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爆誕

母さんがぶっ壊れた日のことを覚えている。俺は小学四年生で、その日も家に帰りたくなくて、太陽が落ちるまでずっと公園で遊んでいた。

今だ、ハナ!いけええええ!こっちに来るな。そっちいったぞ!あ、靴下が破れた……さわんじゃねえ!ちょ、足を掴むな!いたたたたた!落ちろクソがぁぁぁぁ!

滑り台の上は戦場と化している。何人もの男子が突撃兵のように雄たけびをあげながら滑り台を駆け上がっていく。靴下を脱ぎ助走をつけて全速力で駆け上がるイチロウ。台のヘリをつかみながら、4つんばいでジリジリと行軍するあべちゃん。しかしすぐに突き落とされる。地べたに顔をこすりつける。力強い腕が彼らをはねのけるからだ。上にいるのは俺たちの中でも一番ガタイのいいハナと上級生のタカ君で、二人はもう十五分以上滑り台の上を死守している。台の上にいる二人はニヤニヤしながら俺たちを見下ろしている。

何とかしてあの壁を突破しなければならない。親を引きずりおろさない限り、俺たちはいつまでも子供のままだ。

新しくできたマンションの公園にある異様に横幅の広い滑り台で死闘は行われている。俺たちがやっているのは「子落とし」という遊びだ。「子落とし」は、親と呼ばれる役を一人~二人決め、その親がまず滑り台の一番上に上る。そして残りの者は、滑り台を上るための階段ではなく、滑るところを逆に上っていく。あとは親が力づくで、這い上がってくる子供をひたすら落としまくるという遊びだ。使えるのは腕だけ。足は使ってはならない。

立ちふさがる親の手を上手くかわし、上にたどり着いた子供は親を落とせる。そうやって親と子は入れ替わる。これがとても人気で、みんな毎日ズボンを破いたり膝をすりむいたりしながら遊んでいた。

俺が考えた遊びだ。

みんな必死で親の役を守ろうとするので、強く押されて頭から転げ落ちる奴もいた。にもかかわらず大怪我をするやつがいなかったのは奇跡的だったと思う。のちにその滑り台は使用禁止になる。

うおお、という声と共にまた一人転がり落ちてきた。俺たちは五人顔を合わせた。

「チクショウ!勝てねえよ、あいつら強ええ」

「まず手を封じるんだよ、手を!」

「それちがくない?足から行くべきじゃない?」

「違うよ、手だよ。て!」

「俺、砂かけ使っていいか?」

「こーなったら全員で一気に行くぞ!」

「いやー足だろー」

「いいよ」

「了解」

「だって手すり掴んでるんだから足にいってもさあ……」

「よし、行きますか」

 これは個人戦だが、親があまりに強いと子供たちは団結せざるをえない。太陽の光が弱い。もうすぐ五時の音楽が町中に響くだろう。そうしたらこの戦いは強制的に終わってしまう。

「いくぜぃ!」と先陣を切ってイチロウが走る。上にいる二人も俺たちが一斉にくると察知して身構える。

俺は自分がどのタイミングで足を踏み出せばいいかわからなかった。

「しゃおらあああ!」とチャムが続く。後ろにいる福田はいいとこ取りをしようとタイミングを見計らっている。役立たずめ!と心の中で毒づいた。あいつはいつもぬけがけしようとする。隙があればみんなにデマを流して俺を陥れようとする。身の程をわきまえろ。あいつは大人になっても自分より力の強いやつに媚を売り続けるだろう、などと思ったところでわああああ、と、あべちゃんが行く、やっしーが行く。チャムはもう落ちてきた。ハナはイチロウに足首を掴まれ、やっしーに腕を掴まれている。キュキャアアアアウウウウウウウと台と足が摩擦で擦れる音がする。タカ君もあべちゃんに意識を集中させている。今なら落とせるかもしれない。と思ったところで福田が飛び出した。マジで気に食わない。福田はサルのような身のこなしで、親二人の間を抜けようと身をかがめながら上る。ガリガリの手と足。

