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43.怒濤の「西欧帝国主義」と日中韓の『儒教』

ここまで十分に勉強できたとはいえないものの、本家中国とその枝葉である朝鮮半島及び日本の『儒教』に関して素人なりの理解が若干進んだような気もするので、無理(無知?)を承知で近代に於ける「西欧帝国主義」と日中韓の信じた「東アジア文明」の代表としての『儒教』に触れてみたいと思う。

 少し短絡的かもしれないが日頃中国人は都合の良い時だけ「孔子」を持ち上げて『儒教』のすばらしさを吹聴する傾向があると感じている。

特に新しく勃興した歴代の中国王朝は創設の不安定期に国家安定思想として儒教の教えを狡猾に利用している印象が強い。

その傾向は元朝や清朝等の異民族による征服王朝の場合特に顕著だった気がしている。彼らにとって儒教の利用は飽くまでも表面的な利用に止まり、自分達にとって最重要な覇権の行使と漢人に対する生殺与奪の権はモンゴル族なり、満州族の少数支配民族がガッシリと掌握していたのである。

その状況は現代でも変わらず、あれだけ文化大革命時代に孔子を排撃した共産党政府が、今日では、手のひらを返すように世界中で「孔子学院」建設に熱中している。

どの中国政府にとっても覇者の存在を認める儒教の持つ古代階級秩序尊重の思想は政治的に利用しやすい儒教の本質を証明しているような気が個人的にはしてくるのである。


一方、中国人以上に儒教が国民の心の中に浸透している朝鮮民族の場合、現代社会の宗族関係の深い所を支えているのは儒教だといって過言ではない。

例えば、韓国人の若者の年長者に対する気配りは、日本人から見ていて痛々しいほどである。その様子を見ても、李朝約五百年の儒教(朱子学)教育が現代韓国人の精神構造の形成に大きく関わっているように思えてくる。

長い間「小中華思想」の高揚に国家を挙げて努力してきた朝鮮民族は、中国人のように都合の良い時だけ儒教を表に出してその場をやりくりする器用さよりも、国民の文化として儒教の階層意識と国家間の等級差感覚が身についてしまったように感じられる。

即ち、宗主国中国をトップとして、次に韓国と北朝鮮があり、その下に日本が存在するという朝鮮民族にとって好ましい秩序意識が厳然として出来上がっているのが今日の韓国である。

その一端を表すのが、朝鮮系中国人の位置付けである。韓国人にとって最下等朝鮮人として彼らを馬鹿にするだけでは無く、些細なことで理由も無く殴りたり罵声を浴びせると聞く。同じ朝鮮民族なのに自分達より劣る中国在住の劣等民族には何をしても良いという李朝以来の儒教的差別文化が現代でも息づいているのである。


一方、日本はというと先にも述べたが科挙制度の導入も無かった関係で『儒教』そのものの核心に民族的に触れることも無かったのである。

漸く桃山時代の藤原惺窩と弟子の林羅山によって儒学が導入され、朱子学に心酔した林羅山が徳川幕府に仕えることによって漸く武士の世界の倫理規範として朱子学が藩校等を通じて全国に浸透していった程度だった。

しかし、それも、黒船の来航に続く西欧植民地主義との遭遇によって、あっけなく崩壊している。国家的な危機遭遇時には民族全体で急ハンドルを切る傾向のある日本民族は、瞬く間に儒学を放棄し、新しい武器や西欧文明を学ぶ為に国家を挙げて洋学学習へと邁進するのだった。

そこで、本稿では、「アヘン戦争」以降の日中韓3ヶ国を含む東アジアの国際外交環境に触れながら、近代に於ける各国の『儒教』の影響を考えてみたいと思っている。


(東西文明の対立、「阿片戦争」)

 約380年前、少数の満州族が膨大な人口を有する中華民族を征服して植民帝国を建設したのが隣国の大国「清朝」だった。しかも清朝は漢人の知識層が好む科挙を実施し、高級官僚に対する儒教教育を徹底することによって東洋的な階層社会の肯定と異民族支配の正当性を上手にクリアーして、植民地支配を巧妙に確立して東アジア最大の大帝国を築いたのである。

