十六話:ドーランシ市市街地戦 ③
十六話:ドーランシ市市街地戦 ③
1
澄み渡る空に綺麗な山脈、眼前の光景が無ければよい景色だったろうにと、カムイは思った。
目の前には八万の軍勢、その軍勢から兵団が別れると大通りの入り口に面した方へ移動を開始する。
ドグマ街道、ローレ街道、ヨルン街道各陣営に、兵団が集結する。
ドグマ街道に約二万万、ローレ街道に二万五千、ヨルン街道に二万。
そしてその後方に本陣と思ええる一団が一万五千。
打って変わってこちらの兵団は、各入口に、二千ずつ、保有戦力の半分を配置している。
各方面とも約十倍の戦力差だ。
「やはり、本陣が置かれているこの教会に近いローレ街道に戦力を集中してきましたね」
隣に立つグラブはそういう、昨日までの姿とは違い、男物の甲冑姿はどこか凛々しく見える。
「シルフィーナ殿下は?」
「もうすぐ上がってきますよ、それより、一昨日捕らえた間者から、ラバール軍の指揮は神皇が直々に指揮を執っているらしいですよ」
「一国の王が?」
「まあ、こちらも次期王が指揮を執るのです、別段不思議ではありませんよ」
「その通りです、カムイ」
振り向くとシルフィーナがいた、いつもの服装ではなく女性用の甲冑を着ている。
グラブが用意した甲冑で特注品らしい、白銀の甲冑、各ラインには金色の塗装がなされていて、威厳を神々しく出していた。
普段は腰まである銀色の髪を後ろで団子状にまとめている所為か、幼く見えた彼女が急に大人の女性に見える。
カムイがまじまじと見ていると、少しだけ頬を赤くしたシルフィーナが俯きながら静かに言う。
「あまりこちらを見ないでください、慣れてないのです」
カムイは慌てて視線を逸らすとその先に居たアマンダが、涎を垂らしながら、荒い息つがいでシルフィーナを見ていた。
なんだろうか、目がヤバイ感じがする。
「アマンダさん?」
「へえ? なんですが」
「何故、涎が?」
アマンダはアッとした顔をして慌てて袖で口の周りの涎を拭きとる。
彼女も動きやすいように、男物の服を着て腰に短剣を差していた。
それでも、未だに息が荒いのは何故だろうか、カムイにはわからなかった。
「敵の様子は?」
カムイとグラブの間に割って入ったシルフィーナは、塔の上から眺める。
既に敵軍の配置は完了、いつでも動けるようにしてある。
グラブが各状況と敵の規模を説明する、その間彼女は一言も喋らずただ聞いていた、ふと、カムイは彼女の手を見る、少しだけ震えていた、それもそうだ、これから起きるのは本格的な人間同士の殺し合いだ。
今まで、王宮暮らしだった彼女にとって、今まで見ることなく蓋をされて来たであろう世界が目の前にあるのだ、怖くないわけがない。
グラブが一通りの説明を終えると、シルフィーナは恐怖を隠すように、強めな口調で言う。
「我が方の準備は?」
「概ね完了と言ったところでしょう、流石はパティール軍、土木建築の技術に関しては他の国の追随を許さない、僅か二日で、これ程の防御陣地を構築するとは」
農業国であるパティールは、農業技術で培った高度な土木技術を有する国だ。
その土木技術は土塁構築や防御陣営構築などで生かされている。
現に各防御陣地にとても僅か半日で作られたとは思えない程の頑丈な陣地があちこちに構築されていた。
「後は要所要所に配置した各武将の力を信じましょう」
「そ…… ですね」
「大丈夫ですよ、殿下」
カムイはシルフィーナに静かに言う。
「皆、わたしの夜食を食べましたから、力が漲っていますよ」
カムイがそう言い切ると、急に二人が笑い出す、震えが止まったのはシルフィーナの顔に緊張や恐怖の感情はなく、落ち着いた表情をしていた。
あっけらかんとした二人の笑顔を見て何かおかしいのだろうかと、カムイは首を捻る。
「いえ、こんな状況でもあなたは冷静なのですね」
「カムイ殿は戦慣れしているご様子で」
「いえ、おれは……」
