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五話:籠城戦と戦飯 後編

五話:籠城戦と戦飯 後編



 内壁内は昼間の戦闘で負傷した衛兵と徴集兵で溢れかえっていた。


「この人のトリアージ(識別救急)は緑リボンでお願いします」


 カムイは食事番と医療番の班長に任命されていた、戦闘が落ち着き始めると高級前は前線から運び込まれた負傷兵の呻き声で埋め尽くされていた。

 カムイは食事番の女衆に夜食用陣中食のレシピを渡して、治療に当たっていた。

 始めにしたのは重傷者の選別つまり『トリアージ』だ。

 災害時や緊急時などの負傷者の優先度を決めて治療を行う。

 優先度が高い順位に、赤:緊急治療が必要。黄:準緊急治療、短時間なら待機は可能。緑:軽傷であり治療待機。黒:死亡。

 本当はもっと細かく見るべきなのだろうか、残念ながらカムイには医学の知識は軽い治療ぐらいしかなかった。

 だが、簡易的な選別ならこれでいいハズだ。


「よッ! カムイ、陣中食出来たか!」と呑気な声で話しかけて来たのはロレだ、周りが活きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている人が居るのに、カムイはイラついたがそれを無視して治療を続ける。


「何だよ、おれの大活躍を聞かせてやろうと思ったのによ」

「何が大活躍だ、聞いたらカムイから兵糧のオリーブを大量に貰ったって話じゃないか、お前さんの手柄と言うよりは、こころく下さったカムイの温情だろうよ」

「何だと、お前さんこそ、初めは活きが良かったのによ、バリスタで狙われて泡食ってたじゃないか! おれの策が無かったら今頃この城は落ちていたぜ」

「何よ、おれの活躍があったからだろうが! おれの一騎当千の活躍がだな――」

「そんなもの知るかッ! 勝手に臨時の中隊長名乗りやがって、あとで旦那様に報告しておくぜ」

「それだったら、お前の矢文もんだな――」


 ブチッと自分の中で何かが切れるような音がした。


「お前らいい加減にしろッ! 自慢話している暇があるならここを手伝えッ! お前らの部下も怪我してんだぞ、少しは考えろォ!」


 温厚な性格で怒ったことが無いカムイ、そのカムイの怒鳴り声は広場中に響き、周りの視線が一点に向く。

 カムイはその視線を無視して、治療に戻る。

 その視線は次第にロレとゲイリーの二人に向く、向けられる視線が敵意に満ち溢れていた。


「おれら見方だよな、ゲイリー」

「ああ、そうだと思うが」

「お前らの軽率な行動の結果だ」


 二人が振り向くと呆れた様子のロレンスが居た。

 鎧は返り血で汚れている。


「衛兵長、おれ、何か悪い事をしました?」


 ゲイリーが言う、ロレンスの眼は言わないとわからないのかと、投げかけていた。


「とにかくだ、手伝う気が無いのなら、ここから去った方がいい、ゲイリー、ジルマ様は戦況報告を求めている、会議室に顔を出して報告して来い」


 ゲイリーは敬礼してその場を去る、残されたロレはロレンスを見る。

 ロレはロレンスが苦手だった、口数は少なく生真面目な男、何よりハンサムの色男だ、女の受けがいい、だけどそれを鼻に掛けない。

 詰まると話、自分には無いモノを持っているロレンスにロレは嫉妬をしていた。


「何だ?」とロレンス「いえ、何でもありませんが」とロレは答える。


 ロレはその場を去ろうとしてロレンスに呼び止められる。


「何ですが?」

「いや、お前の活躍で東門が落ちなかったと聞いてな、衛兵長として礼を言わせてもらう」


 頭を下げられる。

 一瞬驚くがロレは照れて赤くなった顔を隠すかのように言う。


「まあ、お、おれのお蔭だで、落ちなかったのは事実だし、感謝されるほどではないし」

「ロレ、今後も頼むぞ」


 ロレンスはそれだけを言い残し公宮に戻って行く。


「意外だったな、あの人に褒められるとは……」

「ロレ! 手伝ってくれ、人手が足りないんだ!」


 カムイの怒鳴り声で我に返ったロレは周りからの睨み付けられるような痛い視線を受けながら、カムイと共に負傷者の手当てを手伝った。



 既に、夕日が完全に沈み、篝火の炎が公宮前を照らし出していた。

 一通りの治療を終え、カムイとロレは配給食を配っている公宮東側の庭園に向かう、朝から戦い続けた兵士達が腹の虫を泣かしながら行列を作っていた。


「ロレ、並ぶか」

「お前の権限でおれの分を持って来てくれよ」

「それは出来ないよ、彼らだって一刻も早く腹に治めたいと思っているのに、ズルは出来ない」

「お前さん、律儀だよな」

「礼節は日本人の美徳だよ」

「ニホンジンって何だ?」

「おれの生まれの民族名だよ、別名は大和民族と言う」

「ふーん、そうか、けったいな民族性だな」

「かも知れない、自己主張出来ない民族って陰口言われているし」

「難儀だな」


 カムイとロレは列に並び半刻過ぎてようやく自分たちの番に回って来た。


「はい、次って何だ、カムイさんか、並ばなくても言ってくれれば持って行ったのに」


 配膳をしていたレミーが言う、いつもの給仕の格好だ。


「ロレと一緒だったからな、二善貰えるか」

「おれの多めに頼むぞ! レイミー」

「あいよ、一善お願いね」と言う。

「あの、おれの分は?」とロレ「あたしはカムイさんからレミーとして注文を受けたけど、あんたはレイミーさんに注文したんだろう、あたしに言われてもね」


 まるでわかりませんというジェスチャーをするレミー、その仕草が感に触ったのかちょっと怒ったような口調でロレは言う。


「お前な、レミーもレイミーも変わらないだろうが」


 いや、大きな違いだろうとカムイは言いたかったが、口を噤む。

 なぜなら、鬼のような目つきでレミーはロレを睨み付けていたからだ。


「はあ、あんたね、女の子の名前を間違って呼ぶって言うのは、旦那が妻の名前の間違えるのと一緒なんだよ」


 確かにその通りだとカムイは配膳を貰いながら思った。


「おれとお前は夫婦じゃねえだろうが!」


 それもそうだ。


「それでも、女性の名前を間違って呼び続ける男に、配る飯は無いよ」


 確かに一理有るなと、花壇の石に腰を下ろしながら思う。

 ロレも負けじと言い返す。


「おれの活躍でこの城は落ちなかったんだぞ! 英雄には飯を食う権利があるだろうよ!」


 むしろ、食う権利は皆に有ると思うが、そう思ったがあえて口にしなかった。


「本当の英雄は! この城を護って戦死した兵士達だよ! アンタじゃあねさね」


 そう言い返されて、ぐうの音も出ない様子のロレはちらりとこちらに視線を向けるが、カムイは知らんという顔で、陣中食であるフォーを啜る。

 レミーの発言は全くもってその通りだ、彼らはこの城を守って死んだのだ、彼らこそ本当の英雄である。


「何だと、このアマ!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、怒鳴り声を挙げるがレミーも負けじと声を張り上げる。


「アタシと一戦、交えるって言うんかい!」


 二人の視線から火花が散ってそうな空気が流れる、だが、傍から見ている人達は意外にもこの二人の会話を笑顔で聞いていた。

 ああそうか、とカムイは思った。

 この二人のこの会話は、いつも酒場で行われている日常風景なんだ、籠城戦と言う異常事態であるがここに変わらない日常が在る、それは戦いで疲れた兵士達にとってはおれ達がこの日常を護ったのだと言う安心感に繋がっているのだろう。

 カムイは配膳食であるベトナムの代表的な麺料理、フォーを啜りながらこの光景を眺めていた。





ガスダント帝国野営地:幕舎内



 上がって来た戦況報告をアスバードは黙って聞いていた。

 戦況は不利な方向へと進み始めている、総勢四千近い兵が失われた。

 一回の戦闘でこれ程の兵が失われたのは何年ぶりだろうか。

 そんな事を考えているとキサールの荒げる声が幕舎内で響く。


「何なのだ、アイツ等は、わたしの兵士を殺すのではなく拘束して次々と城に運びこんで行った、まさか副長まで捕虜となるとは思っても見なかった」


 キサールは頭を抱えながら怒りの言葉を吐き捨てる。

 その隣で静かに紅茶を啜っていたヤックハーラも口を開いた。


「我が軍の優勢は、変わらないが士気が落ちている、昨晩の夜襲による火計戦術で一万近い兵が焼き殺され、そして今回の東門での火計戦術を見て、火に対する恐怖心が兵士を戦えなくする程、士気を落とさせられた」

