8 彼女はホントの家族を得る
列車に乗り込むとコンパートメント席が空いていたので、窓側にシャウラが座り、その横にヒューイが座った。
ヒューイは早々にフードを深く被りトランクの中からぼろぼろの本取り出して読み始める。ユリシャはシャウラの向かいの席で、夕焼けが機械都市を染めるのを眺めていた。
――ふと、視線を感じて振り向くとシャウラがユリシャを見てほんの少し微笑んだ。
ユリシャは驚いた。
「ヒューイ! シャウラが笑った!」
ユリシャがそう言った瞬間に、すぐにヒューイが本から目を離しシャウラの顔を見てみたが、シャウラはいつも通りの無表情に戻っていた。
「ユリシャ……嘘言ったんじゃないだろうな……」
ヒューイはちょっと拗ねたように言ったあと、「嘘じゃない! 嘘じゃないって!」と慌てて言うが「ホントかー?」と言って癖っ毛でくねくねしているユリシャの髪の毛をさらにくしゃくしゃにされた。
前にシャウラに頭を撫でられた感触と全く違う感触がした。
もう一回、笑わないかと思いユリシャは「ねぇー、シャウラ」と声をかける。
「シャウラは、赤と白どっちがいい?」
そう聞くと、シャウラがまた微笑んだ。
「赤ね!」
「なんでそんなことわかるんだよ」とその二人の様子を見ていたヒューイから横槍が入る。
「なんでそんなことわからないの」と勝ち誇ったようにふふんと笑ったら、ヒューイは苦虫を噛み潰したかのような顔で悔しそうに唸った。
シャウラは妹のようなお姉ちゃん。
ヒューイは弟のようなお兄ちゃん。
今まで家族がいなかったユリシャに家族ができたように感じた。
列車の旅は翌日の朝になったらもう終わり、三人は知らない土地に降り立った。
こんな遺跡しかない寂れた駅で降りたのはユリシャたち以外にいないと思ったが、一番奥の車輌の方で杖をついた男が一人いた。
ユリシャが地図とコンパスを見て遺跡の方向を確かめていると、後ろでヒューイがリボルバーに弾が入っているかチェックしていた。その姿をじっと見つめていたら、ヒューイがその視線に気づいたらしく「こうゆう遺跡の近くには魔法が効かない魔獣もいるんだよ」とヒューイは言った。
そんな魔獣がいるとは知らなかったユリシャが、そっかと納得した後に、そんな小さな銃で倒せる気はしないと思ったので「なんかその銃小さくて……全然、倒せなそう……」と心配した。
「俺にはちょうど良いんだよ。軽くて」
多分、剣の練習もサボっていたと思われるひょろひょろで体力のないヒューイの姿に深く納得し溜息をついた。
ユリシャを先頭にして森を進んでいくと、バサッと大きな羽ばたくような音と一瞬だけ太陽の光を遮る大きな影がユリシャたちの上を通り抜けていった。
「ドラゴンだ!」とヒューイが子供のような喜んだ声をあげると、初めてみる本物のドラゴンの迫力にユリシャは驚いた。ドラゴンは真下に人間がいることに気づいてはいないのだろう、もうどこか遠くの空に飛び去ってしまった。
それを見届けた後、あのひょろひょろなヒューイが一人で、あの強く羽ばたくドラゴンを捕まえたように思えずに「そういえば、ヒューイってドラゴンを召喚してたけど、どうやって捕まえたの?」と聞く。
「他のハンターたちと一緒に狩りに行くんだよ。一人だけじゃ無理だからな」
ヒューイはドラゴンが飛んでいった空の先を嬉しそうな顔をしながら眩しそうに目を細めて言う。
「そっか」
この旅が終わったら、他の人たちと一緒に旅をすればいいのかなと帰る場所のないユリシャは考えた。
(ヒューイとシャウラと三人で一緒に暮らしたいな……)
ユリシャはそう思ったが、そんな湿った気持ちをおくびにも出さない明るい声で「どうやってシャウラの魂を取りに行くの?」と聞いた。
ヒューイは遠くの空から視線を外し、ふむっと言った表情をしながら正面を向いた。
「古代魔術でね、冥界に行く魔法があるんだ。そこに行くには、精霊の魂をどうにか、こうにかするらしい」
「どうにか、こうにかって具体的に何するのよ?」
「そこを俺は探してる」と肩をすくめて困ったような声で言った。
「どこで知ったのそれ?」
ヒューイはトランクを軽く叩きながら「本」と言った。それで、ユリシャはヒューイがいつも読んでいるぼろぼろの本の中身を今更知った。
(なんでも知ってるヒューイにも知らないことがあるんだな)
二人は歩きながら、会話を続けた。
「今日行く遺跡にいけば方法がわかるの?」
「いや、古代遺跡の中に精霊がいるらしい」
続けて「精霊を捕まえにいくの?」と聞くと、「そうだ」とヒューイは言う。きっと捕まえた精霊は、ヒューイの捕まえたドラゴンのように透明な結晶に押し込められてしまうのだろう。ユリシャはなんか精霊が可哀想な気がした。
そのまま森の中を進んでいくと拓けた大地が広がっていた。
(これが遺跡?)
