求婚
彼の告白に私は頭が真っ白になります。
「う、嘘……!」
「こんなことで嘘を言ってどうするの?」
ウォルフは私の額に自分のものを付けて、私の顔を間近で覗き込みます。
「中身はあんまり変わらないのに、どんどん大人の女性へ成長していくマリーを僕も意識するようになっていたんだよ」
「えっ……!」
ウォルフの話を聞きながら、私は声に出して驚くばかり。そんな私をウォルフは照れくさそうに見つめます。
「たまにマリーが僕に抱きついてくる時があったけど……」
「だけど?」
「顔がマリーの胸に挟まれた時は、ちょっと男としては困ったんだよ?」
「ええっ?」
急に私は恥ずかしくなって、頭を後ろに引いて少し顔を離しました。
「あと、最後に一緒に寝た時! マリーに後ろから抱きつかれて、もう少しで理性が無くなりそうだったんだ。誤魔化すの、大変だったんだからね?」
「えええっ!」
続々と続くウォルフの打ち明け話に私はたじたじになります。また、彼の腕の中にいるのが、落ち着かなくなってきました。ウォルフの告白に納得できたものの、そわそわとして挙動不審になってしまいます。
「そういう訳で、先輩に言われて結婚を意識した時、マリーに求婚しようと思って指輪を買ったんだ。でも、いざとなって、急にマリーは僕のことをどう思っているのか不安になったんだ……」
「だから、遠回しに好みを訊いてきたの?」
「うん」
ウォルフの説明を聞いて、彼が何故あのような質問をしたのか、ようやく彼の心情を理解できました。
「それで僕はマリーの答えを聞いて、自分じゃないと思ったんだ。ほら、もともと僕は素敵と言われるような顔をしていないし……」
癖のある茶色の髪、気迫の無い垂れた眉毛。
目が細くて、いつも笑っているような目つき。こじんまりとした鼻。薄い唇。
ウォルフは一般的には美形とは程遠い容姿をしていました。良くて人並みです。
それでも、惚れた弱みといいますか。
私にとっては、ウォルフの全てが愛おしく、恋に落ちてから今までの五年間で、すっかり美の基準が彼仕様に変わっていたのです。
けれども、私がいくらウォルフを素敵に思っていても、主観的ではなく客観的に見れば、ウォルフの容姿は該当していませんでした。
私の表現が最悪な誤解を招いてしまったのです。
「それに、マリーの話す好みの男性といえば、僕はハント様しか思いつかなかったんだ」
「だから、あの時、何か言いかけたのね」
私は聞きながら、あの時のウォルフの不審な様子を思い出していました。
「その後に、マリーが僕のお嫁さんになりたいって言ってくれたけど、マリーは僕に世話になっているから、気を遣っていると思い込んでしまったんだ」
私はこのウォルフの勘違いを責めることはできませんでした。何故なら、私はあの時、紛らわしいことを口にしたからです。
『どうしてって、ウォルフの事は大好きだし、お世話になっているし――』
結婚の理由として、私が何気なく付け加えた”お世話”という単語が全ての原因でした。
誤解がさらに誤解を招き、私たちはお互いに想い合っていたのに、すれ違ってしまったようでした。
「僕もマリーには幸せになって欲しかったんだ。だから、ハント様に見初められて良かったと思ったんだ。あの方の人柄は良く知っていたし、マリーは昔のように優雅な生活に戻れるから――」
穏やかな表情をしていたウォルフ。しかし、彼は一変して苦しげに顔を歪めます。
「でも、マリーのいない家に一人でいて、すごく後悔したよ。こんな身を切られるような辛い想いをするくらいなら、自分の望む通りにすれば良かったって。でも、やっぱりマリーのことを思うと、今でも迷うよ……」
苦悩するウォルフを見て、私は申し訳なさでいっぱいになります。
「……ウォルフ。私の為にありがとう。それなのに私、自分のことしか考えてなかったばかりに恥ずかしい作戦を立ててしまったの。そのせいで、ハント様まで巻き込んでしまって――」
「恥ずかしい作戦?」
ウォルフに訊き返されて、私は思いっきり動揺してしまいます。
「い、いえ、何でもないの! それよりも明日ハント様にもう一度断りに行きましょう? あの方ならきっと分かって下さると思うから」
「でもマリー。僕は一度ハント様にマリーのことを頼んでしまったんだ。それなのに断るのは、とても失礼なことだよ」
ウォルフは複雑な表情をして、私の顔を見つめます。それから私たちの間に会話は無く、部屋の中に沈黙が訪れました。
静まり返った空間に、ランプの煤ける音だけが響きます。
