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6.余りにも古代王朝に似ている中国共産党政権

二回に渡って、『中国古代王朝と現代共産王朝の近似性』について述べてきたが、古代の始皇帝から現代の中国共産党王朝の間に、余りにも多くの漢民族王朝と異民族国家が混在している為、記述に若干の混乱を来した部分があり、ご迷惑をお掛けしてしまった。

そこで、今回は、考察する手法を大幅に簡略化して、古代と現代の単純比較の形にし、三国志の時代から清までの約1800年分を省いて考えてみたいと思っているので、宜しくお願いした。


まず、中国の古代王朝の範囲を秦の始皇帝の治世から後漢の終焉までとして、現代の共産党政権の施策と比較したい。

最初に秦王政が即位した頃、中国は戦国時代末期にあたり、西方の最強国秦と残りの戦国の六雄の間で抗争が激化していた。

この古代の状況は、現代の南シナ海問題に極めて近似している。巨大国家中国が「南シナ海全域を中国の領土」と主調、ASEAN諸国の各国が個別に自国の領域を主張して国際紛争寸前の状況にある。

その時、古代中国で主張された二つの戦略論が、『合従連衡』である。古代の『合従連衡』策と現代の南シナ海問題に関する、中国とASEAN各国の駆け引きの近似性について、少し、分析を進めてみたい。

古代中国、戦国時代末期、戦国の七雄と呼ばれる強国同士の激闘もどうやら最後の段階に突入していた。それまでは、七国各々に長所と欠点があるものの勢力の拮抗する国々だったのが、西方の秦の歴代の王が法家思想を採用する事によって、格段に軍事力を増大していった。その結果、隣接する魏、韓、趙、は領土を侵食され、東の大国斉や北の燕、南方の強国楚も秦の威圧を感じ始めた段階の戦略論が、『合従連衡』策である。


この時代、諸子百家の中に縦横家が現れて、戦国の七雄各国に二つの主張を売り込んでいる。『合従連衡』論は、相反する二つの戦略から成り立っている。

蘇秦が提唱した『合従』策は秦を除く六国が縦に連合して、強国秦に対抗する策であった。所謂、弱者同盟論である。

一方の、『連衡』策は張儀が唱えた。秦と残り六国の中の個々の国が握手して隣国を攻める戦略であった。勃興しつつあった秦にとって『合従』は好ましくない策で有り、『連衡』は最も有利な策であった。当然の事ながら秦は、『連衡』策を執り、六国の各国と個別同盟の締結と敵国の殲滅を繰り返しながら、最終的に残った燕、斉と楚を滅ぼして、史上最初の中華帝国秦を建設している。


現在の南シナ海問題をめぐるASEAN各国と中国の外交交渉をみると当に、『連衡』策を地で行くやり方をしている。ASEAN同盟内での『合従』策を粉砕すべく、親中的なカンボジア、ミャンマー、マレーシアを引き込んで、ASEAN内での大同盟の締結を極力妨害して、正面対決しそうなフィリピン、ベトナムとは個別交渉をしようと提案している。


特に、ASEAN以外のアメリカを中心とした「有志連合」成立を警戒して、国際的な「連合」の無力化に異様な外交努力を傾注している。

古代中国の戦国時代末期もそうだったが、秦の大膨張政策(六国を滅ぼして中国統一が最終目的)と現代の共産中国の南シナ海を始めとする大膨張政策も根本的には極めて近似した思想の下にある。

秦が同盟国に有利な兵力支援や有利な条件での領土の割譲をしたように、現代共産中国も当初、膨大な資金援助やインフラ支援を味方する国々に与える。けれども、気が付いてみると援助を受けた国の根幹に関わるような水資源や電力、港湾施設の利権を奪っていくケースが多い。始めの段階で、中国の豊富な資金力に魅力を感じているアフリカ諸国の低開発国も、豊富な地下資源等の資産を中国資本に奪われ、反中国に国論が変わりつつある国も多い点に留意すべきであろう。


実質の人口14億8千万人と推定される中国は、国連の全加盟国に百万人ずつ労働者を派遣しても何の問題も人的には起きない国なのである。

この際、ASEAN各国も日本もアメリカも目先の利益に惑わされてしまってはいけないのである。

インドネシア政府の高速鉄道計画への対応やアメリカ大統領が国際戦略を忘れてしがみつく高額な対中貿易の金額、どれをとってもロングスケールで考えると外交経済、軍事のバランスを見ながら対応していく大きな問題を内在しているように感じるが、如何であろうか!


しかし、中国共産党主席が、ほぼ10年の任期なのに対し、米大統領の任期は4年(重任されても8年)ASEAN各国の首長の任期もあまり長い方ではない。それ以上に問題なのが、古代から続く長期戦略の得意な中国と短期戦術が好きな日本、日本ほどではないが、就任中に実績を上げたいと焦るインドネシアやフィリピンの大統領達を比較すると余程、国家の長期戦略を締めて掛らないと古代中国以来の国土拡張政策の餌食になったしまいそうな悪い予感がする。


それでは、ASEAN各国や日本に完全に勝ち味がないかというと、必ずしもそうでは無いと明確に断言しても良い。

南シナ海問題では、徹底的に国際条約を尊重する姿勢を執りながら、中国の厭がる、『合従』策をとって、ASEAN内の結束を固めて対抗し、中国国民内部の近代化を援助する方向性が必要であろう。何と言っても、中国でも海外旅行ブームで、ASEAN各国と日本の自由主義国家の実情を理解して貰う機会が豊富に存在するのだから!


