どっちつかずの男道
「その後三人はどうなったんですか?」
俺は部屋でニュースを見ている。チーコは料理雑誌。今日の晩御飯はパスタを作った。ホワイトソースにチキンと茄子を絡めたもの。
「なんか三人とも黙り込んじゃって。気まずかったから帰った」
まさかキンが校長の娘だったとは驚いた。道理で学校で自由にしていられるはずだ。もしかしてあいつが事件の犯人?
「それはないか」
夜のニュースでは繰り返し流惣の父親の顔が出る。もとからあのキャラのままテレビに出ていたので、結構人気があったのだ。成功者を紹介する番組からその人気に火がついて最近ではバラエティにも顔を出していた。そのため逮捕された今、マスコミは余計に騒ぐ。コメンテーターが容疑者の家族は、という言葉を出すたびに緊張が走る。今のところまだ流惣院家の母親には触れられていない。しかしそれも時間の問題だろう。
流惣に電話をかけるべきか、迷っていた。聞きたいことは山ほどあるし、励ましの言葉でも送ってあげたいが……。今送るべきなのか。そもそもそんな言葉を流惣は望んでいるのか。俺はさっきからずっと手に持っていた携帯電話を置いた。
俺は何を気にしているんだ?何におびえている?
わからなかった。チーコは俺の母親について話している。今度料理を作ってやれと。俺と母親はもっと仲良くすべきだと主張している。そうしたいのは山々だが、やろうとすると全てが悪い方向に流れるんだ。焦って、失敗して、落ち込む。無力感、怒り、それらが虫となって俺の体の中を這いまわる。この虫を沈めるために今まで俺はどれだけの物をあきらめていたと思っているんだ。
その時、携帯電話のアラームが鳴った。知らない電話番号が表示されている。流惣か、葵か、母か。俺は受話器のボタンを押した。通話中。スピーカーから聞こえてきたのは全く予想してなかった人物の声だった。
「もしもし?」
「もしもし、風呂井ですけど」
この無機質で冷たい声。間違いなく本人だろう。
「もしもし、聞こえてるかな?」
「そうだけど。何か用か。つうかなんで俺の電話番号知ってんだ」
電話を今すぐ切りたい衝動にかられるが我慢する。
「君と話したい。今から出てこられないかな」
「電話でいいだろ」
風呂井の喋り方はいつもどこか人を見下しているような空気がある。とりあえず俺を見下していることは間違いないだろう。
「電話じゃ話しにくい。僕は面と向かって話さないと言いたいことを正確に伝えられない」
わがままなやつめ。
「明日学校じゃ駄目なのか」
「話したいのは食べ物をぶちまけている犯人について。それから葵さんについてだ」
舌なめずりのような不快な沈黙。頬についている携帯電話が汗で湿ってきた。俺は右耳から左耳へと携帯電話をずらす。
「ちょうどジョギングでもしようと思ってたところだ」
「香椎駅のところに公園があるだろう?あそこで」
「わかった」
「9時に」
「9時だな」
俺は熱い湯でシャワーを浴び髪に櫛を入れた。ジーパンのベルトをきつめに閉め、黒いシャツを着る。
「どこかへ行くんですか」
「ちょっとな」
「なんだか怖い顔をしています。大丈夫ですか」
「問題ない」と言って俺は財布と携帯電話をバッグに入れた。鍵も持った。風呂井は何かを知っている。あいつは何を知っているんだ?
