霊長類人科、出身地は地球
※本文中の当て字は全て作者が適当に考えたもので意味は全くありません。
ルビが多用されています。対応のブラウザじゃない人、本当に申し訳ありません。
「私の名前は古街夢雨。地球言語で言うところの、霊長類人科、出身地は地球です」
広い部屋だった。入り口には、会議室と書いてあったので、会議室なのだろうが、かなり巨大な隊員も想定しているのか、天井までは相当な高さがあるように見える。形は立方体ではなく、銀色の壁が大きく波打っていた。気温と湿度が異様に高く、私の他にも何名かは、宇宙服よりも遥かにスリムに設計された、特殊スーツを着ている。
新入隊員である私は、その辺をふらついていた隊員を集めただけというメンバーの前で自己紹介をしていた。元々、数が多すぎて、全員を集めることなど緊急事態のとき以外不可能なのだ。非常にいい加減に見えるが、実際、この宇宙船の中には規律というものが無く、命令にさえ従えば、ほかは大抵何をしても咎められることはない。大袈裟に言えば、通路の真ん中で裸踊りをしても何の問題も無い、そもそも服というものを身につけない種の隊員だってそれなりの数がいるのだから。
僅かな間、静寂が走る。首を傾げる者もいた。それもそうだろう。自己紹介は通常、名前、出身地、外形分類、性交種の順に行うのが普通だ。でも私はこの、霊長類人科、という響きが好きだった。
控えめな拍手がパラパラと鳴る。最も、その音はパンパン、であったり、ペチャペチャ、であったり、ボゴボゴ、であったりと、全く統一感がない。というよりも、単なる騒音にしか聞こえなかった。
「えっと、人間は名前にファミリーネームと、ファーストネームがあるんだよね。君のことはなんて呼べばいいのかな?」
耳の裏にある自動音声変換装置により組み替えられた声が私の耳に届いた。声の主の探して、周囲に視線を送る。程なくして、自分の右前にいる少し小さめの知能生物だということがわかった。見た目は軟体動物だ。足が六つほどある。赤色の皮膚は滑らかで、光を美しく反射している。
「夢雨、でいいです」
「そうか、じゃあ夢雨君。よろしく」
私の目の前に蛸の足のような物が差し出された。
これ、握手、なのかな?
一瞬、躊躇するが、それも失礼なのですぐに力強く握る。ヌメヌメとした感触が手に残った。正直、気持ち悪い。
「クォルトなんて役に立つのかよ」
そんな心無い声が、どこからか聞こえた。クォルト、というのは外形分類の用語で、四肢が存在し、二足歩行で歩く、気温七十ペトムから百八十ペトム程度の空間で生息する生物の総称だ。身長は基準には入っていないが、あまりに大きな種は便宜上、クォルタムと区別されている。ちなみに、ペトムという単位は絶対零度をゼロペトムとして計算する、全銀河共通の温度を表す単位だ。
クォルト種は一般的に、力が弱く、知能レベルも低い種族とされている。環境適応能力も低く、確かに、この仕事では役に立たないと思われても仕方ないのかもしれない。
「まあまあ、彼女も適正試験を受けてここに来てるんだから、そんなことを言っては失礼だよ。……ところで、『彼女』で合ってるよね?」
最後の言葉が無ければ、もう少し良い気分で自己紹介を終えられたかもしれない。
とりあえず、君の部屋に案内するよ。
先ほど声を掛けてきた軟体動物じみた容貌の知性生物に連れられ、私は異様に長く、更に蛇のようにうねっている通路を歩いていた。
真っ直ぐに作ればいいのに。
そう思うが、すぐに思い直す。恐らく、この船の設計士はうねった通路の方が素早く移動できる種の生物なのだろう。
十分ほど歩いたところで、巨大な円形の扉に突き当たった。
「ここから先は、クォルト専用に設計されてるから、その服を脱いでも大丈夫だよ」
「分かりました。……あの、何と呼べはいいでしょうか?」
「僕の事かい?僕は、ギュルギャラ……と言っても、自動音声変換装置で勝手にそっちの発音に変えられてるだろうからなあ。いや、本当ならそういうのも含めて完璧に変換されるべきなんだけど、僕のところは名前に通常言語とは違う特殊な発音を用いるのが通例でね、自動音声変換装置にも登録されてないんだ。だから君にそっちの発音で呼びかけられても僕がわからないし、そうだな、じゃあ、グルー、でいいよ」
グルーは一人称を『僕』としたが、これは私が自動音声変換装置で設定したもので、何もいじらなければ基本的に『私』となる。要するにグルーのイメージに合ったのが『僕』だったのだ。
グルーは扉の脇の壁にあるモニターに向かって、蛸足を振った。大きな音を立て、扉が内側に開く。そこにはバリアが張ってあり、扉の内側と外側の空気が干渉しないようにされている。
こんなので開いて良いのかな?
