片想いのピンチ
ちょっと聞いてくださいよ。
じつは私、ずっと好きな人がいるんですが、大ピンチなんですよ。
相手は私の恩人。五年前に戦争で故郷を失くし、身寄りの無い私を育ててくれた、とっても善良な人!
彼に惹かれる悪い女をなんとか無事に追い払ってきたのに。
でも、今回ばかりは難しいの。だって、私が成長して年頃になってしまったから。
どうやら彼は自分が結婚するために、私を嫁に出すみたいなんです――!
諸国を圧倒するほどの領地を誇る大帝国。その首都は立派なお城がそびえ立ち、大勢の国民が暮らし、大変栄えています。
そこに私と彼は二人きりで住んでいました。
賑やかなところから離れた、いわゆる街外れの質素な長屋住宅が、私たちの住処なんですけどね。
その自宅付近で、彼は職場の同僚と一緒にいて、立ち話をしていたんです。
青空が広がる快晴の下。
あちこちで干されている洗濯物が、春のそよ風で靡いていました。また、お昼時ということもあり、風で運ばれてきた良い匂いが空腹を刺激します。
遠くから聞こえるのは、賑やかな住民たちの声。開け放たれた窓から漏れているようです。
こんなありきたりな日常の中、突然心を掻き乱す出来事が起こるなんて。
私は彼らの背後から近づいていました。たまたま彼を呼びに来たからです。
私の視界に映るのは、彼の後ろ姿。白いシャツと生成り色をしたズボンの恰好は外出時と同じもの。建物の傍で二人は傍で立っていて、私からはわずかに横顔が見えていました。
近づく私の耳に彼らの会話が入ってきます。私はその内容に驚いて、思わず足を止めてしまいました。
「そういえばウォルフ、お前は結婚する気はないのか?」
「うーん、まあ、二十五歳ですし、そろそろ僕も考えてはいるんですが……」
ウォルフと相手から呼ばれた彼は、口籠って曖昧に答えていました。
それもそのはず。彼には恋人すらいないのですから。誰かと良い雰囲気になりそうになった時、私がこっそりと全部邪魔をしたお陰です。
ウォルフの特徴といえば、栗色の頭に中肉中背の身体つき。そして、少し垂れ下がった眉、起きていても閉じているような細い目元。
いつも苦笑しているような顔つきは、私にとっては胸を焦がすほど愛しいもの。まあ、私以外から見れば、魅力的とは言い難いようでしたけど。
それに加えて、傍にいるのは性格の悪く不気味な小姑。外出時には、今のように私は大きな頭巾を目深にかぶっているので、事情を知らない人からは不審がられていました。そんな難のある非美形の男にわざわざ苦労をしてまで近づきたいと思う女子はいなかったようです。
「いや、実はな。お前の妹も年頃になっただろう? それが片付いたら、お前もそろそろ身を固めてもいいんじゃないかと思ってなあ。お前さえ良ければ、誰か紹介するぞ」
ウォルフに話しかけている男は、気さくな笑みを浮かべています。どうやら親切心から仲人を申し出てくれたようです。ずいぶん余計なお世話ですけど。
このウォルフの同僚は近所に住んでいて、随分昔に結婚していて子供もいます。ウォルフにとって人生の先輩です。
「うーん、うちの妹ですか……。まだまだ子供っぽいから先の事かと思っていたんですが……」
――子供!
