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来訪

 次の日、ウォルフは二日酔いとなり、見るからに調子が悪そうでした。幸いなことに彼は仕事が休みだったので、家で安静にして療養する羽目になりました。

 私は普段通りに家事をこなしていましたが、昨日のことが頭を離れず、心配で仕方ありません。

 あんな破廉恥な格好をして異性の前に立つなんて、私は痴女そのものでした。ハント様が誤解したように、誘っているように見えても仕方がありません。

 心労のために神経が擦り、私はため息ばかり。


「どうしたの、マリー?」


 そんな私を気遣い、ウォルフは声を掛けてくれます。しかし、私は最も頼りになる彼に相談できませんでした。

 あんな恥ずかしい格好をして別の男を誘惑してしまったなんて、大好きなウォルフに知られる訳にはいきません。

 ああ、どうして、あんな格好で扉を開けてしまったのでしょう。いつもは用心しているのに!


「お昼ご飯は何にしようかと迷っていたのよ」


 そう答えて、私は誤魔化すために苦し紛れに嘘をつきました。

 そんな時、突然扉をノックする音が家中に響き、私の心臓の鼓動は跳ね上がります。


「誰だろうね?」


 のんびりとウォルフが扉に近づく間、そそくさと私は頭巾を装備します。そして、私が緊張して見つめる中、扉はゆっくりと開けられて――。


「ハント様! わざわざお越しになられて、どうされたんですか!?」


 なんと、ハント様本人が直接訪ねてきたのです! 昨日の予告通りに!

 扉を開けたウォルフは、突然の上司の来訪に驚きつつも、恭しくハント様を中に招き入れていました。


「ハント様、本日はどういったご用件でしょうか?」

「ああ、ウォルフの美しい家族に話があったんだ。昨日のことで」


 昨晩とは異なり、日中の明るい部屋の中、麗しいハント様は悠然と立って、私を見つめて微笑んでいました。

 彼の真摯な視線を受けて、私は咄嗟に悲鳴を上げそうに。


「えっ、マリーにですか?」


 ハント様の言葉に驚きの声をあげたのは、ウォルフです。

 昨晩、珍しく深酒した彼。帰宅時の記憶がほとんど残っておらず、さらに私は彼に全然説明していない状況でした。そのため、彼は一人事情が呑み込めず、困惑の表情を浮かべていました。

 ウォルフは私とハント様を交互に見比べます。

 ハント様が昨夜の一件で完全に私に興味を抱いているのは明白でした。頭巾を被った状態では、私とすれ違っても、一瞥すらしなかったのに。

 肝心な人には好かれず、他の男を釣ってしまう母譲りの自分の顔。私は心底憂鬱な気分になりました。


「昨晩ウォルフを送った時に彼女と知り合ったんだよ。それで彼女と二人で少し話したくてね。外へ連れ出してもよいかな? なに、たいして時間は掛けないから」

「え、ええ。それは構いませんが……」


 ハント様に説明されても、未だにウォルフは怪訝なまま。けれども、私との外出を断る理由もないので、戸惑いながら了承していました。

 私は強張った顔をして長身のハント様を見上げます。

 本心では速攻で逃げ出したかった――。

 けれども、ハント様はウォルフの上司です。相手に失礼な態度を取ってウォルフの仕事に影響が出てはと懸念して、私は渋々ハント様に頷いて従います。

 私はハント様の馬車に乗せられました。

 馬車の座席は個室のような作りで、ドアとカーテンを閉めれば、外からは見えませんでした。

 座席は向かい合わせに設置されていて、最大四人乗る事ができます。

 その座席は、上質な茶色い布で覆われていて柔らかく、座り心地は快適。私はこんな上等なものに座るのは久しぶりでした。

 小さな車内には、ハント様と私の二人きり。私たちは向き合うように座席に座りました。御者が操る馬車が、何処かへ向かってゆきます。


「あの、どちらへ行かれるのですか?」

「いや、話をしている間、この辺りを一周するように指示しているだけだ。それより、その頭巾を取ってくれないか?」


 ハント様の命令に私は息を呑みます。


「ど、どうしてですか……?」

「昨日会った女性と同じ人物なのか確かめたくて」


 私は躊躇いますが、結局それを拒否することも出来ませんでした。無言で頭巾を取り、素顔を晒します。

 すると、ハント様から感嘆の声が聞こえてきました。


「やっぱり夢じゃなかったんだな――!」

「夢?」


 私が驚いて尋ねると、ハント様は苦笑しながら答えてくれました。


「昨日は私も酔っていたからね。貴女のように美しい女性に出会って迫られたなんて、一晩経った後、夢だったのかもしれないと自分自身を疑っていたんだ。だから、確かめたくて仕方が無かったんだよ」

