二十四話:ラーニャ・コカミと思い出の料理 ⑤
1
アルディート領から戻るとカムイは早速厨房に向かい豆腐作りに着手する。
必要なモノは、道中で買いそろえて来たのであとは作るだけだ。
昨日から漬けて置いた樽から大豆を取り出す、大豆は漬ける前は小さかったのだが、水に漬け置きすると二倍まで膨らむ。
浸透具合は丁度良いな、カムイは大豆を取り出してそれをザルで大豆を押さえつけながら潰す、これを二回ほど繰り返した後、今度は擂鉢に入れて滑らかにまるまで磨り潰す。
本当はミキサーがあれば楽なのだが、この世界にそんなものがあるハズはなく、有ったとしても電気がなければタダのアンティークの置物でしかない。
石臼と言う手もあるが、あれはバルンザが居る厨房にしかない、自分が使えるのはここの小さな予備厨房だけだ。
しばらく磨り潰し、木目細かいかいクリーム状の生呉になったら、今度は大き目な鍋に水と共に先程の磨り潰した生呉を入れてしばらく煮る。
沸騰するまで暫く待ちだ、カムイはその間に昼の賄を考える。
これが手に入ったから、何を作ろうかな。
アルディート家で貰い受けた魚醤を手に何を作ろうかと考えていると「何を作るんだ」とロレが顔を覗かせる。
「まだ考えてない」
と、だけ答える。
「その鍋で煮ている奴は?」
「それは別だ、今回のメインの料理だよ、例の、今考えているのはおれの昼飯、ロレも食うか?」
「おれもご相伴預かれるか?」
カムイは少しだけ考える顔をした後、ニッコリと笑いながら言う。
「レミーを呼んで来るなら、な」
「何でそこでレイミーが出るんだよ」
さあと、身振りで言う。
何か納得できないと言うような顔をするロレを尻目にナンプラーの蓋を取ると、匂いがキツイのか鼻を抑えながらロレが苦々しい声で言う。
「何だそれ、すごい匂いだぞ」
「ナンプラー、こっちはガルムと言うみたいだけど、おれの故郷の調味料の一つだ」
一口舐めるかと、進めてみるモノのしかめっ面をしながら要らんと言われる。
カムイはナンプラー、いやガルムを一滴舐めて味を確認する、あっちの世界で使っていたナンプラーよりは塩辛いが味は同じだ、何とも懐かしい味だ。
こうして味を確かめると、頭の中で溢れんばかりの料理のレパートリーが浮かび上がる。
どれも作りたいが、今はガルムが再度手に入る目途が無いので、少しづつ使うしかない、それに欲しい調味料はまだまだいろいろある。
今一番に欲しいのは醤油と味噌だ。
今度、麹を貰って麦味噌でも作ろうかな、でも、本当に欲しいのは本格的な味噌なんだよなとカムイは頭の中で考えながら、もやしを洗い始める。
そんなカムイを尻目に鼻を抑えながら、ロレが言う。
「で、結局何を作るんだ?」
「パッタイ」
「……美味いのか?」
「ロレは辛いの好きか?」
「嫌いではないが好きでもない、まあ、普通かな」
「わかった、普通な」
「辛い料理なのか?」
「人によりケリだな、おれは口から火が吹くぐらいの辛さが好きだが、ロレの一般向けに調整しよう」
フライパンに油を引き、卵を入れ素早くかき混ぜスクランブルエッグを作る、次に殻を剥いた川エビと干しエビを炒める、エビのいい匂いがして来たらもやしと麺を入れ素早く混ぜるように炒め、食材全体に火が通ったらナンプラー、ハチミツ、作り置きの鶏がらスープ、そして自分用に唐辛子を入れ麺に味を馴染ませる。
「ほら、出来たぞ」
香ばしいさと独特の匂いが鼻腔を擽り、厨房に寝ている腹の虫を起こすような香りが充満する。
「パスタか?」
「まあ、パスタの麺を使っているから、そう見えるかもしれないが実際は違う、それに本来のパッタイは焼きそば用の麺か中華麺、米粉の使った麺だ、でもパスタ麺でもイケる」
そう言って出来た品を厨房の作業台に置き、ロレに食うように勧める。
カムイの勧めにロレは少し顔を苦ませる。
「そっちとこっちで色が違うんだが、なんでだ」
