喪服の雨
競馬ファンタジーです
始まりました。
新島ましろは、雨の中立ちすくんでいた。
時刻は、夜の7時。
隣県の友人の葬式に行っていたら、シェアハウスを追い出されたのだ。
実家から持ってきた、優しい物語の小説も、まとめ買いしたガンダムの小説も。
ウシュバテソーロのぬいぐるみも、カフェファラオのぬいぐるみも、私物はすべて売られた。
友人を見送り、ほかの友人と泣きながら戻ってきたら、玄関に張り紙がしてあった。
『新島ましろさんへ。あなたには退去していただきます。違約金も、何もいりません。
あなたの私物はすべて売りました。カギはポストに入れておいてください。
お元気で。』
ひどくそっけない、マジックで書かれた文字は、雨でぬれてにじんでいた。
ましろは、今、この時から住む場所を失ったのだ。
それだけが、冷え切った頭にしみ込んできた。
「え……? そんな……」
ましろは、真っ白になった頭で考える。
10月の雨は、じんわりと、浸み込んでくるように冷たい。
「どうしよう、明日も仕事はあるのに」
友人を見送っただけでもショックが大きくて、やっと帰ってきたと思ったら、家を失った。
そんな、漫画みたいな話があるのか。
「ふ、ふふ……」
なんだか分からないが、ましろは、乾いた笑いを漏らした。
ひんやりと冷たいカギをポストに入れて、喪服に、黒いストッキングに、パンプスに、黒のカバン。
そしてそのカバンの中には、財布と、スマートフォン、持ち運びの充電器、ハンカチとティッシュ。
好きな曲がたくさん入ったウォークマン。それに、職場までの定期券だけだった。
「明日の仕事、どうしよう……」
こんなときでも、頭に浮かぶのは、仕事のこと。
ましろは仕事が大好きなので、無意識に考えてしまうのだ。
職場は、観光地の中にある、人気のコーヒーチェーン店『G1珈琲店』
社長が大の競馬マニアで、競馬協会に頼んで名前を借りたのだという。
G1珈琲店は、府中のほうに本店があり、そこは馬も一緒に入れるようにしている。
と、以前店長が言っていた。
制服は幸い、職場のコーヒーチェーン店の中にあるが、お気に入りの水筒も
お弁当箱も、通勤の時に使うリュックサックも、すべて売られてしまって手元にない。
ふらふらと、無意識にさっき出てきた駅まで歩いていく。
行く当てが本当にない。実家は遠いし、両親に心配かけてしまう。
反対を押し切って、都会まで来たのに。
「こんなこと、親に言えない……」
目の前に来た電車に飛び乗って、座席に座る。
一息ついたら、涙が出てきた。
友達が事故で亡くなって、泣きながら帰ってきたら、住む場所がなくなっていた。
「あ、仕事場に電話しないと」
しかし、この時間だ。忙しいかもしれない。
それに、なんて言っていいかもわからないし、今は電車の中だ。
なんて言おうか、と考えていると言葉が頭の中で浮かんでは散っていく。
(何を言っても、しっくりこないな……)
ましろは電話は受けるのは得意だったが、かけるのは苦手だった。
受ける分には、何を言えばいいのか? と考えなくても、あいさつをして、相手がいうことに
ただ、答えていればいいだけなので楽だった。
しかし、かけるのは違った。
自分で何を言うのか考えてかけないといけない。
「でも、なんて言おうか……」
友人の葬式に行っていたら、シェアハウスを追い出されました。
なんて、冗談でも言えない。
友人の死も、追い出されたのも、全てが冗談だったらよかったのだが
残念ながら、冗談ではなかったのだ。
「水音ちゃんの葬式、冗談だったらよかったのになぁ……」
水音は、ましろの大親友だった。
ましろが、ある日、競馬場に興味を持ち、そのままの流れで水音とともに
東京競馬場に行ってみたのだが、1流ホテルのようなメーンストリートにはしゃぎ
初めて見るサラブレッドにはしゃぎ、コーヒーゼリーソフトにはしゃぎ、楽しい1日を過ごした。
今でも、初めて東京競馬場に行ったことを、昨日のことのように覚えている。
電車に揺られながら、初めて行った日を、ゆっくりと思い出した。
『見て、水音ちゃん! あの子こっち見てる。めっちゃかわいい!』
パドックで、生クリームたっぷりのエクレアのような流星を持つ馬に、ましろは一目ぼれをした。
その馬は、見た目の通りに”エクレール”という名前で、スイーツの名前だった。