「福田ぁぁぁぁぁ!」と叫びながら自分も後に続く。俺の叫びに気がついたタカ君があべちゃんを力づくで退け、福田を二の腕で受け止めた。チャンスだ!と思い口角が上がった。

その時俺のほうを振りかえった福田の顔が今でも忘れられない。

 いそいで福田の横をすり抜け、いとも簡単に頂上へ到達した。あっ、とタカ君とハナがそれに気づく。鉄の床に足をついた瞬間何とも言えない快感が全身を駆け巡った。

「親だあああ!」

「ノリ!」とハナが叫んだ。俺は今裁ける者だ。ハナとタカ君、どちらを落としてもいい。ハナはまだ必死に戦っている。まるで俺がハナを落とさないと信じているかのようだ。福田は、何かあきらめたような顔でタカ君との戦闘を放棄しようとしていた。その顔を見て、何かよくわからない苛立ちを感じて、無防備なタカ君の背中に思いっきりタックルした。っつおおお、と言いながらタカ君の体は前のめりに倒れる。もちろん福田も巻き込まれて転げ落ちる。

死ね福田。身の程を知れ。いつも俺を馬鹿にしやがって。

隣のハナに加勢した。ハナの腕に絡みつくやっしーの手をひきはがす。ハナがナイス!と笑いかけてくれる。「いまや仲間だからな」と俺はわざわざ口に出す。

 その時、福田が今まで見たこともないようなものすごい形相で台を上ってくるのを見た。かなりの距離の助走をつけ、小さい体を弾丸のように加速させている。福田はいつもみんなの機嫌を取るために、あまり本気を出さない。あいつはわざと負けることで居場所を確保している。その福田が……。

 自分がなめられているような気がした。お前くらいになら勝てる、と言われたような気がした。俺は身構えた。ここではっきりさせてやろうじゃないか。どちらが一番下なのか。

が、「ノリ!」とまた声が聞こえた。ハナが三人を相手にして助けを求めているのだ。ハナを助けるか、福田を突き落とすか。選択を迫られていた。様々なこと、力関係、明日の学校でのこと、が一瞬のうちに頭の中をギュインギィンとサーキットを走るレースカーみたいに走り抜けた。

俺はハナが落とされないように両手で体をしっかりつかんだ。

 福田が、ハナの側に回った俺を見て笑った気がした。彼の体は今まさに目と鼻と、そして足の先だ。福田が親になったらどちらを落とすだろうか。

横目で周りの状況を見渡す。ハナに四人が群がっている。誰も俺と福田を気に止めてなかった。いつものことだ。だからこそ俺は負けたくなかった。福田の手が台の上に触れた時、抗えないある種の感情が俺を支配した。日が赤く染まる。福田は身をかがめていて、俺の膝のあたりに顔がある。あいつは既に親になった気分のようで、バーっと目を見開いていた。

さりげなく体の向きを変え静かに右足を引く。俺は誰もこっちを見ていないことを確認し、また祈りながら、うわあぁ!と態勢が崩れたふりをして、福田の顔面に、その幸福の笑顔に、思いっきりその足を振りおろした。

 

ドゴォコン!と世界に亀裂が入った。一瞬、世界のすべてが暗転したように思え、その後、舞台の幕が突然閉じてしまったような戸惑い。そこで現実界と象徴界の線が引かれる。自分という存在をこちら側に見て安心する。

3,2,1、一人芝居開演。

「あ、いってえ……」

頭とアバラの痛みで目が覚めた。体にまきつけていた布団がずるりと遠慮がちに落ちてくる。自分が眠りから覚めたのはわかったが、それ以上のことは考えられない。脳みその半分がまだ泥水につかっている。冷たい床の感触。朝の気配はまだ遠い。どうやらベッドから落ちてしまったらしい。両腕が痺れていて、感覚がなかった。触ってみてもゴムのような感触があるだけだ。寝相が悪いとたまにこうなる。自分の腕がまるでただの肉塊だ。

床に倒れたまま、白濁した意識がクリアになるのを待った。つけっぱなしのパソコンから青い光が漏れ、インターネットをつないだ線がギジジジジジジジジという音を鳴らしている。

