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十三話:脱出 後編

十三話:脱出 後編





 カムイは一息を付く、火傷の所為で手の平がヒリヒリする。

 同じく力が抜けたのか、シルフィーナもその場に座り込んで安堵すると、ハッとして駆け寄り、スカートの裾を千切り、その布切れを頭に巻き付ける。

 どうやら叩きつけられた時に頭を切ったらしい。

 シルフィーナはぎこちない手付きで切ったスカートの裾で巻いていく。

 ふわっとその布から女性特有の甘い香りがする。


「大丈夫ですか、カムイさん」


 シルフィーナは顔に少しだけ涙を浮かべていた。


「大丈夫です、でも、殿下、危険なことはよして下さい」


 カムイがそう言うと、シルフィーナは安堵の微笑み浮かべながら言う。


「あなたは、わたしの大切な友人であるアマンダさん助けてくれた、命の恩人ですもの、助けるのは当然です」


 シルフィーナの微笑みがなんとも美しかった。

 カーテンで胸元に巻き付けたアマンダが火傷の手当てをしてくれた。

 包帯を巻きながら、アマンダは静かに「ありがとう」と言った。

 頬を掻きながらカムイは「いえ、当然です」と言い返す、その返答にアマンダもまた、同じよう微笑み返してくる。

 包帯を巻き終え、カムイはシルフィーナとアマンダを連れて、厨房を後にする、向かうのは王妃の部屋だ。

 幸い、王妃の部屋は厨房から近いので助かるが、問題は王妃の部屋の前にも護衛の兵士がいると言う事だろう。

 それを無力化しない限りは、助けることは出来ない。

 カムイは静かに厨房から出るが、そこで違和感に気付く。

 人がいない、気配がないのだ。

 あれだけの騒ぎを起こしておきながら、誰も来ないのもおかしい。

 本当に異空間にでも来たのかと疑いたくなる。

 カムイは慎重に歩を進める、王妃の部屋の前に近づくと微かだが人の気配がする。

 慎重に覗き込むと、人影は二人。

 カムイは拳銃を胸元に近づけ、そして勢いよく飛び出す。


「動くな!」


 銃を構えるカムイだが、振り向いた二人の顔を見て、カムイは静かに銃を下げた。


「ロレ?」

「カムイか、姫様は無事か?」


 ロレとフォルスだった。

 二人も驚いたのだろう、目を丸くしていた。


「ロレ、どうして、ここに? 外で騒ぎを起こして埠頭で合流だっただろう」

「それがな……」


 ロレは罰の悪そうな声で頭を掻きむしる、代わりに応えたのはフォルスだ。


「死んでいました」

「死んでいた?」

「ええ」

「騒ぎを起こして、さて、ひと暴れしようかと思って活きよいよく、葡萄庫から出たら、外の兵士が全滅」

「で、窓から人が落ちて来たので、慌てて館に入ったのですが」


 人が落ちて来たって、さっきの奴か。


「館内の兵士も全滅、王妃の部屋に来たら、この有様だ」


 ロレが見ろと言わんばかりに、部屋に招き入れる。

 部屋は布団の羽毛や花瓶、本などが散乱していた、まるで押しごみ強盗に入られたのかと思わんばかりに。

 そして、その部屋には肝心なモノが、いや、人が居なかった。


「母上は?」


 部屋に入ったシルフィーナがオドオドした目で周囲を見ていた。


「おれ達が来た時には既にものけの殻、誰も居なかった」

「居なかった?」

「考えられることは我々の他に、王妃を狙っている人物がいた、そう考えるべきかと」


 フォルスが考えるような仕草で言う。

 そのフォルスの隣をすり抜けてシルフィーナは王妃が使っていたであろうベッドの前に立ち止まる。


「王女様……」

「結局…… 母上とは何一つ話すことが出来ませんでした」


 崩れるように膝を付き、ベッドに顔を埋めながらシルフィーナは静かに泣き出した。


「わたしは、母上に嫌われていたのでしょうか」

「王女様……」


 アマンダが彼女の肩に手をやる、シルフィーナはその手にすがる様に手を握り返し、そして振り向き、アマンダの胸の中に飛び込んだ。

 その部屋にはしばらく、声を詰まらせながら涙を流すシルフィーナの声が響き渡った。





 シルフィーナは涙で真っ赤なになった目をしながら彼女は静かに謝った。


「お恥ずかしい所お見せしました、もう大丈夫です」


 そう言うと、シルフィーナは深呼吸をしてベッドに腰を下ろす。


「これから、どうなさるのですが」


 シルフィーナの隣に座りながらアマンダは、カムイに訊く。


「どうすると言われても、ロレ、どうする?」


 カムイは答えを求めるかのようにロレに話を振る。

 ロレは顎に手をやり考えるように言う。


「ああ、そうだな、王妃殿下のこともあるが、その前に、おれは重大な事に気付いた」


 ロレの真剣な顔は部屋の空気を重くした。

 一体に何に気付いたのだ。

 重い空気に耐えられなくなり、カムイが訊く。


「なんだ、ロレ、気付いたことって?」

「ああ、実はな……」