「――それでも、言わなくちゃいけないよね。どんなに自分が格好悪い状態になっても、僕はマリーを手放したくないから」
「ウォルフ!」
私が歓喜の声を上げた時でした。突然外から玄関の扉を叩く人物が現れたのは。
日没後に来客とは、火急の用に違いありません。
ウォルフが来客対応すると、その訪問者は驚くことにハント様でした。
強張った顔つきをしていた彼。まだ春先で日が暮れた後はまだ肌寒いため、褐色の外衣を使用しておりました。
ちょうど噂の人物の登場に、私たちは緊張でいっぱいになります。
「ああ、マリー! 無事に戻っていたようで良かった!」
ハント様は私の姿を見て、ホッと安堵の表情を浮かべました。しかし、すぐに沈痛な面持ちに戻ります。
「実は大変な事態になったため、急いで知らせに来たんだ。……申し訳ないが、マリーとのことは無かったことにしてもらいたい」
ハント様の言葉に私たちは息を呑みます。
確かに私とウォルフにとって歓迎すべき事柄ですが、突然の状況の変化に戸惑いを隠せませんでした。
「一体どうしてですか?」
ウォルフが尋ねると、ハント様は渋い顔をして口を開きました。
「王命が下ったんだ。王女を私の元へ降嫁させると」
「えっ!? それはどういうことですか?」
私たちはハント様の言葉に目を白黒させます。驚愕の表情を浮かべる私たちをハント様は眺めながら、再び重苦しそうに話を続けます。
「いきなりのことで私も驚いている。ただ、臣下である以上、私は王には従わなくてはならない。正式に婚約していれば、マリーとのことで異議の申し立てができたんだが――」
珍しく、歯切れの悪いハント様。彼はさすがに最高権力者には逆らえない様子でした。
確かに私との交際は、正式なものではありません。もともと身分が異なるため、私との逢瀬は貴族社会から見れば、お遊びと称される類のもの。ただ、ハント様が誠実だったために、私を大事に扱ってくれただけでした。
「王女からの好意は度々感じていたから、気を持たせないように対応には気を付けていたんだが、まさか国王に直訴するとは思っていなかった……」
ハント様自身も今回の出来事に動揺しているのが、彼の話し振りから伺えます。
ところで、私は彼の話を聞いて急に思い出したことがありました。そう、友達の噂話の中で王女様に意中の騎士がいたことを。
まさか、それがハント様だったとは!
「本当に申し訳ない。ひとまず、早く知らせなければならないと思って、突然失礼した。また改めて謝罪に来るつもりだ」
ハント様は本当に私との将来を真剣に考えていたようでした。そんな律儀な彼の人柄が好ましい一方で、恐れ多く感じるものがあります。
だって、私の方はウォルフとの将来を望んでいましたから。
「いいえ、ハント様! これ以上、謝罪は必要ありません」
私が慌てて発言すると、ウォルフはそれを遮るように私の手を握ってきました。驚いて彼を見ると、彼は私に目配りをしてきたので、私はすぐに彼の意図を察して口を閉ざします。
ウォルフはそれを確認した上で、緊張の面持ちでハント様に向き直りました。
「ハント様、僕はマリーと結婚します」
はっきりと力強く言い切ったウォルフ。それは確固とした決意を表していました。そんな彼を私は頼もしく感じます。
私の手は彼によって力強く握られて、彼の張り詰めた気持ちが伝わってきます。私も彼の手を握り返して、少しでも彼を勇気づけられればと切に願います。
一方、ハント様はウォルフを見つめたまま、目を見開いて声を失っていました。けれども、すぐに平静に戻ると、私たちを見比べて、何やら合点がいった表情を浮かべます。
「そうか……、二人の誤解は解けたんだね。間に立って話を聞いていた私には分かっていたよ。君たちが両想いだということに。けれども、私はそれを黙って貴女に近づいたんだ。まあ、だから結局、今回の結末は当然のことだろう」
私たち二人を責めず、ハント様全てを受け入れてくれました。その器の大きさに、私はただ感服するしかありません。
「ハント様……」
「良いあて馬になれて良かったよ。それでは、さようなら」
ハント様は笑顔を浮かべて私たちに別れを口にすると、すぐにここから去って行きました。
彼の姿が完全に消えて、私の中で緊張の糸が切れると、押さえていた感情がドッと爆発するように溢れてきます。
「ああ、ウォルフ!」
私はウォルフに抱きつきました。安堵と感激の気持ちで胸いっぱいです! だって、これで何の憂いも無く、晴れて彼と両想いになれたんですもの!