まだ動かしにくい両腕をぶら下げて、弱っている犬のようにゆっくり立ち上がった。

「AM二時四十分」「メッセージなし」「新着メール0」「windows、updateの……」

静かにノートパソコンを閉じた。残像が空中に漂って目がチカチカした。開けっ放しになっていたカーテンを閉めてベッドに戻る。深呼吸をして、目をつむる。

まだ寝よう、どうせ明日も学校だ。

部屋は静かで、時おり遠くのほうで車の走る音がした。最近よく夜中に目が覚める。時間は決まって夜中の2時から3時の間。夢のせいだ。夢というよりも昔の記憶。思い出したくない過去が安眠を引き裂く。

パトカーのサイレンが鳴り、またどこかへ消えていった。帰ってきてからすぐ横になったのがいけなかった。ふたたび携帯電話を見ると午前三時過ぎ。腹が鳴った。そういえば晩御飯を食べていない。

忘却はあきらめた。布団をはがし、気配を消すようにすり足で階段を下りキッチンへ向かう。わざわざ電気はつけない。家全体が寝静まったようにしんとしていた。この家の手すりをさわるたび、そのつるつるした感触を確かめるたびに、もし俺があの時この家を燃やしていたら、などと考えてしまう。

あの時、もしあれをしていたら、という幻想は捨てがたい。どこからが原因でどこかまでが結果なんだろうか。原因の始まりをいつも探そうとしてしまう。

「なにもないな……」

冷蔵庫には即座に食べられるようなものはなかった。半分切り取られた豆腐や、いらない部分だけが残された野菜が並んでいる。

母親は夜遅くに帰ってくるので、夕飯は自分で買ってこないかぎりない。

俺は仕方なく牛乳だけ飲んで、部屋に戻ろうと体を傾けた。  

ふとテーブルに目がいった。電気をつけてない部屋に、鈍く光る何かがある。小さめの皿にラップがかけられていて、それが窓からの月明かりに照らされてキラキラ光っていた。近寄って手にとってみるとそれはハンバーグだった。まんまるとした楕円形のフォルム。かけられたケチャップがもう固まりかけてはいるが、表面はこんがりきつね色。肉の焼けたにおいが今にも漂ってきそうだ。

母親が作って残したのだろうか。まあ残してあるのだからいただこうと、ラップをはがして、箸を探そうとした時、奥のほうから戸が開く音がして、俺は手を止めた。

皿を静かに置いて音を立てずにしゃがみこみ、テーブルの下で猫のようにうずくまった。足音はこちらに向かってゆっくりとやってくる。

テーブルの下から部屋に入ってくる足だけを見ていた。冷蔵庫が開けられ、麦茶が飲まれ、そのあとトイレの水が流され、また戸が開く音がして、やがて静寂が戻ってくる。

ふう、と俺は深く息を吐き、テーブルの下から出ようとした、がその時、頭をテーブルに強くぶつけてしまった。

ごん!

「いて!」

「ふぇ!?」

頭をぶつけた音と同時に聞こえた突然の声に、俺の心臓は飛びあがった。

確かに今声が!それもかなり近くから聞こえた!

俺はさっと椅子の下から抜け出し、いそいで周囲を確認しようとする。だが部屋は電気をつけていないためなにも見えない。

「……だれだ!」

声が震えた。心臓がものすごい速さで血液を送り出す。

泥棒か?

だとしたら大声で助けを呼ばなくてはいけない。警察、そう警察を呼ばなくては!武器は何かないか、いや、それより泥棒はどこだ?先に攻撃されたら終わりだ。もしかしたら殺されるかもしれない。やばい!やばい!やばい!

