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三話:籠城戦と戦飯 前編

ハマール領周辺図


挿絵(By みてみん)


 パティール王国の東西を横断する大河が有る、ドット大河である。

 いにしえの時代、創造神である男神ロと女神ラがこの地の人々を襲い喰らう邪神である、大蛇、ドットの討伐に乗り出した、ロとラは三日にも及ぶ戦いの末、ドットの首を跳ね見事邪神を退治したのである。

 跳んだ首は大陸中央部に在るビスタ山とポワル山の間に落ち流れる血は巨大な大河となった。


「であるからして、この大河ドットは邪神の血で出来ていると言われ、別名が『血の川』と呼ばれているのであります」


 まだ年若い司祭は読んでいた聖書を閉じる。


「だから、明日の鎮魂際はとても重要な行事です、これを怠ると再び邪神が目覚める可能性がありますよ」


 司祭は集まった子供に怖がらせようと司祭なりに頑張って怖い顔を作っているのだろうか、さして怖くない、むしろ面白い。

 ベルは、顔を真っ赤にして笑い出す、それを皮切りにそこに集まっていた子供達まで一斉に笑い出す。

 ベルが住む、キサラギ村はハマール領の北部にある村だ、近くにはドット大河が流れている。

 主にトウモロコシを作っているが今は収穫が終わり農閑期である為、この辺一帯の子供達は教会に集まることが多い、ベルもその一人である。

 別に信仰がどうだのは、どうでもよく、この司祭の話が好きなだけだ。


「ゴホンッ、で、有るからにして、今回の鎮魂際の『舞の巫女』としてこの村からはベルが選ばれたわけだ、明日にはハマール城に向かうが抜かりはないな、ベル」


 鎮魂際、討伐をされた際、怪我をした男神ロを癒すべく、女神ラが神の国よりあらゆる傷を癒す神牛を使わせ、その尿から取れた薬で癒したとされている。

 しかし、男神ロは薬の中身を聞くや否や今まで共にして来た女神ラを斬り捨てたのである。

 斬られた女神ロの血は、血の大河となったドットに流れ、交じり、透き通るような聖水となった。

 以降、この地域には邪神のお祓いと女神ラの供養の為に鎮魂際は行われるようになった、昔は生贄として若い村娘が川に投げ捨てられたと言われているが、何代か前の国王がそれを廃止して、生贄の代わりに舞を躍らせたと言われている。

 今回その『舞の巫女』に選ばれたベルは意気揚々だった。


(これで、都会に行ける)と。


 ベルは生まれてこの方村から出たことが無かった、村に訪れる商人や巡礼者などから聞かされる話は、人が多く集まり、色々な服や工芸品、美味しい食べ物が並ぶ市、などを耳にしてまだ見る都会に憧れていた。

 舞の巫女は大変な仕事だけど都会に行けるのなら、頑張れる。


「ベル、くれぐれも領主様に粗相の無いようにな」

「はい、わかっております、司祭様」


 ベルは返事をする。

 家に帰ると母、ベルカが衣装を作っていた所だった。

 ベルカに「ただいまと言う」と言うと笑顔で「お帰り」と言う。


「ベル、明日にはハマールに向かうんだぞ、今までどこで何をしていたんだ」と父カスカが言う。

「司祭様のところ、明日の事で訓示を受けてたのよ」

「でも、ベル、遅くなるなら先に言いなさい」とベルカが編みながら言う。

「はーい、ねえ、お母さん衣装どう?」

「待っていて、もうすぐ完成よ」

「やったァ!」


 ベルは持っていたカバンを投げ母に抱き付く。


「ありがとうお母さん、大好き!」

「これこれ、お母さんの邪魔をするなよ、ベル」

「うん!」


 日が沈み、辺り一面が暗くなる。

 夕食はベルが作ることになっていた、薄く切ったライ麦パンとレイス(この世界のレタス)と干し肉を挟んだ、今、都会で人気の一品と言われるサンドイッチだ。


「お待たせ」


 家族三人が顔を合わし、食事の祈りを捧げる。

 祈りを捧げおわると一斉に手を付ける、都会では人気らしいが、固いパンに硬い干し肉は噛みづらくして仕方なかった。


「これが都会で人気なのか?」とカスカが言う。

「うん、この前、司祭様がハマールで食べたって言ってたから聞き真似で作ったんだけどあまりうまくないね」

「そうね、全体的に硬いわ」

「何だが、がっかりね」とベルが頬を膨らませて言う。

「まあ、本場ではそれなりの食べ方が在るのだろうな、明日を楽しみにしなさい、お父さんが美味いモノをたらふく食わせてやる」

「はーい!」


 ベルはもう一口、口に運ぶが、ふと、窓の外に光が見えた。


「ねえ、今日って見回りって有ったけ」とベルは言う。


 カスカは首を捻り「嫌、無いハズだが」と言った。


「でも、確かに向こうに松明の光が見えたよ!」


 カスカはベルが差す指の方に目をやる、しかし、誰も居ない。


「気のせいだろう、誰も居ない」

「ううん、誰か居たって! お父さん見て来てよ! 泥棒だったどうするの! わたしの衣装、盗まれちゃうよ!」

「ハハッ! 衣装を盗む奴なんって居ないよ、まあ、少し見て来るか」


 そう言ってランプを取り玄関に置いてあった剣を握る。


「まあ、心配するな、泥棒だったらお父さんがやっつけてやろう」


 ウィンクをして玄関のドアを開けた瞬間だった、何か鈍い音がした、音と同時にベルの顔に何かの液体が顔に付く、それを拭き取ると手には真っ赤な液体だった。

 血、それを理解するにはしばらく時間が掛かった、そして理解した時に父親が仰向けになった倒れた

 顔は苦痛に歪み、喉には狩猟などで見たことが在る物が刺さっていた、それは矢だった。

 ベルは悲鳴をあげるでもなく、驚くでもなく、ただ茫然としていた。


「あ……あなた?」


 ベルカも同じだった。

 二人は何が起きたのか解らなかた、理解が出来なかった。

 そして次に鳴り響いた敵襲を伝える鐘の音が鳴り響いてようやく事態が理解できたのだ。


「敵襲! 全員森に逃げろ!」


 誰かの叫び声が聞こえると同時に、家の至る所から矢が当たる音がする、その音と同時に焦げ臭いにおいが充満する。

 火矢だ、火を掛けられたのだ。


「お母さん…… お母さん! 逃げよう!」


 我に戻ったベルが叫ぶ、その声に正気に戻ったのかベルカの手を引いて家を飛び出していた。

 家から出ると一面に炎光が畑を照らしていた。

 村が焼かれている、それが理解できるまで差ほど時間はかがらない。

 と、背後から蹄の音が迫る、ベルカは振り向かずにベルの手を引いて森に向かって走り出す「走って! ベル!」しかし、蹄の音、馬の鼻息が聞こえて来る。

 ベルが振り向くと黒い鎧来た騎士が迫っていた。


「逃げって! 逃げるのよ!」


 ベルカは山道の脇にベルを放り投げる。

 ベルの目に映ったのは騎馬に弾き飛ばされ、倒れる母の姿、血塗れに成り果てた姿、その時、母の眼が合った様な気がした、母は眼で語り掛けて来る。


「逃げて! 生きて」と。


 ベルは走り出す、逃げる、逃げる、逃げなくてはならない、そう思った。

 そうしないといけないと思った、ベルはそのまま暗い森の中を走り抜けた。

 キサラギ村は紅く燃えだす、その燃え出す村に豪雪の訪れを告げる雪が降り出した。



一週間後:ハマール領・ハマール城北門


 ハマール城の北門の護りに就いているユランは欠伸を噛み殺すのに必死だった。

 あと数刻で交代の時間、それまでの辛抱だ。

 一週間降り続いた雪は夜には落ち着きつつある。

 朝霧が立ち込め始めるこの時間帯が一番眠い、この前も居眠りした性で俸給が減らされてしまった。

 これ以上減らされたら行きつけの酒場に行けなくなる、そう思うと溜息が出る。

 ハマール城内で一番人気の酒場、内縁部の工房区にある『グラメンテ』最近あの酒場で出される料理が異様に美味い、何でも厨房の手伝いで偶に入る料理人の腕がいいそうだ。

 確か名前はカムイだ、風貌はボサボサの黒髪に黒い瞳、大柄な自分でさえ頭一つ分高い身長と一回り大きい体格をしている、傍から見たらどこかの巨兵と見間違いそうな、なりだが、何でも領主お抱えの料理人。