確かにロレに出した方と自分用に作ったパッタイは違う、ロレのは途中まで同じだがこちらは甘辛く仕上げ薄い卵に包んで仕上げてある。
そして自分ようは少し赤み掛かっている、色だけで辛さがこみ上げ唾液が出そうなほどだ。
カムイはニコニコしながら卵に包んだパッタイをロレに渡す。
「こっちはロレ専用だよ、ロレは甘口の味が好きだろう」
「そうだが…… なんで笑うんだ?」
「いや、お子様だなと思って」
「悪かったな、無理して背伸びして女にモテるのならするがなぁ、ここ最近気づいたことだが、どうも女は無理して背伸びするよりは、素の方が良いみたいだ」
「確かにレミー相手なら素の方が良いかも」
「だから、なんでそこでレイミーが出るんだよ」
ロレは本当に気付いていないのだろうか、レミーの気持に、傍から見れば誰もが解る様な態度なのに、このままではレミーは苦労するんだろうな、カムイはこのままいっそうの事だが彼女の気持ちを伝えるべきだろうかとそう思ったが、その考えは直ぐに改める。
他人が口を挟んでややこしくなって拗れて仲違いをさせたくはない、ロレはこの世界に来て初めてできた仲間だ、仲間は大切にしなくてはならない。
カムイは、テーブルにパッタイを置きそのまま酒蔵に足を向ける。
「どこ行くんだ?」
ロレが言うのと同時に彼の腹の虫がなり、カムイは思わず静かに笑う。
「果実汁水を持ってくるよ、それにはオレンジが合う」
「本当か?」
「本当だとも」
その足でカムイは酒蔵に保存していたジュースを取りに向かう、酒蔵は王宮内にある厨房の隣の地下室にある。
もうすぐ冬を迎えようとしている所為か少し肌寒い。
薄暗い階段を下りてすぐ右奥にある棚に置かれているジュースの壺を取り、上に上がろうとした時だ、誰かの話し声が聞こえる、誰だろうと奥を覗き込むとそこに居たのはジルマの腹心の一人であるロレンスだ、そしてもう一人、あれは誰だ、その顔は見たことのない顔だった、でも、宮仕えの格好をしているので宮廷勤めの人間であることは間違いない。
「わかった、では、ギガン将軍は動く気はないと、そういうことか」
「従軍している兄からの情報なので間違いないかと」
「では、ビルヘイムの使者も」
「おそらくは門前払いかと」
「何を考えているんだ、あの将軍は? もし、カーベイン公陣営と戦になったら不安分子を隅に置いた状態で戦うというのか、こちらは戦力が心許無いというのに」
「兄の話では、将軍はこう言っていたそうです」
宮仕えの男はロレンスに耳元で囁くとロレンスの顔色が鬼の形相に変わって行くのが薄暗い酒蔵の中でもわかった。
「あの男、本当にそんなことを言っていたのか!」
「は、はい」
「反逆に等しい行為だぞ!」
ロレンスは自らの拳を壁にぶつける、鈍い音が響くと何かを考えるように頭を掻きむしり、そして静かに宮仕えに言う。
「わかった他に何かわかったら連絡をしてくれ」
「はい、将軍」
話し終えるとロレンスが出口に向かって歩いて来たので思わず身を隠してしまう。
ロレンスと宮仕えが酒蔵が出て行くと、カムイは大きく息を吐く。
さっきの会話を要約すると、シルフィーナ陣営内は戦力不足で、未だにどちら付かずの将軍であるギガンと言う男を抱き込みたいが門前払いを受けていると言うことか、薄々気付いていたけど考えないようにしていた事だ、やはり、内戦が始まるのか。
南部との武力衝突は避けては通れないというのは、目に見えている、でも、国内で争っていていいのか、パティールは小さな国だ、四方を大国に囲まれたこの国では小さな争いでも国力を消耗する、それは得策ではない、でも、話し合いで事が済むのなら戦争など起きない。
この世界の仕組みもカムイの居た世界の仕組みも皆同じなのである。
世界は人に厳しくそして残酷なのだ。
カムイがそんなことを考えながら厨房に向かう、ドアの前に差し掛かると何か騒がしい声が聞こえて来る。
