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気になるキッスは雪印 アルカリ♪

しばらくして担任が入ってきた。四十半ばの気の弱そうな髪の薄い国語の教師。

 担任は少し困ったように体育教師と同じようなことを言った。声を多少荒げていたが違和感があった。彼はもっと平和な場所で働くべきだ。私立の図書館とか、下水処理施設とか。俺はすごく反省してます、という体でじっと座っていた。担任が一息ついた隙にいいわけをしてみる。

「先生、授業をさぼったことはすごく反省しています。でも屋上のは違います。女子生徒がフェンスを上っていて、ヤバいと思ったんですよ。飛びおりそうだったから!それで急いで屋上へいったんですけど、いなくて……谷山先生は僕がやったと思ってるみたいですけど……」

 嘘とほんとを混ぜながら説明する。上手に演技していることに多少自己嫌悪しながら。

「ん~。そうだなあ、そこはわかるぞ。お前はそういうことをするやつじゃないっていうのはな~。谷山先生はちょっと真面目すぎて思い込みが激しいからな」

 担任はどうやらわかってくれたらしい。というより面倒だから早く終わらせたいのだろう。俺も担任もお互いにそれはわかっていると思う。生徒と教師の共犯関係がここに成立している。

「それに、三年生の先生が女子生徒がいるのを見たそうだ」

それはほんとですか、と返答しながら肩の力が抜けるのを感じた。

「ああ、だからそこは心配するな。だが、授業をさぼったことに関しては……」

 その後の言葉はほとんど記憶にない。

 人を疑っといて謝罪もなしかよ谷山クソ野郎が、いい身分だな、という呪詛だけを念じているうちに担任の話は終わったらしかった。

「反省文は三枚でいいから、先生の机の上に置いとけ。かけなかったら明日でも……いや」

 担任は眉間にしわを寄せ、背中を丸めて何か考えている。

「どうしました?」

「いや、やっぱり今日中かな」

 担任と谷山にもいろいろあるのだろう。悩んでいる様子からそれが分かった。

「じゃあ、ここで書いてから授業行っていいですか」

「おいおいそれは……」

「二時間も無実の罪で怒られてきついですよ。途中から教室に入るのも嫌だし」

 頭を抱えながら弱ったフリをしてみる。担任は時計を見ながら

「もう六限目の半ばか。わかった。隣の視聴覚室で書いてていい。でもホームルームには戻ってこいよ」

 と言って部屋を出ていった。誰もいなくなった部屋は午前の病院のような穏やかさがあった。他の生徒が今面白くもない授業を受けていて自分だけがそこから乖離している。その中でクロ子がなぜ一言もしゃべらなかったのか、なぜ自分がこんなことになっているのか考えた。わからない。机の上に無造作におかれた作文用紙を二枚つまみ部屋を出た。そういえば筆記用具を持っていない。これでは何も書けない。


 視聴覚室に入るといきなり机の上にババーン!と立っている女子生徒が目に飛び込んできた。少し赤い髪。小さな身長。くりくりとした大きな瞳は俺を捕捉するやいなや、カメラのズームのようにグイーンと広がり、大きな口をニンマリさせたかと思うと両手を広げ、机の上から「とうっ!」と飛び降りた。

 短めのスカートが舞い上がり、触ったらシルクよりすべすべであろう太ももとさらにその上までが露わになる。少女は俺の目の前で片膝を立てたポーズで着地した。髪の毛がふわっと鼻先に触れお香のような微かなにおいがした。少女は顔を上げキリッっとこちらを向く。

どうだ!と言わんばかりの顔。マイブレインは二秒ほどフリーズ。その後、とりあえず拍手。少女はどうもどうもと頭を下げながらお辞儀を一つ。

「今の、なかなかよかった?」

彼女はクルクル回りながら話す。俺はわけがわからないままその回転を眺めている。赤い髪は脱色でもしたのだろうか。校則違反だ。彼女の動きに合わせて、赤いポニーテールが泳ぐ泳ぐ。

「あたしキン。ねえ、なんでさっきあんなに怒られてたの?今村サン」

「なんで俺の名前を」

「あんな大きい声でイマムラァ~ってずっと叫ばれてたら誰でもわかるよね~」

 少女は首を曲げながら目を線にして笑う。一瞬足りともじっとしていない。全身から絶え間なくエネルギーを発散しているようだ。

「君は、ここで何をしてるんだ?」

「ねえ、谷山になんであんなに怒られてたの?」

 彼女は人の話を聞かないらしい。こちらが答えないでいるとねえねえねえねえ、と迫ってくる。

「悪いが俺は反省文を書かなきゃならん。話はその後だ」

 とりあえずこの変わり者は無視して席についた。すぐに書くものが無いことを思い出す。

「なにうろうろしてるの~?もしかして今村サンもうろうろ病?あたしも一緒にうろうろしていい?」

「なにか書くもの探してるだけだ。おい、ついてくるな」

 彼女はアヒルの子供が親にくっつくようについてくる。机の中をのぞけば彼女ものぞく。引き出しを開ければ彼女も開ける。とても楽しそうだ。制服のマークから一年生だとわかるが、彼女はここで何をしているのだろう。

