心の調理師ー嫌な思い出に、ガーリックソースを添えて召し上がれー
「私の心、抽出は済ませてアクも抜いた。だから美味しく料理してよ、調理師さん」
小柄な少女が、四角い箱を差し出してそう言った。
調理師になって二年目、人の心は幾度も調理してきたが、少女に頼まれたことはない。
「えっと、未成年は、調理に許可が必要なんですよ。そもそもどうやってここに――」
「お母さんに招待状を書いてもらった。これでもまだ不満?」
半ば押し付けられるようにして渡された紙に目を通す。
なるほど、確かに手続きは済ませたようだ。って、この子12歳じゃないか。
「舐めないで。私も立派な大人なの。レディ」
「……分かりました。それなら、どのようなコースをお望みですか?魚か肉か――」
「じゃあヴァ二レキプフェル」
「それはないです。というか何ですかそれ」
「外国のクッキー。知らないの?」
「肉料理でいいですね?焼き加減は?」
「ウェルダン。こんがり焼いちゃって、嫌な記憶が詰まってるから」
じゅうう、と鉄板が音を立てる。その上に四角い箱を丸ごと置き、ヘラで押さえつける。
もう手慣れた作業だ。こうやって、何回も誰かの記憶が詰まった箱を焼いてきた。
「……どんな、嫌な思い出だったのか聞いてもいいですか?」
「へぇ、いきなり聞いちゃうんだね。その前に、調理師さん、心のネットオークションって知ってる?」
「最近話題になっているやつですよね。知っています」
それは加工した心を売りさばくビジネスだ。
心に詰まっている記憶を読み取れば、手軽に賢くなれると、今や空前の大ブーム中。
「僕も一度参加したことがありますよ。好きな作家さんが遺した心が欲しかったんですよ。結局競り落とせませんでしたが。あ、ソースは何が良いですか?」
「それで、私のお母さんがそのネットオークションにはまってたの。あ、ソースは濃いめのオニオンね」
箱に両面しっかり火を通したのち、ソースをかけて切り分ける。一品目のステーキの完成だ。
心はどんな調理法にも応えてくれる。鶏肉を望めば鶏肉になってくれるし、下味も食感も思いのまま。
この少女の心の質がいいのだな、と納得する。
「すごいね、こんなに美味しそうに作ってくれるなんて。ありがたいなぁ……」
「それはどうも」
少女はうっとりとしながらステーキを頬張る。心を吐き出して、また吸収して。何の意味があるのだろう、と駆け出しのころは思っていた。けれど、きっと大切なことなのだろう。自分の思いを呑み込んで、やっとけじめをつけられる。
「へいマスター、お水おかわり」
「マスターじゃないですよ。二品目はどうします?このまま肉か、それとも……」
そこで、気付いた。
焼いても、切っても、心の箱がちっとも欠けていないことに。
おかしい。さっきのステーキはかなりボリューミーだったはずだ。それで、箱の残りが減らないなんてことはない。
背すじに汗が伝う。少女だけが、満足そうにお腹を叩いている。
「ふふ、たくさん食べちゃった、もうこれで……」
「お客さん」
焦りのままに、鉄板の上の箱を指差す。
「この心は、何ですか?あなたは……何者ですか?」
箱の容量は、心の大きさを示す。見た目は小さいが、間違いない。この箱には、人ひとりが持つとは思えない、広大な心が入っている。
少女は、12歳とは思えない、大人びた笑みを浮かべた。
「言ったでしょ、嫌な思い出だって」
少女は語り始める。
「一人目は、有名な女優の人。その人の心を読ませられた。二人目は脚本家。その人の挫折を味わった。三人目は演出家。人生の苦しみを知った。四人目、五人目、六人目。いろいろな人の心に入ったよ。私の心はね、今は劇場みたいになってるの」
息が止まる。たわいない雑談だと思っていたものが、急に輪郭を帯びる。まさか、心を読ませていたというのは……。
「そう、お母さん。お母さんは、私を理想の娘にしたかったみたい。だから、たくさんの心を押し付けてきた。そのおかげで私の心はこんなにも肥えちゃった。だから捨てに来たの。またまっさらな状態からやり直せるように……」
「——あなたは」
思わず、声が出ていた。心の箱を焼き潰す手が止まる。
「あなたは、それでいいのですか」
「うん。お母さんにもそうしろって言われてるもん。バックアップも取ってるし、別に……」
「僕は、あなたの希望を聞いています。これでも仕事人です。無責任に人の心を扱うなんて、できませんよ」
それは調理師なりのプライドだった。少女が軽く目を見開く。
「いいですか。僕は、あなたの分身を、あなただったものを焼こうとしています。それで、幸せですか?嬉しいですか?そうだとしたら、調理してしまいますよ」
「まっ、待って!」
「はい、どうしました」
「どうした、って……私だって好き好んでやってるわけじゃないよ。でも、これ、私の心じゃないし……」
「あなたの心でしょう。そこまで、自分じゃないものに悩めますか?」
「そ、それに、今は……人の心の価値が軽い時代なんだよ?簡単に売買されちゃうんだよ?
私の心は、たぶんワンコインにも満たない。そんなのを、無理して拾い上げることなんて―—」
「僕なら、できますよ」
「え……」
「心のプロですから。あなたは、どんな自分が大事でしたか?」
「どんな自分って……私は元の自分以外嫌。そう、嫌なの。他人に押し付けられる自分が嫌……」
そこで、調理師は少女の箱に目を落とす。
彼女に、今までの想い出を美味しく味わってもらうには。
「エビを尻尾ごと料理している人を見たことありますか?全部、調理する必要なんてないんですよ」
「どういう、こと」
「嫌な部分を平らげることなんて、しなくていいんです」
瞑目して、微笑む。心は望むままに応えてくれる。なら、少女のことを思えば、きっと。
心の箱は、あるがままに変わっていく。
箱をヘラで押す。すると、箱はバターのように溶けて、鉄板の上に薄く広がっていった。
あとは、黒い沈殿だけ除けば。
「何でしたっけ、外国のクッキー?あれ、作ればいいんですよね」
「うん、うん……。」
少女は嗚咽交じりに頷く。
やがて、クリーム色のクッキーが出来上がる。
それは、何の混じりけもない、柔らかな味のクッキーだった。
読んでいただきありがとうございます。
誰かの心に、少しでも寄り添える作品であれば嬉しいです。




