第二話
本文で出てくるのはまだ先になりそうなので、想像しやすいようにここで補足。主人公は、第一話の時点で15歳の設定。黒髪黒目の日本人。
時々、夢に見ることがある。
あの生まれ育った世界の夢を。
「……んー……もうちょっと……」
ペロペロと頬を舐める感触に、俺は意識を浮上させながらも目を開けたくないと意思表示を示す。
ふわふわしたこの感覚が好きでもっとごろごろしたい。
しかし、頬を舐めるのをやめる気配はなく。
むしろ起きないと悟るとぐりぐりと鼻先を押し付けてきた。
「むぅー……」
それを避けるようにして寝返りをうつ。
すると、一気に背中に重みがかかった。
「うぅ~……がうがうっ」
耳元で唸られ鳴かれ、覚醒を余儀なくされてやっと目を開ける。
「あぁ、うん。はいはい。起きるって」
よしよし、と圧し掛かってきたロウを撫でやる。
狼のような見た目のロウの体長は自分と同じくらいなので本気で圧し掛かってくればかなり重いが、その辺りは加減してくれているんだろう。
「ふわぁ……っと。おはよ」
伸びをして起き上がる動作に気づいたロウは、一度距離をとるがすぐにまた撫でろと催促するかのように首を動かす。
やれやれと再び俺が撫でやれば、満足そうな顔をするのだ。
俺はこの顔に弱い。
突如、この世界にやってきてから三年。
長いような短いような年月。
その間に様々なことを学び、習得していった。
この森のかつての主。
初めて出会った言葉を交わす存在の大木に、折角なので何か名をつけてほしいと頼まれてリョクと呼んだ。
リョクは長く生きた存在で、多くの知識を持っており俺は随分と助けられた。
そのリョクも、先日とうとう枯れてしまった。
初めて言葉を交わした日、元気がないように見えたのは気のせいでもなんでもなく、死に向かっていたからだと知った。
リョクは、全て承知の上だった。
「さて、と。おいで、ロウ」
簡単に身支度を整え、今は物言わぬ枯れ木となったリョクの元へ行く。
リョクがとうとう物を言わなくなったのは二日前のこと。
たくさん付いていた葉は全て落ち、頼もしかった枝はすっかり力がなく、ところどころ折れた状態になっていた。
「…………リョク……」
もう返事がくることはない。
それでも、そっとリョクに触れた。
今、この森の中心であるここら一体をリョクが守っている。
残された力を以て、この森の一部分だけ清められている。
この森に暮らす動植物は、魔素を強く持っているらしい。
魔素はある一定量までは彼らにとって生命力を溢れさせる薬のようなものらしいのだが、近頃魔素が増えすぎ、毒となっているらしい。それらに蝕まれ、理性を失っていく森の者たちが続出しているという。
リョクの主たる力で、リョクの根がはる場所では制御できていたらしくまだ正常な動植物は多い。
だが、その力を使ったことでリョクは命を縮めた。
「…………」
三年前、知識を授かる代わりにひとつ、取引をした。
それはリョクが死んだあとも、この場所を制御できるように結界を貼って欲しいということだった。
リョクの枝を使い、二年間かけて結界を完成させた。
それでも永遠に制御できるわけではない。いつかは壊れてしまうだろう。
それでも俺が生きているうちは、きっと大丈夫だと。
だから、リョクが死んだあとは好きなようにと。
穏やかに結界の内側で生きるも、外の世界を見るのも。
元の世界に戻る方法を探すのも。
俺の好きに生きろ、と。
後悔だけは、しないように。
優しく、この木は俺に言葉を残した。
「ロウ、スイ。いいんだな?」
俺はここを出ることに決めた。
この森は好きだ。
都会に生まれ、都会に育った俺としては不便で時に退屈な場所であったけれど。
それでもあの場所よりも、ここが自分の場所である気がした。
ここに留まることも考えた。
けれど、何もせずに後悔したくない。
それにリョクが与えてくれた知識を活かしたい。