 この前も料理を堪能して来た同僚から「この世のモノとは思えない美味だった、おれ、明日死んでも悔いが無いな」とまで言わせる程だ。


「死にたくはないが、一度は味わって見たいな」と呟く。

「こら、ユラン、もうすぐ交代なんだから私語は慎めよ」と分隊長のゲイリーが言う。

「すんません、でも、寒いですね、こんな寒い時は温かい葡萄酒でも飲んで暖まりたいですよ」

「だから、私語は慎めと言っているだろう」

「そう言えば聞きましたか、キサラギ村の話」とユランは言う。

「何だ、噂って?」

「ここだけの話なんですが、キサラギ村が壊滅したって話ですよ」

「壊滅? 何だそら」

「何でも、キサラギ村は今回の鎮魂際の『舞の巫女』を選抜しなかった性で女神ラの怒りに触れて、『審判の犬』に食われたって話ですよ」


 『審判の犬』と言うのは女神ラが可愛がった犬神の事であり『正義と罰』を司る神である、審判の犬を使わされると言うのは「正義の為に悪を罰した」と言う意味である。


「バカな、誰がそんな話をしている?」とバカにしたような口調で言う。

「この前、酒場に来ていた商人が放していたのを聞いたんッスよ! 何でも、五日前に寄った時、村には人が一人もいなかったそうで、家々には血の様な跡がそこら中に在ったとか」


 ゲイリーはユランの頭を叩き言う「アホか、それだったおれ達が調査に向かっているだろうか、上の方からは何も連絡は来てないし、調査に向かった連中もいない」


 村の異変が在れば駐屯兵が調査に向かうのは当たり前である、特に国境付近の村には定期的に連絡要員を兼ねた商人が巡回する事となっている。

 その商人から異変を知らせる報告を受けていない限り、村には異変は起きていないはずだ。


「下らない事言っていると、また、俸給減らされるぞ」

「そ、それだけはご勘弁を!」拝み手でユランは言う。

「たく…… うん?」


 ゲイリーは銀世界の地平線の彼方に何か動く者を見つける、よく見ると人だ。


「おい! ユラン、あれ…… 人じゃないか」とユランに訊く。

「どこですか?」とユランに人影の方に指を差す。


 身を乗り出す様に見ていたユランも驚きの声を出す。


「人だ! 何だあれ、フラフラだぞ」

「まさか、この雪の中歩いていたのか、どこのバカだ、いや、どうやって城外に出た!」


 パティール王国北部の冬は凍てつく寒さだ、大雪が降れば僅かな視界すら奪う程の豪雪となる、その為、雪が降るこの時期は隊商も少なく、門を閉じていることが多い。

 その為、外に出るのは城壁から飛び降りるか、どこかの抜け道を使うしかない。

 もし、城壁から飛び降りたのなら頭が狂っているしか思えないし、抜け道があるなら防衛関係上大問題となる。

 城門が開き、ゲイリーとユラン、それから部下のタック、ドシン、バッハを連れて人影に向かう。


「マジかよ、どんな奴だよ、こんな雪の中を歩くバカって!」とバッハが言う。

「酔っ払いかなんかじゃね」と軽い口調で言うドシン。

「も、もし、頭のおかしな人だったどうしよう」とおどおどした口調で言う、タック。

「こら、貴様ら私語は慎め! とにかく生きて捉えろ、いいな」


 そう言ってゲイリーは馬に跨る。

 五人は駆け足で人影に近づく、すると、近づくにつれて人影の全貌がわかって来た、赤い髪は肩まで伸び、来ている服は布切れのようにボロボロ、そして彼方此方に切り傷や擦り傷が在った、整った顔をしている年端もいかない少女だった。

 五人は駆け足の足が次第に緩くなり、目と鼻の先に成ると既にその場で立ち尽くしていた。

 余りにも異様な光景だ、とても冬越えをするような恰好ではないましてや、酔っ払いとでは決してない、眼は虚ろ、見た感じに野党か何かから襲われ着の身着のままで逃げて来たような状態だった。


「お、おい、大丈夫か?」とゲイリーが声を掛けるが、反応が無い。

「寒さで頭をやられたんじゃ……」とタックが言う。


 虚ろな瞳は微かに動き静かに呟いた。


「たすけて…… 村が、お母さんが……」


 その言葉を言い残して彼女は事切れたかのように静かにその場に倒れた。



 カムイがこの世界に来て二年が過ぎようとしていた。

 二度目の冬は去年の比較にならない程の豪雪である。

 東京じゃまず見なれない光景だった。


「カムイ、今日の朝飯は何だ?」と厨房の釜の火を暖炉代わりにしているロレが言う。

「ロレ、君は北国の出だろう」とスープの味見をしながらカムイは言った。

「そうだけどよ、寒いモノは寒いんだよ」

「正直だな」と薄ら笑いをしながら更にスープを盛り付ける。

「しかし、この二年で大分話せるようになった、先生ビックリ」

「先生がイイんだ、たぶん」

「お前に褒められると何だが照れくさい」

「そう思うなら、これを旦那様と奥方様に」


 料理が乗ったトレイを渡す。


「今日のは、何ってスープだ?」

「昨日の残り物スープ、と言ったところかな」


 ロレはわからない様な顔をする。

 カムイはどうも最近自分が作る料理は何でもかんでも特別性だと皆そう思い込んでいるようだ。

 自分自身、大した料理は作っていない、有る食材で、誰もがおいしいと思うような料理を作っているだけだ。


(おれの料理はただ、この世界では珍しいだけだ、おれの世界ではごく当たり前の料理ばかりなのにな)


 今日の朝食で作ったのだって、昨日夕食で使った干し川魚の頭から取った出汁を、塩で味を調え、野菜の切れ端をフードミキサーにかけて小麦を繋ぎにした団子を入れた、野菜団子のスープだ。

 カムイは食材を余すことなく使う、前にロレから貧乏性だなと言われたがたぶんそうだろう、前の世界では自分は可なりの貧乏性に違いない。

 そんな事を考えて笑ってしまう程、今、自分は充実していた、この世界の生活に。


「さて、ロレが帰ってくる前に、ロレとおれの賄い飯で作るか」


 カムイは保冷庫に食材を取りに廊下に出る。

 ハマール城には保冷庫が在る、冬の内に大量の雪を地下室に貯めて置く事で、食材などを長期保存することが出来る。

さらに、城全体に通された配管を通して冷気が部屋全体に回る仕様になっている、現代で言うところの冷蔵庫とエアコンだ、違いが有るとすれば冷蔵庫は電気で、保冷庫は大量の雪で冷やすと言う違いがある。