尋常じゃないくらい汗が出てきて、テーブルに触れていた足がガクガクと音を立て始める。

「あれれ……?物音が……だれか……いるんですか?」

「っうわ!」

よろめきながら声のしたほうを向くがだれもいない。女みたいな声だったが、女の泥棒なのか?でも、明らかに敵意のない、ふわふわした寝起きのような声だったが……。

早く助けを呼ぶべきなのはわかっていたが、もしかして小さい子供が間違えて迷い込んでいるだけなのかもしれないと思った。いや、それは都合の良すぎる解釈だろ、と自分で突っ込みを入れながらもその可能性を信じたくなってしまう。頭がぎゅううっと締め付けられるような感覚に意識が飛びそうになる。

「どこにいる?」

俺は抜き足差し足でキッチンに近づき、横目で流し台にある包丁を確認しながらおそるおそる尋ねた。

「あれ、もしかして、私の声が聞こえるんですか?」

「聞こえる、だれだ!」

姿がみえないので余計恐ろしい。声の幼さなんて、いくらでも作れる。こんな危機的状況にもかかわらず俺は大声をなるべくあげたくなかった。このような謎のプライドがいつか命取りになるのだろうか。

沈黙。空気が緊張をはらんでいる。裸足で床をさする。俺はいつでも包丁を握れるところにいる。とりあえず武器を確保したことで少し冷静になってきた。とにかく電気をつけよう。姿を確認しなければ。現実を認識しなくては。ああしかし、ちくしょう、スイッチが遠すぎる!

「あ、はじめまして。私、ええと、なんて言ったらいいか……」

「間違えて入ってきたのであれば早く出て行ってください。あと隠れてないで姿をみせてください。でないと警察を呼びます」

俺は何とか冷静さを保ってそういった。のどが震えないように意識して声を出した。もう一度洗いかけの茶碗や皿の中にある包丁を確認した。はたしてけんかもしたことがない自分に何ができるのか不明だが、そうすることで少しは安心できる。

「ぁ……あの、隠れているわけではないんです」

 やはり女の子の声だと思った。かなり若い。

「部屋の真ん中の、テーブルのところへ出てきてください」

 月明かりのおかげでぼんやりと部屋は見渡せる。しかし人影はない。

「泥棒とかじゃないです。本当です。けれど私あの……なんていうかその……こういうことは初めてで……」

泥棒ではないのかもしれないと思ったが、何者かわからない。なんで女が人の家に勝手に侵入しているんだ!鼓動はまだ早いままだ。

「あの、盗った物を返してくれれば通報しませんから。早く姿を見せてください」

とにかくさっさと終わらせて出て行ってほしかった。「泥棒っぽい感じ」だったら、彼女が逃げたあとすぐに通報すればいい。なんにせよ姿を確認したい。

「あの、います、私。テーブルに……」

部屋が暗いとはいえ、数メートル先に人がいるかいないかくらいわかる。この女の子はウソをついているのだろうか。俺は頭を抱えた。たしかに前方から声はするが明らかにテーブルの前にはだれもいない。一応確かめるために冷蔵庫の取っ手をつかみ前に引いた。漏れた光がぼんやりと部屋を照らす。

「いないじゃないか。本当に大声で人を呼びますから」

さっきから普通に声を出しているので母親が起きて出てきてもおかしくないのだが、というか早く出てきてほしいのだが、未だにその気配はない。

「うう、テーブルの上のお皿、あれなんです。その上っていうか、ええと……のっているって言うか……その、私、ハンバーグなんです!」

「はあっ?」

何の冗談だよ、と思った。人の家に忍び込んでおいて、真夜中にこんな下らん冗談を言うのか。そうとうユニークな奴か、イカレたやつだ。

「いいから、早く出てきて」

俺は少し怒気を込めて言った。

「本当なんです。あ、そうです、電気つけてください。そしたらわかる。と思います……」

声の主は少し必死な様子だ。何かの罠か?と、警戒しながらスイッチを押した。ぱっと光が部屋を満たす。この瞬間に全神経を集中させた。だが、何も起きない……。

目はすぐに慣れた。部屋の中を注意深く見渡す。部屋の真ん中にテーブルとイスと液晶テレビがあって、DVDやビデオを入れた棚があって、少し奥にさっき俺が立っていたキッチンがある。カーテンは開いたままだ。もう一度部屋の隅を見回すが、人影はない。なんの変哲もないリビングだ。部屋が荒らされた様子もない。窓も閉まったままのようだが。俺は部屋をぐるりと一周した。

誰もいない……。隠れているのか、もう逃げたのか……?

