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四話:籠城戦と戦飯 中編

四話:籠城戦と戦飯 中編



 ガスダント帝国が凶作に襲われたんのは、三年前である。

 北部で発生した麦種に伝染する病気が猛威を振るい、帝国内最大の穀倉地帯である中部を直撃した。

 その年の収穫量は昨年の一割にも満たず、帝国全土に飢餓を及ぼしたのである。

 ガスダント帝国皇帝、アー・ファン四世は近隣各国に食糧援助を要請したが、要請に応えたのは大陸中部の法王庁と農業国であるパティール王国しか応えなかった。

 このままでは国内は餓死死者で溢れると判断したアー・ファン四世は、かねてより懸案だった、ハフマン帝国との未確定地域であるバントに侵攻した。

 このバンドの地を交渉の材料としてハフマン帝国から食糧援助を引き出そうとしたのである、しかし、ここで思わない事が起きるのである。

 バンドの戦いでの勝利が予想以上に大きかったのである、バンドの地だけではなく、敵が放棄したリャランの地まで接収した、これに勢い着いた軍部が、ハフマン帝国への本格的な侵攻を具申、国内安定を望んだ元老院と対立したのである。

 議会は紛糾したが、アー・ファン四世の長子である次期皇帝、ラー・ファン・ガスト皇太子の『国民を救うためなら確実な手段を取るしかない、敵の都が落ちれば、その地の食糧は我等のモノだ』と言う発言より、ハフマン帝国への侵攻が決定された。

 ガスト皇太子自ら十万の軍を率いてハフマン帝国へ侵攻、その結果は侵攻軍八万の戦死と皇太子の討ち死にと言う、悲惨の結果をもたらした。

 その報を聞いたアー・ファン四世は、衝撃と実子を失ったショックから生気を失い、幼少期より患っていたしんぞうの病で、急死したのである。

 皇帝と皇太子の死により、急遽即位した三男カー・ファン・イラストが皇帝の座に就いた。

 それから半年、未だに北部では反皇帝とする一部の領主の反乱が止まない中で、今回のパティール王国への侵攻が行われた。


「アスバード将軍、全軍布陣完了しました、いつでも行けます!」


 パティール王国侵攻軍総指揮官、アスバード・ロンド将軍は部下の報告を聞くと同時に、陣形を維持した状態で待機を命じた。


「敵は、こちらの軍を見てどう動くと思う、参謀」


 参謀と言われた副官、モフーラ・ベルベイトはハマール城を見ながら言う。


「間違いなく、籠城でしょう、南側は断崖絶壁クス山が有るので背後の守備を置く必要性はありません、敵は北と東西の門に集中的に兵を配置して、防衛でしょう、攻め手が正面だけと言うのは、攻める側にとっては不利、防御側は有利に運ぶ、が、それは数が均衡していたら話です、こちらは四万、向こうは五千も満たない、城攻めの三倍の法則は成していますので、総攻撃を掛ければ半刻も持ちません」

「正論、実に正論だ、ベルベイト。だが、忘れるなよ、この地の領主、そしてこの城の主は伝説の『剣聖』と呼ばれた、ジルマ・パティールだ」


 ベルベイトは就いたばかりのこの将軍のことがよくわからなかった、このパティール王国侵攻の際、最初に反対をしたのは何を言おうこの将軍だった。

 帝国筆頭将軍である、このアスバード将軍が軍務省から侵攻の命を受けた時に、皇帝陛下に向かってこう言ったのである。


『陛下からの拝命、謹んでお受けいたしますが一つだけお願い事が有ります、この侵攻作戦、失敗した時は、わたしの命一つでお許しくださいませ、我が家族、そして配下の兵に一切の罪科を課さないよう、お願い申し上げます』


 そう言ったのだ、その言葉を聞いた時、現皇帝、カー・ファン五世は何故かと訊いてアスバード将軍はこう答えたのだ。

『彼の地には、あの伝説の『剣聖』が居ります、正直に申し上げます、彼の者に勝ことをお望みならば、わたしに全軍をお与えください、たかが四万程度であの者を討ち取れと言われるのは無謀でございます』と言ったのである。

 ベルベイトは心配し過ぎだと思った、剣聖と呼ばれたのは二十年も前の話であり、剣を置いて相当の年数が立っているハズだ。

 それに、歳も既に六十近いと聞く、そんな年寄りが戦に出るとは到底思えなかったのである。

 だが、アスバードは違った、彼は目的地であるこの地の中心地であるハマール城に到着しても、直ぐに行動を起こさなかった。

 まずは周囲一帯に大多数の斥候を放ち、周囲を探索させた、この地一帯のどのような罠や伏兵が潜んでいるかを確かめるためだ。

 その後、罠や伏兵が居ないことがわかっても、動こうとはせずに、包囲陣を敷いたまま待機を命じたのである。


「アスバード将軍!」


 アスバードの名を叫びながら駆け寄ってきたのは、第四軍団団長、キサール将軍である。


「なぜ直ぐに攻めない、敵の数は少数、直ぐに攻め落とすべきだ!」


 キサールは、アスバードとは軍務学校の同期であり同郷の出であるが、非常に仲が悪いと言う事で有名だ。

 それもそのはずだ、キサールは二人の出身地のであるキリヤーク領の領主の息子であり、アスバードはその領民である。

戦場に出ることなく国内での政治屋となり出世したキサールと、常に前線に出て部下と共に戦場を駆け抜け、武功を挙げて今の地位に昇りつめたアスバードではキリヤークでの評価は違ったのだ、アスバードを英雄と称え、同期であるキサールを親の七光りと陰口を叩く程の雲泥の差があった。

 さらにキサールに追い打ちを掛ける様に、実の父親からも「お前は何故戦場に出ない」と言われる始末だ。

 キサールにとって、アスバードは目の上のたん瘤だった。


「キサール卿、今、工作部隊に攻城兵器の準備をさせている」

「何を悠長なことを、敵の兵力は僅か五千に達するかどうかの兵力、攻城兵器なくても落とせる、それにわが軍に兵糧の心配がある、長期的に籠城されたら我らの方が先に参る可能性が――」

「敵を侮ってはなりません、キサール卿」


 そう言って話に割り込んで来たのは老将軍と言う名が相応しい様相をした、皮鎧の男。肩には愛鷲が停まっている。

 ガスダント帝国最古参の将軍、第二軍団団長ヤックハーラ将軍である。


「キサール卿は、今回が将軍としての初陣、我が国の筆頭将軍であるアスバード将軍の采配を見て勉強をするべきですよ、キサール卿」


 まるで子供を諭すような口調で言う、アスバードにまだ言いたげそうな顔をしてたキサールもこの軍の中で最年長であり、実戦経験が豊富な老将に逆らう気は無かった。


「……予備役の老いぼれが」


 それだけ言い残すのが精一杯だったのだろう、悔しそうな顔をして彼はその場を去って行く。

 キサールの後姿を見ながらヤックハーラはアスバードの隣に並んで言う。


「彼はあの剣聖を知らないのだな」と嘆くような口調で言う。

「ええ、キサール卿は彼の者の恐ろしさをまだ知らないのです、わたしは初陣の時にあの恐怖を知りました」

「わしは、将軍職に就いて両手で数え切れない程の戦をして来た、わたしの人生は戦が全てだった、だが、わたしが現役時代で唯一勝てなかったのは、あの男だけだった」

「ヤックハーラ大将軍閣下ですら、勝てなかったのですが」とベルベイトは驚いた声で言う。


 ヤックハーラは笑いながら手のひらをベルベイトに向ける。

 ベルベイトは首を捻るとヤックハーラは静かに言う。


「五回だ、奴と戦ったのは、五回とも惨敗だったか、わたしが負けたのはその五回だけだ」


 同じ人間に五回も負ける、それがどういう意味を持つのか、参謀であるベルベイトには理解できた。

 軍務学校でこう言う言葉を習った。


「一度の負けは偶然の産物、二度目の負けは勉強不足、三度目の負けは確信」と言う言葉だ。


 つまり「同じ敵に三度負けると言う事は、一度目は負けても偶然や運が重なった可能性がある、だが、二度目の負けは一度目の負けから学び足りなかったからであり、そして三度目は最早、敵が上手である」勝てないと言う意味だ。


「わたしが引退する羽目になったのも、彼の者の存在が大きかった、わたしが生涯超える事の出来ない大きな壁だよ、まさか、この歳になって、また、その壁とぶつかる破目になるとはな」と嘆くように彼は陣へ戻って行く。

「ベルベイト参謀、早朝から攻撃する、今のうちに兵に食わせておけ」

「はい、しかし、将軍、キサール卿の言っていることは一理あります、我々には時間がありません、春に成れば、南部から援軍がやって来るでしょう、そうなれば我らの目的であるパティール王国、第二の穀倉地帯である、北部の一帯の占領が難しくなります」


 農業国のパティール王国の穀倉地帯は南部と北部に分かれる、最大の穀倉地帯ラバール港を中心とした南部であり、北部は第二の穀倉地帯である。

 この南北で生産される穀物類は、大陸の全体の穀物生産量全体の四割にそうとする。

 これは、ガスダント帝国、キエフ大公国、ハフマン帝国、ラバール神国、四大国の穀物生産量を合わせても足りない程の生産量を誇っている。

 パティール王国はその豊富な生産量を生かした農作物の輸出を国益としている。

 無論、パティール王国とて肥沃な土地は敵国からも狙われやすいと言うのは知っている、その為か、北部と南部の中心地は領主の世襲ではなく、一世一代の領地制が敷かれ、領主に成るのは数々の武功と功績により、他国にまでその名を轟かせた者が付くことが多い、この北部中心地であるハマールの現領主は、大陸全土に名を轟かせた名将、法王庁から『剣聖』の称号を与えられた、伝説の将軍、ジルマ・パティール将軍だ。

 用心深くなるのは理解できるが、我が軍は補給に問題を抱えている以上、長期戦は不利だ、短期決戦に持ち込むが上策である、アスバード将軍もそれを理解しているのだろう。


「将軍、相手は二十年も戦をしていない、老将軍です、怖がる必要性はありません」


 ベルベイトは率直な考えを言う。

 しかし、アスバードは不敵な笑みを浮かべて静かに言う。


「お前は昔のわたしを見ているようだ」


 それだけを言い残し、彼は幕舎に戻っていた。



 城内は人で溢れかえっていた。

 ここに居る人は外縁部の住人達である、ハマール城が攻められた際は外縁部の住人は全て内縁部に避難する事となっている。

 カムイも衛兵と共に避難民の誘導を手伝っていた。


「カムイ!」


 手を振りながら名前を呼ぶのはロレだった。


「どうした」

「旦那様がお呼びだ、来い」

「でも、避難民の誘導が――」

「そんなのそこら辺の衛兵に任せろよ」


 そう言ってロレは近くに居た衛兵に誘導をお願いするとカムイを連れて城内に入る。

 城内も衛兵が忙しなく右往左往動いている、従者達も籠城に備えて剣や弓や矢などを武器庫から急いで掻きだしていた。

(本格的な戦が始まる)カムイはそう感じながらも、自分に緊張と言うモノだけが感じなかった。


「おれはどこかで戦を経験しているのか? この世界に来る前にか?」

「何をブツブツ言ってるんだ?」と前を歩くロレが振り向きながら言う。

「いや、何でもない」

「しかし、まさか、戦に成るとはな、覚悟はしていたとはいえ、残るんじゃなかったかな」と頭を掻き分けながら言う。

「今からでも抜け出すか?」と嫌味っぽく言うと「出たら八つ裂きにされるさ、敵にな」笑いながら言い返す。


 城内の中央、普段は誰も居ない客間に二人の衛兵が警護の為に立っていた、ロレは二人に敬礼してから部屋に入り、カムイもその後に続く、異様に重い空気が流れる客間の中に居たのは領主ジルマと衛兵長ロレンス、各中隊の隊長クラスが集まっていた。


「旦那様、カムイをお連れしました」

「フム、カムイ、ロレ、二人はそこで控えていろ」


 二人は近くに会った椅子に座る。

 ピリピリした空気の中で会議が始まった。

 まず初めに声を出したのは衛兵長のロレンスだ、ロレンスは壁に掛けられたハマール城の見取り図を見ながら話す。


「現在、敵の陣容は以下の様になっております、敵は三つの城門に対して各門に五千の軍団が布陣、その後方に一万五千の本体とさらに後方東西に各五千の予備隊を置いています。敵の総戦力は四万と見て間違いないでしょう」

