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1.象が居た密林(古代の黄河流域)

古代黄河文明から近代までの東アジアの歴史に関係するテーマを勉強して行きたい。最初に古代黄河文明世界の自然環境を想像してみた。

 数年前に北京から甘粛省蘭州へ黄河を見に行った折りに、初めて見る黄土大地の景観に心が躍った。

 何と言っても、最初の中華文明を育んだ黄土高原と黄河上流部の流をこの目に出来る瞬間の幸せを感じながら、航空機の窓際の座席から見える地上の風景に釘付けになっていた少年のような自分が居た。


 北京を出発して暫く、眼下に延々と黄色の大地が続いている。褐色の大地はゆったりとうねっており、うねりの波の所々に皺がある。

 皺の部分は小さな谷間らしく、稀に村落が見えた。そして、村の廻りだけ黒胡麻の粒のような点々が見える。

 「樹木だろう」と思って、蘭州で着陸して直ぐにガイドさんに聞いてみた。

 やはり、近年、植林した樹木だ、とのことだった。


 上空から見える色彩を、黄土の大地が全ての色を奪ったように、近代中国の緑化の努力も、上空からは黒い点々にしか見えなかった。それは、地上に降りてからも大きく変化せず、飛行場から蘭州市内への道から見える丘や谷、村落の小世界全てが黄褐色にくすんで見えたので、思わず、新しく植林した若木の緑を圧倒する黄土の威力に私も屈服しそうになった。

 


■蘭州の黄河

 蘭州について、翌々日、ホテル近くのアカシア並木の大きな道路を抜け、黄河の岸を走って市内から少し上流にある蘭州市の浄水場を見学に向かった。

 青蔵高原を出発した黄河は、華北の大平原を通って、延々5400km、山東省で渤海に注いでいる。黄河上流部の蘭州は唯一、黄河が市内を貫流する大都市都市である。


 途中、黄河に掛かる古風な鉄橋に注意を引かれた。

 橋の正面に、『中山橋』とあった。清朝末期にドイツの協力を得て建設された鉄橋で、旧正月には赤い提灯が多数掲げられたりする蘭州の名所の一つであり、『天下黄河第一橋』の美称もある古風なヨーロッパ風の美しい橋である。

 橋のたもとでは甘粛省名産の『ハミ瓜』を食べている少女達の姿も見える。朝食で食べたハミ瓜の味は、甘みが少なく素朴な感じだったが、果汁が豊かでおいしかった。

 後日、ゴビ砂漠の中の陽関跡近くの昼食に出たハミ瓜は、周囲の砂漠のせいで、おいしさが増して感じた。


 浄水場は中ソ蜜月時代、ソ連の協力で出来た大きな物で、浄水場の取水口の上からは、西の高原地帯から流入する黄河の本流が良く見えた。

 8月の後半のその日、黄河は穏やかな状態だと施設員の説明を受けたが、水の色は、日本の河の台風通過直後の濁流のような褐色に思えた。しかし、黄河が濁流になった時の泥土の混入度合いは半端では無く、日本人の想像を絶する『黄土の中に少量の水が混じっているような』状態らしい。(笑い)

 


■古代の黄河流域

 以前読んだ本には、 『世界の四大古代文明発祥地の一つ黄河の中流域は3千年前には50%が森林でその他も草原が多かった地域だった』と、あった。

 紀元前2000年頃の中国の気候に関する別の資料では、古代中国全土の53%が森林で、残りの土地の多くは草原であったと記載してある。

 それから四千年立った現代、2000年頃の中国の森林率は12%で、西周時代の4分の1にしか過ぎない。


 黄河文明の曙の頃、黄河流域は豊穣な緑の大森林と草原地帯であったようだ。それも、気候の関係で温帯北部の落葉広葉樹林帯ではなく、亜熱帯に近い照葉樹林であった可能性がある。

 紀元前3千年以前、中国の気候は今よりも気温が高く湿潤、温暖だった。そして、驚くべきことに、黄河の周囲の深い森の中にインド象やサイが住み、湖沼には水牛が遊んでいたらしい。

 黄河流域一帯の亜熱帯的な自然環境は当時の人々に豊かな産物を与えて、新しい文化を生む限りない力を与えてくれていた。


 しかし、紀元前1700年頃から、気候が徐々に寒冷化に向かい始めている。それでも、現在よりは温暖な気候だったようで、夏から政権を引き継いだ商(殷)の遺跡からも象の彫刻や子象の骨格が出土している。

 このように、古代から商の時代までの黄河流域は亜熱帯に近い温暖な照葉樹の森林地帯であった可能性が高い。子象と遊ぶ古代商の人々の姿を想像すると、何かほのぼのとした心温まるものを感じる。

