケルベロスの3つの頭部を一瞬で束ねて縛り上げた。
闇属性の捕縛の魔法か……あれではどう足掻いても外せない、完全に動きを封じ込めたな。
「消えるでござる! 」
3つの頭が絡みあったまま動けないケルベロスの背中を、忍刀が真っ直ぐに貫いた。
《グォォォ‼︎》
心臓を貫かれたケルベロスは悲痛な唸り声を上げ、影の様に散って消滅していく。
まさか、ケルベロを圧倒してしまうとは……あの魔獣を単独で倒せる冒険者が他に居るとすれば、思い当たるのはSランクのルーシスくらいのものだが……。
「ぬ? イルベル殿? どうしたでござるか?」
「……何でもないよ。しかし、いつまでケルベロス達を召喚したままにしておく気なんだろうね。大事な使い魔がやられたんだ、何かしらの反応があっても良いと思うが」
召喚した使い魔は、召喚前の場所に送り返すか、魔法石の中に封じ込めるかしないと、際限無く術者の魔力を吸い続けてしまう。
消費する魔力が許容範囲を超えてしまえば、当然、術者もただでは済まない。
「まさか、術者からの魔力供給が未だに続いているわけではあるまい。こやつらがドミニク殿の使い魔であるならば、彼が普通に学校生活を送っている説明がつかないでござる」
「まあ当の本人が、ケルベロスは自分の使い魔では無いいと否定しているからね」
彼曰く、犬に好かれやすい体質らしく、実技の時は偶然、森で出会ったケルベロスに手助けをして貰ったんだとか。
とは言え、私もそんな戯言を信じる程お人好しじゃない。そもそもケルベロスは犬じゃない。
「考えられるのは、召還魔法陣の『誤発動』による魔法の失敗だね。召喚されたケルベロス達は既に、主人との契約が切れているのかも知れない」
『誤作動』は、魔法陣を描く際に指先から放たれる魔力の光が、空気中の魔力とうまく混じり合わなかった場合に起こる暴発の一種だ。
我々、人間は、無意識の内に空気中の魔力と波長を合わせて魔法を放っているが、長い間、魔法を使わなかった人間にはこれが難しくなる。
その結果、不完全に召喚されたケルベロス達は主人を見失い、野生化してしまったと……。
「では、ドミニク殿ではなく、他の誰かが不完全な召喚魔法を使ったと言うのでござるか……?」
「あくまで推測だけどね。彼のシールが加点されていた以上、ケルベロスは彼の使い魔である可能性が高いのには変わりない」
生徒達の目撃証言によると、ドミニク君とギーシュ・プラネックス君が口論になり、互いに召還魔法陣を描いて戦っていたらしい。その場にいた同じクラスの宮野カレン。リーシャの料理部コンビが口論の原因とみられている。
何か手がかりは無いかと、周辺の木々に解析の魔法を飛ばしてみた。
「現代魔法・『アナライズ』」
飛ばした解析の光を両手で受け止め、胸元へと染み込ませた。
やはり、解析の光から魔力情報が殆ど入ってこない……複数召喚魔法によって空気中の魔力が枯渇しているようだ。
「この森で複数の召喚魔法が発動されたのは間違いない。これ以上の情報を掴むのは難しいか……」
こうなったら直接、彼に接触してみるか。
森に潜むケルベロスを倒すよりも、そっちの方が手っ取り早く問題を解決出来るかもしれない。こそこそと、生徒を嗅ぎ回るのも教師としてどうかと思うしね。
「そろそろ日付が変わってしまいそうだ。今日はもう切り上げよう。森を出て養成学校に戻るよ」
「もうそんな時間でござったか! それは一大事でござるな」
時計は0時を回ろうとしていた。体力的な事を考えれば、これ以上の探索は危険だろう。
魔獣に気配を探られぬように、今度は隠蔽の魔法を強めに掛けてから夜の森を脱出した。
※
養成学校の校舎裏へと辿り着く頃には魔力が切れ、強い眠気に苛まれていた。
追影先生がいつもと変わらぬ表情で、私に問いかけてくる。
「無事に着いたでござるな。イルベル殿は家に帰らぬでござるか?」
「私は養成学校の雑務が残っているからね。ではまた明日、寝坊しないようにね」
「にん! お疲れ様でござる!」
養成学校の訓練場の近く、小川が流れる静かな場所に私専用の寝床がある。
エリシアスは危険な魔獣の少ない町だし、寝床を囲む柵には最新の警報の魔導具を設置してあるので、危機管理は十分過ぎるくらいだ。
それはさておき、奴らをこのままにはしておけない、何か対策を考えないとな……。




