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アチキは純粋黒産黒毛和牛

俺の通っている学校はこの町にはない。バスを使って30分以上かかる別の町の私立中学だ。山の中にあるので、つくまでに15分ほど登山をしなければならない。

「おはよう、ノリ!」

 バス停に着いたところで、後ろから声をかけられた。

「どうしたの?なーんか気分悪そうだけど、風邪?」

ひょこっと横から顔を覗き込んできたのは同じ学校に通う福永葵だ。

「ちょっと、無視はないんじゃないの無視は?」

 整った瓜実顔に、絡まる心配がまずないサラサラのショートヘア。少し目じりの下がった大きな瞳は、小動物のような愛らしさを備えている。袖から出る二の腕も、スカートからのぞく足も、朝露に濡れたトマトのように艶やかだ。

 俺は適当に返事をしてバスを待つ人々の列に加わった。雲ひとつなく、奥行きが感じられないCGみたいな空だ。葵も後ろに並ぶ。彼女は俺が朝ものすごく不機嫌なことを知っている。

 いつものようにイヤフォンを取り出し、右耳にパッドをねじ込んでいた時、ドタドタと巨大な物体が信号を渡ってくるのが見えた。

ダルマみたいな体系の中年女三人。どれも樽のような体形をしており顔に無駄な贅肉が張り付いている。服は「この体形に合うのはこれしかなかった」というような代物だ。彼女たちは、俺たちが綺麗に二列並んでいたところにもう一列作った。誰も文句は言わない。女たちは我が物顔だ。一人は納豆巻きをバッグから取り出しぐちゃぐちゃ貪り始めた。葵が毛虫を見るような眼でその様子を見ている。

三人は、バスが来た途端、ぴたりとしゃべるのをやめ、先に並んでいた人たちを無視し、戦場から帰ってきた兵士のような足取りでバスへ入り席を確保した。そしてまたしゃべりかつ貪る。俺たちが乗るころには席は開いていなかった。しかたなく手すりによりかかり、前にいるOLの細い脚を眺める。

少しして、つえを持った老人が乗り込んできた。足取りがおぼつかず、つえを床に固定できずガチガチいわせている。誰も席を譲らない。何人かがちらちらさっきのデブの女たちを見る。なにしろ彼女たちは、五人ほど座れそうな席を三人で占領しているのだ。もちろんそんな空気はおかまいなしにしゃべり続けている。誰かの悪口を言っているらしい。老人は無表情だ。助けてほしいのか、どうなのかよくわからない。俺は自分から助けを求めないやつには何もしなくていいと思っている。しかし葵はその様子を見て中年女たちのほうへ歩く。目に攻撃的な色が宿っている。俺は葵の腕をつかんだ。

「なに?」

葵の決意のこもったまなざしが飛んでくる。

「まあ待てよ」

無音のイヤフォンをはずし、バスの中をざっと見渡す。

俺はちかくにいた一番気の弱そうなサラリーマンのところへいき、無理やり笑顔を作りながら、あのおじいさんに席を譲ってあげてくれませんかと頼んだ。サラリーマンは一瞬目を見開いた後、んああ、と気のない返事をして席を立った。葵が老人を誘導する。彼は無言で空いた席に座った。葵がサラリーマンに礼をいう。彼はどうしたらいいかわからないという顔でまた、んああ、と返事をした。バスが動き出す。俺たちがバスを降りるまでの丸三〇分間、女たちの話は止まず、老人の口からなにか言葉が出ることもなかった。


 静かな田舎町の一角で降りた。舗装された道路の横には畑や、空き地が広がっている。どの家も瓦屋根で庭がとても広い。辺りにはマンションもコンビニもない。ただ近いうちに大型のショッピングモールができるらしい。そうなればこの景色も多少は変わるだろう。 

ガムを噛みながら黙々と前方の山へ向かって歩く。たまに自転車に乗った生徒が風を切って俺を追い越していく。登校ルートにほとんど人がいないのは、多くの生徒が学校指定の寮に泊まっているからだ。わざわざ自宅から来るものはごく少数。

「ねえ、そろそろ音楽聞くのやめたほうがいいんじゃない?見つかっちゃうよ?」

 道路の横が畑から、鬱蒼とした木々に変わったあたりで葵が言った。俺は音の鳴ってないイヤフォンをバッグにしまった。葵がタイミングを計っていたかのように横に並んでくる。

