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51.「漢字文化」を吸収・同化させた日本

「殷」の時代に出現した「甲骨文字」を原点として何世紀にも渡って、中国で発達・改良された「漢字」が東アジア文明圏内の民族間の普及に於ける重要な役割を果たしたことは良く知られている。

 殷墟から出土して有名になった漢字の祖型である甲骨文字は亀の甲や牛の骨に刻まれた卜占のための記録用の文字だった印象が個人的には強いが、やがて、周代から春秋戦国時代を経て文字としての機能と形状は長い年月を掛けて洗練整備されていった。

漢字完成度の向上と共に、中国周辺諸国の漢字学習の熱意もあって、漢字文化圏は急速に広がっていったのである。


片や地中海文明の所産である「アルファベット」は表音文字であり、象形文字から出発した漢字と違い、民族毎の言語に順応できる優れた特徴を生まれながらに持っていた。

その結果、今日、世界の言語の殆どはアルファベット系の表示が独占している実情を観ても明かであろう。

漢字文化の本拠地東アジアに於いてさえ、「漢字表記」は、中国、香港、台湾及び日本と華僑世界に限定されるといっても間違いではないと思う。

古来漢字を大切にしてきたベトナムや隣国南北朝鮮もアルファベット系や「ハングル表記」に大きく変わって、近年、漢字文化圏から遠ざかってしまったのが現実である。

多くの東アジアの「漢字文化圏」が漢字そのものを捨てた現代においても、約二千年近く以前に伝来した「漢字文化」を現在でも捨てることなく民族文化の中に同化吸収して、情報伝達の重要な手段として今日もなお使い続けている日本人の感性について興味を引かれたので、ここで、その時代的な変遷を勉強してみたいと思った次第である。


日本人は不思議な民族で、「漢字」だけではなく、「箸」にしても唐代に伝わった「節句」等の習慣にしても長い歳月を掛けて同化吸収して結局は自分のものにする特異な民族性を備えている。

しかし、伝来した先進文化を全て飲み込むかというとそうでもない、好まない中国文化に関しては拒否する偏屈な修正が一方にあるのである。

中国文化の従順な継承者である朝鮮が率先して導入した儒教の祖先崇拝や宦官制度等は真っ向から否定されてしまい片鱗も日本文化に残ることはなかったのである。


(「漢字文化」の東アジアへの伝搬と中国内部での成長)

 中国の「漢字文化」が本格的に日本を含む東アジアへ伝わり出したのは漢代以降だった。時代が下がって、「隋」、「唐」の時代を迎えると漢字文化と共に中国を形作っている「儒教」や「律令制政治機構」の優位性に着目した周辺諸国は、漢字文明の導入に熱中するのだった。

 朝鮮半島の三国の中でも、最も中国文明に傾倒したのが弱小国の新羅だった。

超大国唐との同盟関係を軸に、ライバルだった高句麗や百済を唐と共同で滅ぼした新羅は政治機構から官位、服装まで、唐を模倣する熱の入れようだったし、自分達の姓まで民族古来の伝統を捨てて、中国風の「一字姓」に変更する心酔状態を示している。その影響は現代にまで受け継がれた結果、「金」や「李」、「崔」等の十数氏の名字で韓国や北朝鮮の名字の過半を占めているのである。


 白村江で手痛い敗北を喫した日本も、唐との関係修復を急ぎ「遣唐使派遣」により、唐の「律令制」その他を含む漢字文化の全面的な導入を図ったのである。

 その頃の中国では、東晋の王羲之を筆頭とする「書道芸術」の大勃興期だった。唐の太宗が王羲之の書を熱愛しただけでなく、「欧陽詢」の九成宮醴泉銘きゅうせいきゅうれいせんめいを初めとする多くの「楷書」の名品が生まれた時代だった経緯もあって、空海や最澄達優秀な仏教僧によって、漢字芸術の一つである書道も日本に伝来したのだった。

 本国中国では国内に於ける「書道芸術」の隆盛と共に、漢字文化の普及に重要な働きをしたのが「科挙」だった。

 随の文帝によって実施された「科挙」は、それ以降長く中国王朝の高級官吏採用試験として清朝末期まで歴代政権によって長く受け継がれることとなるのである。

 国家試験である科挙の試験問題の出願傾向はというと、唐代以降、「五経正義」をベースに出される傾向が顕著となっている。即ち、主要問題が儒教から出題する傾向が強まった結果、儒教を徹底的に学ぶ必要が科挙受験者には必須条件となって行ったのだった。


これ以降、動乱や異民族による殖民地王朝の時代を除き、中華帝国の宰相の地位に就くには科挙合格の資格、それも「状元」等の上位合格が絶対条件に近い重要なファクターをなるのだった。

 逆の側面から中国の長い政治と学問の関係を俯瞰する時、儒教以外の諸学、特に西洋の好んだ「実学」面の軽視が顕著な傾向を示している。

 政治思想として、「儒教」、そして、その後継に当たる「朱子学」以外に対する許容度が極めて低い極端な文明が歴代の中国文明だったのである。

たった一つの哲学思想に蝕まれた文明は、自由度を失い、異質文明との出会いに際して際限もなく彷徨する危険性を含んでいるのである。その危険性は現在の中国共産党政府にも脈々と受け継がれており、世界各国で「孔子学院」建設に邁進している現状からも理解されよう。