「定石通りの布陣ですな」と禿頭の中隊長が言う。

「しかし、四万とは、こちらは全衛兵をかき集めても、二千、城内の男衆を徴兵しても五千に行くか行かないか……」初老の中隊長が言った。

「数では我に勝ち目は有りませんな、どうなされますか、ジルマ様」と若い中隊長が言う。


 皆の視線がジルマに集まる、三つ数える程の沈黙が流れた後、静かに言う。


「外縁部を捨てる」


 ジルマの言葉を聞いたロレとカムイは驚いたように目を丸くするが、ロレンスや他の中隊長達はまるで、そう言うのがわかっていたような顔で頷く。


「やはり、例の作戦で行くのですね」とロレンスが言う。

「ああ、この策が上手く行けば一撃で敵を撃滅できる」そうジルマは言い切った。

「問題は、外縁部の住民だな、これを知ったらあいつらは騒ぎだすかもしれん」

「そうなれば、いろいろと厄介ですぞ」


 中隊長同士が、ああではない、こうでもないと人通り話が出尽くしたところで、右手を突き出し、話を止める。


「外縁部の住人の説得については、ロレとカムイの二人にやってもらう」


 二人は説得と言う言葉が耳に入る、先程からこの隊長達の会話にまったく付いて行けてなかったのである。


「だ、旦那様!」


 ロレが立ち上がりながら言う。


「おれ達には話の内容がまるで見えません、詳しく説明を! 出なければ説得の使用が――」


 ジルマは撫でる様にロレの話を止め、そして静かに話す、ジルマ達の作戦内容を、それを聞いたカムイは、無茶な作戦だと思った。

 ロレは溜息を付きながら静かに言った。


「確かに城巳じょうしの構造を考えれば、その作戦は敵を殲滅できる作戦かも知れません、しかし、旦那様、その後はどうするのですが、外縁部の人は住む場所を奪われるのですよ!」

「だから、お前ら二人に言って欲しのだよ、お前ら二人は事あるごとに城下に下りては下々と話し心を通わしている、我等みたいな戦屋が上から命令すれば強制に成りかねぬ、下々と最も近いお前らなら、お願いに成る、頼む、この街を護るためだ、やってくれるな」

「ですが、おれやカムイだって外縁部の人とそれ程の中がイイと言う訳では……」

「それが、この街の人々を救う事に成るのですが?」


 話の間に割って入るかのようにカムイは言った。

 ジルマはゆっくりと首を縦に振る。


「わかりました、行こう、ロレ」


 カムイはそのまま部屋を出る、その後を追ってロレも部屋を出る。

 廊下を歩く足取りは早く、まるで駆け足だ、ロレはカムイに追い付くと肩を掴む。


「おい、本気か? どう見たって、おれ達には説得するのは無理だぜ」

「でも、それしか方法が無いなら、おれ達はやるしかないだろう」

「でもだな」

「わかっているよ、ロレ」


 カムイは振り向き、微かな微笑みをして言う。


「何とかなるさ」



 案の定この提案に外縁部の代表達である区長一同は反対した。


「冗談じゃない、生き残るための作戦だとしてもおれ達は反対だぜ!」


 ハチ地区区長が鼓膜が破れるのではないかと思うぐらいの大声でカムイとロレを怒鳴り付ける。


「区長面々方の怒りは良く理解できる、でも、この作戦が上手く行けば敵を追い払うことが出来るんだ、頼む、了承してくれ!」


 ロレとカムイは深々と頭を下げるが、まるで聞く耳を持たないと言わんばかりの大声でハチ地区区長が怒りの声をぶつける。


「ロレの旦那! アンタは生活の場を奪われる気持ちが解るか、ああア!」

「おれだって、元は難民だ! 故郷を無くす気持ちは痛い程わかる、だからこそ、協力してほしい、この街を護るために!」

「フン、何も護る方法は戦う事だけじゃないぜ!」

「なに?」


 ロレは不安を孕んだ声を出し、次の言葉を聞いて目を丸くする。


「降伏すればいい! 相手は万の軍勢だ、どう戦って勝ち目何って無いんだからな!」


 言葉を聞くなり低調だった口調は一変して荒い口調に成る。


「テメェ! 今何って言った!」今度はロレが怒鳴るがそれに負け時にハチ地区区長も声を張り上げる。

「勝ち目のない戦をするなって言ったんだよォ! どう見たって勝ち目がないだろうが!」

「その為の策だって言っているだろうがァ!」

「その策が上手く行ったとしても、おれ達には何も残らないだろうが!」

「ああァ! こっちが下でに出てればいい気に成りやがって!」

「ヤんのか! おれらだって黙ってお上の言うことを聞く頭無しの人間じゃないだぜェ!」

「やめんか、二人とも」


 二人を静止したのは初老の男性だった。

 老人は二人の頭を持っていた杖で叩く、乾いた音が鳴り響く。


「区議長……」と頭を押さえながらハチ地区区長が言う。


 区議長は、外縁部の各区長のまとめ役であり、この街の運営を領主に意見具申する三部会の外縁部の長でもある、カムイ達が話すのに当たって最初に話を持って行ったのはこの区議長だった、しかし、話を聞くや否や『各区長の意見を聞く必要性がる』と言って、この場にカムイ達を連れて行き、説明させられたのである。


「ロレ殿、若い物の無礼、申し訳ございません」


 区議長はロレに謝るが眼は謝ってはいなかった。


「いや、おれも熱くなりすぎた、済まない」

「そう言って下さると助かります、ですが、ロレ殿、これでお分りになりましたでしょう、これが外縁部に住む者の総意でございます」

「! ですが――」

「それに、そんな大事な話をするのに何故領主様自らではなく、使い物を寄こすのですが、こういう時こそ、この街の長であるジルマ様がおいで下さるべきハズ、何故でしょうか?」

「旦那様は、戦の支度で忙しい、だから、オレらが――」

「つまり、我らには直接言う必要性は無い、そう言う訳ですな、我らには使いのモノで十分であると…… 舐められたものですな」

「その様なつもりは、決してない、本当に旦那様は戦の準備で――」

「話はこれで終わりだよ」


 それだけを言い残して踵を返す、その背中に続くかのように各区長達が続くが、区議長達の前に大きな壁が現れる、だが、それは壁ではなく人だった。

 大柄なカムイが先回りして区議長達の前に立ち塞がった。


「何のつもりだ」と区議長が言う。


 カムイは一呼吸を置いてから静かに言う。


「区議長、あなたはこの街が好きですが」


 カムイは静かにであるが透き通るような声で言った。


「無論だ、でなくては区議長などやらん」

「では、どうして協力を拒むのですか」

「わたしは、この街が好きだからだよ」


 区議長はカムイの眼を見て言う。


「わたしら外縁部の人間は殆どが難民世代を親に持つ者達だ、本来の故郷を追われ、この地に流れ着き元からいた住民と共存してこの地に根付いたのだ」

「だったら何故です、何故」

「根付いてからと言っても、難民だった記憶を持つわたしたちの年代の者から言わせれば再び住処を奪われる恐怖を味わいたくないし子供らに味遭わせたくはない」

「それが区議長の意志ですか、皆の意志ですか」

「そうだ」

「自分勝手だ」


 カムイは怒気を孕んだ声で言う。


「何だとォ!」


 ハチ地区区長が怒りを込めた声は響き渡り、周りに居た人たちの視線が静かにこちらに集まる。


「住処を奪われる恐怖に怯えているのはあなた達だけではない、ここに居る全員がその恐怖と戦っている、なのにあなた達は戦いもせずに逃げるのですが!」


 普段温厚なカムイが声を張り上げる様に姿をロレは始めて見る。

 ハチ地区区長が身を乗り出そうとするが、区議長がそれを静止する。


「カムイくん、君はここに来てまだ、二年と少しだ、なのに何故、君はこの地に残る事を決意したのだ?」


 カムイは一呼吸を置いて答える。


「どうしてわたしが残ることに決めたのか、わたしの気持ちを料理で表現します」


 カムイはその場を後にして、駐屯所の厨房に向かう。

 その後を追ってロレも厨房に入って来た。


「おい、お前の気持ちを料理で表現ってどうするんだよ」


 ロレは不安な声で言うがカムイは平然とした声で言う。


「おれの気持ちは変わらない、おれの居場所を護る、おれの料理を美味しいと言ってくれる人たちの為に残る、その気持ちを伝えるそれだけだ」


 厨房に入るなり食材を並べる。

 カムイは鴨肉を手に取り裁き精肉にする、同時に川エビの背ワタを取りニンニクを潰す。

 精肉にした鴨肉に塩などの下味を付けライ麦粉を薄く塗す。

 オリーブオイルを鍋に敷きニンニクを炒める始める

 カムイは作りながら思う、彼らの主張は理解できる。

 難民だった恐怖が残る世代にとって次の世代はそうなって欲しくはない、日本人である自分には良くわかる、でも、それでやれる事をやらないのは単なる逃げでしかない、おれは逃げたくない、何もしないで逃げ出したくない、これはおれの戦いだ。


「イイ匂いね、ニンニクの香りが食欲をそそるわ」と廊下から顔を出して覗き込むレミーが居た。


 ロレは、犬を追い払う様な仕草をするが、その仕草が感に触ったのだろうかムーとした顔でロレの頭にチョップを食らわす。


「痛っつゥウウ! 何しやがるゥ!」

「犬みたいにあたしを追い払おうとしたからよ」

「今は仕事中なんだよ、見れば解るだろう」

「どう見ても夜食を作っているようにしか見えないけどね」


 レミーはロレを小突きながら言う。


「お前こそ、何やってる、避難しろよ」

「今、店の方の手伝い終わったからさ、ベルを避難所まで連れて行こうと思って」


 キサラギ村の生存者ベルは凍傷で両足を切断している、一人では動けない、その為ジルマが気を利かせて彼女に世話係りを依頼していた。


「そうか、ご苦労なこったで」

「で、カムイは何を作っているのさ」

「自分が残る理由だってさ」

「何それ?」

「おれも良くわからん」


 二人の会話はカムイの耳には入っていなかった。



「区議長! 本当に待つんすか!」


 ハチ地区区長がイライラを募らせながら区議長に言う、その彼は平然とした顔で椅子に座っているだけだった。


「既に、我らの意志は決まっているハズです、違うのですが、区議長」


 目の下に大きな隈の顔をしたカル地区区長が言う。


「例え作戦とは言え、我らは生活の場を失えば生きて行くのは不可能に近い、この外縁部は内縁部の商工地区の連中とは違い我らが二世代に渡って築いて来た街ですぞ」

「左様だ」と区議長が口を開く。


 一同の視線が区議長に集まる。


「わたしが息子を連れてこの地に着いた時、この地の者達は我々を薄汚い物乞いと言う風にしか見ていなかった、我等はその視線から耐えながらこの地を作って来た、ようやくだ、ようやくここまで来た、だが、この作戦は我らが築いて来た物を無に帰す所業、我等は再び無から始められる程強くはない、それをわかっていて、尚我らに依頼をする、それは統治者として非道であり、あるまじき行為だ、君はそうとは思わないのか、カムイくん」


 料理を台車に乗せ運んで来たカムイに向かって区議長は言う。


「出来たのかね、君が残ると言う事を表現する料理が」

「はい」

「先に言って置くが、それが今回の事とは『別』じゃぞ」


 カムイは一旦目を瞑りそして言う。


「先程わたしはわたしが残った理由を料理にしたと言いましたが、これはわたしの残った意志と旦那様…… ジルマ公爵様の気持ちと同じだと思っております」

「どういう意味だ?」区議長が疑問を孕んだ声で言う。

「今からお出しする料理は、この街が生き残るための旦那様の硬い意志の表れです」


 カムイは区議長の前にクローシュ代わりにしていた布を被せた皿を置く。


「これが、おれがお出しする料理です」


 そして布を取る。

 取られた瞬間、区議長の鼻腔に香ばしい鶏肉の香りとトマトの甘酸っぱい香りが鼻の中を通り抜ける。

 その香りは食欲をそそる匂いだった。


「これは、何と香しい、張り詰めた空気で食欲などなかったのか嘘みたいに腹の底から湧き上がる」


 香しい匂いは廻りの区長達すら唾液を飲み込む程、食欲をそそられる。

 鶏肉にナイフで一口サイズに切り、トマトのソースと絡め、それを口の中に運ぶ。


「フムン、シンプルな味なのにしっかりとした味わい、鶏肉にしっかり味が根付いている」


 区議長のフォークの動きは止まらない。


「各具材の味も出ているのに、味が邪魔にならずしっかりと融和している、エビの甘みと鶏肉の甘みがトマトの酸味と相まって、新しい世界を見せてくれるようだ、素晴らしい、カムイくん、この料理は何という料理かね」


 カムイは、笑顔で答える。


「鴨肉のマレンゴ風です、古典料理の一種です」

「マレンゴ…… 聞いた事ないな」


 カムイは当たり前だと思った、これはこの世界の料理ではない、フランスの古典料理の代表の一つだから、この世界には無い料理だ。


「マレンゴ料理にはちょっとした話があります」


 区議長のフォークが停まる。


「一体どういう話だ?」

「はい、この料理、実は戦場の中で生まれた料理なんです」

「戦場で?」

「ある戦で勝利を納めた将軍が料理人に、何か料理を作って来いと命じ、命じられた料理人デュナンは、焼け跡から『鶏肉とニンニクとトマトとコニャック、そして卵』を持ち帰り調理したのかこの料理です」

「焼け跡からのう、それは難儀だったろうな」

「この料理は今のこの状況と似ていませんか」


 何気ない一言で場の空気の温度が下がるのを隣で見ていたロレは肌で感じた。


(おい、何を言うつもりだよ、カムイ)


