【第三章】温かいもの
私はなにに対して、こんなに悲しい気持ちになっているのだろう。
ハルシアに王子だったことを教えてもらえなかったから?
彼がいずれ、1人で死のうと覚悟しているはずだから?
私と一緒に研究している薬草を、彼が死ぬために使おうとするから?
どの理由も少しずつあるけれど、本当には的をえていない気がする。
私が彼に裏切られたような気持ちになる、本当の理由はなんだろう?
どうしてハルシアが許せないのかわからない。
だから、どうやって許せばいいのかもわからない。
あの日のまま一週間が経ってしまった。
私はずっと研究室に引きこもっていたけれど、今日の陽気な天気に誘われて、消耗品を買いに街へ出ることにする。
インクと紙、パンと、それに今日はルーシュカの誕生日プレゼントも用意したい。
あげる品はもう決まっている。
竜の国にはない、色鉛筆だ。
この世界の色鉛筆は高価なもので、技術のすすんだマ皇国でしか造られてない。
ルーシュカは色鉛筆なんて見たこともないはずだから、きっと喜ぶはず。
のどかな昼下がり。
マ皇国の王都はいつも活気のある場所だ。
狭い道並みには、にぎやかしい露店街がいくつもある。
行き交う人々の笑顔があたたかい街並み。
「お姉さん、テリーの実が甘いよ! ちょっと味見して」
「ありがとう」
気さくに露店のおばさんは、屋台から身を乗り出して話しかけてくる。
差し出されたのは知らない果物の欠片だけど、かっぷくの良いおばさんが持ってるとなぜなんでも美味しそうに見えてしまうのか。
「あ、おいしい。桃みたい」
「桃の仲間だよ」
「ふうん、テリーね。3つくださいな」
この世界には、前世の私が知ってる食べものとそうじゃないものがある。
こうやって露店を巡ると、新しい発見が山ほどあるからすごく楽しい。
「ほら、小さいのを1個おまけであげるから、食べながら行きな。テリーはね、新鮮なのがいいんだよ。さっき採れたばっかなんだ。今、皮をむいてやるからさ」
「そうする。うれしいわ」
ふふふふ。
これこれ。
これぞ露店巡りのダイゴミです。
私は最近、竜の国ではできなかった、買い食いをマスターした。
今日、下町の女の子の格好をして着たのはそのためだし。
身なりのいい貴族風の姿では声もかけてもらえないだろう。
まあ、もともとこの国ではワンピースみたいな簡易なドレスしか着ていないけど。
髪を結ったり、着替えのお手伝いしてくれるメイドさんがいないから、着たくても着れないという理由もある。
でもその方がいい。
おかげでこうやって気軽に出かけられる。
――全部ハルシアが、教えてくれたんだ。
この街の歩き方も、買い食いの仕方も。
こういう細い小道の頭上には、数多のカンテラが張り巡らせてあり、夜には赤い灯りがうかびあがる、そんな美しい夜景のことも。
今日着ている、質素な服。
村娘っぽいけど垢抜けて見えるライトグレーのワンピースも選んでくれた。
街へ降りるときはいつもハルシアが一緒だった。
あんまりひどい人ごみでは、手をひっぱって歩いてくれた。仕方ないなあって笑顔で。
だからじつは今日、私は初めて一人で出歩いていたりする。
ふと気づいたら、なぜだろう。
にぎやかで温かかった街並みが、急によそよそしく感じた。
今、隣にハルシアがいないことを実感したのだ。
広い街に、私は1人だった。
「色鉛筆……買わなくちゃ」
1人だけど、それがなんだというのだろう。
こんなに寂しく思う理由はべつにない。
私は、1人では何もできないような人間じゃない。
手にしていたテリーの実を大きくかじって、私は止まっていた足を動かし出す。
手のひらより小さいテリーの実は、あっという間に食べ終えた。
次は何を食べよう?
果物をちょっとお腹に入れたら、空腹に気づいた。
そういえば朝から何も食べてなかったんだ。
――あ、いい匂いがする。
ふいに、露店の食事スペースに目を向けたら、私はありえないものを目にしてしまった。
「げ」
大きく開けた口に、美味しそうなピザをほお張ろうとした瞬間のベルサタンだ。
げ、はこっちのセリフだわ。
私だって見たくなかった。
自分の小説のヒーローが、下町の露店なんかで、小汚いテーブルとごったがえした人混みになじんでるところなんて。
「あなた何して……」
「おい、座れブス」
ベルサタンはすばやく私の腕を引っ張って、自分のテーブルの向かいに座らせる。
ガタつく椅子に倒れこむように席についた私。
おしり打ったんですけど。
「こいつにも同じものを」
彼は、かわいい店員さんへ勝手に注文をして、私を見るといまいましそうに息をついた。
「なんでお前がいるんだ。貴族のご令嬢だろう。下町を出歩くな」
「私なんかよりもここにいてはいけないはずの人が、なにを言うの」
ほんと、この男は自分のことを棚に上げるのが好きだなー。
ベルサタンはそれには答えず、ふんと鼻をならしながらカップの飲み物をあおる。
久しぶりに会ったが、相変わらず可愛くないヤツだった。