 皇帝を絶対的な支配者とする強固な階級社会の是認こそ、「儒教」存続の重要因子となった結果、異民族であろうと大虐殺者であろうとも、一旦皇帝になった以上、礼を主張する儒教徒に囲繞されて、理想的階級社会に安住できたのが、歴代中華王朝が儒教を信奉した実態と考えても誤りではない気がしている。


 このように新しい朱子学という儒教思想にがんじがらめとなって、宋の士大夫層によって担われた中国の漢字文化だったが、異民族による抑圧された「元」の時代になると士大夫達の学問が漢族の庶民層へ浸透を始めている。モンゴル人の抑圧下に漢文文化が拡散を始めたのだった。

元に続く、明代に書かれた「三国志演義」や「水滸伝」は、庶民の中で流行した講談の集大成した「長編白話小説」の傑作であり、明の時代に成ると漢字文化は益々庶民に浸透していったのである。


(日本、朝鮮、ベトナムでの「表音化」への努力)

 急に話が変わって申し訳ないが、象形文字である漢字は異なる言語を話す周辺民族にとって、想像以上に厄介な文字であった。朝鮮半島の人々にとっても南越のベトナム人にとっても、「何とか自国語を記述する際の表音文字」として漢字が使えないかと長い間努力が続けられたのだったが、十分な成果を得ることが出来なかった。

 ベトナム陳朝時代に考えられ、漢字を元にして創造された「チュノム」の存在も大きいとは思うが、長い歴史の流れの中で消えてしまった。チュノム以上に国民に大きな貢献を果たしたのが、朝鮮半島に於ける世宗による「訓民正音ハングル」の創成だった。

ハングルは現在に至るまで、多くの余慶を朝鮮民族に与え続けている偉大な民族的成果と考えると隣国として喜ばしい限りである。

我が国はというと、その最初の成果が奈良時代末期に成立した日本最古の歌集である「万葉集」に代表される「万葉仮名」である。

 全てが漢字で書かれている全20巻、約4,500首に及ぶ膨大な歌の作者は一般庶民を含む当時の日本の全階層といって良い人々の詠んだ短歌であり長歌だったが、漢字による表音文字により、現代まで古代の日本語と民族の思いが伝えられている喜びは何事にも代えがたい気がする。

 さて、詳細は専門家の方にお願いするとして、基本的には当時の日本語の一音節を漢字一字で表現したのが万葉仮名であると勝手に理解している。

 しかし、初学者には覚えにくい難しい漢字の羅列である万葉仮名が庶民にまで普及したとはとても思えない


 そこで自然発生的に現れたのが平安時代初期に出現した「平仮名」と「片仮名」である。この二つの仮名は「音節文字」であり、自分達の言語である日本語を表現するために漢字を極度に草書化して用いだしたのが起源らしい。

 漢文訓読における「添え仮名」として用いたのが片仮名らしいが、今日では外国の国名や人名、料理などの著名な海外製品名の表示にもカタカナは広く使用されている。


(李朝と日本の大きな違い「仮名交じり文」の登場)

 平安時代初期頃に登場した日本の「仮名」に遅れること六百年以上、上述した李朝の世宗28(1446)年に登場したのが「訓民正音ハングル」である。

 必要性から自然発生的に生まれた日本の平仮名や片仮名が比較的早く普及したのに対し、官製のハングルは中々普及しなかった。その背景には「漢文」を重視する両班層の反発と中国文化重視の国家体制上の背景があった。

 しかし、時代と共に両班層の女性達や庶民へと普及の進捗が見られ、李朝後期にはハングルによる庶民小説「春香伝」等も登場して広く読まれるようになる一方、歌謡の「パンソリ」がハングルで書かれたこともあって、庶民文化の発展に大きく寄与している。


それに反し、「仮名」の登場は日本語の表音文字として限定された使用範囲で終わることはなかった所に、日本固有の民族らしさが現れたと表現しても良いかもしれない。

 平安時代前期の仮名による文学作品として良く知られているが、紀貫之の「土佐日記」であることは一般に良く知られているが、これ以降も、多くの女流文学者達によって仮名文字による日本独特の散文作品が多数生まれている。

しかし、今日、「ハングル」だけの表記に韓国民が苦労しているように、同音異語の多い漢語に対して、表音文字だけでの単独使用は想像以上に苦労が多いといわれている。増して、漢文の知識が十分な女性達にとって、漢字交じりの文章へのチャレンジは当然の帰結といっても誤りではないと思う。

もし、現代に於いて、韓国のように日本の新聞が、平仮名や片仮名だけで表示されていたら、新聞を読みたくないという教養人が圧倒的に増加する危険性は高いと考えるが如何であろうか?