「う~ろ~う~ろ~びょ~ん」

「……お前……授業とかはないのか?」

「ないよ。ていうかあたしが出てないだけだけど」

「出ろよ」

「あたしは自由が好きなのです!」

 ぐっと前傾姿勢をとりながら答える。彼女は常に動いていないと気が済まないのだろうか。

「なんで怒られてたんですかー」

 突然口調が棒読みの敬語になる。

「授業サボってたからでーす」

 ペンが見つからずどうでもよくなってきたので適当にノリを合わせる。

「なんでサボったんですか」

「授業つまんないからでーす」

「どこでサボってたんですか」

「屋上でーす」

「なんで屋上なんですか」

「女の子がいたからでーす」

「女の子が好きなんですか」

「僕はホモじゃありません」

「彼女いるんですか」

「いません」

「だろうと思いました」

「お前、ぜったい馬鹿にしてるだろ!」

 ドタバタ追いかけっこが始まる。教室を三週したところで疲れて立ち止まる。

「あれ、もう終わり?」

「疲れた。もういい。教室に帰る」

「え~。じゃあ、しょうがないな~。はいこれ」

 彼女はポケットから三色が一つになったボールペンを取り出した。

「あったのか」

「あったよん。そっちが聞かなかっただけで、こっちは貸す気満々だったし」

 どうも、と礼を言い、とりあえず作文用紙にインクを散らす。自分の感情と正反対のことをベラベラと、なんの痛みもなく。

「えーと、なになに?ぼくはこんかいのこうどうをとてもはんせい」

「読むなよ!」

 思わず手で隠す。

「これ本気で書いてるの?」

「んなわけねーだろ。一応反省文だからそれらしくしてるだけ」

「思ってることはちゃんと伝えるべきだー」

「伝わる相手ならな。谷山がこっちの話を聞くわけがない」

「だからあたしにもペン持ってるか聞かなかった?」

彼女の動きが止まる。そういうわけじゃない、と説明するが彼女は聞かずに言葉を続ける。

「よくないと思うなーそういうの。もっと本気で行こうよ。祭り起こそうよ。どうせ人間はわかり合えないんだ、みたいな発想はさあ、つまんないじゃん」

 突然後輩に説教されて少し頭に血が上る。言いたいことはあるが、いきなりいい合いをするつもりもないので穏便に済ませようとする。

「はいすいませんでした」

「現状から逃げだすためだけの謝罪でましたー」

 彼女は何かに苛立ってきているみたいだ。リトマス紙の色が変わっていくようにその様子がはっきりわかった。こちらを挑発するような目を向けている。

「お前なあ、自由なのは良いが、好き勝手なことばっかいってると友達なくすぞ」

 うっ、と彼女の動きが止まる。それをごまかすように舌を出して俺に中指を立てる。

「へへーん。うるさいやい!ばーかばーか」

 そんな台詞を吐き、走ってどこかへ行ってしまった。一体なんだったんだ。最近あまりにもおかしなことが続き過ぎている。ほとんど理解不能だ。ハンバーグ、女の子。何が起きているんだ。少女が貸してくれたままのペンを眺めながら思う。頼むから、俺に何も望まないでくれ。俺には何もできない。なにもわからない。


やっとの思いで自宅近くのバス停に着いた頃には、辺りはもうすっかり真っ暗で、世界の果てに紫色の空が少し残っているだけだった。バスから降りると共に疲労も下りてくる。制服のボタンをはずした。歩くたび体の水分が絞りとられていく。ほとんど真夏のそれと同じだ。むっとする空気とともに、「キリキリキリ」と、ひぐらしの鳴き声が聞こえている。コンビニを二つ通り過ぎる。自宅の前、数メートル先の電柱に人影が見えた。スカートの形から女だなとわかったが気にも留めなかった。とにかく家に帰りたい。シャワーを浴びたい。俺は全てを忘れたいんだ。