 額から汗が滝の様に流れ出ているロレを尻目にカムイは口を開く。


「何が言いたい」

「この料理は、主の為に必死に探し出して僅かな食糧でこれを作り上げました、たぶんですが、これを作った料理人は相当苦労したと思います、何せ在る物で自分の主を満足させなくてはならないのですから」

「君の言い方では我々は主を満足させるための食材にと言う事に成るが?」

「いえ、おれは…… そうとは思えませんあなた達は主を満足させるための食材ではない、あなた達は主を感動させる為の食材です」

「な、何を」

「この話には続きがあります、この料理をたいそう気にったらしく、言担ぎの意味合いを込めて戦前に食すようになったそうです歴史に残る程に…… 区議長、あなた達の決断は後の世に語り継がれる物に成ります、この料理の様に。それが感動する話になるか、後ろ指を指されるような話になるか、それは区長と皆さん、の決断に掛かっています、後の世に恥じない決断を、この街を愛する者として」


 区議長は料理に視線を落した、いくつかの考えを頭の中で逡巡して後、小さく口を開く。


「後の世にか、我らは子孫がどう判断を下すか」


 最後の一口を食べ終え、区議長は静かに言う。


「もう一度、皆と話してみる」

「区議長!」とカムイが喜びの声を挙げるが「納得出来ねェ!」と言う怒鳴り語が重なった。怒鳴り声の主はハチ地区区長だ。


「区議長! アンタ、マジで言っているのか、どう見たって戦に成ったら勝ち目はないだろうがァ! だからおれ達は降伏するようにこれから領主様に直談判しに行くんじゃないのかよ!」


 ハチ地区区長の声に少なからずに賛同する声が上がりはじめる。

 ロレがカムイの耳元で「ヤバイぞ」と囁く。

 賛同の声は広がり始め大きくなる。


「もう区議長には頼らね! 皆! 公宮に行くぞ! 領主に直接降伏を促しに!」


 賛同する嵐のような声は内縁部に広がり始めた。


「ま、待ってください!」とカムイが身を乗り出すのをロレが止める。


 ロレは首を横に振る、もう無理だと、これは暴動に成るぞと眼で語り掛ける。


「おれ達の生活の場を護れ!」

『護れ!』と賛同者が繰り返す。


 賛同者の足先は公宮の方へ向き一斉に歩きはじめる。


「区議長! 止めてください」


 カムイは区議長に懇願するが彼は首を横に振るだけだ。


「どうして何もしないのですが?」

「これが彼らの意志なのだろうな、わたし一人が納得しても他の者が納得しない」

「でも、このままじゃあ、敵の思うつぼですよ」

「カムイくん、人は何で動くと思う」


 唐突に投げかけられた質問にカムイは理解できなかった。

 区議長は公宮に向かう集団を見ながら静かに口を開いた。


「欲と生存本能だよ、この二つはどうしても抗う事は出来ないし制御することはできない、一度表に出てしまえば尚更ね」

「だから、止める事は出来ないと?」


 区議長は歩き出す、公宮の方へ。


「わたし達弱き者は、ただただ、生き残りたいのだよ、例えそれが醜くともね、それが命短き世を生きる上で必要な事だよ」



 公宮の前は外縁部の人達が入口の前の門に集まりはじめていた、数は膨れ上がり五百人以上に上る、その門の前を内縁部の人たちが鍬や鉈、または包丁等を持って集まっていた。

 騒ぎを聞き付けた内縁部の面々は『領主様を護れ』と声を張り上げながら集まっていたのだ。


「じゃがましい、外縁部のゴロツキ共! ここは領主様の館だぞ! どの面下げて来やがった!」

「黙れ、内縁部の成金共! いつもいつも領主の顔を伺う連中が!」

「何だとォ! やる気かァ! テメェーらやる気か!」

「何だと風見鶏野郎共がァ!」


 カムイが駆け付けた時には何かの拍子で衝突が起きそうな雰囲気だった。

 衛兵達はただ見ているだけだった。

 何故動かないんだとカムイは思ったが「衛兵達はその後の戦の事を考えて動けないんだ」と区議長がカムイの横に並ぶように立ちながら言う。


「戦の事を考えると、ここで兵力を裂く訳に行かない、それに武力で従わせれば、この戦を乗り切った所で後々大きな禍根を残す、ならば、静観をするしかない、そう、衛兵達は判断したのだろうな」

「でも、これ以上騒ぎが大きくなれば流血沙汰に成るぞ」


 後を追手来たロレが肩で息をしながら言う。


「さて、どうしたモノかね、わたしの様にコイツ等も料理で改心させるかね」

「そんな無茶な……」


 困惑した顔で言うカムイの横を一人の女性がすり抜けて行く、いや、一人ではなかったその女性の背中には一人の少女を背中に背負っていたのだ。

 レミーとベルだ、二人は外縁部と内縁部のいがみ合う丁度中央の辺りに立つ、不意に現れた二人を見て、両者の怒号の声は潮が引くかのように静かになる。


「なんだいなんだい! 美人のわたしに見とれて声が出なくなったかい」


 レミーは嫌味を込んだ声で言う。


「まったくだらしないね、大の大人が、顔を付け合わせて喚き散らして、今がどういう時か解っているのかい!」


 レミーの透き通る張のある声は外縁部も内縁部の人も一瞬下がらせた。


「わかってないのはお前だろうよ、レイミー」


 背後からロレが喧嘩をしに行く子供を止められなかった母親の様な悲哀に満ちた顔をしていた。


「レミーさん、わたしを降ろしてください」

「イイのかい、こんな所で?」

「はい」


 ベルの何かを決意した顔で頷き、レミーは言われた通り、その場でベルを降ろした。

 膝から下、両足の無い彼女を見てさらに両陣営は黙り込んでしまった。

 ベルは一呼吸してから静かに、ハッキリとした声が、内縁部と外縁部の人々の耳の鼓膜を揺らした。


「わたしは、キサラギ村の『舞の巫女』の代表に選ばれた、ベルと言います、本当なら今日この日、わたしは領主様の前で舞うハズでした、ですが、見ての通り、わたしの村は、敵の侵攻に…… 攻撃に遭い、わたしは必死に逃げこの城に辿り着き、皆さんに危険を知らせることが出来ました、しかし、その代償としてわたしは、両足と左手を失いました」


 包帯が巻かれた両足そして左手を見て皆が声を失う。


「ですが、今のこの現状は、わたしの支払った代償に見合った結果なのでしょうか、今、皆さんがしていることはわたしの代償に見合っている行動と思う人がここに居るのでしょうか」


 力強い眼差しは内縁部、外縁部の人に向けられる、向けられた彼女の視線に誰一人背けなかった、いや、背けなかったと言うのが正しいのだろか、それ程の彼女の声は、彼らの心を引き付ける力があった。


「わたしには居ないように見える、誰もいない、誰も本当の敵に目を向けている人が一人もない、どうして、皆、同じものを見ようとしないの、どうして、助け合おうとしないの、わたしの村は、わたしの父と母は…… 無駄死したと思いたくない、思わせないでください、お願いします、どうか、父と母の…… 村の皆の無念を晴らして…… お願いよ」


 有ったハズの左手を胸元で握りしめながら、ベルは大粒の涙が頬を伝って流れ落ちる。

 今まで「領主様を護れ!」と叫んでいた内縁部側も「降伏せよ」と叫んでいた外縁部側も、誰一人たり声が出なかった。

 泣き崩れるベルにレミーは持っていたハンカチで涙を拭き取る、その隣にいつの間にか立っていた区議長が静かに立っていた。

 区議長は周囲を見渡し、一呼吸の間を置いてから静かにゆっくりと喋り出す。


「我々は、我々の事しか考えていなかったようだな、目の前には泣き崩れる彼女を見て、まだ、降伏だの、護れだの、言っていて良いのだろうか、いまするべきことは、先に散って行った者達の為に、手足を失いながらも危険を伝えた彼女に報いる事ではないだろうか」


 区議長はハチ地区区長を見る、彼はバツが悪そうな顔をして視線を逸らすが、直ぐに視線を区議長に戻し、髪の毛を掻きながら言う。


「もう何も言いませんよ」

「ウム、カムイくん」


 区議長は振り返りカムイに視線を向ける。


「我々は領主様の作戦に協力する、そう伝えてくれ」


 集まっていた外縁部の人達全員が頷く。

 カムイは区議長に深々と頭を下げる。


「ありがとうございます」


 頭を上げふと、視線をベルの方へ向ける、いつの間にか彼女の周りには人が集まりはじめていた、励ましの言葉を掛ける人や手を差し伸べる人、色々な人が彼女の周りに集まっている。


「結局、お前さんの料理は何の役にも立たなかったな」とカムイの肩に手を乗せてロレが言う。


 カムイは怒るわけではなく笑うこともなく、ただ、この光景を見つめながら言う。


「別にいいさ、役に立たなくってさ」

「いや、お前さんは役に立ったよ」と戻ってきた区議長が言う。

「おれがですが?」

「左様、焼け跡から出来たのがあの料理なら、お前さんがこの城で拾ったのはあの子かな」

「まさか……」と笑いながら言う。

「まあ、わたし達も腹をくくった、後は領主様に付き従う、どうか、この街を護ってくれるよう、お願い申す」

「はい、必ず」


 区議長とカムイは固い握手をした、日は完全に落ち、暗黒の闇が広がりはじめていた。



「そうかご苦労」とジルマは言う。


 カムイは初めて甲冑姿のジルマを見る、派手な装飾は無く昔ながらの中世のヨーロッパの甲冑だ。

 ふと、この世界に来た時のことを思い出す、そこら中に転がる死体の山、もうじき、この街も戦火に飲み込まれ死体で溢れるだろう。

 わかっていることだが、どうにもこの感覚に違和感がある。

 自分は戦を知っている、記憶にないだけなのかもしれない。

 最後の籠手を閉め終わる音でカムイは現実に引き戻される。


「カムイ」と今までに聞いたことの無い声で言う。

「はい、旦那様」

「お前さんを食事番に任命する、兵士の胃袋を支えるのはお前の役目だ、良いな」

「はい」


 そうだ、今は自分のことではないこの街のことを考えないとイケない。

 カムイは雑念を振り払う。


「カムイ、早速で悪いが夕餉ゆうげを頼む、今夜は作戦会議を兼ねての食事に成る、手軽に食べれる物で頼む」

「わかりました」


 カムイは一礼して部屋を出る。

 厨房に入るなに食材を一通り並べる、有るのは豚肉、レイス(この世界のレタス)ライ麦パンの種(一次発酵済み)と固くなったライ麦パンそして各種調味料。


「やっぱり、こういう時はアレだよな」


 カムイは調理を開始する。

 しばらくして出来た料理を持って、作戦会議室となった客間のドアを叩く、ジルマの返事を待って中に入る。

 各中隊長、小隊長、分隊長が集まっていた。

 集まった全員が異様な空気を出している。

 改めて戦が近いことを思い知る。

 カムイは空気に飲まれまいと、心を落ち着かせ料理を出す。


「お待たせしました、戦が迫っているので、皆さんの無事と勝利を祈って、豚のロースカツサンドです」


 ライ麦パンに厚切りのロースカツを挟み、この世界の甘味料であるバロックと酒で作ったソースを掛けた一品。


「ロースカツとは何とも奇天烈な名前だな」と衛兵長のロレンスが言う。

「『カツ』と言う言葉はわたしの故郷の言葉で、勝利すると言う意味と同じ『勝』と同音であることから、勝負事や賭け事の言担ぎで良く食される食べ物です」

「フムン、この戦に勝つことを祈ってか……」


 ジルマは静かに言うと皆の視線が彼に集まる、そして、カツサンド一つ手に取り立ち上がる。


「我らの領土を不当に荒らしたガスダント帝国に、己の愚かさを思い知らせる、その為にも諸君らの奮戦が鍵となろう! このカツサンドの様に敵を噛み殺せ!」


 ジルマの勇ましい掛け声と同時にカツサンド齧り付く、ロレンスを始めとして皆もそれに続く。


「フムン、これは美味過ぎるな、何か気が抜ける」とジルマが先ほどまでの勇ましい声とは裏腹にいつものお惚け爺さの口調で言う。


 途端に客間に皆の笑い声が響き渡る。

 ここで揃って笑っていられるのは今のうちなのだろう、誰もがそれをわかっている、だからこそだ、美味なる料理は人の本質を出す、カムイはそんな気がしてならなかった。



ガスダント帝国幕舎内



 第一から第五軍団までの各団長と副団長が一斉に集まったこの幕舎内では早朝攻撃に対しての作戦会議が行われていた。

 テーブルにはハマール城の詳細図と駒が置かれ、皿には水で伸ばしたライ麦粥が置かれていた、酒は無くグラスには馬乳が代わりに注がれていた。


「以上、各攻城櫓が完成次第、弓隊が援護射撃を行い接壁して突入、門の開閉室を制圧して城内に友軍を招き折れます、内壁は定石通り梯子で登城攻撃を行い一気に落とします、そうすれば敵は降伏するしかありません」