「あのう……わかっていただけました?」

「うわっ」

はっきりと女の子の声が聞こえた。テーブルの上から。

「なんだ?」

俺は恐る恐るハンバーグが乗った皿を手にとった。どう見てもただのハンバーグだ。左端がちょっと焦げている。切り刻まれた玉ねぎが入っている、どう見たって普通のハンバーグだ。

「いやいや、そんなわけないだろ……」

「ほんとう……ですっ」

「うおっ」

危うく皿を落としそうになった。ハンバーグの中に音を出す機械でも埋められているのか?

その時、二階のほうでドアを静かに開けた音がした。俺はハンバーグを手でふさいでいう。

「まあとにかく。ちょっと静かにしててくれ」

「はい?」

 両手にべったりつく油とケチャップを感じながら耳をすませた。20秒、30秒、一分。チャコン、とドアが閉まる音。

「と、とりあえず部屋にいこう」

最後にもう一度部屋をよく確認してから、震える手で台所の電気を消し、ハンバーグがのった皿を持って自分の部屋に戻った。その皿を腫れものを扱うようにさっと机の上へ置き、ベッドに腰掛けた。

ティッシュで手を拭きながら、ベッドの上で体操座りをしてハンバーグを眺める。

これはいったい何の冗談だ?超常現象か、夢か、ドッキリか。俺は思考を整理しようとするが、それをさえぎるように「それ」が話しかけてくる。

「こんばんは!いい夜ですね。さっきは失礼しました。突然だったのでびっくりしてしまいまして。あ、もしかしてなにか失礼な態度をとってしまったでしょうか?ああ、すいません。あまり他の人と喋ったことなくてわたし。礼儀とかそういう……」

「わ、わかった!とりあえず、ちょっと静かにしてもらっていいかな」

「そっか!今はもう真夜中ですもんね!すいません」

とりあえず……まずこのハンバーグがなんなのかということを確認したい。

俺がまだ夢を見ているというわけではないだろう。さっき頭をうった痛みはまだある。じゃあドッキリ?芸能人でもない俺が?ありえない。

じゃあなに?超常現象?うは、マジで?だとしたら厄介だ。俺は幽霊も神も信じていない。だが、もしこのハンバーグがその類のものなら俺はどうすればいいんだろうか。俺に対して何らかの危害があるならおはらいに行かねば。というかおはらいなんてどこでやっているのか知らないがネットで検索すれば出てくるのだろうか。もし害がないなら無視するだけだ。しかし俺は今の時点で超常現象的なものを認めるべきなのだろうか。今まで馬鹿にしてきた者たちに心の中で謝ったほうがいいのか。

ちらりとハンバーグのほうを見てみる。何の変哲もない肉の塊だ。小さな虫が一匹窓から入ってきて、皿の周りを飛びだした。ハンバーグは幼い声で「うわああーー来るなーー!むしーーー!」などと叫んでいる。なんだかアホらしくなってきた。深く考えずに聞いてみよう。

俺はわざと咳払いを一つ、そしてあらためてハンバーグのほうを向いた。

「さて、で、君はいったい何なのかな?」

「きゃああ!むしいいい!」

「昆虫なのか」

「うきゃああ、うんこした!皿にいいいいい!」

「昆虫が皿にうんこして君ができたのか!」

「たべられちゃうう!」

「そんなもん食えねえよ。というか聞いてないだろお前」

 俺は飛んできた虫をパシッと両手で叩いた。

「はあはあ……ありがとう……ぜえぜえ……ございます……」

 ハンバーグは口もないのに息を切らしている。一体何がどうなっているのか。

「で、きみはなんなの?」

「ふう……えっと、わたし、なにに見えますか?」

「……どっからどう見ても、ハンバーグだけど……」

「ああ……そうですか……」

「なんか残念そうだな」

「……せめてチーズが入っていてほしかったです」

「いや、じゃあチーズハンバーグってことでもいいけど」

よくわからない会話。ハンバーグは自分がチーズハンバーグではないとわかって少しがっかりした様子だ。ちなみに敬語を使うべきかどうか悩んだが、相手はなんか子供っぽいしそもそもハンバーグなのでため口でいいだろうと判断した。