ユリシャが想像していた城のようなものじゃなく、地面に大きな穴がぽっかりと空いていて、その穴の中で崩れかかった石の螺旋階段が、壁を沿うようにぐるぐると地下へ地下へと誘っていた。
遺跡の階段の手前の方で下の様子が見えないか目を凝らしていると、背中の方から「なんだ、ここにいたのか」と紳士が持っていそうな黒い杖をつき、丸眼鏡をかけて、短いグレーの髪をした男が話しかけてきた。
その男は真っ黒のローブを着ていて、いかにも魔法使いだと言うような格好をしていたものだから、ユリシャはてっきりヒューイの知り合いかと思った。
「知り合い?」とユリシャがヒューイの方を振り向くと「いや、知らない人」と言いながらヒューイは手に持っていた革のトランクを地面に投げ捨て、腰にあるリボルバーに右手をかけ戦闘体勢をとった。
――突然、周りを黒い炎が噴き出した。
それをすぐに青い炎が掻き消すように噴き出し消えた。
一瞬のことで何が起こったのか、ユリシャがよく分からずにいると、いきなり腕を強く後ろに引っ張られ、ヒューイが一歩前に出た。
ヒューイは左手で胸のポケットからエメラルドグリーンと白の結晶を出して呪文を唱えつつ、右手でリボルバーの引き鉄を引いている。リボルバーから元気よく飛び出した弾は男の方に飛んでいったが、黒い炎がブワッと広がった後にすぐに消え、何事もなかったかのような顔の男がそのまま立っている。
ユリシャはそんなヒューイが戦う背中を見ていたが、身体の動かし方を思い出したかのように、ヒューイの隣に立って昨日買ったばかりの銀のナイフを前に掲げた。
(私も、みんなを守る!)
ユリシャがそう思った瞬間に巨大な氷柱が男に向かって走ったが、あっさりと黒い炎に飲み込まれ姿を消した。
ヒューイの持っている結晶から輝く霧のようなエメラルドグリーンのドラゴンと白いオオカミが姿を現した。
男の持っている杖には文字のような紋様が掘り込まれていて、男の握っているグリップから地面の方向へ紋様の溝を通るように、ライムグリーンの光を雷のようにピカッと走らせる。
その瞬間、男の足元から強い光を発したと思ったら、ライムグリーンの雷の塊といったようなものを召喚した。
エメラルドグリーンのドラゴンと白いオオカミが男の方に向かっていったが、突然の眩しい光がここにいる全ての人の視界を奪った。
ユリシャが恐る恐る目を開けると、先ほどのエメラルドグリーンのドラゴンと白いオオカミがまるで幻だったかのように霧散して消えていくのが見える。
それを見たヒューイは手から透明になった結晶を落とし、カランと乾いた音がした。
ユリシャがあれはなんだったんだろうと思い動けないでいると、ヒューイが「逃げろ!」と短く言ってユリシャとシャウラの腕を掴み、遺跡の地下へ向かう階段を駆け降りるように走る。
ユリシャの背中の方から突然強い光と強烈な痛みが押し寄せて、ガランと崩れ落ちた階段とともに三人は暗闇の中に落ちていった。
◆
ヒューイが魔法を使って着地しようとする前に、床に叩きつけられたか思うほどの衝撃が背中に走り、同時に大量の水が鼻と口から入ってきて一瞬パニックになったが、すぐさま水の中だと分かった。
辺りは暗くて何も見えなかったので、強い明かりを魔法でつけたが、焦っていたせいか光がついたのは一瞬で、どちらが下でどちらが上かわからなかった。最後の空気が口からゴボリと吹き出して、そのまま、溺れそうになったが、ヒューイの腕を力強い手で引っ張られ一瞬で空気がある暗闇の世界に顔を出す。肺に入った水を押し出すようにゴボゴボと咳をしたが、ヒューイの手を引っ張ってくれた力強い手が背中に触れると途端に息ができるようになった。
引っ張ってくれた人物を見ようと後ろを向いたが、ボチャンとまた潜るような音がしてそこには誰もいなかった。