 モフーラ・ベルベイトは説明を終え、各将軍達を見る。

 意見や反対を無いかを確認するためだが、思いの他、意見は無く概ね納得しているようだ。


「では、予定通り各軍団は早朝、角笛の合図と共に作戦に移って下さい

「解散!」


 アスバードは静かに言うと、皆、幕舎を出て行く。

 水滴が付いたグラスを手に取り馬乳を一気に飲み干す。


「フムン、今や、こんな物しかないとはな」

「仕方ありません、水は貴重です、この時期はどこの川も井戸も凍っています、雪を解かすと言う手も有りますが、そうなれば薪が必要になり、火種も必要、それらを集めるのに兵を裂くよりは、こちらの方はイイですよ、何より水よりは栄養が有りますし」

「わかっている」


 アスバードは椅子に深くもたれ、目を瞑る。

 明日にはあの剣聖と戦う、瞑った目に映るのはあの時ことだ。

 軍務学校を卒業したその年に戦が起こった、ドット大河の氾濫に伴う責任追及で始まったパティール王国と戦だ。

 当時はまだ五人隊隊長だったアスバードは後方の本陣守備隊に付いていた。

 相手方の戦力が五千、こちらは一万五千。

 誰が見ても我が軍の勝利を疑わなかった、だが、その夜のことだ、双子月が見えなくなる程の雨雲、次第に雨雲から大粒の雨が降り出し視界すら奪われる暗黒の雨となった、そして、その闇夜に乗じて、ジルマの指揮する千人の精鋭が本陣へ突入して来たのだ。

 突然の奇襲と雨音で敵がどこから攻めて来るのか解らず、完全に混乱し同士討ちまで発展したのだ。

 敵と味方の同士討ちで混乱した本陣は蹂躙され、混乱が収まった頃には既に死体の山が築かれていた。

 そして、御大将の死体は首が無く、翌朝には城門の前に掲げられていたのである。

 あの時、微かに敵総大将の顔を見た、あの生き生きとした男の顔を。

 そして圧倒的な武力の差を見せつけられた、掛かる者は尽く切り捨てられ、赤い血飛沫がまるで雨の様に周囲一帯に降り注いだ。

 あれから二十五年、剣聖のことは調べ尽した、奴の戦術から戦略、用兵に至るまで全て。

 アスバードは空になったグラスを眺めながら、ふと、家族のことが頭の中で過った、娘は今年で十二、わたしと同じ騎士に成ると言っていたが、あの子には別の人生を歩んでほしいとアスバードは思った。

 余り家には帰らなかったが、妻も娘も家に帰ると暖かく迎えてくれる。

 でも、今回はどうだろうか、生きて帰れるだろうか、それとも。

 雑念を振り払う、弱気な自分に喝を入れる様に呟く。


「わたしは、ガスダント帝国将軍だ、負けるわけには行かない」


 その時だった、兵士が幕舎に駆け込んできたのは、息を切らしながら入って来た兵士にベルベイトは「入る時は一声掛けぬか、バカ者と!」と怒鳴るが、兵士はその言葉が耳に入っていないようだ、アスバードを見て未だに整っていない息で報告する。


「ほ、報告! て、敵が、敵が打って出ました!」

「何だと!」


 アスバードは立ち上がる、その顔には困惑の色は隠せない、それは隣に居たベルベイトも同じである。


「して、敵はどこの軍団を攻撃している!」とベルベイトが訊く。

「そ、それが、敵は第三、四軍団の間をすり抜け――」

「この本陣を目指しているのだな!」


 ベルベイトは兵士の肩を掴みながら訊く、しかし、帰って来たのは意外な答えだった。


「それが本陣も今しがたすり抜け、現在、予備隊である後方の第五軍団を攻撃中です」

「後方だと? 何故本陣を攻撃しない」疑問に思うベルベイトを余所にアスバードは怒鳴り近い声で指示を出す。


「直ちに本陣の守備隊を援軍に向かわせろ! 奴らの狙いは攻城兵器を作成している工作部隊と技師だ! 工作部隊を護れ! 最悪の場合は物資を放棄してでも技師だけは護るのだ!」


 兵士は敬礼して幕舎を出る。

 ベルベイトはアスバードの命令で敵の狙いがようやく理解できた。

 敵は攻め手の一手を奪うつもりだ。

 守備が堅い本陣を攻めるより、城攻めの一手を奪う方が、遥かに効率がいい。

 アスバードとベルベイトは共に幕舎の外に出る。

 後方第五軍団の陣営では夜には相応しくない真っ赤な炎の淡い色が夜空を照らしていた。



第五軍団陣地



 工作部隊は既にハマール軍に蹂躙されていた、地面は血で染め上がり、立ち昇る炎が焼く木材と死体の異臭で満たされている。

 果敢にも立ち向かおうとする数人の兵士が騎馬隊の集団に攻撃するが、瞬きするよりも早く兵士の首が天高く飛んだ。


「この木材も燃やしておけェ!」


 ジルマは先頭に立ち後方の部下に指示をする。

 指示された兵士は油を木材に掛け、もう一人の兵士が背負っている火桶鞄から熱く熱せられ煙が立ち上る石を投げ入れる。

 油に着火し木材は炎で燃え上る。


「敵の資材は出来るだけ燃やせ!」

「ジルマ様! 敵本陣の守備隊がこちらに向かっております!」

「くゥッ! 潮時かのう、もう少し焼いておきたかったが、ヨシ、第二段階に移るぞ! 皆、わしに続けェ!」


 騎馬集団は反転して進路をハマール城に向ける。

 駆け抜ける騎馬隊はまるで敵を突き破る槍の如く、敵本陣守備隊に突入する。

 守備隊も重装歩兵の盾を組み合わせ、槍を構える、騎馬隊を突入防ぐ密集陣形を組む、重い盾と長槍の穂先が敵の串刺しにするハズだっただが、そうはならなかった、突然左右から現れた騎馬隊に密集陣形を崩されたのだ。

 密集陣形は正面に防御が集中する為、側面攻撃が弱い、ジルマはその弱点を付くために、部隊を予め三つの隊に分けていたのだ。

 行き成り姿を現した新たな敵に守備隊は完全に陣形を崩し、付け加えて正面から来たジルマ率いる騎馬隊がトドメの一撃を加え、左右正面から押され敵は潰されていく。

 守備隊は騎馬隊の槍と蹄に踏みつぶされて、我先に逃げようとする者は後ろから槍が迫る。

 三つの隊は守備隊を抜けたところで合流する。


「上手く行きましたな、後は敵が乗るかですね」とロレンスが言う。

「左様、一気に中央を抜け、城に帰還するぞ!」


 三つの隊はさらに加速する、立ちはだかる敵は容赦なく切り捨てられていく。

 一本の槍と化した騎馬隊は怒とう勢いで敵陣を突破する。

 本陣を抜け、包囲をしている軍団を抜ける。

 体制を立て直した包囲軍から無数の矢が飛ぶ。


「止まるな、駆け抜けろ!」


 騎馬隊が目指すのは中央の門、北門。

 その門の城壁上では帰還したジルマを見て直ぐに門を開ける様に指示をする。

 大きな鉄の扉が左右に開き、ジルマ達の騎馬隊を向か入れる。


「敵はどうだ!」ジルマが兵士に訊く。

「動きました!」


 各陣営が灯した篝火がまるで大蛇が動いたかの様に、北門へ向けて動き出した。


「作戦通りだ! 全員内縁部まで引けェ!」


 壁上に居た兵士達が騎馬隊に合馬してその場を離れる。

 後はどれだけの引っ掛かるかだな、ジルマはそう心の中で呟いた。



 工作部隊に甚大な被害と敵騎馬隊が城壁内逃げた報告をほぼ同時に受け取ったアスバード将軍は他の兵や士官達がどよめいている中で平然とした顔で報告を聞いていた。


(被害は第五軍団の兵士五百が死傷、攻城兵器用の木材はほぼ全滅、本陣守備隊千も壊滅か)


 夜襲でこれ程の被害を受けるとは思ってもいなかったが、同時に違和感が覚えた、敵は本陣を強行突破したのなら何故わたし自身を狙わなかったのだと。

 各隊からの報告を集計中だが多く見積もっても敵は千騎程だ、本陣突破するにはギリギリの数だ、もしかしたら敵は総大将であるアスバード将軍を知らなかったのだろう。

 それならば、敵が大将首を狙わなかったのは納得が行く、しかし、この拭いきれない違和感が有った。

 敵は何を考えているのだ。

 アスバードが敵について考えていると包囲軍の方から大きな声が張上がる、それと同時に包囲軍が動き始めた。


「何故包囲軍が動いている、待機命令が出ているハズだ! ベルベイト! どうなっている」

「わたしにもサッパリ……」

「報告申し上げます! 敵城の中央の門が開いております!」

「何だと⁉」

「これを好機と捉え、第四軍団団長、キサール将軍が突入命令を出されました! 緊急の為、事後承諾を頂きたいとのこと!」

「敵が北門を開けだと? 何を考えている、それに事後承諾とは何だ! 総大将の命令を無視するのは軍規違反だ」

「空腹の獣の前に餌が落ちていれば無我夢中で齧り付くモノだ、ベルベイト」


 怒りの籠った拳が木製のテーブルに叩き付ける、テーブルは拳の力に耐え切れず軋む音と共に粉々に粉砕した。


「それが猛毒であってもな!」


 アスバードはわかったのだ、敵が本陣を掠めたのは敵を城内に誘い込むためだ。

 突然の奇襲に工作部隊の殲滅、さらに本陣の目と鼻の先を掠められて自尊心を抉られない者などいない。

 そして目の前に敵に一矢報いが出来る好機が転がっていたら、どうなる、飛びつくに決まっている、だが、冷静に考えればそこが罠だと言うのは直ぐに分かる、だが、包囲軍の中で冷静に判断できるのはそう多くはない。


「伝令! 直ちに攻撃を中止して元の位置まで後退せよと伝えろ!」

「そ、それが……」


 歯切れの悪い声を出す伝令兵にベルベイトが訊く「どうした、早く行かないか!」と言う。

 伝令兵は意を決したように言う。


「既に包囲軍は第三、第四軍団の部隊が内部へと突入しております」

「バカ者、今残っている軍は絶対に動くなと言え! 第二軍団は?」

「第二軍団は、ヤックハーラ将軍の直掩部隊二千のみ残して突入した模様です」

「……そうか、第三、第四の軍団長も中に突入したのか?」

「いえ、第三軍団長は兵と共に突入しましたが、第四軍団は外で指揮をしています」

「そうか、馬を引け、第四軍団のところに行く、それから本陣に再度厳命しろ、決して動くなとな」


 アスバードは従者が引いて来た馬に跨い、第四軍団に向かう。

 第四軍団の陣営内は口論が起きていた、第四軍団団長であるキサール将軍と副官が揉めているのだ。


「何故止める、これは好機だぞ、わたしも内部に突入して直接指揮を執る」

「お止めください、キサール様、これは明らかな罠です」


 副官のガガバド・アッサーラは宥めるように言った。


「明らかに不自然、奇襲に出た部隊を収容したのなら門扉は閉じているハズです、ですが敵は開けっ放しでいる、どうぞ入って下さいと言っているモノです、これは内部で敵を殲滅する何か秘策があるハズです」

「どうやって敵を殲滅するのだ! 相手は三千かそこらの軍、今突入している一万の軍相手にどんな策を用いて殲滅すると言うのだ、グズグズしていると第三軍団に手柄を取られるではないか!」

「ですが!」

「クドイィ! 全軍我に――」

「キサール卿、その命令を下せば軍規違反であなたを処罰しますゾ!」


 ベルベイトの声にその先の言葉が言えなかった、振り向くとベルベイトとアスバードの二人がその場に立っていた。


「その場で待機だ、キサール卿」

「待機だと、見ろ! 敵の門が開いているのだぞ、この好機を前にして何とする」

「お主が好機に見えるのは実戦における経験が少ないからだ、あれは我等の誘う、罠だ」


 アスバードは城壁上に剣を咥えている黒い鷲の軍旗広がる、その瞬間に閧が上がる。


「見ろ、アスバード卿。外壁は落ちた、後は内壁だけだ、なのに何を恐れている、それでも総指揮官か!」

「お言葉に慎みをキサール卿、アスバード将軍は総指揮官ですぞ!」


 ベルベイトはアスバードの前に出て言う。


 それが気に入らなかったかそれともベルベイト自信を気に入らなかったのか、軽蔑するかのような眼差しで、ベルベイトとアスバードの二人を見る。


「好機を前にして何も動かなかった、これこそ軍規、いや、皇帝陛下への反逆ではないのか、アスバードよ!」


 敬称や職名すら付けずにまるで上の者が下の物に言うかのような口調でアスバードに言う。


「貴様の与えられた命令には何なのだ! アスバードよ、皇帝陛下よりこの地を手中に治める事だろう、それを背く行為は陛下の反逆以外に何ともないぞ!」

「キサール卿、今の言葉は、陛下の名を借りた越権行為、統帥権干犯ですぞ!」

「なれば騎士諸君に訊こう! 我とアスバード、どちらが陛下の偉業の懸け橋になるか考えよ! 今動けば武功の名は我等の物、動かなかった者は冷静な判断を失った愚将に従った愚か者と罵られるだろう、我等、陛下に忠臣である我らが愚か者と罵られて良いのか!」


