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八話:皇帝と郷土料理 後編

八話:皇帝と郷土料理 後編





 ロレンスが厨房から戻ると部屋の空気が先ほどよりも重くなっていることに気付く、ふと視線をブーケの方に向けると、額から滝の様な汗が流れている。

 まさか、また何か言ったのか、とロレンスが疑いの目を向ける。


「随分と長い間、席を外していたが、料理の方は進んでいるのか?」


 エファンは胸元で腕を組んでいる所為か、豊満な胸がさらに強調される。

 ワザとやって強調しているのか、そんな事を思っているとブーケが小言で呟く。


「大丈夫か、ロレンス殿」

「大丈夫かと言われましても料理のことはド素人のわたしにはわかりかねますね」

「それでは困るのだよ!」

「何が困ると言うのですが?」

「美味くなかったら、関税の話をお受けすると先程言ってしまったからだ!」


 ロレンスは頭痛がして来た、痛む頭を押さえる。

 だから、こんなにも空気が重いのか、このド阿呆が、と心の中で叫んだ。


「楽しみですね、ブーケ代行」

「は、はい、いや、それはもう!」


 顔が引き摺って上手く喋れていない。


「皇帝陛下『グリット』についてなのですが、何分作るのに時間が掛かるので前菜として二品お出ししたのですが、よろしいでしょうか」

「時間の無い身だが、まあ、よかろう」

「ありがたきお言葉、では、少しお待ちよ、今、一皿目をお持ちいたします」


 ロレンスはドアの前で控えている侍女に、料理を持って来るように指示をする。



「さて、一体どんな料理が出て来るのやら、楽しみだな、アクア」


 笑顔で言うエファンを見て、人が悪いと思った。

 グリットは煮込み料理だ、羊肉の硬く筋張った肉を使うこの料理は柔らかくするのに三刻の時間を有する。

 どんなに時間稼ぎをしようと、硬い肉が出た所で不味いと言うつもりだ。

 まあ、ハフマン帝国側も開戦と言う軍事権を行使せずに済むなら願ったりかなったりだ。

 こちらとて、ハマール領に侵攻するだけの兵力がある訳ではない、二度、敗戦したとはいえガスダント帝国は未だに強敵の一つだ。

 こちらが兵を動かせば、向こうも動く可能性がある。


「お待たせしました」と先ほどの侍女とは違う人が料理を持って入って来る。


 自分より十歳ぐらい年上の青年だ、顔つきからハマール領の領民ではなく、北、おそらくガスダント帝国北方の遊牧民族の出だろう。

 青み掛かった黒髪の整った顔立ちだ。


「一皿目、川エビと温サラダのサバイヨンソース添えです」


 茹でたエビと細い茎と葉を乗せ、黄色くて白いソースが掛かっていた。

 エファンもアクアも見たことが無い、しかも大皿から取るのではなく個別に出されるのも初めてだった。


「この国では、大皿から取らないのか?」とエファンが訊く、代わりに応えたのは先ほどの給仕の男だ。

「我が国と言うよりは、我が領、独自のスタイルです」

「す? すたいる?」始めて訊く言葉にエファンは戸惑う。

「あ、様式と言う意味だそうです」

「そ、そうか、では頂こうか」


 アクアが先に料理に手を付ける。


「ん! 美味い」


 アクアが目を丸くする、エファンはアクアの皿と自分の皿を交換する。

 そしてエファンも口を付ける。


「確かに美味だ、この緑の細い茎と葉の野菜とソースの酸味がまたよく合う」


 給仕はロレンスの方に目をやる、ロレンスは頷く。


「ガガバド、説明を」

「はい、ご説明しますと、その細い野菜は豆苗です、栄養価も豊富な野菜です」

「ほう、これ程の細いのにか」

「はい、特に食物繊維が豊富だそうです」

「しょくもつせんい?」と今度はアクアが訊く。