ヒューイが明かりを再度天井に向かって灯すと、どうやらそこはまるで巨大な井戸の底といったような空間で、一部だけ先へと行けそうな通路が伸びていた。
突然、バシャンと大きな音がしたのでそちらの方を向くと、ユリシャがシャウラを抱きながら、「私、泳ぐの得意だから」とにっこり笑った。
◆
「怪我はないか?」
先に通路のような陸地に上がったヒューイが、手を差し伸べながら言ってきた。
先ほどの雷のようなものが直撃し、ユリシャの背中は熱く痛んでいたが、「私は大丈夫!」と元気な声を出して、両腕で抱えていたシャウラをヒューイに届くように持ち上げた。シャウラを二人で頑張って陸地に乗せたのち、ヒューイはユリシャに手を差し出して、「掴め」と言ったのでありがたく手を借りて陸に上がった。
水から上がって空気に触れると、ユリシャの背中が更に酷くズキズキと痛んだが、気づかれないように「早く行こ!」とヒューイの背中を押し三人は歩き始める。
ヒューイが先頭に立ち、魔法で先を照らしていきながら、急いで奥の方に進んでいくと、最初は四角い石がごつごつと並べられた人工的な壁が、そのうち岩を削って作ったような通路になってきた。それと同時に徐々に通路の幅が広くなってきて、ぽっかりと丸く広がる神秘的な白い鍾乳洞に辿り着いた。
その鍾乳洞はまるで秘密の海岸のように水が溜まっており、奥へ行く程に水が深くなっているようで、その先には行けなかった。
「私ちょっと見てくる」とユリシャが言うと、肩にかけてあったびしょびしょの革の鞄を地面の上に放り投げ、水の中に飛び込んだ。「馬鹿、一人で行くな!」とヒューイは怒って追いかけようとしたけど、足に水が触れるとすぐさま水から足を抜く。
その水はまるで真冬の湖の様に冷たくて、人間が泳げる様な温度では到底なかった。
「私、ダイジョーブだからー!」とユリシャの大きな声が鍾乳洞にこだまして、「早く上がってこい! ユリシャー!」とヒューイは悲痛な声で叫んだが、まるでヒューイの声が聞こえてないかのように水の中に潜ってしまって、そのまま闇の中に消えていった。
冷んやりとした水が、ユリシャの背中の傷にとても心地よかった。
今まで触ったどんな水よりもユリシャの身体に馴染んでて、水の中のもっともっと深いところへと誘われているような気がした。
まるで自分も水だったのではないかと思うほど深く深く泳いでいくと、ユリシャは自分が呼吸もせずに水の中にいることに初めて気づいた。気づいた瞬間に、もうすでに手足がある感覚はなくユリシャは自分が水の一部であることを感じた。
(そっか。私、人間じゃなかったんだ……)
好きな人と結ばれない、最後には泡となって消えた人魚の悲しい運命の童話をユリシャは思い出した。
不意にヒューイのことを想って、涙が出たような気がした。
ユリシャはもう自分が何者なのか、分かっていた。
焼け落ちた森で一人必死になって火を消した過去を思い出す。
(あの森、どうなったんだろう。森は再生したのかな……)
一緒に燃えてった赤子を思い出す。
(私、ずっと人間になりたかったな)
ユリシャは自分の使命を思い出す。
(もっと、ヒューイと一緒に旅したかったな……)
冥界へと続く深い深い水の底にユリシャは進んでいった。
◆
ヒューイは、ユリシャの泳いでいった水の向こうをジッと見つめていた。
水の中に潜っていったユリシャは、とっくに人間だったら死んでいる時間なのに、姿を現さなかった。
「ごめんな……さい……」
か細い女性の声が聞こえて、下を向くとシャウラが泣いていた。
ヒューイには、シャウラがどうして泣いているのか分からなかった。
ヒューイはしゃがんで、シャウラと同じ目線になると、「大丈夫。ユリシャは戻ってくるよ」とシャウラの涙を拭いた。