この世界を見てみたい。
そして、魔素が増え続ける原因を突き止めることができたなら……この森を救えることができるのではないかという願望。
「がう」
「くきゅ」
俺のすぐ横でリョクに頭をこすりつけ……別れを惜しむロウの頭を撫でる。
二年前に、魔素に蝕まれたロウの母がなんとか理性を保ち、生まれたてのロウをここまで連れてきた。生まれたばかりの弱いロウに噛み付きたくなる衝動を抑えながら。
強く魔素に蝕まれたモノは本能的にリョクの近くに来れない。
それなのに、ここがロウにとって安全な場所だと感じ無理をしてここまで来てくれた。
俺にロウを押し付けるようにして、ロウの母親は森の奥深くへと姿を消した。
どんな思いで置いていったのか、それは分からないけど。
それからずっと二年間、俺のそばで育ったロウ。森を出て行くのに、付いてくるらしい。
それから、スイ。
俺の肩に乗っている、モモンガみたいな小動物。
この森に来て、リョクの次に俺と友人になったヤツだ。
見た目は愛くるしい小動物だが、なかなかに凶暴である。この森において、なんの知識も力もなかった俺の用心棒でもあった。
このスイも、俺と一緒に来るという。
もっとも二匹とも人語をある程度認識しているようだが、リョクのように言葉での会話は出来ないので多少の意志の相互はあるかもしれないが。
「出来れば魔素を浄化して、リョクが話してくれたような森に戻したい」
魔素に蝕まれてなお、この森を救うために命を使ったリョク。
リョクが愛した森、俺が愛した森。
少しでも可能性があるのなら。
旅立ってみようと思う。
「……つまり、魔法ってこと?」
『マホウ、か? 人はそう呼ぶのかもしれんのう』
「それ、どーやったら出来るの? 呪文唱えるとか、魔法陣を書くとかあったり?」
『どうやったらと言われてものぉ……ふぅむ。困った。我は樹であるが故、若干違いがあるやもしれぬ。本来、自然と身につく技術じゃ。我が光合成するように、お主が息をするようにな』
初め、結界とやらの方法を聞いて思ったのが魔法だった。
詳しい理論などわからないので、分かりやすく俺はそういうモノとして認識している。
リョク曰く、思うままに術を行使すれば良い、という大変曖昧なものだった。
結界をつくる場合は、守りたいという意志をイメージするということだ。
どのような力を、どの程度、どの場所に。それらを思い描き、その効果を世界へ反映させる。
始めはどうしていいのかさっぱり分からなかった。
イメージをしてみても、全然反映されないし。コツがいるのか聞いても、わからないという返答。
自力で試行錯誤するしかなかった。
よくよく考えれば、イメージだけで何でも出来てしまえば世界がとんでもないことになる。
この世界の魔法がどの程度のことまで可能なのか。
早速リョクに尋ねるものの、
『今までこの森を守ること以外は考えなかったから正直なところ分からぬ』
という返事。
結局のところ、やはり自力で使い方を開発していった。
まず、魔素というものが何なのか。
それがわかるようになるところからだ。
リョクの知識と自分の経験から推測を立て、自分なりの結論は出した。
この森には魔素が多い、らしい。
魔素は無味無臭であり、空気中に散乱している。ようは、酸素みたいなものだと結論づけた。
この世界の人間は酸素を体内に取り入れ必要とするように、魔素も必要とする。
で、魔素はいわゆる魔力の源。
魔法を使うのに必要な力、と結論。
で、生き物の場合、それを呼吸などとともに体内に取り入れ、血液のように体内に巡らせる。
意識して体内に取り入れた魔素を探るうちにそれがコントロール可能なものだと知った。
それが分かってからは早かった。
ちなみにそれが分かるようになるまでに二ヶ月ほどかかっているけど。
どのような魔法を、どのような規模で、どの場所に、どんな形で。
それらをイメージし、確定し、そしてそれに見合った魔素を操る。