 ガガバドは一瞬困った様な顔をするが、意を決したかのように言う。


「ええと、まあ、その、何ですが、便通が良くなるそうです」


 それを聞くなり、アクアとブーケが咽る。

 二人を尻目にエファンは終始笑顔で料理を食した。

 皿に残ったソースまでパンに付けて綺麗にする。

 口元を拭きながらエファンは不敵な笑みを浮かべる。


「確かに美味しかった、でもな、わたしとして、殻ごと食べたかったな」とはっきりとした声で言った。

「殻ごとですが?」とブーケが困惑したような声で言う。

「そうだ、我が国では、カッポーヤと言う料理がある、エビを殻ごと油で揚げるのだよ、そうすればカリっと香ばしく中は柔らかく食せる、それにこの料理ではエビの半分しか食べていない、まさか、パティール王国では、エビの頭は捨てるのか、何と勿体ない国だ、あそこが一番うまいと言うのにな」

「陛下おっしゃる通りです」とアクアが同情する。

「その心配には及びません、二品目をお持ちします」


 ガガバドはそう言われるとと部屋を出て中庭に向かう。

 中庭には二品目を盛り付けているカムイと調香師のグザンが居た。


「二品目をお願いします!」


 額の汗を拭いながらカムイは次の料理に取り掛かる。


「カムイさんの言う通りでした、相手方はこちらの揚げ足を取ろうと嫌味を言ってきましたよ」とガガバドが料理を台車に乗せながら言う。


「では、これで逆に相手の揚げ足を取りましょう、説明は先ほどのです」

「わかりました、でも、主菜はどうするのですか、流石にもう時間は……」


 ガガバドはカムイの周りある鍋には先ほどのからスープが踊っているだけで、肝心の肉の姿が無い。


「大丈夫ですよ、既に半分まで完成しています」

「えッ?」


 ガガバドは目を見開いて見るがそれらしい料理が見当たらない、どこにあると言うのだ。


「頼みましたよ、なるべく時間を稼いでください」


 真剣な眼差しで語り掛けるカムイを見てガガバドは静かに頷く。


「任せてください」


 ガガバドは台車を押しながらロレンスが待つ、会議室に向かった。





「で、実際にどうするんだ、グリットは?」


 ガガバドに連れられて来たグザンはそのまま調理手伝いをする羽目になっていた、元々調香師になる前はキエフ大公国で料理人をしていたグザンにとって手伝うのは朝飯前だった。

 しかし、こと、グリットに付いては無理だろうと思っていた、何せ時間が無いのだ。


「おれが持って来たクヤックはいつ使うんだ」

「最後の一煮立ちに使う」

「どうして?」

「おれの知っている香辛料と同じなら長く煮すぎると苦みが出しクセが強くなる、それを防ぐためには最後の仕上げ、香りつけに使うしかない」


 カムイはグザンに説明しながら、釜土代わりにしていた石積釜の焚火を消し始める。


「何をしているんだ?」

「なに、メインはこの下にありだ」

「……?」


 カムイは近くに置いてあったスコップを手に取り、焚火後の地面を掘り始める、しばらく掘ると出て来たのは、何かを包んだ大き目な葉っぱだった。


「それは?」

「これが『グリット』さ」



 二品目が運ばれて来てロレンスとブーケは驚きと懐かしさがあった。


「川エビのビスクです」


 あの和睦席で出た、料理だ。

 確か、この料理は使って残ったエビの頭が使われていたハズだ、ふと、ブーケは気付く、成程と。

 先程までのオドオドしていた顔が一気に晴れ、清々しい顔になる。

 ロレンスもようやくいつもモノ顔に戻ったなと思った。

 二人の顔色が変わったことにエファンもアクアも料理が出た瞬間に気付いていた、二人の顔色を変える程の料理なのか、いつも毒見してから食べるエファンがアクアよりも先に二品目のスープにスプーンを手に取る。