「クソッ! 片田舎の小領主の分際で、このわたしの経歴に汚点を付けるとは!」

「その汚点は卿の経歴に箔が付くがな」


 今まで目を閉じて黙って聞いていたアスバードが口を開く。


「どういう意味です、アスバード将軍」

「大した意味ではない、あの剣聖の四剣士の一人と刃を交えたのだ、誇りに思っても良い」

「誇りだと、わたしの隊は壊滅近いのだぞ!」

「それはアナタの指揮が不甲斐ないからでしょう」


 幕舎の入って来たベルベイトが嫌味を込めた声で言う。

 肩に付いた雪を振り落としながら、席に座ると同時にキサールが怒りを孕んだ声で言う。


「それはどういう意味だ」

「そのままの意味ですよ、直ぐに陣形の建て直しを図っていたらこれ程の被害は無かったハズですよ」

「貴様、平民出の分際でわたしに意見をするのかッ!」

「わたしは事実を言ったまでだ」

「何だとォ!」


 パンッと言う手を叩く音で二人の会話が途切れる。

 叩いたのはアスバードだ。


「お互いに冷静に成れ、ベルベイト、キサール卿は貴様より階級は上だ、忘れるな」

「申し訳ございませんでした、将軍」

「それからキサール卿、わたしも平民出だ、言葉に気よ付けろ」


 苦い物を食べたかのように顔でこちらを見た後、静かに座った。


「さて、ベルベイト参謀、何故遅れた、集合時間はとうに過ぎている」

「弁論の機会を頂けるのなら、ご説明します」

「許可する、説明せよ」


 ベルベイトは箱にしまってあった地図を取り出し、テーブルに広げる。


「わたしの隊で独自に周囲一帯を探索させたところ、古い井戸を発見しました」


 クス山の麓に近い場所に指を差す。


「古い井戸だと?」とキサールが不思議そうな声で言う。


 アスバードは何か言いたげそうだったキサールを手で制止して話を続けさせた。


「この井戸は枯れていましたが、不可思議なことに人一人が昇れるように石積みがされております」

「まさか……」

「そのまさかです、先程の兵士を降ろしたところ、奥へと続く洞窟を発見しました」

「抜け道か」キサールは眼を丸くして言う。


 どんな城でも城主が逃げられる様に抜け道を用意しておくモノだ、それは敵兵に見つけられないように様々な仕掛けやカモフラージュなどをして敵を欺く。

 井戸を使った脱出口は典型的な方法の一つだ。


「報告では、洞窟内にはかなりの風化が見られると言う事、おそらく何百年も使われていない可能性があります。

「使われていない、と言うと城主ですら知らない抜け道か」

「可能性はあります」


 アスバードは眼を閉じ一通りの思いを巡らせ決断する。


「ヤックハーラ卿、この後の指揮は任せます、我等の合図を待って攻撃を開始してください」


 ヤックハーラは静かに頷く。

 アスバードは外套を羽織る、その光景を見たキサールが言う。


「待て、将軍、貴様が直接行くのか? ここの指揮は誰か取る」

「言ったハズだ、ヤックハーラ卿に任せると」

「そう言う問題ではない、総指揮官が自ら前線に出るのはどうかと言っているのだ」


 総指揮官の死は全軍の敗戦と等しい、それは総指揮官であるアスバードにわかっているハズだ。

 自ら赴くと言うのがキサールには理解できなかった。


「わたしが行かなくてはならない」

「だから、何故だ!」

「士気が落ちているからだ、士気の無い兵士は唯の人形に過ぎん、彼らを、人形から戦う兵士に変える必要性がある、その役目こそ総指揮官たるわたしの使命だ」


 アスバードの強みのある言葉はキサールに反論の言葉を封じさせるには十分だった。

 鎧を装着して帯剣したアスバードは振り向き言う。


「ベルベイト、必要な戦力は?」

「洞窟が狭いです、それに大軍を動かせば直ぐに敵に悟られる可能性が有ります、多く見積もっても、三百人」

「わかった、全軍に伝えろ、夜襲の準備だ! ベルベイト、貴様はわたしに付いて、その井戸まで案内せよ」

「ハッ!」

「ヤックハーラ将軍、後は頼みます」

「気付けろ、戦場は何が起きるかわからんから」

「十二分に承知している」


 アスバードは白馬に跨る、空には双子月が出ている。月明かりが雪原の銀世界を照らしている。

 郷土でも同じ月が見えているだろうか、娘は今何をしているのだろうか、自分の帰りを待ちながら教会で無事に帰って来る事を祈っているのだろか、もしそうなら、祈って欲しい物だ、この夜襲が成功するのを。

 アスバードは視線を兵士達に向ける、集まった兵士は自分が軍務学校を卒業してから共に戦って来た戦友達だった。

 他の兵士とは違って百戦錬磨の面構えをしている。


「皆の衆、今晩、敵の城に夜襲を掛ける、この成功いかんでこの戦いの勝敗が決まると思え! 良いな! 全ては皇帝陛下の為に!」

「「皇帝陛下の為に!」」



ハマール城:会議室



 ジルマ・パティールはカムイが持って来た『フォー』を味わっていた。


「スープに浸かった麺料理を食べるのは初めてだな」

「お気に召しましたが、旦那様、本来な米と言う穀物を粉状にしたモノを練って麺を作るのですが、今回はライ麦代用しました、スープもシャク(ショウガと同じ味がするこの世界の薬味)と雉肉の骨で出汁を取ったモノを使っております」

「フムン、フォー、誠に美味なり」


 カムイは少しだけ頬が緩む。

 美味、旨い、美味しい。

 この言葉を聴く度に何故だが心の底から嬉しさが湧き上がって来る。

 これは料理人としての性なのだろう、自分の料理が褒められるのがこれ程気持ちよいモノはない。


「ところで、カムイ」


 空になった陶器のお椀を置き、真剣な眼差しで言う。


「お前さん、この戦いどう見る?」


 カムイは質問の趣旨が掴めなかった。


「わしはこの戦い、彼らにとって不本意戦争にしか思えない」

「と、言いますと?」

「この地への侵攻をしなくてはならない、何かがあると思う、カムイ、今から捕虜の将校に尋問する、懐柔しやすくするために、何か料理を作れ」


 懐柔の為の料理と言われても、カムイは会議室から出た後その事ばかり考えていた。

 尋問は半刻後に行うと言っていた、場所は会議室。

 カムイは考えた末、その尋問に同席させてもらった。

 会議室に通されたのは整った顔立ちの青年だった。

 少し青色の混ざった髪に鋭い目付き、でも、それ以外に気になったのは彼からは戦う人の雰囲気がしないと言うことだ。

 人間と言うのは独特の雰囲気を持っているモノだが、彼からは騎士らしからぬ雰囲気を出していた。

 ジルマと向かい合った青年は互いの右手を挙げて宣誓する。


「わしが、この城の主、ジルマ・パティール公爵だ、仁愛の神ラファロの名に誓い貴君を捕虜として丁重に扱うことを進言する」

「我が名はガガバド・アッサーラ、契約の神グッフェルの名に置いて国の不利益にならん限り、誠意をもって返答することをここに誓う」


 この世界ではこのようにして尋問するのかと思った、カムイが抱いていた尋問は苛烈な拷問に違い尋問だったからだ。

 この様な穏やかな尋問があるのかと感心したと同時に別に懐柔する必要性は無いのではないのかとも思った。


「では、アッサーラ卿、我が領地に侵攻した理由をお聞かせ願いたい」

「それは国益に関する事なので黙秘させて頂きます」

「フムン」


 こうして始まった尋問は平行線を辿った、何回かは相手側の怒りを買い怒鳴り散らすこともあったが、それなりに温暖に進んでいる。

 戦争映画とかで見る様な水に顔を押し付けるや、鞭で背中を打つなどを想像していたカムイにとっては、実に平和的でよかった。


「では、再度訊くがアッサーラ卿、何故、我が領地に侵攻した、我が国にはそれ程の戦略価値は無いハズだ」

「価値とは作る物ですよ、ジルマ殿下」

「確かに、その通りだ」

「我が国はこの地を欲したのは決して皇帝陛下の私欲によるモノではない、それだけはわかってもらいたい」

「フムン」


 カムイは頃合いを見て二人に紅茶を出す、紅茶の優しい匂いが部屋中に広がる。


「アツゥ!」


 ジルマが舌を出しながら手で仰いでいる。


「旦那様――」


 カムイはふとある事に気付き、ジルマに頭を下げる。


「申し訳ございません、旦那様が猫舌だったのを失念しておりました」

「なに、気にせんよ」

「直ぐに入れ直します」

「いや、このまましておけば飲める温度まで下がるだろうよ」

「本当に申し訳ございません」


 カムイが何度も頭を下げる中で、アッサーラは何事もなく紅茶を飲んでいる。

 カップを置き、リラックスした表情で「美味しですよ」とカムイの方を見て言う。


「そう言っていただけると、ありがたいです」

「パティールは、いい国ですね、農業国であり紅茶の名産地でもある、我が国は国土の半分は乾燥地帯です、中部の穀倉地帯を除けば殆どが山岳や草原が広がる」


 何かを懐かしむような瞳はどこか遠くを見ているようだ。


「先程の広場の方から腹を擽る様な良い匂いがしていましたよ、ここ最近、軍用食の干し芋しか食べてませんからね」

「では、何かお作りしましょうか」


 カムイは何気ない一言を掛ける、思いがけない言葉来た所為か彼は目を丸くして本当ですかと聴き返して来るほどだ。


「ええ、と言ってもこちらも兵糧がそれ程あるわけではありませんし、残り物でいいのならば」

「是非、もし、許していただけるのなら、捕まっている部下にもお願いしたい」

「わかりました、ジルマ様よろしいでしょうか」

「構わん、好きにせよ」


 カムイは会議室を出て厨房に向かう、厨房の保冷庫の中を開け中身を確認する。

 各種粉物は揃っているが、メインとなるモノが川エビだけと来た、さてどうしたモノか。


「なら、あれを使うか」


 カムイはそう言ってエビを炒め始めた。



 香ばしい匂いと共に運び込まれて来たのは、エビの料理だ。


「お待たせしました、川エビの茶葉炒めです」

「茶葉?」


 アッサーラは思わず聞き返してしまった。


「はい、先程の飲まれました出がらしの茶葉を味付けとしてエビと一緒に炒めたモノです」

「確かに香りがいい、エビの生臭さもない」


 アッサーラはフォークに刺したエビ口に運ぶ、先程の飲んだ茶葉の風味が口の中に抜けると同時に、エビの甘みが口の中に広がる。


「ウムン、成程な、エビの臭みを消すだけではなく、エビの味を引き立たせている」


 ジルマが感心した声で言う。


「ええ、噛めば噛むほどエビの味と茶葉の味が濃くなるのに、それぞれの味が互いの味を殺さず、溶け合って行く」

「そう、仲直りが出来ればとそう思い、お作りしました」


 ジルマとアッサーラ、二人の顔がカムイの方を向く。

 カムイは二人の顔を見て心の内に有ったことを口にする。


「わたしは、両国がこれ以上争わずに互いの妥協点が見出すことが出来ないか、そうすれば両国が争わずに済むのではないのか、この二日間で、わたしが思ったことです」


 ジルマとアッサーラは静かに聴いていた。


「アッサーラ卿、わたしはこれ以上両国が争うのは見たくありません、どうか、教えてくれないでしょうか、何故、ガスダントはこの地に来たのかを、両国の融和の為に」


 アッサーラは手に取っていたフォークを置き、静かに言う。


「料理人、国と国の争いは感情だけで止める事は出来ません、そしてわたしは騎士です、国に忠誠を誓い、帝国とそこに住まう民を護ることを誓った身、国を裏切ることはできません」


 一呼吸の間を置いてアッサーラ言う。


「ですが、ここからは騎士でもなく領主の息子でもなく、一人の人間として独り言を言います、それを信じるか信じないかは、あなた達の自由です」


 カムイとジルマは互いの顔を見た後、アッサーラの方へ耳を向ける。


「去年に続き麦は不作でした、多くの民が飢えで死に、その責任を先代の皇帝にするか、それとも今の皇帝にするかでいやらしい争いをしています、全く、そんな言い争いをしている間にどれだけの民が飢えに苦しんでいるか、とまあ、独り言ですが」


 アッサーラはそれだけ言ってフォークを再び手に取りエビに舌鼓した。

 カムイとジルマは尋問を終え二人で部屋を出た、ジルマは寝室にカムイは厨房に向かう。

 ジルマは先ほどの話が本当おなら、大きな外交カードに成る。

 だが、どこまで本当なのかわからない、その様な噂は一時期流れたが直ぐに廃れて行った、もしかしたらガスダント帝国はこの危機を悟られない為に情報封鎖を行っているのかもしれない、もしそうなら、昨年ハフマン帝国への侵攻も頷ける。

 国内で内戦の機運があると言うのを隠れ蓑にすれば、国力の低下が食糧不足だと言う事を隠すことが出来る。

 だが、あれが嘘だったどうだろうか、ただの野心からこの地を攻めるのだろうか、有り得る話かも知れない、何せ相手はまだ若い皇帝だ、領土的野心を持ってもおかしくはない。

 ジルマは寝室に付くと寝間姿で編み物をしていたユリリと視線が合う。


「どうされました、あなた様」

「いや、何でもない」

「戦の方はどうです? と、言っても答えてはくれないのか、あなた様ですね」


 たまに思う事がある、彼女、ユリリは自分との結婚を何故、承諾してくれたのだろうか、元はジルマが信頼していた従者の娘だった、出会った時は丁度剣を置こうとした時だった。

