5.中国古代王朝と現代共産王朝の近似性(二)
今回は少し観点を変えて、世界の長命な王国と中国歴代王朝の寿命とその差異を比較しながら、表題の『中国古代王朝と現代共産王朝の近似性』について考えてみたい。
最初に世界の長寿の王国から見てみよう。『ローマ帝国衰亡史』を書いたギボン以来、歴史好きのイギリス人があこがれる古代ローマ帝国は、紀元前に始まってコンスタンティノーブルの陥落まで、約15世紀に渡って続いた。古代ローマ帝国を継承したドイツの神聖ローマ帝国も約10世紀の間、ヨーロッパに君臨している。アフリカではエチオピア王国(アクスム朝)及び後継のエチオピア帝国が7~8百年の長寿王国であった。
一方、アジアの王国で見るとアンコールワットの遺跡で有名なカンボジアのクメール王朝が633年の長寿で、最盛期には現在のベトナムとマレーシアを除くインドシナ半島全域を勢力圏下に治めている。本テーマの中国に隣接する朝鮮半島の国、高麗と李氏朝鮮も王国の寿命は長かった。高麗は470年以上、李氏朝鮮は508年の長期王朝で、この二つの王国で約千円間、半島を統治しているので、長寿と見て良いであろう。
それでは、歴代の中国王朝の中で、比較的長命な王朝の存続年数をピックアップしてみたい。因みに、年数の後が未記入の所は王家の出身が中国人、()内に民族名が記入してあるのは、王家の出身民族あるいは中国化する以前の先祖の出身部族である。
前 漢 212年
後 漢 195年
唐 289年 (鮮卑系中国人)
北 宋 167年
南 宋 147年
元 108年 (モンゴル人)
明 276年
清 276年 (女真人)
共産中国 66年~
紀元前2世紀の前漢から近代の清までの中国長寿王国の平均寿命は約209年で、前述した世界の長寿の王国に比較すると異様に短い感じがする。
難しい王朝毎の興亡の議論は一先ず置くとして、比較的世界の長寿王国に比べて、短寿命の中国王朝の盛衰には一つのパターンがあると言われている。
大雑把にその勃興と隆盛、衰弱のパターンを上げると次のような順序になる。
1)群雄の中から最高権力者の誕生 ⇒ 新王朝の創建
2)前王朝失敗の反省と法的な整備 ⇒ 王朝の隆盛
3)支配層・官僚層の腐敗の蔓延 ⇒ 民衆と地方の反発
4)国内の分裂と群雄割拠 ⇒ 王朝の滅亡
代々の中国王朝、平均寿命209年の歴史的な経過としては、悲しいことに上記の繰り返しであった。どの中国王朝といえどもこの歴史の流れを変えて、長寿の王国を建国できた王家は一つとしてなかったのである。
最初の統一王朝秦以来の覇権国家の流れが、若しかしたらこの中国独特の盛衰のパターンを生んでしまったのかも知れない。極端とも見られる皇帝の中国的絶対権力は、勃興から隆盛へのスピードの加速に有効なシステムだったが、その反面、繁栄の絶頂から滅亡への時間短縮の絶対的なシステムにもなっていたようだ。
西欧世界では、1215年、『法の下で国王といえども権限が制限される』と規定された英国のマグナカルタ(大憲章)が成立、1776年、アメリカの独立と人民の自由を宣言した米国の独立宣言、18世紀末に起きたフランス革命等々、徐々にではあるが民主主義の歩みが時の流れと共に確実に刻まれて来た歴史がある。
その背景の一つとして、欧米世界の精神世界のベースに、『キリスト教的倫理観』がしっかりと庶民から王侯までの心の中に根を生やしていた。
翻って中国史を振り返って見ると、中国国民全体の統一的な宗教や倫理観は存在しなかったし、これからも短時間では、国際社会に通用するような倫理観が育成される可能性は少ないと断言できる、悲しい実情である。
漢以来の歴代王朝は、絶対的な覇権信奉者で有りながら、表面上は偽善者的な儒教鼓吹思想の持ち主であった。その擬態を庶民は冷ややかに見て道教の世界に安住を求める場合が多かった。
端的に西欧との最大の相違点、一点を挙げれば、有史以来、『国民投票で自由に選出された国の代表者』が一人も存在しない点である。
そのチャンスが最初に訪れた孫文の中華民国も中国の伝統的な腐敗政治構造の外には存在出来なかった。
孫文から国を引き継いだ蒋介石の中華民国の腐敗は、打倒したばかりの清朝末期の官僚腐敗さえ上回る恐るべき腐敗構造に急速に変容して、国自身を失って台湾に撤退している。
そこに、登場したのが延安に逃避して日本軍との全面戦闘を回避し、慎重に力を蓄えていた共産党軍であった。日本の降伏後に発生した国共内戦において、共産党指導部は国民党の腐敗政治を攻撃し、労働者と農民に希望を与える共産党指針を採択、瞬く間に資本家や富裕な国民層を除く大多数の人民の支持を得て、国共内戦に打ち勝つことが出来た。中華人民共和国の成立である。
その後、皆さんがご存じのように共産中国は、資本主義各国が驚くような驚異的な経済発展を成功させた。けれども、ここからが問題で、巨大中国を統一し、建国後、時間の経過と共に経済的成功を収めて行った結果、秦帝国以来の『中国王朝』の呪縛が中国共産党を捕らえてしまったのである。
共産党の初代主席毛沢東の胸中の何処かには、密かに新しい中国王朝の初代皇帝としての覇権に対する野望があったことは紛れが無い。彼に関する本人や周囲の記録を読むと彼の思考の根本にある考え方は、始皇帝を始めとする歴代中国皇帝と異ならない。
建国直後の無謀な大躍進計画齟齬による数千万人の餓死や朝鮮戦争での無数の戦死者等、数千万の国民の命など芥のように考えて嘯いていた証拠の数々に驚かされる。
しかしながら、そんな古代皇帝に憧れていた毛沢東さえ、毛沢東王朝を新たに創建する危険性に関しては十分に認識していた。その結果、自身の家系での伝承では無く、歴代皇帝に変わる『共産党主席王統』とでも言うべき、歴代主席の中国共産王朝の皇帝就任という極めて巧妙な手段で妥協し、成功を収めている。
その様に驚くほど古代からの中国王朝と近似点がある中国共産党政権だが、驚くことはこれだけでは無い。現在、世界の近代国家、それも大国の中で、法治国家では無く、人治国家なのは中国だけである。共産党主席の覇権の隷下に共産党軍が有り、法律があるのである。
軍も法も共産党主席の個人的な意志の下に自由に運用され、彼の利害と彼を取り巻く中枢官僚達の好む方向に制御、施行されている。
もちろん、三権の分立など存在しないし、司法も立法も行政も独立しての存在を全く認められてはいない。自由主義諸国では信じられない数の武装警察を含む無数の警察組織が存在し、警察予算が国家予算の大きな比重を占めている一事だけでも、始皇帝の法家第一優先の古代世界と大きく異ならないように感じるが如何であろうか?