夢見心地
あれ以来、なぜだろう。
ルーシュカは私のことをやけに気に入ったようだった。
ほっぺをつねって叱りつけただけなのに。
むしろ最近では、子分が親分を慕うような目つきだ。
じゃっかん変なリスペクトが入っている。
思いあたる節は、ややある。
たとえばある日、身体の悪かった前世であこがれていた木登りを習得した私。そのとき、ルーシュカに見つかり、それを伝授せざるをえなくなった。
また、たとえば、雨の日には室内で騒ぐルーシュカを黙らせるため、この国にはなかったトランプを作って遊び方を教えてやった。など。
新しい遊びを生みだせる子、あるいは、その遊びに関して負け知らずという子は、古今東西、どんな場所でも尊敬を集めてしまうものだ。
はからずともルーシュカが慕ってくるのはそれと遠くない理由だろう。
まあ、子供の遊びでチート並みの強さになってしまうのは、実年齢18歳なら当然かもしれない。
「クレーシュカ」
笑顔の天使が甘えるように呼びかけてくる。
彼女は小さな手で私のスカートの裾をつかんで、私の行くところについて回りたがる。
お人形さんのように可愛くて、思わずなんでも言うことを聞いてあげたくなる。
……が。
「クレーツィアだから」
私はだまされない。そう自分に言い聞かせてる。
「ぼくの姉さまを変な名前でよぶな」
私のスカートの反対端をつかんでついてくる、赤黒い髪の、華麗な天使が言った。
こっちは私の弟のアニヴァルメアだ。
そう、今の私には1つ年下の弟がいる。ルーシュカと同年の男の子だ。
なんていうか、この弟がめちゃめちゃ可愛い。
色白だし、まつ毛なんて女の子のように長い。私と同じ色の髪なのに、猫毛くせ毛の私と違って、サラサラな絹のようなのだ。
クレーツィアの弟は、脇役のさらに脇役、ちょこっとの登場人物だけれど、それにはもったいないほどの美少年。
この子は、生まれたときからクレーツィアの大切な宝物だった。
前世では一人っ子だったから、兄弟というものにあこがれていた。
そして私はこの弟の出現によって、過去の自分と今の自分のちがいというものに目を向けざるを得なくなった。
過去の自分には弟との記憶がないけれど、6歳の自分には、このアニヴァルメアを5年間とことん可愛がった鮮明な記憶があったのだ。
どちらも自分だという自覚があるのが、救いといえば救いだった。
心の中には6歳の自分がちゃんといる。
わがままを言いたいときもあるし、親に甘えたいときもある。
けれど18歳まで生きた私が、クレーツィアのまま6歳児としてふるまうのはたまに難しかったりする。
そういうときは、弟の存在もあって「クレーツィアはお姉ちゃんだから」と大人ぶれるのも、自然体でいられた一つの要因かもしれない。
6歳児にしては、やや大人びていても周囲からはあまり変な目で見られなかった。
――記憶をとり戻してからの問題はたったひとつ。
あれから私はどこか夢見心地で。
この世界のことを、映画か何かのような作り物を見ているように、達観してしまうことが多々あることだ。
受け入れられない……のとは、少し違う気がする。
実感が湧いていないようにふわふわとしていて、過去と今、自分の気持ちがどっちつかずの状態なんだろう。
「姉さま、今日はぼくと遊んでくださると約束しました。だからあっちでぼくと遊んでください」
そう、この可愛い弟も、いずれは大怪我をする。そして流行病で死んでしまう。
それは私が昔、さらりと書いたことであり、文脈にしてみれば10行にも満たないことだった。
それを知っていても冷静でいられる自分が、自分でも不思議なくらいだ。
「そうだった。じゃあ何して遊びたいの? アニーヴ」
「姉さまといっしょに麦葡萄の木を見たいです。いきませんか?」
弟ははにかむように誘う。
なんなのこのかわいい生きものは!
ああ、息をするのがつらいです。はあはあ、撫でくりまわしたい。
「だめよ、クレーツィアはあたしと遊ぶの! かくれんぼしよう!」
「おい! ぼくの姉さまだぞ! いっつも邪魔ばっかりするな、わがまま姫! 姉さまからはーなーれーろー!」
「いーやーっ! ルーシュカ、クレーツィアと遊ぶうううっ」
私を挟んで、ぎりぎりと相手を押し合い、お互いを私から離そうとする二人。
日常茶飯事の光景で、年上の私はこれをおさめる立場だ。
「今日は麦葡萄の畑に行こう」
さらりと私が言えば、ぴたっと言い争いは止まる。
まるで尻尾があればちぎれんばかりに振っているであろう、アニーヴの顔といったら。
「っ……」
それとは真逆に、頬を膨らませて面白くなさそうなルーシュカ。
けれどルーシュカはちゃんと私のスカートから手を離し、それ以上無理なことは言わない。
彼女はわがままだけれど、私の意思をちゃんと尊重してくれるのだ。
こいつも可愛い奴なんだ。
「ほら、ルーシュカも行こう? 麦葡萄畑でかくれんぼしよう」
私が手を差しだせば……。
かならず握り返してくる、小さな手。
ほら、花が咲くような笑顔。
ちょっとだらしがない、締まりのない笑顔だけど。
この子、こんなに嬉しそうな顔は私にしか見せないから。
「クレーシュカ……」
「クレーツィアね」
うっとりしたようなルーシュカに、すかさずつっこむ癖がついてしまった。
惨劇ストーリーだということも忘れ、私はこうして何もせず、焦りもせずに毎日を享受している。
そんな日々が穏やかで楽しかった。
前世より健康な身体を手にしたことも大きな影響だった。
少し無理をして遊んでも、なんともない。
走って、飛んで、日を浴びて、私はむしろ世界に感謝した。
あまり心配していても仕方ないではないか。
もしかしたら弟は大怪我なんて負わないかもしれないし、流行病なんてないかもしれない。
ルーシュカも幸せになる未来があるかもしれない。
だって未来は不確定で、ストーリーの通りになんて進まないことだってありえる。
何も起こらなければいい。
そんな甘い期待を抱いていた私を裏切る、残酷な現実が待ってた。