彼の言葉が鋭いナイフのように私の胸に刺さります。
「おいおい、何言っているんだ! のんびりしていると、あっという間に行き遅れるぞ。お前だっていつまでも独り身だと先々困るだろう」
「それもそうですね。これから色々と考えてみます。あ、マリー!」
ウォルフは、近くにいた私にやっと気付きました。
彼は同僚との会話に完全に気を取られていたようです。私は彼らの背後から少し離れた場所に無言で立っていました。ええ、色々とショックで、亡霊のように。
「あ、ごめんなさい。お話し中だったから、声を掛けそびれちゃって。お昼ご飯が出来たから、呼びに来たの」
私の台詞を聞いた同僚は、「じゃあ、またな」と言って去って行きました。
それをウォルフは見送り、さらにその彼の背中を私は見つめています。
頭巾に隠された私の表情は、誰にも気付かれませんでした。
結婚願望のあるウォルフ。そして、年頃の私。先程の会話から、彼にとって自分は花嫁の対象には無いことを再び思い知らされました。
それに加えて、私を誰かに嫁がせようと、ウォルフが唆される始末です。
余計な詮索をされたくないため、彼の職場には自分たちの関係を兄妹だと説明していました。その結果、周囲に血の繋がった家族と思われ、私にとって厄介な状況になっていたんです。
それから一週間後。
今日は仕事でウォルフは朝から出かけていて不在でした。彼はお城で雇われ兵士として働いています。
私はちょうど外出するので、食卓の傍で椅子に座り、手鏡で自分の姿を確認していました。外では頭巾を被り、顔を隠しているとはいえ、身だしなみにはいつも気を遣っているのです。
鏡の中に映っている自分を見て、思わず私の口から出てくるのは重い溜息。
宝石みたいに輝く青い瞳、それを彩る金色の睫毛。それから絹のように滑らかな白い肌と、薔薇色に染まる柔らかな頬。それから形の良い紅の唇は瑞々しく潤んでいます。
最後に、くるくると愛らしく巻かれた金糸のように輝く美しい長い髪。
服こそ巷で売られている花柄の刺繍が施された茶色のワンピースを着ていますが、美の女神の祝福をこれでもかと言わんばかりに授かった美少女が鏡の中におりました。ちょっと女神様、やり過ぎでは――、と皮肉を思ってしまうほどですよ。
まあ、母譲りの飛び抜けた美貌を持っていても、私はずっと片想いですけどね。
私は再びため息をついて、その素晴らしい容姿をすっぽりと頭巾で隠していました。
私の美しさは誘拐などのトラブルを起こしかねないほど危険なもの。
それに身分の高い人間に妾として望まれたら、私には逆らう術がありません。玉の輿を狙っているなら問題ないでしょうが、私はウォルフ一筋。厄介事は無いに限ります。
買い物から帰って来た後、私は頭巾を取り、代わりにエプロンをつけて家事を行います。さすがに家の中にいる時には、視界が狭まる頭巾は邪魔ですから。
私たちが借りている二階建ての長屋住宅は、玄関のある間口は狭いものの、奥行きのある造りをしています。玄関の扉の脇に窓があり、その前には靴などを入れている棚があります。入ってすぐの壁側に台所があるので、その近くに食卓と椅子、食器棚が置かれています。さらに進んだ奥の壁には窓があり、その前にも棚が置かれています。そこは衣類入れとして使っていました。その付近にある左右の壁側にも収納庫がそれぞれ置かれていて、ウォルフの仕事道具や日用品などを入れていました。
私は掃除をてきぱきと済ませた後、次に洗濯物を畳んで仕舞おうとしました。ところが、彼の分を片付けようとした時のことです。部屋の奥にある収納棚に見慣れない物が置いてあるのに気付きました。
手の平に載るほどの小箱。
まるで隠すように物の影に置かれていたため、私は不審に思って箱の蓋を開けてみたんです。すると、中には綺麗な石がついた指輪がありました。
「どうして、こんな物が」
つい最近までは無かった品物。女性向きのデザインから、これは彼自身の物ではありません。
「誰かにあげるため?」
けれども、これは自分宛てではないことに私は気付きます。つい先日、誕生日に手鏡と頭巾を彼から贈られたばかりでしたから。
「誰にこんな高級そうなものを?」
ドキドキと私の心臓の鼓動が激しくなって動揺する中、先日聞いた同僚との会話を思い出したんです。
『――そろそろ僕も考えてはいるんですが』
私は口許を震える手で押さえます。
「もしかして……」
けれども、その後に続く言葉は出ませんでした。
――自分以外の女性の存在。
受け入れがたい事実を口にした途端に、それが真実になってしまう気がしたからです。
そして、私に追撃ちをかけるように、その日の夕餉にウォルフからこう尋ねられました。
「マリーはどんな男の人が好みなの?」と。
私の嫁ぎ先を決めるためなのか。いよいよ行動を開始した彼。
私の恋の行方は、今まさに重大な局面を迎えたのです――。