その声は聞き覚えのある声だ、一人はシルフィーナの侍女のアマンダ、そしてロレだ。
カムイは静かに扉を開けるとそこには真っ赤な顔をしてひたすら水を貪り飲むシルフィーナの姿があった。
「カムイ! お前なんだよこれ!」
「何だよこれと言われましても」
「殿下がこの料理を食べてから顔が真っ赤になって! あなたまさか毒でも盛ったんじゃあ!」
「毒だなっんてそんなモノーー」
そこでふと視界に入ったのは自分のパッタイが減っていることに気付く、まさかと思ったがこの状況ならマズ間違いない。
「まさか、おれの食べたのですが」
「あぁ、口を付けたのを渡そうとしたんだが、その前にガブリと一口」
持っていた壺からオレンジジュースをコップに注ぎそれを渡す。
「ジュースを飲めば少しは楽になりますよ」
「あ、アリガチョウコチャイマス」
辛さのあまりに言葉回らないようだ。
「殿下、今度からわたしが来る前に食べないでください、殿下が食べたのは自分用に普通の辛さの五倍マシにしてあるんですから」
「けっこうから辛かったぞ、これ」
「そうか、甘辛に仕上げたつもりだったんだが」
「これでか?」
ロレは目を真ん丸に広げんながら言う。
「殿下、こちらにはどんな用事で?」
「戻られたと聞いたんので、現状を訊きに」
とアマンダが辛さで言葉が回らないシルフィーナの代わりに答える。
「今、途中ぐらいですかね、今晩にも出せますよ」
「左様ですが、ではその際は殿下もご一緒しますので、今の様なことがないようにくれぐれも」
睨みを効かせた獲物を狩る鷹の様に、鋭い目でカムイを睨みつける。その気配に押されたのかロレもビクッと肩を竦ませた。
2
再度作り直した甘めのパッタイを食べ終えて、午後の仕事に戻って行く三人を見送った後、カムイは調理の続きに入る。
ザルに濾し布を敷き、その上に鍋で温めた大豆を少しずつ掬いながら移し、移し終わったら絞る。
そして出来上がったのか液体の『豆乳』と搾りかすの『おから』だ。
ここからは温度計が無いのでここからは感覚の勝負になる、絞り出した豆乳を再度鍋に入れて弱火で温める、にがりを入れた際の丁度良い硬さは七五度から八十度、低すぎれば柔らかすぎて固まらず、高すぎれば硬くなり過ぎでボロボロになる、豆腐作りの最大の難関だ。
ゆっくりと温めながら時折人差し指で温度を測りながら、タイミングを見計らって、にがりを入れる、ゆっくりと円を描く様に入れてかき混ぜる、そして、火を止めて十分待つ。
十分後、鍋の中を確認する。
凝固しているのを確認したら、予め作って置いた豆腐箱に濡れた布を入れその中に凝固した豆乳を入れて行く、全て入れたらそれを蓋をしてその上に重し代わりに水を入れたコップを置いてあとは固まるのを待つだけだ。
さて、夕餉まで時間があるがどうするかと考えていると、厨房のドアが開く音がする、その方に視線を向けると、入って来たのはジルマだ。
「旦那様、何か?」
「いや、ちょっとツマミをな」
ニコやかにワインのボトルを見せながら言う、まあ、酒の賄を作れということか、カムイは今残っている食材で作れるモノと言えばあれしかない。
カムイは厨房の保冷庫に残っていた肉の削ぎ落しをミンチにして、卵とおからを加え形を整え焼く、焼き上がりにトマトソースを掛ければヘルシーハンバーグの完成だ。
「フムン、随分と軽いなこれ」
「半分はおから、大豆の搾りかすですのであっさりと仕上がるんですよ」
「なるほどなるほど、酒にも合う」
しばらく、おからハンバーグを賄に晩酌をしていたジルマであったがふと、飲みかけのワイングラスを置き、カムイに座る様に言う。
別段強い口調と言う訳ではないが、座れという言葉にどことなく重みがあった。
カムイは無言のまま、ジルマのテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろした。
「カムイ、来週にはペルマ王が来訪するのは知っているな」