そう思うが、口には出さない。
「でも、君みたいな子がどうして未探査惑星調査隊に入隊しようと思ったんだい?僕の勉強不足だったら悪いけど、君の顔は人間の中では相当に美しい部類に入ると思うんだ。わざわざこんな危険な仕事を選ばなくても」
グルーがバリアの内側に足を踏み込みながら尋ねてくる。体を半分ほど向こうに入れてから、慌ててこちらに戻り、壁から突き出たボタンを押した。壁が大きく口を開き、その中から透明のカプセルが出てきたかと思うと、瞬く間に広がり、私が着ているものと同じ特殊スーツがグルーの体を覆う。どうやらグルーはクォルトの生活空間では生きられない生物らしい。
「私、宇宙が好きなんです」
「へえ、まあ、宇宙を自由に飛び回ることが許されてるのは政府の宇宙船か、僕達未探査惑星調査隊だけだからね」
グルーの顔は(と言ってもどこが目なのかすらよくわからないが)誇らしげに見えた。
「つかぬことを聞くけど」
グルーの頭がこちらを向く。
「何ですか?」
「僕はサルニクスなんだけど、君の性交種は何だったかな」
「セクハラですか?」
「いやいや、とんでもない。ただ、興味があるだけさ」
宇宙開発により、数多の形状の生物が意思の疎通の可能な知能生物として交友を深め始めた頃、科学者達の興味を引いたのが全く別の惑星からやってきた者同士によって生み出された混合種の存在だった。それぞれの生物の優秀な面のみを受け継いだ、新しい種の生物を生み出す計画は一部の科学者達によって推進され、その結果生まれたのが性交種という一つの基準だ。
性交種はその名の通り、生物の性交の種類を表す。異なる性交種同士の子孫繁栄が可能かどうかはその相性によって決まる。当時の学者達は数々の生体実験の中で、その相性を調べあげ、一つの規格にまとめ上げた。その成果によって現代では互いの性交種を知るだけで子孫を生み出すことが可能かどうかを判断することができる。たとえ、どんな異形の者同士でもだ。
「私の性交種はコトルクです。一応、適合ですね」
人間と蛸が融合した生物を思い浮かべようとするが、上手くいかない。しかし、適合であるのだから、何かしらの生き物が生まれるのだろう。考えたくもなかった。
「着いたよ。ここが君の部屋だ。と言っても、相部屋だけどね」
私とグルーは一つの扉の前で立ち止まる。グルーが再び扉に向かって足を振りながら、声をかける。
「新人の夢雨君が来たよー」
扉のロックが解除される音がする。グルーの姿をセンサーが感知したらしく、扉は横にスライドした。
中はシンプルな作りで、クォルトに合わせて作られているせいか、天井もあまり高くはない。二段ベッドが二つと、奥には机、そして恐らくはトイレとシャワー室に続くのであろう扉があった。
部屋の中央にはワンピースのような服を着たクォルトが立っていた。
じゃあ後はクォルト同士なあなあにやってくれたまえ。
そんな無責任なセリフを残し、グルーは立ち去る。
部屋には私と、少女とも、少年とも付かない不思議な顔立ちをしたクォルトが取り残された。見た目はとても人間に似ているが、透き通るような色の銀髪が、その想像を否定した。
「初めまして。ミルって言います」
柔らかい声で、挨拶をされる。
「こちらこそ。私は、夢雨」
私は頭を下げたが、ミルはお辞儀がどういう意味なのか理解できないようで、小首をかしげている。その仕草がとても可愛らしかった。
「君はどこから来たの?」
「地球」
「へえ」
ミルは、特殊スーツを脱ぎ始めた私の体を眺め回す。人間では無いと分かっていても、少し恥ずかしかった。
「一つ聞いていいかな」
私は指を一本立てる。
「あなたは雄?それとも雌?」
私の不躾な質問に、ミルは微笑む。
「どっちでもない」
そう言いながら、ミルはワンピースの裾をたくし上げた。下着をつけていないようで、艶かしい素肌が露わになる。
……これ、なんて言えばいいんだろう?