『本当だ。生クリームたっぷりのエクレアみたい。本当にかわいいね』
水音も、心底かわいい、と愛でる声で、エクレールを褒めた。
その日は、エクレールのデビューの日で、ああでもない、こうでもない
と、慣れない手つきでマークシートを塗り、初任給で馬券を100円だけ買い、手に汗握って
エクレールを応援した。
エクレールは勝てなかったが、それでも、馬の美しさ、かわいさ、格好良さに、心底感動した。
「あの時、エクレール君、何着だったんだっけ……?」
頑張って思い出そうとしたが、調べないとわからなかった。
初めて東京競馬場に行った日から、ましろは、エクレールに惚れたのは確かだ。
次々と、楽しい思い出が、シャボン玉のごとく浮かんでは消えていく。
ましろは、水音と休みが合い、エクレールが東京競馬場に来るたびに、応援のために足を運んだ。
『そのうち、うちら、エクレール君に覚えられちゃいそうだよね』
と、2人でパドックで笑った。その時間は何物にも代えがたいほど楽しかった。
そのうち、水音もG1レースの常連馬の、シルバープリンスという馬に惚れこみ
彼が走るレースを調べては一緒に出掛けて行った。
『今年こそ、シルバープリンスがG1を勝ちますように!』
そう願いを込めて、マークシートを塗り、発券機に100円玉を入れて、マークシートを入れる。
発券機には「ギャンブルはほどほどに」なんてポップな文字で書かれたシールが貼られているが
東京競馬場がそんなこと言ったところで説得力は皆無である。
「懐かしいなぁ。最後に見たG1は、秋の天皇賞だったねぇ。シルバープリンスは2着だったなぁ」
息をついて、カバンをましろは抱きしめた。
それから、ちらりと次の停車駅を見て、さらにため息をついた。
「水音さぁ、シルバープリンスが老衰で死ぬまで私は死ねないじゃん! 何て言ってたけど
先に死んでどうすんの?」
だれもいない電車で、ぽつりとましろは言う。
『エクレールとシルバープリンスが対決するの、いつか見たいね!』
頭の中で、水音が言った言葉が浮かんでくる。
「対決できてないし、エクレールは騙馬になっちゃったし」
エクレールが記念すべき3勝目を挙げたとき、ましろは1人で東京競馬場に足を運んだのだ。
水音を誘ったとき、水音は外せない用事が入っており
『ごめんね、また今度誘って! 私の分まで、エクレール君を応援してきて!』
エクレールが3勝目を挙げたときの彼の人気は、17番人気。18頭立ての下から1番目の
人気で、単勝は340倍だった。
凡走を繰り返していたエクレールは、だれにも期待されておらず「出るだけだよね」と言われていた。
しかし、最後の長い直線で、エクレールは、大外から駆けてきた。
いや、「飛んできた」という表現が正しい。
突然外側から飛んできたエクレールを、だれもが呆然と見ていた。
今までの凡走を繰り返していた時も、1秒も1着馬から離されていなかったとましろの父は
そう解説していたことを後になって思い出したが
その時は何が起きているのか、ましろも理解ができなかった。
ゴールを1着で駆け抜けたエクレールを見たましろは、呆然とした後に、自分が応援していたエクレールが勝ったのだと、泣きながら彼の勝利を喜び、ウィナーズサークルで
勝利に酔いしれるエクレールの写真をスマートフォンで撮り
大型スクリーンに出た払い戻しの金額を撮りと、Replay映像を録画し、エクレールの勝利を
たたえるメッセージを先ほど撮った写真を水音に続けて送った。
『エクレール君、勝ったよ! 水音が応援しててくれたから! 私今泣いてる!』
『おめでとう! ましろがずっと応援してたからだね!』
『発狂してる人がいたし、来るなって言ってる人がいたし、払戻金が表示されたとき
レース場は、拍手と笑いに包まれたし。最高だったよ!』
『本当におめでとう! これでシルバープリンスとの勝負まで1歩近づいたね!』
『また、絶対に一緒に競馬場に行こう!』
これが、ましろと水音の最後のやり取りになった。
そのやり取りを見返しながら、ましろはまた泣いた。
喪服を着て、スマートフォンを見ながら泣いているましろを、途中駅から乗ってきた
男性は怪訝そうに見ながら、端のほうの座席に座った。
[……終点です]