 半ば強引な結婚だったが、嫌味を一つ言わず、二十も年の離れた男と結婚できたのだろうか。


「ユリリ」と久しぶりに名前で呼んで見た、彼女は目を丸くしたが、直ぐにいつもの顔に成る。

「何ですが、あなた様」

「いや、ただ呼んで見ただけだ」


 可笑しな人と、それだけを言って再び編み物を始める。

 ジルマとユリリの間に子供いないが、もし、子がいれば今とは少し違ったかも知れない。

 そんな事を考えながら、ジルマも布団の中に入った。



 捕虜たちに配った配膳の皿の片づけが終わり、一段落するこの時間にはカムイはいつも香草茶を飲んでいる。

 パティール王国紅茶の名産地で知られているが、自分は香草茶の方が好きだった。

 特にお気に入りはミントティーだ、この爽やかな味は何とも言えない。

 少し小腹が空いたので、残ったモノを撮む。

 先ほど作った、川エビの茶葉炒めだ、確かに噛めば噛むほどの味が濃くなる。


「おお、何かいいモノを食っているな、食事番」


 顔を出したのはロレだ、その後ろにユランとゲイリーが続く。


「美味そうだな、おれらの分はまだ有るかな?」とゲイリーがにこやかに尋ねる。

「ええ、捕虜に作った残り物でよければ」


 カムイはフライパンに残っていたエビを大皿に盛り、作業台に出す。

 いつの間に酒を持って来たのか、ロレの手には葡萄酒の入った小樽とグラスが四つあった。


「準備がイイな、ロレ」


 そう言いつつロレはここに来れば何かしら有り付けると見込んでいたのだろう、だから、酒を用意していた。

 いつの間にカムイの仕事場は小規模な宴会場になっていた。


「うめぇな、やっぱカムイさんの料理は最高だ」


 ユランは口一杯にエビを頬張りながら、とろけた様な顔で言う。

 ロレとゲイリーは既に酒が入り、ほろ酔い気分で今日の武勇伝の自慢をしていた。

 そんな光景をカムイは眺めている、昼間あれ程の死闘が有ったと言うのにこの人達は笑顔で飲んでいる。

 ふと、ものふけった顔をしていたのかロレはその事に気付いたらしい、悪戯する子供の様にニヤニヤしながら「何考えているんだ、カムイ!」と笑顔で言った。


「いや、この光景が明日も見られるのかな、と」


 急に静かになる、どうしてかと思ったが直ぐに自分が言った言葉が今のこの場所では禁句であったことに気付く。


「済まない、変なことを言った」


 静かに謝ったが場の空気は静まり返ったままだ、しばらく重い空気が流れるが、突然、小樽を鷲掴みしたロレが一気に葡萄酒を飲み干し、小樽を作業台に叩き付ける。

 叩き付けられた小樽は割れてしまった。


「ロレ……」


 ロレは荒っぽく口元を拭くと真剣な顔でカムイを見る。


「これはロレの故郷の風習だ、死んだ仲間分まで酒を飲み干し、冥界ヤクトワルトに旅発つように促す為、酒が入った壺を割る、壺が割れる音が旅立ちの合図なんだそうだ」


 カムイの横で説明したゲイリーも同じく小樽を掴み一気に飲み干す、小樽を叩きつけて割る、ユランも同じく飲み干し、小樽を割った。

 三人はカムイへ視線を向ける、お前も割れ、これは旅立ちの儀式なのだからと、そう、目が言っていた。

 カムイも小樽を掴み一気に飲み干し、小樽を主っきり地面に叩き付け割った。


「戦士の魂よ、冥界ヤクトワルトへ」


 ロレが静かに言って、皆もそれに倣って言う、この戦いで死んだ戦士達よ、静かに眠れと。





 三者三様に酔っている、割った樽はそのまま放置して宴の続きが続いていた。


「そうだ、カムイィイイ! うっぷゥ、お前さん、あの立派な皮鎧はどうしたァアア!」


 完全に絡み酒になっている。

 ロレはもう手が付けられない、こうなってしまったら寝倒れるまで待つしかないのだ。


「皮鎧?」

「おれとお前が、ヒッ、うッぷ、初めて会った時だ!」

「ああ、防弾チョッキの事か」

「そうだ、それだよ、あれ軽いんだよ、それに硬い、なあ、おれにくれよ!」


 確か奥の保冷庫に有ったぞ、と言ってロレが鼻を掴む。

 この前の『あれ』がまだ記憶にあるのだろう、おれは行きたくないから取って来てくれと言わんばかりだ。

 保冷庫の片隅無造作に置かれていた防弾チョッキは埃まみれないなっていた、少し払い落とすと、布とプレートの間から何かが落ちた。

 落ちたのは紙だ、それを拾い上げる。

 メモのようだ、何か書いてある、文字の羅列を目で追う。



 『太陽は昇った』



 その一文だけが書かれていた。

 意味不明だ、どういう意味があるのだろうか、カムイは他にメモの様な物が無いのか探ってみるが何もない。

 仕方ないので、カムイはメモをポケットにしまって作業台に戻る。

 既にユランは酔いつぶれて寝ている、ゲイリーは未だに酒を豪快に飲んでいた。


「おう! 持って来たか友よ!」

「ああ、これだろう」


 そう言って防弾チョッキをロレの目の前に置く、まだら模様の防弾チョッキを見たゲイリーは興味深そうな目でそれを見ていた。

 ロレは早速のそれを着ようとして絡まった。


「酔い過ぎだ」


 カムイは防弾チョッキを着させる、大柄な体格だがロレには丁度良い大きさだったらしい、カムイよりは違和感なく着こなせている。


「どうだ、似合っているか!」

「まるで、蛙だな」とゲイリーがグラスを煽りながら言う。

「お前さあ、もっと他の言い方ないのかよ」

「ない」とあっさり言う。


 二人は言い争いを始める、カムイはその言い争いを聞きながら空いたグラスや食器などを片付ける。

 ふと、窓の外を見ると先程のまで出ていた双子の真ん丸の月が雲で隠れているのに気付く。

 出ていれば既に中天にあるだろう、夜もだいぶ耽って来たしここら辺で閉めるとしよう、そんな事を考えてカムイが振り向いた瞬間、ロレの持っていた黒い小さな玉を見て背筋が凍り付いた、全身の毛穴と言う毛穴から冷たい汗が一気に噴き出す。

 ロレが持っていたモノはこの部屋を吹き飛ばす威力があった、それは危険極まりない品物である。

 そう、手榴弾だ。


「この鉄の玉を食らいたいか、テメェ!」

「玉投げてみろよ! 弾き返していやるぜ!」


 子供の様な笑顔で言っているが、投げようとしている手榴弾は決して素人が扱ってはいけないモノだ、しかもよく見ると安全ピンが抜けている、目を皿にして探す、すると作業台に端に落ちそうな形で乗っかっている。


「食ら――」

「動くなッ!」


 思わずカムイは怒鳴ってしまった、驚いたロレが手榴弾を落しそうになる。


「それ絶対に落とすな! ロレ!」


 額から汗を垂らしながらカムイはゆっくりと歩み、静かにピンを拾う。


「な、何だよ! 行き成り、怒鳴ることはないだろおうよ、流石にお前の無断で弄ったのは謝るが――」


 余りの危機迫ったような顔をしているカムイを見て、ロレは手榴弾を放そうとする。


「だから、それを放すなッ! 絶対にッ!」


 耳に突き刺さるような声は、手放そうとしていたロレの動きを止めた。

 カムイはゆっくりとピンを戻し、レバーが外れないかと確認した後、静かに深呼吸してロレから手榴弾を取り上げる。

 安堵したのか全身から力が抜け、その場に座り込んでしまう。

 ロレは未だに何が起きたのかわかっていない、それはゲイリーも同じだったらしく、二人はこちらを見ている。

 そしてユランは大きな鼾をかいている。

 カムイはゆっくりと立ち上がり、手榴弾をチョッキのホルダーに戻す。


「おい、カムイ、それは何なんだ?」


 ロレの質問にカムイは答える。


「手榴弾、これ一個でこの部屋を吹き飛ばす」

「ま、まさか、そんなモノあるのか?」

「この冷や汗が証拠と言っても信じないか」


 カムイはチョッキを持って保冷庫に戻す、この数分間だけで一週間分もの疲れが来たような感じがする。

 溜息を付く、ふと、顔に冷たい風が当たるのを感じた。

 燭台を見ると蝋燭の火が微かだが揺れていることに気付く、どこから風が漏れている。

 隙間風などがあればそこから虫やネズミが入って来る可能性がある、人間に食べられるならまだしも、害獣や害虫などに食われるのは少し癪だ。

 カムイは風の通り道を探す、燭台から蝋燭を取り、壁に這うように蝋燭を近づける。

 どこかに漏れがあれば蝋燭の火が動くはずだ。

 ふと、ある一点で蝋燭の火が大きく揺れる。

 食器台だ、その壁と食器台の隙間から風が漏れている。

 普段から使っているのに、どうして今まで気付かなかったのだろうか。


「ロレ、ゲイリーさん、少し手伝ってもらえませんか!」


 カムイは二人を呼ぶ、事情を放し三人で食器台を動かす。

 引き摺る様にどかした食器台の裏の壁は、少しだけ色が違っていた。

 ここだけ風化のスピードが速い、カムイが壁を叩くと乾いた音がした。


「この壁、裏側は空洞になっているぞ」


 それを聞いたロレとゲイリーは顔を突き合わせるように互いを見た後、ゲイリーが一歩下がる。


「おい、カムイ、壁から離れろ」


 ロレはそう言って壁から離れる。

 カムイも二、三歩後退する。

 ゲイリーは屈伸運動した後、壁から距離を取り、深呼吸した後に掛け声を挙げながら壁に体当たりする。

 体当たりされた壁は、石が砕け散り四方に飛び散るそしてその奥にゲイリーは「うわぁああああああ!」と転げ落ちて行いった。

 開いた壁の中の除くと、薄暗いが壁の裏側は螺旋状の階段となって下へと続いていた。


「うおぉ! 流石、怪力バカは違うな」


 ロレはそう言うと燭台を持って階段を下りて行く。


「おい、ロレ!」


 呼び止めるカムイに対してロレはひょろったしたような顔で、ニヤニヤとしながら楽しそうに言う。


「カムイ、ビビるなよ、幽霊が出るわけじゃないし」


 ロレはそのまま下へと降りて行った。

 カムイは棚に置いてあったホルスターから拳銃とライトを取り出す、薬室内に弾が入っていることを確認したカムイは予備弾倉を持ってロレの後に続いて行く。

 カムイとロレはライトの明かりを手に下りた、その先には鍾乳洞の様な細い洞窟が続いていた。

 ライトで辺りを照らす、洞窟は狭く人が二人通れるかどうかの広さだ。

 と、ライトの照らされた泥だらけのゲイリーを発見、カムイは駆け寄り怪我をしていないか確認するがどうやら不要のようだ、傷一つもない頑丈な体の作りをしている。


「これは、抜け道だな、まさか、こんな抜け道があったとは……」


 辺りを散策するように照らしながらロレが言う。


「旦那様はこれを知っているのだろうか?」


 疑問に思ったことをカムイは口にする。


「多分知らないじゃあないか、見ろよ、燭台に埃が被ってるし、油は腐っている、大分使われていない証拠だ」


 頭を打ったのかしきりに頭を撫でるゲイリーが言った。


「この様子じゃあ、先代と先々代も知らないだろう、おそらく五代前の領主の時から使われてないのかもな」

「どういうことだ、ゲイリー?」

「そうか、ロレもカムイも知らないか、この城は百二十年前に一度崩壊してるんだよ」

「崩壊?」

「そうさ、お前等、この地が一世一代の領地制だと言うのは知ってるだろう」


 ハマールの領地は、北部の要衝であり国防の観点から世襲ではなく武功や勲功を挙げ、近隣諸国にまで名が知られた騎士、もしくは将軍などが領主として付くことになっている。

 それは諸外国への結びつきや、懐柔対応、など、敵への内通などを防ぎ諸外国への威圧のする為だ。


「実はな、おれの曾爺ちゃんはこの街の出なんだ」

「え? でも、お前、貴族だろ?」

「いや、おれの家は士族の出だ、爺ちゃんの奥さん、つまり、おれの婆ちゃんが貴族の出なんだ、今は士族制度が廃止されて、準貴族になったけど」

「知らなかったな、氏名を持っているから、てっきり貴族だとばっかり」

「よく間違えられるから慣れているよ、まあ、曾爺さんの話だと、百二十年前にここら一帯に大きな地揺れが起きたらしんだ」

「地揺れ、地震か?」とカムイが言う。

「まあ、北の連中はそう言うらしいが、まあ、この城一回大きく崩壊しているんだ、その時に火災も起きたらしくってな、この前の作戦みたいじゃないけど、それは酷い火事で、この城の倉庫に保管されていたモノを含めてすべて燃えたらしい」