「ええ、まあ、そこでこの前の勝負の続きをするということですが」
「…… その勝負の勝敗に関わらずわしは一度領に戻るつもりだ」
言葉に節々に何かしらの重みがある、おそらくだが内戦を睨んでの準備に取り掛かるつもりだ、北部中心地であるハマール、そのハマールを中心に現在の政権に従う者とそうではない者など北部一帯の領主の動きを見定める為だろう。
王族でありシルフィーナの後見人であるジルマにとっては、彼女を護るために戦力を少しでも増やしたいのだ、その為の一時帰郷そうに違いない。
「で、だ、カムイ」
「はい」
「お前はこのまま王都に残れ」
「えっ?」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、真剣な眼差しを向けるジルマを見てカムイは姿勢を正し、そして質問する。
「理由をお聞かせ願いますか」
ジルマはグラスに残ったワインを飲み干し、静かに口を開く。
「今後、この国は難しい舵取りをしなくてはならない、おそらくだが、いや、確実に内戦は始まるだろう、そして、その内戦に勝利しても疲弊したこの国を諸外国が見逃すはずがない、何かしらの行動に移る、現にわしが留守の時にハフマン帝国の皇帝が来訪している、それに敵は諸外国だけとは限らない」
「諸外国だけではない?」
「中立として情勢を窺う諸侯だ」
「この情勢下でまだ中立を標榜している貴族や領主が居るのですが」
「いる、とくに多いのは準貴族だ」
領地と言うのは王か臣下に報奨として渡された土地だ、そしてその地を経営するのが領主であり貴族である。
貴族は領地を持っていると言うのはある意味正しい認識であるが、中には領地を持たない貴族などが居る、例えば準貴族などのいわゆる騎士貴族や官僚貴族だ、基本的には彼らは貴族であり爵位を持つが領地を持たない代わりに、国から俸給を貰い生活している。
基本的には彼らは国への忠誠を誓うことを義務付けられ、国王の命令には絶対の厳守が求められる。
ロレらから聞かされたこの国、階級制度思い出していたカムイはそこであることに気付く。
「今までの彼らはカルマ王に従った者達だから、どちらに就くか分からないと言うことですが」
「その通り、王位継承を宣言しているがシルフィーナはまだ王ではなく、一王国の姫に過ぎない、彼らが従うのはあくまでもパティール王国国王だけだ」
「しかし、仮にも王族です、普通は従うのではないのですが」
「今この王宮に残っているの連中はシルフィに従うことを決めた連中だ、だが、カーベインにもカルマに従わなかった日和見準貴族共は情勢を見て有利な方に傾くだろうな、何せ自分の食い扶持が掛かっているのだからな、そんな連中を一人でも多く見方陣営に引き入れる必要性がある」
「それとわたしが残ることに何の意味があるというのですが」
「お前にはビルヘイムの元でその作業を手伝って欲しい」
「ビルヘイム卿の元で?」
「そうだ、それらの仕事はビルヘイムが一番向いている、お前にはその補佐を命じる」
「しかし、わたしは料理人です、何の力にも」
「なに、美味い飯でも食わせて心を開かせればいい」
「心、ですか」
「左様、お前さんの笑顔で作っている料理を食べると皆、笑顔になるからな」
「そうでしょうか」
「そうだとも」
ジルマは首をゆっくりと縦に振る。
「お前さんの飯は美味いからない、食っていると自然と笑顔になる」
「笑顔って、それは……」
「カムイ」
いつもの、のほほんとした優しいお爺ちゃんと思えるような笑顔をカムイに向けながら「頼むと」と静かに頭を下げた。
ジルマが返った後、豆腐の様子を見ながら先程の事を考えていた。
おれに料理にそんな力など有るのだろうか、人を笑顔にする、何か腑に落ちない感覚が頭の中でへばり付いて離れない。
ふとアルディート領でのフォルスとの会話を思い出す。
『料理は好きですが』