電車のアナウンスが聞こえてきて、ましろは無意識に降りた。
いつも、東京競馬場に行くときに降りている駅で、今日も体が勝手に降りた。
「あ、ここ、府中本町だったんだ……」
いつも人がたくさんいる駅だったので、すぐにはわからなかったが
ここは東京競馬場直結の、府中本町駅だったのだ。
いつも、水音と待ち合わせするように、東京競馬場に向かう直結の通路に向かってみたが
シャッターはおりていて、競馬場には行けなかったし、カツサンドを売ってる駅構内のコンビニも
カツサンドは売ってはいなかった。
「いつも、水音とカツサンドを買って、競馬場で食べたなぁ……」
途方に暮れたましろは、通常改札から出る気にもなれず、壁によりかかった。
駅の中にあるコーヒーショップも閉まっていて、入れない。
「コンビニで、何か売ってないかなぁ」
なんとなく、いつも入っていたコンビニの入ってみた。
G1を勝利した馬のカレンダーや、ちょっとしたグッズが売っていたが、ましろの好きな
エクレールのグッズは当然ながら、売ってはいない。
好きなグミも、好きな炭酸水も、買う気にはなれず、黙ってコンビニの外に出た。
駅構内は静まり返っており、コンビニの明かりと、駅構内の照明しか照らすものはなかった。
パンプスで歩いてきたから、脚も棒のようで、せめてどこかで座りたいが、ベンチはなくて座れない。
「うう、寒い……府中駅のほうのホテル、まだ部屋は空いてるかな……
百貨店が、歩いたところにあるのを前に見たから、そこで服を買って、部屋に泊まろうかな……」
ふらふらと歩いて改札に向かおうとしたとき、女性の声と、パドックでよく聞く、馬の足音が
雨音に交じって聞こえた。
「なんでこんな夜で、雨の日に外に出たがるのよ! エクレールのバカっ!」
『バカっていうほうがバカなんだぞ! あめこはそんなことも知らないのか! かわいそうに!』
声変り中の少年のような声が聞こえてきた。
ぎょっとして、改札を出てみると、栗毛の馬を引いた、小柄な女性がレインコートを着て
府中本町駅の外を歩いていた。
「寒いじゃない。私が風邪ひいたら、だれがあんたの世話をするのよ」
『バカは風邪ひかないぞ。よかったな。だから明日も俺様の世話ができるぞ』
恨めしそうに、大きな流星が顔の中央に走る栗毛の馬を、女性は見た。
声変り中の少年のような声は、隣の女性をあめこと呼んでいたが、だれが、呼んだのだろうか?
あめこと呼ばれた女性は、ましろに気づかずに歩いてきて、ましろにぶつかった。
「わっ」
ましろは驚いて声を上げた。
「わーっ! ごめんなさい!」
身長がましろより小さいあめこは、慌てて頭を下げて謝った。
「私ったら、レインコートが濡れてるのに! 本当にごめんなさい!」
こんな夜中に、そして、馬を連れて歩いている人がいることのほうに
ましろは驚いて目の前の人物をまじまじと見る。
「いえ、大丈夫です……」
あめこは、被っていたフードを脱いで、ましろを見上げる。
大粒の10月の雨が、彼女の髪の毛を濡らしていく。
「本当にごめんなさい! 痛くなかったですか?」
心配そうな色を浮かべて、あめこはましろを見る。
ましろは、あめこをまじまじと見る。
確かに、さっき、駅構内で聞いた声だった。
誰かと話していた声は、あめこのもので、もう1人の、声変りをし始めている男の子の声を
探したが、どこにも見つからなかった。
『あめこ、ちゃんと前を見ていないからだぞ』
あの、声変りをし始めている男の子の声を聞いて、ましろはあたりを見回す。
「こんなに暗くて、雨が降ってるのよ。ちゃんと前を見ていたけれど
人間は馬みたいに、広範囲を見られるわけじゃないの」
ましろは目を丸くした。
目の前で、馬と、人が話をしている。
しかも、目の前にいる馬は、ましろが大ファンの、エクレールだった。
エクレールが今、目の前にいて、あめこという女性と話をしている。
「あの、すいません。もしかしたら、その子は……エクレールさんですか? 競走馬の……?」
ましろは思わず尋ねた。
雨の中、あめこは、きょとんとしてましろを見てから、にっこりと笑って答えた。
「ええ、そうですよ。私は、エクレールの担当厩務員の、あめこ。と申します。」
エクレールにはモデルがいます。当ててみてください
私はその馬の大ファンです。