うん。
こんなの確かに説明できない。
感じるしかないよね、こんな曖昧なモノ。
ちなみに、リョクの側は常に安全快適と言ってよかった。
この森の動植物は、リョクに守られているといってもいい。
だからか、リョクが俺を守っていると誰も俺に危害は加えない。リョクの与えてくれる実は甘くて美味しい。さらに栄養満点らしく、この世界に来てからの方が健康だった。
水のある場所は少し離れた場所で、ここではちょっと危険があった。
熊のような奴が俺をエサと見ていた。あれは絶対そうだ。獲物を狙う雰囲気だったから間違いない。怖かった。
側を離れることに心配したリョクが、俺に興味津々だったスイにお願いして用心棒としてつけてくれたから事なきを得たんだけどね。
手のひらサイズの癖に、三メートル近いクマ似の動物を歯牙にもかけないとか……
あぁ、うん。
俺って遠いところに来ちゃったんだな、と。
黄昏てしまったことは懐かしい。
とにかく。
魔素を感じれるようになり、魔法を使えるようになってからは俺もそれなにり頼もしくなったと思う。
結界は、リョクの周りにリョクの枝を数個地に突き立て、それらを線で結んで円として内側を浄化するというものだ。
それを何層にも繰り返し、少しずつ浄化の範囲を広げていった。
ここでひとつ。
浄化とは言うけど、別に魔素をなくすという意味ではない。
本来、魔素が濃いというのは悪いことではないようなんだけど……魔素に負の成分が付着していて、それが理性を蝕む原因なんだと。
何だかよくわからないけど、影響を受けやすい受けにくいとかが多少なりともあるようでこの森でも正気なやつとそうでないやつが分かれているとのこと。
うーん、その違いもよくわからないんだけどね。
癒しの力が云々で、俺はへっちゃらさんとか。
リョクは癒しの力と言っていたけど、俺はそれが使えるらしい。これってゲームとかでよくある怪我を治す力とは別物らしく、森を蝕むモノを負の成分と評するなら、俺の癒しの力は正の成分。治癒力の向上はできるけど、瞬時に切り傷が塞がるものではなく……漢方みたいな感じかな? 体の内側から健康に?
とにかくそういう能力らしい。
説明を聞いたときはちょっと微妙とか思ってごめん。
これはこれで重要な能力だとこんこんと説明された。そもそも癒しの力を持っていないと結界作れないらしくって。
他にも魔法についてはなかなかの腕になったんじゃないかと思う。
あと、森での生活は現代人には過酷なもので……リョクやスイのおかげでかなり楽をさせてもらっていたが、それでも過酷だった。
おかげで基礎体力はかなり上がったよ。
この森の空気のせいか、この世界に来たからなのか不明だけど身体能力はすごい上がっている。
このままもとの世界に戻ればオリンピックも夢じゃないくらい。いやね、命かかってるからさ。鍛えないといつ死ぬかわからなくて、それこそ必死だったよ。
娯楽もないしね。暇だったとも言うけど。
今はもう、リョクが守っていない場所でもひとりで歩けるしアクシデントがあっても対処できる。
森の外がどうなっているのかは分からないけど……まぁ、リョクが森で問題ないなら外でもそれなりに問題ないって言ってたし。
人の街の近くはここよりもずっと安全だって。
もっとも、その情報はかなり古いみたいだ。
ちょっと不安。
まぁ、でも。いきなりこの世界に来た時に比べれば度胸もついたし。
スイもロウも付いてきてくれるし。
「……じゃあね、リョク。ちょっと、行ってくるよ」
もう、返事はないけれど。
もう一度そっと大木をひと撫でして、俺はこの森を出ることにした。
森の中での生活なので、正確には主人公はどれくらいの年月がたっているのか把握してません。作者の都合で年数を書きました。この辺は作者の実力不足です。すいませんっ!
あと、シンの癒しの力をもってしてもリョクは手遅れでございました。