 アクアの制止をする前に既に口を付けていた。

 エファンは驚きの余りに立ち上がり「美味い」と叫ぶそうになった。

 腰が半部浮き掛かったのを何とか堪え、座り直す。

 美味いのだ、これ程の凝縮されたエビの味が濃く出るスープは無い、しかもただ濃いだけではない、飽きを越させない、エビの他に何が入っているんだ。

 ふと、二人の顔も驚きの顔をしていたのに気付く、どうやら向こう側もこの味に驚いている様だ。


「給仕、このスープは一体どうやって作っているんだ」


 エファンの質問にガガバドは笑顔で答える。


「はい、エビの頭と尻尾のむき殻です」

「あ、頭と尻尾!?」

「はい、先程使ったエビの頭と尻尾の殻をオリーブオイルで炒め、白葡萄酒と野菜とエビの茹で汁を加えて煮込み裏ごししています」

「茹で汁だと」

「はい、野菜は煮ると旨味が煮汁に溶け出してしまいます、旨味をスープにすることにより、味がより引き立ち、さらに茹で汁にはエビも含まれていますので相乗効果でより、エビの味を濃く感じ、飽きる事の無いスープが完成します」


 まさか、茹でた煮汁まで使うとは思ってもいなかったエファンとアクアは驚きの余り声を失っていた、そこに畳みかける様にブーケが一言言う。


「いや、ハフマン帝国は殻まで残さずに食べるようですが、流石に茹で汁までは使いませんな」


 ニコニコした笑顔で言う。

 ブーケはようやくいつもの調子を取り戻し始めていた。

 打って変って、エファンとアクアは逆に揚げ足を取られるとは思っても見なかった。

 まさか、捨てるハズの茹で汁まで使うとは思ってもいなかったからだ。

 どうやらエファンは挙げ足を取られたことが余ほど気に入らなかったのだろう、少し不機嫌な顔をしていた。


「成程、確かに我が国ではここまではしない、な」


 エファンは不機嫌な声で言う。


「では、主菜をお持ち致します」


 今度はエファンの顔が自信に満ちる、アクアはその顔を見て溜息しか出ない、本当に人の揚げ足や悔しがることが好きな方だ。

 硬い肉を食って「マズい」と言って言い包めるつもりなのだ、だが、ここの料理人もバカかもしれない、硬い肉を出せば不評になるだろうに、それともわざと出すつもりだろうか、我々への嫌がらせに。