 年間を通して作物を安定生産できないこの世界では、自然の力を利用した技術が多い。

 そんな事を考えていると、廊下内が慌ただしく人が動いていた。

 カムイは首を傾げる「何か有ったのかな」そんな事を呟きながらカムイは保冷庫から数種類の野菜と干し肉を取り、厨房に戻った。



 ハマール領領主、ジルマ・パティール公爵がその知らせを受けたのは丁度の食事中だった時だ。

 今朝の野菜団子のうまさに心が温まる様な思いに居たのに急に真冬に放り込まれたような報告だった。


「で、その子の言質から推測される事は、衛兵長」そう言われた衛兵長ロレンスは答える。

「ハッ、少女の傷の具合、それから助けを求める発言を合わせますと、彼女の住む村が何者かの集団に襲われた可能性があります」

「彼女はどこの村の出か、言っていたか?」

「いえ、そこまでは」

「ならば、北部巡回の任務を受けた隊商隊全ての部隊長をここに呼べ」

「ハッ、直ちに」

「ロレ、お前さんはカムイを連れて駐屯所に行け」

「は? カムイですか」とロレは眼を丸くする。

「そうだ、奴に体力回復に成る料理を作らせろ、アイツは意外と医術に詳しい、何かと役に立つはずだ」

「わかりました」


 ジルマは溜息を付きながら残りのスープを一気に飲み干した。


「あなた様や」

「心配するな、わしが付いている」


 ジルマはなんとなくだが事態が嫌な方向に進んでいるように思えてならなかった。

 相手はただの野盗集団で合って欲しい物だと、ジルマは心の中で呟いた。



「えッ? 駐屯所に?」

「ああ、今朝早く北門で傷だらけで倒れている少女が見つかってな、今は駐屯所に居る、状態は酷いそうだ、だから、しばらくお前が世話係をする様にと旦那様から命令だ」

「容態は酷いのか?」

「さあな、行って見ない事にはわからん」とロレは言う。

「ロレ、行こう、おれに出来る事なら何でもする」


 ロレは頷き行く支度をする。

 自分は医者じゃないからどこまで手伝えるかわからないが、おれはおれのやれることをする。

 カムイは食材を持って駐屯所に向かった。

 駐屯所到着すると所長が出迎えてくれた。


「保護された少女の容態は?」とロレ。


 所長は首を横に振る。

「芳しくありません、切り傷や擦り傷は差ほどのことはりませんが、この豪雪の中を歩いて移動していたのでしょう、手と足に重度の凍傷を負っております、おそらく両足と左手の切断は免れないでしょう」

「子供には酷な現実だな」

「助けるためには致し方ありません」


 処置を終えた医者と入れ替わりにカムイとロレは部屋に入る。

 少女の体には痛々しい程に包帯が巻かれていた。

 歳は十二、三歳だろう、包帯の隙間から赤毛の髪が出ていた。

 カムイは視線を足元に向けて直ぐに背けた。

 ベッドのすぐ脇に切断したばかりの足が桶の中に在ったからだ。

 口を押さえ必死に吐き気を押さえる。

 それを察したロレは「出ていいぞ」と言った。

 とうとう我慢できずにカムイは部屋を出る、酷い状態だ、この世界に来た時の夜を思い出す。

 死体が彼方此方に転がり、五臓六腑を撒き血明かした死体が溢れていた。

 敵に追われ、死の恐怖が迫るあの思い。

 あの子はそんな恐怖から逃げて来たのだろうか、もしそうなら、目覚めた時は酷い現実がさらにわが身に降り注ぐ、両足と左手が無いのだ、年頃の少女には余りにも酷だ。

 カムイは、腹の底から湧き上がる思いを噛みしめ、厨房に向かった。



 静かな感じがした。

 ここはどこだろうかあの寒い銀世界ではない、薪の燃える匂い、暖炉が在る。

 部屋の中だろうか、意識が少しずつ回復しぼんやりしていた景色が鮮明になる。


「ここは……」どこだろうと言おうとした時に不意に何かが頭の中を過る。


 喉元を打ち抜かれた父の顔、燃える村、騎馬、母の眼「逃げて」と言う声が頭の中で繰り返される。


「お母さん!」


 その声に反応したのか、部屋の向こう側に居た衛兵が家に入って来る。


「……お母さん」

「大丈夫かい?」


 衛兵を見て一瞬体が強張る、村で襲って来た連中と思ったからだ。


「怯えなくてもいい、わたしは、ハマール城守備隊北門警備分隊長ゲイリーだ、君が城外で倒れているのを発見してね、ここまで運んだんだよ」

「ハマール領……」

「そうだ、君の名前は? どこから来たんだ?」

「キサラギ村のカスカの娘、ベル」

「キサラギ村だね、そこで何が有ったんだ?」

「わからない」

「わからない?」

「突然、矢が飛んできて、お父さんが死んで、お母さんは馬に踏まれて、わたしは、ただ、ただ、逃げていただけ」


 ベルはそれだけ言い言い終えると、静かに泣き出した、瞳から零れた涙の雫は枕へと落ちて行った。


「辛いと思うが思い出して欲しい、君を襲ってきた兵士に心当たりは有るか? 君の村の近くに最近野盗が出たとか、隣国の兵がうろついていたとか?」


 彼女は横に振る。


「そうか、仕方ない」

「入れ替わりで済まないが、わたしはロレ、ハマール領領主、ジルマ・パティール公爵の従者をしている者だ」


 質問していた衛兵と入れ替わりに入って来たのは、赤毛交じりの茶色の髪の毛をした異民族風の男だった。


「領主様の?」

「ああ、君が回復するまでわたしと公宮で料理人をしている者が、君の世話することになった、よろしくな、後で粥を持って来させる、それまで、休んでくれ」

「あ、あの――」


 呼び止めようとして左手を出した時だ、異変に気付く、手が無い、有るべきはずの手が無い、でも、手の先に感覚は有る、握って開いているハズなのに、その感覚があるのに、でも、手首から先が無い。

 ベルは体を起き上がらせ、体を確認する。

 足の方に違和感がある、足の方の毛布の膨らみが異様に短い、毛布を払い除ける、視界に入ったのは膝から先が無い足だった。

 ベルは声も出ずに視線だけをロレに向ける。


「わたしの足は…… 手は? どこ?」


 ロレは答えずにドア付近に立っていた医者らしい男が説明した。


「君は発見された時、重度の凍傷だった、既に両足と左手は壊死していて、そのままにしていると危険と判断して、切断した」

「緊急事態だったんだ、仕方ない」とゲイリーが言う。


 ベルは事態が飲み込めなかった、いや、理解することが出来なかった。


「なに…… これ…… だって、わたし、鎮魂際の『舞の巫女』なのよ、お母さんが作ってくれた綺麗な衣装を着て、領主様の前で鎮魂の舞をするのよ、それなのに、どうして足を切ったりしたの? これじゃあ、踊れないじゃない…… 左手もないと困るのよ、お父さんがハマールに来たら美味しい物沢山食べさせてもらうんだから、右手だけじゃ、フォークしか使えないじゃない、サンドイッチも食べられないじゃない!」


