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35.「黄河文明」と『漢字』

現在、世界で使用されている文字の殆どは、「表音文字」であり、その祖先を辿ると「フェニキア文字」に行き着くという。

では、逆に、世界中で表音文字ではない「表意文字」を使用している民族はというと中華民族と我が日本民族くらいであり、世界でも、極一部の数少ない民族が用いているに過ぎない。但し、中国の推定人口14億5千万人の殆どが漢字を使用しているため、世界の人口に占める使用比率では、第1位である「ギリシャ文字」世界に次いで第2位であり、第3位の「アラビア文字」世界を圧倒している。

本稿では、世界各地の古代文明圏で出現した多くの「古代文字」が消滅して、欧米を中心に世界の文字の主流となっている「アルファベット」の祖型のフェニキア文字が生き残り、広範囲に広がった経緯を勉強すると共に、何故、複雑な表記の漢字が生き残り、今でも二つの文化圏で生き残っているのかを考えてみたいと思っている。


(古代に出現した文字と「フェニキア文字」)

古代の文字と聞いて直ぐに思い付くのが、メソポタミア文明が生み出した「楔形文字」とエジプト文明の「ヒエログリフ」、インダス文明の「インダス文字」、そして東洋の黄河文明が創造した「甲骨文字」ではないだろうか!

少し古代史や古代文明に興味のある人なら、粘土板に刻まれた楔形文字やエジプトの遺跡の神殿の壁その他に彫刻されたヒエログリフの写真を見ただけで、エジプトやオリエントの古代に思いを馳せる方も多いのではないかと考える。

しかし、楔形文字やインダス文字は、古代の早い段階で消滅してしまったし、エジプトのヒエログリフは「シナイ文字」を経て、「フェニキア文字」に変形・発展している。

「フェニキア文字」が、なにかというと、今日のシリアを中心に活動した海洋民族の文字で、フェニキア人は地中海を中心に広範囲に優れた商業活動を展開していた。

フェニキア文字自身は、紀元前11世紀頃に生まれたようで、既に、アルファベットの子音の祖型が出来上っている印象がある。

続いて、古代ギリシャ人がフェニキア文字を参考にして造った文字が、今日、良く知られている「ギリシャ文字」である。皆さんご存知のように、古代地中海世界においてギリシャは知識の源であり、古代ローマを初め多くの国々や民族が偉大なギリシャの影響を受けた結果、今日のギリシャ正教を含むキリスト教世界とイスラム教世界の殆どの文字が、ギリシャ文字の影響を受けて発展するに至ったのである。


一方の甲骨文字も徐々に整備されながら今日の『漢字』へと変化発展を遂げていくのだった。しかしながら、この東西二つの文化圏の発展に貢献した二つの文字は、その出生が、「表音文字」と「表意文字」である全く異質の表現形態であることによって、全く異なる成長経過を示すのだった。

「フェニキア文字」が「表音文字」として、僅か20数個の極めてシンプルな字形によって、多くの異民族が受け入れ入れやすい形状だったのに対し、甲骨文字から発達した『漢字』は「表意文字」として、益々、複雑な形状と信じがたい数量の漢字を学習しないと十分な意思疎通さえ難しい、世界でも最も難解な文字となっていくのだった。


(「甲骨文字」から『漢字』へ)

『漢字』の原初的な祖型である「甲骨文字」は、殷(商)の時代、占いや神との通信の手段として使い始められている。殷では卜占が盛んで亀甲や獣骨に彫られた文字が多く残ったことで、後世、甲骨文字の発見に繋がったのは有名な逸話である。

周の時代になると文字は、青銅器に彫られて周王と諸侯との盟約や尊貴な人々の種々の意思表明の手段としても用いられるようになった。

時代が進んで春秋戦国時代になると漢字の使用する中原と中原の周囲の「漢字文化圏」は拡大を続け、漢字を用いた各種の文章も徐々に多彩になっていった。

その一方、周王の力は急速に衰えて、諸侯の中の有力者が覇を競うようになり、最終的には「戦国の七雄」と呼ばれる七ヶ国が最終ゴール(中国統一)を目指して抗争を繰り返すことになる。