 ロレは恐ろしく厳粛な顔で、意を決して口を開く。


「アマンダさん、あなたは着痩せするのですね」

「「「…………はあ?」」」


 カムイ、フォルス、アマンダがそろって出たのか「はあ?」だった、それしか出なかった、いや、それ以外に出なかったのだ。


「いつも、給仕の恰好をしている所為か、忍びない程度だと思っていたのですが、いや、意外とあるのですね」


 ロレの発言で痛くなりそうな頭を押さえるカムイ。

 こいつは、何を考えているんだと叫びたかった。


「いや、しかし、すごい、フォルス嬢とは違って巻き付けてある布の隙間からでもわかる形の良い胸、大きすぎず小さすぎず」


 ロレの卑猥な言葉と目がアマンダに襲い掛かる、先程の大男の事を思い出したのだろうか、少しばかり、肩を震わせる。

 肩の震えを抑えようと両手で肩を押させ身をよじるが、その恰好がロレに性癖を刺激したのだろうか、鼻の穴が広がり鼻息が荒くなる。


「そして、そしてお腹の線は見事に美しいまるで、永遠に広がる雪原の様に白く美しく――!」


 怒涛の勢いで言うロレを止めたのはフォルスだった、喉元に突きつけられた彼女の銀色に輝く剣の刀身が遮ったのだ。


「姉上にそれ以上、卑猥な目と言葉を向ければ、首と胴が泣き別れることになる」

「はい、済みません、ふざけ過ぎました」


 ロレは両手を上げて降参する。

 卑猥攻撃から解放されたアマンダは安堵のため息を付く。


「ロレ、お前って奴は……」

「おい、カムイ、憐れんだ目でおれを見るな、冗談だよ、まったく女ってどうしてこう言う下ネタ系統の冗談が通じないんだ」


 女に逃げられるのはそれが原因だ、と言ってやりたかったが、それはやめておいた。

 ふと、シルフィーナの方を見ると、彼女は自分の膨らみかけた胸とアマンダとフォルスの胸を見比べて、ため息を付いていた。

 ああ、お姫様でもやはり、そこは気になるのね、とカムイはシルフィーナの行為を見なかったことにした。


「そ、それより、フォルス嬢、今、アマンダさんを『姉上』って言いましたよね」

「ええ、言いました」

「それマジですが?」

「ええ、マジです」


 ロレとカムイがそろって視線をアマンダに向ける、彼女は腰を掛けていたベッドから静かに腰を上げ、破れかけているスカートの裾をもって一礼する。


「自己紹介が遅れました、わたし、パティール王国筆頭将軍、ガンダルフ大将軍の子、名をアマンダと申します、以降、お見知りおきを」


 そう言って深々と礼をした頭を上げた時だ、胸元に巻き付けていたカーテンの結び目が解け、カーテンの布が静かに落ちる。

 カムイとロレはアマンダの白く弾けんばかりの胸を眼球の奥に焼き付いた。

 カムイは静かにゆっくりと顔をそらすが、ロレだけは目を見開き網膜に焼き付けるかのように、決して忘れてなるモノかと言う思いで見ていた。

 当の、アマンダは冷静な顔を装い、落ちたカーテンの布を再度巻き付けて、二人に近づき、満面な笑顔で、鉄拳制裁を行った。

 

 カムイは平手で済んだが、ロレは鉄拳とハイキックを食らい、フォルスからは鞘で殴られていた、鈍い音が何回かあったが、ロレは頭から血が流れる程度で済んだ、いや、傍から見れば大丈夫ではないが、レミーとのやり取りを見ているカムイにはまだ、ましの様に見えた。


「ロレ、お前、いい加減にしろよ、今の状況わかっているのか?」

「ああ、でも、悔いはないぜ、いいものを拝ませてもらったからな」

「……後悔しろよ、そこは」


 クスクスと微かな笑い声がして、そちらの方へ目線をやると、先程までの暗い顔から一転してシルフィーナは微かに笑っていた。


「なあ、いいもの拝ませてもらっただろう」


 ロレはボロボロの顔で言う。


「ロレ、お前…… 殿下の為に」


 暗い空気を変えるべくロレはわざと憎まれ役になったのか。

 カムイは女好きの変態人間と思ったことを我ながら恥ずかしい気持ちで一杯であった。


「ああ、アマンダさんの蹴りのお陰でスカートの中を見させてもらったからな、まさか下の毛がはえ――ッ!」


 ロレの顔面にアマンダの膝が食い込み、その背後から頭蓋骨をかち割らんほどの力を込めた鞘付きの剣が振り下ろされた。


「ロレさん、そこから先は一言でも言ったら、顔面に蹴りを入れますよ」

「同じく、頭をかち割ります」

「二人とも、既にやっているけど」


 カムイは見なかったことにした、そして、ロレの女性陣の中で評価は下がったのである。

 女性が下着を履くようになったのは確か、近世に入ってからである。

 それまでは下着と言うのはなく、あっても腰巻ぐらいだった。

 そこまで、思い出したカムイは静かに視線をシルフィーナの方に向ける。

 まさか、彼女も? そんな考えはどうやらアマンダに見抜かれたようで、顔面が既にモザイクでの処理が必要なぐらい変形したロレの首根っこを掴みながら、こっちに鋭い、人を殺すかと思える程に、恐ろしい視線を向けて来た。


