交際
それからハント様は予告通り、私の元を訪ねるようになりました。
ハント様はウォルフ同様にお城でのお勤めがあるので、お忙しい身であるのに――。
彼はちょっとした時間の合間を利用しているので、顔を合わせて一緒にお茶をするぐらい。ですが、それでも彼は私との逢瀬を大事にしているようでした。
私としては、誤解させてしまった罪悪感もあり、彼が会いに来るのを拒絶できません。流されるまま彼の訪問を受け入れていました。
「貴女と会える時間が何より楽しみなんだよ?」
愛嬌のある笑みを浮かべるハント様。彼はウォルフの言う通り、とても親しみやすい方です。
ハント様は訪問の度に手土産を持参してくださいます。今日はお勧めの茶だと言って、良い香りのする紅茶を下さいました。前回はふわふわとした珍しい焼き菓子で、とても美味しかったのを覚えています。
彼は私が恐縮しないような品を選んでいるようでした。そんなさり気無い気遣いが嬉しくもあり、辛くもあり。
実はハント様、初回に高価な首飾りを私の為に贈ろうとされたんです。でも、私はそんなものは受け取れないと頑固拒否!
彼の気を悪くしても、私には貰い受ける理由がありませんから。むしろ、失礼な奴だと、縁が切れればいいと思っていたくらいだったんです。
けれども、彼は亡き妻も同じような対応をしたと言って、笑顔まで浮かべたんですよ。ええ、実は私のことを余計に気に入ってしまう結果になってしまったんです。
亡き奥様はこうおっしゃったそうです。物で釣ろうとする男は碌でもないし、物で喜ぶ女だと自分は思われたくないと。
ええ、なんと素晴らしい方でしょう! その美しい思い出と私を比べるなんて、恐れ多いことです。
また、ハント様は決して私に触れたりはしませんでした。帰り際にそっと頬に親愛のキスをするだけです。
私がまだハント様と打ち解けてないので、それを察してくださっているのかもしれません。
誠実で優しいハント様!
私は本当に申し訳なくなります。彼はとても魅力的であり、ウォルフが尊敬するだけあって素晴らしい人物です。
ハント様に正直に白状して、謝るしかない状況まで来ていました。このまま彼を誤解させて、忙しい彼の時間を無駄にしては、余計に拙いと感じたからです。
ウォルフは私とハント様の交際を知っているようですが、口出ししてきたり、尋ねたりしてきませんでした。私自身もあえてウォルフには詳しく話していませんでした。
だって、彼から決定的な言葉を聞きたくなかったから――。
そのため、私はハント様の話題をウォルフの前では避けていたのです。
でも、彼の無関心が私の胸に幾つもの傷を作っていました。
ウォルフがお休みの本日。ハント様と一緒に外出する約束をしていました。
そのため、予定通りに馬車で迎えにハント様は来て下さいました。
その日は朝から天候に恵まれて長閑でしたが、私の心中は暗くて土砂降り模様。
出掛ける間際、私はウォルフを振り返り、見つめました。
彼が私の求める言葉を言ってくれるのではないかと、まだ希望を抱いていたのです。
そんな私を彼は不思議そうに眺めていました。やがて彼は優しく微笑むと、安心させるような口調で「マリー」と話しかけます。
「大丈夫、ハント様ならマリーのことを大事にしてくれるよ」
ウォルフは私に頭巾を頭に被せてくれました。
そして、背中を軽く押されて玄関を出るように促されます。
「いってらっしゃい、マリー」
ハント様に手を引かれた私の背中にウォルフの声が掛かります。
私がウォルフを振り向けば、いつものように微笑んで私を見送る彼の姿が。
私の胸にグサリと何かが刺さります。もう私の胸は穴だらけ――。あとちょっと力を加えれば、跡形もなく崩れ去りそうなほどに。
ハント様の馬車に私たちが乗り込むと、静かに出発しました。
今日は自分のすぐ横にハント様が座り、私たちは隣合わせの状態でした。
お互いの身体が触れ合っていて、私は落ち着きません。
「私と一緒の時は、頭巾を外しても構わないだろう?」
ハント様はそう言いながら、私の頭巾に手を伸ばしてきました。
私が返事をする前に、頭巾の紐は解かれて取られてしまいます。
「大丈夫、何があっても私が守るよ」
その表情と口調は、頼もしいもの。そして、熱く一途なハント様の視線。ドキリと緊張した私は思わず彼から目を逸らしてしまいました。
やがて馬車が止まり、一軒のお店の前に到着します。ハント様によって案内された場所は、現在質素生活の私とは縁がない、小洒落た料理店でした。
「評判のお店なんだよ。一度来てみたくて」
ハント様のエスコートによってお店に入って行きました。
そこにいた人たちに私たちは注目されていました。なにせ際立った美貌の持ち主が揃っていれば、目立つのは当たり前です。
不躾な視線に落ち着かず、私はただ顔を伏せることしかできません。お店から早く出たくて仕方がありませんでした。
居心地の悪い状況でしたが、そこで出された料理は、頬が落ちるくらい美味しいものばかり!