諸侯の抗争が激化した戦国時代の特徴として、度量衡や貨幣を含めて、文字も戦国各国では、自国独特のものを使用していたのだった。

「馬」の字一つとっても、七ヶ国間の文字の形状の差は大きく、各国を歴訪する縦横家などの優秀な人材は、列国の形状の異なる文字を全て読んでいた可能性が高い。今日、中小規模の国家群で構成されているヨーロッパの人々の場合、数ヶ国語を話すバイリンガルの人材が多いと聞くが、戦国時代の各国を渡り歩く人材には数ヶ国の文字を理解する才能が必要だったと思われる。

それらの文字を含めて、度量衡や貨幣を全国統一したのも中国最初の皇帝に即位した秦王政、始皇帝であった。

彼が行った「焚書坑儒」も非情な儒者弾圧の一面で、文字の全国統一に大きく寄与しているのである。焚書坑儒によって戦国各国の独自の文字で記された列国の独自思想や主張が多く失われた反面、始皇帝のお陰で、一種類の文字を覚えれば全ての漢字文書が読める識者にとって明るい時代が到達したのだった。

始皇帝によって全国統一された文字や貨幣、度量衡は、次世代の王朝「漢」によっても維持されて、漢字は益々精度を高めて、形状も整えられていったのである。

その千数百年以上に渡る「甲骨文字」から『漢字』への変化と発展を年代順に並べると下記のようになる。


 甲骨文字  ⇒  金  文  ⇒   篆 てんしょ  ⇒   隷 れいしょ

  (殷)         (周)       (春秋戦国~秦)       (前漢~)


「篆書体」は、今日では印鑑(印篆)に良く用いられているので、ご覧になった方も多いと思う。また、前漢に入り政権の安定期になると、篆書から隷書への移行が進み後漢の中平2(185)年に建立された「曹全碑そうぜんひ」等の字形を見ると、その整った書体は今日の楷書に近い雰囲気で、我々が殆ど読めない金文や篆書と違い身近に感じる書体になっている。


倭国が漢に使節を派遣することが出来たのが、後漢光武帝の頃であり、その時、光武帝から賜った金印が国宝として現存している。奴国の使者もそうだったろうし、その後の魏の時代の卑弥呼の使者が見た文字も隷書だった可能性は高い。そうなると、日本人は『漢字』と遭遇した最初の段階から漢字の完成形に近い字体に出会う幸運に恵まれていたのだった。

やがて東晋の王羲之などの登場と共に、今日も生き続ける「行書」が登場し、「唐代」になると楷書体の漢字の完成形が登場することになり、空海を初めとする遣唐使を含めた日本の知識層は『漢字』と「漢文」の魅力に心酔して、その習得に熱情を注いだ精華は今日残る「風信帖」を初めとする、この時代の書の遺品からも実感される。


(東アジア諸国と『漢字』)

その点、大陸に接したインドシナ半島のベトナムと朝鮮半島の諸国が漢字に接触した年代は、倭国よりも遙かに古かったと理解出来る。特に、朝鮮半島で明確に国家としての機能が確認出来る「衛氏朝鮮」の存在が、前漢の時代なので、倭国よりも約二百年早く中国と接触があった可能性が高い。当然ながら、中国人の亡命者によって建国されたとされる衛氏朝鮮では、隷書で書かれた文章に接しても、読み書きできる人物に困ることは無かったと推定される。しかし、王を初めとする上層部とは異なる古朝鮮の人々は自分達が話す言語と書く表意文字である漢字の段差に苦しんだのかも知れない。