「とってもクリーミーなチーズ入りですね!」

 ちょっと元気を取り戻したご様子。

「この辺に入ってるんじゃねえか」

 チョンチョンとハンバーグの腹のあたりをつついてみる。

「あ。ちょっと!何してるんですか!」

「は?」

「エ、エッチですよ!いくらなんでも初対面なんですから!わたしだって……タイミングとかいろいろあるんです!」

「……」

「スケベです!」

「よくわからないけど、すいません」

なぜ自分がハンバーグに謝っているんだろうと思いながら頭を下げる。これが真昼間だったら絶対にこんなことはしてない。

「あのさ、名前はなんていうの」

「チーズハンバーグです」

「…………。じゃあチーズハンバーグさん」

「チーコでいいですよ」

「チーコさん、率直に聞く。君はあれか?元々幽霊か何かで、人間に乗り移ろうと思ったら失敗してハンバーグに乗り移っちゃった、かっこわらい、的な感じなのか?」

「え!幽霊って、本当にいたんですか!」

「しらねえよ……」

「やめてください。あたし、怖いのとかほんっっっと、だめなんですから」

 馬鹿なのか、演技なのか、わからなくなってきた。突然女の子(?)に話しかけられて、しかもそれが超常現象で、状況を把握しきれない。俺の脳みそのネジもゆるみ始めている。