「さっき、なんで止めたのよ」

「ああ?俺がさっきからずっと息止めしてたの、気づいてた?」

「ちがうよ。てかなんでそんなことしてるの!バスの中のこと」

 気づいていたことだが葵はどうやらさっきの行動が不満らしい。

「忘れた」

 知らない、めんどくさい、どうでもいい。朝の俺の脳内はこの三つの言葉しか浮かばない。

「あのおばさんたち見えてなかったの?すごい迷惑だったじゃん。あたしたちが並んでた時も割り込んでさー」

「そうですねー」と俺が流すと葵は黙り込んでしまった。

「あそこで注意しないとあの人たちまた同じこと繰り返すんだよ?」

「かもな」

「いや、あたしの代わりに言ってくれたことは嬉しかったよ。ていうかべつにノリを責めたいわけじゃなくて……ノリは悪くないのに……ごめん」

 俺は足取りを速める。言いたいことがあるならいってくれればいいのに。なんで遠慮するんだ。何を気にしている。余計な気を使ってしまうじゃないか。彼女といるとなんだか心がざわざわしてしまう時がある。


 学校が見え始めると、歩いている生徒の数も多くなった。黒い制服は遠くから見ると蟻に見える。俺たちは校舎という巣を目指す蟻だ。その細い列を突き崩すかのように一台の車が横道から猛スピードで突っ込んでくる。

 生徒たちの悲鳴、タイヤを削るドリフト、車は俺たちの前でとまる。

「やあ、おはよう。今日も仲良く登校かい?」

さわやかな笑顔で高級車から降りてきたのは同じクラスの流惣院哲也だ。あぶねーだろ、と文句を言っていた生徒も、彼を見て口をつむぐ。

「お前、たまには自分の足で登校しようっていう気を起こせよ」

「朝から汗をかきたくないんで」

「まだ6月じゃねえか」

「僕の家は遠いから」

 流惣は長めの前髪をかきあげた。そよかぜでも起きそうな颯爽とした動きだ。顔つきは精悍。だが、どこか温室育ちのふにゃっとした気配がある。しかし、時折見せる目の鋭さはヤバい。人でも殺しそうな目と言われている。だが普段の性格は穏やかだ。流惣院という名前は長いので俺はルソーと呼んでいる。

「おい、邪魔でしょうがねえぞこれ」

俺は黒塗りの高級車のボンネットをガンガン叩いた。

「ちょっと、人の家の車叩いちゃだめだよ」

葵が俺の手を押さえる。俺はそのやわらかい手を払った。

「あ、ごめん……」

流惣が運転手に向かって手を挙げると、車は周りの生徒を轢き殺さんばかりのスピードで走り去っていった。

「2人とも行こう、チャイムが鳴ってしまう」

俺は流惣と並んで校舎に入った。いつもと変わらない朝。安心の日常だ。


「おう今村」

「よっす」

「ういっす」

「おは」

 クラスメイトと挨拶をかわし自分の席に座る。この後は本を読む、授業を受ける、飯を食う、本を読む、そして帰宅。毎日だいたいこの繰り返し。静かにページをめくるように日々は過ぎていく。だが今日はどうにも文字が頭の中に入ってこなかったし、周りの生徒の会話が気になった。俺の頭と胃袋の隅にあるもの。

授業中、教師は英語の文法を熱心に解説するが、俺は昨日のあれはなんだったのだろうと考えてしまう。夢か、幻覚か。何故俺の前に現れたのか。

「皆さんこんにちは。お昼の時間です。今日は、詩篇第二十三編を読みます。皆さんも一緒に読みましょう」

あっという間に昼になってしまった。ミッション系のこの私立学校では、朝昼夕とこのような祈りの時間が設けられている。この中にガチガチのクリスチャンはあまりいないと思われるし自分もキリスト教徒ではないが、決まりなので従う。

「主は私の羊飼い」

「主は私の羊飼い」

「私は、乏しいことがありません」

「私は、乏しいことがありません」

「主は私を緑の牧場に伏させ」

「主は私を緑の牧場に伏させ」

「いこいの水のほとりに伴われます」

「いこいの水のほとりに伴われます」

祈りながらうっすら目を開けてみる。みんなしっかり目をつぶり胸の前で手を合わせている。俺はこの光景を見るのが好きだ。まじめな奴も、ガタイのいいちょっと生意気なやつも、普段やたら暗い女も、みなが神妙な顔で手を合わせ、聖書の一節を口ずさんでいるのだ。一年生のころはほとんどのやつが薄目を開けてそわそわしていたが、今ではすっかりおとなしい。ある種の神聖ささえ感じる時がある。その時、俺と間逆の廊下側に座っている生徒と目が合ってしまった。

