笑顔の正体
私はハルシアの運命を知っていた。
それは、彼が死ぬ未来だった。
「ハルシア……」
呆然としている私に、ハルシアは目を向けずに言う。
「クレーツィア、先に研究室へ戻っていて」
彼の考えていることはわかる。
取り乱しているマリアさんを落ち着かせるには、私はここにいない方がいい。
わかっているのに足が動かなかった。
大きな衝撃を受けて頭が麻痺している気がする。
反応しない私を怪訝に思ったのだろう。ハルシアはようやくこちらを見た。
「クレーツィア?」
「ハルシア様!」
彼が目をそらした途端にマリアさんがわめく。
まるで自分以外を見るなとでも言うように。
「マリア、また今度話そうか。ちゃんと僕から会いに行くよ。だから今日は帰ってくれないかな? こんな場所は君が来る所じゃないだろう。ほら、お付きの人たちも痺れをきらせて待っているよ」
ハルシアが目配せをした先には、マリアさんに付き添って来たらしい女性が1人と護衛の騎士が2人、少し離れたところで立っている。
マリアさんは眉を寄せたけれど、渋々うなづいた。
「わかりました、今日は帰ります。後日うちへいらしてくださいませ。私の父とも是非話してください。きっと力になれると思いますの。父はまだあなたの王位を望んで……」
「マリア」
ハルシアは彼女の言葉を遮るように、声をかぶせた。
「帰って?」
彼の笑顔はゆらがない。
しかし、拒否を許さない雰囲気だった。
するとマリアさんはおとなしく黙り、うつむいて、次はハルシアの袖を掴んだ。
「ではハルシア様、送ってはくださいませんか?」
「マリア」
「せめて門まで。少し一緒に歩きたいだけです」
ほろほろとまた泣きながら訴えるマリアさん。
「……ん、じゃあ門まで送ろうか」
ハルシアは困ったように眉をさげているが、微笑んだ。
マリアさんが嬉しそうに手を差し出せば、流れるような動作でエスコートの腕を貸す。
白衣なんか羽織っているのに、ハルシアはちゃんと貴公子に見えるから不思議だ。
本当に王子様なんだ。
「クレーツィア、大丈夫? 先に戻っていて」
彼はもう一度私を促す。
私はだんだん衝撃から解放されはじめていて、なんとかうなづいて見せた。
けれど、目の前から彼らとその付き添いがいなくなっても、私はそこを動けなかった。
静かな中庭で一人、小さな池を見ながらぼんやりし続けた。
小説の中でベルサタンの兄は自殺していた。
クレーツィアの弟アニーヴのように、その男は物語が始まったとき、すでに死んでいた。
ただその出来事だけが、ベルサタンのトラウマとなって現れるのだ。
その男が17歳の時。母親が亡くなった。
その男は母親の死を、以後、自分の罪だと背負って生きていく。
18歳、19歳。
その男は王宮や社交場にはあがらず、隠居生活をすごす。静かに、穏やかに。
20歳。
異母弟に王位継承権をゆずる名目で、その男はで自ら死を選ぶ。
愛する母を追うように、その死に方を真似て死ぬ。
死因は……ああ、そうだ。
「毒だ」
そう口にして、思いあたるものにぞっとして、私は両手に顔をうずめた。
――薬を研究している私も、ハルシアも、それだけはたくさん持っているね。
効能の強い薬ができる薬草はたいてい劇薬だ。
私は部屋に、人を救うための方法を。
彼は部屋に、死ぬための方法を並べているのだ。
「クレーツィア、どうして中に戻っていないの?」
ハルシアが戻ってきたとき、私はまだぼんやりしていた。
彼はやや呆れている口調だった。
理由はすぐに思いあたった。
雨が降り始めていたからだ。
小雨だけれど、雨脚はだんだん強くなってきている。
ハルシアは雨が降ってきたせいで走ってきたのか、少し息をきらしていた。
雨で濡れたクリーム色の髪を、邪魔そうにかきあげた。
「クレーツィア?」
私が黙っていると、心配そうに彼が覗き込んでくる。
ああ、だめだ。
今は彼の顔を見られない。見たくない。
「帰って」
「クレーツィア?」
「帰って、ハルシア」
「待って」
私が背を向けて歩きだせば、ハルシアが追いかけてこようとする。
「ついてこないで!」
私は初めてハルシアに声を荒あげた。
いろんな気持ちが交錯して、どうして自分が怒っているのかもわからなかった。
一度拒絶すれば、ハルシアはもう追いかけてこない。
ぴたりとそこに止まった。
自分で言ったくせに、そのことすら苛立ってしまう。
そんな内心を知られるのが嫌で、彼の顔を見ずに、私は走って去った。
泥が足に跳ねてぐしゃぐしゃだったけど気にならなかった。
私は追いかけて欲しかったのだろうか?
追いかけて、彼に何を言って欲しかったのだろうか?
やがて雨はどしゃ降りになった。
私はハルシアのいない自分の研究室で、暮れゆく空を眺めていた。
翌日も、その次の日も、雨は降り止まなかった。
ここで第二章、終了です。
一章が竜の国編
二章がマオウ国編となっていました。
プロットが大まかな作品なので、ちゃんと書ききれているか、不安があります。。笑
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