「そのじゃあ、この抜け道は……」


 カムイの声にゲイリーが応える。


「おそらく、再建されてから使われてないのかもしれない」

「使われずに忘れ去られたってわけか、何ともいやはや」


 しばらく奥に進むと少し道が次第に開けて来る。

 石造りの壁から鍾乳洞の様な洞窟へと様相が一変して来る。

 さらに進むと二つの道の一つになる道で先頭を歩くゲイリーは意外なモノに出くわした。

 黒い鎧と剣と松明を持った兵士一団だった。

 ゲイリーと出くわした兵士は一瞬呆然とするが、ゲイリーがはにかんだ笑顔を見せると、向こうも同じようなはにかんだ笑顔を返す、しばらくして黒い鎧を着た兵士が叫ぼうとして口を開こうとした瞬間、ゲイリーの拳が鈍い音を立てながら兵士の顔面に減り込む。


「て、敵襲!」


 そう叫んだ兵士を今度はロレが拳で張り倒す。


「それはこっちのセリフだ、ボケェ!」


 ゲイリーとロレは倒した兵士から剣を抜き取り切り掛かろうとした兵士の一撃を剣で受け止める。


「ロレ!」

「カムイ! 下がれ!」


 ロレのセリフが洞窟内で響いた。

 カムイは一旦下がる、ロレとゲイリーが剣と剣のぶつかり合いで火花を散らしている間に奥から次々と兵士が雪崩れ込んで来る。

 カムイは腰から拳銃を抜き取り、そして構えた。



 先方から敵襲の叫び声と同時に剣と剣がぶつかり合う音が洞窟内で響く。

 アスバードは剣を抜き兵士を掻き分け前へ進む。


「敵の数は!」

「三名です!」

「一人も逃がすな! 討ち取れ!」


 剣を抜き一斉に前に進み始める、まさか、こんなに早く気付かれるとは思っても見なかった、上手く館内の中心部まで行き一気に攻め落とせればよいと思っていたが、やはり、戦だ、頭の中で考えている通りには進まないのか現実だ。

 アスバードが先頭に付くと既に十人近い兵士が倒されていた。

 敵兵は二人、十数人で囲んでいるが押し返されている。

 この二人かなり手練れだ、もう一人は少し離れた所から何やら鉄の様な物を兵士に向けていた、と次の瞬間、パンパンと、乾いた音がすると同時に兵士が数人の兵士が足を押さえて倒れたのだ。

 その場が静まり返る。



 当たった、カムイが引いた引き金はロレを背後から切りかかろうとした兵士に命中した、足を狙ったので命には別状は無いはずだ。

 拳銃の銃声で、洞窟内は静まりかえる。


「動くな、こいつがもう一度、音を出せば、今度は命が無いぞ!」


 ハッタリだ、カムイは命を取る意志などなかった、人を殺したくななかった、殺したいとは思わない、でも、仲間は守りたい。

 拳銃の威力は先ほど示した、このハッタリで逃げる時間を稼ぐ、でも、稼げなかったら、その時はやるしかない、でも、おれに人の命を奪えるのか?

 カムイの中で殺す殺さないと言う葛藤が渦巻く。


「カムイ! 避けろ!」


 ロレの叫び声でハッと気付く、横一閃の斬撃。

 カムイは身を捻ってそれを躱す、振り向くと自分と同じぐらいの大柄な男が剣を振り下ろそうとしていた。

 咄嗟にカムイは拳銃で受け止める。


「パティールには術師が居るのか」


 聞いた事の無い言語で話しかけられる。


「何言っているかわからないね」


 カムイは男の腹を蹴り、怯んだ隙に拳銃の銃口を男の足に向けて、引き金を搾るが、男の剣が地面の砂利を巻き上げる。


 照準がずれてあらぬ方向に向く。


「首貰った!」


 男の剣が目の前に迫る、カムイは上体を反らして何とか躱す。

 再度カムイは銃を構える。


「なかなかの身のこなしだ、お主名は?」


 今度はこの国の言葉で話しかけられる。


「カムイだ」


 それだけを答える。

 大男は鼻で笑うかのように薄っすらと笑う。


「カムイか、難儀な名前だ」


 難儀と言う言葉に引っ掛かった。

 それはどういう意味だと聞こうとした瞬間、男が動いた、それと合わせ様に矢がカムイの目の前を掠める。

 怯んだ隙に男に間合いを詰められる。

 今度こそやられる、そう思った時だ。

 振り下ろそうとした男に何かが体当たりした。

 ユランだ、酔いつぶれて作業台で寝ていたハズのユランが息を切らしながらカムイに手を差し伸べる。

 カムイはその手を取り、再び銃を構える。

 男は援軍が来たことで一旦後退する。


「ユラン、助かった」

「まったく、皆居ないからどこ行ったか探したじゃないですか!」

「とにかく、話はあとだ、引くぞ!」


 ロレは対峙していた兵士を蹴り飛ばしゲイリーは殴り倒して、来た道を戻り螺旋階段を昇る。


「逃がすな! 追え!」


 背後から足音が聞こえて来る、数人の兵士が昇って来る。

 四人は階段を駆け上る。


「どうする!」とロレ。「どうするって!」とゲイリーが言う。


 背後から大勢の足音が上がって来るのか解る。


「このまま、逃げてもここを塞がなきゃ入って来るぞ!」

「おれに考えがある!」カムイが言う。

「考え⁉」

「とにかく昇れ!」


 階段を昇り切りる、ロレとゲイリーは息切れを切らしている。

 カムイは、保冷庫に置いてあった、樽を一つ抜け道に投げ入れる。


「おい、それって!」

「皆、鼻を塞げ!」


 投げ入れた樽は転がり落ち、昇って来た兵士達にぶつかり、中の液体が周囲に飛び散る。

 その途端、悲鳴が階段に響き渡る。


「く、クセェエ! は、鼻が曲がる!」

「い、息が出来ない!」


 その場で嘔吐する者が居れば、気絶する者まで現れる。

 その臭いは階段を昇り保冷庫まで広がる。

 鼻を突くように異臭、卵を腐らせて匂いなって比ではない、この世のモノとは思えない程の臭いのだ。


「な、何だこれは!」ゲイリーすらも涙目に成りながら言う。

「こ、これって!」

「そんな事より」


 カムイは防弾チョッキの二個の手榴弾を取り出し、安全ピンを抜き、階段に投げ入れる、と同時に保管してあった、ライ麦粉に向かって拳銃を連射する。

 山積みにされていたライ麦粉が漏れ出して厨房は粉塵で視界が悪くなる。


「厨房から出ろ!」


 カムイ達は厨房から出ると同時に、爆音と共に舞い散っていたライ麦粉が引火、急激な延焼を引き起こし、燃え広がり爆発する。

 そして厨房は跡形もなく吹き飛んだ。


 それは場外で突入準備していた、ヤックハーラ将軍達からも確認できる爆発だった。





「フムン、まあ、厨房一つの被害で城の陥落を防げたんだ、良しとするべきだろうな」


 ハマール城の主であるジルマは髭を弄りながら言う。

 夜中の事だ、突然の爆発音で目を覚ましたジルマは状況説明に来た兵士が言った言葉に耳を疑った。

 敵がこの城の侵入を試みて失敗したとのことだ。

 しかも、それを防いだのはカムイだと言う。


「フムン、で、お前さん、この城の為に自らの職場をぶっ壊したと?」


 と、座り込んでいたカムイに言う。


「ええ、皆を護ることが出来ました、その性で、仕事場、ダメにしましたけど」

「これぐらいなら直ぐに直せる、心配せんでえぇ」

「はあ」

「それにしても臭いの」


 ジルマはそう言って鼻を摘みながら言う。

 ロレとゲイリー、そしてユランも余りの臭さに先ほどから顔色が真っ青だ。


「そう言えば、カムイ、あれは一体何だ?」


 少し前にあれを開けて気絶したロレが青ざめた様子で言う、今も思い出したのか振り向いて端の方で嘔吐している。


「ああ、あれか、『シュールストレミング』ニシンの塩漬け、世界一臭い塩漬けだよ」

「しゅ……なんだって?」

「シュールストレミング、ニシンを塩水で漬けしたやつさ、実験的に作った奴だけど、まさか、食材ではなく、武器として使う事に成るとは思わなかったよ」

「……緒戦であれを城門に撒いておけば、敵は直ぐに撤退したぞ」

「そうかもな」

「それに、あの丸い鉄、あんな威力があったなって、おれ、末恐ろしいことをしていたんだな」


 ロレが言う。それに対してカムイは否定した。


「おそらく手榴弾だけじゃないよ、ライ麦粉に引火して粉塵爆発を起こしたんだ」

「粉塵爆発? なんだそれ?」


 カムイはもう説明するのは疲れたと言わんばかりに眼を瞑る。

 朝日が昇っている、日がまた上がる。

 今日もまた殺し合いが始まるのだろうか、何故、どうしてこんな下らない争いをするのだろか、どうして仲良くできないのだろうか。

 ベルは恨みを晴らして欲しいと言った、でも、それが本当に正しい事なのだろうか、カムイは自答自問しながら静かに眠りに付いた。



ガスダント帝国:幕舎内



 帰って来たアスバードを見て、キサールは鼻で笑った。


「無様ですな、アスバード将軍」


 嫌味を込めた声であえて周りに聞こえるように言う。

 アスバードはその声に耳を傾けるつもりは無かった、作戦を練り直すをしなければならない。


「で、どうなさるつもりで、将軍」


 キサールは嫌味の口調を強めて言う、傍から聞いているベルベイトは苛立ちを覚えた。

 この男、この失敗を利用して自分の失態を帳消しにするつもりだな。

 昨日の戦いで最も被害が大きかったのは、キサールの軍団だ。

 この無能ぶりを世間に知らしめたキサールだったが、総指揮官自ら奇襲に乗り出し失敗したと言うのは、ありがたい事だった。何せ、キサールは自分の制止を聞かずに行ったと言うことを声高に宣伝できる。