「ノリさん、こっちきてください」
「なんだ」
「顔近付けて」
「こうか?」
「もっとです」
「これぐらい?」
「もっと思い切って」
「なんだよ」
「いいから」
チーコがしきりにせき立ててくる。俺はテーブルに乗りかかるように顔を近づけた。
「これでどうだ」
「ちゅっ」
「…………」
「お、おまじないですよ!魔除けです。夜に出歩くと危ないですから!」
藪の中を歩いていた。駅の近くでは帰り際のサラリーマンたちが大量発生。そこから離れると鈴虫の声が聞こえ出す。生温い風が腕をなでる。タンクトップから出ている俺の腕は思っていたより細かった。こんなんじゃ喧嘩もできない。林を突っ切り、竹藪を経て公園の入口にきた。この公園はそんなに広くない。芝生と簡単な遊具があるだけだ。虫除けの紫の電灯の下に風呂井が立っていた。公園のど真ん中。制服のままだ。電灯のせいで顔の半分が赤黒く染まり太ったゾンビのようだ。
「よう、ずいぶん早いな。意外と近所に住んでいたのか?」
俺はすぐ横のブランコを揺らしながら話しかけた。お互いに距離を取っている。風呂井はそこから動こうとはしない。犬に引っ張られ腰の曲がったおばあさんが公園に入ってきた。電灯に集まる蛾が数を増やしていく。
「君、今日、昼休みどこにいた?」
「いきなりだな。あー、えーと……屋上だな」
遠くのほうでバイクの音。犬と老婆が花壇へ入っていく。俺は足もとの砂を掘っている。
「放課後は?靴は履き変えてなかったみたいだけど」
風呂井が数歩、こちらに近づいた。電灯が逆光となり表情は塗りつぶされる。カンカンカンカンカンカンカン、と羽虫が電灯にぶつかり続ける。太陽が昇るまで、虫の息は持つのだろうか。
「放課後も屋上だ。食い物をぶちまけてる犯人な、俺も探してるんだ。屋上で張ってれば見つかると思っていたんだが」
「なぜ?なぜ君が探している?何か恨みでも?」
間髪いれずに突っ込んでくる。ブランコの前の柵にもたれかかった風呂井も老婆を見ている。老婆が連れているのはチワワのような小さな犬だ。その犬がしゃがんだ。犬の足が痙攣している。老婆はみているだけ。彼女の手も震えている。
風呂井は俺を疑っているのだろうか。どちらにしろこのまま質問から逃げ続けていては結果的に俺が犯人だと伝えているようなものだ。俺は逆に質問を投げかけた。
「風呂井はなんで犯人を探してんだ?」
「探してなんかない。僕は忠告しにきただけ」
「忠告?」
「食べ物をばらまくの、あれ止めてくれる?みんな迷惑してるから」
鋭い眼光が俺を照らす。やはりこいつは俺を犯人だと思っている。公園には俺たちの他に誰もいなくなった。ここは冷静に説明するしかない。
「先に言っておくが俺は犯人じゃない。風呂井、お前だって屋上の女を見たはずだ。だいたい俺には理由がない」
風呂井は細い指を一本ずつ確認し、眼鏡をはずしてふっと息を吹き、汚れを払った。そして背筋を伸ばして本当にうんざりしたという調子で話し出す。
「あれはただあの時間に女子生徒がいたというだけだ。何も君が犯人じゃないという説明にはならないね」
「だが俺だという証拠もない」
「しかし理由はある。そもそも君はクラスの連中とほとんど疎遠な状況だし、聞いたところによると前の学校ではいじめられていたそうじゃない。劣等感さ。授業中はぼーっとしてるし、昼休みと放課後は姿を消す。お祈りは適当、君が何かひとり言を呟きながら暴れているのを見たと言う人もいる。君みたいなやつが爆弾作ったり、路上で人殺したりするんじゃないのって、みんな言ってるよ?」
今すぐこいつをぶん殴ってやりたくなる。が、それでは風呂井の思うつぼだ。俺は流惣の涼しい顔を思い出した。あんな表情が俺に出来れば。でも今の俺はきっと間違えて蟻を食ってしまったような顔をしているだろう。なるべく余裕をみせたいところだが。
「それだけで決めつけるってのか?たいしたもんだな」
「君がどう思おうがもうみんなは君だと思っている。そこが重要だ。そして僕がみんなを代表して君に忠告するということに決まった。これを聞かなかった場合はそれなりの罰が下る。上の学年には血気盛んな人たちも多いし」
「みんなの代表だと?笑わせるな。お前が勝手に代表のつもりになってるだけだろ」
口から出まかせだ、と俺は呟く。
「君は毎週日曜日に集会が行われているのを知っているよね」
「らしいな」
俺たちの学校には本物の神父やシスターがいるため、毎週校舎の後ろにある教会風の建物でミサが行われているのだ。もちろん強制ではない。風呂井がいつも聖書ばかり読んでいたので、おそらくあっちでは相当な優等生なのだろう。言われてみれば「ストイックな神学者」というようなオーラはある。