 一方、無数の戦列艦とフリゲート艦を保有する世界最大の海軍力を持つ英国は、時代の先端を行く、「砲艦外交」遵奉の強国であった。

その思想はというと全ての西欧諸国がそうであったように『聖書』を精神的基盤とするキリスト教を背景にした帝国主義的侵略経済の雄だったのである。

 ルネッサンス以降、西欧諸国の幸運だった点は競争力のある中規模国家群の混在が幸いして、

火薬を用いた「火器」の高性能化に世界のどの地域よりも早く成功した点にあった。

 加えて、世界中の何処へでも到達可能な大型帆船の建造は、植民地を求めて海外に雄飛するヨーロッパ列強の「大航海時代」の扉を開くに充分な下地となったのであった。

彼等が信じる聖書を精神的な支えとするキリスト教の教えほど、「大航海時代」の異民族への度重なる略奪や大殺戮行為を巧妙に糊塗する教えだったのである。


「大航海時代」以降、西欧の世界支配は急速に拡大して、19世紀初めの阿片戦争寸前の段階では、南北アメリカやアフリカ、中東とインドの制服を終了、世界的に見ても中国とその周辺の李朝等の東アジアの小国群が残っているだけであった。

 しかし、大艦隊を有する英国ではあったが、富裕な大国清国に対して売り込むべき有力な輸出品を持たなかっただけでなく、清国産の「お茶」はイギリス本国の国民が渇望する商品だったのである。

当然、お茶輸入の代価としてイギリスの懐から大量の銀が清国に移動することになる英国にとって好ましからざる事態となった結果、狡猾な英国は、銀の代わりにインド産のただ同然の「阿片」を主要輸出商品としたのだった。

歴史上、麻薬の国内蔓延を喜ぶ政府など存在しないし、当然ながら清国も阿片輸入の禁止を国法として実施した結果、発生したのが二次に渡る「阿片戦争(1839~1842年)」だった。結果は皆さん良くご存じのように大帝国清国の大敗となったのである。


(「阿片戦争」後の「清国」の対応)

「阿片戦争」の大敗は、「眠れる獅子」清国の実態を西欧諸国に晒してしまう最悪の事件だった。表向き国際条約を重視する仮面を被った西欧の帝国主義集団だったが、巨大帝国清の国家構造の弱点を垣間見てしまった結果、群狼のように清国へ襲いかかり始めたのである。

 しかし、歴代の中華帝国が二千数百年間遵法してきた『儒教』の倫理観では最新式の武器を全面に侵略する西欧諸国の前に全く無力だったのである。それでもプライドの高い中国の儒者達は蛮夷である西欧の実態を満足に知ろうともしなかった傾向がある。

もちろん、林則徐の友人で「海国図志」を著した魏源のように後の「洋務運動」の先駆けのような知識人も現れたが、儒教に深く洗脳された中国の多くの知識人の反応は予想以上に鈍かったのである。

自分達の邦を中華と自讃していた中国知識人にとって蛮夷である西欧諸国の実態やその技術や文明は興味を引く対象ではなかったのである。

だが、阿片戦争の敗北はそのような中国人の自尊心を根底から覆す力を持っていたのである。

そこで起きたのが海外の技術や知識を理解して外国に対抗しようとする「洋務運動」であった。しかし、洋務運動を始めた清国だったが、海外の知識導入に関しても、軍事技術や武器などの製造技術が優先して、西洋文明の根幹である自由主義思想や哲学、自然科学分野の理解が遅れる傾向にあった。

清朝の権力者にとって洋務運動による近代的な陸海軍の整備は、権力者自身の私的軍隊である「私兵」の強化にこそ使われるべき手法であって、漢人である国民国家の為に用いる感覚が欠けていた印象が強い。

その結果、阿片戦争以降の清朝の代表的な実力者である李鴻章は、武器弾薬等を造る軍事工場の建設と整備に熱心だったが、それは飽くまで自分自身の私兵戦力の強化のために用いられるべき存在だったのである。


(日本への「阿片戦争」の影響)

 阿片戦争による大国中国の敗北は徳川幕府の日本の国家運営の中枢である老中と心ある諸侯に深刻な影響を与えている。逆説的かもしれないが後の「黒船来航」に不十分ながらも幕府が対応できたのも、阿片戦争後の清国の経過を伝聞していた結果とみても良いと思う。

逆に、魏源の海国図志は漢文が読めた日本の先進的な武士達を初めとする当時の知識階級にとって西欧学習の為の貴重な入門書となったし、西欧植民地主義に対し警鐘を鳴らす貴重な書物の一つとなったのだった。

そう考えると日本人は魏源の海国図志にもっと感謝して良いように思う。

それ以上に重要だったのは、日本の儒学が李朝と違い朱子学だけで無く実務を重視する陽明学も広く普及していた点である。幕末の諸藩の改革家には陽明学を信奉する先賢も多かった。それ以上に重要なのは蘭学者の存在と幕末最末期に於ける英学者の急増である。その背景には世界の帝国主義諸国の中で英国が最も力を持っている現実が広く日本で理解された結果であろう。

その結果起きた「明治維新」は、歴史的激動の時期になると狂ったように急ハンドルを切る日本人特有の行動力が最も効果的に近代史上現れた貴重な瞬間だったのではなかったろうか!