 自分は無能ではない、自分は失敗するから止めたのだ、この失態はアスバード将軍の傲慢が産んだ結果だ、と、叫べば良いのだから。

 だから、あの時始末すればよかったのだ。

 ベルベイト腹の中でその様にキサールを罵っていた。

 当のキサールは、声高に言う。


「この際、全軍を持って東門を総攻撃するべきだ、あそこの門は半壊している、そこに兵力を集中して投入すれば!」

「敵が無策で待ち構えていると思っているのですが、キサール卿! 今回の奇襲も、まさか、敵があんな策を用意していると思うなど、誰が想像できると言う!」


 あの洞窟での戦闘は本当に屈辱だった。

 敵を追手数人の兵士が昇って至ったが、直後、異臭と共に兵士が駆け下りて来たのだ。

 その臭いは余りにもキツイ、目すらも開けられない程だ。

 咽っている時にあの爆発が起きたのだ、爆発での死者はいなかったが、三人が切られ二人が重傷、洞窟は爆発の衝撃で崩落始まり、急いで脱出する羽目になったのだ。


「フン、たかが臭いで引き下がる様では……」

「な、何だと!」

「それぐらいにせんか、二人とも」


 ヤックハーラの一括で、二人の言い争いは止まる。


「どうなさる、おつもりで、将軍」

「無論、引き下がるつもりはない、幸いにして、食糧にはまだ余裕がある、が、我らには季節と言う時が無い、あと一ヵ月で、春の月が来る、雪解けを始まるだろう」


 アスバードは一同を注視して言う。


「今日の昼を持って、総攻撃に移る、全軍を持って攻勢に出る、布陣は昨日と同じだ、だが、必ず今日の夕方までに外壁を落せ、それが出来なければ、我等はこの地より撤退する」


 一同が敬礼した時だった、慌てた様子で幕舎に伝令の兵士が入って来る。


「報告します! 北の丘に敵の援軍と思わし旗を確認!」


 北と言う報告を聞いてアスバードの目は驚愕の色を隠せないで居た。

 幕舎から出ると、北の小高い丘の森には、旗が立ち並んでいた。


「て、敵の援軍……」


 この三日間予想外のことが起き過ぎて既にアスバードの頭の中は混乱し始めていた。



 丘に布陣したベランドはピヤップ領の兵士と共に丘に布陣した。

 キサラギ村を発って二日掛けて隣の領地ピヤップ領に到着した。

 ピヤップ領、領主、ドルヘンド・ピヤップはベランドから事の次第を聞き、急ぎ兵士を集めハマール領に向かわせた。

 しかし、急ごしらえの為、兵力は二千五百しか集まらなかった。

 丘の下で布陣する敵陣容を見て一万以上いるのは確認する。

 城の方は、東門が半壊しているが外縁部が占拠された様子はない、何とか持ち堪えている様だ。


「ベランド殿、我等は城に向かわなくてよいのか?」


 今回の援軍部隊の指揮官である、騎士ジャバレントはベランドの横に馬を並べて訊く。


「数で負けている以上、ここに居るのが得策です、敵は背後を取られ補給線を絶たれたと思っているハズ、この好機を我が主、ジルマ様は見逃しません、必ず策を弄し、窮地を切り抜けます」

「それまで、何もできないとは歯痒いばかりだな」

「そうとも、限りません、ここに陣取るだけで、相手の動きを完全に封じているのですから」


 敵の退路は、この丘の麓の街道しかない、ここを押さえると言う事は敵の退路を断つこと同じである。

 後は敵の動き次第だ。

 ベランドは全兵士に動けるように準備だけするように伝えた。



 ジルマは会議室から見えた味方の旗を見て、安堵の息を漏らした。

 今、布陣している丘は敵の補給路兼退路のハズだ、あそこを押さえたとなれば敵の動きは止まるハズだ。

 退路を確保しようと丘の方に部隊を動かせばこちらから討って出ればよい、逆もしかりだ。

 後は敵の将が話の出来る輩かどうかにかかっている。

 集まった中隊長達にジルマは静かに言う。


「和睦の使者を送れ」



 ハマール城側から出された和睦の提案にガスダント側は意外にもすんなりと応じた。

 彼らにとってハマール城の戦いが予想外な損害を出し、尚且つ敵の援軍により退路を断たれると言う事態は予想だにしていない出来事だった。

 ガスダント側の総大将アスバード・ロンドが和睦の受け入れを承諾した時は、キサールだけではなくベルベイトも反対したが、ヤックハーラの説得により二人は承諾した。

 アスバードとしても、士気が完全に落ちている兵を率いて戦いたくなかったのだ。

 ハマール城側も損害は大きく、何よりも食糧庫は吹き飛んだのが痛かったのだ、残った備蓄では、一ヵ月戦えるがどうか怪しかったのだ。

 かくして両軍は互いの傷を隠しながらの和睦会談となったのだ。



「和睦の席で料理ですが?」


 カムイはジルマに呼び出された理由を聞いて思わず口に出してしまった。


「左様だ、今回の和睦はこちらに有利に運ぶとは限らない、戦いの結果だけを見えれば我らの優勢なのは明らかだが、数では我らの援軍が来たとは言え向こうの優勢は動かん」


 詰まる所、和睦を決定的にする交渉材料が無いと言う事だ、それではこちらの有利に話を進めることが出来ない。

 敵に有利に運ぶような話は何とか避けたい、その為の料理と言う事である。


「既に向こうには事前通達済みだ、了承を取ってある、カムイ」


 ジルマは鋭い眼で語り掛ける。


「お前の料理で敵の腹の内を暴き出せ!」



 カムイは悩んでいた、会談は今日の中天の刻(昼過ぎ)だ、それまでに作り始めなければならないがメニューが浮かんで来ない。

 カムイを悩ましていたのはジルマが言った『敵の腹を見せろ』だ。

 ジルマは敵がこの地に攻めて来た理由を知りたがっている、それがわからなければこちら側の条件を出しようがないからだ。

 だからと言って、こちらから訪ねるわけにはいかない。

 和睦とは外交だ、敵に腹を見せずにどこまで敵の腹に食い込めるかだ。

 その為の料理、でも、どうやって敵の腹を開けさせる。

 カムイは唸る様に考えるが何も浮かんで来ない、時間が無いと言うのに。

「わぁッ!」と、突然後ろから声がしてカムイは驚いた余りに椅子から立ち上がり椅子とテーブルの間に太ももを挟み激痛でその場でのた打ち回る。


「済まん、まさか、そこまで驚くとは思ってなくてな」

「ロ、ロレ!」


 驚かすような声を出したのはロレだった、カムイが居るのは側使えや従者達が使う簡易厨房だ、厨房に材料が並ぶ。

 卵、川エビ、雉肉、ベーコン、キノコ、搾りたての牛の乳、ライビネガー(麦酢)そして、灰色の粉と豆粒だ。

 材料が少なすぎる、作れるモノも限られてくるな。


「かき集めてこれだけだ、食糧の備蓄も少ない、非常倉からベーコンとこの粉と粒を見つけた、でもこれだけしかない」

「いや、貴重な食糧からこれだけ使えればいいよ」

「何か浮かんだが?」

「いや、何も」

「何もって……」

「敵の情報が欲しいな」

「お前な今は敵のことなんてどうでもいいだろう」

「どうでもいいわけない、ロレ」


 カムイは振り向いて言う。


「料理とはその人の為にするものだ、その人が何を求めて何を食したいのか、相手に何を伝えたいのか、おれは、その気持ちを一枚の皿に表現するだけだ」


 ロレは呆れたような顔をして溜息をする、頭を無造作に掻き毟りながらロレはぼそりと言う。


「今、この城には『その相手』に訊くことが出来る連中が居ると思うぞ」


 一瞬、ロレの言っていることがわからなかったが、直ぐに思い当たる。


「捕虜か」


 カムイはそれだけ呟くと厨房から飛び出して行った。



「何? 昨日の捕虜に再度尋問してみたいと?」


 厨房から飛び出したカムイは真っ直ぐにジルマが居る会議室に向かった。

 カムイは昨日の騎士、ガガバドに再度の尋問の具申をしたのだ。


「はい」

「何故じゃあ」

「相手の腹を見せる料理を作る為です」

「その為に再度尋問すると?」

「はい」

「だが、奴はそう簡単に口は割らんと思うぞ」

「そこはわたしが何とかします、願いです、尋問の許可を!」

「わしは、会談の支度をしなくてはならない、尋問の時間は無い」


 ジルマの言葉にカムイの表情は暗くなる。


「だが、正式な尋問でないのなら、好きに会うがよい」

「そ、それは……」

「尋問ではなく、面会なら良いと言うのだ、時間が無い早く行かんか」


 カムイは静かにでも力強く頷き部屋を出る。

 その背中を見てジルマは若干だが頬が緩んだ。


「まるで成長する我が子を見る感じですね、あなた様や」

「ユリリか」


 着替えの衣を持ってユリリが立っていた。


「成長か、わしらに子がいれば今この場は冷静で居られたかわからんな」

「あら、そうでしょうか、あなた様はどんな時でもいつもと変わらない様子で居ると思いますよ」


 ユリリに着替えを手伝ってもらいながらその様な会話をしていた。

 彼女はどんな時でも冷静だ、自分には過ぎた女房。

 礼装に着替えたジルマは腰に帯剣をする。


「どうだ、似合っているか?」

「ええ、本当に変わらないお方だとこと」


 二人の会話にはどことなく明るかった。





 ガスダント兵が拘束されているのは内縁部のほぼ中央にある教会地区の一角だ。

 教会地区は商業区と工房区の中間地点に存在しており、衛兵の営舎もここにある。

 カムイは営舎の隣にある営倉に足を運ぶ。

 犯罪者を一時的に留置する為の施設だった所為か造りはあまり良くない、至る所に隙間風が吹いて居そうな石造りだ。

 中には押し込められたように、ガスダント兵の捕虜がぎゅうぎゅう詰めにされていた。

 五人用の独房に二十人ぐらい居る。

 カムイは向けられる視線を無視して奥の部屋に進む、奥の部屋は上級騎士等の部屋だ。

 カムイは有る一つの部屋の前で立ち停まる。

 深呼吸してカムイは静かに度をノックして部屋に入る。

 部屋の中には鉄格子が在りその先に目的の人物が粗末なベッドに座っていた。

 ガガバド・アッサーラ、ガスダント帝国の騎士だ。


「どうも」


 ガガバドはカムイを見るなり小さく礼をする。


「ガガバドさん、あなたに二、三質問してもよろしでしょうか」


 ガガバドは一瞬迷ったような顔をするが「構いません」と返事をした。

 カムイは冷たい石床に座り込む、そして現在の情勢を説明する。

 そこまで聞きガガバドは「理解した、で、聞きたいことは?」と言った。


「昨日の夜の話は、あの独り言はどこまでが本当なんですが」

「ご想像にお任せします」


 顔色を変えずに平然と答える。


「ガガバドさん、あなたは騎士としてこの戦はどう思いますか?」

「昨日話した通りです」


 これでは昨日と同じだ、どうしたモノかと考えるカムイに対してガガバドは意外な質問をした。


「あなたは、戦争が嫌いですが?」


 質問の趣旨が理解できなかった。


「どうです?」


 再度促されてカムイは静かに答える。


「嫌いです、人と人の殺し合いに一体何の意味があると言うのですが」

「素直な方だ……」


 ガガバドは考え込むように目を閉じして静かに開き言う。


「わたしの母はガスダント帝国の北、北方の遊牧民族の出です、山岳地帯を山羊と共に渡り歩く民、そんな母がよく言っていた、山から見れば世界は広いから色々な人が見える、天高くから見れば色々な国が見える、でも、人や国が引く境界線は誰も見えない、その線は誰のモノなの為なのかと」