 多分、夏から商へ、商から周へ至る政権交代の戦いも、国土の半分以上を占める大森林地帯の間の原野で行なわれた可能性が高かったであろう。

 周の武王が商(殷)の紂王に打ち勝って政権を確立した『牧野の戦い』も、その呼称から、私は大草原での戦いを想像してしまう。

 


■森林破壊の始まり

 周が建国した、紀元前1000年頃には更に気温が下がり、照葉樹の多かった森林にも針葉樹が増え、一度伐採した森林は自然の力だけでは蘇生しない環境に変っていったと想像される。森の中や湖沼で楽しく遊んでいたインド象やサイ、水牛達もその頃には絶滅したと考えられる。

 しかし、権力者の宮殿や地下の大墳墓群その他の建設にも膨大な木材は消費され続け、森林面積は減少し続ける。


 更に時代が下がって戦国の七雄が争った頃には、黄河流域に有った広大な面積の大森林も相当数が切り倒されて、草原や黄土の露出した地帯に変っていった。 

 古代に於いて、森林面積の減少に最も貢献した一人が、秦の始皇帝だった。秦による天下統一が進むと始皇帝は、ライバル6カ国を攻め滅ぼす度に、滅ぼした国の宮殿と全く同じ宮殿のコピーを自分の都、咸陽に建築する宮殿コレクションの趣味があった。


 当然の事ながら、天下統一後は、始皇帝は諸国のどの宮殿も凌駕する自分専用の大宮殿、『阿房宮』の建設を開始している。

 阿房宮の大きさは、一説では、680m X 113mと巨大で、殿上に一度に一万人の人を座らせることが出来たという。余りに壮大だった為に始皇帝一代では完成を見ず、工事は二世皇帝に引き継がれた。

 阿房宮だけでは無く、始皇帝は首都咸陽の周辺100里以内だけでも270の宮殿を建築し、その他に関中に300、関中以外の地にも400余の別宮を建設したといわれている。

 阿房宮を含む膨大な量の巨大建築群、匈奴対策の万里の長城を始めとする全土に広がる軍事施設の拡張。今日、貴重な世界的文化遺産として、我々を驚嘆させた無数の兵馬俑、その8千体以上に上る兵馬俑の焼成と完成にどれだけの森林が失われたことだろう。

良く知られているように、始皇帝の死から3年後、秦は項羽と劉邦の攻撃によって滅亡した。


 秦から帝国を引き継いだ漢の皇帝達も森林伐採の手を緩めてはいない。

帝国の権力の誇示と皇帝個人の欲望の為に、中原の貴重な森林資源を消耗させている。熱帯や亜熱帯の森林の復元性の高い地帯ならともかく、温帯、しかも降雨量が少なく、保水性の低い黄土地帯での話であるだけに、一度、失われた森林の復活は自然環境的に極めて難しかった。


 森林地帯の減少は、黄河流域の漢の人々の生死にも直接関係し始める。初めて、安定した全土統一政権となった漢帝国(前漢)時代には、人口も増え末期の紀元2年にはピークの約6千万人の巨大な人口に達している。

 しかし、森林を始めとした環境の徹底的な破壊と政治の崩壊は、飢饉と内乱を生み急速に漢帝国の体力を奪って行った。その結果、我々が良く知る後漢末に始まる三国志の時代の中国全土の人口は約500万人(4~700万人の諸説有り)に激減している。

 漢の最盛時の人口の90%?が餓死や殺戮で消滅したのである。この信じ難い『中華帝国独特の人口激減サイクル』が、漢の時代から始まったのである。

 この信じ難い人口減少サイクルは、王朝の末期に続く戦乱毎に繰り返され、近世まで中華独特の現象として歴史に記録されることになる。



■澄んでいた黄河

 そう言えば、最近面白い情報を得た。黄河は昔、黄河とは呼ばれていなかったらしい。現在、黄河上流部の蘭州で見る黄河は、既に褐色に濁っているが、黄河の流域が大森林と草原に覆われていた紀元前の商(殷)や周の時代、濁りは少なく、川底は透けて見えていたらしい。

 森林伐採が進んだ戦国の末期に黄河は濁り始め、時代と共に黄河への黄土の混入が進んで、唐の時代には現在の色になった可能性がある。


 黄河文明の発達は、諸子百家も含めて紀元前200年には感嘆すべき高度な領域に達していた。しかし、秦の始皇帝を始めとする絶対権力者の飽くなき欲望は自分達の国土を破壊し続けて止まる所を知らなかった。

 その結果、川底が見えていた黄河は、濁流の黄河となり、1990年代には年に何度も断流する、水の流れない黄河となってしまった。

 その後、様々な規制により、復、黄河は河口まで細々と水の流れる河になったらしいが、今日の中国人の飽くなき経済活動への欲望は、古代の帝王以上に強烈で、黄河中下流の公害による水環境の低下と生活環境の破壊は今以上に悲惨な未来に向かって暴走しているように感じる。




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