「あ、ノリ君」

人影がこちらに近づいてくる。声で誰だかわかった。うんざりした。俺の名前を呼ぶ奴なんてほとんど限られている。葵だ。

「お前、なんでここにいるんだよ」

「おかえり。今日、誰もいないんでしょ?」

だからなんなんだ。なにしにきた。そう言いたかったが、口に出すにはあまりにも疲れ切っていた。昨日からの寝不足に加えて、またもや怪奇現象、説教、女、そしてこいつ。もはやもはやだれとも話したくなかったし、相手にしたくなかった。一人になりたかった。外界との接触を絶ちたかった。ベッドにごろんとしたかった。

「親は多分いませんが、それが何か」投げやりに言う。

「ご飯、作ってあげようと思って!」

見れば、彼女はスーパーの袋を両手で重そうに提げている。恰好は制服姿のまま。顔の半分は優しいほほ笑み。もう半分は影。馬鹿かこいつは?なんのつもりだ。

「疲れてるんだ。飯ぐらい一人でどうにかできるから。大丈夫」

「でも……」

「いや、マジで結構。どうもありがとう。また明日」

彼女を無視してガシャガシャ鍵を出してドアを開けた。玄関は真っ暗だ。俺は一切何者も気に掛けずドアを閉め、リビングの明かりをつけた。テーブルの上に捨てたように汚い千円札が二枚置いてあった。冷蔵庫を開けるとびっくりするほど空っぽだった。オーマイガァ!牛乳さえなかった。調味料と氷しかなかった。神は我を見捨てた。ソファーにバックを投げつけ、千円札をポケットに入れ玄関を出る。

「あ」

「えっ?」

葵がまだそこにいた。なにやらおどおどしている。

「ご、ごめんね、今帰るから。あはははは」

「なんか飲み物持ってないか」

 ほとんど無意識に出た言葉だった。もちろん喉は乾いていたが、言うつもりはなかった。まるで自分の言葉じゃない気がして少し戸惑う。

「え、あ、飲み物?ええと、ポカリでよければ」

葵はバックの中をがさごそやり始めた。やたら時間がかかる。足元を見るとさっきのビニール袋があった。玉ねぎの上の部分が袋をつき破って半分出ていた。さらに持つところのビニールもちぎれてしまっている。重いなら二つに分ければいいのに。これでは運べないだろう。どうするつもりなんだ。俺は天を仰いだ。ここから彼女の家までは結構な距離がある。

あった!と鞄の中身を全部道路に出してしまった葵が元気に言った。

「あ、でもこれ私ちょっと飲んじゃったんだけど……」

俺は500ミリのペットボトルをひったくって一気に飲んだ。葵は顔をそらしている。糖分が全身にいきわたり少し気分が良くなる。

「じゃ、じゃあねノリ君。私はちょっとここで涼んでから、帰ろうかなー、なんて思ってただけだから」

俺は少し近づいてみた。なんだか困ったような、だけどそれを隠すような笑顔をしている。もう一度ビニール袋を見る。これではどうにもならないだろう。

「冷蔵庫がさあ」

「えっ?」

「冷蔵庫の中身がさあ、何もねえんだよ。調味料しかねえ。なんか買っとけって話だよな。ふざけやがって」

葵は何の話かわからないようでポカンとしていたが、やがてはっとひらめいたように口を開いた。

「お金あるの?」

「200円くらいしかない」

葵がふっと吹き出した。

「もう、全然だめじゃん!どうすんのよ。だからあたしが作ってあげるって。遠慮しないでいいんだから」

「じゃあお願いしますか」

「まかせといて。あ、袋穴開いてる」

「マジかよ」

「家に袋かなにかある?」

「ちょっと持ってくるわ」

俺はそう言って台所からでかいビニール袋を持ってきて、二人で食材を移した。実際それは異常な量だった。こいつはいつも量がおかしい。一体どんな豪華フルコースをつくるつもりだったのか。結局もう一枚ビニール袋を持ってくる羽目になった。さすがに白ワインまで出てきたときは閉口した。

葵がキッチンに立つ。非常に新鮮な光景だ。

「あ、上で休んでていいよ。ってあたしがいうのも変だけど」

「いやいや」

「寝不足なんでしょ?」

「俺、疲れた顔してるか?」

「かなりやばい。何かにとりつかれてるみたい」

「じゃあ、なんかあったら呼んでくれ」

頭がぼんやりしていたので余計なことは考えず後は任せることにした。

二階に上がって重たい学生服を脱ぐ。下から野菜を切る音が聞こえる。珍しいことだ。何かを思い出しそうになるがベッドの上に倒れこむ。下がってくる瞼をもみほぐした。顔を手のひらでごしごしこする。全身からどろどろした砂が噴き出してきて肩が重かった。一階の様子が気になる。


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