「おっしゃっている意味がよく理解できないのですが」

「争いの根底はいつものその見えないモノ、そう言いたいのです、見えない些細な事で人は争う、わたし達がこの地に攻めて来たのは本当に侵略の為ではない、確かにあなた方から見えれば我らは侵略者かも知れない、でも、そうしなければ生きられない所まで追い詰められているのです」

「追い詰められている?」


 ガガバドは頷いた。


「人間にとって必要な物は何だがお分りですか」


 カムイは首を傾げる、彼の言動はイマイチわからない。


「衣、食、住です。特に重要なのは食です、その国の根底を成すものですこれが崩れれば国は崩壊へと向かう」


 カムイは昨日の話を思い出した『民は飢えている』と言う話を。


「ガガバドさん、もし、相手が望む物をこちら側から出せば向こうは兵を退くと思いますか」

「それはそちらの外交次第です、ですがお忘れないように、我等の矜持プライドはそう簡単に崩せませよ、でも、人間、平和を求める気持ちは同じハズです」

「……ありがとうございます、参考に成りました」


 カムイは立ち上がり部屋を出ようとして足を止める。

 一呼吸の間を置いて、カムイは振り返り静かな笑みでガガバドに語り掛ける。


「ガガバドさん、和睦が成立したらお礼に何か作らせてください」


 カムイはそう言って部屋を出た。

 残されたガガバドは静かにため息を付いた、アスバード将軍が和睦に応じると言うことは、我が国はそこまで追い詰められたと言うことだ、これから先、我が国は周囲を取り囲む大国にパイの様に領土を切り取られていくだろう。

 ガスダントの栄華は終わりを迎えようとしている。

 ガガバドは鉄格子の窓から差し込む日光の光を見ながらそう思った。



 厨房に戻ったカムイは早速料理を始める。


「カムイ、旦那様達は会談場所である北門前に向かった、そっちの準備はイイか?」

「ああ、しかし、この城に『この粉』が在るとは思っていなかったよ」


 カムイが麻袋に入った粉を見せる。


「ああ、おれの故郷では良く食したモノだ、ガスダント帝国の連中は見向きもしなかったが、それは粉にして羊肉と塗して焼くと旨いんだよ」

「これは敵に衝撃を与えることが出来るかもしれない」

「へえ?」

「調理開始だ!」


 カムイはその粉を練り始める、それから豆粒を煮始める。

 フライパンが躍りヘラがそのフライパン内で舞い踊る、その先に出来るのは香ばしい匂いを漂わせ、鼻腔を擽り、腹の虫を起こす。

 出来上がる料理は質素そのモノだが、一人の料理人の手に掛かれば高級料理にさせ見える。


「ロレ、出来た、行くぞ!」




ハマール城:北門



 中天の刻を過ぎた辺りから会談が始まった、北門とガスダント側の野営地のほぼ中間地点に作られた幕舎の中で会談が行われる。

 ハマール城側からは城主であり領主であるジルマ・パティール公爵と衛兵長ロレンス、そして事務方の仕事を取り仕切る侍従長、カット・ブーケが出席した。

 ガスダント側は総大将アスバードを始めとして副官のベルベイト、キサール、ヤックハーラの四名が出席した。

 最初に切り出したのはガスダント側だった。


「此度の戦に置いて我が国が求めるのは以下に三点である、一つ、ハマール城は直ぐに開城して我が軍門に降る事、二つ、我が国の将兵を無条件で引き渡す事、三つ、他の領地へ出兵に兵を出す事、以上だ」


 キサールの言葉は相手の顔を怒りの顔に変える。


「それでは降伏勧告ではないか!」

「その通りだ、その代わり、貴公の領民への保護を約束しよう」


 ベルベイトはこの態度に感心していた、敵にこちらの情勢が伝わらないようにする為に強気に出るのは当たり前のことだが、これ程の強気に自分は出られない、流石は戦ではなく政治屋として上り詰めた将だ、交渉術に長けている。

 ベルベイトはアスバードに視線を向ける、彼は俯いたままだった。


「さあ、御決断を願いましょうか、首を縦に振らなければ再びこの城が血に染まりますぞ」


 身を乗り出して言うキサール、それに対して口を開いたのはロレンスだった。


「貴公の国では外交とは相手を脅す事なのか?」

「それはどういう意味ですかな」とキサールが聞き返す。

「そのままの意味だ、それしか脳の無い国が良くまぁ、生き永らえるモノだなと思っただけだ」

「貴様、我が国を侮辱するのか!」

「侮辱しているわけではない、率直の感想を述べただけだ」

「それを侮辱と言わんとして何という!」

「まあまあ、二人とも落ち着きましょう」


 二人の会話に割って入ったのはヤックハーラだった。

 ヤックハーラはアスバードとジルマの両方を見て真のある声で言う。


「こちらからの条件は今のがそうです、では、そちらからの条件をお聞きしたい」


 一同の視線がジルマに集まる。

 ジルマは顔色を変えずに視線をアスバードに向けて言う。


「我々が求めるモノはハマールの地から撤兵、それだけだ」


 ジルマ内容を聞いてガスダント側は予想通りの回答だと思った。

 撤兵を求めるのはわかっていた、だが、ここで引く訳にはいかない郷土くにで待つ民が食糧を待っている、引く訳にはいかない。

 と、そこで香ばしい匂いが漂って来た、テントを潜りは言って来たのは大柄な男だ。

 ふと、アスバードはその男に見覚えがあった、昨日、夜襲に赴いた洞窟内で対峙した男だ。

 あの、爆音のする術を使う男が何故ここに? とアスバード驚きの顔を隠せないでいると、ジルマがアスバードの顔を見てニヤケ顔で言う。


「本格的な会談の前にこちらから食事をお出ししましょう、腹が減っては良い案はお互い浮かびませんからな」とジルマ言った。


 大男はお辞儀をして善をアスバードの前に置く。

 出された皿は四品。

 スープ一品、肉料理が一品、粉料理が一品、そして粥が一品だ。

 アスバードにとってどれも見た事のない料理ばかりだった。

 ジルマはアスバードの驚きを余所に料理に手を付ける。

 他の二人も同じように料理に手を付ける、三人はまるでそれらを食べ馴れたと言わんばかりに無言で食する。

 アスバードは取りあえずスープに手を付ける。

 口に付けた瞬間、口の中に濃厚なエビの味がまるで口の中で弾けるかの様に広がる。


「う、美味い……」


 そう漏らしたのは先程まで強気な発言をしていたキサールだった。彼もまたスープの濃厚さに圧倒されている。


「アスバード将軍、この肉料理も白いトロリとしたソースの酸い味に肉の甘みが程よく馴染んでおります、噛めば噛むほど二つの味が纏まり旨味を引き出している」

「この生地料理は、薄いことによりパリッとした触感とチーズのトロリと溶け食感と半熟の卵がまた良い」


 ヤックハーラはとろけたチーズが髭の周りにこびり付いている。

 この美味なる料理を食して、アスバードはこの場の雰囲気が変わったことに気付く。

 場の流れを完全に替えられた、今、この場の主導権は向こう側にある。

 流れを取り戻さなければいけない、アスバードは口を開こうとしたが一歩先にジルマが先に口を開いた。


「皆様はご満足の様だ、カムイ、この皆様に料理の説明差し上げろ」

「はっ、説明させて頂きます、まず一品目、スープ、川エビのビスクスープ。二品目、雉肉の塩甘酢和え。三品目、そば粉のガレッド。四品目、カーシャです」


 どれも聞いた事の無い料理名ばかりで四人は呆けるが、カムイはそのまま説明を続けた。


「まず、スープですが、熱したフライパンにオリーブオイル引き、エビの頭を殻ごと焼き、色がわかったところで白葡萄酒を入れ煮立たせ、香りが出たところで鶏ガラのフォン…… 出汁と合わせ再度白葡萄酒入れ煮立たせます、水分が半分まで減ったところでミキサーに掛けた後、ザルで裏ごし、再度鍋に戻し、牛の乳を加えて一煮立ちさせ完成です」

「それだけの手間をスープに掛けるのか……」


 キサールが驚きの余り声が縮みこまっていた。


「次に雉肉の白甘酢和えは、酸味の正体は確かにソースによるモノです、そのソースにはライビネガー(麦酢)とバロック(この世界の甘味料)と塩です、甘酢の甘酸っぱさが肉の甘みと合わさり、肉の味が引き立ちます」

「ビネガーをソースに使うのか……」


 この世界では酢は主に野菜や肉などの漬物や干し物に使われる、料理に使うのは殆どない。


「そして、三品目、四品目は主に同じ材料を使われています」

「同じ食材?」


 カムイは麻袋から粉と粒を取り出す。


「ソバの実です」

「ソバの実、聞いた事が無いな」そう言ったのはジルマだった。

「それはそうですよ、旦那様、ソバの実は我が国では生産されていませんからね」

「どういうことだ?」と今度はアスバードが言う。

「このソバの実は、ガスダント帝国産ですから」

「な、何だと!」


 ガスダント側が一同に同じ声を挙げ驚く、それはジルマ達ハマール側も同じだった。


「カムイ、説明を」とジルマが促す。

「はい、正確にはガスダント帝国の北、旧カルラン王国領の高地で採れるモノです、わたしの友はその国の出の人間でいろいろと教えてくれましたよ」


 カルラン王国は今から二十年前にガスダント帝国により武力併合された国。

 国土の殆どが寒冷地か山岳地帯で主な生産はヤギの放牧による繊維生産か、牧畜による馬の生産しかない。


「旧カルラン王国では主にソバとキヌアと呼ばれる植物の生産が行われていたそうですが、ガスダントによる併合で、ソバから麦に置き換えられたそうです、ここにあるのは、その友人が趣味で作っているモノです」


 アスバードはガレッドを、フォークとナイフで切り口に運ぶ。

 上手い、ソバの苦みと香りが良い。

 この粥もまたしかりだ。


「先程の言ったソバとキヌアは乾燥や病害虫に強い穀物です、わたしの故郷では救荒食糧として昔から生産されています」

「何が言いたいのだ、料理人」


 アスバードの鋭い眼がこちらに向いている、威圧感がるだがカムイは怖気づくどころか逆に睨み返す様にアスバードを見る。


「あなた方の見るべきその目は南を向いているのかもしれませんか、本当に向けるべきは南ではなく北なのではないのではないでしょうか」


 こ奴は知っている、そう、アスバードは思った我々がこの地に来た理由を、彼はこう言っているのだ、南にあなた方が求めるモノは無い、北を見てみたらどうだろうか、そこには解決策があります、と。