 彼女の悲鳴に似た声が部屋中に響く。

 誰も声を出さなかった、掛ける言葉が無かったのだ。


「済みません、怒鳴ったりして」

「いや、済まない事をしたと思っている、でも、君を助けるためだった、わかって欲しい」とロレは言う。


 ベルは静かに頷く。


「お願いがあります」

「ああ、何だね、衛兵として出来る限りの事をしよう」とゲイリーが言う。

「しばらく、一人にさせてください」


 ゲイリーはロレと医者を見て部屋を出る様に促す、二人は頷き部屋を出るが、閉めかけたドアを開けロレは部屋に入る。


「……しばらくしたら粥を持ってくる、うちの料理人の腕は王国一だ、食べれば元気になる」


 それだけを言い残し部屋を後にした。

 部屋を出たロレはゲイリーに部屋の前で異変が起きない様に指示をする。


「何か起きると?」とゲイリーが首を捻る。

「両親を亡くして、その上さらに両足左手を失ったのだ、悲観して自殺する可能性がある」

「そんなまさか」とゲイリーは言うが医者は賛同した。

「わたしも、同意見だ、彼女は精神的に危険な状態だ」と医者が賛同する。

「ゲイリー、頼んだぞ」と肩を叩く。

「おれはいつからお前さんの部下になった?」と肩をすくめながら言う。

「飲み仲間として、頼んでいる」

「わかったよ、うちの分隊を交代で見張らせる、何かあったら直ぐに連絡するよ」

「頼んだ」

「ああ、そうだ、お前さんに頼みがある」

「何だよ、ゲイリー」


 ゲイリーはロレの耳元で、微かに聞こえるような小声で言う。


「その、なんだ、後でお前さんところの料理人に夜食を作ってくれるよう、頼んでくれないか」

「そんな事か、わかった、頼んでみるよ」

「ヨシッ! それなら寝ずに仕事ができる」


 ゲイリーは笑顔で下がっていた。

 ロレは厨房に向かう、窯の火が焚かれ薪の焼ける匂いが立ち込めていた。

 カムイに声を掛けようとするが、気分が悪そうな顔をしているので躊躇してしまった。


「ロレ、どうしたんだ?」


 こちらに気付いたカムイが言う、その顔に先ほどの気分が悪そうな顔は無かった。


「いや、例の子が目を覚ました、自分の身に起きたことに相当数のショックを受けているようだ」

「……うん」

「カムイ、腹にたまる様な物を頼むよ」カムイは頷く。


 ロレは鍋の掻き混ぜるカムイを背にジルマに報告する為、部屋を後にした。



 報告を受けた、ジルマは衛兵長のロレンスに探査隊の派遣を命令した。

 しかし、衛兵長のロレンスは派遣命令に難を示した、その理由は雪だ。


「既に、街道沿いは先週から降り注いだ雪の性で塞がれています、村に到着する前に探査隊の身の危険が」

「わかっている、だが、事は一刻も争う、もし、わしの予感が当たっていれば、村を襲った連中はガスダント帝国の可能性がある」

「ガスダントですか? しかし、今、ガスタンドは我が国を攻める余力がありましょうか」


 去る、半年前の事である、領土権を発端とした『バンドの戦い』の勝利により、バンドの地を完全に手中に治めたガスダント帝国はそのままハフマン帝国の帝都であるテアラントブールを陥落させるために、総勢十万の大軍を持って進軍するも、テアラントブールの手前の丘でハフマン帝国五千の騎馬隊による奇襲攻撃を受け部隊は壊滅、次期皇帝、ガスト皇太子が討ち取られると言う出来事が在ったのだ。

 無論、その衝撃は大陸中を駆け巡り、ガスダント帝国内政は混乱、さらに、現皇帝が心の臓の病で急死して、跡目争いにより醜い内戦へと向かっている。


「内戦の機運があると言う中で、他国への侵攻を行う者が居ましょうか」とロレンスが言う。

「内戦の可能性はこちらの憶測に過ぎない、噂を鵜呑みにするのは目を瞑って歩くより危険だ」

「確かにその通りでありますが……」

「ロレンスよ、ここの領主は誰ぞ」

「ジルマ公爵殿下に在らせます」

「お主ら衛兵隊の主の命だ、直ちに掛かれ」

「はい、殿下」


 ロレンスは敬礼して部屋を出る、既に夕日が沈み夜を迎えようとしている。

 ジルマは部屋の片隅の壁に掛けられている鞘に収まった剣を取る。

 先王の時代、王族として、一将軍としてこの剣と共に多くの戦場を駆けまわった、剣を置いて二十年、再び取る日が来るとは思っても見なかった。


「あなた様や」と妻ユリリが静かに部屋に入って来た、彼女の顔には不安げな表情をしていた。

「やあ、済まんなユリリ、戦とは無縁の生活を送ろうと言ってここに越してきたと言うのに」とジルマは言う。

「元よりあなた様と添い遂げとあの日から、戦場とは無縁な生活は諦めております、この二十年、戦の無い日はとても楽しい日々でした」

「まるで、今際の別れみたいなことを言うな、杞憂であれば、戦はない、杞憂であればな」

「ええ、あなた様がそういう時に限り、嫌な方向に行きますゆえ」

「まったく、縁起でもない、シワが増えるぞ」

「それはお互い様です」


 二人は大きな声で笑った。

 その笑い後は城中に聞こえるかのように。



 カムイは出来たばかりの麦粥を持って彼女が居る病室の前に立つ、ドアをノックして入ろうとするが、何と声を掛ければいいのかと考えてしまった。

 別段、変な事言う訳ではない、ただ、自分はお粥を持って来ただけだ。

 一呼吸して、部屋に入る。

 殺風景の中で一人の痛々しい少女が窓の外を眺めていた、窓の外は夕日が完全に落ち、辺り一面街の明かりが星々の様に輝いていた。

 今、街では鎮魂際に向けての祭りの準備が進んでいる、ハマール城は二重構造になっており、内縁部と外縁部に分かれる。

 内縁部は主に商館や鍛冶屋等の商業街となっており、外縁部は主に住宅地となっており、木造家屋が多い。

 その内縁部の街は彼方此方に出店の準備が進み、外縁部では街中に祭りの飾り付けが行われている。

 ベルはそれをまるで羨ましそうに見つめる。


「お食事、持ってきました」とカムイは言うが、彼女は反応しない「ライ麦粥です、食べれば元気出ますよ」と言うも、まるで上の空だ。


 カムイは近くに在った椅子に座る。


「もう直ぐ、鎮魂際ですね」


 そう言うと彼女は少しだけ反応する。


「去年は、奥方様が流行風邪で倒れられて、看病に追われるてしまって見ることが出来なかったのです、ですから、今年は見られれば良いのですか」


 カムイは頭を掻きながら言う。


「わたし、『舞の巫女』としてこの街で踊る予定だったの」


 ベルはこちらを振り向かず、窓の外を眺めながら言う。


「お父さんがと一緒にこの街に来て、お母さんが作った衣装を着て、踊って…… その後、お父さんと美味しい物を一杯食べて、一杯経験して、その事を帰ってお母さんに聴かせるの」


 その声はまるで遠くのモノを懐かしむような、悲しい声だ。


「でもね、それも全部…… もう…… 叶わない」


 ベルは毛布に隠す様にしていた左腕を出す、かつて有っただろう左手を懐かしむ様に、彼女は丸くなった左手首を撫でる。


「お父さん死んで、お母さんも死んで、わたしは手と足を失った」

「済みません、おれ、何も知らなくって……」

「別にいいの、別に、もう、どうでもいい」

「何を言ったらいいのか解りませんし、慰める言葉も有りません」

「……」


 彼女は無言だった、それは彼女の心が傷付いているのではなく、壊れかけているのだと思った。

 家族を失い、四肢を失い、でも、外では自分の悲しみを余所に街は祭りのムードで一色に染まっている、本来彼女はあそこに居るハズの人間だった、でも、もう、彼女はあそこには行けない、行くことが出来ない、行く自らの足がないからだ。

 その悲しみや怒りは、他人では想像もできない。

 しばらく沈黙が流れた後「もう、冷めてしまいましたね、食べないのならお下げします」カムイはそう言って部屋を出た。

 部屋の外には衛兵二人が立っていた、カムイは頭を下げ厨房に戻ろうとするが縮みこまった声で呼び止められる。


「はい」

「おれ達の夕食はまだでしょうか……」と小柄な衛兵が言う「バカかタック、まだ仕事中だろうが!」ともう一人の衛兵が言う。

「でも、ユラン、この騒動の性でおれ達朝飯抜きだったんだよ、もう、おれ、お腹減って死にそうだよ」

「お前な、傷ついている女の子が居る部屋の前でする話ではないだろう!」

「でも~~!」

「わかりました、何か片手で食べられるモノを作ってきましょう」とカムイが言う。


 それを聞いたユランが拝み手で「ありがとうございます」と言う。

 面白い二人だと、カムイは思った。



 探査隊隊長ベランドは一面銀世界の中を部下二十名と共に行軍していた。

 雪は膝丈まで積もっており、この中を突破してキサラギ村まで偵察して来いと言うのは自殺行為だと思った。

 キサラギ村までにはドラ山脈を越えなくてはない、ドヤ山脈の高低差はそれ程のモノではないが、山間から吹き付ける山風は雪の冷気と相まって凍てつくように寒い、さらに、山風と昨晩降った小雨の影響で雪がまるで岩の様に凍っている。