 帝国主義列強の与えた恐怖は日本の知識人を覚醒させ、西欧の知識の学習と国防のための軍備改革に邁進させることになる。この日本人の恐怖感こそ無血革命に近いとヨーロッパ人に言われた「明治維新」の原動力の一つとなった点は間違いないと思う。

 一方、漢字を用いた洋学用語の和訳も急速に進んでいる。現在中国を初めとする東アジア漢字文化圏で使用されている西欧文化の用語の漢訳の6割は近代に於ける日本人学者の訳だといわれている。人によっては、7割がそうだと主張する人もいるようで、明治維新前後の数十年で大量の漢語を用いた洋学の訳語の創造は長い漢字文化を経験した日本の東アジア漢字文化圏への恩返しとでも表現できる行為だった。

 「自由思想」、「自然科学」、「経済」、「哲学」、「物理」、「科学」、「恋愛」等々の西洋の知識の漢訳によって、多くの明治人が新知識を吸収できた効果は絶大であり、これ等なくして明治日本の革新的な変貌は不可能だったと考えても良いように思える。


(「李氏朝鮮王朝」の外交対応)

 小中華を自認する李氏朝鮮王朝にとって宗主国清国は阿片戦争後も安心して国家の重要方針を託せる強力な親分だった。彼等にとって清国以外に国際情勢を相談できる国家は無いとさえ思っていたし、宗主国の傘にさえ居れば安心できたのだった。

李朝の場合それ以上に国内的には「勢道政治」の弊害が国政を歪めて経緯があった上、派閥抗争の激化で、優柔不断な高宗は、国内の意思統一に失敗、大院君、閔妃を初めとする権力者達の間を政権は不安定に大きく揺れ動くのだった。 


しかも、国際的には19世紀の半ば以降、フランスやアメリカ、ロシア等の外国船が頻繁に朝鮮半島に接近して平穏ではなかったのである。

中でもフランス船とアメリカ船は江華島に接近・上陸して李朝の軍隊と交戦する事態も起こしている。彼らは日本で黒船が求めたように朝鮮半島の「門戸開放」を希求して執拗に訪れたのである。大院君はそれら諸外国の動きを排撃する時代錯誤な、日本でいう攘夷運動を全国規模で指示している。

もちろんこの時点での西欧諸国との断交が西洋列強の侵略に対する当時最適な判断だったとは到底いえなかった。


やがて、李朝の国政に清国だけでなくフランスやアメリカ合衆国、ロシア等が食指を動かし始めただけでなく、文明開化にいち早く成功した日本政府が宗主国清国の対抗馬として登場したのである。

そこで発生したのが「日清戦争」で、老大国清国の軍隊を新制日本の陸海軍が圧倒する結果となったのだった。

 列強の外圧を受けてからの時間軸で見てみると日朝両国の対応はより明確になる。ペリー来航から明治維新まで日本は15年間だったのに対し、1866年のフランス艦隊の第一次侵入から日清戦争(1894~95年)まで、李朝は明確な外交方針の無いまま、貴重な29年間を無駄に浪費してしまったのだった。


(国家思想統一の危険性)

 古代から現代まで一つの思想によって統一された「全体主義」の統一国家は無数に存在する。巨大覇権国家中国の場合、世界の総生産の過半を中国一国で占めた時期も一度や二度ではなかった。

 その歴代中国王朝の古代から続く階層的な国家秩序思想を担って来たのが『儒教』であった。しかし、儒教に裏打ちされた中国的な全体主義思想を打ち破ったのは西欧社会が古代ギリシャ時代から培ってきた「自由主義」の思想だったのである。

日中韓東アジア三ヶ国に対して、『儒教』は古代から各国に大きな影響力を与えてきている。その中でも特に朝鮮と中国に近代に至るまで大きな影響を与え続けてきた経過は上述した通りである。

その点、日本には倫理・道徳上の思想的な好影響を与えてくれたものの、李朝のような国家思想に直結するような大きな影響を与えることはなかったし、科挙を実施することの無かった日本では、儒教的政治システムを取り入れる可能性は殆ど無かったといっても良いように思っているし、

個人的には、

『儒教に心酔出来なかった日本人の先人達の民族的直感力に感謝したい』

と思っている。


 話は飛ぶが、 江戸時代後期の宮中の正月行事に「花びら餅」下賜の習慣があった。貴族や女官はもちろんのこと下々の人々にも身分に関係なく均等に下げ渡された花びら餅だったが、日本人にとって「神様の頂き物」である花びら餅は平等に頂くことが大切であり全ての人々が等しく正月を迎えることこそ重要な慣習であったのである。

日本人は古代から続く、神前での平等意識を重要な民族的感情として保持し続けて明治維新を迎えたのだった。


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