「カムイさん、まさかと思いますが王女様に淫らな視線を向けてませんよね」

「向けてません! 神に誓って!」

「そうですが、それから、先程の言葉は忘れてください、いいですね、い・い・で・す・ね!」

「は、はい」

「べ、別に、気にすることではない、ない方が男受けはいいぞ、おれには!」


 とどめの鉄拳がロレの顔面に食い込む。

 黙っていればいいのに、とカムイは手を合わせる、合掌。

 

「さて、バカはほっておいて、これからどうします?」


 アマンダが血まみれになった手を抜きながら言う。


「あ、ええっと、まあ、とりあえず、合流予定に地のブーケ領に向かいましょう」

「ブーケ領ですが、戦場に近い領ですが……」

「そこで、旦那様と会う手はずになっています、そこから先は、旦那様の指示を仰ぐべきかと」

「それもそうですね、少なくとも、この男の指示に従っていたら、ベッドの中に連れ込まれそうなので怖いですし」


 アマンダは既に死体と見間違いえるかのような惨状になっているロレを見てから言う。


「アマンダさん、いくらなんても、ロレにはそこまで――」

「そうだ、おれなら、連れ込んでついでに子供の二、三人ぐらい作るわい!」


 後ろに立っていたロレの顔面目掛けて、カムイは裏手で殴り付けてロレを黙らせる。


「前言撤回します、ロレには余り近づかないでください」


 カムイは笑顔で言う。


「無論です」

「言われなくても、人が気にしていることをペラペラと……」

「えっ?」

「なんでもありません」

「あの、少しよろしいですが、アマンダさん」


 シルフィーナは考え込むような仕草をしながらアマンダに訊く。


「アマンダさんが気にしていることって何ですが?」


 その事を考えていたのか、ここに居た一同は呆然とする。


「そらもち――」


 ロレが口を開く前に、アマンダの蹴りが、フォルスの剣が、カムイのフライパンがロレの顔面を襲った。


「あの皆さん! その辺に!」


 シルフィーナが慌てて止めに入る。


「誠に申し訳ございません、王女様、この方を少しばかり修正していましたので」

「はあ」

「それから、わたしことはお気になさらずに、個人の問題なので」

「はあ」


 シルフィーナは納得したようで納得してないような顔をする。

 カムイは半死人同然のロレを治療する。

 治療を終えると、今後のどうするか話し合い、とりあえずブーケ領に向かうと言うことで意見が纏まりかけた時に、黙って聞いていた、シルフィーナが口を開く。


「母上はどうなされのですが?」


 シルフィーナが不安げな目をしながら言う。

 彼女にしてみれば、母親を置いて行くことは出来ないのかもしれない、しかし、安否もわからない、時間がない、人数は四人しかいない、現状を考えると探すのは諦めた方がいいのは目に見えている。

 今重要なのは、王家の血統を絶やさないことである、そのために、優先順位としては、王女であるシルフィーナの身柄の安全確保が最優先される。

 危険を冒してまで探すのは、得策ではない。

 しかし、そう言い聞かせても彼女は納得しないだろう、何せ自分の母親が行方不明なのだから、だが、納得してもらわなければならい。

 カムイは、静かに王女の前に立ち、そしてゆっくりと腰を下ろす。


「王女殿下、今重要なのは、あなた様の命をお守りすることです、あなたの様の安全を確保してから、王妃様を探しましょう」

「しかし、もし、母上に何かあれば」

「その心配はないぞ」


 包帯でグルグル巻きにされたロレが言う。


「部屋の中は散らかっているが争った形跡はない、ベッドもご丁寧に畳まれていたからな、おそらく、襲ったと言うよりは、攫った、もしくは、自らの意思でここを出たと、考えるべきだろうな」


 一同の驚いたような視線がロレに集まる。

 なんだが、居心地が悪そうな顔をしながら言う。


「とにかくだ、王妃様は無事だと判断していいだろう、それを含めて、今はここから脱出することを考えるべきだ」

「ロレの言うとおりです、姫様」


 フォルスも同意する。


「姫様、万が一の場合は、王位血統を絶やさないためにも、姫様には生きてもらわないといけないのです」

「万が一の場合…… それはお父様に何かが?」

「戦場では何が起きるがわかりません、ですが、陛下は国王である前に一人の武人です、そう簡単にやられはしません、大丈夫です、必ず王妃様を見つけて見せます、わが剣に誓って」