 どんな料理にせよ、中途半端な料理を出されるのは心外と言うより、食材が可哀想だ、どうせ料理するのなら人の口に入り喜んでもらうべきなのだ。

 そう言えば、あの料理人は今どうしているのだろうか、ふと、昨日のことを思い出して少し顔が赤くなる。

 父以外に裸を見られたのはあの男だけだ。

 今度会ったら念を押しておかなくては、見たものは忘れろと。

 そうこうしているうちに、良い匂いが立ち込めて来る、少しほのかに甘い香りがする。

 この匂いは間違いなくグリッドだ。

 そして目の前に出された料理を見て確信に変わる。


「今回の主菜、グリッドです、お召し上がりください」


 香り良し、見た目良し、完璧にグリットだ。

 でも、肝心の肉はどうだろうか、アクアが視線をエファンに向ける。

 エファンもこちらに視線を向けていた、目が語り掛けて来る「食べてみろ」と、アクアはフォークとナイフを手に取る。

 肉にナイフを入れると、スウっと肉に入り込んで行く。


「や、柔らかい」


 これ程簡単に切れる肉があっただろうか、切り分けた肉を口に運ぶ。

 最初に感じたのは肉の味、臭みは無い、むしろ肉の味がしっかり出ている、煮汁も薄すぎず濃過ぎず、どことなく果実の味がする。

 肉質は筋張ってはなく、口の中でまるで溶けるかのように、柔らかい。


「これ程のモノとは……」


 驚きの余り、漏らした声にエファンも肉を切り取り口に放り込む。

 エファンも目を丸くして一言「美味い」と言った。

 ロレンスとブーケはホッとした様子で彼らも手を付ける。


「確かに美味い、肉の塩加減が絶妙ですね、薄すすきず、でも味はしっかりしている」

「それにこのほのかに香る甘い香り、食欲をそそりますね」


 ロレンスもブーケも料理に賞賛するがエファンだけは腑に落ちないことがあった、この肉はどうやって柔らかくしたのだ、


「給仕、料理人を呼んで来てくれないか、直に聞きたいことがある」





 カムイは会議室の前に立ち深呼吸する、緊張することは無い、相手は他国の皇帝だ、おれはハマール領領主、ジルマ・パティール公爵の専属料理人、恐れるなかれ。

 カムイは意を決してドアを開けると、視界に入った人物を見て一瞬だが驚いた。

 エファンだ、昨日の森であった。

 向こうもこちらに気付いたようで驚きの顔を隠せないでいた、その隣のアクアから睨み付けるような強い視線を感じる。

 まさか、皇帝って、エファンのことだったのか。


「カムイ…… どうしてお前がここに居る?」とエファンが言う。

「皇帝陛下、カムイのご存じで?」とブーケが言う。


 アクアが少し頬を赤くしながら言う。


「昨日、道中に会いまして、そこで料理を……」

「そうでしたか、いや、カムイくん、君も人が悪い、知り合いなら言ってくれればよかったのに」


 と言うブーケにカムイは無理だろうとツッコミを入れたかったが堪える。


 カムイは一礼して「どうも、その節は大変お世話になりました、改めて自己紹介させて頂きます、ハマール領領主、ジルマ・パティール公爵の専属料理人のカムイと申します」

「昨日とは違って仕事人と言う顔をしているわね」とアクアが言う。

「カムイ、聞きたいのは調理方法だ、三刻ほど煮込む料理を何故、半刻も掛からずにここまで柔らかくできたのか」


 エファンは今までとは違って真剣な目で訊いて来る、もはやその目には外交云々ではなく単純にこの料理の仕組みを知りたいと言う好奇心から来ている。

 カムイは軽く笑顔を振りまきながら言う。


「簡単ですよ、一度油通しして昨日やった調理方法をそのまま利用したので、油と蒸気は沸騰した水よりも高温です、ですので油で通して土の中で埋めることにより、茹でるより早く仕上がります、さらに茹でる前に一度油を通すことにより、肉のうまみ成分を閉じ込めることが出来るため、煮た後でも、肉質を落とすことなく、食べることが出来ます」

「聞けば簡単そうに聞こえるが、実際にどうなのだ、これは誰にでも出来るモノなのか?」


 エファンが訊く。


「そうですね、お…… わたしの場合、厨房が先の戦で吹き飛んでしまったので石窯代わりに使っています、確かに使い始めた頃は蒸しすぎや、生だったことがありますが、コツさえ捕まれば簡単に誰にでも使える様になると思いますよ」

「カムイくん、この調理法は何というのですが」とブーケ。

「パチャマンカと言います」


 南米ペルーの郷土料理の調理方法である、実際中南米だけではなく、世界中に同じような調理方法がある。

 特に中華料理の叫化鳥と言う料理は同じような調理方法が使われている。


「聞き慣れない調理方法ですが、流石、ジルマ様が見つけて来た料理人、既存の料理すらこの世のモノとは思えない美味に変えてしまう、どうですが、我が公宮の料理人の腕は」


 エファンは悔しそうな顔をして頷きながら。


「確かに、我が郷土の料理がここまでうまくなるとは思ってもいなかった、だが――」

「関税権のことに関しましては、領主、ジルマ様のご帰還と共にお返事すると言うことで今のわたしには、何の権限もありません、もし、それでもどうしても押し切られると言うのなら、我が方でも考えがあります」


 ブーケの今までにない神経な顔で言う、何を言い出すのかとハラハラするロレンスだったが、ブーケの一言に目を丸くする。


「考えと言うのは訊かせてもらう」エファンが言う。

「わたしの一存で流域管轄権をガスダント帝国側へ返還します」


 これには居合わせたカムイもガガバドも驚きの余りその場に立ち尽くしたのだ。


「何を言っているのか、わかっているのか、あの流域権にはどれ程の利益があるかわかって言っているのかァ!」

「無論です、ですが、この流域の所為で両国の争いの原因となるのなら、我が国はその原因を取り除く必要性がある、例えそれが莫大な損益に成ろうとも、両国が被る被害に比べれば安いモノだ!」