戦慣れしている、その言葉が喉に刺さった小骨の様に胸をチクチクする。
いや、これはチクチクではない、興奮しているのだろうか、何故? カムイはその答えがわからなかった。
「市民達は?」
シルフィーナが言うとグラブが即答する。
「昨日の演説のお陰で皆、やる気になっていますよ『おれ達の強さを王族に見せてやる』ってね」
シルフィーナの本隊が到着後、ドーランシ市の市民を教会の前に集めた。
既に市長を通じて協力の受諾の旨が伝えられてはいるが、中には反発するもの、特に先の土一揆を知っている者達から反発の声が上がったのだ。
しかし、それは予測されたモノである、シルフィーナはそれの反発をどう抑えるか、それが彼女の最初の政務となった。
教会の広場に設けられた壇上に、彼女は上がり市民を見渡す。
一旦目を閉じ、大きく深呼吸して彼女は第一声を発した。
「ドーランシ市の市民よ、わたしはシルフィーナ・パティール、次期国王となる者だ!」
それほど大きな声でもないの、だけど彼女の声は良く通る声をしていた。
そして何よりも、強過ぎずされど弱過ぎず、人を引き付けるには最適な声をしていて、聴く者、全てを引き付けたのだ。
「この国は、今、滅亡の縁に立たされている、ラバール軍は十五万の軍勢を率いてこの国を攻め滅ばさんとしている」
壇上の脇で警護のために立っている、ガンダルフとロレンスもまた彼女の声を聴いていた。
「だが、我が父、カルマ・パティールはラバールの暴挙を止めるために出陣して敗れた、わたしは、その父の無念を晴らそうとは思わない、何故ならわたしがやることは復讐ではない、この国を守ること、この国に住む民を守るためである、それが王族に課せられた責務であるから」
ドーランシ市の市民は静かに、シルフィーナの話に耳を傾けていた。
「かつて、この地で、我が軍と争いがあったことは知っている、だが、共通の敵を前にしてかつての禍根を声高に叫ぶのは、不毛だ、それでは、この国を守れない、ドーランシ市の市民よ、この王族を恨むのは構わない、だが、王族の恨みでこの国に住まう民までも巻き添えにしないで欲しい、パティールの民を救えるのは今やあなた方だけだ」
シルフィーナは一歩前に出て言う。
「我らに協力せよとは言わない、王族を守れとは言わない、ドーランシ市の市民よ、この国に住まう民の為に、どうか、どうか、戦って欲しい」
十三歳の少女が大衆の面前で頭を下げる、ただの少女ではない、一王族がだ。
この光景は異様な光景なのだ、王族が民に頭を下げてお願いをする、それは王族の威厳を著しく陥れる事であるが、今のシルフィーナにはその考えはなかった。
今、彼女の頭の中にあるのはこの国を守ること、民を守ること、そのことだけだった、その為には恥も対面も威厳も尊厳も全て捨てる、その様なことが普通の王族に出来ないだろう、でも、彼女ならできる。
彼女こそ、人を導く者の鑑だ。
ドーランシ市の市民もその気持ちが伝わったのだろう、皆、何も言わずに彼女に跪いた。
前から順位、まるで引き潮の様に教会の前に集まった全ての市民が跪いたのだ。
「皆さんに、感謝の意を」
2
エレキはドクマ街道方面の小高い丘の上に陣を張った。
既にラバール軍の配置は完了している、後は命令を出すだけだが、どうも気に食わない。
敵の配置は大通りに重装歩兵を配置、各二千、馬防柵で守られている、各防御陣地には塹壕が掘られ、直線的に進めないようにされている、しかしだ、どれ程の防御陣地を構築しようと、あれだけの戦力で防ぎきれるわけがない、だとすると、敵の狙いは何だ。
エレキは、腰からガラスの球体を埋め込んだ箱を取り出し覗き込む。
ラバール神国の皇太子である、アノルド・ロドリコ・ラバール皇太子が不思議そうにエレキを見ていた。
「何か、殿下」
エレキが覗きながら言うと、アノルドに言う。
「それは何だ、エレキ殿?」
「双眼鏡と言うものです、遠くを見る道具ですよ」