 既に、夕日が沈み始め辺りは銀色の世界と暗黒の世界が支配し始める。

 ベランドは周囲を見渡し、野営できそうな場所を探す。

 丁度岩肌と木々の間に大きな洞穴が有った。

 ベランドは洞穴に近づくと煙球を投げ入れる、クマや狼などの野生動物が居ないかを確認するためだ。

 幸いにも、居たのは蝙蝠こうもりだけの様だった。


「副長! ここで野営するぞ! テントを張れ!」

「了解です、隊長」


 洞穴を塞ぐ様にテントを張り、洞窟の中で火を起こす。

 凍てつくような寒さを火が和らげてくれる。


「隊長、野営の準備できました」

「よし、一刻おきに交代しながら休憩をとれ、日が昇り次第、キサラギ村に向かう、副長、キサラギ村まで、あと、どの位だ?」

「距離にして、三十三ジール(二十キロ。一ジール=約0.六キロ)です」

「明日の昼頃には着くな」

「計算上では、しかし、この強い風です、このまま吹雪にならないと良いのですが」

「そうなれば、さらに足止めだな、予定より二日も遅れていると言うのに」

「そもそも、この時期に行くのが間違っているのです、この時期、北部の村とは豪雪の影響で主な街道は雪で閉ざされますし、せめて、雪解け始まる春先まで待つべきですよ」

「いや、敵が侵入しているのなら、その情報を一刻も早く掴まなくてはならい、山賊だったとしても同じだろう、初期行動が、今後の動きに大きな影響を与える、副長、無理しても行くのはその為だ」

「わかっておりますが」

「副長、喋っている暇があるのなら、休んでいろ、それも仕事の内だ」

「はい、隊長」


 洞穴の中は差ほど広くはない、二十人も入れば満員となる。

 調理担当の兵士が焚いた火の上で鍋を熱しスープを作りはじめる、湧いたお湯に干し肉と、ライ麦、乾燥葱とショウガを入れた簡素な料理だ。

 調理担当からスープが入ったコップを渡される。

 一口すするが、塩気が足りないのか味が薄い。


「マズいな」と率直に言う。

「ははぁ、隊長、ズバッと言うな」と調理担当の兵士が言う。

「もう少し塩を入れてくれ」

「はい隊長殿」そう言って一つまみ塩を入れる。一口啜る、味が良くなったので頷く。


 彼は笑いながらスープを啜りながらマズいと言って、隊員の笑いを誘う。

 ベランドは外を眺める、風が強くなり、副長が恐れていた吹雪に成りそうだ。

 この時期のパティール王国北部は雪で閉ざされる、その為、ハマール領に程近い中央部のキスカ領やアッツ領とも連絡が取れなくなる、もし、本当に敵軍の侵攻だとしたら、ハマール領は孤立無援となるが、敵がこの豪雪の中を進軍するとは考え難い。

 動くとしたら雪解けだろう、だとしたら今のうちに正確な敵の陣容を知るのは反撃や防衛に役立つハズだ。

 領主ジルマもそれがわかっているから強行的な探査を命じたのだろう。

 ベランドはスープを飲み干し、腰を下ろそうとして、ふと、何かが視界に入ったのだ。

 目を凝らして見ると、薄らとだが松明の光の様に見えたのだ。


「おい! 今すぐ焚火の火を消せ!」

「はぁ? いや、そんなことをしたら――」

「イイから消せ!」


 そう叫ぶと、不満を述べながら焚火の火を消す。

 周囲の明かりが消え、辺り一面が闇に包まれる。

 ベランドは目を凝らして見るが、先ほどの松明の光の様な物は既に見えなくなっていた。


「済まない、火を起こして構わん」

「どうしたんですが、隊長?」と副長が言うが訊いて来るが何でもないと言った。


 あれは一体何だったのだ、ベランドは言い知れない不安を覚えるのだった。



 彼女が来て既に四日が過ぎていた。

 その間、ベルは一口も付ける事は無かった。

 カムイは、厨房に集まった衛兵たちの為にグラタンを振舞っていた。


「し、幸せだな」とユランは満面な笑みで言う。

「ありがとうございます」とカムイは返事をする。

「いや、本当に美味い、今まで食べたどの料理よりも遥かに美味いぞ!」とゲイリーが言う。


 他の衛兵たちも貪り食うように、そして誰もが満面な笑顔を見せる。

 でも、カムイがここに居るのは彼らに料理を作りに来たわけではないのだ、カムイは傷心した少女、ベルの看病の為に来たのだ。

 カムイは再び粥を持って彼女が居る部屋に行く、ノックをするが返事は無い、それはいつもの事だ。

 部屋に入ると彼女はいつもの様に外を眺めている。

 外は祭りの準備だけが終わっている状態だ、既に街に戒厳令が敷かれており、祭りは戒厳令解除まで中止とされた。

 その事は既に彼女の耳にも入っているが、それでも彼女は外を眺めるのをやめようとしなかった。


「朝食、持ってきました、ここに置いておきますね」


 テーブルに置くが彼女は見向きもしない。

 流石にこれ以上食べ続けないのは、体に毒だ。

 カムイが口を開こうとして先にベルが口を開いた。


「トイレ行きたいから、人を呼んで来て」と。


 カムイは静かに「わかりました」と言って部屋を出て隣の部屋に行く、隣の部屋にはカムイとロレの行き付けの酒場の給仕であるレミーが居る。

 両足を失った彼女の世話に男だけでは心配だと主、ジルマがそう言って、レミーに世話を依頼したのだ。

 ドアを開けるとレミーは上半身裸で体操していた。

 引き締まった体、大きすぎず小さすぎない美しい形をした胸、思わず見とれてしまう。


「なッ! 何やっているんですがァ!」


 我に返ったカムイは思わずドアを閉めから怒鳴る。


「何だい、カムイ! あたしの体に欲情した?」


 赤面していたのを見られたのだろう、レミーは色っぽく言う。


「そんな事は言いですから、服を着てください、服!」

「はいよ、で、一体何の用さね」

「レミーさん、彼女、トイレに行きたいそうです」

「うん? そうかい、わかったよ」


 服装を整えたレミーが出て来る。

 一瞬だが、先ほど見てしまったモノを服の上から再度連想してしまい、顔が赤くなる。


「何だい、今晩のおかずに、あたしの肌を使う気かい?」


 カムイは咳払いして、冷静な口調で言う。


「揶揄はないでください、おれは、別にそんなことしませんよ」

「そうかい、残念だね」

「はい?」

「いや、こっちの話だよ、じゃあ、行ってくるよ」


 彼女は背伸びをしながら隣の部屋に入って行く、それを見送ったとカムイは厨房に戻る。


(あの子は何なら食べられるのだろう)


 そんな事を考えながら、ジルマの夕飯の支度の為に一度、公宮に戻る。

 街の中は今までの祭りの準備の熱はどこに行ったのか、人の気配が少なかった。

 公宮に戻りジルマの夕食を作り持って行く。

 ジルマはここ最近、奥方であるユリリと共に過ごす時間が減って来ている、この前も食事は別々に取っていた。

 気になってそのことをユリリに質問すると「戦の前はいつも、あの感じなの」と言った。

 戦が近づいているのだろうか、だとしたら、ここは戦場に成るのだろうか、そうなればここに居る人たちはどうなるのだろうか、自分はその時どうすればいいのだろうか、考えれば考える程、答えが見つからなかった。

