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ちょっとした手違い

「これ、クレーツィアの? ごめん、少し雨で濡れちゃった」

食器を拭いていると、ハルシアが分厚いノートと本を数冊抱えてきた。


それはたしかに私がここへ持ってきたものだ。

ベルサタン王子が窓を破ったせいで、吹き込んだ雨に濡れたのだろう。表紙が湿気をふくんでいそうだが、干しておけばなんとかなりそうだ。


「大丈夫、全然問題なさそう。そっちの研究室は片付いた?」


「ガラスはあらかた。でもまだベルサタンが窓をふさいでいるんだ。 急に騒がしくなってごめんね。まさかこんな所に王子なんて来て、びっくりしたでしょう 」


ちらりと隣の部屋を見れば、王子が金槌を片手に板を打っている後ろ姿。なんとも言えない光景だ。

「慣れないだろうし、怪我とかしなければいいけれど。王子様が指を打ったりしたら大騒ぎになるんじゃない?」


つい、心もとない手つきが心配になってしまう。どんな暴言野郎でも、王子様は王子様だ。王宮では大事にされているはず。

けれどハルシアは笑っている。


「あいつは男だし、指を打ったくらいじゃ誰も騒がないよ。王宮の軍部で身体を鍛えてると、多少の怪我は茶飯事だからね」


「いってぇ! おいハルシア、 手が潰れたぞ! どうしてくれる!!」

向こうの部屋から悲鳴が聞こえる。


「……彼、騒いでるけど」

「ね。男じゃなかったのかも」

ハルシアはそう言って肩をすくめて、ベルサタンの訴えを軽く無視する。

そしてなめらかな手つきで私の手から食器を受け取ってくれた。

「クレーツィアはもう座ってて。あとはやっとくから。ありがとう」


ハルシアはどこまでフェミニストなんだろう。

それに比べて、ベルサタンに対してはちょっと厳しいようだ。

だが、その厳しさも親しい者同士のやりとりに見える。


「ハルシアはベルサタン王子と仲がいいんだね」

微笑ましかった。

まるでルーシュカに対してちょっぴり厳しいアニーヴの関係みたいだ。

故郷を思い出して懐かしくなる。


けれど、ハルシアはそう言われたとたんに、背中をこわばらせた。


そんな気がしただけかもしれない。彼がふり向けば、いつも通りの笑顔だった。

うん、気のせいかな?


「そいつはな、俺のことが死ぬほど嫌いだぞ」


いつのまにかそこにいたベルサタンが、戸口に寄りかかり、口を挟んだ。

けれどハルシアは穏やかに否定する。

「そんなことはないよ、ベルサタン。それより、そっちの作業は済んだの?」

「まだだ」

べルサタンは鼻で笑って、研究室の方に戻っていく。


変なサタン王子だ。

今のカッコつけるところじゃなかったんだけどな。

どうしたんだろう。かまってほしかったのかな? 