 だとしたら、これは場を和ますための料理ではない、これは脅しなのだ、料理で我々を。

 アスバードが逡巡している間にジルマが水を飲み干し、静かに口を開く。


「去年のガスダント帝国からの同盟の話は、貴国が直面している問題の解決の為だったのだろう、我が国の第一王女、シルフィーナ・パティール王女との婚約を利して食糧を得る、兵糧要請はその為の前段取りだった、違うか」


 アスバードの眉が微かに動く、ジルマはその動きを見逃さなかった。


「我が国王は同盟を拒否としてその目論見は外れた、そしてハフマン帝国への侵攻の失敗は大きな痛手だっただろうな、そして何よりも、貴国は一度、食糧援助を法王庁と我が国から受けている、二度目を受けると言うことは、既に国力が衰退していると言うことを大陸に示すことに成りかねない、それを避ける為の此度の侵攻、確かに考えれば直ぐに行き付きそうなことだったわい」


 ジルマはアスバードに視線を向け、その後、キサールに向ける。


「貴公の条件は我が国としては拒否させていただく、その代わりに我々、いや、我が国から『貴国』条件を出す」


 ジルマが提案したのは以下の条項だった。



第一、今回の戦に生じた人的損害は双方不問とする事。

第二、ハマール城の設備の修繕工事費用は不問とする

第三、人質交渉はガスダント側の責任を持って行うこと

第四、ガスダント側は即時ドッド大河の国境線上まで即時退却する事

第五、これらの条項の承諾履行を確認した後、ガスダント側に向こう十年間の無償よる食糧援助を行うものとする(石高の生産高により変動するものとする)。

第六、双方の条項の履行確認後、両国とも十年間の領土不可侵とする。



 ガスダント側にとって有益な条項だった。

 何よりも、人的損害による賠償が無いと言うのは魅力的だった、和睦に限らず平和条約の締結などで揉めるのが賠償金問題だ、これを不問とすると言うのは食糧難と度重なる敗戦により火の車のガスダントにとっては助け船だった。

 何よりも魅力的なのは無償による食糧援助だ。

 食糧を運ぶ際は関税や運搬賃などで多額の金がかかる、大抵は援助要請国がその諸費用を持つものだが、今回はその諸費用を全て向こう持ちと言うのは魅力的だ。

 だが、こちらが有利過ぎて逆に裏を感じる。

 アスバードはジルマを見て言う。


「この条項、こちらに有益過ぎて貴国らは無益に感じるが」

「これとは別に、ハマール城城主として個人的に結びたい条項がある」


 やはりと思った、その条項が厳しい物に成るとアスバードは思った、だが、ジルマから出た言葉は予想外のモノだった。


「貴国が手に入れたリャランの地、その地に沿って流れるドッド大河における通行権と管轄権の移譲だ」


 余りにも意外なのでここに居る全員が目を丸くなる、しばらくしてアスバードは今まで聞いた事の無い声で大笑い出した。


「成程の、そう言うことか、流石は彼の『剣聖』だ、目の付け所が違う、我が国では全く利益が無いが確かに貴国なら利益を出すだろうよ、これはしてられた」


 カムイを含むここに居る全員がまるで理解できないで居た、しばらくアスバードの笑い声が響き、次第に笑い声が落ち着いた所で真剣な顔に成る。


「合い解った、この条項で飲もう、契約の神、グッフェル名に誓いこの条項を必ずや履行する」

「契約の神、グッフェルに誓いこちらも必ずや履行する」


 二人は宣誓を終え固い握手をした。

 こうして、ハマール城を巡る戦いは終結したのである。





 翌日、ガスダント帝国は撤退を開始した。

 撤兵するガスダント帝国の軍をベランドは丘の上から見ていた、夕方頃に伝令の早馬が来て、和睦が成立したことが告げられた。


「敵が撤退していきますな」


隣に並ぶジャバレントが言う安堵の声で言う。


「ああ」

「これで、しばらくは平和に成りますな」と言うがベランドは違った眼差しで撤兵するガスダント帝国の兵士を見ていた。


 おそらく、これからが本当の戦いに成る。

 ベランドは心の中で確信めいた何かがあった。

 おそらく、ガスダント帝国の二度目の敗退は周辺諸国に大きな影響を与えたに違いない、これからこの大陸の勢力図は大きく変わる、それがこの国にどう及ぼすか、どの様に切り抜けるか。

 ベランドはそんな事を考えながらガスダント帝国の撤兵する兵士を見送った。



パティール王国:王都サイファル



 王都サイファルは巨大城塞都市だ、かつては、ラバール神国との同盟の廃棄とラバール港への侵攻の逆襲を恐れた時の国王が作った城。

 エビス山を囲うように作られた城は城壁内に田畑や水田、工房、植林地などを持つ。

 例え籠城しても何十年も籠城できるような設計となっている。

 その麓にある王女の居城の館でこの国の第一王女、シルフィーナ・パティールは向かい合う一人の初老の老人と戦囲碁を指していた。


「何故、ガスダント帝国が敗北すると思いなのですかな、シルフィーナ王女殿下」

「あそこには、伯父様いらっしゃるからです」

「フムン、『剣聖』ですか、確かにそれを聞くと何故か納得してしまう」

「でしょう」


 シルフィーナが差した一手に、初老の老人は顔を歪ませる。


「待ったは無しですよ」

「戦に待ったなど言う言葉は無い、これはわたしの負けだ」

「では、約束通りこちらの質問に答えてもらいますわ」

「どうぞ、確信のこと以外なら、何でも」

「あなたは何者ですが、いえ、あなたやあの料理人、カムイは何者なのですが?」

 初老の男は席を立ち、近くにあった水差しからコップに水を注ぎそれを一気に飲み干す、大雑把に口元を吹き払うと、不敵な笑みを浮かべる。


「カムイと言う男は知らないが、わたしに付いて答えよう」


 初老の老人の口元が少しだけだが釣上がった。


「この世界を正す者だ」



ハフマン帝国:帝都テアラントブール



 皇居は慌ただしかった。

 多くの医者がある部屋に出たり入ったりしているからだ、その部屋は皇帝の居室だ。

 その居室の大きなベッドに一人の男が静かに息を引き取ろうとしていた。

 呼吸は浅く、今にでも息が止まりそうな弱々しかった。

 その皇帝の手を握るのは一人の少女、まだ、歳は十四、五歳と言ったところだろう、白銀の美しい髪は腰まで伸び、その深紅の瞳は皇帝へ注がれている。

 エファン・シラー・ハフマン第一皇女であり王位継承者である。


「皇帝陛下、父上!」


 彼女は冷たくなった手を握る。

 それに応えるかのように皇帝は静かに薄らと瞼を開きエファンを見る。


「ああ、我が愛しき娘よ、余は間もなく冥府ヤクトワルトの主神であるアリスにより冥府ヤクトワルトに旅発つだろう、既に二人の長兄は戦で死に、女子であるそなたに全てを押し付ける事を許して欲しい」

「いえ、いえ、そんなことは有りません、父上」

「我が家臣達よ、そなたらが我が娘を支えこの国に栄華と繁栄をもたらすのだ」


 その言葉を残し皇帝は静かに目を閉じた。

 医者が脈を取りそして首を横に振った。

 エファンは亡骸となった皇帝にすがり付く様に泣き叫ぶ。

 その声が部屋に響き渡る。

 間を置いて一人の女性騎士が一歩前に出て言う。


「お顔を御上げください、エファン殿下、いえ、エファン・シラー・ハフマン皇帝陛下、今日からあなたがこの国の皇帝なのです、いつまでも泣いている暇はありません」


 その声に促されるように彼女は涙を拭い、そして涙で目を赤くした顔と共に彼女は立ち上がる。

 そこに居た全ての者が頭を下げる。


「これより、父上の遺言に従い、わたしがこの国の皇帝である、それを異議とする者は顔を上げよ!」


 凛とした声は部屋中に響く、その凛とした声に圧倒されたのか誰も顔を上げようとはしなかった。

 エファンは従者であり友であり信頼できる騎士でもあるアクアを引き連れて玉座の間に向かう。

 その途中で伝令の官吏が慌てた様子で駆けよって来た。


「で、殿下! ご報告が!」

「控えろ、この方は最早殿下ではない、皇帝陛下で在らせられるぞ」

「も、申し訳ございません、皇帝陛下!」

「良い、して、報告とは何だ?」


 それだけ言うとエファンは歩き出す、それに沿って伝令の官吏も後を付いていく。


「は、先程入った報告によりますと、ガスダント帝国が四万の軍を起こしパティール王国に侵攻したと!」

「パティール王国? ああ、南の小さな農業国かそれがどうした、援軍の要請でもして来たのか、昨年、我への援軍要請を断って置きながら」

「いえ、それが既に決着が付いたとのことです」

「ほう、では、ガスダントはパティール王国を支配下に治めたのか?」

「いえ、それが、にわかには信じ難い事ですがガスダントを撃退したとのことです」


 エファンの足が停まり、官吏の方に振り向く。


「パティール側の戦力は?」

「五千だと聞いています」


 エファンは笑みを浮かべる。


「成程、窮鼠猫を噛むか、面白い」

「はあ」


 そのまま視線をアクアに向ける。


「アクア、戴冠式が終わったら最初の訪問国としてパティールに向かうぞ!」


 この判断が後に大きな同盟に動くとはこの時、誰も思ってもいなかった。



アルビオン王国:王都ソルフィア



 アルビオン王国は建国以来多くの大国の思惑に切り売りされて来た国だった、ある時は最北の超大国ガリア王国連合の支配下に、またある時はガスダントの支配下に、またはハフマン帝国の支配下にと時代と共に従属国を変えて生きて来た国家だ。

