「クレーシュカ?」
「クレーシュカ?」
「そう! クレーシュカ。あたし、ルーシュカだから!」
ね、おそろい!
なんて笑っているヤヒナルルーシュカは、いっぺんも悪気がないようだ。
そしてまだちょっと声が大きい。
私は直面したことのなかった事態に対応しかねている。
名前を決められた?
いや、愛称をつけなおされたのだ。
ああ、そうか。あれだ、子供の戯れだ。
あれだ、仲良しの子同士が自分たちのあいだだけの特別な呼び名を考え合う、みたいな。
ええと、あれだ、とりあえず付き合ってあげてみよう。私は一応大人でもあるんだしね。
「えっと……じゃあ、私はあなたのことルーツィアって呼ぼうかな」
「やだ。かってに名前をかえないで」
ヤヒナルルーシュカは、「え」と嫌そうな顔をして即答した。
やだって。……自分勝手がすぎるでしょ!!
自己中ですか!
ヤヒナルルーシュカってこんな子だったの!?
幼少時代の出来事なんて、物語にはでてこないような設定上でしか決めていなかった。
だからこんなにイメージと違う中身なのだろうか。
「お母さま! この子の名前をクレーシュカにかえたい! 国の名簿からは、どうしたら書きかえてもらえるの?」
私が目を白黒させている間に、ヤヒナルルーシュカが王妃さまに問う。
声の調節が下手なのかやっぱり声がでかい。
耳が痛い。
って、えええええええ! この子名簿から書きかえる気!?
そもそも、この国では人の名前が長いおかげで、生まれたときから名前と一緒に愛称も決められているものだ。
貴族ともなれば公的に国から与えられるほどだった。
クレアツィツィン――、クレーツィアの生家は、現王の世において宰相の家柄だ。
惨劇ストーリーにのっとれば、近いうちに没落する予定だが、まだ大貴族だ。
となればもちろん国の公的な名簿にクレーツィアの愛称が記されている。
「今日からクレーツィアはクレーシュカにするから!」
きらきらとした笑みを浮かべている、国家レベルのわがまま娘。
さっきまでドアの隙間でめそめそしていた繊細な少女はどうした!!
別人かと思うくらいケロッとしているではないか。
鼻息も荒く、彼女のきらきら笑顔はこちらに向けられた。
すかさず私は抗議しようとする。
「ちょっと、勝手に……」
「クレーシュカ、あたしのこと怖くないんでしょ! オトモダチになるんだよね? あたしオトモダチに名前をつけたかったの!」
だんだんこいつの口を押えてやりたくなってきた。とにかく声が大きいのだ!
声量を調節することを覚えさせなければ。
しかし、彼女の口を抑えようと手をのばした私は、とっさに別の動作にでた。
なんだか急に小憎らしくなったヤヒナルルーシュカの白い頬を、片方ぎゅーっと引っ張ったのだ。
「友達って、猫や犬とはち・が・う・の! わかった!? それとね、声がでかいのよ! つぎに耳もとで怒鳴ってみなさい、容赦しないから!」
5歳児を相手に、大人げないとは思うけれど、自分だってまだ6歳のクレーツィアだという感情もある。
同い年くらいの子供のとケンカして何が悪い! それに、この子はガッツリ言わないとわからない気がするし!
しかし、頬を引っ張られたヤヒナルルーシュカはびっくりしたように固まった。
さっきまで興奮したようにしゃべりまくっていた様子が嘘のようだ。
ふと、部屋の中にいる王妃と私の母が息をのんでいることもわかった。
そして唖然とする。
そうだ! この子、同い年の子供うんぬんの前に、お姫様だった!
自分が同じくらいの歳で、宰相の娘だからという理由で、今日は話し相手に連れてこられただけだ。
本来なら、私は臣下の娘であり、友だちになることだって恐れおおいんだった!
手をあげるなんて正気の沙汰じゃない!
容赦しないから、じゃない! 容赦してもらうのはこっちだ!
まずい、まずいぞ。
「あの……」
おもに王妃さまの視線を気にして、恐るおそる手を離そうとした、そのとき。
爆発的な大笑いが巻き起こった。
「あっははははは!」
それは他でもない、王妃さま自身の笑い声だった。
「クレーツィア、もっと言ってやってちょうだい。この温室育ちにはそれくらいがちょうどいいわ」