私がハルシアに目を戻せば、彼はベルサタンの背中をじっと見ていた。

「ハルシア?」


「クレーツィアは、ベルサタンがこの国の王子でも仲良くできる? あいつに取り入れば、留学生としても、いろいろ優遇してもらえるんじゃないかな」

とても柔らかい口調だ。棘があるように聞こえるのは、やっぱり気のせいだろう。

暴言を吐かれた私と、サタン王子との仲を取り持とうとしてくれているみたいにも聞こえた。


でも、ルーシュカとサタン王子の関係のことがなくても、私には王子と容易に近づけない理由がある。


「今のところ、ベルサタン王子とは一定の距離を保ちたいところね。私の実家が実家だし。他国の王家とつながりをもつのは、少し慎重になりたいかな」


なんせ、うちは宰相家だ。

竜の国の王家に次ぐと言われるほどには、力を持っている。


私自身はなんの権力もない。

この大学では、留学生や国内学生、研究者、あらゆる学問にはげむ身分のうちは、政治に影響をもてないという風習が一般的だ。

大学内で無用な派閥をつくらないために、そういう暗黙の了解があるにはある。


だが、人の目にどう映るかは明らかだ。


つまり、私がマ皇国の王子と懇意にするということは、世間から見て、竜の国とマ皇国との関係が、一歩とはいかなくても半歩近づくと言っても過言ではないはず。


それは竜の国の利益につながるかもしれないが、不利益の面も必ずある。

軽はずみに考えていいことじゃない。


ハルシアがもの言いたげにこちらを見ていた。

「なに? ハルシア」

「いや、あまりこういうことは聞きたくなかったんだけど。君ってずいぶん良いところのご令嬢だったりする?」

彼は非常に聞きにくそうにしている。


「私、前に自己紹介をしたと思うけど。忘れちゃった?」


「覚えているよ。でも、竜の国は他国と比べて閉鎖的だから、あまり情報が流れてこないよね。君の生家はエルマ家、だっけ? 申し訳ないけど、あの国については王家の面々くらいしか知らないんだ」


たしかにそうだ。竜の国は外交にはまだ積極的じゃない。

竜の国の人々は、ほら、普通の人間とちょっとちがうから。

迫害なんかを受けないように、なるべく他国と関わらないようにしている節がある。

ハルシアが知らないのも無理はないかも。


「そうね。わかりやすく説明すれば、私の父は現王の宰相を勤めているわ。いちおう、さかのぼれば王家の血筋も入っているし、王家の傍流にあたるのね。エルマ家の爵位は公爵よ」


「宰相……大貴族じゃないか」

ハルシアはめずらしく絶句した。


またベルサタンが隣の部屋から顔を出し、話を聞いていたようだ。

「宰相の令嬢が、従者もつけずにこうしてうろうろしているか? バカなのか? 」

いちいちムカつく言い方をする王子だ。


でも、ベルサタンが王族だというからには、私が彼に返事をする場合は一応敬語を使わなければいけない。がまんがまん。


「国からはメイドを3人と従者を2人、連れてきていたんだけどマ皇国に入る前に、全員帰されてしまったんです。この国の留学生は孤独なものらしいので」

嫌味っぽく聞こえないように頑張った。

でも、つい恨みがましくなってしまう。だって入国のときは大変だったからね!


ハルシアはさらに驚いている。

「メイドも帰したの? まさか、今、北の棟で1人暮らしってこと?」


「ええ。特に不自由していないけれど。留学生にはこれが普通なんじゃないの?」


「そんなわけないよ。何かの手違いだ。たぶん、エルマ家の爵位が正しく把握されてなかったんだね。さすがに、他国の公爵家の人間に対する待遇じゃないよ」


「竜の国が小さいから侮られているんだと思ったわ」


「まさか。そういうのは外交問題につながるから」

ハルシアは腕を組んで、額に手を当てた。どうしたものか、と悩んでいる。


「そもそも普通のご令嬢というのは、自分じゃ服も着れない甘ったれだろう。1人にされたら1日と保たずにのたれ死ぬ。メイドと引き離した時点で、暗殺計画にひとしい」

ベルサタンが物騒なことを言う。


ちょっと言い過ぎだとは思うが、あながち間違いでもない。

私は、竜の国の実家では、たくさんの使用人がいて料理人がいて、護衛がいるような貴族の生活をしていた。


でもうって変わって前世では、付き人なんていない生活をしていたんだし、いくらか母親の手伝いもしていたおかげで自炊もできなくはない。

前世の感覚を思い出すまで、2、3日は苦労したけど。



「すぐに手配させよう。大変だっただろうね」

「やめてハルシア、必要ないわ。不自由していないというのは本当なの。むしろ、付き人なんていたら、もう窓を登れなくなるわ。ここに来れなくなってしまうのは嫌」


「クレーツィア……」

ハルシアは眉をさげたが、ふと、思い出したように笑いがこみ上げたらしい。急に口をおさえた。

「宰相のご令嬢が窓をよじ登るし、僕にコーヒーを入れるし……。つくづく君っておかしな子だよね」


くくくっと笑うハルシア。

なんだか複雑そうにベルサタンが眺めてくる。


「窓を登って入ったのか? この女、なんてやつだ」

「あなたには言われたくないわ」


窓をぶち破って入ってきたような非常識王子に、そんな目で見られるのは屈辱だ。

つい、ベルサタンに対して敬語を忘れてしまった。


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