料理をするのは好きだ、と、カムイは思っていた。ジルマにもそう見ているのだろうか、でも、どこかの奥にある違和感が最近ちらつき始めている、おれは料理が好きなのだろうか、いや、そもそもおれは楽しく作っているのだろうか、わからない。
カムイは静かに溜息を付く、おれ自身が何者かわからないのに料理が好きなのかどうかなどわかるはずがない。
でも、少なくとも今の自分は楽しく作れているのだろう、でなければあんなことを言われない。
自答自問を続けていると既に辺りは暗くなっていた、窓から夕日が差し込みあと数時間で完全に沈み夜になるだろう。
そうすれば今日の仕事が始まる、今回のはタダの接待料理だ。
お客様の注文に答えるだけだ、そう答えるだけ、ただそれだけだ。
ふと、ドアが開く音がして視界をそちらに向ける、ドアの向こうから静かに覗き込んだのはフォルスだった。
「なにか?」
カムイの質問にフォルスは「別に」と静かに答えるとゆっくりした歩み、カムイの近くにあったテーブルに腰を下ろす。
「それが今日の料理ですが?」
「いえ、まだ出来たのは豆腐の本体です」
「これが豆腐ですが、まるで雪玉みたいですね」
「雪ではありませんよ、大豆です」
「だから、みたいだと言っていじゃないですか」
「そうでしたね」
型から取り出して完成した豆腐に薬味として練ったばかりのワサビを乗っけフォルスと共に試食する、口の中に広がる大豆の香りと風味、ワサビのツーンとした刺激は鼻腔を刺激しより一層に豆腐の味を引き立てている。
「うん、美味い、やはり豆腐は水が命だ、この硬さならアレを作るのに支障はないハズだ、どうです、フォルスさん」
カムイがフォルスの方に顔を向けると少し涙目になった彼女がそこに居た。
「大丈夫ですが」
「鼻に来ますね、これ」
「すみません、ワサビが大丈夫かどうか聞いておくべきでした」
「いえいえ、いいんですよ」
お互い顔を見て何故だが笑いが込み上げて来た、どうしてだが知らないがたぶん、お互い笑わないといけないと言う何かに駆られたのだろう。
ひとしきり笑い合った後、フォルスは静かに言う。
「母の事、ありがとうございました」
静かにゆっくりと頭を下げる、カムイは慌てて「頭を下げないでください」と言うかそれを無視してフォルスは話を続ける。
「あなたのお陰で母の事で悩みが消えました、これでわたしはわたしの為に騎士に成れます、誰にの為でもない自分の為に」
「おれは別段何もしてないですよ」
「いえ、あなたのお陰です」
「本当におれは何も……」
「ちゃんと、伝えることが出来ました、わたしの気持ちも、今亡き兄の気持ちも、あなたの料理は誰かを救うモノです、だから『ありがとう』と言う礼が言いたかった」
カムイは黙り込んでしまった、誰かを救う、そんなことを考えたことがなかったからだ。
誰かを救うと言うのは並大抵の事ではないし、それが出来る人間は限られている、ましたや料理などで救われるなど有り得るのだろうか、おそらくそれは砂漠で米粒を見つけるよりも難しい事だろう、でも、フォルスは救われたと言った、それは広大な砂漠の中から一粒の米を拾い上げることと同じこと、それがおれが出来たって言うのかと、カムイはそこでさらに悩んでしまった、いや、頭の中でそれを否定しようとする自分が居るのを感じていた。
おれの料理にそれ程の力はない、誰かが心の中でそう言っている、一体誰が言っているのだ。
「カムイさん?」
「えっ、何か?」
「いえ、ぼーっとしていたので…… わたし、何か変なこと、言いました?」
「いえ、別に」
宙に浮いていた意識が戻り、フォルスの心配そうな顔が目の前に映る。
カムイは何でもないと言い、残りの豆腐を口の中に掻き込む。
「おれは、普通に美味いモノを作りたいだけだ」
カムイはそう呟く声は、静かに夕日が沈む厨房に消えて行った。
3