ウォルフも私を抱きしめてくれて、互いに見つめ合う顔には笑顔が浮かんでいました。
「マリー、愛しているよ」
「私もよ!」
それからウォルフは、いつものように頬にではなく、唇にそっと特別なキスをしてくれました。
私の中に広がる甘酸っぱい気持ち。こんなに幸せなのは、相手がウォルフだから。
もっと彼と触れ合いたいと欲して、彼の頬に手を添えて、ねだるような視線を向けます。
そんな私に彼は微笑むと、「ところでさ」と切り出しました。
「――さっきの恥ずかしい作戦って、何?」
「え!?」
そのウォルフの表情の恐ろしいこと!
口許は笑っているのに、目が据わっているため、私は怖くて仕方がありません。
先程の甘い雰囲気は一瞬で吹き飛んでいました。
結局、全てウォルフにばれて、彼には大変呆れられました。それから説教を頂きましたけれども、それから彼にその寝間着を見てみたいと言われて――。
私を見つめる彼の瞳はとても情熱的で、私の心臓はドキドキの余りに破裂寸前!
ところがですよ! そんな甘い雰囲気の中、突然私のお腹が鳴り響きまして!
もうなんていう間の悪さでしょう!
彼には笑われるし、私は恥ずかしくて仕方がありませんでした。
「確かにお腹が空いたよね」
ウォルフは気まずそうな私に気遣う言葉を掛けてくれます。彼の優しさに救われて、気を取り直した私は食事を用意しました。
空腹だったため、急ぎで食卓に出されたのは、家に保管していたパンとチーズを焼いただけの簡単なもの。野菜の酢漬けもあったので、手早く食卓へ給仕して、すぐに私たちはお腹を満たします。
粗末な料理でも、彼と二人で食べられる幸せは、どんなご馳走にも勝る気がしました。
色々と遠回りしてしまったけれど、そのお陰で私は気付くことができました。彼の存在の大切さ、自分の未熟さに。
きっと私にとって必要な試練だったのかもしれません。
それから翌日、ウォルフは指輪を取り戻してきました。あの女性店員には大層驚かれたらしいのですが、彼から事情を聞くや否や、快く応じてくれたそうです。
そして、家にすぐさま戻ってきたウォルフは指輪を手にして、私の方へ向き直って真剣な表情で見つめます。
「僕と結婚してくれますか?」
「ええ、喜んで!」
ウォルフによって私の指に通される指輪。小さくて青く透明に輝く石が、指輪の本体に填められていました。
感激の余りに目から涙がこぼれていきます。
そんな私をウォルフは抱きしめてくれて、私たちは何度も口付けを交わしました。
「今晩は覚悟していてね」
「え!?」
私の耳元で小さく呟くウォルフは、私を見つめながら楽しそうに微笑んでいました。そんな彼に動揺して沸騰したように熱くなる私の顔。
再びウォルフと口付けした時、彼は貪るように深く私の唇を求めてきました。
甘美過ぎる刺激を受けながら、私は彼から告げられた言葉で頭がいっぱいです。
――きっと今夜、私は彼に食べられる。




