反転鏡
子どものから今まで、わたしの生活は、ほんの少しだけずれていた。普通の日常のはずなのに、どこか違和感が付きまとった。夜の海の微かな足音、体育館の物置から伸びる半透明の手、夢で追いかけてくる赤いワンピースの女。存在するはずのないものがわたしの心に深く刻まれ、いつまでも忘れられない印象を残していた。
部屋で鏡を見るたび、わたしは息を呑む。自分の姿がそこにあるはずなのに、どこかおかしい。片目だけが微かに光り、口元はほんの少し歪んで笑っている。髪の毛の流れも不自然で、風もないのに一房がぴくりと揺れる。視線をそらしても、鏡の中の顔はわたしを追うように動き、時折首が微かにねじれたり、口の形がありえないほど広がったりする。恐怖が胸を押し潰す。最初は気のせいだと思ったが、日が経つにつれ、ずれは確実に増していく。わたしは現実から目を背けるように、鏡にカレンダーを張り付けた。ガムテープで何度も何度も張り付けた。
ある晩、わたしは鏡をぼんやり見ていた。足元には、ボロボロにちぎられたカレンダーとガムテープの山。視界の端で赤い色がチラリと揺れた。夢で何度も見た赤いワンピースの女を思い出す。息を詰め、近づこうとすると、鏡の中のわたしの顔がこちらを見て笑った。けれどその笑みは、口の端が異様に裂け、瞳は黒く塗りつぶされている。背後から、布の擦れるような音だけが空気を切って近づく。
全身にじりじりとした痺れが走る。わたしは膝から崩れ落ち、何度も立ち上がろうと試みる。わたしの手は何かに掴まれているかのように動かない。ただ床を見つめるわたしの背後にそれはせまり、「とん」っと肩に手をかけたのだ。
その瞬間、私は震える足に力が宿るのを感じた。じっとりと汗で濡れた手で壁をつたい、ようやく立ち上がる。鏡の中に映っている私の姿を見て、妙な安堵を覚える。
鏡の向こうにいるのは、わたしの面影を残した別の何かになっていた。虚ろな目は焦点があわず、口元からは表情が読み取れない。それもそのはず、鏡で見るわたしの顔は、全てのパーツが逆向きにつけられているのだ。耳はつぶれ、目は外を向き、口角があるはずの場所は歪んでいる。わたしの右腕には、左腕がついていて、手の平が外側を向いている。こんなものが、現実なわけがない。
私は鏡にうつるありのままを受け入れ、歪んだ体を愛おしく抱きしめた。無理に笑顔を作ろうとして口が真ん中から縦に避けた。鏡に飛び散った血の一滴すらも愛おしい。思わず口元を抑えると、手の平が鏡を向いている。歪だって構わない、これが私なのだから。
そして、わたしは気づいた。今ここに立っているのは、もはや「わたし」ではないのだと。動かない足は、いつまでも鏡の前で立ち尽くしている。歪んだ顔を悦に浸るように見つめるそれは、わたしの意識を徐々に奪っていく。
鏡の中には私が映っている。――もう、私の中にわたしはいない。
私