独房の代わりに軟禁された部屋は、あの料理人が使っている部屋だと言う、彼がアルディート領に行っている間はここを使わせてくれたので、三週間ぶりのベッドで寝られた、そのおかげで体の調子がすこぶる良好になった。
パティール王国に来るまでは山で野宿して過ごしていることが多かったために寝違えるは、森の中の移動で木々などで、切り傷が絶えなかった。
傍から見れば王女には見えない様なみすぼらしい格好だった、こんなことに成るのならしっかりとしたモノを着てくればよかったと今は後悔している。
今までどこでどのように生活していたのか尋ねられた時に、今のこと言ったらあまり信じてもらえなかった。
一国の王女が野宿など有りえない、そう言いたげそうな者が大半だった。
養女とはいえ王族であるラーニャであったが野宿するには慣れていた、理由は簡単である、ラビ=ハン国の王族は十歳は超えると男女問わず半年間森の中に入りに一人で生活しなければならい掟があった、この起源は創造神話で出る現人神であるガイア王の伝説から来ているからである。
邪神ドットを討ち果たした、男神ロと女神ラの悲劇をもって神々の神界は終わりを告げた、残された神であり人であり二人の子でもある現人神ガイアは、神が消えた神界から新たな世が生まれようとしている下界である地上の大地に降り立った。
邪神が消えた世界は安泰の時代を迎えていると思っていたガイアであったが、彼が目にしたのは邪神が消えたことにより、新たな土地を求めて争い合う人族の醜い姿だった。
ガイアは嘆き大いに悲しんだ、邪が消えた世界はこうも醜い世界なのかと。
彼は争い人族の血で汚れた大地を後にして、深い深い森の中でガイアはひたすら祈り続けた、そんな彼の目の前に現れたのが、邪神ドットの従者である『鬼のウパパ』であった。
鬼は聞いた。
「君はそこで何をしているの」と
ガイアはこう答えた。
「悲しきかな、この世界は邪神が消えたことにより、人族が争いを始めた、とてもとても醜い争いを」
鬼は答えた。
「それは人族の習性なのです、アレが欲しいコレが欲しい、そう言っては取り合うのです、そうしないと生きていけない悲しい種族なのです」
ガイアは質問した。
「では、どうしたらよいのですが」と
鬼は答えた。
「この森でその答えを探しなさい、あなたの答えはこの森にある」と。
ガイアは森に籠り、その答えを探し続けた。
人はなぜ争うのか、どうして殺し合いが出来るのか、それを深く考えれば深く考える程にガイアは解らなくなった。
幾十年幾百年の時が過ぎたころに、彼の目の前に一人の人族の少女が現れた。
「君は誰だい? ここで何をしているの?」
そう訊ねても少女は答えなかった。
「何故、黙っているの?」
それでも彼女は答えなかった。
しばらく、ガイアを見つめたのち、彼女は彼の隣に静かに座った。
「何故、隣に座る」
彼女は口をパクパクさせるだけで、声を出さない、そこでガイアは気づいたのだ、この子は声が出でないんだと。
そこでガイアは思い出す、彼ら人族には意思はあってもそれを言葉に出来ない、言葉を持たない種族であると言うことを、そこでガイアは気付くのであった。
「人族が争うのは、通じ合う言葉がない」
ならば言葉を作ればいい、ガイアは人族の文字を作ることにした。
それが古代ルウム語であり現在全ての言葉の元となったとされている。
その言葉を森を訪れた人族一人ひとりに教えて、文字を世界に広げたとされている。
この逸話の風習に習いラビ=ハン国の王族は半年もの間、森で住まい、成人した日に述べる言葉をしたためるとされている。
その間は食料から水、寝床まで全て森で調達しなければならい、正直最初の一週間は本気で飢え死にするかと思えたが、次第に生活に成れ二カ月もすれば食うのには困らなくなっていた。
「そういえば、あの時したためた言葉ってなんて書いたっけ?」
書いた言葉は本殿の奥にある創造神が住まうとされる社に奉納されている、言葉が開封されるのは成人する日だ。と言うことは永遠に開かない可能性がある。