 どよめきが兵士達の中を駆け巡る、ベルベイトはマズいと思った、兵士、特に騎士諸侯は陛下への忠誠と名誉を重んじる

 キサールは騎士諸侯が重んじるところを突いて来たのだ、これでは同調する者が現れる可能性がある。


「言いたいことはそれだけか」


 アスバードの威圧的な声で兵士の視線が一斉に彼の方に向く、いや、向けさせられたと言うような言い方が正しいのかもしれない。

 たいしたことを言っていないのに聞かざるを得ない様な、そう感じる声だ。


「キサール卿、貴君は陛下の名を出したからにはそれ相応なりの覚悟が在るのだな」


 キサール卿は彼の声に押さるかのように半歩下がるが直ぐに睨み付けるような眼でアスバードに自身の籠った声で言う。


「無論だ、その覚悟無くして陛下の名は出さん!」

「ならば後ろを見よ、貴官の眼には何が映っているか言って見ろ!」


 アスバードがハマール城の方に指を差す、キサールは振り向き目に入った光景を見て目を丸くする。

 巨大な火柱が城内から何本も燃え上っていたのだ。

 ハマール城は業火に焼かれている、ガスダント帝国の軍旗が燃え千切り灰となって消えて行く。


「これが奴の策だ、全軍で乗り込んでいたら、今頃我らの肉体はあの業火に焼き尽くされていただろうな」

「な、なんなんだ、あれは……」

「外縁部が不自然に密集した木造家屋が多かったのか頷ける、あの家々は最初から焼き払うために、建てのだな」


 アスバードは夕焼けの様な色を出すハマール城を見ながらそう呟いた。



ハマール城・外縁部



 最初に門が開いているのに気付いたのは第三軍団の最前列の兵士だった。

 その報告を受けた第三軍団団長アフメイド・ムハンド将軍は好機と捉えた。

 アスバードを出し抜けると、彼は総指揮官であるアスバードが好きではなかった。

 アフメイドは、姓は違うがガスダント帝国の皇族である、それなのになぜ自分が平民の指示に従わなければならない、平民は皇族に従うモノだろう。

 しかし、皇帝はアスバードを重宝し絶対の信頼を置いていた。

 パティール王国への侵攻の際も、本来は国外遠征の指揮官は皇族が務めると言う不文律の慣例があるが、その前例を無視してアスバードに全軍の総指揮官に任命したのだ。

 任命された際、陛下に口ごたえしたのにも関わらずにだ。

 だからこそだ、アフメイドはこれで落城の功績を手に入れようと思った。

 この功績を元に皇帝陛下に直に言うつもりだ、この男は無能であると、直ぐに全軍に突入を合図する。


「我に続け!」


 アフメイドを先頭に第三軍団全軍は城内に突入する。

 門扉を潜り抜けるとアフメイドは城壁に昇り開閉室を制圧するように指示する、他の軍団を入れるためだ、流石に五千の兵では内壁までは落とせない。

 アフメイドはそのまま城下内を疾走して開けた場所を探す、内壁を攻撃する為の橋頭保を確保するためだ。

 だがしかし、見当たらない、それどころか内側に向かえば向かう程、道幅が狭くなり、隣家それ程のゆとりが無い

 まるで箱に衣服を詰め込んだかのような建ち並びだ。


「クソッ! 他の隊はどうした、誰か状況報告を!」


 傍に居た兵士が応える。


「ハッ! 我が軍団は既にバラバラに散っております、建物が密集し過ぎているので道に迷ったのでしょう、他の後続隊は、第四軍団と第二軍団が開いている北門から次々と侵入しております、外壁は既に我らの手に」

「何故、他の隊も北門から入って来る?」

「どうやら開閉室の制圧に時間が掛かっているのでしょう、今しばらくお待ちよ!」と副官が応える。

「報告ッ!」


 伝令の兵士が慌てた様子でこちらに駆け寄って来る、馬から降り立膝を付いて報告する。


「報告いたします! 開閉室を制圧しましたが、門が開きませんぬ!」

「何だとッ!」

「それから、第一軍団は静観の模様、さらに、第二軍団、第四軍団も半分の兵士しか動いておりません!」

「どういうことだ! 何故この様な好機を逃す――」


 その先の言葉は突然舞い上がった炎で言葉は掻き消される。

 どこともなく彼方此方から火の手が上がったのだ、引火した家が近い事もあり次々と家々に燃え移る。

 瞬きするような時間の間に炎はアフメイドの周辺へ襲い掛かる、炎は意志を持つかのように、この街を食い荒らした兵士達を飲み込んで行った。

 アフメイドその場で立ち尽くしていた、逃げようにも既に後ろも前も燃え盛る炎で行く手を阻んでいる、彼の前に有ったのは炎と絶望と死だけだった。

 アフメイドの体が炎に包まれる、焼かれる痛みは直ぐに消え、熱さも解らなくなり、急速にアフメイドの視界は暗黒の闇に包まれた。



 後続隊が入らないと確信したジルマは、兵士に門扉の閉鎖するように命令する、外壁の門扉の開閉室は内壁の壁上にあり、こちらで三方向の門の開閉制御を行っている。

 ジルマの合図で開いていた北門が開閉室のバルブと連動して北門が閉まりはじめる。

 北門の閉鎖を確認したジルマは、油の入った壺を持った兵士に一斉に合図を送り出す、合図と同時に油をどいに流し込む、樋を伝えって全ての家々の天井に油の雨を降らせ、その下に居たガスダント兵は下から落ちて来た粘り気のある液体を見て初めはわからなかったが、匂いを嗅いで、それが油だと知ると、恐怖したのだ。

 ただの雨樋あまどいだと思っていたモノが街中に繋がって流れている、しかも、それは油なのだ、もし、これに火が付いたらどうなるか、想像出来た兵士は顔面が蒼白となり、踵を返して門の方へ足を向ける、しかし、鉄城門は無情な音をたてながら閉まってしまったのだ。

 鉄の門扉を叩きながら「開けろと!」と兵士達の無情な叫びが響き渡る、それを耳にしながらも、ジルマは静かにゆっくりと表情を崩さずに挙げた右手を振り下ろした。

 樋の注ぎ口からまるで低き場所へと流れる水の如く、燃え盛る炎は流れて行く、油で濡れた家々に次々と引火し、間隔の狭い街並みである為、直ぐに燃え広がった。

 外壁は炎の海と化して、ガスダント兵の断末魔が響き渡った。


「フムン、もう少し葬れると思ったが、まあ良しとするか」


 内壁上で外壁の街並みが燃え盛る光景を目にしながらジルマは言った。


「作戦と言うのは全てが上手く行くとは限りません」と隣に立つロレンスが言う。


 カムイも城壁上でそれを見ていた、炎で体が焼かれもがき苦しむ兵士や、熱で動けなくなった兵士、目の前の光景が信じられないと呆然としているガスダント兵までいる。

 同じく城壁上で見ていた、外縁部の住民達も目の前の光景を見ている、彼らはどんな気持ちなのだろうか、今、先程のまで住んでいた家が焼かれると言うのは、悲しみ、絶望、怒り、色々な感情が彼らの中で溢れているだろう。

 だが、彼らの瞳には別の物を宿しているように見えた「後には引けない」と言う感情だ。


「カムイ…… カムイ?」


 ジルマの声でそちらの方へ視線を向けると、ジルマは驚いたような顔をしていた。


「どうかしましたか、旦那様?」

「お前さん、何と言う顔をしているんだ」


 カムイは気付いていなかったのだ、自分の顔が皆とは違って笑っていると言うことに、ジルマはそのことを言わず、静かに近寄らせて言う。


「カムイ、明日の朝には敵は攻撃を仕掛けて来る、それまでの兵士達に食わせる飯を作って置け」

「はい、わかりました旦那様」


 カムイはそう返事をして城壁から降りて行く、その背中を見ていたジルマは隣に立ったロレンスに言う。


「あ奴笑っていたな」

「はい、薄気味悪い笑顔でした、彼は記憶が無いと言っておりましたが、本当でしょうか」

「さあな、人の頭の中を覗けるわけではないから確かめようがない」

「ですが、わたしは時々思うのですが、彼の作る料理はこの世のモノとは思えません、どこか遠い世界の様な感じがします」

「ロレンス」

「はい、ジルマ様」

「その事だが、わし以外に喋るなよ」


 ロレンスは一瞬迷った顔をしたが、敬礼してその場を離れて行った。

 遠い世界の料理と訊いて、ふと、ある事を思い出した。

 まだ、王宮に居た頃に同じような遠き世界の言葉を喋る人間が居たことを、その者は余りにも異質だった、故に危険視され処刑された事を。

 あの者の名は何と言っただろうか、思い出せずにいた。



 外縁部の炎が鎮火したのは明け方だった、朝霧に包まれながらも微かに燃える残り火は炎の凄まじさを物語っていた。

 ジルマは衛兵や徴集兵を動員して残り火の鎮火と廃屋の撤去、死体処理をする様に命令した。。

 ロレは徴集兵を指揮しながら炭化した兵士の骸を一か所に集め砂を掛ける、城内で疫病が蔓延を防ぐためだ。

「吐きそうだぜ」とロレは愚痴をこぼしながら炭化したガスダント兵の足を持つが、ズルッと滑った音をたてながら皮と肉が裂け、骨がむき出しになる。

 本当に嫌になるとロレは心の中で呟く。

 その光景を見ていたのかユランが隣で嘔吐する。

 ロレはユランの背中を摩りながら「大丈夫か」と言う。


「ええ、まあ、しかし、酷い有様ですね」

「まったくだ」


 ロレはユランと共に死体を山積みにして砂を掛ける。


「例え死ぬにしても生きたまま焼かれて死にたくはないな」


 ロレは手を動かしながら言う、ユランも相槌を打つ。


「そうですね」と。


 昼頃になると粗方の処理が終わり、腹の虫が鳴りはじめる。

 家屋や鎮火作業していた者達は配給食が配っているテントに並び始める、しかし、ロレとユランは死体処理をしていたのでとても食欲がわかない。


「ユランお前、飯、食う食欲あるか?」と訊く。

「ある様に見えますか?」と返される。


 何かしら腹に入れないといざと言う時は力が出ない可能性がある、ロレとユランは配給食のテントに顔を出すと、そこにはカムイが居た。


「カムイの飯か、なら食えそうだな」


 カムイは笑顔で蒸し器の中から配給食を取り出し、スープを付けて渡す。

 スープの良い香りが無くなっていた食欲を掻き立てるが、それより気になったのは蒸し器から取り出したパンみたいなものだ。


「カムイ、これはベーグルパンか?」とロレは訊く。

「いえ、ベーグルに似ていると言えば似ていますが、これは『ウガリ』と言うモノです」

「ウガリ?」

「はい、パンとは違って小麦粉やライ麦粉ではなく、トウモロコシ粉で作ります、水加減によっては粥状にして食べたりもしますよ、作り方も簡単で誰でも作れます」

「誰でも、おれでも作れるか?」とユラン。

「ええ、レシピは簡単ですよ、まずは沸騰させた鍋にトウモロコシ粉を少しずつ加えながら混ぜ、ペースト状になったら火からおろして、食べたい形にして蒸すだけです、水加減次第で硬さも自由に出来ます」

「簡単だな、で、こっちのスープは?」

「人骨スープです」


 ロレは口に含んだスープを行き良いよくユランの顔にぶちまけた。


「汚ねェ! なんにしやがる!」


 むせるロレは謝りながらカムイを睨み付ける。

 カムイは笑いながら言う。


「冗談だ、雉や鴨の骨から取った鶏がらスープに細かく切った野菜を使ったスープだよ、ウガリに付ければ美味しいハズだ」

「本当だ、コクのある鳥スープがこのパンもどきとよく合う」

「相変わらず美味いな、お前の料理は」

「おれに出来るのはこれぐらいだからな」


 スープを盛りながらカムイはそう呟く、この日は両陣営、部隊編成で一日が過ぎようとしていた。



 アスバードの前に居るのは二人の将軍と一人の参謀だ、第二軍団団長ヤックハーラ将軍、第四軍団団長キサール将軍だ、第三軍団と第五軍団の団長は戦死した。

 参謀のベルベイトは重くなっている幕舎内でさらに暗くなるようなセリフを言う。


「では、先のキサール将軍の総指揮官への抗命の罪に付いて」


 キサールには総指揮官への命令不服従罪と抗命罪に問われていた、もし、その罪有りと判断されれば総指揮官命で略式裁判を行い、その場で采が下される。

 キサールの顔は既に青ざめていた、皇帝陛下の名まで持ち出して指揮権を剥奪しようとしたのだ、言い訳できるわけがない。

 キサールは体を小刻みに震わせながらも采を聴く。


「不問、以上です」


 一瞬何を言われたのかわからなかったが、直ぐに安堵すると同時にどうしてかと言う疑問が残る。

 その事を聞こうとして口を開こうとしたが、アスバードの言葉でそれを遮られる。


「二人も将軍を失ったのだ、これ以上、指揮官を失えば今後の作戦に差し支える」

「左様です」


 ベルベイトが肯定する。


「我々の目標はパティール王国北部の穀倉地帯を手中に治める事、その為にも、北部中心地であり守りの要であるこのハマール城を落す事です、ここが落ちれば北部一帯の小貴族は全てこちらに靡くでしょう、ですが、昨晩の戦闘で我らは一万二千の兵を失い、攻城兵器作成の為の木材は殆ど失いました、付け加え我々の最大の難題は食糧です」