それだけ言うと、エレキは街の中央にある教会を見る、鐘の塔には国王旗である白鳩の旗が翻っている。
しかもその塔には人影らしき人物が見える、倍率を上げ、顔を確認する。
女が二人、一人は同じ顔だ、姉妹かと思った瞬間、次の大柄な男を見て瞼が一気に広がる。
「カズ……」
「どうされた、エレキ殿」
「いえ、何でもありません」
エレキは額から滲み出た汗を拭き払い、再度覗き込む。
間違いない、とエレキは確信した。
彼は忘れることが出来なかった、いや、忘れようとしても忘れることが出来なかったあの男『全ての元凶』であるアイツがここに居る。
「エレキ殿、全ての配置が完了した、いつでも、行けるぞ」
アノルドの声で心の奥底から込み上げて沸騰しかけた憎悪が冷める。
今はアイツよりも、戦の方が優先だ、どのみち勝てばアイツのことも分かるだろう。
エレキは咳払いをして、全軍の配置を再度確認する。
敵の配置から明らかな罠の臭いがするが、一体どんな罠があるのか、いきなり全滅と言うことはないだろう、その為に本陣守備隊と合わせて一万五千の予備隊を置いている、どの様な罠があっても、これだけの予備戦力があれば対応できる。
エレキはアノルドに合図を送る。
アノルドは首を縦に振り、剣を抜き振り上げ、張り裂けるような大声を挙げる。
「全軍、この一戦に全てを掛けろ! 突撃!」
振り下ろされた剣が合図となる、三方向の各軍団が一斉に駆け出す。
地鳴りと土煙が一斉に立ち上る。
先頭は少数ながらも騎馬隊である、騎馬の突進力を生かして一気に敵の防御陣地に穴をあける作戦だ。
エレキは全体を見る、最初に会敵するのはローレ街道側だ。
ローレ街道は敵の拠点である教会に最も近い、故に余剰戦力として五千も与えている。
エレキは敵の動きを見るために双眼鏡で街の動きを見ていた、するとエレキは数件の家の屋根に違和感を覚える、他の家は木材で作られた屋根だが、何故か布で覆われている、しかもそれが何件もまるで教会を守る様に、散在している。
と次の瞬間、その布が外され現れたのは小型の投石機だった。
「まさか……」
その言葉度同時だった、投石機からローレ街道に目掛けて打ち出される。
ローレ街道を直進していた、ラバール軍の頭上に人の頭ほどの大きさの石が字の如く、雨の様に降り注ぐ。
密集隊形で突入していた騎馬隊は無論、その後に続く歩兵隊も次々と空から降って来る石に倒されていく。
矢や槍よりも石つぶての方が怖いと昔の戦いを描いた戦記によく出て来るが、間近で見なければその怖さがわからないモノだ。
あの高さから落ちて来る石なら薄い盾なら軽く貫通する、鎧など着ていても意味をなさないだろう。
多少の犠牲はやおむえない、ここは犠牲を覚悟で突き進むまでだ。
エレキは東側を確認するとそこには疑うような光景が広がっていた、敵兵が全力で後退している、しかも後退した兵は建物を背にして盾を上下に重ね密集隊形を気付いている。
なるほど敵はバカではない、建物を背にすれば、突進力のある騎馬隊の攻撃を防ぐことは出来るだろう、だが、そのままなら騎馬隊は中入り込み、後方の歩兵隊押しつぶされる。
東側は小賢しい防御策だけかそう考えた時だ、地響きがすると同時に一瞬だが地面が揺れる、その揺れに驚いたのか、本陣を守っていた馬たちが、一斉に暴れ出す、何が起きたのかと確認しようと顔を上げた時だ、眼前のドグマ街道側の兵団の半分がすっぽり消えていた。
しかも、兵団がいたハズの地面には、落盤が起きたかのように陥没していた。
一体、何が起きたのだ。
エレキは自分の計り知れないことが起き続け、恐怖に襲われていた。
「この策は、再び我らが一揆を起こした際、切り札として、用意していた策です」
市民との演説を終え集まれられた各部隊長とドーランシ市の代表者とシルフィーナ、グラブが街の見取り図をテーブルに広げながら作戦会議をしていた。