まあ、そればどうでもいい事である。
彼が居ない間にこの部屋を物色したが、あまりにも殺風景なので少し驚いた。
部屋には何もないのだ、置いてあるのは備え付けの家具類と一輪の白いチューリップが置かれているだけだった。
ここまで何もないと普段は何をしているのだろうか考えさせられてしまう、そんなことを考えながら二日ほど過ごした後、彼が返ってきたと言うので、ラーニャは厨房に行きたくなってうずうずしていた、どうしてもアレが食べたい、アレがわたしの中で幻だったのか本当だったのか、早く知りたかったからだ。
でも、ドアの前に立つ兵士に「出るな」と言われてしまう。
ラーニャは仕方なく、アレが出来るまで待つことにした。
窓の外を眺めていると、白鷲が飛び立つのが見えた。
シーラは渡り鳥だ、春から夏にかけて南のルウム大陸から海を渡り北のファフマ大陸に北上して来る、そして秋に成るまでこの地で子育てをして、冬にはその子らと共に再び海を渡る。
そんなシーラが今この時期に居るのは珍しいモノだ、多分だが群れからはぐれてしまったのだろう、そう、わたしの様にと。
はぐれ者は永遠にはぐれ者だ、根無し草にとなりどこかに流れ着くともなく、風の向くまま気の向くままに流されていくのだろう。
わたしは一人だ、と呟いたところで誰も居ないこの部屋では空しく響くだけだ。
この先どうなるのだろうか、わたしは一体に何をやりたいのだろうか、あの世界が実在したとしてもそれが何なのだと、と言われれはそれだけだ。
未来ではラビ・ハンは何者かに侵略される、でも、それは五年十年先の話ではないのかもしれない、もしかしたら、遥か未来の話なのかもしれない。
そんな先の世の話をこの現世でしても意味がないのは重々承知している、でも、だからと言って何もしないのは我慢ならない、何よりも、十五年間も暮らした祖国が無くなるのは嫌なのだ、それが例え先の分からない未来だとしても、あの世界が現実だとしてたらわたしが『ホール』に入り未来を見てきたことに意味があるハズだ。
それを確かにする為にあの日食べた、この舌が覚えているあの味が偽りでないのなら、わたしは未来を変えなければならい、だからここに居る。
日が完全に落ち切ったところで、ラーニャは食堂に呼ばれた。
淡いろうそくの火に照らされた薄暗い食堂には、この国の臨時の王であるシルフィーナ王女、その叔父であるジルマ・パティール公爵が座っていた。
「料理が出来たので、お呼びしました、これからテーブルに出されるものがあなたの求めるモノかどうかはわかりませんが、もし、求めるモノなら約束は守ってもらいます」
シルフィーナが言うと、ラーニャは静かに右手を挙げ言う。
「契約の神、グッフェルに誓い」
「グッフェルに誓い」
互いに誓いを交わした後に彼は現れた、静かにラーニャの目の前にあの時と同じモノが目の前にあった。
「お待たせしました、『揚げ出汁豆腐』です」
この香り、間違いないあの時に食べた料理だ。
ラーニャは静かにフォークを手に取りカラッと揚がった衣の内側はフワフワと柔らかい、そしてそれを口にの中に運べば、あの時の懐かしい、あの世界の味が口の中に広がって行く。
「美味なる味ですね、少し癖のあるソースですが、出汁が効いているの割には表に出過ぎず、なのに完全な裏方に成らない奥深い味を出していますね」
「流石です、殿下、魚醬でも美味いのですが、わたしの故郷である醤油と言う調味料ならさらにおいしくなりますよ」
「それは是非食べてみたいものですね、さて、これがあなたの食べたかった、モノですかラーニャ…… さん?」
ラーニャの褐色肌を大粒の涙が流れていた、瞳には大粒の涙が一つまた一つと流れ落ちて行くこれは悲しんでいるのではない、あの日見たモノが、感じたモノが、聞いたモノが、そして味わったモノが噓偽りではなく本当だったことへの安堵と喜びに涙が止まらなかったのだ。