 いつもの様に食事が終わり、食器を下げようとした時だ。


「カムイ、少しよいか」とジルマが言う。


 自分を呼び止めるときはオチャラケな声で言うのに、今日に限って真剣な声をしている。


「はい、なんでしょう、旦那様」食器を片付ける手を止め、ジルマに向き直る。

「お前さんがここに来て、もう、二年か、大分言葉を覚えたな」

「はい、旦那様と奥方様、それにロレのお蔭です」

「フムン」

「あの、何か?」

「もう、一人で生きて活ける力は付いている」

「はあ……」

「カムイ、もしもの事があった場合は、逃げる事を優先しろ」

「それはどういう意味ですが」

「そのままの意味じゃよ、今回の件は、もし、敵国の侵攻なら戦は必定、避けては通れん、お前さんはこの国の人間ではない、巻き込まれる必要性は無い、そう言いたいだけだ」


 ジルマは、いつもの様に不敵な笑みを浮かべた喋り方ではなく、真剣な顔だった。


「考えておいてくれ、だが、あまり時間が無いと思った方がイイかも知れない」


 この言質からジルマはこの事件は盗賊などの仕業ではないと思っている事を告げている、街全体への戒厳令はその表れだろう。

 カムイは食器を持って部屋を出る。

 おれにも何が出来ないだろうか、でもおれには何の力もない、剣も使えない弓も使えない槍使えない、戦うことが出来ない、カムイは自答する。


(おれはここで何をしたい、おれはなんでそう思いたい)


 そんな事を考えながら廊下を歩いていると、強烈な異臭がした。

 鼻を突くような、腐った魚と硫黄と生ごみを一緒に混ぜたような匂いが立ち込めていた。

 その臭いの元は厨房の保冷庫の入り口の近くだった。

 入り口の近くでロレが倒れていた、余りに激臭に気絶したようだ。

 よく見ると、一つの壺が開いていた。

 カムイは頭を抱える、『これ』を開けたらしい、蓋を戻し、開かない様に重り石を置く、それから鼻を摘まんでロレを起こす。


「おひ、ろへ、大丈夫か?」と摩ったが起きる気配がない。


 仕方ないので、カムイはロレを連れて部屋に運び、保冷庫の前を水洗いする破目になった。

 翌日、駐屯所に行く道すがら人の目が気になった、皆が、自分を見て、鼻を押さえ離れて行く。

 おそらく『あれ』の匂いが取れていないのだろう、このまま駐屯所に向かうのは失礼だと思ったカムイは、風呂場に寄ることにした。

 公衆浴場は、練兵所の近くに在る、訓練を終えた衛兵達の為に作られた施設だが、昼間は庶民に解放されている。

 風呂場は簡素な造りだが、それなりの人数が入れるスペースなので足を延ばしてゆっくりできる、湯船が在る。

 他の領地では蒸し風呂が一般的で、湯船が在るのは王都とラバール港とこのハマール領だけらしい、温泉好きな日本人にはありがたいと思いながら湯船に入り、足を延ばしてリラックスする。


「おや、先客がいるな」と声の方に視線を向けると、同じ湯船に居たのはゲイリーだった。

「どうも」とカムイは会釈をする「朝から風呂とは、な」とゲイリーが言う。

「隣、いいか」と言い返事をする前に隣に座る。


 カムイは一瞬だがゲイリーの肩に大きな傷が在ることに気付く。

 それをマジマジ見ていることに気付いたのだろう、笑いながら「これは名誉の傷だよ」と言った。


「名誉ですが」

「そうだ、わたしはここの衛兵をする前は、王都に居てな、国王陛下直轄の護衛騎士団に居たんだ」


 そうですか、軽く答える。


「七年前の事だ、ラバール神国が国境を越えて我が国に侵攻してきた時だ、カルマ国王陛下が自ら軍を率いて出陣したんだがな、戦は敵の策にはまって各軍団ともバラバラにされて、陛下と護衛騎士団は敵に包囲された、乱戦の中、陛下に刃が届きそうになった時に近くに居たおれが咄嗟に間合いに入ったんだ、お蔭で肩の肉をごっそり持って行かれたよ」

「はあ、痛そうですね」

「まあな、でも、お蔭で陛下の命は護られたよ、でも、この傷だろう、否応なく騎士団を除隊する羽目になってな、どうしようかと、放浪していた時に今の領主様に拾われたんだ」


 そう言って彼は高笑いする、仕事中は真剣な顔をして物静かにしている人かと思ったが、意外と豪快なところもある様だ。


「ところで、お前さん、どこの出身なんだ?」


 唐突に訊かれてカムイは一瞬迷ったが、自分の事をそのまま説明した。

 自分の事の記憶が無い事、在るのは料理の知識だけだと。


「難儀だな」とゲイリーは言う。

「最初の頃は難儀しましたよ、言葉も解らない、ここがどこなのかわからない、自分は何者かもわからない、でも、おれがここに居るのは旦那様のお蔭です、旦那様がおれの料理を気にいってくれたから、奥方様が色々と面倒を見てくれたから、ロレがおれに言葉を教えてくれたから、おれはここに居られたのかもしれない、おれはまだこの街の人間には成れていないけど、でも、おれはここが好きです」


 一呼吸の間を置いてゲイリーは言う。


「何言ってやがる、お前はとっくの昔からこの街の人間だ、お前さんは公宮料理人カムイってみんなに認識されている」

「ありがとうございます、褒め言葉でも嬉しいですよ」

「褒め言葉じゃないさ、お前さんはお前さんの持てる力でこの街に根付いたんだ、誇りを持て」

「根付くか……」


 この街に根付いている。

 自分取って根付くとは何だろうか、地位や名誉だろうか、それとも仕事だろうか、いや、違うと思った。

 二年間、ここまでやって来れたのは、ここが自分の居場所だったからではないのだろうか、そう、ここが、根付いた居場所、自分の家。

『ここから逃げろ』とジルマは言ったが、自分にとって逃げる場所はどこにもない、自分の根はここにしっかりと張っている。

 なら、自分の家は自分で守る。

 カムイは両手で頬を叩き、立ち上がった。


「どうした?」とゲイリーが言う。

「ありがとうございます、ゲイリーさん、お蔭で考え事が吹き跳びました」

「考え事?」

「はい、では、先に駐屯所に行ってます」

「ああ……」


 服を着たカムイは駐屯所に向かう、そうだ、自分が言われたのは彼女の看病、今はその仕事に集中する。

 駐屯所に入るといつものなら直ぐに厨房に向かうが今日は、そこを通り過ぎベルの居る部屋の前に立つ、一呼吸置いてからノックして入る。


「おはようございます」そう言って中に入る。


 ベルはいつもの様に窓の外を眺めているばかりだった。


「今日はいい天気ですね、一昨日までの雪が嘘の様ですよ」


 彼女は何も喋らないのはいつもの事だが、今日は引き下がるつもりは無かった。


「いつまで、外を眺めているつもりですか」カムイは声のトーンを下げて言う。


 ベルは振り向きもせずに「さあ」と答えた。


「そうやって、外を眺め続ければ誰かが自分を慰めてくれると思っているのですが、もし、そう思っているのなら、やめた方がイイ、誰もあなたを慰める者は居ない」


 彼女の肩が一瞬だが動いた。


「あなたも既に知っているハズです、この街はもう直ぐ戦に成る可能性がある、街には今、戒厳令が敷かれています、いつ戦に成るかわからない中、誰もが己の事で精一杯です、他人を心配する余裕はありません」

「何が言いたいの?」


 ベルは振り向いき言う、生気がない顔色はまるで死人だと思える。


「誰もあなたを助けないと言いたいのです」

「そんなことわかっているわよ」

「いいえ、あなたは何もわかっていません、ここで悲劇のヒロインを演じ続けている限り、あなたは誰かが助けてくれる、同情してくれる、優しくしてくれる、そう思っている節がある、今はそれでいいかもしれない、でも、時間が経ては、いずれあなたはお荷物となる、なんせあなたは自分で生きようとはしないから、誰かに助けてもらおうと思っているから、そんな自ら自立しない人間を助ける程、この世界は優しくはない」

「自立したくても、これじゃあ自立なって出来ないでしょうが!」


 ベルは掛けていた毛布を払い除け腕と足を見せる。

 両足は膝から下は無く、左手は無い。

 その痛々しい姿はとても十代の女の子とは思えなかった。


「わたしには足が無いのよ、布団から出れないし、利き手もない、食事をする事さえ難しいのよ! こんな姿だったらお嫁にだって行けない、それなのにどうやって自立しろと言いうのよ!」