「君くらいのものだね。一度も参加していないのは」
「じゃあなにか。俺が疑われているのは俺が教会に行ってないせいか。笑えてくるぜ」
「もし一つの村があったとして、その村のある一人だけがだれとも会わず、歩み寄らず、勝手なまねをしていたらみんなどう思う。その村で事件が起きたらだれが犯人になるだろうか?」
「誰と付き合おうがどこに所属しようが、そんなもん個人の自由だろ!何世紀前の話だ。ガキじゃあるまいし」
「村には村のルールが、学校には学校のルールがある」
俺は風呂井をにらみつけた。その奥にいる全ての者をにらみつけた。振り払っても振り払っても顔面に小さな虫がくっついてくる。一匹口に入ってきた。叫び声を上げたい衝動を必死に抑える。これ以上こんな馬鹿なことに付き合っていられない。
「とにかくな、俺は犯人じゃない。それ以外に言いようがない。疑うなら勝手に疑え!どうせ後から犯人が出てきたって俺に対する謝罪なんてないんだろうからな。何かしてきたら俺のほうもそれなりの行動をするまでだ」
俺は風呂井に背を向けた。善良なクラスメイト達。その幻想が今打ち砕かれた。ギロチンを下すのは裁判官ではなく市民だ。キリストを殺したやつを思い出せ。
「まあ待ちたまえ。僕の言葉の真意を聞いてくれ」
「あ?」
風呂井はポケットに手を突っ込み悠然とこちらに近づいてきた。まるで教えを広める神父だ。その手が俺の肩に触れる。
「言っただろう。僕は君に忠告しに来ただけだと。クラスの総意を伝えることが僕の役目だから一応君が犯人だと伝えたけれど、僕自身は正直君が犯人だと思ってない」
「どういうことだ?」
「こういうこと。さっきまでの僕は、皆に忠告を頼まれていた公共的な僕だ。そして今から話すのは個人的な僕の助言」
「いらん」
「僕は暴力だとか集団による排除だとか嫌いなんだ。みんなに仲良くやってほしい。みんなが幸せならそれでいいんだ。僕は君を救いたいと思っている」
風呂井がぱっと手を広げた。天地が割れたりはしない。空を切るだけだ。こいつは自分に酔っているのか?
「救われたいもんだな。簡単だ。お前がみんなに説明してくれるだけでいい」
「証拠がないから無理。だからこういうのはどうだろう。これは個人的な助言だ。全部流惣院のせいにすればいい。実は彼じゃないかって噂も前からあったんだけどね。あいつはもう駄目だろう。学校も辞めるんじゃないかな?だから彼に命令されて仕方なくやったと言えばいいのさ。そして今後はちゃんとミサに来ること。そしたら僕たちはうまくやっていける。君だって、本当はもっと楽しく学校生活を送りたいだろう?」
風呂井は微笑していた。自信たっぷり。夜の公園の中でその目は燃えていた。どうだ?素晴らしいだろう!とその目が俺に訴えかける。俺は久しぶりに、憎悪という黒い血が全身を駆け巡るのを感じていた。心臓が早鐘のように鳴り、目の前の人間をひきずりまわしたくなる。風呂井はそんな俺を見て迷ってると思ったのか、さらに感情を込めた口調でこう言ってきた。
「流惣院君は君を友達なんて思ってない。彼は学校でも金に物をいわせていろいろやってたみたいだけど、調べてみればそれが彼自身のためだとわかる。彼はきっと信仰が欲しいんだよ。僕にはわかる。自分を崇めてくれる存在が。金持ちが欲しがるのは古今東西昔から信仰と永遠の命だ。けど、それを許されるのは神だけだ」
「何も知らないくせにほざくな。ちょっと仲間と情報が多くて気取ってるようだけどな、そんなもんがいつまでも通用すると思うなよ!俺はなぁ……」
「知らないことはない。僕は君たちのことはよく知ってる。相談を受けていたからね」
「また口から出まかせを」
彼はフフンと鼻を鳴らした。
「最近あまり会ってなかったろう?」
「……葵……か?」
「彼女を責めてはいけない。彼女は君たちのことをなんとかしてあげたかっただけ」
「何を話した?」
「迷える子羊を、石の汗をかいた人間を救ってください、と」
「ふざけやがって……!」
動揺した俺の口からはそんな言葉しか出なかった。
「じゃあ、気が変わったら今週のミサに来るといい。土曜日だ。そのチャンスを逃したら終わり。さよなら。君がもっと世界を、自分を知らんことを、アーメン」
「くそが!」
俺はリビングで暴れていた。足で壁を蹴りゴミをそこらじゅうに投げた。。知らぬ間に犯人扱いされて、それ以前からも腫れもの扱いされていたとは。
「ノリさん、落ち着いてください」
「葵のやつ、余計なこと言いやがって」
「葵さんをせめてはいけません」
「全部あいつのせいだ」
近くでヒューン、ヒューンとロケット花火の音がする。警察は何をしてる?窓を閉め切った。熱さで汗がにじみ出てくる。エアコンはどこだ!