鋭い眼鏡の男、風呂井だ。このクラスの委員長にして熱心なキリスト教徒で、教師たちの信頼は厚い。俺はあわてて目を閉じた。

「それでは主に感謝しながらお食事をいただきましょう。アーメン」

「アーメン」

放送が終わって、静けさは去った。ガラガラとイスを立つ音が聞こえ、おしゃべりが始まる。食堂へ向かう生徒たちの足音が聞こえた。俺もはやく昼食を買いに行こうと思い眼を開けた。が、あまり見たくない光景が飛び込んできた。

「今村君」

 風呂井が目の前に立っていた。

「なんでしょう」

「少し話したいことがあるんだ。君はいっつも祈る時に目を開けているよね。どうしてだね」

 周りの生徒が何が始まるんだとばかりにこっちを見ている。風呂井は一応笑顔を作っている。とりあえず敵意はないという証拠か、それとも人を油断させるためか。

「いや、今日はたまたま、虫が飛んで来たんだよ」

「見る限り今日だけではないような気がするが……まあ理由があったならそれでいい。悩み事があったら何でも言いたまえ」

「悩み事?」

「みたところ君はあまり人と触れ合わないようだからね。そういう人は教会に行くのがいいんだが、どうやら神を信じてるというわけでもなさそうだ。そうするといろいろ抱え込んでしまうだろう。それを心配しているんだ」

 まるで神父だなと思った。友好的で慈悲深い。だがその奥に何が隠されているのか。俺の予想ではあまりいいものじゃない。

「今のところ特に問題はないぜ?」

「そうか。ならよかった。ただこれだけは覚えておいてくれ。誰もが主の顔を見る権利を持っているんだ。どんな人間でも、灼熱の太陽の下で汗をかき盲目の……」

「やあやあ、お二人さん。お、風呂井君、久しぶりだねえ!一緒にお昼どうだい?」

 流惣が邪悪な笑顔でやってきて風呂井の肩にいやらしく手を回す。風呂井がびっくりして振り返る。片方の手にはパンがどっさり入った袋。

「い、いや、僕は遠慮しておく」

 流惣の手をすばやく打ち払い風呂井は立ち去ってしまった。ニヤリと笑いながら流惣が俺の机にパンを広げる。

「あいつお前のことホモと思ってんじゃねーの?」

 流惣にイスを渡しながら言う。

「まあそう思ってくれたほうがありがたい。彼の説教を聞くのはなかなか辛いからねえ。あ、イスもう一ついいかな」

「おい、チーズパンがねえぞ!」

「今日は売り切れだったんだよ」

「ちゃんと探したのか?あ、イスそっちの使え」

文句が多いな君は、と言いながら流惣がもう一つイスをセットする。

「ていうかなんでイス二つもいるんだよ」

「そういえば新メニューがあったよ」

「新メニューが美味かったためしがねえだろ、この学校は」

「今回は期待していいと思うよ」

そう言いながら流惣は見慣れないパンをヒョイと一つ寄こした。

「ん?ハンバーガーか?」

「それはね……」

「あ、それ、ハンバーグバーガー!」

夏の青空に広がる飛行機雲みたいな清涼感のある声が響いた。

「葵さん、こっちにイスあるよ」

「あ、ごめんね。おっとと、ありがと」

「おい」

 俺は流惣をジロリと睨んだ。

「いいじゃないか、花があって」

「おじゃましまーす」そう言って葵が加わった。流惣がわざわざ俺にパンを買ってきた理由が分かったような気がした。

一年生の時はだいたい流惣と二人で食べていたのだが、二年生になり、葵が流惣と知りあってからよく三人で一緒に食べるようになった。俺はあまりいい気分じゃない。周りの、なんだあいつ女と弁当なんか食いやがって、という視線をどうしても感じ取ってしまうのだ。流惣はそれを知っているのだろう。だから申し訳ないという気持ちで奢ってくれているのかもしれない。でも実はそれは考えすぎで、ただ流惣の金が余っているだけなのかもしれないし、気まぐれかもしれないし、俺をからかってるだけなのかもしれない。流惣はけっこうわけのわからないやつなのだ。これだから金持ちは。