(「仮名交じり文」、「和漢混淆文」の登場)

 そこで登場したのが、日本独特の漢字と仮名が混じった「仮名交じり文」であった。

 平仮名だけの文章と違い、要所要所に漢字がちりばめられた仮名交じり文は読みやすく、少数の漢字しか理解していない読者にとっても、取つきやすい文章だったはずである。

 仮名交じり文と聞いて、最初に思い出すのが説話集の「今昔物語」と日本を代表する世界的散文の古典的名作、紫式部の「源氏物語」である。

源氏物語は印刷技術の無い当時、宮廷を中心とした女性層の熱狂的な支持と筆写によって、瞬く間に普及したのだった。

残念ながら、源氏物語の原本は現存していないので、その仮名交じり文の実態は不明ながら、漢字と仮名をミックスして使用する柔軟性に日本民族の個性を感じさせる気がしている。


そして、平安時代に始まる和漢混淆文の傑作としては、鎌倉時代末期に鴨長明によって書かれた「方丈記」がある。漢字と仮名を混ぜて使用して書かれた最初の優れた随筆と呼ばれる同作品は、枕草子、徒然草と共に古典の「日本三大随筆」と呼ばれている。

ここに至って、日本独特の文章表現として、仮名交じり文を脱皮して、新しい時代を開く「和漢混淆文」がデビューしたのだった。

特に、鎌倉時代以降になると「太平記」等の軍記物の大流行もあって、文章の中に漢語の数を増やした文は人気を博し、今日の日本語の文章表現の原点を形作っている。


(長い時間が必要だった「和漢混淆文」の熟成期間)

仮名の出現した平安時代初期から数えると方丈記の登場した鎌倉時代末期の1212年頃まで、約400年以上の歳月が掛かっている勘定になる。

その間、多くに有能な知識人を中心に「漢字」だけの文章から「漢字」と「仮名」の融合による日本独特の文章化が進んでいったが、それでも、直ぐに「和漢混淆文」の完成とはならなかった。

鎌倉時代末期でも多くの武士達や庶民は文盲に近く、会話する言葉(口語)と文字で書く言葉(文語)は全く異なるものだったのである。


南北朝、室町時代を経過して、漢字と仮名の融合は更に進んだ。

加えて、平安時代から高貴な人々の間で流行した「源氏物語絵巻」その他の絵入りの巻物は漢字を完全に読めない人々の間でも観賞用として多くの人々から熱狂的に迎えられ、極彩色の絵と付属する文章の組み合わせは、富裕な階級の女性層を中心に人気の的となり、多くの絵巻物が作成されたのが室町時代だった。

平和な時代を迎えた江戸時代になると「絵草紙」と呼ばれる絵入りに仮名書きの安価な各種草紙が大流行し、やがて、「黄表紙」と呼ばれる大人向けの漢字の多い読み本が登場するようになり、ついには、日本文学史上最大の長編小説「南総里見八犬伝」等の庶民文学が登場して、江戸の庶民達は迫力ある奇想天外な長文の内容に熱狂するのだった。


このように、漢字伝来から庶民が愛読できる和漢混淆文の完成まで、日本の文字文化は熟成の為の長い道程を必要としたが、日本国民は殆どの人々が読める独自の文体を江戸時代後期には手に入れることが出来たのである。

古来、「和」を尊ぶ日本人にとって、「均質な社会」こそが、全国民が喜びを分かち合える社会であり、全国民が読める文体こそが、最も好ましい文章だったのである。

庶民文学が確立した時代、それは、黒船の来航によって全国民が戦慄した時代でもあった。

中国文明とは完全に異なる「西欧文明」を早急に理解・吸収する簡易な手法として、日本人は「漢字」による「西洋文明」を理解する為の「和製訳語=和製漢語」の作成に勤しむことになったのだった。

多くの先人達によって、膨大な西洋文明を「和製漢語」の創作によって訳出できた日本は、横文字が全く読めない全ての国民が、怒濤のようなヨーロッパ文明を理解し、これまでとは異質の文化と正面から向き合うことが出来たのだった。

この西欧文明を分かり易く訳した「和製漢語」が無かったならば、明治維新による日本の近代化は難しかったとさえ感じるときがある。

逆に考えれば、偉大なる中国の漢字文明の恩恵を受けた日本は、千数百年の時を隔てて、和製漢語によって中国に恩返しをしたと考えても大きな間違いではないと思う。日本人の創作による和製漢語を抜きにして、東アジア漢字文化圏の近代化は不可能だったと言える。

今日、出版されている共産党中国政府の機関紙「人民日報」でさえ、和製漢語を抜きにしては、主要な論旨を表現できないと言われているからである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんと数百年の漢字周辺国の事情を、簡潔にまとめてしまうとは、広い見識が無いと出来ません。 同じ周辺国でありながら、独自の文字「仮名」と漢字仮名交じりを発展させた日本と、近代になるまで漢字中…
[一言]  小説家になろう作品の多くの異世界にはなぜか仏教用語の転生やキリスト教の復活。ムスリムの預言者要素があるのはまぁ異世界言語を無理やり翻訳したのと主人公がキリストと同格という演出として。  …
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