 フォルスは立膝を付き鞘に収まった剣をシルフィーナに差し出す、騎士が主に忠誠を誓う儀式だと、隣の居たロレが呟く。

 フォルスは剣を差し出したことにより、主をシルフィーナに決めたのだ。


「フォルス・アルディード、わたしは一、王女に過ぎません、わたしに騎士を持つ資格はありません」

「それでも、受け取って下さい、いつの日か殿下のお役に立つ剣となるために」


 シルフィーナは渋々剣を受け取りフォルスに語り掛ける。

 そして剣をフォルスの手に戻した。


「フォルスさん、今は仮に受け取っておきます、いつの日かわたしを守る剣となって下さいね」

「……ありがたき幸せ」


 フォルスは返された剣を受け取った。





「では、出るとしようか、ここに居ても危険なだけだし」

「ああ、そうだな」

「カムイ、フォルス嬢、二人は姫様を外の葡萄庫に、いつでも動かせるようにさっきの荷馬車を準備してくれ」


 カムイとフォルスはロレの指示に従い、移動の準備を始める。


「さあ、行きましょう、姫様」

「あの、少し待って頂けませんか」


 手を上げながら言うシルフィーナにフォルスは首をかしげる。


「どうかなされましたか?」

「実はその、アマンダさんに何か着せてあげないと、と思いまして、流石にその恰好で外に出るのは同じ女性として、わたしの親友として見過ごせません」


 にこやかに言う彼女に歓喜したのか、洪水の様にアマンダの瞳から涙が零れ落ちて行く。


「王女様に、そこまで心配されるなって、わたし……」

「それに、わたしも、カムイさんの頭の血を止めるにスカートを破ってしまったので、わたしも着かえたいと」

「はい、着替えましょう! 王女様! わたしが手伝います! いいですよね」


 アマンダはカムイに同意を求める視線を送る、カムイはロレにチラッと見るが不服そうな顔をしていたので、カムイは首を縦に振った。


「ありがとうございます!」

「ちえッ、そのままでもいいじゃなか、別に減るモノじゃないし」

「「お前が見たら減りそうだ」」


 カムイとフォルスの声が重なった。


「しかし、アマンダさん、殿下の部屋まで戻っている時間がありませんので、そこのクローゼットからにして下さい」


 カムイがそう言うとアマンダが驚きの余りに目を丸くしてその場に立ちつくしてしまった。


「どうかしましたか?」


 その言葉が合図だったのだろうか、堰を切ったかのように早口で喋り始める。


「だって、カムイさん、王妃様の服ですよ! わたし達庶民が一生働いても買えないような生地で作られた服ですよ、それを着ろってどういう意味か分かっているのですが、そんな恐れ多いことが出来ますか!」

「だって、アマンダさんも一様貴族でしょう」

「わたしは、準貴族です、父も、フォルスは腹違いの妹で母親がアルディード領領主の娘の子、ですから父は娘婿なんです、わたしは庶民の子なので、こんな高い生地を仕事以外には着たことが無ければ、触ったこともありません」

「そう、なんですか」


 フォルスは領名を持つから貴族だとばかり思っていた。


「そうです、ですから、わたしは、どこかで給仕の服を見つけて――」

「大丈夫ですよ、アマンダさん、今は緊急時です、それぐらい誰も咎めませんし、咎めさせません」


 シルフィーナは強い口調で言う。


「王女様……」

「さあ、着替えましょう、確かクローゼットは――」


 シルフィーナがクローゼットを開けた時だ、金属音の様な何かが抜けたような音がする。

 カムイが音の方に視線を向けると、目の前に見覚えがあるモノがクローゼットから落ちて来る。

 黒く丸い鉄の塊が二つ。

 それがシルフィーナの足元に落ちていた。

 頭で考えるよりは体が先に動いた、フォルスの背中を押してロレと共にドアに向こう側に押しやるとにシルフィーナとアマンダを抱きかかえるように、飛び掛かり、その勢いのままベッドの裏に滑り込む、肩を壁に打ち付けると同時に鼓膜を破るかのような轟音と、熱風が部屋全体に襲い掛かった。