 その様な国はこの大陸には数えられない程多いのだ。

 しかし、長い年月を得てアルビオンはようやくハフマン帝国と対等な同盟国への階段を昇ろうとしていた。

 その国王、アーノルド・フィリップ・アルビオンは早朝から厚切りの牛肉に味わっていた。

 大好物の肉を食べるだけあって、その体系は腹回りに余分な脂肪が付き、額には少し皮脂油でてかっていた。


「フムフム、では義姉上あねうえは予定通りに皇帝に成るのだな」


 そう言うと、叔父であるルークが鋭い目付きで言う。


「陛下、それはそうと、また朝からその様なモノを、余りに肉ばかり食されていますとさらに体が重くなりますぞ」

「うぅ、ルーク、それは言わない約束だろう」

「まったく、叔父様の言う通りですわ、あなた様」


 その隣で白パン千切って食べているのは王妃である、カルタ・シラー・アルビオンである。

 ハフマン帝国の皇帝となったエファン・シラー・ハフマンの同腹の妹である。


「しかし、驚いたものだな、ルークよ」

「はあ? 何がですか」

「パティール王国のことだ、まさか、たった五千で四万の軍を討つ破るとは、いや、我が国も見習わなくてはな」

「そうお考えなら、まずは、朝食の肉を禁じましょう」

「ど、どうしてその様な話になるんだ!」

「彼の戦いでは『剣聖』ジルマ・パティールが活躍したそうな、そのジルマ殿を支えているのは食だと言います、まずは、陛下は健康から見習いましょうぞ!」

「そ、そんな殺生な!」


 三人は高笑いした。

 この国もまた大きな戦乱の渦に巻き込まれていくのである。



ラバール神国:パティール王国との国境線、ペシィ土塁


 ラバール神国神皇ウペランシーはガスダント帝国の敗戦の報を聞いて動揺した。


「使えん帝国だ、これでは我らの宿願であるラバール港の奪還が出来ないではないか!」


 三世代にわたって度々パティール王国に侵攻しているラバールの目的は旧王都であるラバール港の奪還である。

 これは百八十年前に奪われてから、何度も奪還しようと兵を動員したが、未だに辿り着けないで居た。

 そして今回のガスダント帝国のパティール王国北部侵攻に対して密約としてラバール神国が南部を侵攻すると言う条約を交わしていた。

 しかし、ガスダント帝国の北部侵攻失敗はまさに寝耳に水だったのだ。


「クソッ、どうするか我が軍だけでも侵攻するか……」

「陛下、ご報告申し上げます! 国境沿いのドクマ城塞にパティール軍の援軍が入場したとのことです!」

「何だと、数は?」

「数は二万とのこと、軍旗はハゲワシ、ガンダルフ将軍の軍と思われます」

「『神速の槍使い』か、全軍退却だ!」


 こうしてラバール神国の夢は再度敗れたのである。



キエフ大公国



 大公の部屋は質素そのものだった。

 部屋に飾り気は無く、あるのは大量の書物だ。

 その部屋に一人の女性が入って来た、トレイには食欲を誘う魅力的な香りが立ち込めている、この匂いを嗅げばどんな調香師で嫉妬に囚われるだろう。

 それ程の魅力の的な臭いだ。


「今日はどんな夕餉を持って来てくれたのですが、マリア」


 マリアと呼ばれた女性は静かに皿をテーブルに置く。


「安心しなさい、わたしはあなたを食ったりはしませんよ」


 その言葉に女性の肩が僅かに震えた。


「で、マリアこれは何という料理ですか」

「た、タンドリーチキンです、塩と胡椒、ウコン、ヨーグルトなどを半日付けて焼いたものです」

「良い香りです」


 マリアはその場から離れようと小走りで部屋のドアに向かうが、スウと目の前に大公が立つ。


「何故、それ程、怖がるのですが、言ったハズですよ、わたしはアナタに手は出さないと」

「そ、それは」

「あなたは、美しい、美しい黒い髪、美しい黒い瞳、美しい顔、どれも美しい」


 大公は彼女の頬に手を当て撫でる様に首筋へと流れる。


「わたしは、悲しいですよ、マリア、わたしの何がイケないのですが」


 大公の手はそのままマリアの首を掴む。

 殺される、マリアはそう思った。

 と、ドアを叩く音で大公はマリアから手を放す。

「どうしてのですか」

「火急の知らせが」


 そう言って男は一枚の羊皮紙を渡す、それを広げて大公は不敵な笑みを浮かべる。


「全軍に知らせなさい、これより我が国はガスダントとの停戦条約を破棄します、向かうのはかつて内乱に乗じて奪われたヤゴンの地、その地を取り戻します」


 大公は視線をマリアに向ける。


「あなたも、よく見ていなさい、かつてあなたの住んでいた地をわたしが取り戻して見せよう」


 そう言って大公は部屋を出た。

 その場で崩れ落ちた彼女は大粒の涙を流し始める。

 

「お父さん……」


 彼女は静かに誰もいない部屋で一人呟いていた。



ガリア王国連合:宗主国ガリア王国



 ガリア王国連合の大統領であるマリシア・サッポは報告を聞くなり不敵な笑みを浮かべた。

 既に三十後半と言うのにその淫靡いんびな体は世の男を引き付ける魔性を持っている。


「して、他の国はどう動くか、して、我が国はどの様な利益を得るか、か」


 再び笑みを浮かべる。

 先代大統領の情婦であったマリシアはその美貌と巧みな話術で先代の死後、混乱を極めていたこの国を建て直し領土拡大と農地改革を行った救国の女神、その業績から女神ラの再来と言われた。

 始めはその出自故に先代から使えた家臣団の中からも異論が出たが、今はもう誰もいない。

 それ程の彼女の力と統治は完璧なのだ。


「フムン、そうだな、ここでガスダントに恩を売っておくのも一つの手だ、ラオス」

「ハッ! ここに」

「貴様は今すぐ大使としてガスダント向かえ、おそらくキエフ大公国が動く、我等は貴国の為に援軍として五万の軍勢をキエフ大公国と国境線に配置すると、な」

「ハッ! 承知仕る」


 ラオスと呼ばれた男は大統領室から出て行く。

 マリシアは静かに不敵な笑みを浮かべていた。



 一難去ってまた一難とはよく言ったモノだ。

 カムイは体力の限界に達して厨房の横にある仮眠室で寝ていた。

 敵の完全撤退が確認された後、戦勝祝賀会を街総出で行うことになり、カムイは食事番と言う事もあって一日中料理を作る破目になった。

 昨日の洞窟の一件以来短い仮眠しかとってなかったカムイは祝賀会の途中でとうとう倒れてしまったのである。

 そして目が覚めたのは夜中だった。

 二つ月の下の方が欠け始めている、あと一ヵ月すると二つとも欠けて真っ暗闇に成るだろう、それもまた一興であるが、出来るなら月明かりが在ると言い、そっちの方が晩酌の酒がおつにあるからだ。

 カムイは館を出て街に出る、外は宴が終わり彼方此方で酔いつぶれその場で寝込んでいる人ばかりだ。

 その中で、一人だけ篝火の近くのテーブルで飲んでいる老人が居た。

 よく見ると老人ではなく主であるジルマだった。


「よう、カムイ、元気になったか」

「はい、旦那様大分……」

「そうか良かったな」


 ジルマは座る様に促され、仕方なく隣に座る。

 主であるジルマから晩酌を受ける。


「美味いか?」

「ええ、美味いです」

「そうか」

「それより、ここで寝ている人達起こした方がイイのでは? まだ雪が残っているこんな寒い中で寝ていたら凍死しますよ」

「これぐらいの寒さでは死なんよ」


 カムイは一つ疑問に思っていたことに思い切って聞いてみた。

 それはリャランの地に流れる川の管轄の移譲である。


「その事か」

「わたしにはよくわかりませんでしたか、川の管轄権が移譲されただけでどんな利益が」

「一昨日の捕虜の話を覚えているか」

「はあ、まあ」


 捕虜とはガガバドのことだろうが、曖昧な返事をする。


「価値とは作るモノと言っておっただろう、だからピンときたのだ、もしあそこの川の管轄権がこちらに渡れば、新たな水路を作ることが出来るとな」

「水路?」

「そうだ、実はなあの地域の川には本当に価値は無いんだ、だが、問題はその川の流れる上流の先にある」

「先?」

「そうだ、あの川の上流にはハフマン帝国の帝都と近いんだよ」

「あ!」


 そこでようやく理解した、ハフマン帝国とガスダント帝国は現在戦争中だ、両国が争っている現在、両国の川を使った流通は止められている、しかし、その管轄権が第三国であるパティール王国に渡ると言うことは、川の流通路が回復することになる。


「商人の循環が良くなればハマール領内、そして王国内に金が流れ出す」

「それが我が国の利益と言う事ですが」

「金は天下の回しモノ、金が回らなければ国も回らん」


 カムイは感心して声が出なかった。

 やはりこの人はすごい、自分の領地だけではない自国や他国の事まで考えて行動が出来る。

 これ程の人か何故、国王やらないのだろうか、何故、弟に譲ったのだろうか、わからない事は深まるばかりだ。


「カムイ、少し頼み聞いてくれないか」

「頼みですか」

「ああ、あの子だ、ベルのことだが」


 ベル、キサラギ村の生存者の一人。

 ジルマの話では生存者は彼女と男性一人だけだったそうだ。


「彼女の処遇だが、この地区の教会地区で預かることになった、その事を伝えてくれ」

「ご家族のこともですが」

「そうだ、カムイ、あの子に何か作ってやれ、喜びそうなモノを、な」



 ベルは駐屯所に戻っていた、静かな夜だった。

 先ほどまでのバカ騒ぎが嘘の様に静かなのだ、皆が仇を取ってくれた、父と母と村の皆の仇を。

 ベルの心は晴れる事は無かった。

 どうしてだろうか、どうしてなのだろうか。

 ドアを叩く音が聞こえ肩を震わせた、誰だろうか、こんな夜中に。


「ベルさん、カムイです、入ります」


 入って来たのはいつぞやの料理人だった。


「どうも」と軽く会釈をする。


 カムイは穏やかな笑顔を見せる。


「どうしたんですが、こんな夜遅くに」

「そうだね、夜も遅いな」


 カムイはテーブルに大皿を置いた。


「これって……」

「サンドイッチ、今回は余った具材で作りました、雉肉のカツレツサンド、卵のサンド、山キノコの餡かけサンドです」


 ベルは卵サンドに手を伸ばす、卵に黄色の黄身と白身が色鮮やかだった。

 口に含めば卵の味が広がる、次に雉肉のカツレツサンド、揚げた鶏肉の甘みと甘辛いソースが何とも言えない、キノコの餡かけサンドもまだ酸味とキノコの風味が口一杯に広がる。

 思わず笑みで顔が崩れそうになる。


「旨い!」

「良かった」


 カムイがそう言って何か良かったのかと尋ねてしまった。


「美味いと言ってくれたことです」


 しばらく黙り込んだカムイは意を決したかのように口を開く。


「ベルさん、あなたのことですが、この地区の教会であなたを引き取るそうです」

「……そうですか」

「それから、もう一つ、村は全滅したそうです、ジルマ様は雪解けを待って衛兵隊を派遣して放置された村人の遺体を埋葬するとのことです」

「生き残ったのはわたしだけ?」

「もう一人いるそうですが、その方は隣の領地で預かるそうです」

「そう、わたし一人になったんだ」

「いえ、一人ではないですよ、少なくともおれが居ます、おれはあなた友です、お互い内々尽くしの友」

「何それ、そんな友いらないし」

「そうですが」

「そうよ」


 二人は笑った、何か無くした者同士何かに惹かれたのだろうか、二人の笑い声はいつまでも続いていた。


レシピ紹介!


 どうも、西勇士です。

 この後書きには和睦シーンで登場したエビのビスクスープのレシピを紹介します。

 食べた際に出るエビの頭を無駄なく再利用します。


エビのビスクスープ



作り方



材料


エビの頭・・・・・16個(量は多い方が美味いですが、一パックが目安と考えてください)

完熟トマト缶・・・1缶

ニンニク・・・・・1片

玉葱・・・・・・・1個

鶏ガラスープ・・・2個

白ワイン・・・・・100㏄

バター・・・・・・10g

オリーブオイル・・適量



調理


①熱したフライパンにオリーブオイル、刻んだニンニクを入れてエビの殻の色が変わるまで炒めます

②殻の色が変わったら、完熟トマト缶、玉ねぎのみじん切り、白ワインを入れ、エビの頭をヘラなどで押 し潰す感じで殻を砕きす。

③十分に煮だったらフードミキサーに入れ攪拌、その後ザル等で裏ごします。

④裏ごししたスープに鶏がらスープとバターを入れれば完成です。



 とても濃いスープなので、そのままではキツイという方は、お湯で割るなどしても調整してください。

 また、濃いスープを生かしてペンネやパスタなどに和えるとおいしいですよ!

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