 実に正論過ぎて何も反論できない、エファンは上がり掛けていた腰を落として銀色の髪の毛を掻き分ける。


「忌々しいな、我が郷土の料理が……」


 エファンは無言で残っていたグリットを食し完食する。

 口元を拭いたエファンは静かに言った。


「関税率の話は領主ジルマ公爵の帰還を持って、再度交渉することとする」

「ありがとうございます、陛下」


 ブーケは一礼する、それに合わせてロレンス、カムイ、ガガバドも共に一礼する。





「一時はどうなるかと思った、いや、まったく」


 ロレンスが大ジョッキのエール飲み干して最初に出た発言がこれだった。

 工房区の酒場『グラメンテ』のいつもの席で、ロレンスとガガバド、あと、何故が付いて来た調香師のグザンがテーブルを囲っていた。


「しかし、あの一言は驚きました、ああ言われては反論できませんし」


 ガガバドが雉肉の串焼きを齧りながら言う。


「まったくだ、代行にあのような考えがあったとは思わなかったな」

「しかし、ハフマン帝国の皇帝が自ら乗り込んでくるとは思わなかったですよ、ガスダントでは『じゃじゃ馬皇女』と呼んで、嘲笑って言いましたから、凄い変わり者だからアイツが皇帝に成ったらハフマン帝国はお終いだって」

「確かに、あの態度のデカさに比べて品性の欠片もない、とても皇帝とは思えん」とグザンが言う。

「カムイさん、森の中でも、ああ、だったのですが?」


 グザンの質問に思わず昨日の出来事が鮮明に思い出した、そう、彼女の裸体を。

 思わず咽ってしまった、カムイは口を拭い、言う。


「ええ、まあ」

「それよりも、グザン、どうして君がここに居るのだ」とガガバドが質問する。

「何となくさ」

「何となくって……」ガガバドが呆れた様な口調で言う。

「イイじゃないか、若造、酒は大勢で飲んだ方が美味いぞ!」

「そうですが……」


 頭を掛かるガガバドの脇から料理の皿が置かれる


「そうだよ、新入りさん達、ここは酒場なんだ、飲んで騒ぐ場所だよ!」


 ここの給仕である、レミーだ。

 カムイはレミー「紹介するよ、この人が新しい衛兵のガガバド、でもってこっちは――」


「調香師のグザンだろう、知っているさね、わたしの店はコイツから調味料を仕入れているからね」

「そうだよね、レミーちゃん!」


 そう言って抱き付こうとしたがスラリと避けられてしまう。


「何も逃げなくても!」

「アンタは何でもかんでも女に抱き付く男だからね、用心に越したことないさね」


 レミーは悪戯ぽっく舌を出してその場を去る。


「グザンさん、あんたって人は……」

「おいおい、カムイの旦那、おれは見境無しでそう言う事する男に見えるかい」


 カムイは、即頷いた。


「身も蓋もないな」

「さっきの見てれば誰だってそう思うぞ、そうだろう、ガガバド」


 ロレンスがガガバドに相槌を求めるが返事が無い、ふと、ガガバドの視線が行ったり来たりしていた、その視線の先にはレミーが居た。

 レミーが動く度に視線が左に行ったり右に行ったり、カムイも含めてこう思った、ああ、こいつ彼女に惚れたなと。

 実際にレミーは綺麗だ、二十代前半の娘にしては幼すぎる顔立ちに赤髪の靡かせながら笑顔を絶やさない、スラリとした体は健康そのものだ、彼女を目当てでこの店に通っている男共もいる程の看板娘、惚れるなと言う方が無理か。


