幕間 大木と癒しの娘
読まなくても本編に影響は無しです。
「お久しぶりです、森の王」
『久しいな、癒しの娘』
さわさわと大木の葉は揺れる。
女性は小さく笑い、そっと大木に触れる。
「もう娘という歳でもないわ。人の寿命は森に比べればとても短いのよ?」
咎めるような口調だが、当然ながら怒っているわけではない。
樹に乙女心を理解しろという方が無理な話だと理解しているし、その程度で怒るほどの子供でもない。
「それでも……この森も、随分変わってしまったのではない?」
寂しそうに言葉をこぼす女性に、大木も寂しそうに返す。
『十数年、たったそれだけの時間。森は焼かれ、民は殺され、随分荒らされてしまったのぉ……森の子らは頑なに外を拒絶するようになってしもうた』
今にもため息をつきそうなほど沈んだ雰囲気で語る大木。
さわりさわりと揺らめく葉の音が、泣いているようにも聞こえてくる。
「国も……滅んでしまったわ。夫も子供も死んでしまった。守るべきものはもう……失くなってしまった」
わずかに声が震えた。
目から涙が一粒ずつこぼれ落ちる。
「けれど……私はまだ、死ねない。人が、生きてる……まだ、懸命に生きようとする人がいる」
『癒しの娘よ、その力……人のために使うつもりか?』
「勿論。私たちを人は魔族と呼ぶけれど、私たちの内面は人と何ら変わらない。夫のように理解してくれる人もいるわ。いつか、後悔する日が来るかもしれない。それでも、何もせずに見捨てることはできない。森の王……お願い」
『……そなたは強いな。失ってもなおその心は変わらぬ。構わん。我が葉が必要ならば、持ち帰るが良い。そたなたの薬を待っているものがおる』
「ありがとうございます……きっと、これが最後ね」
彼女は目を細めて、大木を見上げる。
高く高くそびえる大木。
『我との別れを惜しむか、癒しの娘よ。ほっほ、嬉しいものだの。ならば、折角じゃ。我をひと枝、持っていくといい』
「森の王、何を!?」
『人の手で我が枝を育てるのも良い。この地を離れて育った我が枝葉は随分と効力を失うが、全くなくなるわけではない。気休めであれ、ないよりはマシかもしれんの。持ってゆけ』
大木の言葉が終わると同時、突如パキンっと小さな弾けるような音をさせて、ひと枝地に落ちる。
「……こんなにしてくれても、私には返せるものがないのに」
そっと地に落ちた枝を拾い上げる。
だが、今度はさわさわと揺れる樹からまだ青々とした葉が落ちてくる。
『我の寿命は長い。いずれ人の子に返してもらおうぞ。そなたの意志を受け継ぐ子にな』
「……いるかしら?」
『案ずるな。必ずいる』
一片の疑いもなく断言する大木に、彼女は笑いをこぼす。
何の根拠もないのに、けれど思わず納得してしまうほどに力強い。
「そう、ね。きっとこの恩は返す……私の意思を誰かに継いでもらうためにも、頑張らないとね」
『それでこそ癒しの娘よ。自分の信ずる道を歩め』
薬師としてたくさんのものを癒してきた彼女。
そして、ほんの僅かな癒しの力を持つ彼女。
これからも、誰かを癒すことで生きると決めた彼女。
彼女が大木であるリョクと最後に分かれて何百年とたった。
そんな約束があったことさえ、忘れてしまうような永い時。
彼女が自分と話をした最後の人となるのだろうと思い始めていた、そんな時。
唐突に、目の前に現れた人間。
癒しの娘と同じ、癒しの力を持つ者。
まるで、彼女が彼を導いてきたかのように、恩を返すために命尽きかけるリョクの下に現れた。
『癒しの力を持つものよ、何故 我を癒す?』
無知でありながら本能的に感じ取ったモノを、無意識に癒そうとする者。
あの癒しの娘に似たものを感じ、何故か大木は嬉しさが込み上げてきた。
理屈ではない。
そんな確たるものなど何一つない。
それでも、大木は、この最果ての森の王は思った。
やっと。
この森は、昔のような穏やかな森に戻れるかもしれぬ、と。
シンがこの世界に来て割とすぐにリョクに出会ったのは、彼女の導きではないかという説。真実は闇の中~