 この世界に不釣り合いなアロハシャツを着た茶髪の男が、小高い丘の木の枝に深々と座り、双眼鏡を覗いていた。


「ウォッ! バカが引っ掛かったぜ、明人」


 日本語で呼ばれた大杉明人おおすぎ あきひとは、双眼鏡の先にある館の一室から黒い煙が立ち込めるのを確認していた。

 木の枝に座っている、早乙女翔さおとめ しょうに向かって言う。


「ああ、こっちも見えている」

「まさか、あんな初歩的なブービーに引っ掛かる奴がいるとはな」

「まあ、この世界の文明なら普通なのではないのか、誰もあんな仕掛けがあるとは思わんだろう」

「ねえ、いつまで見ているの? そろそろ行こうよ! お腹空いた」


 大杉の横で、この世界には似つかわしくないボーイッシュな格好をした黒髪の女性が大の字になって寝転がっていた。

 既に駄々こね状態の、瀬良芽衣せら めいは不貞腐れた様子で空を眺めていた。


「バカを言うな、ここで一佐を待つことになっているだろう」

「でも、おっちゃん、遅くない? もう、お腹空いて超――死にそうなんだけど!」

「確かに、的場の野郎遅いな」

「早乙女、瀬良、的場一佐を呼び捨てにするな」

「ええ、でも、おっちゃんがいいって言ったんだよ」

「そうだ、わたしが許可した」


 フードを被った初老の男が丘を登って来る、先程までふざけていた二人であったが、彼が来た途端、真剣な顔をして、大杉の横に並び敬礼する。


「ご苦労だった、先程の爆発、ブービーに掛かった音か」

「はい、まず間違いないかと」

「大杉曹長荷物をまとめろ、ここを発つ、予定ポイントで橋爪三尉と合流する」

「了解です、的場一佐」

「早乙女二曹、瀬良士長、先行して街道までの安全を確保しろ」

「ウッス!」

「ねえねえ、おっちゃん! その後ろに居る人は?」


 初老の男の影に隠れるかのように立っていた、女性、大杉も気になっていたが、まさかと思った。


「一佐、その女性が今回のターゲットだったのでは?」

「ああ、そうだ」


 的場と呼ばれた男は頷くと、大杉の顔が疑惑の念で歪む。

 大杉の率直な性格を的場は気に入っていた。

 この世界に来る前の仕事では率直なタイプの人間は長い生き出来ない、自分に嘘を付けない人間は他人をだますことが出来ない、故に感情に殺されてしまう。

 だが、この世界では不必要だ、何故なら、あの世界では陰であった我々は大手を振って表を歩けるからだ。

 そう、隠す必要性はない、嘘を付く必要性もない。

 素直な自分として生きられる、それがどれ程の嬉しいか、わかる人間は『あの世界であの仕事に』に身を置いた者しかわからない。


「曹長、君の意見は御もっともだ、依頼は王妃と王女の暗殺だ、しかし、それでは面白くない」

「面白くない?」

「そうだ、我々はカーベイン公の犬ではない、いや、我々は誰の犬でもない、我々は社会のゴミで、国のゴミでもない、人間だ、なら我々は人間らしく生きようではないか」

「それで依頼を無視したと」


 南部の大貴族、カーベイン公に依頼されたのは、二つ、一つは国王暗殺、これは国王に恨みを持つものをうまく利用すればいい、そうすれば自分の手を汚さずに済むのだから、二つ目は王妃と王女の暗殺、流石にこれは自分たちが動かなければならない。

 的場は戦闘任務に向いている大杉、早乙女、瀬良を連れてこの地に来たのだ、だが、ここで予想外の収穫があったのだ。

 それが彼女、王妃である、的場は警備兵を始末した後、部屋に忍び込んだ。

 無論、王妃を暗殺するためにだ。

 だが、彼女は的場を見てこう言ったのだ。


「どうして今頃来たの?」と。


 どうやら他の誰かと勘違いしているようだったが、この言葉を聞いた時に何かが心の中で囁いた。


「お前は人か?」と。


 長い間に忘れていたモノを思い出せたような気がした。

 的場は王妃を殺さなかった、部屋にトラップを仕掛けてその場を後にした、無論、彼女を連れて。


「大杉曹長、この世はもうすぐ戦乱の世となる、そうなればのし上がれる可能性が生まれる」

「のし上がる?」

「ああ」

「的場一佐、あんた、まさかこの世界で国盗りを始めるつもりか?」

「えッ! ウッソー! マジでやるの?」


 的場は振り向き三人を一別して、腹の座った声で言う。


「的場星龍が、そんな小さな男に見えるか?」と。





 薄暗い水の底から一粒の泡が水面に顔を出して静かに消えるかのように、意識が静かに戻り始めた。

 最初に入り込んできたのは、流れるように走る雲の風景、そして体を揺らす振動。

 荷馬車に乗っている、それが分かったのは、動物などが放つ独特な獣の臭いが鼻を突いたからだ。

 体が痛い、どこかを怪我しているのか、そもそもどうして俺は横になっているのだ、記憶が朧気で思い出せそうで思い出せない。

体に走る痛みの原因を探ろうとした時だ。


「顔を上げるな!」


 ロレの叫び声で、動かそうとした手を止めた、次の瞬間流れるように矢が目の前を掠める。


「アマンダさん! もっと速度上げろォ! 追いつかれるぞ!」

「これで全力よ!」


 カムイは何がどうなっているのか、わからなかった、体中が痛い。


「ロレ、今どうなっているんだ?」


 ロレが振り向き、作り笑いを浮かべながら言う。


「御覧の通りだよ、追われている!」


 その言葉と同時にロレの背後から横一閃の斬撃が襲い掛かるが、それを寸前のところでしゃがみ込む、剣先がロレの頭を掠める、そのまま、つま先を軸にして一回転しながら鞘から剣を抜き出し切り付ける。