「ガガバドさん?」


 カムイがガガバドの肩を叩くと、いつもの顔で「何か?」と言った、少し間の抜けた様な顔をして言った。


「もしかしてだと思いますが」


 カムイ達はテーブルの中央に身を乗り出して小言でガガバドに言う。


「もしかして、惚れました?」


 三つ数える程の間を置いてガガバドが「なんおことだかわたしにはわかりません」と機械染みた返事をする。

 三人は思った、図星だ、と。


「やめて置け、ガガバド、あの手の女は小うるさいぞ」とロレンス。

「そうそう、細かい所に目が、と言ってとてもうるさいんだよな」とグザン。

「何の話ですが?」


 ガガバドは困惑した顔で言う。


「まあ、若いうちは何事も経験だよ、なあ、カムイ」


 グザンに同意を求められるがカムイは苦笑いするしかなかった。


「ほう、何事も経験か、確かにそれには一理あるな」


 ふと、聞いた事の鳴る声が耳に入り振り返る、そこに居たのはエファンとアクアだ。


「こ、皇帝へ――」


 その先の言葉はエファンの人差し指により、塞がれ、エファンは顔を近づける。

 ふと、彼女から良い香りがするのに気づく、何かの花の匂いだろうか、どこかで嗅いだことのある匂いだがどこだったか思い出せない。

 そんなことを考えていると、彼女は耳元で呟いた。


「ここに居るのは、ただのエファンだ、皇帝ではない」


 エファンはそれだけ言うと、カムイの隣に座りその反対側にはアクアが座る。


「あ、あの皇帝陛下、何故ここに?」


 あの後、近くの宿に泊まっていると言う話となり、そこでは不憫だろうとブーケが公宮内の空き部屋で休むことになっていたハズだ。


「ああ、腹が減ったのでな、どこかで美味い飯屋をと思っていてな、昨日の宿屋の亭主が、ここを進めてくれたことを思い出して、顔を出したら貴君らが居たと言うことだ」


 エファンはそれだけ言うと、エールを注文する。

 レミーが大ジョッキで二つエファンとアクアの前に置く。

 それを掴むやいやな、喉を鳴らしながらゴクゴクと豪快に喉に流し込んで行く。


「いや、仕事の後の一杯は旨いな、そうは思わないか、アクア」


 エファンと変わってアクアはチビチビと飲んでいた。


「陛下、少しは身を弁えた飲み方を」

「何を言っている、エールとはこうやって飲む物だろう、なあ」

「はあ」


 カムイを含めて周りは複雑な返事しか出来ない、そもそも、一国の皇帝が一般市民の憩いの場である酒場でエール一気飲みするなど誰が想像できるであろうか、いや、たぶん誰も出来ない。


「皇帝陛下」とロレンスが真剣な顔で言う。

「エファンでいいぞ」

「いえ、エファンではなく、皇帝陛下としてお話を聞きたいことがあります」


 二杯目を啜ろうとしてその手が止まる。


「もし、あの時、我々が蹴っていたら、あなたは本気でこの国に攻めるつもりでしたか」


 一瞬の間を置いてエファンは、皇帝としての目と声で答える。


「無論だ、国民の利益は国益に直結する、故に国家と皇帝は国民の土地と財産を守らなければならない、その為にその為の戦争が必要と言うのならば、わたしの名を持って戦を行う」

「それが皇帝の責務だと言うのですが」

「領地を持つ領主も同じだと思いますが」とアクアが言う。

「まあ、今回はそこの料理人にしてやられたがな」


 エファンは再び皇帝としてではなく一個人の目に成り、エールを啜りはじめる。


「おれは、どんな理由であれ、戦争は反対です、だから、おれはブーケ氏の判断は良い判断と思います」


 カムイが静かに言う。


「青臭いな、カムイ氏」とアクアが再び睨み付けるような眼で言う。

「青いですが、おれが?」

「確かにあの場で話の流れを折るのには、あの判断は正しかった、でも、それは国家単位で見ると浅はかな判断だと言えざる得ない」

「どうしてですが」とカムイが訊き返すが代わりにロレンスが応える。

「リャラン流域は交易による利益だけではない、国防に大きく直結する」

「国防ですが?」

「左様だ、我が国はハフマン帝国を始めとしてガスダント帝国、キエフ大公国もドット大河を挟んで国境に接している、敵が攻めるとしたら、川を渡らなければならない、敵の侵攻をいち早く知るためには流域管轄権をどれだけ敵の沿岸まで伸ばせるかが、大きく関わる、まあ、先の戦いは我々がこの管理を怠ったの性で敵の侵攻を許してしまったからな」