 ガスダント帝国の目的は北部の制圧し穀倉地帯を手に入れる事である、しかし、北部一帯を占領するに万を超える兵力と、その兵士達を支える食糧が必要不可欠だった。

 だが、元々食糧を手に入れるための戦いである為に、用意された兵糧だけでは全軍を賄えるものではなかった、途中に点在していた村などに立ち寄り略奪しながらここまで来たが、既に食糧の底が見え始めていた。


「現在、北部一帯は雪の時季です、南部からの敵の増援は雪解けが始まる春の月まで来ることは無いでしょうが、その頃には我々の食糧が先に尽きます」


 この戦いは短期決戦だった、雪解けにより南部からの援軍が来たらこちらでは対処しきれない。


「今回の侵攻に合わせてラバール神国がパティールとの国境に兵を集結させて、陽動する手はずになっているが、それもどこまで信用できるかわかりません、もし仮にこの戦いが長引けば、最悪の場合は本国が我らを見捨てる可能性があります」


 ベルベイトの説明が一区切り付いた間合いを見計らって口を開いた。


「その為に、指揮官をこれ以上失うことは得策ではないと考えた」


 アスバードはキサールを見て言う。


「キサール卿、次は無いと思え」


 苦汁を舐めた顔をしてキサールは静かに「わかりました」と言った。

 アスバードはベルベイトに視線で話を続けるように促す。


「では、部隊再編の概要を説明します、陣形は今まで通りに、各門を五千ずつ配置、本軍を一万として、後方予備隊に三千を置きます」

「第三軍団の指揮官は誰が取るのだ?」とキサールが言う。

「第三軍団の指揮はベルベイトに臨時の団長をしてもらう、後方予備隊は本軍と合わせてわたしが指揮する」


 アスバードは文句でもあるのかと言っているような眼でキサールを睨み付ける、睨み付けられた彼は視線を逸らした。


「攻撃開始は明日の明け方、各隊、それまで休息を取る様に! 以上解散」


 皆が幕舎を出て行く中ベルベイトとアスバードだけが残る、しばらくの沈黙の後先に口を開いたのはアスバードだった。


「何か言いたげそうだったな、ベルベイト参謀」

「はっきり申し上げますが、何故助命を、正直言って命令違反をしてのですから見せしめの為に罰するべきでした、流石に極刑とは言いませんが、せめて鞭打ちの刑に処するのが妥当かと」

「言った通りだ、今は指揮官をこれ以上失う訳にはいかん、敵はハマール城だけではない、我々の最大の敵は時間だ、雪解けの季節まで一ヵ月を切っている、雪が解ければ他の領地から援軍が来て、南部の本軍が来る、一万の兵を失った我々にはそれだけの援軍を退かせることはできないだろう、それに、ハマール城を押さえるまでにどれだけの兵が失われるかわからんからな」

「敵は相当数の戦略家です、明日の城攻めも一筋縄ではいかないでしょう」

「ああ、だが、我々は負けるわけには行かん、飢えに苦しむ民を救うための戦だ、我々が負ければ、数百万近い民が飢えで死ぬ、それだけは何としても阻止する」


 アスバードはベルベイトが入れたばかりの紅茶を飲む。


「明日は頼んだぞ、参謀」


 ティーカップを置きベルベイトの眼を見て言う、ベルベイトもアスバードに向けて背筋を伸ばした敬礼をした。



 会議室には各中隊長が集まり、作戦が練られていた。


「では、予定通り、北門守備隊隊長はロレンス衛兵長が、東門守備隊はガッド中隊長、西門守備隊長はドラン中隊長が務める」


 各中隊長が返事をする。


「各守備隊には千ずつの兵を預ける、内訳は衛兵三百に徴集兵七百、その各門の後方に予備隊に二百を置く、そして残り千四百を本軍として内縁部配置とする」

「キツイ戦いに成りそうだ」とロレンスが言う。

「兵の運用は各隊に任せる、良いか、明日には敵は攻撃を仕掛けて来る、明日の緒戦こそ、今後の戦いに大きく左右すると思え」


 各中隊長が敬礼して、その場は解散となった。

 残ったジルマの元にカムイが料理を持ってやって来る。


「今日の飯は?」

「ロールキャベツのミルク煮です」


 白いソースの真ん中にキャベツが入った皿が静かに置かれた。

 キャベツを切ると中から滝の様に肉汁が溢れ出す、その肉汁と共に白いソースと共に絡め、口の中に入れる。

 ミルクの濃厚さと甘みがキャベツと肉の甘みを引き出している、噛めば噛むほど、肉汁が口の中で溢れ出す。


「良い味だな、体に染みわたる」

「牛乳―― 牛の乳にはカルシウムと言う成分が含まれています、カルシウムは興奮作用を抑える効果があるので、丁度良いかと」

「お前さんが居ると、健康で過ごせそうだ」

「わたしの故郷には『薬食同源』と言う思想が有ります、普段から体に良い物を食べていれば、病知らず薬知らずで生きられると言う――」

「そうか」

「あの、何かあったのですが?」


 普段とは違い、何かを考えているような顔で居るジルマを心配した。

 ジルマはカムイの心情を察したのか静かに口を開く。


「わしはな、戦が好きではない、そのことに気付いた時、わしは剣を置いたのだ」


 カムイは静かに聴いた。


「戦が嫌いに気付いたのは、ある領地で起きた土一揆鎮圧の任務でのことだ、反乱の原因は横暴な領地運営で農民から高額な税を取りたてだ、冬ご使用の備蓄品まで税として持って行ったことにより多くの餓死使者を出し、それに怒りを覚えた農民たちは、鍬や鉈を持って領主の館を襲撃して占拠、それを知った周辺の農村や街まで巻き込み巨大な土一揆となった」


 ジルマはフォークを置き葡萄酒を一口飲み込んだ、空になったグラスを置き再び話を戻した。


「わしは、先王、父から領主の援軍要請に従い出兵したが、わしは乗り気ではなかった、どこからどう見ても悪いのはその領主だ、だが、国王の命、そしてわしは将軍であり騎士でもあった、国王に命に背く訳にはいかない、わしは戦った、戦力差にモノを言わせた戦いだった、彼らを最後の街に追い詰めたわしは、彼らに降伏を迫った『王族の名と名誉にかけて、自らの主張の為に粉骨砕身した諸君らを称え、助命する』と、だがな彼らはこう言ったのだ『我らは我らの主張と意地を後世に残す、我が魂、この地に朽ちようと、この国の歴史の中で永久となり生きる』そう言って、彼らは突撃して来たよ」


 立ち上がったジルマは窓の外を眺める、窓の外では兵士と徴集兵が慌ただしく動いている、その城壁の先には敵陣が在り、松明の明かりが輝いていた。


「カムイ、わしは剣を置いたよ、そしてまた、剣を取る時は民の為に取るとね、わしは民を護るためならどんな手段でも使うつもりだ、例え家を焼いた悪名を付けられようとな」


 カムイは静かに言った。


「それは心配いりません、区議長は承諾しましたし、外縁部の人達も納得しています」

「だが、負ければ全て水の泡だろうな」

「旦那様、わたしは、わたしを含めて皆、負けるとは思っておりませんよ、何せここには大陸中に名を轟かせた『剣聖』ジルマ・パティールが居ますから」

「『剣聖』か、ありがとう、最初の策の失敗で弱気になっていた、礼を言う」


 カムイは静かに皿を下げて部屋を後にした。

 ドアが閉まるとジルマは再び外を眺める、明日には敵は攻撃を仕掛けて来る、守城戦には策は余り通用しない、守りの戦いは各将の能力が試される。

 明日は正攻法の戦いに成る、ロレンスの言った通り厳しい戦いに成るだろうだが、負けない、負けるわけにはいかない、民の為に負けるつもりない。

 ジルマはそう心の中で誓いを立てた。




ハマール城:北門



 翌朝、日が昇り朝霧が晴れ始めた頃に兵士達の甲冑が擦れる音と足音が鳴り響き地面が揺れる。

 北門城壁上から眺めていたロレンスが思わず口を零す。


「三万近くは残っているな」と

「敵の一番手は弓隊でございます」

「相手にとって不足無し、こちらも始めるぞ!」



ガスダント帝国軍第四軍団・北門攻略隊



 キサールは敵の城壁まで目と鼻の先まで近づく、一昨日屈辱を晴らすべく敵の城壁を間近で見たかったからだ。

 城壁上には敵兵士が見える。

 初陣を華々しく飾るつもりが、命に危機にまで追い込んだ敵が目に入り、怒りの感情が込み上げて来る。

 キサールは剣を抜き大きく構えると振り下ろした「掛かれェ!」

 その声に合わせ副長が復唱する。


「掛かれェ! 弓隊前進!」

「「オッォオオ!」」と言う掛け声と同時に弓隊が前進する。


 弓を持った兵士、千が前進を開始する。

 一糸乱れない行進は、その兵の練度の高さを証明している。

 一歩、また一歩と近づく。



ハマール城:会議室



 ハマール城内は静けさに包まれていた、鳴り響く足音と足踏みで揺れ動く地面に揺られ装飾品が擦れる音のみが響いていた。

 ジルマは装飾された水色の甲冑を着込んでいた、年期が入っているのか所々傷が目立っていた、それでも普段、能天気な事を言っているジルマですら真剣な顔で居る。

 その隣には奥方であるユリリが一緒に居た、その二人の手は固く力強く互いの手を握っていた。



ハマール城:北門



 城壁から降りて来たロレンスは馬に跨ぎ兜を被る。


「ロレンス殿!」と心配そうな顔で見る衛兵と徴集兵。


 甲冑で身を護っている衛兵とは違い、徴集兵は皮鎧に兜代わりに鍋を被っていた。

 それら兵士を見渡し叫びながら指示を出す。


「弩を持った徴集兵は、騎馬隊と相組せよォ!」

「えッ! 騎士様と合馬するのですか?」

「そうだ! 早くせんか!」

「待てェ!」


 奥から騎馬隊が姿を現す、ハマール城の騎馬隊だ、戦力は二百人程度だが練度は高い、雪の中で行動できるように、雪原用の馬も持っている。

 彼らは騎士である為かプライドが高い、故に農民や商人達と合馬すると聞いて我慢が出来なかった。


「鍋を兜代わりにする徴集兵と合馬など出来るモノか! 我らは騎士ぞォ! 我らだけで敵を蹴散らしてくれる!」


 他の騎士が賛同の声を挙げた時だった、目にも留まらない速さで短槍が騎士の喉元皮一枚で停まった。


「今のでお前は死んだぞ、死んでは、敵は蹴散らせない、いいか、これはこの城の生き残りを掛けた戦い、騎士の誉れなど下らんモノはそこら辺の犬にでも食わせろ」


 彼は睨み付けながらも、槍を振り払い弩を持った徴集兵を乗せる。


「衛兵長! 敵弓隊前進を開始しました! 各門も同様の動きです!」

「合い解った」

「ロレンス殿はお乗せに成らんのか!」

「わたしか、わたしは初撃の的に成ろぞォ! 門を開けェイ!」

「門を開けろ!」


 合図と同時に門が開く、鉄の重々しい扉が音を経てて開き二百近い騎馬隊が単縦陣で飛び出す。

 それを見ていたキサールは打って出た騎馬隊に驚く、敵は籠城するとばかり思っていた彼にとっては計算外だった。

敵は二百騎程の騎馬隊だ、弓隊の一斉射で殲滅できる。

キサールは弓隊に構える様に指示する。

 隣に居た副官ガガバドが「キサール卿、敵は少数成れど騎馬隊、もう少し引き付けませ」と言う、そんなことはわかっている。

敵の騎馬隊は可なり近くまで接近してきている、距離としては十分だ。


「放てェ!」


 合図と共に千本の矢が騎馬隊に向かって飛んでいく、弧を描くように飛んだ矢はそのまま騎馬隊に襲い掛かる、ハズだった、だが敵は、放つ直前で左に大きく旋回してする、矢は一歩分届かず彼らの脇に虚しく落ちて行く。

「どうして届かないのだ! 副長!」

「距離が足りません、だから引き付けよと申したハズです!」


 そのまま騎馬隊は横一列に並び始める、その光景を見ていたキサールは横隊突撃でも掛けるのかと思った、しかし、ガガバドは違う判断をした。


「あれは騎馬弩隊です!」


 弩は機械仕掛けを利用して打ち出される武器で、通常の矢よりも飛距離が在り尚且つ太く硬い鉄の矢を打ち出すことが出来る、その威力は鉄で出来た甲冑すらも貫通する威力だ、それに装填に時間が掛かると言う点を除けば、一、二時間の訓練で撃てるようになる万能武器でもある。