「大丈夫ですが、何か気になることでも……」
カムイの心配した声にラーニャは涙を拭きはらいながら言う。
「いえ、いいのです、これは間違いなくあの時に食べたモノで間違いない、やっぱり、あの世界は嘘偽りの世界ではなかった、あの世界は本当に在ったんだ」
シルフィーナは何か安堵したような顔をして、ラーニャに語り掛ける。
「では、約束の報酬を頂きましょう、ラーニャ殿下」
「はい」
「では、その話を食後のデザートと共にどうですが?」
デザートと言う言葉にシルフィーナとラーニャ、あと何故だがジルマまでもが『甘未があるの?』と言いたげそうなキラキラした様な目を向ける。
「余った豆乳で作った、豆乳プリンですどうぞ」
女の子二人の目は先程の揚げ出し豆腐よりも目が輝いている、何故だがジルマでも輝いている。
三人同時に口に入れると、目から星が飛び出るのではないかと言うぐらい更なる輝きを放ち始める、まあ、この世界にはお菓子のレパートリーが少ないから珍しい甘味は、読んで字の如く甘い誘惑になるのだろう。
これは良い収穫になった。
舌鼓を打つように目を細めながら甘味に喜ぶ三人を後にしてカムイはその場を離れる、今日の自分の仕事はここでお仕舞いだ、あとは三人の政治の話、そこに料理人が居るのは場違いだ。
カムイは二つの月を眺めながら部屋に戻るのであった。
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そこに居たのはラーニャだった。
この一文では何が何だがわからないが、わかりやすく言えば、朝、眠気が残る頭をどうにか起こして日課のラジオ体操をした後、朝食でも作ろうと部屋を出たところで、彼女が立膝を付きながら扉の前に居たのだ。
その姿はまるで主に忠誠を誓う、騎士そのモノだ。
「あの、ラーニャさん、ここで何を、てか、一体にをしているのですか?」
「カムイ殿にお願いの儀がありまして参りました」
「お願いですか?」
ラーニャが深々と頭を下げながら言う。
「わたしをカムイ殿の弟子にしてくだい!」
「はい?」
何を言われたのが眠気の所為で一瞬思考が止まった、やがて覚めた頭で事の意味が理解したが余りに突然でどう返事をしていいのか分からなかったので、気の抜けた様な生半可な返事をしてしまった。
そもそも、一国の王女である彼女が平民であり素性も知れないカムイに弟子入り志願するなど有るのだろうか、それ以前に許されることなのだろうか、そもそもそれを受けてよいのかカムイには解らなかった。
「おれの判断では出来かねます、一国の王女を弟子にするなんって、まず、シルフィーナ殿下に裁可を頂かないと」
「その件については問題はありません」
カムイは声の方に視線を向けるとすぐさま頭を下げる、声の主はシルフィーナだったからだ。
「昨日の話し合いで、彼女から想像以上の収穫がありましたので、更なる追加のお礼としてあなたの弟子になることを許可しました」
「と、言うことです、カムイ殿」
「いや、と、と言われましても……」
「カムイ、今後、ペルマ王国との会談で勝負事に一人で臨まれるのは不便でしょう、今後の事も考えてあなたは弟子を取るべきです」
「しかし!」
「カムイ、これは叔父様から命令だと思って下さい」
「旦那様からの」
「カムイ、あなたは今後もわたしの下で働いてもらうためにも動きやすいように、自分の手足を作るべきです」
「その為に彼女を弟子にしろと」
「そうです」
カムイは視線をラーニャの方に向けると何かにすがる様に目でこっちをこっちを見ていた。
静かに大きな溜息を付いてあと、カムイは静かに立ち上がりラーニャ言う。
「おれの指導は厳しいからな、あとで泣き言をいっても聞かないから」
「はい!」
いつも見る不愛想な尾顔ではなく、見たことのない満面の笑みカムイに向ける、それはまるで何かを認められた子供の様な可愛らしい笑顔だった。