「この街で敵を分断する『隘路』として利用しようと言う案はわたしも妙案だと思います、しかし、それだけでは、数倍近い戦力の穴を埋めることは出来ないでしょう、そこで、我々が秘匿していた戦術の出番です」
グラブが、いや、このドーランシ市が隊討伐軍用に用意した戦術、それは、街自体を要塞化することだ。
その最初の策として、鐘の塔に近い幾つかの建物の屋根に小型の投石機を設置、予め測量していた位置に目印石を置き、そのラインに敵が入り次第、投石機よる攻撃を行い、ローレ街道沿いから攻めて来る敵の数を減らす。
無論、ヨルン街道からくる敵には自然の力を利用した戦術が待っていた。
ヨルン街道
ハマール領所属の中隊長、ベランドは、眼前に迫る騎馬隊に前にしていた。
建物を背にして盾を密集に構えている、敵の騎馬隊が眼前に迫る光景は恐ろしいモノだ。
「来るぞ! 各員、歯を食いしばれよ!」
それが合図だった、敵騎馬隊が左右に分かれ街の中に入って行く、その入って行く際に敵は槍を投擲していく、鈍い音と共に何人かが槍の餌食になり真っ赤な血を撒き散らしながら倒れる。
「まだだ、敵の騎馬隊が入りきるまで持ち堪えろ!」
最後の騎馬の投擲が終わり次に間を開けて歩兵隊が突撃して来る。
「ヨシッ、陣形を変えろ!」
密集隊形を解き、横二列並ぶ。互いの背を向かい合わせている
その配置はまるで入り口を、蓋をするようにがっちりと各通りを重装歩兵の盾で塞がれる。
騎馬隊に後れを取る様に、敵歩兵隊も近づいて来る。
逆光の所為で見えにくい。
「来るぞ! 敵は太陽を背にしてこちらが見えないと思っている! 目にモノ見せてやれ! 来るぞ、盾を反せ!」
ベランドの合図で、重装歩兵隊が盾を一斉に反転する、反転した盾の裏側は人を映し出す鏡だった。
その鏡が太陽の光を反射して前方の敵歩兵隊に襲った、目をくらむような太陽の光は敵の動きを止めるには最良だった。
「今だ! 連装弩隊放てェ!」
合図と共に建物の布で覆われていた屋根が外され、巨大な長方形の箱が姿を現す、その長方形の箱には細かく仕切りが成されており、その仕切りの中に矢が込められていた。
民兵の一人が引き金を引く、すると一斉に箱に詰め込まれていた矢が飛び出し、宙を舞った、放たれた矢で青空は黒く覆われる。
その黒く覆った矢はそのまま地面に降り注ぎ、逆光で目くらましを、食らって止まっていた歩兵隊に襲い掛かる、
隙間すらない無いように放たれた矢は、歩兵隊を蹂躙し、兵士達の阿鼻叫喚声でヨルン街道は包まれた。
教会の鐘の塔から見ていたグラブとシルフィーナはそれぞれ違い感情を抱いていた。
グラブは、策が上手くいったことに安堵していたがシルフィーナは震えていた、カムイは彼女の震える肩に手を置く、驚いように肩を跳ね上げ顔を上げたシルフィーナの目には不安で一杯と言う目をしていた。
「殿下、大丈夫ですよ、我々は負けません」
シルフィーナを見ながらグラブが言い、カムイにニコッとした顔を向ける。
おれが言おうとしたことを言われたと、カムイは残念がる様な仕草をする。
「殿下、次作戦を行います、よろしいですね」
「お願いします!」
シルフィーナは静かに言う。
グラブは伝声管に向かって叫ぶ。
「三番の仕掛けを発動!」
『了解!』
と生きのいい男の声が返って来る。
その男のいる場所は地下だった、男は複数の大工集と共に大ハンマーを構え目の前の木材目掛けて振り下ろした。
木材は圧し折れると、天井から砂粒が落ち始める、最初は小粒、次に大粒になり、音を立て崩れ始める。
その真上にはドグマ街道の大通りに向けて進軍中のラバール軍が居た。
二万の人と馬、それに鎧姿の彼らが駆ける際の重みは支柱としていた木材が無くなり重量が石切り場に掛かる。
その重みは石切り場を屈すには十分であった。
まるで落とし穴の様に地面が崩れ落ちる、それに巻き込まれた騎馬隊と歩兵隊数千名は石切り場の下敷きとなった。