柔らかく煮込まれたお肉、ふわふわとした白いパン。
普段の生活では、肉といえばスープのお出汁に干し肉を使うだけ。もちろんパンだって保存しやすい固く水分が少ないパサパサのものばかりでした。こんなに贅沢な料理を食べたのは、まだ父が存命だった頃以来です。
周りの反応に戸惑っていた私でしたが、いつの間にか次々と運ばれてくる料理に夢中になっていました。
そんな私の様子を向かいの席に座っていたハント様は、ニコニコと機嫌良く見つめて微笑んでいます。
「ウォルフの言った通りだな。マナーは完璧だ。さすがは元とはいえ、領主の娘といったところだ」
ハント様の言葉に私は目を大きく見開きます。
私の動揺を見た彼は、ウォルフから私の素性を全て聞いたと説明してくれました。
「今まで大変だったね。でも、これからは私が貴女を傍で守りたいと思っているよ」
恐れていたハント様の申し出が……。彼はとうとう私を自分の手元に置くことを望まれたんです。
彼の目は真剣そのもので、本気のようでした。
「それは妾になれってことですか?」
私の刺々しい返しにハント様は慌てます。
「いや、貴女は誤解している。私は何人もの女性を囲うような趣味はなく、むしろ一人の女性を大切したいと考えている。確かに貴女との結婚は難しいと思う。私の正妻になれば義務が生じるし、後ろ盾のない貴女を社交界に放り込んで苦労を掛けたくないからだ。けれども、私の子供たちと一緒に暮らして、貴女と家族になりたいと望んでいるよ」
真剣なハント様の瞳と言葉に私は圧倒されるばかりでした。
彼の気持ちは全て真実だと感じました。確かに彼は、亡き奥様を大切にされていました。その方の死後も浮いた話を全く聞かず、彼女の死を静かに悼んでいたのですから。
ですから、もし私が彼の手を取れば、立場は正式なものではなくても、私の事は伴侶として大事にしてくれるでしょう。
ウォルフの話や彼自身の人となりで、それは十分過ぎるほど私に伝わっていたのです。
ハント様は本当に容姿も人柄も好感が持てる方でした。他の女性なら、間違いなく彼が差し伸べる手を取っていたでしょう。
けれども、私は震える手を押さえつつ、意を決して口を開きます。
「お、恐れながら、私には別に想う方がいるんです。実は出会ったあの日、私があんな格好をしていたのは、本当はハント様のためではなかったのです」
ハント様の眉がピクリと動きました。ですが、それから特に変化がなく、彼は落ち着いた態度のまま。私は彼に驚愕されると予想していたので、彼の反応の無さに逆に不安になります。
そんな私を見つめる彼の瞳。そっと顔を俯かせるので、目元に黒い影が落とされます。
「それは知っていたよ」
「え?」
ぼそりと呟かれたハント様。その言葉に私が取り乱す破目になりました。
「当日は誤解していたけど、次の日に気付いたんだよ。貴女にとって私の訪問は想定外だったことに。いつもウォルフは飲んでも一人で帰宅していたからね。貴女があんな格好をしていたのは、彼の為だったんだろう?」
「そ、そうです……! でも、知っていたなら、何故」
「それは貴女に心奪われたからだよ。妻を失って色褪せた世界に、美しい貴女が私の胸元に飛び込んでくれた。貴女のお陰で私の毎日は再び明るいものになったんだよ」
私はハント様の熱の込められた吐露に負けそうになります。でも、彼の気持ちを受け入れることは、自分の想いを捨てなければなりません。
「ハント様は本当に素敵な方です。でも、私はウォルフのことが好きなんです」
「……でも、肝心な彼は『よろしくお願いします』と言って貴女を私に託したんだよ?」
ハント様が投げつけた言葉に、私は心臓が飛び出るかと思うくらいの衝撃を受けました。
「そんなこと、本当にウォルフが言ったんですか!?」
「そうだよ。だからこそ、貴女の事を全て私に話したんだよ」
「う、うそっ! そんなこと信じられない!」
私は動揺のあまりに席を立ちました。
けれども、口では必死に否定しても、頭の中で別れ際に聞いたウォルフの台詞が甦ります。
――大丈夫、ハント様ならマリーのことを大事にしてくれるよ。
あの時、ウォルフは私をハント様に嫁がせることを既に決定していたのでしょう。
あの言葉はそれを意味していたのだと、私は苦しいくらい思い知らされます。
「落ち着いてマリー」
ハント様も立ち上がって私に近づいてくるので、反射的に私は後退ってしまいました。
「貴方に聞くより、ウォルフに直接尋ねてみます!」
私は身を翻すと、ハント様から一目散に逃げ出してお店を飛び出ました。
――嘘よ! 嘘よ!
私の心中は、悲鳴でひしめいていました。
大まかな地理は把握していたので、家に向かってひたすら私は走ります。
途中、振り返る通行人に気付いて、私は持っていた頭巾で再び自分の顔を隠しました。
これで通りすがりの人に二度見されることはなくなり、誰も私を気にも留めません。
安心して再び走り出そうとした矢先、私は偶然路上でウォルフを見つけました。
そして、彼の隣には見知らぬ女性の姿が。
衝撃が私の身体を突き抜けて、小刻みに震えが起こります。
私が見守る中、二人はオープンカフェのお店に入ってゆき、店員に案内されて席に座っていました。
ウォルフたちは何をしているのでしょう。
私は物影に隠れて、遠くから二人の様子を見守ります。
ウォルフの手には小箱があり、それを女性に向けて差し出していました。
見覚えのある小箱。例の指輪が入っていたものと同じです。
それを女性は当然のように受け取り、蓋を開けて中身を確認すると、再び箱を閉じて手元に置きます。
二人は何か会話をしていますが、その声は遠くて私のところまで届きません。
けれども、私は理解しました。
ウォルフの想いは彼女に通じたのです。
彼女が指輪を受け取ったということは、つまり、そういうことなのです。
私の頬を流れてゆく滂沱の涙。私は言葉なく、その場から立ち去りました。