体育館の鉄扉
広ければ広いほど、孤独感が増していく。
学生時代、町が管理している体育館を使う機会がよくあった。
体育館といっても新しくはなく、どこか湿気を含んだ古びた建物だ。だだっ広いのに人影は少なく、昼間でも蛍光灯が薄暗く点滅していることがあった。バスケやバレーの練習で訪れるのは、いつも私たち数人だけ。声を出せば響きはするのに、どこかぽっかりと空洞の中に放り込まれたような孤独感がつきまとった。
準備や片付けのたびに必ず立ち寄る場所があった。体育館の隅にある、重たい鉄扉の物置部屋だ。
中にはボールやネット、卓球台の折り畳み板、古びたモップやバケツ……ありとあらゆる道具が雑然と詰め込まれていた。埃っぽい匂いと、ゴムのようなにおいが入り混じり、長居したくなる空間ではない。けれど、練習の始まりと終わりには必ずそこを使わなければならなかった。
だが、その物置にはひとつ、妙なことがあった。
昼に準備をしたとき、私は確実に扉を閉めている。両手でぐっと押し込み、最後に「ガチャン!」と金属音を立てて鍵がかかるようにぴったり閉じる。そうしなければ、重い鉄の扉はびくとも動かない。
それなのに、夕方になると必ず三十センチほど隙間が空いているのだ。
最初は誰かが後から開けて閉め忘れたのだと思った。だが、毎回毎回そんな偶然が重なるだろうか。
建て付けのせいかと考えもした。けれど、扉は勝手に動くような軽さではない。閉じるときは必ず体重をかけなければならず、自然に開くことなどあり得ないのだ。
それでも私は「まあいいか」と気にしないふりをしていた。
――けれど、ある日、ついに理由を知ってしまった。
その日も夕方。練習が終わり、片付けに向かうと、やはり物置の扉は三十センチほど開いていた。
「またか」と思いながら近づいたそのとき、違和感に足が止まる。
隙間から何かがはみ出していた。
薄い布の切れ端か、あるいはビニールテープのようなもの。最初はそう見えた。ひらひらと揺れて、こちらの視線を誘う。
けれど、一歩近づいた瞬間、私は固まった。
それは布ではなかった。
半透明の、小さな手だった。
指の一本一本がはっきりと形を持ち、光を通しているのに確かに“質感”を帯びている。まるで水でできた手が、幾重にも折り重なりながら隙間から溢れているようだった。
ぞわり、と背中を氷でなぞられたような感覚が走る。目を逸らしたいのに、視線が離せない。
次の瞬間、その手たちが動き出した。
今まで風に揺れるように不規則に震えていた指先が、一斉にそろい、ゆっくりと曲げ伸ばされる。
――こちらへおいで、と言わんばかりに。
「……っ!」
息を呑むと同時に、私は走り出していた。頭の中は真っ白で、何に追われているのかも分からない。ただ、あの扉から離れなければという恐怖だけが身体を突き動かした。気づけばもう体育館の玄関まで辿り着いていて、振り返る勇気すらなかった。
それ以来、私はその体育館にほとんど行かなくなった。
けれど今でも夜の道で、ふと金属の扉が軋む音を聞くことがある。
そのたびに思い出してしまうのだ。
あの隙間に、今もあの小さな手が並び、私を呼んでいるのではないか――と。
あなたを呼んでいる