黒猫②~ハルシア視点
ハルシア視点です
黒猫は、僕の部屋に通う。
どこか申し訳なさそうに。
そして、それ以上に固い意志を秘めて。
あの日、彼女に薬草園で助言をあたえたあと、僕の部屋へ入れてくれとせがまれたときは、「なんだ、この子もそういう子か」と拍子抜けしたのを覚えている。
彼女と会話をするのを、急に億劫に感じた。
自惚れではないけれど、そんな女性はよくいるのだ。
僕は仮にも王族でありながら、格式ばった王宮におらず、こうして比較的自由な大学敷地内に身を置いているせいもあるだろう。
手の届かない相手じゃないと、女性は考えるようだ。
そんな女性たちは、なんの後ろ盾もないこの僕に、なにを期待しているのだろうか。
僕といても、得るものは何もないのに。
「ごめんなさい。でも私、研究棟の地下図書室にどうしても、どうしても行きたいの。あなたの研究室を経由させてほしいの」
「……経由?」
それは予想だにしなかった答えだった。
「ええ。私は表の入り口からは入れないでしょう? あなたの部屋なら2階みたいだから、窓に登れると思うの。……もちろん悪いことだってわかってる。でも、ここの地下には他にはない文献がたくさんあると聞いたから、絶対に見てみたいの。絶対」
彼女はややうつむいて、ふくふく柔らかそうな頬をピンク色にしている。
この子は、僕の部屋をただ通過したいだけ。
僕は自分の勘違いが気恥ずかしくなって、口もとを片手でおおう。
見当違いな返事を返さなくてよかった。
あやうく、告白の断り文句まがいな返答を返すところだった。
羞恥を誤魔化すため、思いついたことをとりあえずしゃべる。
「そう。でも地下図書室にある本は、どれも古いものばかりだよ。もう誰も興味を持たないから地下にあるんだ。そんなものが見たいの?」
「あら、この国では古い知識をかえりみないの? もったいない。"温故知新"って言うでしょう。新しいことばかりでなく、古い知識だって見直せば、学ぶことは必ずあるの」
「"おこんちし"……?」
彼女の言葉が聞きなれない発音だったため、繰り返そうとする。けど、うまくいかなかった。
「んふぶっ」
彼女は真面目な話をしていたからだろう、真顔のまま吹き出した。そのまま、大きく咳き込む。
どうやら、驚いて不自然な呼吸をしてしまったみたいだ。
「イケメンが……残念なこと言ってる……っ」
イケメン?
彼女の口から、苦しそうな咳の合間に知らない言葉が出てくる。
生まれた国が違う相手からは、学べることが多そうだ。竜の国の言葉だろうか?
でもとりあえず、今気になることは。
「僕、残念って言われたの、初めてなんだけど」
さらに激しく咳き込む彼女。
その背中を、僕はさすってやるはめになった。
留学生だからだろう。
彼女は僕の身の上を知らない。
興味もなさそうだ。
彼女といるのは、楽だと気がついた。
――呼吸が、楽だ。
そして僕は、彼女が研究棟に入るのを手引きすることになる。
もしこの棟に侵入しているのがバレても、あなたの名前は絶対にださない。これ以上迷惑をかけない。と彼女が誓った。
しかし、さすがに、見つかった際に彼女が処罰されるのを、素知らぬ顔で放っておくこともできない。
「クレーツィア、見たい本のめぼしはついてるの?」
「薬と、感染病と、解毒、あと薬草のことならなんでも……」
「ふうん。薬草と解毒……それなら、この部屋にもたいていの本はあるかな。その他は僕が地下から持ってくるから、君はこの部屋から出ないでくれない?」
この部屋から出るところを見られてたら、僕も言い逃れはできないと指摘すれば、彼女は黙って従ってくれた。
様子を見ていれば彼女は、ある特定の病気に対する解決法をさがしているように見られた。
なにをそこまで必死になっているのかは、わからない。
「おはよう! はやく中に入れて、ハルシア」訪れるたびにそう言って、僕に手引きをせがむ彼女は、少し強引な口調で。
あれは自分のなかの後ろめたさを隠そうとしている。
彼女自身が躊躇しているのを見破られたら、僕に来訪を断られると思って恐れているのだろう。
理由は分からないが、彼女には目的があり、僕を利用せずにはいられないのだ。
それがなぜだろう、不快じゃなかった。
自分でも不思議だった。
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「あの女、おまえのなんだ? 研究室に女をいれるなんておまえらしくない」
割れた窓をふさぎながら、ベルサタンが口を開く。
あの女、とはクレーツィアのことだ。
彼女は今、隣の部屋にいる。こっちは危ないから、食卓の片づけを任せたのだ。
「気に入った?」
「は?」
「54点」
「……それがなんだ」
「君にしては高得点だね。僕は今まで、君が女の子に40点以上の点数をつけたのを聞いたことがなかったよ」
「それは今までおまえの周りをうろちょろする女のレベルが低かっただけだろう」
ベルサタンは大きなため息をつき、慣れない手つきで窓ガラスに板を当てている。
「あの子、黒猫みたいでしょう」
「猫?」
「欲しかったら、あげる」
僕は床に散らばった本を拾いあげながら、いつもどおりの笑みを浮かべて言った。