レポート① パティール王国厨房記
レポート① パティール王国厨房記
東歴一八九二年、十二月十日。
この日を境に千年と言う長い歴史を誇ったパティール王国は、静かにその幕を下ろし共和制へと移行した。
それから百年、東歴一九九二年十二月十日の今日、パティール連邦共和国は祝日とし、共和制移行百年記念する行事が首都サイファルで盛大に行われている。
まあ、首都から離れハマール州の州都ジルマに来ているわたしには関係のない話だ。
この街を訪れたのは仕事の為だ、わたしは、歴史研究家であり小説家だ。
「お客さん、サイファルの祭りには行かないのかい?」
路線バス、隣の席の男がそう話しかけて来る。
既に出来上がっているのか、彼は顔が赤かった。
「いや、今日は仕事でハマール訪れているからね」
わたしの返答に男は鼻で笑いながら、フラスコに入ったウィスキーだろうと思われる酒を、喉を鳴らしながら飲み下し酒臭い息を吹き付けるかのように言う。
「それはご苦労なこった、祝日の日に仕事とは」
何かご苦労なこっただ、わたしとて祝日の日まで働きたくはない。
でも、今回はどうしてもこの日ではなくてはならない、数か月前から依頼していた、ハマール城歴史博物館から資料の閲覧許可がようやく下りたのだ。
ハマール州の州都ジルマ市、七百年前、この地を治めたパティール王族である剣聖、ジルマ・パティール公爵にちなんで付けられた市。
市の中心部に古城が静かに佇む、ハマール城。
二重構造の城壁を持つ堅城、五十年前の大陸大戦で半壊したが、今は修復作業が終わり、かつて公爵が住んでいた館は資料館として一般公開されている。
わたしは路線バスを降り、ハマール城に続く道に向かって歩き出そうとしたら、先程の男がわたしを呼び止めた。
「ハマールに来たら、ワサビ料理を堪能するといい、このハマールが世界に誇るその名を遺した料理人、カムイ・パテヤンが作ったワサビ料理はこの街の名物だからな!」
高笑いしながら彼はそう言って居なくなる。
それぐらい知っている、知っているとも。
わたしの名は、ジュラール・カムイ・パテヤン。
先程の酔っぱらいが言っていた料理人、カムイ・パテヤンの子孫だ。
我が家は料理人一家だ、王政が廃止されて共和制に移行しても、大統領の元、専属料理人として腕を振るっていた。
無論、家族からも一人息子であるわたしがカムイの名と、パテヤン家の為に料理人に成ることを望んだが、ところかどっこい、わたしに料理人としての才はなかったのだ。
父と祖父は落胆して、母はわたしを産んだことを後悔していた。
それでも父はわたしに料理の指南をした、しかし、小さかったわたしにはそれが苦痛でしかなかったのだ。
わたしは十五の時に父に「文学の勉強をしたい」とそう言った。
当時のわたしはこのまま包丁を握り続ければいつか、料理自体を嫌いになりそうで怖かったのだ。
父もそれを察したのか、そう言ったわたしにこう言ったのだ。
「潮時か…… 我が一族もこれで終わりだな」と。
ハマール城は古城であるがその威厳に満ちた城は観光地でありながらも近寄りがたいと言う雰囲気を出している。
わたしは資料館の受付に名と目的を告げると、五分とも経たずに館長がわたしを迎えてくれた。
「いや、光栄ですよ、あのカムイ・パテヤンのご子息をこの資料館にお迎えすることが出来るとは」
「はあ、そうですが……」
何だが低姿勢で話されると背中がムズムズする。
わたしは、王族でもないのに。
この国いや、この大陸でではカムイ・パテヤンの名を知らない人間はいない。
長い歴史の中でもっとも輝いた時代と言われるシルフィーナ女王時代に活躍した我がご先祖様は、信じられないことだが料理外交でその名を大陸中に轟かせたのだ。
シルフィーナ女王も彼に絶大の信頼を置いており、宮廷詩人の歌にもされたほどだ。
しかし、そんな有名人でありながらも彼に関する資料は非常に少ないのである。
唯一、彼に関して事細かく書かれていたのは国指定の一級歴史資料である、女詩人ベルが書いたとされる『パティール王国厨房記』だけである。
そこでは、カムイ・パテヤンは最初ハマール領領主である、ジルマ・パティール公爵の専属料理人として仕えていた記録が残されている。
この資料館なら、彼について何かの情報があるかもしれない、わたしはそう思い、ここに来たのだ、カムイの名はここでは絶大の影響力があるらしい。
普段ならどの学者や研究者などが申請しても降りることがないとされていた資料閲覧がすんなり通ったのだ。
しかし、条件とそして今日のこの日のみであり、時間は閉館までとされた。
わたしが通されたのは、重要区画に付き立ち入り禁止と書かれた部屋だ。
分厚い鉄の扉が三重となっており、それが開くと、小さな部屋が現れる。
いや、これは部屋ではない、小さな厨房だ。
「ここが、カムイ・パテヤンがジルマに使えていた時に使用した部屋です、そこに置かれているのは、彼が書かれたとされる、書物一式です、では何かあったお呼びください」
そう言って館長は立ち去った。
さて、仕事だ。
わたしは、ご先祖様が残した書物を手に取り、ページを開く。
そこに書かれていた内容は。
「なになに、鶏肉に、トマトに………… これ、レシピノートだ」
どうやらここに置かれていたのはわたしの期待とは違った資料だったようだ。