辛うじて難を苦れたラバール軍の歩兵隊は、しばらく呆然としていたが、空から降って来た、矢の雨の餌食となる。
エレキは落ち着きを取り戻して、周囲を確認する。
投石機のよる攻撃に、太陽を利用した光線戦術、さらに落盤戦術。
こんな古典的な戦術がほぼ同時に行われるとは思ってもいなかったエレキは同時に安堵が生まれる。
いくら策を労したところで、やはり数の差がある、やられたのは一部の騎馬隊と歩兵隊、だけだ、前方に出ている敵部隊は建物を背にしている防御態勢。
攻撃の姿勢を見せない。
街に入り込めさえすればこちらのモノだ、そう思った時だ、嫌感じがしたのだ、エレキは何かを見落としているような気がしてならなかった。
そして、市内に残存部隊が全て突入し終えた時、それが確信に変わる。
今まで建物を背にしていた兵士達が一斉に動き出したのだ。
敵歩兵は、道と言う道に二列横隊に並び、互いに背を向けながら道を塞いだのだ。
そして突入した兵士達も問題が起きていた、動きが鈍いのだ。
そこでエレキはハッとする。
やられた、アイツらは街の並びを『隘路』に見立てたのか。
隘路は数本の道が一本にまとまっている道のことである、まさに街の並びはその隘路になっていたのだ。
隘路に入ったラバール軍は無論、数の利を生かして複数に分かれる、つまり、部隊が細分化されるのだ。
しかし、同時に一か所でも詰まれば、動きは鈍くなる。
そして、細分化され動きが鈍くなった先に待っているのは、徹底された狩りである、甘かったと思った、この街は城壁を持たないからと思って油断していた。
この街は、敵を刈り取るための狩り場だ。
3
ラバール軍は市内に突入すると部隊を小隊規模に分断して、街の隅々まで兵士を走らせる、敵を狩り出すためだ。
千人将のウバーンは歩兵隊に建物の中に入って敵がいないか探すように命じる、数人の歩兵が、建物の中に入ろうとしてドアを蹴り破るとその歩兵がまるで何かに弾き飛ばされたかのように、吹き飛び、反対側の建物に叩き付けられる。
歩兵の鎧は凹んでおり、口から血を流して死んでいた。
他の歩兵がその建物の中をのぞくと、天井の吊るされた丸太がぶら下がっていた。
この罠に引っ掛かったのか、そう考えた時だ、鐘の塔から角笛が鳴り響く、するとどこからともなく、敵の重装歩兵隊が現れ前方と後方を、塞いでしまった。
しまったと思った瞬間、頭上から矢と槍の雨が降り注ぐ、屋根の上に民兵と弓兵が投げ槍と弓で攻撃してきたのだ。
「全員、建物の中に隠れろ!」
そう叫ぶと皆がそれぞれの建物に入ろうとするが、ドアにはタンスや石などで塞がれ、窓から入ろうとした兵士は、窓の下に掘られた落とし穴に落ちて行く。
「せ、千人将、建物の中は罠だらけです、入ることが出来ません!」
「なん――」
千人将の喉元に矢が刺さり、その先の言葉を言うことが出来ず、その場で落馬、絶命した。
指揮官をやられた小隊は恐慌状態に陥り、成す術もなく刈られて行った。
ローレ街道もまた同じ現象が起きていた、重装歩兵で道を塞がれ、騎馬隊と歩兵が分断される。
ローレ街道攻撃の士気を任されていた、ラバン将軍は敵の術にはまったと悟った時には、どうしようもなかった、今手元にいるのは、騎馬兵二十人と歩兵五百、分断された歩兵は三千近く居る。
敵の拠点が置かれている目の前の塔まであと少し、彼らを助けるか、それとも、突き進むか。
そう考えていると、空から矢が降って来る、屋根の上には民兵と弓兵がいた。
考える時間を与えてはくれないようだ。
「全軍前ェエエ! 止まるな! 止まれば矢の餌食だ!」
全軍一斉に駆け出す、目標は教会。
後退できないのなら前に進むしかない、全速力で街道を掛けると目の前から騎馬の一団がこちらに迫って来ていた、その騎馬隊の軍旗を見るとラバン将軍は背筋に悪寒が走る。
軍旗はハゲワシ。
『神速の槍使い』ガンダルフ将軍、その言葉が脳裏に過る。