そこには、男性器とも、女性器ともつかない、不思議な形状の器官があった。
「私は、ケルトンだから」
ケルトン。性交種の中では珍しい、適合なしだ。つまり、同じ種同士でしか子孫を残せない。
「へえ、私は人間なの、よろしくね」
「うん、よろしく」
私は自動音声変換装置を触り、ミルの一人称を『ミル』と設定した。それが可愛いくて良いのではないかと思ったからだ。
部屋には窓が付いていて、外の様子を見ることができた。私は飛びつくように窓際へと駆け寄る。外は当然宇宙空間で、黒一色の背景の中に眩しく光る恒星やその光を反射した惑星や衛星たちがキラキラと輝いていた。そんな光景はずっと遠くまで続いていて、果てなど無いかのようだった。宇宙空間を自由に、それは例えば鳥のように、飛び回れたらどんなにいいだろうかと私は思う。
「外を見るのが好きなの?」
いつの間にか隣に立っていたミルにそう尋ねられる。
「うん」
私は素直に答えていた。
未探査惑星調査隊の仕事は主に、未探査惑星の環境調査を行うことだ。当然、調査には危険を伴うことも多々あり、隊員はそれぞれ特殊な訓練を受けた精鋭ばかりだ。とは言っても現代の科学力を持ってすれば、非力な者であっても十二分に探査活動を行うことができるため、大半は熾烈を極める筆記試験(便宜上筆記試験という言葉が当てられるものの、実際にペンを持って試験を受ける者はむしろ少数派だ)によって選ばれている。ただ、一部特別枠として身体能力に特化した隊員もいるらしいけれど。
入隊してから一週間後、初めての仕事の日がやってきた。作戦地は表面が真っ赤な惑星で、とても人間が住める環境には見えない。宇宙船がそろそろ着陸態勢に入ろうとしている中、私はミルに声を掛けた。
「ねえミル、ミルはこの仕事を始めてからどれくらい経つの」
「うーん、一年くらいかな」
私とミルはこの一週間生活を共にして、すでに親友になっていた。
「大変?」
「ミルは好きだよ、この仕事。わくわくするし」
「私も、わくわくしてる」
宇宙船が着陸し、出動組が大地に足を降ろす。景色は宇宙空間から見て想像したときとほとんど同じで、赤いデコボコとした地面がどこまでも広がっていた。植物の類は見当たらない。
「さあ、仕事を始めるぞ!」
そう号令をかけたのはグルーだ。
赤い惑星の大気は乾燥していて、もし今着ている特殊スーツを脱げば、自分は一瞬のうちにミイラになってしまうのではないかとさえ思った。塵が大量に宙を舞っていて、視界が悪い。私は背中に背負った計測器が壊れやしないかと冷や冷やしていた。
遠くで激しい爆発のような音が響いた。
「な、なに? どうしたの?」
慌てる私に、ミルが答える。
「たぶん、生き物がいるんじゃないかな。行こう」
ミルは物怖じする様子もなく、隊員たちの先頭に立って歩き始めた。
うわあ……気持ち悪いっていうか、もう、すごいなあ、これ。
立ち尽くす私の目の前には巨大な芋虫状の無知性生物が全身をうねらせながら横たわっている。その体には無数の穴が開いていた。
「すごいでしょ」
ミルは得意げに手に持った光線銃をクルクルと回して見せる。
一瞬の出来事だった。
この巨大生物は音が聞こえた方角へと向かっていた私たちの前に突然現れた。地面を食い破って出てきたその異様な姿に驚き、腰を抜かしてしまった私は、鋭い牙と強靭な顎でバラバラにされて食べられてしまうところだったのだけれど、あと一歩のところでミルが助けてくれたのだ。
「ありがとう、ミル」
「どういたしまして」
無事に危機を乗り越え、残りの仕事を終えた私たちは宇宙船へと帰還した。疲れ切った体をベットへ横たえると今にも眠ってしまいそうだった。
ふと気が付くと、ミルが私の顔を覗き込んでいる。
「夢雨、大丈夫?」
ミルは私の体を心配してくれているようだった。
「うん、元気だよ。……でも、思ったより大変だった」
「すぐ慣れるよ。ねえ、夢雨、これあげる」
そう言ってミルが取り出したのは、星形で透き通った色のガラス玉のような物だった。
「これ、なに?」
「ミルの故郷のお菓子」
ミルはそっと私の手にそのお菓子を乗せる。
「食べていいの?」
「うん」
お菓子を口の中に入れると、弾ける様な感覚が私の舌を襲う。甘い味を想像していた私は驚いて思わず体を起こし、吐き出してしまいそうになる。
「ミ、ミル、これ、すごい味だね」
「美味しくなかった?」
ミルは不安げな顔をする。私は首を横にふるしかなかった。
宇宙は広いなあ……。
私はしみじみとそんなことを思う。でもそれがきっと宇宙の魅力なのだろう。いつかミルに私の故郷のお菓子を食べさせて上げよう。
ミル、これからもよろしくね。
私がそんなことを口にすると、ミルは満面の笑みで、「うん」と答えてくれた。