表意文字である『漢字』の最大の利点は、中国人の言葉を話せなくとも漢字さえ読めれば、異民族と雖も文意を十分理解出来る点にあった。その反面、自国の言葉を漢字で表現することは、「表音文字」のように直ぐには出来ず、文書記録だけに漢字を使用するか、それとも、一部知識階級のみの言語または文字として用いるしか、なかったのである。


その点、フェニキア文字から出発、ギリシャ文字、ラテン文字と順調に変化して、「表音文字」としてヨーロッパ世界に定着した学習のし易さとは大きく異なる難解さが『漢字』には、あったのである。

直ぐ、自国の言語の発音に対応出来る簡易性から「表音文字」であるフェニキア文字を出発点とする世界中の文字は多く、膨大な数の民族が、その恩恵を享受している。

気が付くだけでも「ギリシャ・キリル文字世界」や「アラビア文字世界」の人々がそうなので、宗教的に見てもキリスト教とイスラム教を信じる人々の多くは、「表音文字系」の文字世界に属していると考えられる。

加えて、仏教徒や儒教とであった、例えばベトナムや朝鮮半島の人々も千年以上に渡る『漢字』の使用を近代になるとやめて、ベトナムでは「ラテン文字クオック・グー」を使用するようになったし、韓国や北朝鮮も世宗大王の考案した表音文字「ハングル」を使用するように変化している。


(東アジアに於ける「表音文字化」への努力)

その点、漢字が「表音文字」であったならば、瞬く間に東アジア世界に浸透し、今日でも東アジア世界の多くの国で使用されている可能性は高かったと推測される。

しかし、そうではなかった為に、周辺諸国は漢字の表音文字化あるいは、漢字に無い自国語の表記方法の開拓を行う必要に迫られている。

例えば、ベトナムでは、「チュノム」と呼ばれるベトナム語を表記するために漢字を用いて考案された専用の文字が13世紀から20世紀半ばまで使用されたのだった。

隣国の朝鮮半島では上層階級である「両班」が漢字の使用と漢文の読み書きが出来る事を誇りとしてきたため、後述する日本の「平仮名」のような表音文字は直ぐには生まれなかった。

唯、漢字を使用して朝鮮語を表現する手法としての「吏読りとう」その他の便法が幾つか用いられていた。

しかし、李朝第四代の名君太宗によって1443年に公布された「訓民正音(通称ハングル)」は大変良く出来た「表音文字」で、最初は女性や書簡などの使用に限られていたものの、時代と共に国民の間に浸透して、現在は韓国及び北朝鮮の言語として朝鮮語表記の正統の位置を確立している。

逆に、両国共に約二千年に渡って使用され続けた漢字は、氏名や地名を除くと、その使用例は少なくなり、韓国の新聞を見ても、その漢字面積の少なさに驚かされる一方、戦後、ハングル教育が徹底したため、韓国人と会話しても、漢字の素養の少なさに驚かされるケースが多い。

さて、我が国は、どの様に対応したのであろうか?


倭国に於ける「表音文字化」の最初の努力は、自分達の話す「倭語」を文化の総本山である中国の文字『漢字』で表記出来ないかとする熱意だった。

その表現は今日、一般に「万葉仮名」といわれている。

万葉仮名とは、それこそ、「万葉集」が編集された時代の上代の倭語の表現手法として漢字を借用して文字化しようとした努力と熱意の痕跡といって良い。

それこそ、漢字を用いて倭語のいろはを表現した最初のものが、「万葉仮名」の存在であり、万葉仮名の先行があってこそ初めて、平安時代の「平仮名」や「片仮名」の創製があったような気がしている。

この二つの仮名の創造によって、日本人は、「表意文字」である漢字と「表音文字」である仮名の二つを用いる世界でも稀な民族になったのだった。

その流れは現代でも変わらず、漢字と仮名双方に加えて、「アラビア数字」と「アルファベット」の四つの文字を複合して使用する特異な文明として日本は存在している。


(参考文献)

1.鈴木 薫  『文字と組織の世界史』  山川出版  2018年


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