だが、好機でもあると思った、ここで武功を上げて置けば、後の出世の糧になる。
ラバンは馬を加速させる、部下の制止を振り切り、剣を構える。
「我はラバール軍第三軍団団長、ラバン・アフレッコ将軍也! パティール王国大将軍、ガンダルフの首もらい受ける!」
槍を持つ相手に剣では間合いの差がある、一気に詰めてこちらの間合いに持ち込む、そう考えてさらに加速させようとした時だ。
体に力が入らない、それどころか、見覚えあのある馬が視界から走り去っていく、次第に視界が暗くなり、その視界は永遠に光が戻ることはなかった。
傍から見ていた者は何が起きたのかサッパリとわからなかった、ラバン将軍と敵将ガンダルフがすれ違った瞬間、ラバンの体が、まるで千切りされるかのように、裁断されたのだ。
まず、首が飛び、左と右の順で腕、そして胴はまるで蜂の巣の様に穴だらけにされたのだ。
目で捉えることの出来な速さで、ラバン将軍をガンダルフは突き殺したのだ。
ガンダルフはそのまま、直進、その配下の騎馬隊を瞬殺する。
そのまま穂先は歩兵に向いていた。
ヨルン街道はほぼ大通りを一直線に進めば、教会に到着するのだが大通りは土嚢で積み上げられたバリケードがあり、大きく迂回する羽目になる、ヨルン街道から攻略を目指していた、サルバラン将軍は大通りを左折、目の前に大きな建物、商館が目に入る。
しかしその先は土嚢や馬車で塞き止められている。
ここもか、と思った瞬間、驚きの光景を目にする。
建物が轟音を立てて動き出したのだ、民家の長屋が動きヨルン街道を塞ぎ、後方の歩兵と遮断される。
同時にドグマ方面の街道も建物が動き塞がれる。
サルバラン将軍とその騎馬隊五百は、呆然とする。
「ウォオオオオオオオオオ!」
まるで狼の遠吠えの様に大きな商館から男の叫び声が響き渡る。
よく見ると、屋根の上で身の丈ほどある斧槍を構えた男がいた。
男は商館の屋根から飛び降りると同時に、こちらに向かって鬼の形相で駆けて来る。
「相手は一人だ! 囲って殺せ!」
騎馬隊が一斉に男に向かって突進するが、斧槍が風を切る音と共に馬と人間が粉砕され、血飛沫を巻き上げ肉塊となる。
騎馬隊を一撃で粉砕し、敵の返り血を浴びながらも男は歩を緩めない。
「何をしている、数で押せ! 相手は一人だぞ!」
残りの兵が一斉に突入するが、次々と騎馬隊が肉塊へと化し、周囲一帯を敵兵士の骸で溢れさせた。
指で数えるほどの時間しか経っていないのに、既に兵力は半数まで減っている。
バケモノ。
その言葉が脳裏に過ると、サルバラン将軍は部下を残して走り出す。
なんなのだ、あのバケモノは、あんなの聞いていない。
サルバラン将軍は背後で部下の悲痛の叫びを聴きながら、振り返らず駆け抜ける、運良く逃げられる道があり、その道に入る。
この先を抜けて、本陣に戻らなければ、そう考えた時だった、乗っていた馬が何かに引っ掛かり転倒、サルバラン将軍は宙を舞った。
背中を打ち付け、激痛が走る。
何が起きたのか、サルバラン将軍は馬の方に目をやると、建物と建物の間にロープが張られていた。
そして、背後に気配を感じ振り向くと、重装歩兵が盾を構え、その後方には民兵が弓矢で狙っていた。
サルバラン将軍は悪寒が走る、道が開いていたのではない、ここに誘い込まれたのだ。
サルバラン将軍は痛む肩を抑えながら立ち上がる。
周囲を見渡しても逃げる道はない。
「ようやく追いついたぜ」
サルバラン将軍は振り向くと、サルバラン将軍の部下の血だろう、真っ赤に染まった鎧と斧槍を持った騎士が現れる。
「悪いが、お前さん部下は、全部おれが討ち取ったぜ」
そう言ってゲイリーは斧槍を肩から下ろし、姿勢を正し鼓膜が破れんばかりの大声で言う。
「おれの名は、ゲイリー・ホットマン。ハマール領衛兵隊の中隊長だ、降伏するのなら契約の神、グッフェルの名に近い、貴殿を捕虜として丁重に扱う、しかし、降伏しないと言うのなら、戦の神、バッサロンの名においてこの場で貴殿を討ち取る」
