世界vs私③
「決まったら、ずいぶん急なのね。来月?」
「そう。それにね、これから準備が出来次第、先にマ皇国へ入国してしまうつもりなの。来週か、再来週には出立するわ。あっちで大学に入る前に、いろいろ見て回りたいから」
本音としては、明日でもいい。一刻も早くマ皇国に行きたい。
出立はもっともっと早くに決めたかった。
仕方のないことだけれど、周囲の説得に時間がかかりすぎた。
なぜこんなにも私が焦っているのかといえば、物語の序章にある試練。
“緑斑病”への懸念に他ならない。
私の知っている未来では、この国で”緑斑病”が流行りはじめるまで、おそらくあと2年もない。
アニーヴは現在15歳で、17歳の年には病を発症して死ぬ。
そして、あの病の浸蝕に火がついたが最後、竜の国では多くの国民が亡くなり、私の愛する家族は、父も母も必ず死ぬ。
そんなこと、させるもんですか!
――それを止めるために、私は留学を望んだのだ。
この隣国への留学で、私は特効薬を見つけに行く。
”緑斑病”がこの国が多くの犠牲を出したのちに、ようやく隣国“マ皇国”で発見されるはずの、特効薬を。
実際に、そこに特効薬があるということがわかっているのだから、病が蔓延するまで何もせずに待っていることはできない。
アニーヴを失いかけてから、私は変わった。
「せめて、あと2年待ってくれれば、僕が騎士見習いの過程を卒業して、姉上の留学について行くこともできるのに。やっぱり一人では心配です」
アニーヴは口惜しそうに言う。
でも、それでは遅すぎる。
「ごめんね、アニーヴ。でももう決めたの」
「あのねぇ、もう決めたの、じゃないわよ! あなたっていつもそう。クレーツィアは、なんでも一人で決めて、一人でこなしてしまうんだから。友達がいってものがないのよ」
ぷいっと顔を背けたルーシュカの、目のふちが赤い。きっと泣きそうなんだろう。
私もつい、涙目になりそうだ。
ルーシュカは、ほんとうに良い友達なのだ。
王女という立場なのに、対等に私たちと友情を育んでくれた。
宰相の娘である私を、けして臣下として扱わなかった。
だからこそ。
いつか巡るであろう、この友人の治める世の中が、少しでも穏やかであるためにも。
私は今、この国を出なければならい。
「ルーシュカ、心配してくれてありがとう」
「心配なんかしてないから!」
「そう?」
「クレーツィアなんかね、留学先で、本当に一人ぽっちになって、友達のありがたみってものを少しは学べばいいのよ! 寂しくなって泣いて帰ってきたって、アニーヴもあたしも、なぐさめてなんてあげないから! 」
「あ、僕はなぐさめますよ、姉上」
アニーヴはさらりと自分だけ裏切る。
それを、きっ、と睨みつけるルーシュカは、お前は自分だけいい役を演じるなだのと、文句を言い始めた。
アニーヴは、ルーシュカを邪険に扱いながらその合間にはちゃんと笑顔を見せる。
本当はこの2人、仲が良いんだ。
だてに十何年も一緒にいないものだ。
私は手を伸ばし、幼い頃から、相変わらず私を挟んで言い合いをしている2人をぎゅっと抱きしめる。
「行ってくるわ、待っててね」
絶対にあなたたちを死なせたりしないから。
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救世主ぶって、心の中でそうは言ったものの……。
「留学生は、この研究棟に入れない決まりだ」
「え、でも……」
私は分厚い本をいくつも持ったまま立ち尽くし、困惑する。
なにを隠そう、私はマ皇国に来て以来、差別の壁にぶち当たっている。
ふたことめには、「留学生だから」「他国人だから」という理由で、勉学がままならないとは思いもしなかった。
マ皇国って、周辺諸国のなかでもダントツで一番大きな国だし、留学生も数多く受け入れているし、もっとオープンで寛大なイメージを持っていたんだけど。
どうも、最新技術に関しては、独り占めしようとやっきになっている様子だ。
研究中、少しでも成果のあった分野は、即刻、機密事項として研究棟の上層部に持っていかれてしまう。
おかげで、まだ未確認の病気に対する、未開発の特効薬なんて勉強できるはずもない。
とにかく、めげずにこの一か月、自分にできることから努力しているつもりなのだけれど。
「昨日、この研究棟に持っていかれたのは、私が考案した“注射器”なんですが……」
「そうか。だが規則は規則だ。留学生はここに入れない」
いやいや、規則もなにも!!
こいつら、人の手柄をこんなにもどうどうと横取りするの!?
開発途中で持っていかれたその注射器、今のところたいして活かせてない前世の記憶を駆使して、私が精一杯作っていたんですけど!!