 ガガバドの表情が曇る、この流域を通って侵攻して来た元ガスダント兵には耳が痛い話だ。


「リャラン流域の管轄権は我が我が国の沿岸を含めると、広大な領域になる、それは大船団を組織して渡河も可能、また逆もしかりだ」

「国土を護る領域の境界線を明確にして国防政策を打ち出す、どこの国も同じような事をしている」とエファンが言う。

「代行の判断は間違ってはいないし、間違っているとも言える、それは我々が決めるモノではないがな」


 それを決めるのは後世の人達の役目か、カムイはそんな事を頭の中で思った。


「なあ、話、変わるけどさ、さっきからアクア卿がカムイの旦那を凄い眼で睨み付けているけど、なんかあったのか?」とグザンが言う。


 途端にアクアの顔が赤くなり、エファンの顔がニヤケ始める。


「そうか、アクアまだあの時のことを気にしているのか」

「な……」

「あの時とは?」とガガバドが言う。

「コイツ、カムイに裸を見られたことを未だに根に持っているのだ」

「「「なにィイイイイ!」」」


 三人の叫ぶ声が酒場中に響き、騒々しい酒場内の空気が一気に静まり返る。


「で、どうだった、カムイ!」

「どう、どうだったとはどういう意味ですが、そこのあなた!」とアクアが叫ぶ。

「それはもちろん、ムフフフフ!」


 グザンは完全に変態親父となっている。


「今、何を想像したんですが! 言い―――」


 スラリと後ろに回ったエファンがアクアの口を塞ぐ。


「言ってやれ、カムイ、こいつの裸の感想を!」と楽しそうに言うエファン。

「言うなァ!」ともがきながらアクアが言う。

「どうだったんだ、カムイ!」とグザンが興味津々で言う。

「いや、おれはその興味は無いのだが…… で、どうだった」とロレンスもバツが悪そうな口調で言う。

「ゴホン、で、どうでした!」と真剣な眼差しで訊くガガバド。


 四人の視線が一同に集まる、それだけではない、不埒者はどうやらこの酒場に多いらしい、男達の熱い視線がカムイに集まる。

 話の中心であるアクアはエファンに押さえられ、顔を赤らめながら瞳に大粒の涙が零れていた。

さて、どうしたモノか、と思っていると、ドンっと、大ジョッキがテーブルを叩く音で再び静まり返る。


「アンタらここは酒場であった娼館じゃあないんだよ、そんな下らない話をするなら、さっさと出て行きなッ!」


 そこでようやく我に返り一同が先ほどの話に戻り始める、エファンはなんだかつまらない横やりが入ったと言いたげそうな顔をする、その下で大粒の涙を流しなら地べたに座り込むアクア。

 そのアクアに寄り添うように、レミーはハンカチを差し出す。


「怖かっただろうさね、こいつ等は本当にひどい連中だよ、こんな幼気な女の子を弄ぶなんって、グザンさん、最低だよ」

「いや、おれは――」

「あぁあん?」


 凄い睨み付ける怒りのレミーの顔はものすごく迫力があり鬼が居たら間違いなく逃げ出しそうな程の恐ろしい。


「う、うぁあああああん!」


 本気で泣き出したアクアをレミーは頭を撫でながらあやす、傍から見ているとまるで姉妹だ。


「よしよし、大丈夫だよ、わたしが居るからね」

「うん、うん」

「ちぇッ、これから面白くろってところで」

「アンタ、二度とそんな話できないように、舌抜こうか」


 覇気のある声にグザンは気圧される。


「おお、怖い、レミーは恐ろしや」とグザンが言う。

「グザンさんがイケないと思うが」


 カムイは巻き添えにならずに済んで良かったとホッと胸を撫で下ろす。


「ちぇ、面白くないぜ、まったく、そう思うだろうガガバド」

「怒った顔をもまた美しい」


 ガガバドの口から洩れた言葉を聞いて、ロレンスもカムイもグザンも腹を抱えて笑った。

 当の本人とエファンの身がわからないと言ったような顔をしていた、それもまた面白く腹の底から笑った。

 こうして、今日もまた一日が終わろうとしていた。

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