「世の中、手足が無くても自立して一人で生きている人がいます、自立し方は人それぞれです、誰かに言われて自立するのは自立とは言わない、自分で考え自分で行動し、自分で決める、それが出来てはじめての自立です」


 彼女の眼はカムイを睨み付けたままだ。

 一呼吸を置いたカムイは、静かに言う。


「まあ、エラそうな事言っている自分もまだ半人前ですが、ベルさん、おれは自分の事がわかりません」


 カムイは唐突に言った。


「自分が何者か覚えていないのです、気付いたら森の中に居ました、自分がどこで何をしていたのか、どうしてあそこに居たのすら覚えていない、覚えていたのは料理の事だけ、それでも、おれは、自分が悲劇だとは思ったことは有りません、おれの腕を認めてくれる人が居るから、その人の為におれは生きようと思ったから」


 ジルマはカムイの事を思って逃げるよう勧めたが、カムイは逃げると言う選択肢は捨てていた。

 自分は決めたのだ、ここで生きようと、認めてくれた人の為に生きようと、この街の人と共に生きようと。


「ベルさん、この街の人は良い人ばかりです、あなたはまだ若い、今は何もできない人でも、いつかは、あなたの『力』が必要になる日が来ます、自分の可能性を見つける為に、生きて見ませんか」


 カムイは伝えたいことは伝えた、生きて欲しいと。

 ベルは、微かに聞こえるような声で「わたしに出来る事なんってあるのかしら」と言ったのが聞こえた。

 カムイは静かに答える。


「はい、必ずありますよ、だって、人は可能性の生き物ですから」


 昔、誰から聞かされたような言葉だった、ふと、何か記憶の片隅にあるかのように人の声がした、どこかで聞いたような声だったが、一体誰の声だったかが思い出せない。


『カズフミ、お前に才能はないよ』とい声だった。


 ほんの一瞬だったが、確かに聞こえた。

「ねえ」カムイは現実に引き戻されその声が頭の中から消えていることに気付く、あれは誰の声だ、と、疑問だけが残った。


「はい」と返事をする。

「何か、食べるものある?」

「何がご所望でしょうか」

「サンドイッチを……」

「かしこまりました」


 そう言ってカムイは部屋を出る。

 厨房に戻るとロレが居た、顔色は悪く今にでも死にそうな顔をしていた。

 カムイは腕まくりをしながら調理の準備に入る。


「やあ、ロレ、大丈夫だったか」と一応声を掛ける。

「いや、酷い目に遭ったよ、この世のモノとは思えない臭いをかいたよ」

「勝手に人モノを開けるからだ」

「やっぱりお前のか、あれは一体何だ?」

「そのうち教えるし食べさせるよ」

「あれは新手の毒か何かか?」

「この世の珍味だよ」と言ってやった。

「珍味、あれが?」

「だから言っただろう、そのうちに食わせてやるよって」

「信じられない、あれが人の食うモノなのか?」

「大げさだな」

「で、さっきから何を作ってるんだ?」

「あの子に食べさせる、自立の一歩になる料理だよ」

「意味わからん」

「おれも、言っていてよくわからん」


 出来た料理を持って部屋に戻る、窓を眺めていた視線が自分の方に向く。


「お待たせしました、ホッとサンドイッチでございます」

「ホットサンドイッチ?」

「はい、サンドイッチをトースト、焼いたもので、具材は茹でたキャベツ、半熟卵、特にキャベツにはビタミンU、別名キャベジンと呼ばれる胃腸薬成分の他、ビタミンC、ビタミンK、カロテン、カルシウムなども含まれています、ビタミンKに至っては血液凝固作用がありますので、切り傷などの完治を早める効果が有ります」


 ベルは何を言われているのか解らない様な顔をしている。

 それもそのはずである、この世界には栄養素と言う概念は無い、習慣的にこの食べ物は体に良いと言うのを知っているだけに過ぎないし、どうして体に良いのかと言うのはわかっていないのである。


「とにかく体に良いと言う事です」


 それだけ言うと、カムイは食べる様に促す。

 ベルはサンドイッチを手に取り、一口食べると彼女の顔が緩やかに微笑む。


「おいしい……」


 そのまま二口、三口と口に運ぶ。


「キャベツの卵の濃い味がキャベツの甘みで美味しさが増してる」


 彼女は二枚目も食べるが、途中で手を止める。

 ベルは泣いていた、大粒の涙を流しながら。


「本当だったよ、お父さん、本場は美味しいよ、お父さん」


 彼女は泣き崩れた、今まで我慢していたものが一気に溢れたのだろう。

 カムイはベルを静かに抱き寄せ「泣きたい時は泣いた方がイイですよ、人間、いつ、泣けなくなるのかわかりませんから」

 そうれだけ言った。

 彼女は大声で泣きはじめた。

 彼女の涙は、しばらく流れ続けた。



 探査隊隊長ベランドは、キサラギ村到着して視界に入った現状を目にして言葉を失っていた。

 民家は焼かれ、殺された村人の遺体が雪に埋もれ散乱していた。

 キサラギ村は人口約、三百人。その村が丸ごと消えていたのだ。


「隊長、家畜が居ませんね、食糧庫の冬越え用に備蓄してあるはずのライ麦や、ジャガイモ、種イモや種子まで有りません」

「全部持って行かれたか、しかし、皆殺しとは……」


 盗賊ならここまではしない、皆殺しにすれば衛兵の討伐を受ける可能性があるからだ、何よりも、自分たちの食い扶持をわざわざ潰すことなどしない。


「隊長! こっちに来てください!」


 隊員に呼ばれてそちらの方へ向かう、小高い丘の頂上に居る兵士が地面を指さす。


「これは――」


 大量の足跡だと何かを引き摺ったような跡があった、それはまるで地を這う大蛇の様な後だった。


「この数からして、一万は下らないでしょう」

「一万で済めばよいのだか」とベランドは言う。


 ベランドは昨日の風の中で見た光景を思い出す、あれは松明の光で間違いない、では、連中はあの極寒の中を強行行軍したのか、だとしたら、奴らは今どの辺に居る。

 そんな事を考えていると、副長が駆け寄って来て耳元で囁くよう言う。


「隊長、信じられませんが生存者が居ました」


 耳を疑う、最初の一報が届いてからここまで来るのに三週間は掛かっている、その三週間を生き抜いた人間はいないと思ったからだ。

 副長に案内され生存者がいた教会に向かう。

 教会は村から少し外れたところにある古い建物だ。

 教会に入ると、暖炉に火を入れていた隊員のすぐ脇に毛布に包まって体を小刻み震わせていた男が居た。


「大丈夫か?」ベランドは話しかけるが眼は虚ろだった、再度呼びかけようやく反応する。

「な、何ですか?」

「わたしはハマール領、第七衛兵団第一小隊隊長のベランドだ、君はこの村の住人か?」

「あ、うん、はい」

「教えて欲しい、ここで何が有った?」


 ベランドが問いかけると男は震える顔をこちらに向けて言う。


「と、突然、襲撃を告げる鐘が鳴ったと思ったら、家に火が付いて、妻と二人の息子を連れてこの教会に逃げてようとしたんだ、でも、逃げる途中で、騎兵に見つかって、妻と逸れて、おれは、下の息子を連れて、この教会に逃げ込んだ、でも、直ぐにここにも兵士がやって来て、司祭様が、この暖炉の裏にある隠し部屋におれを匿ってくれて、でも、この中に食糧が無くて、下の息子は喘息持ちで、その、いつの間にか、息をしてなくて、それで……」