 それが全ての騎兵の背中に居る。


「してやられた!」


 既に後の祭りだ、弩隊はロレンスの合図で敵に狙いを定める。


「外すな! しっかり狙いを付けろ! 放てェ!」


 空気を切り裂く音と同時に二百発の矢が飛び出す、弓と違った早く飛ぶ矢は前衛の弓隊を次々となぎ倒していく。

 一連射でガスダント帝国は二百人近い弓兵が失われた。



ハマール城:会議室



 会議室内に居たロレは外での音が大きくなったことで、戦が始まったと思った。

 この静かな部屋に流れる独特な重みは昔のことを思い出せさえる、まだ、故郷、ガスダント帝国の北部の山間部に小さな遊牧民族の国が有った、あの当時は隣国ガスダント帝国とは円満な関係だったが、国王の代替わりと同時に両国と間に険悪な関係となり、そして、戦になった。

 小さな小国が大国に敵うはずもなく、攻め滅ぼされた。

 あの時の感情は今でも忘れない、流れる血と恐怖と絶望は。

 でも、今回は違うここには主と崇める旦那様が居る、彼ならこの窮地を脱すことが出来る、旦那様を見ていると不思議とそんな感じがしてきてならなかった。

 と、そんな事を考えているとドアをノックする一人の衛兵が入って来る。


「領主様にご報告申し上げます、北門にてロレンス衛兵長指揮の守備隊、敵と会敵、交戦に入った模様、同じく東、西も敵と会敵、交戦中とのこと」

「合い解った、報告は小まめに頼む」

「ハッ!」


 彼が退室するとジルマはこちらを見ずに言う。


「ロレ、お前さんに二百の徴集兵預ける」

「はぁ?」

「万が一の場合はお前さんが援軍として迎え」

「えッ、おれも戦うんですか」

「当たり前だ、バカ者」


 ロレは苦笑いしか出来なかった。



ハマール城:東門



 ユランは一心不乱に弓に矢をつかえては放っていた。

 北門警備分隊であったユラン達は臨時編成でこの東門の守備に就いていた。

 同隊であるタック、ドシン、バッハも共に配備されていた。

 敵の攻撃は苛烈を極めていた、弓同士の打ち合いは数が少ないこちらが圧倒的に不利だった。

 既に五十人近くが負傷して後方へ下がっている、敵は弓での攻撃で安全を確保するまで梯子や破城槌により攻撃を行わないつもりだ。

 既に矢筒の中は空っぽに近い、補給に昇る徴集兵の若年兵から筒を渡されるが、その隣居た、ドシンが肩を射抜かれ倒れる。


「ドシン! 徴集兵! コイツを下がらせろ!」

「クソッ! 痛てえェ!」

「無理に抜くな、出血するぞ! 何をやっている早く下がらせて予備兵を上に上げろ!」

「その予備兵が居ません!」悲壮感を出した若年兵は言った。

「何だと⁉」


 ユランは下を覗くと負傷者が溢れかえり、呻き声が渦巻いていた。


「このままでは…… 落ちるぞ!」


 その考えは正しかった、ユランがその考えに行きついた時には既に敵も同じことを考えていたからである。

 この門は落とせると、第二軍団団長ヤックハーラ将軍は敵の攻撃が弱まったのを見逃さなかった。


「門に対して総攻撃を掛ける、破城槌隊、突撃用意! 弓隊、援護射撃! 重装歩兵と共に前進しながら攻撃せよ!」


 合図と共に先が尖った三本の丸太を束ねた簡易的な台車型櫓と共に兵士が歩兵の盾に守られながら前進する。

 門の前に付くと、掛け声と共に台車型の櫓に吊るされた三本の丸太から伸びる縄を引く、三本の丸太は、後方大きく引かれ、そのまま振り子の原理で、門を叩きはじめる。


「門を押さえろ! 動ける負傷者は全員門を押さえるんだ!」


 ガッド中隊長怒鳴り声が響く、負傷して横になっている兵士達が一斉に起き上り、門に向かう。


「弓隊は何をしている、破城槌に攻撃を集中せんか!」

「ダメです! 櫓の屋根に阻まれます!」

「ならば、油だ! 油と火を持って来い!」


 ガッドの怒鳴り声は敵陣に届いていた、ヤックハーラは鋭い目付きで指揮しているガッドを見ていた。


「バスランを呼べ」

「ここに」


 バスランと呼ばれた褐色肌の大男がヤックハーラの隣に立つ。

 異様に目立つその男は、異様に目立つ身体的特徴を持っていた、左右の腕の長さが違うのだ、左腕は右腕に比べ拳二個分長く右腕は左腕に比べて一回り太かった。

 そして何よりも異様に盛り上がった背中の筋肉だ、その体格と相まって威圧的な空気を出していた。


「あそこに居る、羽を付けた兜の男、狙えるか?」

「仰せの通りに!」


 バスランは手に持っていた、包みを外し取り出したのは普通の弓の倍以上の長さを誇る弓だ。


「長弓兵の力を見せろ、バスラン」


 長弓を引き絞る、盛り上がっていた背中の筋肉がさらに盛り上がる。

そしてスウッと指から離れた矢は静かに風を切り、ガッドの兜を貫き脳漿のうしょうを四方に撒き散らした。


「流石だ、バスラン」


 ヤックハーラは静かに言った。


 ガッド中隊長の頭が吹き飛ばされたことにより城壁上は一瞬静まり返る、まず何が起きたのか理解できるものが居なかった、しかし、唯一解ったことがある、それはこの守備の将を失ったと言う事だ。


「ちゅ、中隊長!」

「ガッド中隊長が! ガッド中隊長が死んだ」


 門を押さえている兵士すらも、絶望に顔が染まりそうになるが「狼狽えるな野郎共! まだ戦いは終わってないぞ!」と言う声で絶望に染まりそうだ皆の顔を掬い上げたのは北門警備隊分隊長のゲイリーだった。


「ゲイリー分隊長!」

「ユラン、貴様は弓隊を指揮しろ! 伝令兵、公宮に援軍を要請しろ! タック、閂を補強しろ!」

「「はい」」


 ゲイリーの素早い指示により崩れそうになった守備隊は再び息を吹き返す。

 外では敵将を討ったと言うのに中々崩れない事にヤックハーラは、違和感を覚えた。

 どうやら、他に指揮官がいるようだ、ヤックハーラはこの戦い、厳しくなると考えた。



ハマール城:会議室



 駆け込んできた衛兵はノックをするのも忘れてドアを活きよいよく開く。


「りょ、領主様にご報告申し上げます! 東門が劣勢! ガッド中隊長が討ち取られた模様」

「指揮は誰が取っておる」とジルマが言う。

「現在指揮はゲイリー北門警備隊分隊長が指揮を執っております、そのゲイリー殿から援軍要請です!」

「ロレ、行け」

「一言かよ、もう少し言葉ってもんが――」

「早く行かんとお前さん一人に行かせるぞ」

「ロレ行って参ります」


 ロレは敬礼して部屋を出る、帯剣したロレは兵が居る広場に向かう、その途中で厨房から顔を出したカムイと出くわした。


「行くのかロレ?」


 カムイが不思議そうな顔で言う。


「ああ、臨時の隊長としてな、まあ、それなりに頑張ってみるさ」

「武運を」


 カムイは握手を求める。


「やめようぜ、辛気臭い、それはこの戦いが終わってからにしよう、それより、お前さんに頼みがある」



ハマール城:東門



 ロレに任された兵士は徴集兵の集団でしかも兵士は老人と子供だ。

 子守じゃないんだぞ、これ、とロレは心の中で呟いた。

 東門は酷い有様だった、動けない者はその場で倒れて小さな子供たちが包帯を持って駆けずり回っている。

 雪で白いハズの地面が赤く染まっていた。

 門には衛兵と徴集兵、それから包帯を巻いた負傷兵が必死に門を押さえていた。


「ロレ! お前、何しにここに来た! ジルマ様の護衛はどうした!」


 馬上に乗ったゲイリーが近づいて来る、手には長い柄に斧が付けられた斧槍ハルバードと呼ばれる武器だ、先端が重いため扱い難い武器だが多種多彩な攻撃が出来る利点がある。


「お前さんこそ、もう、肩の傷はいいのか、そんな武器扱うと、また古傷が痛むんじゃないのか」

「フン、貴様の心配など要らん、おれがジルマ様に求めたのは援軍だ、小間使いなど頼んでなぞ」

「そのジルマ様からの援軍なんだよ、おれ達は!」

「何だと!」


 と、その時だ「ダメだ! 門が破られるぞ!」と言う声が聞こえたのと、同時に鉄城門が破壊され、兵士が雪崩れ込んでくる。


「開門開門! 開門ォオオ! この門を開門したのは我らヤッサン騎士団、団長ヤッサン、この栄誉は我が騎士団の誉れ! 残敵を掃討して仲を引き入れろ!」

「人の家の門をブっ壊して入って来る礼儀知らずはお前かァアア!」


 一騎の騎馬が勇猛果敢に突撃、先頭に居た敵騎士ヤッサンの胴を貫きそのまま引き摺りながら門の外へ飛び出す、斧槍に貫かれたヤッサンの体は地面から離れ高々と掲げられる、掲げたのはゲイリーだ。

 まだ息のあるヤッサンは槍先でもがくがゲイリーが活き良いよく振りぬくとヤッサンの体は宙に舞い、ヤックハーラの目の前に落ちる。

 ヤッサンの血が飛び散り、ヤックハーラの顔に掛かった。


「元国王護衛騎士団騎士! ゲイリー・ホットマンが相手だ、死にたい奴から前に出ろヤァ!」


 それを見ていたユランもロレも声を失った。

 いつもは温厚な人が戦場に出ると人格は変わる物だろうか、いや、変わり過ぎだ。


「おい、ユランくんや、あれさ、本当にゲイリーか?」

「ロレさんや、わたしにはわからんよ」


 そんな会話をしていた。



ハマール城:北門



 北門では未だに激しい乱戦が続いていた。

 初撃の弩隊の攻撃で完全に浮足になったガスダント兵は続いた騎馬隊の突撃に完全に陣形を崩されたのだ。

 既に防御の陣形も無く、その場で各々が個別に戦っている状態となった。

 キサールは既に指揮も執ることが出来ずに呆然と見ているだけだった。

 その隣でガガバドが声を挙げる。

「あの、短槍の使い手、あれは剣聖、ジルマ・パティールの腹心、四剣士と呼ばれた『短槍使いのロレンス』ではないか」

「そんな事はどうでもよい、それより副長、陣形を戻さんか!」

「……御免!」

 ガガバドはキサールを残して単身、乱戦の中に飛び込む。

 乱戦の中を抜け、ロレンスの目の前で停まり声を荒げる。


「短槍使いのロレンス殿と見受けられた! 我はガスダント帝国陸軍南軍所属、第四軍団副長、アッサーラ領の領主が長子、騎士ガガバド・アッサーラ! 騎士道従い貴殿に一騎打ち(ジョスト)を申し込む! お受けられよ!」


 向けられた穂先はロレンスに向いていた。

 どよめきが起き、直ぐに二人を中心とした円形が組まれる。


「懐かし名だ」とロレンスは呟きく。


 馬を相手の方へ向け、短槍を構える。

 そして左方向へ回りはじめる、騎士道の一騎打ちの儀式が始まった。


「一騎打ち(ジョスト)の申し込みお受けいたす! 騎士道従い主神アキレンの名に置いて、ロレンス・ホーキンズは正々堂々と戦うことを誓う!」

「主神アキレンの名に置いて、ガガバド・アッサーラも正々堂々と戦うこと誓う!」


 両者は互いの敵陣に背を向けた所で停まる。

 そして――


「「いざ、勝負!」」


 互いの騎馬が互いの槍をかざして疾走する、囲っている兵達は短槍であるロレンスより長槍を持つガガバド方が有利に見えたが、互いの穂先が交差する瞬間、ロレンスの槍はガガバドではなく馬の額を貫いたのだ。

 ガガバドは急激に足場を失い、地面に投げ出され叩き付けられる、瞬時に起き上るが既に目の前に折り返して来たロレンスの槍が目の前に迫っていた。

 ガガバドは死を覚悟して目を瞑る、悔いは無かった、最後に良い勝負が出来た満足だ、しかし、一向に痛みが襲ってこない、死ぬ時は痛みが無いのかと思い目を開けると穂先が目の前で止まっていた。