 剣先で切られた線をなぞる様に赤い血飛沫が雨の様に周囲に撒き散る。

 ロレは立ち上がると、持っていた剣を後方から追って来た騎馬兵に投げつける。

 投げつけた剣は騎馬兵の胴に突き刺さり、落馬していく。

 

「カムイ! 槍!」


 カムイは手元にあった槍をロレに投げ渡す。

 手に取ったロレは槍を構え、左右からくる騎馬隊が切り掛かる、左からくる騎馬の斬撃を矛先で受け流す、その反動を利用して柄で左の騎馬の頭を殴り付けると同時に矛先は右の兵士の脇腹を突いていた。

 これで左右の騎馬隊は落馬して脱落する。

 改めて見るとロレの剣捌きも槍捌きも見事である。

 その動きはハマール領衛兵長であるロレンスに引けを取らない。


「無駄のない動きですね」


 隣に居たフォルスは弓を構えながら言う。


「性格に難はありますが、ロレはやる時はやる男です」


 カムイは痛みが走った肩を抑えながら言う。


「カムイさん、横になっていてください」


 起き上がろうとしたカムイをシルフィーナが止める。


「殿下、状況は?」


 シルフィーナの代わりにフォルスが答える。


「爆発の音を聞いて、カーベイン公の兵が館に押し寄せて来て――」

「現状だ!」とロレが槍を振りながら言う。


 カムイは一瞬自分の身に何が起きたのか思い出せなかったが、爆発と言う言葉を聞いて、思い出す。

 クローゼットの中から落ちて来た手榴弾から、シルフィーナとアマンダを助けようとして、二人に飛びついた際に肩をぶつけたのだ。

 いや、そもそも、何故あそこに手榴弾があったのだ。

 頭の中に浮かんだ疑問にある考えが浮かんだ。


「おれの他に同じような人間がいる……」

「カムイさん?」


 シルフィーナの声はカムイの耳には入っていなかった、彼の頭の中にあったのは先程口走った、言葉だ。

 パティール王国の建国王の絵、あの絵に描かれていた飛行機は間違いなく、戦闘機だ。

 この世界にはおれの様に飛ばされて来た者が居る。

 そもそも考えれば自分だけがこの世界に来たと考えるのは、間違っているのかもしれない、自分はおそらく自衛官だろう、ならば、分隊、もしくは小隊規模で行動していたハズだ。

 ならば自分の他に居るハズだ、この世界に飛ばされた人間が。


「カムイさん?」

 