「よしわかった。質問を変えよう」

「はい!何でも聞いてください!」

はじけるような元気いっぱいの声。多分こいつはいくつになっても全力で幼稚園児と遊べるタイプだ。

「聞くが、普通ハンバーグと人間が会話するってありえないことだよな?」

「ありえないです!あ、でも前テレビでプロの料理人さんが、食材と会話することが料理をおいしく作る秘訣だって言っていたので、しゃべれる人もい……」

「それは忘れろ。テレビを見たってことは、じゃあ元々は人間だったのか?魔女の呪いか何かでハンバーグにされちゃった、かっこはーと、的なやつなのか?」

「気が付いたらハンバーグでした。テレビを見たのもハンバーグの時です。だから、元々ハンバーグに生まれたのかもしれません!」

「そのテレビ見たときっていうのは、昔の話だよな」

「多分そうだと思います」

「でその後どうなったんだ」

「食べられました!バクって!」

なんだかだるくなってきた。話が脇に脇にそらされていくような気がする。

「で?その後どうなった」

「気が付いたらまたハンバーグでした。今度は別の家でした。起きたらこねられてたんです」

「で、また食べられて、また気付いたら別の家のハンバーグで、それを繰り返しているうちに俺の家についたということか?」

「きっとそうです。ナイス推理だと思います!」

「気が付いたらハンバーグって、いつからなんだ?」

「わかんないです……でも、テレビがいつのまにか、白黒からカラーになってました」

てことは、こいつは昭和からいるというのか?声は幼いが、かなり老年なのだろうか。敬語を使うべきなのか非常に悩む。

「じゃあかなり年食ってんだな」

「え、そんなことないですよ!」

「じゃあ何歳だよ」

「わかりません。けど……まだうぶ毛も生えてないようなかわいい女の子です」

「女っていうのは、いつまでも自分を少女だと思いたがるって聞いたことが」

「そういう意味じゃないです!私は少なくともおばさんじゃあないです!」

「証拠は?」

「私の気持ちです。心の年齢がその人の年齢なんです。だいたい女の子にそんなこと言うなんて失礼ですよ」

「女じゃなくてハンバーグだろ……」

 それから俺はハンバーグ相手に小一時間ほど無意味な会話をした。しかしその内容はどれもめちゃくちゃだった。

「食べられたらすぐ別のハンバーグになるのか?」

「いえ、夢を見ます」

「寝てる状態だな」

「そういえば、あなたの名前聞いてないです」

「典昭。今村典昭だ」

「ノリ君って呼びます」

「……ま、いいけど。なんかお前あれだな、自分のことけっこうかわいいとか思ってる?」

「全く思ってないと言えば、嘘になるかもしれません!」

「正直だな。友達とかはいるのか?ほかに喋れるやつは」

「残念ながらいません。他の食材の方々とは、喋れないのです」

「ヘミングウェイは好きか?」

「どこかの道の話ですか?」

 大体こんな調子で、なんの情報も聞き出せなかった。カーテンを開けると白い空。ハンバーグと向かい合って、俺は何をしているんだろう。数時間後に学校へ行かなければいけないことを思い出し憂鬱になってくる。ドッキリか心霊現象か、もはやどうでもいい。なるようになれ。急に全てが馬鹿らしくなってきた。わかったのはこいつが俺より馬鹿だということ、正体が一切分からないということ。ただそれだけだ。

「ノリ君、どうしました?」

ハンバーグの声は部屋に響く。だがピクリとも動かない。せめて人形がしゃべり出すならまだしも、これでは不気味すぎる。メカニックすぎる。

俺は立ち上がってハンバーグを見下ろした。

「な、なんですか?ま、またわたしのからだを触ろうというんですか」

 チーコはちょっと怯えた声色。一時間しゃべってなんとなくこいつのことが分かってきた自分にため息。

「お前、何か目的とかあるのか?ここに来た理由とか」

「わからないです!」

「人に食われるとまた別の場所にいくんだったよな?」

「半分以上食べられた時点で、意識が飛んでしまうみたいなんです」

俺は箸を手に取った。他にどうする?仲良くなったとして、何か変わるのか?面倒なことが増えるだけだ。そもそも俺は騙されているのかもしれない。なにかわからないけど。関わらないほうがいいような気がする。俺がこいつにできることは何もない。だったら今ここで別れておくべきだ。これがお互いのためだ。喋るハンバーグと出会いたい奴は他にも少なからずいるだろう。そういう連中と仲良くやってくれ。

俺は箸でハンバーグをつかんだ。

「あっ」

「食われるときに痛みとかはないんだよな?」

「いうぅぅぅぅぅ、ないですけど、ちょっと待ってくださいよぉ。心の準備が……」

「別のやつのとこ行ってくれ、俺は何もできんよ」

俺は歯で絹を引き裂くように肉塊を切り崩した。

「ひうぅ!」

「変な声出すなよ」

「だって、お尻の所だったから……」

俺は今すぐ吐きたい気持ちを抑えて飲みこんだ。後一口で半分削れる。

「たぶんお前みたいな存在を望んでいる奴は腐るほどいる。だが残念ながら俺はそうじゃない。じゃあな。次はもっと面白いやつのところへいくんだな」

「うう……あの、最後に一つだけいいですか?」

「言うだけ言ってみろ」

俺はくちゃくちゃ肉をかみ砕きながらそう言った。

「あの、また会えたら、もっとお話ししましょう。今日は、誰かと喋れてすごくうれしかったんです。ノリ君はすごく面白い人です。ありがとうございました」

「いや、俺は……」

 そしてハンバーグの声は消えた。目の前には中身が露出した肉だけがあった。

急に気分が悪くなり俺はトイレに駆け込んで口の中のものを全部吐き出した。なにか罪悪感のようなものが込みあがってくる。もう少しくらい話してやっても良かったのではないか、なにかやってあげてもよかったのではないか、と。

だが、俺が話し相手になってあげたとして、どうなる。これでよかったんだ。そう思ったが、ハンバーグの残骸を見てなんだか居心地が悪くなった。俺は一階へ降りてハンバーグを元あった場所に戻した。後は見つけた母親が捨てるなりなんなりするだろう。俺は布団を頭からかぶった。

忘れよう。これは夢だ。いつか笑い話にでもしよう。胃に残った油と、頭に残った意識が溶けていくのを待ちながら、そんなことをぼんやり思った。


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