「その、風呂井という人が言っていたこと」
「あ?」
「ノリさんは少し思い込みが強すぎです。お母さんのことにしてもそうです」
「あいつは子供のことを何一つ考えない最悪な女だ」
「そんなことありません」
「お前が何を知ってるんだ!」
「知ってます!」
「知るわけないだろ!」
「もっとちゃんと過去のことを思い出してください。現実を見るんです」
「現実を見たらハンバーグがしゃべるわけが無いだろ。もういい。お前とはしゃべりたくない!」
俺はチーコをリビングにおいて部屋に戻った。どいつもこいつも何もわかっていない。俺の苦しみ、過去、理解してくれなくていい。ただそっとしておいてほしいだけだ。
翌朝、外は雨。リビングに下りてみるとチーコはいなくなっていた。皿の上に肉汁とケチャップの残骸だけがあった。母が食べたんだろう。ちょうどいい。一人になりたかったところだ。また作ればどうせ戻ってくる。
校には行きたくなかったが、休んだら俺が犯人といっているようなものだ。行くしかない。制服がやたらと重く感じる。泥でもつまっているのではないかと思いポケットをひっくり返してみた。小銭しか出てこない。ああ、うざったい雨だ。
教室のドアを開けると、熱い視線。いいだろう。なんとでもおもいやがれ。もともとお前らに興味はない。
俺は背筋を伸ばし、いつも通り席に着いた。徐々に視線は散った。俺の気にしすぎかとも思った。だが、このように疑心暗鬼に陥らせること自体が奴らの目的なのかもしれない。まあいい。いずれにせよ俺が気にしなければいいだけの話だ。嫌がらせだって、こちらが相手にしなければ成立しないのだ。決定権はまだこちらにある。
一時間目が終わり、休憩時間になったところで葵のクラスの前を通りかかってみた。流惣のことも気になったし、葵と話したかった。ちらと見ると葵は女子と話しをしていた。大きな目をぱちくりさせて、楽しそうにうなずいたり首を傾げたりしえいる。何の関係もない男子数人が俺に気がついた。眉間にしわを寄せ、敵意、とまではいかないまでも好意的ではない雰囲気を醸し出していた。俺はちょっと通りかかっただけですよ、という体を装ってまわれ右をした。既に何かが変わっているらしい。決定的な何かが。
その日一日で、俺は自分の考えの甘さに気がついた。今まで、集団の中にいることが苦痛だと考えていたが、そんなことは無い。今までは一応場所は空けてくれていたのだ。無関心というのは優しさだったのだとわかった。今回はそれが無い。集団からの拒絶は無関心の百倍きつい。拒絶を知らなかったわけではない。小学校の時、ひどいいじめに遭った。だが、その時の苦痛はほとんど思い出せない。怒りや憎しみはあるが、あの時どのようにして俺がやり過ごしたのか思い出せなかった。あの時より状況は楽なはずなのに!わかったのだ。自分がどれほど弱くなっているのか。
昼休み、俺は一人爆音で音楽を聴いていた。普段はあまり聞かないパンクロック。
「ふざけんじゃねえ!みにくい羊ども!集団で俺をとり囲む。うぉぉぉぉぉ!」
とボーカルが叫ぶ。同意だ。一人じゃ何もできないくそったれどもじゃないか!やってやる!くるならこいやあ!テンションの上がった俺は葵のクラスへ突入することにした。一言文句を言わねば気がすまない。それで終わりにしてやる。俺はちょっと手で髪を逆立てた。瞼に力を入れながら歩き教室を出る。一組が見えた。何が特進クラスだ!教育の平等を俺は叫ぶ!その時、教室に入ろうとした俺に気がついた一組の男子が入り口をふさいだ。野球部二人、ラグビー部が三人。