 シルフィーナの心配そうな声で我に戻ったカムイは、視線を彼女の方に向けると、彼女の後ろで槍を構える兵士が視界に映った。

 考えるよりも体が先に動いた、手を伸ばして彼女の頭を掴みながら頭を下げる、穂先はシルフィーナの頭上をまるで空気を切り裂くような音を立てながら掠める。

 兵士が槍を切り返して再度攻撃を仕掛けようとするよりも早く、ロレの柄が槍の穂先を圧し折り、穂先が宙に舞う。

 ロレは前の騎馬を倒した後、振り向き先程の兵を縦に切り裂く。

 兵士は呻き声を上げながら落馬、どんどん視界から遠ざかって行く。


「大丈夫か?」

「ああ、頼りになるなロレ」

「まったく、戦いになるといつも人が寄って来る、しかも来るのが男ばかり、これで美人騎士が居たら、いろいろと遊べるのにな、無論、性的な意味で」

「変なこと言っている暇はないですよ! また来ます!」


 フォルスは次々と弓で騎馬兵を射抜いていく、その腕は中々もので、今のところ外していない。

 この二人はすごいと思った、なんだかんだと言って、剣聖と呼ばれたジルマ・パティールの従者、そしてガンダルフ将軍の配下の騎士で娘だ。


「このままヤッシャ街道を抜けて、ブーケ領に入ります!」


 前の方で馬の綱を引いているアマンダが叫ぶように言う、ロレもフォルスも頷く。

 この二人がいるなら大丈夫だ、カムイは起き上がると、シルフィーナを背中の方に下がらせる。

 開けた街道を抜け、馬の背中の様な山道を駆け抜ける。

 山道は狭く、進行方向の右側はトーヤ山脈の山々が走り抜けるように駆けて行く。

 敵の数は減っている、これなら逃げきれそうだ、と言った時だ。

 急勾配の崖の上の木々から鳥たちが一斉に飛び立った。

 それを見ていたロレが、嫌な予感がすると呟く。

 ほぼ同時だった、その崖の上から真っ黒い塊が降って来たのだ。

 荷馬車の底を踏み抜かんばかりの、振動と揺れで、一瞬荷馬車が傾きかける。

 降って来たのはまるでヒグマの様な人間、カムイとシルフィーナにはその人間の顔に見覚えがあった。


「あの大男!」


 そう、アマンダを襲いオリーブオイルで焼かれて湖に落ちた男だ。

 顔は焼かれた跡が残り、肌が爛れていた。

 突然現れた大男にフォルスもロレも一瞬だが動きが止まるが、直ぐに槍を構えるロレに対して、大男の拳がロレの顔面を捉える、鈍い音共に倒れるロレ、フォルスが剣抜く。

 フォルスが一歩踏み込む前に、大男が巨漢に似合わない速さでフォルスとの間合い詰め、首根っこを掴み、そのまま底に叩き付けられ、フォルスは苦痛を帯びた呻き声上げる。

 不意を突いたとはいえ、あの二人を一瞬で倒した大男は、こちらに視線を向ける。

 その目は殺意で満ち溢れていた。


「まさかと思うけど、ここまで走って来たのか?」


 その言葉を皮切りに男はこちらに飛び掛かる、カムイはシルフィーナを押しのける。

 大男はカムイに伸し掛かると、体重を掛けて押し倒す、右手を手で押さえられ大男の大木かと思える太い腕が喉元に食い込む。

 巨漢の生かした組み伏せだ。

 体が動かない、息が出来ない、意識が遠のくが、何かが折れるような音がして、体に圧し掛かる重みが抜ける。

 カムイは大きく息をして体の中に酸素を取り込む。

 一瞬、あの世が見えかけたカムイはどうして、男が離れたのか、視線を向けると、ロレとフォルスが剣を抜いて、大男と対峙していた。


「ロ…… レ……」


 まだ、喉を圧迫されていた所為か上手く声が出なかった。

 その間にも二人は、狭い馬車の中で間合いを図っていた。


「アマンダさんの膝より軽い拳だな」


 冗談を言うロレだがその表情に余裕がない、それもそのハズだ、足場がない荷馬車の中、しかも大男が幅を取り過ぎているので、動く空間がない。

 さて、どうしたものか、ロレは視線をフォルスに向ける。

 二人同時に切り掛かるぞ、と目で合図を送るとフォルスは小さく頷く。

 ロレとフォルスが同時に動く左右から切り掛かろうとするが、大男はロレの方に顔を向ける。

 二人同時に相手は分が悪いと判断し、片方ずつ潰すつもりだ。

 ロレは切り込もうとして踏み込んだ足にブレーキを掛け、いったん後退しようとしたが、大男の拳が迫る、咄嗟に剣で受け止めるがその剣ごと後方へと押し込まれる。

 まるで城門を破壊する衝車を受け止めたかのような衝撃に、ロレの目は丸くなる。

 そのまま馬車の外に掘り出されそうになるが、間一髪のところで縁を掴む。

 その間にもフォルスと大男の戦いが続いていた、大男の剛腕が空気を押しのけるかのように風圧が躱す度にフォルスに襲い掛かる。

 いつまでも躱し続けることは出来ない、フォルスは意を決して踏み込む。

 大男の真横から来る拳に身を屈めながら、一気に懐に入り込む。

 やれる、そのまま、下から上へ切り込もうとするフォルスに大男の頭突きが、フォルスが額を直撃する。

思っても見なかった攻撃に反応できずにその場で意識を失う。

大男の首がぐるりとゆっくりと回り、カムイの方に向く。

カムイはホルスターの拳銃に手を掛け、いつでも抜けるようにした。

弾は二発、二発で倒せるか、いや、おれに人は撃てるのか。

額から嫌な汗が滲みだしてくる。


「死ね!」


 ロレの剣が大男の脇腹目掛けて切り付ける、ロレは決まっと思ったが高い金属音と共に剣が真っ二つに折れる。


「何でデキているんだ、おっさん!」


 大男は振り向き、ロレに近づこうとする。

 ロレがやられると思ったその時だ、物凄い剣幕でシルフィーナが栓抜き用のコルクナイフを大男に突き立てていた。

 白いドレスの袖が大男の血で染まる。

 しかし、刃が短い所為で致命傷にはならず、大男はコルクナイフを抜き裏手でシルフィーナを殴り付ける、身の軽いシルフィーナは宙を舞い、荷馬車の外に放り出されそうになるのをカムイは腰辺りを鷲掴みにするようにして落馬を防ぐ。