「勝負は我の勝ちぞ、騎士道に従い降伏されたし」

「敵に情けを掛けるのか」

「貴君を殺すのは惜しい度胸もイイ、だから殺さない、騎士として貴君の身柄を拘束し身代金を要求する」

「フムン、小貴族のわたしに身代金を期待するなよ」

「フム、この勝負、アッサーラの領主の長子、騎士ガガバド・アッサーラの降伏を持ってハマール城衛兵長ロレンス・ホーキンズの勝ちとする! 勝鬨三唱!」

「オオッー! オオッー! オオッー!」


 敵の勝鬨を聞きガスダント兵の士気は更に下がり次第に後退を始める


「コイツを、連れて行け! 何をしている! 騎馬隊突撃だ! 敵は既に烏合の衆ぞ!」


 騎馬隊が再度整列、その後ろから徴集兵の弩隊が構える。


「放てェ!」


 弩隊一斉射撃で天高く舞い上がった矢は敵陣に降り注ぎ、隊列が崩れた所に騎馬隊が再度突撃した。



ハマール城:東門



 ガスダント兵は目の前のバケモノに委縮していた、既に二百人近い兵が無残で非業の死を遂げていた。

 対峙する兵達は「このバケモノをどうやって止めろと言うのだ」と心の中で泣き叫んでいた。

 ゲイリーが横一閃に振りぬくと血飛沫が舞、十数人の兵士達の上半身と下半身に泣き別れる。


「どうしたァ! 来いヤァオラァアア!」


 叫び声は更に兵士達を委縮させる。

 ヤックハーラはその光景を後方の馬上から眺めていた。


「バスラン、あ奴を狙え、あ奴を討てればこの門は落ちる」

「仰せのままに」


 バスランは再び弓を引き絞る、今度はゲイリーの命を狙う為だ。

 向こうは前衛の歩兵に注意が向いている、こちらに気付いていないようだ、ならば簡単に狙える。

 バスランの指から離れた矢はゲイリーの額を目掛け跳んでくる、額を貫いて脳が地面に撒き散らされる、ハズだった、だが矢は寸前の所で首を捻って矢はゲイリーのコメカミを掠っていた。

 バスランは一瞬驚くが直ぐに第二射の矢をつがえ引き絞る。


「偶然は二度も起きないぞ!」


 放たれた矢は被弾面積が大きい胴を狙う、一撃で仕留める確率は低いがあの長物を振り回しながら周囲の敵と対峙しているのだ、矢を防ぐ動作は出来るハズがない、だが予想に反して彼は寸前の所で矢は柄で受け流される、そして何事も無かったように周囲に切り掛かっていった。

 バスランは間違いないと思った、奴はこちらに気付いて対処している、でなければおれが二度も外すわけがない。

 ならばと、矢を二本つかえ引き絞る。


「二本同時ならどうだ!」


 矢を放とうとした瞬間だった。


「さっきから邪魔なんだよ! そこの弓兵ェ!」


 咄嗟に拾った敵の槍をゲイリーは力を込めて投擲する。

 まるで弩で撃ち出された矢の如く風を切って飛翔した槍はバスランの顔面を粉砕した。


「目の前の敵に集中で出来ねえだろが! オラァアアア! 来いや!」


 ゲイリーの雄叫びは東門全体に響いた。

 と、同時にラッパの音が鳴り響く。


「後退しろ! 後退だ!」


 後衛の兵士が前衛の兵士を下がらせる。


「何だ! もうお終いか! ガスダント兵は相変わらず歯ごたえが無いな!」


 敵陣を前にして高笑いするゲイリー、その姿を後方から見ていたユランとタック、そしてロレは呆気に取られていた。


「まるで、野獣だな」とユラン。

「いつもの隊長じゃない様な」とタック


 二人は苦笑いをしている。

 ふと、ロレは空から何かが飛んでいるのが見えた、矢にしてはやたらと大きい気がする。


「おい、あれは何だ?」


 ロレは目を凝らして見る、そして目を丸くした。

 飛んでいるのは先が尖った細身の丸太だった。

 それがゲイリーの目の前に次々と落ちて来る。


「バ、バリスタ(床弩)だ!」


 今度は紙一重に丸太が落ち、その反動と衝撃でゲイリーが後方に吹き飛ばされる。

 ヤックハーラはバスランを失ったことにより、作戦を変更して攻城兵器を対人兵器として使用したのだ。

 昨晩焼かれた資材から作った即席バリスタだが、数が五つしかなく、攻城兵器としては威力不足であった。

 使えない物を眠らせるのは勿体ないと、ヤックハーラはゲイリー対して使用することにしたのだ。

 細身の丸太が次々とゲイリーに襲い掛かる。

 それと合わせて重装歩兵の盾隊が少しずつ歩み寄り、間合いを詰めて来る。

 威勢の良かったゲイリーは次第に余裕を無くしていった。



ハマール城:西門



 ベルベイトの指揮する第三軍団は、風と言う最大の敵に攻撃が阻まれていた。

 向かい風の性で矢の飛距離が伸びず、逆に敵は飛距離を伸ばしていた。

 この軍団に渡された梯子はそれ程多くはない、梯子の損失はそのまま城攻めの攻撃力を削がれることに成る。

 故に慎重に攻める。

 盾隊と弓隊を組ませ、敵の攻撃の間を縫って接近して矢を放つと言う消極的な戦闘しか出来なかった。


「参謀、もう少し攻勢に出た方が良いのでは?」


 副長が進言するが、ベルベイトは無表情で答える。


「今はこれでいい、攻勢に出ているキサール卿とヤックハーラ卿の部隊が苦戦している、ここも下手に攻勢に出て、敵の策略に捕まる危険を冒す必要性は無い」


 そう言いつつベルベイトは一昨日の朝、アスバードが言っていたことを思い出す。

 もしこれが、あの剣聖、ジルマ・パティールの策略だとすると、相当厄介だ、正攻法ではこの城は落とせない。

 ベルベイトそう確信し、部下にある指示をした。



ハマール城:北門



 短槍の素早い突きはまるで穂先が何千本にも有るかの様に見えた。

 次々と敵兵の首が宙に舞い、血飛沫が撒き散らされる。

 一騎打ち(ジョスト)の後、彼に挑む者は皆無だった、ロレンスが近づけは、敵は武器を捨て一目散に逃げだす、指揮を執るキサール「逃げるな! 戦えェ!」と叫ぶが誰も聞く耳はもたない。

 ロレンスは馬を返して北門に馬を戻し、門前で見ていた兵士達に向かって呼びかける。


「どうした各々方! 敵は逃げ腰ぞ! 今こそ武功を挙げる時! 衛兵は敵を討ち取り自らの武功の誉れとせヨォ! 徴集兵! 騎士は金ぞォ! 目の前に金が彼方此方に落ちている! 拾ったモノは勝ち! 金が欲しければ敵兵を捉えろ!」


 今まで静観していた衛兵達の眼の色が変わる、小さな地方領主の衛兵では一生、武功に出くわすことは無いそう思っていた彼らにとって、目の前には武功の山が転がっている。

 そう思うと騎士として血が騒いだ。


「ヨッシャァアアア! 行くぞヤ――」


 やる気に満ち溢れていた衛兵達を押しのけて、彼らよりやる気に満ちた連中が前に出た。

 徴集兵だ、衛兵達を押しのけて駆け足で、戦場に出る。

 しかも持っている武器は錆びついた剣や槍、それすら持っていない者は鉈や鍬、さらに木の棒に包丁を結ぶ付けた即席槍などを持っていた。


「金だ! 金! 一人でも多く捉えろ!」


 区議長を先頭に外縁部と内縁部の人達が一斉に敵兵に襲い掛かったのだ、その形相は金に取り付かれた亡者その者だった。

 彼らは足や手を切りつけて怯んだ所を数人がかりで伸し掛かり、押さえつけて甲冑を剥ぎ取り、そのまま拘束して城に連れて行った。

 その所業はまるで盗賊だった、いや、盗賊より質が悪い。

 矢を打っても、切られても伸し掛かれたら最後、一人に対して何十人も襲い掛かって来るのだ。


「なんだ、これは、これでは乱取りではないか」


 キサールは部下が次々と民兵に倒され拘束され連れ去られる姿をただ茫然と見ていた。


「これはうかうかしれられないな、者共! 徴集兵に後れを取るな! 一気に敵陣を切り崩せ!」


 声を荒げながら衛兵達も一斉に切りかかる、既に戦いは一方的な展開をしていた。



ハマール城:東門



 ロレンス指揮する北門の守備隊が攻勢に出る中で、東門は緒戦に比べて勢いが落ちていた。

 攻城兵器を一人の騎士に対して惜しげもなく使う戦術は、東門守備隊の戦いの柱となっているゲイリーを追い詰めつつあったからだ。

 目の前には厚手の盾と弓隊、その後ろにはバリスタ(床弩)が待ち構えている。

 一歩前に出れば弓隊とバリスタ一斉射撃を食らう。


「分隊長! 退いてください!」ユランが身を乗り出して言うがゲイリーの怒りが籠った眼を見て引いてしまう。

 代わりに身を乗り出したのはロレだった。


「ゲイリー! 無茶をするな! 一旦引け!」


 ロレが壁上から大声で呼びかけるが「うるせぇエエ! 黙ってろ!」と一点張りだ。


「このままじゃあ、ジリ貧だ! 退けって! おれが何とかするって!」

「お前に何ができるってんだ!」

「イイから城に戻れって!」


 敵のバリスタ一斉射がゲイリーの目の前に落ちる、雪と共に巻き上げられた土が雨の様に降り注ぐ。

 それに合わせるかの様に盾隊が少しずつゆっくりと間合いを詰めて行く。


「クソォッ! ロレ、お前に任せるぞ! コイツ等を何とかしなかったらお前の恥ずかしい話を街中にバラ撒くからな!」

「何だと! テメェ!」

「任せたから!」


 ゲイリーは踵を返して駆け足で城に戻る。


「好機だ! 敵の門は半壊している、押し込めば開くハズだ! 全軍突撃! 外壁内を落せ!」


 ヤックハーラの軍配が振り下ろされラッパの音が鳴り響く、全軍が声を挙げ門へ向かって一直線に走り出す。

 ガスダント兵が半壊した門に体当たりしようとした瞬間だった。


「今だ! 門を開けろ!」


 ロレの合図で東門の門が軋む音を立てながら開きはじめる、体重を乗せて体当たりしようとしていた前方の兵は地面に引っ張られるかのように前のめに倒れる、その後ろに続くガスダントは倒れた兵士に足を取られその場で倒れ込んだ。


「徴集兵! 網を投げ入れろ!」


 壁上から投げ入れられたのは漁などで使われる延縄だ、それが立ち上がろうとしたガスダント兵に投げ入れる。

 網が体中に絡みつく。

 動けば動く程、もがけばもがく程、網はより複雑に絡まっていく、そして、壁上から何かの液体が掛けられる、ヌメッとした独特な肌触り。


「こ、これは、まさか」


 理解した兵士は昨晩の出来事を思い出した兵士は、全身の血の気が引いて行くのを感じた。

 既に壁上では火矢を構えたユラン達が構えていた。


「放てェ!」


 放たれた矢は吸い込まれるかのようにガスダント兵に命中し、炎が燃え広がり大量に掛けられた油はすぐさま延焼して門から火柱が上がる。

 燃え下がる火柱はガスダント兵の士気を落すのには十分だった。

 目の前に映る光景は、一万人の同胞を焼き殺した炎を連想させたからだ。

 門からは先ほどの突入した兵士達が炎に焼かれもがき苦しみ、断末魔を挙げながら出て来る。


「してやられたな、まさか、こんな方法で我が軍団の指揮を落すとは」

「ヤックハーラ将軍、敵から矢文が!」


 ヤックハーラは渡された矢文を開く、それ程綺麗ではないが洗練された文章だった。


『我が領地を攻める者達よ、

汝らの正義の無き戦いは女神の怒りに触れるだろう、

正義の炎でその身を焼かれる前に、

元来た道を舞い戻られるがよい、

それでも、戻らなないのならば、

この地はそなた達の骸と血で染まるだろう


ジルマ・パティールの従者 ロレ』


 ヤックハーラは壁上を見る、他の敵兵と明らかに顔つきが違う男が居た、ふと、向こうもこちらに気付いたのか、ドヤ顔でこちらを見ている、その顔は勝ち誇ったような面だった。


「一日目は我等の負けか、全軍退却だ! 退却の笛を鳴らせ!」


 ドヤ顔の音を押しのけ先ほどの暴れていた兵士が壁上の胸壁の上に立つ。


「どうした! 退却するか! ならば覚えて置け、この城の主の名は『剣聖』と呼ばれた伝説の将軍、ジルマ・パティール公爵! そして、東門守備隊臨時中隊長、このゲイリー様をなァ!」


 戦場全体に響くかと思えるほどの大声だった、ヤックハーラ高笑いをしながら返答した。


「合い解った! 剣聖の名と、そなたの名と剣聖の従者であり策士であるロレともども、我が軍の記録に残しておこうぞ!」


 ヤックハーラは馬を返して退却を始める。

 ゲイリーは納得しないと言うような眼を向けるがロレはその視線を見なかったことにした。



 各門の退却は東門から始まり、西、そして、最後に北の軍団が退却してこの日の戦闘は終了した。

 ハマール城の損害は、約二百名が戦死、五百人近くの負傷者を出し、東門半壊と言う損害を被ったが、ガスダント側も、千七百名戦死、二千二百名の負傷者と七百名の捕虜を出すと言う大損害を被った。


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[一言] 戦の描写は「のぼうの城」を真似てるのですか?
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