「なに?他クラスのやつがなんか用事?」
「勝手に入るなよ」
全力で入室を阻止されている。まるで犯罪者扱いだ。葵がこちらに気がついた。スカートが揺れ細い足が見える。俺を見てはっとした顔。立ち上がった葵を、隣にいた女の子が制した。
「ちょっと福永を呼んでほしいんだが?」
俺がそう言うと、三人のうちの一人が葵のほうへ歩いて行った。何か囁いている。残った目の前のやつらはめんどうくさそうに俺をの行く手を阻んでいる。
「あっちは話すことないって」
戻ってきた男がそう言った。通り道の石ころでも投げるような言い方。
「俺はある」
「知らないよ」
「とにかく通せ」
「だめだ」
「いいだろ」
「やめとけよ。嫌がってる」
「お前の顔にな」
「やんのか?」
髪の短い肌の荒れた男が俺の腕をつかんだ。
「おい、入っちゃいけない決まりでもあるのか?ソースを出せソースを」
「あ?」
「あ?」
額を近づけにらみ合う。身長は同程度。目をそらさなければ押し切れるかもしれない。と思った時、教室からもう一人大きな男が出てきた。空手部の、学年で一番強いと言われているやつだ。
「他クラスのやつがなにやってんだ」
「ちょっと話があるだけだ」
ドン!と肩に衝撃が走り、俺は尻もちをついた。一瞬何が起こったかわからない。
「お前ストーカー?気持ち悪っ!」
はっはっは、と周りの連中が笑う。どうやら突き飛ばされたらしい。俺はゆっくり立ち上がり服についたほこりを払った。そして目の前の男を少し睨み、踵を返して自分の教室に戻った。
せめてクロ子がいてくれればと思う。しかし彼女からのメッセージは何もない。キンもいない。誰もいない。そんな日が続いた。昼休みは図書館で時間をつぶした。もうほいほいと屋上には上れないし、他に行くところもない。というより行けないのだ。教室では常に変な視線にさらされるし、外は熱い。俺は一人だった。本当の一人だ。
耐えられなくなった俺は家に帰りハンバーグを作ることにした。高級ひき肉を使った最上級のハンバーグだ。肉の焼けるにおいに涎が出た。思い返してみれば最近は食欲もなかった。
完成したハンバーグを皿に移す。透明な油とケチャップが混ざる。オニオンの香りが部屋に広がる。
「チーコ、俺が悪かった。もうやめようぜ」
湯気が消えてゆく。チーコは戻ってこない。
「悪かったって。許してくれよ」
「……なあ」
「……どうしたんだよ」
「……いないのか?」
すっかり冷めてしまったハンバーグを冷蔵庫に入れた。もうやめだと思った。全ては終わったんだ。クロ子との約束も終わりか?全部終わったのか?何事もなかったかのように。携帯電話に謎のメールが来た。明日ミサがあるらしい。ちょっとした祭りのようで、出店や出しものもあるらしい。そういえばミサへ行く時は制服なのか、私服なのか。持ち物は何がいるのか。俺は何も知らない。聞けるような友人もいない。自分の現実というものを思い知った。打ちのめされた。丸裸だ。流惣や葵やチーコが俺の世界を構築している全てだった。それを失った今、俺ができることは何だ?
俺は携帯電話の着信履歴を開いた。電話の発信音が、新たな世界の始まりを知らせる。