 体の半分が荷馬車から飛び出したぶら下がった状態になる。

 カムイはシルフィーナの様子を確認する、殆ど反応がないが微かに呼吸しているのが分かる、意識を失っているだけ、安心すると同時に悪寒が背筋を駆け抜ける。

 振り向くことが出来ないが、おそらく背後には先ほどの大男が立っている。

 両腕で抱きかかえるようにシルフィーナを抑えている、カムイは身動きが取れない。

 やられると思って目を閉じるが、頬に液体の様なモノ罹った感触で直ぐに目を開け、体を捻じって見る。

 ロレが葡萄酒の小樽を大男の頭に叩き付けていた。


「どうだ、葡萄酒の味は!」


 言った瞬間だった、ロレの左に胸にコルクナイフが突き立てられた。

 それは、シルフィーナが刺したナイフだ、大男はそれを抜き取り、ロレに刺したのだ。

 左胸の辺りから、小さな血の輪が広がり、ロレはその場に倒れた。


「ロレェエエ!」


 叫び声が山脈に響き渡る。

 カムイの叫びにロレは一切反応しなかった。

 ロレが死んだ。

 その言葉が頭の中でこだまする。

 再びこちらに歩み寄ろうとする大男にフォルスが突進する。


「カムイさん今のうちに王女様を!」


 馬の綱を引きながらアマンダが叫ぶ、カムイはそのまま力任せにシルフィーナを引き上げる。

 シルフィーナはやはり気を失っていた。

 カムイは彼女を横にすると、取っ組み合いをしているフォルスと大男に向かって突進する。

 横腹体当たりすると、大男はよろける、カムイは馬乗りになり、拳で殴り付ける。

 しかし、大柄なカムイよりも一回り大柄な体格は、力の差を生んだ。

 殴り付けようとした右拳を受け止められ、手の甲の方に力任せに捻じ曲げられる。

 激痛で声を上げ顔が歪む。

 そのまま大男はカムイを蹴り飛ばす。

 アマンダの運転席まで吹き飛ばされる。

 大男がゆっくりと起き上がるとフォルスが葡萄酒の入った樽を投げつける。

 大男はそれを払いのける。

 だめだ、カムイでもフォルスでもこの男は倒せる気がしない。

 アマンダは運転席でそんな事を考えた時にあることに気付く、少し先に急なカーブがあったのだ。

アマンダはカムイに向かって吠える。


「カムイさん、掴まって!」


 アマンダは手綱を引いて急カーブを曲がる。

 重力で押し付けられるかのように体が左右に振られる。

 大男もバランスを崩し掛けるのが見えた。

 カムイは近くになった、小樽を投げつける。

 大男はバランスを取るのに精一杯の様子で振り払うことが出来なかった、樽の中身は葡萄酒。

 大男は葡萄酒を体全体に浴びる。

 カムイは腰のポーチから発煙筒を取り出し、着火させる。


「人間のフランぺは初めてだ、イピカイエー、クソ野郎!」


 発煙筒を投げる、弧を描くように投げられた発煙筒は弧を描き大男の頭に当たると同時に火が燃え広がる。

 男は呻き声を上げながら必死に火を消そうとするが、カムイは起き上がり体当たり、大男は荷馬車の外に放り出され、そのまま崖の底へと落ちて行った。





 荷馬車は走り続けた、運転していたアマンダは後ろを覗いた、皆が負傷していた。

 疲労の所為でその場に座り込んだカムイは、ロレの亡骸を見てカムイはまるで子供の様に泣き始めた。

 カムイにとってロレはこの世界で最初の友達であった。

 記憶をなくしてここかどこだがわからなかった自分を、言葉から文字に至るまで、一つひとつ教えてくれた、変態で時にバカみたいなことをするが、そんな男でもカムイにとって大切な友人だった。

 フォルスも無念の表情を浮かべていた。

 

「……カムイさん?」


 意識を取り戻したシルフィーナが心配そうな顔をしていた。


「どう…… されたのですが?」


 カムイは彼女に説明する、大男は倒したこと、そしてロレが死んだことを。

 未だに瞼から大粒の涙を流しているカムイをシルフィーナは抱き寄せる。


「すみません、わたしの所為で……」


 彼女の体温は温かくまるで母親に抱いてもらっているかのように落ち着いた。

 カムイは涙を振り払い、シルフィーナから離れる。


「ありがとうございます、殿下、すみません、取り乱してしまい」

「いいのです、悲しいときはどうしようもありませんから」


 シルフィーナは、ロレの亡骸に近づく。

 彼の側で膝付き、そして礼を述べる。


「ありがとうございます、従者ロレ、あなたの魂か、白鷹シーラに導かれ冥界ヤクトワルト帰れますように」

「……勝手に殺さないでくれ、それとも、このまま姫様の口付けで目を覚ます王子様になればよかったのかな」


 一瞬皆がビクつき、皆一斉に顔を上げる。

 いつの間にか目を開けていたロレがにこやかな顔で言う。


「ロレ…… なのか?」

「じゃなけなんだよ、おれはまだ死んでないぜ、死ぬほど痛いけどな」


 カムイは慌てて近寄り抱き起す、未だに理解できていない。

 刺された胸には確かに血のシミが出来ていた、心臓を刺された誰もがそう思った。

 ここに居るフォルス、アマンダ、それにシルフィーナまでが、呆けたような顔でロレを見ていた。


「一体、何が?」

「リンゴに感謝だな」


 そう言ってコルクナイフを抜き、胸ポケットから血が付いた半欠けのリンゴを取り出した、それは塩田の説明の時にしまったリンゴの残りの部分だった。


「おかげで、刃先が少し刺さった程度で済んだ、おれも刺された衝撃で、気を失っていたからな、早く目が覚めなければ、今頃、墓の下だったぜ」


 意外なオチに、カムイは呆然とした顔から安堵の顔に変わり、なんだが可笑しくなり、腹の底から笑いが込み上げて来た。

 しばらくの間カムイの笑い声がトーヤ山脈にこだましたのである。


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