更に、共産中国が参考としている古代中華帝国の歴史を深掘りしてみると興味ある歴史的な事実が浮き彫りになって来るから不思議である。

ご存じのように、秦の始皇帝死後、秦は三年で滅亡している。余りにも大成功した法家思想に凝り固まった秦帝国は殆どの国民の反発を受け自壊するように滅亡したのであった。


秦末の動乱の勝者となった漢は、秦の問題点を把握して、

「実質的に覇権主義をとりながら、表面上は柔らかな儒家思想で偽装して国家運営を図った」

のであった。この偽装工作は成功して、漢帝国は前漢・後漢を通して、約四百年の長期王朝となったのである。

実は、この点も現代中国の共産党政権は参考にしている。建国初期の毛沢東の時代、孔子を始めとする儒教は徹底的に虐められ、儒林の建物や孔子像、関係書籍も甚大な被害を受けたと聞く。破壊工作は文化大革命時代に最も酷かったらしい。沢山いた孔子の第74世や第75世の子孫達も、当時、人前で孔子の後裔だと大きな声では言えない状態だったと聞いた。

しかし、毛沢東没後、孔子に対する共産党内の流れは大きく変わった。中国共産党の覇権主義の冷酷さ、残忍さを孔子と儒教の温和な仮面で偽装し、全国民や世界各国にピーアールし始めたのである。

共産党が遺伝子として古代帝国から引き継いだ『覇権国家と大膨張政策』のとげとげしい主調を和らげる手段として、人当たりの良い儒教は、二千二百年に渡って皇帝以外の全ての中国人民を欺し続けて来た魔法の特効薬だったのである。


漢王朝以来現在の中国共産党に至るまで、中国の歴代王朝が孔子と儒教を全中国国民の頭上に掲げる道徳として、利用して来た。

しかし、ここで、孔子と儒教の為に弁明しておく必要があるであろう。

戦国期にその生涯を送った孔子の思想は、数千年の東アジア史の中でも随一の輝きを持っている哲学と表現しても決して誤りでは無いと思う。もちろん、世界的なスケールで考えてもトップクラスに位置付けられる優れた哲学が持つ含蓄のある深淵性を随所に論語はちりばめている。

しかしながら、論語を良く読むと初心者にも解るように、孔子の希望は、

「理想の人格者、『君子』による理想政治の実現」

であった。

しかしながら、孔子の時代も後世の何時の時代も理想の君子など、殆どの政治の局面で存在しなかったのである。

思索の人孔子は、更に、一歩踏み込んで、『礼』を重視した。礼は国家や個人に品格をもたらす考え方だったので、漢王朝成立後、参集した粗野な群雄の行動を是正する上で、朝廷の行事に儒家の礼を漢の高祖は採用して成功している。

また孔子は、一歩進めて家庭内での道徳の規範として、人々に分かり易い古代以来の『孝』の思想を推奨し、『孝』を中華社会道徳の根幹として推進することにより、更にその上の倫理観、『仁』に至ると説いている。


このように、孔子の思想と遺された文章の輝きは、今日でも光りを失ってはいないし、これからも人類の生んだ見事な思想の一つとして光輝を失うことは無いであろう。

しかし、反論として、孔子は現実の政治家として失敗し続けた人で有り、常に理想論を唱えて、自身が生きている内は、実際の政治に大きく足を踏み入れることは出来なかった。

それが、死後、数百年も立った漢の時代に政治面で採用された最大のポイントは、『礼』による朝廷の装飾効果が大きかったのである。

高祖の時代から少し時代が進むと孔子の説いた、『孝』や『仁』の思想が、平和時の国家運営の思想として、皇帝にとっても支配階級の貴族層にとっても、国民を支配する上で好ましい思想になって行ったのであった。


毛沢東の時代が過去のものになるに従って、上に従順で、思いやりの心を持って行動する『孝』や『仁』の思想は、使い方さえ間違わなければ、歴代中国王朝と同様、共産中国の指導部にとっても覇権主義の問題点を補い湖塗する有効な手段になっていたのである。

それが故に、「孔子平和賞」などという、中国共産党政権の覇権主義とは相反する、とってつけたような賞が2010年忽然と現れたのであった。

孔子の『孝』も『仁』も深い思索の底から涌き出した清冽な思想だが、古代以来の大膨張政策を国是とし、世界的覇権国家建設への願望を発想基盤とする共産党政権が利用する時、果たして大多数の中国国民の賛意を得られているのか心許ない限りである。

中国人民(十四億)の礼容に満たされた『孝』と『仁』の共存する世界こそ、孔子が求めて止まなかった理想のような気がするが如何であろうか!


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