「葵さんのお弁当は相変わらず美味しそうだね」

「よかったらどうぞ」

葵が流惣に弁当を差し出した。弁当は二段重ねになっていて美しく盛り付けられている。流惣はちらっとこちらを見て弁当に箸を伸ばす。

「わお。これはおいしい!」

「じゃあおまえんちのシェフとして雇えよ」

 なんとなく流惣につっかかってみる。

「いや、私まだ習ったばっかりだからそんな……」

「いや、雇ってもいいレベルだよ。本当においしいから」

「俺も職に困ったらお前に雇ってもらおうかな」

「君が料理をする姿は想像できないな。作れたとしてもこんなにきれいにはならなそうだけど。ていうか作れるの?なんならうちのシェフを君につけて教育するって手も……」

「男が料理なんて、やっぱだせーよな!」

「時代遅れだなー、君は」

葵がふふっと笑った。ほっぺの筋肉が盛り上がる。それを見て、まあいいか、という気分になる。

「ノリも……食べる?」

葵がおずおずと弁当を差し出してきた。卵焼き、豚カツ、ベーコンの野菜巻きと。一人で食べるにしてはやたらと豪華な弁当だ。手がつけられてない下の段の盛り付けはさながら点描画だ。

「いや俺はこの新メニューを……ってなんだこれは!」

 俺は新メニューを手のひらから落としそうになる。

「それ、ハンバーグバーガーだってば」

 葵が弁当を引っ込めて言った。

「いや、そうじゃなくて。これ、色おかしいだろ。しかも何この埋め込まれた眼みたいなやつ」

 パンを包んでいた袋をはがしてみれば、出てきたのは前衛芸術のような配色のパンだった。生地は沼のような緑色。中身は蛍光色のようなピンクの液体。表面には蜘蛛の眼球のようなものがちりばめられている。

「売店の主人はこれを考えるのに3年かかったんだって。それ目じゃなくってソースを固めたやつ」

 どう考えても食欲を殺ぐために作られた新手のダイエット食品としか思えない。見かけが最悪すぎる。模様の意味が分からない。

「売店の人は俺たちのことが嫌いだったんだな……それを表現するためにこんなパンを……」

「おい、それは違うぞ少年!」

 どこからかまた声。

「これはおいしさと舌触りと栄養を考え抜いた上での商品なのだ。これでもアチキは国産和牛仕様。長崎県の宇久島でのんびり育てられた牛の肉は食感もまろやかさもそこらの肉とは雲泥の差だ。そして抹茶を練りこんだ生地は抗酸化作用、免疫力の増進を促し、目のように見えるブルーベリーとイチゴのソースはビタミン満点。最後にどピンクのエビソースはカルシウムがどっさり含まれ疲労回復効果があるのだ!どうだ、すごいだろう!わかったらありがたく食え」