サルバラン将軍は、静かに深呼吸をし、剣を抜く。
「我らが信仰するのはロ教、貴殿らが信じるラ教ではない、貴殿の申し出、騎士道として感謝、されど、我はラバール神国に忠誠を誓う身、サルバラン・アスダン、貴殿と刃を交えようぞ!」
「主神アキレンの名に近い、正々堂々と戦おうぞ!」
ゲイリーは斧槍を構え直す。
一瞬の間の後、サルバラン将軍は一歩踏み込み剣を振り上げる。
振り下ろされた刃先を柄で受け止めながら流れるような動作で剣を巻き上げる、一回転した穂先の斧がサルバラン将軍の肩から斜めに切り裂く、泣き別れた胴から血飛沫が舞った。
サルバランは薄れ行く意識の中で、打倒したゲイリーの顔を眺めながら意識は消えて行ったのである。
4
エレキは戦況が分からない状況が続いていた、小高い丘で陣を敷いているが、ここからだと、入り組んだ市街の中まで確認すること出来ないでいたのだ。
目の前で起きた仕掛けと言い、建物が動く仕掛けといい。
エレキの理解する範疇を超えて現象に、冷や汗をかくしかなかったのだ。
「どうする、エレキ、突入した将軍達の安否も心配だ、ここは予備隊を動かしても救助に向かうべきではないのか、皆もそう言っているが」
隣で慌てた様子で言うアノルドの言葉などエレキの耳には入っていなかった。
頭の中では、今、何をするべきで、どのタイミングで援軍を送るか、もしくは引くべきかを考えていた。
「エレキ殿!」
「静かにしろって、考えが纏まらなねぇだろうが!」
エレキはラバール語ではなく、母国語で喋っていた。
この場に居る人間は誰一人その言葉の意味を理解できていない。
ようやく考えが纏まったエレキはため息を付き、アノルドの方を向き言う。
「予備隊、二千を残して、全て援軍に向かわせます、侵入口は、ヨルン街道から、あそこは他の侵入口とは違い、守り手が薄い、一気に突き崩して侵入します」
「わかった、予備隊の士気はカスン将軍が指揮を取れ、よいな」
伝令の兵が敬礼してその場を去る。
予備隊が動き出して、駆け足で丘を折り始める。
向かうはヨルン街道、一万二千の一団が土煙を上げながら向かう。
それを眺めるエレキは、冷静さを取り戻していた、その顔は軍師と言うよりは、やる気のない人間と言う顔をしていた。
「潮時だな」
彼がそう呟いた、アノルドの前で、無論、彼が喋ったのはラバール語ではなく、異世界の言葉、日本語だった。
塔の上で眺めていたシルフィーナは本陣から新兵団が動くのを、碧眼の瞳が捉えていた。
シルフィーナはグラブを見る、グラブもシルフィーナを見て頷く。
グラブは伝声管に「最後の仕掛けを動かせ!」といい、伝声管の先にはドーランシ市の女衆達が、合図とともにレバーを引き、ハンドルレバーを回す。
すると、大きな音を立てながら、歯車が回転して地響きと共に石畳が動き始める。
歯車の天井はドーランシ市の真上、その石畳や建物が動き出す。
いくつかの街道が塞がれ、いくつかは解放される。
道を塞がれ戻ることも進むことも出来なかった、ラバール軍は開いた道に一斉に進み始める。
もはや、罠など眼中には無く、飛んでくる矢と、迫る敵兵の攻撃、さらに指揮官級が次々と討たれたことにより正気を失っていた。
逃げる、助かりたい、その一心で向かった先は最後の狩場で合った。
敵本拠地の真ん前の大広場、そこに突入した残存兵力が全て集まったのだ。
顔合わせした、味方同士が呆けたような顔をして互いを見ていた。
そして大きな角笛の音と共に、ラバール軍の兵、全員が塔の上を見つめる、そこに居るのは、敵の総大将、シルフィーナであるが、それを知っているものは誰も居ない、美しい女性が二人いると言うことだけが、彼らは理解できた。
そして、その美しい少女が手を上げると同時に、全ての建物の屋根に民兵と弓兵が現れる、さらに、何か所かには、連装弩が配備されていた。