 ベランドは暖炉の傍で寝かされている小さな子供を見る、まるで眠っているかのような顔をしているが、生気のない顔をしている。

 副長を見ると顔を横に振る。

 ベランドは男に再度訊く。


「辛いと思うが、襲って来た連中に心当たりはないか、例えば旗を見たとか、喋り方に独特だったとか、何でもいい、何か知っていることを――」

「あれはガスダント帝国の騎兵だ」男は断言した。

「間違いないか」

「間違いない、おれはこの村に住む前は、ガスダント帝国で傭兵をしていて、ガスダントの甲冑は黒を基調とした独特な形をしているから、一目でわかる」

「そうか、済まないな」

「なあ、一つ訊いていいか?」

「何だ?」

「おれの他に、生存者は? 妻ともう一人の息子は?」

「一人、女の子が居る、今、街に居る、他は…… 残念だ」そう言って男の肩を叩き教会を出る。


 ベランドは振り向き付いて来た副長に指示をする。


「今日の日中にもここを発つぞ」

「城に戻るのですが?」

「いや、今から戻ったところでどうしようもない、たぶん間に合わん、それよりも、他の領地に向かう、援軍を呼ぶんだ、おれは、フォルフとニックを連れて、バヤー領に向かう、あの風見鶏の領主が援軍を出すとは思えんが、取りあえず言って見る、副長は他の隊員を連れて、ピヤップ領に向かってくれ、あの男も連れてな」

「了解です、隊長」


 ベランドは生き残った男を見る。

 彼はこれからどうするのだろうか、妻と息子を亡くして、ふと、街に残して来た妻と子供の顔が浮かぶ。

 もし、ハマール領が落ちれば、妻子はあの男の妻子と同じ運命を辿るかも知れない、そう思うと今すぐ帰りたい衝動に駆られるが、部下の前ではそんな素振りは見せられない。

 妻と子供を救えるのはおれ達だけだ、そう言い聞かせ、ベランドはキサラギ村を後にした。



 ハマール領内は物静かだった、本来ならこの日は鎮魂際が華々しく行われ、夕方になって人の笑い声が街全体を覆っているハズだが、今は物静かな物だ。

 カムイは公宮から眺める街を見てそう思った。

 ジルマに出した夕食を下げる。


「カムイ、どうするか決まったか?」と片付けているカムイにジルマは静か言う。

「はい、決まりました」とカムイははっきりした声で言った。

「そうか、で、どうする」

「残ります、ここに……」

「何故残る?」

「ここが、おれの居場所、帰る家だからです」

「その家が、戦に巻き込まれそうだとしてもか?」

「なら、尚更残らないといけません、自分の家を護る為に……」


 ジルマは静かに溜息を付いた。


「ロレも同じことを言いよったよ、自分の家を護るってな、バカだなお主らは」

「そんなあるじに従えている身ですから、性格もそうなってしまったかもしれません」


 カムイの言葉を聞いて鼻で笑う、また、カムイも笑った。

 二人は暫く笑った後、ジルマは今までの雰囲気を変える。


「残るからには、それ相応なりの働きをしてもらう」ジルマは真剣な顔で言う。

「はい」

「まあ、気張らなくてもよい、お前さんの働き場は自ずと決まっている」


 カムイは食器を下げ部屋を出る、部屋の外ではロレが居た。


「よお」と落ち着いた口調で言う。

「どうしたんだ、ロレ」

「いや、なに、お前さんがどうするか気になってな、もし、ここを去るなら、去る手伝いをしなくちゃなと、思って」

「残念だな、おれは残るよ」

「聞いてたよ、お前さん、残ってどうする?」

「さあ、おれに何ができるかわからないけど、でも、自分の家を荒らされるのは癪だろう」


 皿を洗いながらカムイは言う、その脇でカムイが洗った皿を拭て棚にロレは黙って戻す、既にいつの間にか習慣になっている動作がコツコツと続く。

 片付け終わるとカムイは奥から香草の葉を取り出し、厨房台にマグカップを二つ並べ香草茶ハーブティーを出す。

 ロレはそれを黙って受け取り、一口啜る。


「お前の茶は、落ち着くよ」

「ハーブの薬効だな、そのハーブには興奮作用を落ち着かせる効果がある」

「そうか」


 ロレは静かに啜りながら、厨房内を歩き回る。


「物はそんなになかったのに、お前が来て大分増えたな」

「旦那様に言えばある程度は揃えてくれたからな」

「フムン、お前の料理が上手くなるなら、安い投資だ、か」

「うん?」

「前に、旦那様が言ってた事だよ、まあ、その分、おれも賄い飯で美味いモノが有り付けるからいいが」

「旦那様らしい考えだ」

「まったくな」


 そのまま静かに時間が流れ、飲み終わったカップをロレは洗う。


「ロレはどうして残るんだ?」


 ロレは洗ったカップを置き振り向き洗いながら言う。


「誰かがあの人を世話しないとイケないだろう、何せ、戦や外交のこと以外はてんてんダメな人だからな、それに、恩人でもあるし」


 ロレは最北の果ての国の出だと聞いた事がある、国が滅んで家族と共に難民となったが、生き残ったのは彼だけだと言う。

 彼が残るのは忠義心からだろう、そんな彼から見たら、カムイはどう映るのだろうか、カムイは思い切って聞いてみた、だが、帰って来た答えはあっさりしたモノだった。


「さあ、別段おれは何とも思わないぜ」さらりと言う。

「おれは、忠義心とか――」

「お前は居場所を護りたい、だから残った、それでいいじゃないか、それに、旦那様もおれもお前に、そこまでの忠義心は求めてないよ」

「そんな物か……」

「そんな物さ」と彼は言った。


 ロレが出て行った後、一人厨房に残った。

 今思えばこの厨房、こんなに広かったのかと見渡して改めて思った。

 来た当初は、それ程広いとは感じなかったが、落ち着いてみると意外と広い。

 大人十人、入って仕事しても狭くは感じない程に、それから彼方此方にすす汚れや油汚れが有るのに気付く、しっかり後片付けや掃除をしているつもりでも、全部は見えていなかったようだ。

 こんな形で、自分の未熟さが見えるのは素晴らしい発見だとカムイは思った。

 厨房の奥に置いてあるモップを取り出して、カムイは掃除を始めた、もしかしたら最後に成るかも知れない掃除を。



 翌日は晴天だった、本来なら鎮魂際二日目に当たる今日は『舞の巫女』の演舞が行われる予定だったが今は閑散としている。

 カムイは朝食の準備を始めていた。

 窯に火を入れ、野菜を切りはじめる。

 昨日丸一に掛けて掃除したお蔭で厨房は光り輝くほどに綺麗になったが、お蔭で寝不足になってしまった。

 襲って来る睡魔と戦いながら、微塵切りにしたキャベツを自分で作ったミキサーに入れハンドルを回す、簡単な作業だけに異様に眠くなる、眠気の性か、地面が揺れている錯覚までする。

 ふと、水を張った鍋を見てあることに気付く、鍋の水が小刻みに揺れているのである、しかもそれは次第に大きくなっていく。

 地震? そんな事が頭の中を過った時だ、甲高い鐘の音が鳴り響く、襲撃を告げる鐘だ。

 カムイは厨房を飛び出し、城外を眺めることが出来る、二階の中庭に向かう。

 中庭には既にジルマとロレ、そして衛兵長のロレンスが居た。


「旦那様!」

「カムイか」とジルマが振り返りもせずに言う。

「領主、完全に包囲されますね」とロレンスが言う。

「ロレンス、至急、兵を招集しろ、全ての門を封鎖、女や子供らを城の内縁部に退避させろ」

「ハッ!」


 カムイは外を眺めて目を丸くする、この様な光景は映画やアニメの中だけだと思っていたからだ、実際にその光景を目にしなければこの圧巻の光景と恐怖はわからない。

 城壁の外は黒い甲冑で覆われた兵士の列が地の果てまで続いていたのだ、それはまるで黒い大蛇だ。


「ドット大河から現れる邪神、ドットだな」とジルマは静かに言う。


 邪神ドットは、ハマール城を飲み込まんと、今まさに眼前に迫っていた。


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