「マジか、これわざわざ長崎から取り寄せた肉なんだな。たしかにここ福岡だし近いといえば近いか。すげえなこのパン」

 俺はその説明にすっかり感心してしまう。

「ノリ、突然どうしたの。なんで肉の産地まで……」

流惣と葵がポカンとした顔でこちらを見ている。

「え、なんでって、今言わなかった?」

「私言ってない」

「僕も」

「あれ、でも今……」

周りを見渡してみる。が、誰もいない。他にも生徒はいるにはいるが、席がちょっと離れていて、俺に耳打ちできる距離の人間はいない。

どういうことだ。

「なんかいま、すごく偉そうな幼稚園児みたいな声が……」

「どうしちゃったの、いきなり」

「いや、その」

 葵が心配そうな眼をこちらに向けている。なんだか嫌な予感がししてきた。

「疲れてんのかな俺。昨日あんまり眠れてないからな」

「ちゃんと眠らなきゃだめだよ。昨日なにかあったの?」

「そうだぞ少年。小さな悩みもこじらせると大変だ。異常性欲者の八割は睡眠障害らしい」

「マジでか。睡眠大事だな」

俺はうんうんと肯きながらハンバーグバーガーをもう一度紙でくるんでいく。

「食べないのかい?」

「いや、帰ってから食べよっかな~なんて。今日、家にだれもいねえんだよ。それともお前食う?」

「僕はもうお腹いっぱい」

「私も」

「おい少年、いや小僧!袋を開けたからにはちゃんと食え。こら、バッグの中に入れるな!しかも汚い!アチキは狭いところと暗いところが嫌いなんだ」

 明らかにおかしな声が、聞こえてはならない場所から聞こえてくる。考えるな、感じるな。俺はなるべく思考を鈍化させる。無の境地だ。

「ノリ、さっきからどうしたの?」

「いや、なんでもない」

俺はハンバーグバーガーを入れたバックにさらにタオルを詰め込む。

「悩みなら言って。聞いてあげるから」

 ああ、ははと適当に返事して俺は立ち上がり、バッグを廊下に持っていく。中から聞こえる声は無視。

「なぜバッグを廊下に?」と流惣がすかさず突っ込んでくる。

「いや、ちょっと中身が湿ってたから……つうかさ、いきなり物がしゃべりだしたりすることってあると思うか?」

 俺はなんとか話題をそらしにかかる。

「ええ、怖い話?人形とかならよく聞くけど。ねえ?」

「ポルターガイストってやつかな。僕は信じてないけど、もしかして君の寝不足の原因ってそれ?」

「いや、そうじゃないんだが、昨日なんか声が聞こえたような……」

 もちろん本当のことは言えない。どこの誰が突然ハンバーグがしゃべりだすなんて信じるだろうか。そしてそれが今まさに起こっているとは。

「声ってどんなだい?いつごろ?」

「夜中くらいに、こんにちは、とか聞こえたような……」

「なにそれこわい」

 葵は眉を寄せた。流惣はふうむ、と腕を組む。相変わらずさわやかで余裕のある動きだ。冗談話として楽しんでいるのだろうか。

「まあ俺の気のせい、かも」

「ノリが寝ぼけてたんだよきっと」

「君はその手のオカルトは断固否定派だったんじゃなかったかな」

「いや、もちろん信じてないぜ。でも、もしかしたらそんなこともあるのかなあ、ってな」

「もう。私そういうの聞くと夜眠れなくなるからやめてよ」

 お前が眠れようが眠れまいが関係ない、という言葉を、喉の奥で何とか抑える。

「部屋には食べかけのフルーツしかなかった。食べ物に宿る妖怪とかいるか?」

 間接的に状況を説明してみる。我ながらナイスな誘導だ。流惣は顎に手を当てて考えている。雑学に詳しい流惣なら何か知っているかもしれない。

「わからないなあ」

流惣がそう言って笑った。

「だよな」

「ま、そんなに興味があるなら神学研究部にでも顔出してみたらいいんじゃないかな。あそこの連中はそういうのも詳しいみたいだし」

「なんかあったなそんな部活。神学なのに妖怪も扱ってるのか。おかしなやつらだ」

「なら、風呂井君に聞いてみるといいかも」

 葵がパンと手をたたいた。

「お前知り合いだったのか」

「うん。私が転入してきたとき最初に仲良くなったの」

 先ほどの風呂井の顔が蘇ってくる。あまり思い出したくない

「あいつはなんかなあ。気が合いそうにないというか……」

「見かけで人を判断しちゃだめだよ」

 それから話は別の方向へいき、なんのかんのと喋っているうちに昼休みは終わりを告げた。

「じゃあ僕たちはそろそろ戻るよ」

「じゃあねノリ」

俺は流惣に軽く手を振り、二人が教室を出て行くのを見とどけた。ゴミをかたずけ一息つく。なんだかさっきから変な緊張感を感じていた。頭の後ろのほう、舐めるような視線。

はっとして風呂井のほうをみる。目があった。ずっと見ていたのだ。厚ぼったい瞼からのぞく眼球が俺を射抜いている。今やつの顔は無機質な仮面だった。クラスの全員にこのつらを見せてやりたい。目が合っていたのはほんの一瞬だった。風呂井は何事もなかったかのように教科書を出し始める。俺も廊下のバッグを取りに立つ。教師が入って来た時、俺はもう一度やつをみた。風呂井はもちろんこっちを見てはいなかった。それどころかどこも見ていないようだった。空っぽの瞳は少し退屈そうに、黒板の先のはるか向こうを眺めていた。


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