そこで、ようやく彼らは気付き、絶望する。
自分達は最後の狩場に追い詰められたと。
そしてゆっくりと、腕が振り下ろされ、同時に空を矢で黒く染め上げるほどの数の矢が彼らに降り注いだ。
第一撃で瞬時に半数が討ち取り、残りは逃げ惑うばかり、それを民兵と弓兵が容赦なく狙い撃つ。
建物の中に逃げようと窓を割るが、中に居た民兵の槍で一突きされ、絶命、さらに建物の中からも、弓矢、弩などの攻撃を受ける。
誰一人、動く人が居なくなるまで、矢は放ち続けられた。
「撃ち方止め! 撃ち方止めだ!」
屋根の上で指揮をしていた、ロレの合図で一斉に矢を放つのを止める、しかし、皆が弓に矢を使えたままだった、動くものがあれば撃つつもりだからだ。
静まり返った、広場には死体の山が出来ていた、動く者がいない。
全員死んでいる。
「警戒解除、重装歩兵隊、前進!」
屋根から降りた歩兵隊が前進する、一人一人の死体を確認して、息をしている者は、助かりそうなものには救助を、もはや助からない者にはとどめを刺した。
「しかし、あれだな、これがおれ達に向けられなくってよかったぜ」
そう呟くロレに近くに居た民兵が自慢げな顔でこちらを見ていた。
ため息を付いては振り向く、ロレはドクマ街道側の方を見る。
こちらは片付いた、残りは外の敵だな。
前進するラバール軍の兵団、ヨルン街道の防御に徹していたベランドは新たに来る一万の兵団を見て、息が荒くなる。
横二列の横隊で陣を敷いている彼らにあの万の数が来れば、流石に防ぎきれない。
中の掃討はまだ終わらないのか、それとも、失敗したのか、ベランドは不安で押し潰されそうな気持を深呼吸して落ち着かせる。
指揮官が、取り乱すなと心の中で呟き続ける。
おれが取り乱せばこの隊、全体に伝播してしまう、そうなれば、この眼前の新たな敵を抑えることは出来ない。
落ち着け、そう言い聞かせている時だった。
塔の鐘が鳴り響く、それは、中の掃討が完了した知らせだった。
「行くぞ、野郎どもォオ! おれ達北部の兵の強さを見せつける時だ!」
横隊を解き、重装歩兵は一斉に敵兵兵団に向かって走り出す。
それを見ていたラバール軍の指揮官、カスン将軍はカモが来たと思った。
僅かな寡兵で万の軍勢に向かって来るとは、カスンは、左手を上げ、振り下ろそうとした瞬間だった。
背後から歓声が巻き起こる。
カスンが振り向くと、背後から敵の歩兵隊がこちらに向かって来たのだ。
どういうことだ、どこから湧いてきた。
前方に二千と後方に三千、半分の戦力であるが、突然姿を現した敵兵に既に兵士達は混乱していた。
援軍は前と後ろから挟まれ蹂躙される。
戦いは一方的になって行った。
「あれ程の上手く行くとは思いませんでした」
塔の上から見ていたシルフィーナが言う。
「ええ、まさか、敵も開戦前から地面の下に三千の兵が隠れているとは思いません」
グラブの言う通りだ、彼らが隠れていたのはドクマ街道とヨルン街道のちょうど中間地点。
その中間地点に三千もの兵が隠れる塹壕を掘っていたのだ。
これは培った高度な土木技術を持つパティール王国だからこそ出来る早業である。
「これで、最後の仕上げとなります」
シルフィーナが鐘を鳴らすように指示する。
塔の鐘が再度なり始める、その鐘の音がこの戦いの終わりを告げる、鐘となる。
エレキは、塹壕に隠れていた兵士を見ても既に驚きの顔をしなかった。
逆にアノルドは驚きの余り何かを叫んでいるか、エレキの耳にはもうは入って来なかった。
この策であるとしたら、最後にもう一つだけ策があるハズだ、その策はおそらく。
エレキが考え込むように顎に手をやると同時だった。
再び鐘が鳴った、今度は長く、まるで祝勝の鐘を鳴らすかのように、来るか、とエレキは思った。
エレキが振り返った瞬間、背後の森林から敵の騎馬隊が本陣目掛けて来るのが見えた。
やはり、そう来たか。
エレキは静かに笑っていた。