終わり=始まり
頭の中がクラクラくる。相当息が苦しくて今にも倒れそうになるが、走る足を止めてはならない。もし一度でも足を止めたその時俺は……
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!!」
どれだけ走ったか覚えていない。ここが何処なのかも分からない。気が付けばここまで来ていた。
「ゲホッゲホッ……撒いたか?」
走りながら後ろを振り返る。誰もいない。森の中だから人っ子一人の姿もない。夜なので視界が見えにくいが、それでも俺の目には少なくとも映っておらず、付いてきてはいなかった。
「ハァ~……流石にもう動けねぇぞ……」
一本の大きな大樹に背中を預けて、崩れるように尻餅を付いた。荒くなっている息遣いを落ち着かせながら、額から流れている冷や汗を手の甲で拭い取る。
逃げ切れたことは良かったものの、気分も体調も最悪だ。何故なんだ? 何故俺がこんな目に遭わなければならないんだ?
何が罰だ。何が罪だ。誰かに迷惑をかけたわけでもないのに、何でこんな意味のない遊びに巻き込まれなければならないんだ。
今まで普通に平穏な生活を送っていたというのに、“あいつ”のせいで何もかもが変わってしまった。たった一日。そんな数少ない時間で全てがだ。
あぁ……家に帰りたい。帰ってソファなりベットなりに寝転がってのんびり過ごしたい。しかし今のままだと家に帰ることなんて不可能だ。完全に安全を確認できたところで、風のように帰ろう。
「よし……」
念のためこの森からとっとと抜け出して、遠回りする形で帰路に付こう。少し休息をとったためか、若干フラついていた足に力が入りやすくなっていた。
俺はゆっくりと立ち上がると、方角が分からないまま森を抜けるために歩き出す。
――――はずだった。
ズブッ
「…………え?」
近くからそんな音が聞こえた。まるで、生物に刃物が刺さったような音だ。
その音が聞こえてきたのは――俺の身体からだった。
俺は恐る恐るその音が聞こえた下を見つめてみた。そして、その正体はすぐに分かった。
予想通りそれは、鋭利な刃物である調理用の包丁だった。その刃先は俺の胸から生えたような形で……いや、明らかに俺の胸を貫通していた。
まだ痛みはない。しかし、とてつもない熱が胸から発生し、俺の口からも生暖かい赤い液体が吐き出た。
「やっと見つけたよ白奈。ずっとずっと探してたんだよ?」
すぐ背後から聞き慣れた声がはっきりと聞こえてくる。身体全体が麻痺にかかったように動かないと思いきや、今まで立っていた足に力が入らなくなって、俺は両膝を付いてしまう。
「咲……夜…………」
何とか動く首を動かして、後ろに佇んでいた人物を見上げた。
そこには、一人の女がいた。見慣れた顔に見慣れた姿……だが、こんな姿だけは始めてみるだろう。狂気や殺意といったものに呑み込まれているような悍ましい瞳を浮かべていて、その瞳は真っ直ぐに俺だけを見つめている。
「好きなのよ? 大好きなのよ? 昔も今もこれからもずっとずっとずっと白奈のことだけを考えて生きてたんだよ?」
彼女は俺の背から包丁を強引に抜き取る。
「あっ……がっ…………」
尋常じゃない痛みが胸から伝わってきて、あまりもの痛みに地面に倒れてしまう。息遣いも段々と苦しくなっていき、呼吸困難に陥る。
彼女は瀕死状態になって倒れている俺をただ一心に見つめる。助けるわけでもない。嘲笑うわけでもない。ただただ狂気に映る瞳を怪しく光らせ、慈愛の笑みを浮かべている。
しかし、少し経ってからその笑みは無表情へと変わった。
ズブッ
俺の身体に再び包丁を突き刺す。
ズブッ
一度ではない。何度も何度も狂ったように一回、二回、三回と、数を数えられる早さで幾度となく包丁を突き刺してくる。
ズブッ
「悪い虫が白奈を汚しちゃった」
ズブッ
「白奈、大丈夫だからね。すぐに白奈の中にある悪い虫を取って上げるからね」
ズブッ
「大丈夫、大丈夫だよ。これから白奈が生まれ変わっても、私は白奈のことを見つけてあげるからね」
ズブッ、ズブッ、ズブッ、ズブッ、ズブッ
「好きだよ白奈。愛してるよ白奈。誰よりも誰よりもずっとずっと白奈のことが大好きだよ。だから…………」
グシャッ
既に原型が留められていないタンパク質の塊に、彼女は返り血を浴びて真っ赤になった顔でにっこりと微笑む。
肉塊に口付けをして、彼女はそっと呟いた。
「また……来世で会おうね」
そして彼女は、自分の心臓に包丁を突き刺した。俺と同じように口から赤い液体が吐き出ると、遺体となった俺の身体に覆い被さるように倒れて、彼女の意識は暗闇の中へと誘われていった。
上も下も分からない真っ暗闇。その中に血文字で書かれた英文が何もない場所に浮かび上がる。
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―――GAME OVER―――
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