「そうだったんですか……」


 ああ、なんと言うことでしょう!

 そのまま夢だったと信じて下されば良かったのに!


「私には連れ合いがいたんだが、病気で先立たれてしまってね。もう二度と誰かを好きになることはないと思っていたが――」


 ハント様は一旦声を止めて、私をじっと凝視します。

 それから、目元をふと緩めて私に微笑むと、「人生何があるか分からないものだね」と呟きました。

 ハント様の深く吐き出された言葉が私に重くのしかかります。

 彼には仲睦まじい奥様がいらっしゃいました。その方に今でも変わらぬ想いを向けられているようでしたが、一方で私にも同じように特別な感情を抱き始めているようです。

 彼から感じる自分への好意。それに対して、私の中に罪悪感が芽生えます。

 私がハント様に誤解をさせる行為をしてしまい、その結果この方の真心を弄んでしまっているのですから。


「私は、その、ハント様に大事に扱われるような身分ではありません。あの、大変申し訳ございませんが……」

「ああ、もちろん心配しなくていい。貴女とのことは真面目に考えているとも。ウォルフへ正式に貴女との交際を申し込むとしよう」


 私を安心させるようにハント様は優しい口調です。


「あの、でも……!」

「大丈夫、心配ない。貴女を粗末に扱うようなことはしないよ。それにしても可哀想に。こんな頭巾をずっと被っていたなんて。貴女の美しさでは、さぞかし生きにくかっただろう」


 ハント様の労わりに私は言葉に詰まります。

 ウォルフに助けられたとはいえ、過去に自分の顔のせいで恐ろしい目に遭ったことがあるからです。

 無言のまま私は俯いて、甦った苦い記憶が過ぎ去るのを耐えるだけでした。

 私たちに沈黙が訪れて、静かになった車内。規則的な馬蹄の音が響きます。


「そういえば、ウォルフは好きな人に振られたらしいね」


 気まずさを感じたのか、ハント様は唐突に話題を変えました。


「えっ? それって、どういうことですか?」


 突然の重大発言に私は思わず喰いついてしまいます。目を大きく見開いて興味津々の私にハント様は苦笑して、内緒だよと言って教えてくれました。

 最近調子が悪いウォルフを気遣って、昨日ハント様は彼を呑みに誘ったらしいのです。

 そこでウォルフから打ち明けられたのは、恋愛相談だったようでした。


「どうやら彼女に恋愛対象外と言われたみたいで、落ち込んでいたんだよね。貴女はその相手が誰なのか知ってる?」

「……い、いいえ、全然」


 衝撃の事実に打ちのめされた私は、やっとの思いで返事をするので精一杯。

 だって、私が知るはずもありません。

 ウォルフから女の気配を感じたのは、最近見つけた女物の指輪だけ。それ以外には全く無かったのです。

 ウォルフは仕事を終えたら、定時で帰宅していました。

 休日のほとんどは私と一緒に買い出しに出かけたり、自宅で過ごしたり。そのため、彼の行動を自分は完璧に把握していたつもりでした。

 その後、ハント様は私を自宅まで送ってくれました。

 あらかじめ彼が約束した通り、本当に大した時間は掛かっていないようでした。

 馬車から下りて、玄関前に立っても、私はウォルフのことで頭がいっぱい。そんな私の背中にハント様から声が掛かりました。


「また貴女と会うために時間を作るよ」


 その言葉に驚いて私がハント様を振り返ると、彼は片目を瞑って満面の笑みで応えます。それから颯爽と馬車に乗り込み、去って行きました。


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