彼の好きな人
「えーと、今日偶然女の人といるウォルフを見かけたのよ。あの指輪の入っていた箱を渡していたでしょ?」
「箱は渡したけど、彼女は蓋を開けただけで中身は出してないよ。なんで箱の中に指輪が入っていることを知っているの?」
私は戸棚で偶然見つけた事を白状することとなりました。
「ごめんなさい、勝手に見てしまって」
私の謝罪にウォルフは頭を振ります。
「いや、それは気にしてないよ。ただ、マリーに目撃されたカフェって近所なのに、それからマリーはどこに行っていたの?」
「えええと、その……」
それを目撃して衝撃を受けたせいで、その場から逃げ出したことなど、彼に言えるはずありません。私は口籠るしか出来ませんでした。
ウォルフはそんな私を訝しげに眺めながら、衣服に付いていた草に気付いて、摘み取ります。
雑草の中に倒れていたので、服のあちこちに付着してしまっていたのです。
「こんなに雑草まみれになって、一体どうしたの? この市街地には、雑草が多い茂った場所ってそうそう無いよね? 近くの公園だったら僕も確認したし、……もしかして河川敷?」
ウォルフの鋭い洞察力に私は返す言葉もありません。私の無言はそのまま肯定と受け取られたようでした。
「ハント様にマリーが突然いなくなったと聞いたけど、マリーはそれから家に帰ろうとして、カフェの辺りまで歩いて、それから河川敷に向かった訳? 一体どうして……」
ウォルフの問いに私は答えられるはずもなく、ただ俯いて黙るしかありませんでした。
「マリー、話してくれないの?」
そう言いながら、いきなり彼は私の頭巾を取るので、私は慌てて顔を隠します。何しろ泣き続けたせいで、目がヒリヒリして腫れ上がっていたからです。
「マリー? どうしたの?」
ウォルフは私の顔を両手で挟むと、無理矢理自分の方へ向けました。
「いやっ、止めて!」
私の制止を無視したウォルフ。涙で潤んだ私の双眸をはっきりと彼は確認します。
「こんなになるまで泣いて……。何が起こったの? もしかしてハント様に酷い事でもされたの? いや、でも、マリーは食事の後にカフェで僕を目撃したんだよね」
ウォルフは言いかけて、私が自宅付近まで一度戻って彼自身を目撃したことを思い出したようでした。
「もしかして、僕のせい?」
そう尋ねた直後、私の目は動揺で視線をおろおろさせてしまいます。それを見て、ウォルフは「やっぱり、そうなんだ……」と気付いてしまったようです
彼に真実を突きつけられても、私は何も答えられません。彼に正直に話せば、きっと彼は私に同情して心を痛めるでしょう。私のことなど気にせず、彼には幸せになって欲しかったのに。
「もしかして、マリーは僕があの女性にプロポーズをしていたと思ったの? それがショックでカフェから走り去ったの?」
もう言い逃れできない私は、小さく頷くだけでした。
申し訳ない気持ちが私をさらに泣かせるので、涙が再び目元からこぼれてきました。
「泣かないでマリー。あれは、宝石店の店員に商品を返品しただけだよ」
「え?」
ウォルフの言葉によって、私の思考は一瞬止まりました。呆然としてウォルフを見つめると、彼は困ったように笑いながら、私の涙を指で拭います。
じわじわと驚きが迫って来て、次に疑問が頭の中に湧いてきました。
「えええええーー? な、なんで、あんなところで?」
「宝石店の店員が気を利かせて場所を変えてくれたんだよ。指輪の返品なんて、悪い理由しかないだろう?」
他人に聞かれたくない事情があるだろうと店員が配慮されたそうで。
その現場を目撃した私が誤解していただけでした。
「じゃあ、あの女の人と結婚する訳じゃなかったの?」
「そうだよ」
私は事の顛末に気が抜けて、ふらふらと身体がよろけると、ウォルフが私を抱きしめました。
「きゃ!」
ウォルフの胸元に顔が触れ、私の心中はドキドキして穏やかではなくなります。
「あと、ハント様が心配していたよ。突然店から走り去ったのはどうして? あの方と何があったの?」
「ええと、一緒に暮らそうと言われて、それで色々とあって――。そ、それよりも、ウォルフは好きな人とはどうなったの?」
「マリー、質問に質問で答えては駄目だよ。僕に隠し事はなしだよ? 色々と何があったの?」
優しい温和なウォルフの雰囲気が一気に変化したのを感じました。まるで研ぎ澄まされたような鋭い気配を感じるほどです。
誤魔化しや嘘は許さないと、彼は言外に語っているようでした。
その強い彼の意思に触れ、もう彼に全てを伝えるしかないと、私は決意します。
「私、ハント様の申し出を断ったの。ウォルフのことが好きだから。でも、ハント様はウォルフに私を任されたとおっしゃられて。……私、何も聞いてなかったから、動揺して思わず逃げ出してしまったの」
私が言い終わった途端、ウォルフは抱きしめていた私を離して、私の顔を食い入るように見つめます。
その表情は戸惑っているようでした。
「マリーは、僕のことが好き……? あれ? マリーはハント様みたいな素敵な男の人が好みじゃなかったの? 以前、好みを訊いた時に言っていたよね?」
「素敵な男の人? 好み?」
ウォルフの言葉の意味が理解できず、私は困惑していまいます。
ところが、すぐに思い出したのです。以前、ウォルフが私に好みを尋ねた時のことを。
『優しくて、頼りがいがあって、強くて、そして、すごく素敵な人』
私は確か、このように答えた気がしました。
「あれは、ウォルフ自身のことを言っていたのよ。それに、以前からウォルフのことは大好きだって、言っていたじゃない!」
「いや、だって、出会った頃からマリーはずっと僕のことを大好きって言うから、家族に対する気持ちなのかと。特別な感情とは思えなかったんだ」
すごく気まずそうなウォルフを見て、私は思わず口を開きます。
「……私、ウォルフのことが昔から好きだったのよ」
なんとなく分かっていたとはいえ、改めて気持ちが伝わっていなかったことに私は切なくなりました。
私が不満そうに口を尖らせると、彼の眉はますます垂れ下がりました。
「そ、そうだったんだ……。ごめんね、本当にごめん。こんなことなら、マリーのことをハント様に頼まなきゃ良かった」
ウォルフは私に謝ると、再びぎゅっと強く抱き締めてきました。やはり優しい彼は私を憐れんでしまったみたいです。その気もないのに私の気持ちに応えようとしたら大変だと、私は慌てます。
「ち、違うのよ。確かに私はウォルフのことが好きだけど、無理矢理私のことを好きになる必要はないの。私は今までウォルフにいっぱい幸せにしてもらったから、ウォルフにも幸せなって欲しいの。だから、他の人が好きでもいいのよ?」
私の必死な説得を聞いて、ウォルフは戸惑うように私の顔を見つめました。
「マリーも何か勘違いしていない?」
ウォルフは私を見て苦笑します。
「え?」
「僕が好きなのは、マリーだよ」