通路の奥からコツコツと歩く靴の音がしたので、ヒューイは素早く振り向くと、さっきの杖をついた男がいた。
男は「なんだ、死んでしまったのか。残念だ」と言って、踵を返した。
「……待て」
ヒューイの声に男が再びこちらの方を向く、男はヒューイに全く興味がないようで「なんだ?」とだけ言った。
「お前、何しにきた?」
「ここに来る時、聞いてたぞ。お前も同じ目的だろ」
男が興味なさげに言った。
「精霊を捕まえに来たんだろ」
そこでようやくヒューイの疑心が確信に変わる。
(そっか、ユリシャは精霊だったんだ……)
今まで、気づいていてもなんとなく見ないふりをしていた事実を思い出す。
――冷たくて気持ちいいユリシャの手。
――人間と馴染めずに妖精と遊ぶユリシャ。
――自分の化身のように水を操るユリシャ。
きっと精霊だと知ってしまったら、この旅はもうすぐ終わりを告げる。
「ごめん。ユリシャ……もういい。もういいよ……」
ヒューイは泣きながら「戻ってこい」と命令した。
男は踵を返して、先ほど来た道に戻ろうとしていたが、足を止めて、水のある鍾乳洞の方に再び向いた。
「あぁ、すごい。ほんとに戻ってきた」
男はそう言ったあと呪文を唱え始める。
「やめろ!ユリシャを傷つけるな!」
ヒューイは叫んだが、男は先ほどの召喚したのと同じ強い光の魔法陣が輝き、雷の精霊を呼び出した。
「ユリシャだめだ来るな! こっち来ちゃダメだぁああ!」
ユリシャがもうすぐそこまで来ている気配を感じた。
雷の精霊が出したライムグリーンに輝く雷電が水に向かって飛んでいくと、途端に巨大な氷の壁ができたが、雷に当たってガラガラと砕け落ちた。
――崩れ落ちた壁の後ろにユリシャがいた。
まるでもう人間じゃないかのような冷たい目と、晴天の光の中で煌めく水のゆらゆらした反射を纏った水の姿で、水の上に立っていた。
ユリシャは手を前に出すと、水が生き物のようにうねりながら大量の氷の剣が生まれて男の方へ襲いかかる。
男は嬉しそうに「精霊だ! 精霊が来たぞ!」と言って、ユリシャの方に雷を放った。
雷と氷の凄まじい音の応酬が続く中、ヒューイはぼんやりと、もう人間ではなくなったユリシャの方を見ていた。
男が違う呪文を唱え始める。その呪文に聞き覚えがあったヒューイは「やめろ!」と言って男に向かって何度も何度も発砲し青い炎が煌めくが、黒い炎がヒューイの想いを全て燃やして消えていった。
余りにも力の差が歴然とある精霊使いの男に対して、ヒューイは手も足も出なかった。
◆
ユリシャは遠くから自分のことを呼ぶ声が聞こえた。
その声に誘われて攻撃の手を緩めると、こちらにおいでと甘い言葉で囁かれる。
ユリシャは言われるままに声のする方へ向かっていった。
◆
男の目の前にユリシャがいた。
煌めく水の身体は、まるで実体がないかのように地面を浮き、虚空のような視線で男を見つめる。
「ユリシャ!その呪文を聞くな!」とヒューイはユリシャに命令したが、なんの意味もなさなかった。
精霊を使役する呪文を詠唱し終わった男は「じゃあ、このまま連れて帰ろう」と何事もなかったかのように言って、後ろにユリシャを従えながら踵を返す。
「さようなら」と男が言うと、大きな音と強い光に目が眩んだ。
大きな岩盤が上の方からガラガラと落ちてきて、ヒューイとシャウラは巨大な鍾乳洞の中に閉じ込められた。
◆
ユリシャが目を覚ますとそこはベッドの上だった。
真っ白な蛍光灯の明かりがとても眩しくて目を細めると頭の上から「おはよう」と声をかけられた。意識がはっきりしてくると、そこはとても真っ白な天井が広がっている空間だということに気づいた。
男は「君はとっても珍しい精霊だね」と言いながら、ユリシャのいる白いベッドの周りをコツコツと杖をつきながら歩く。
ユリシャは男が何のことを言ってるのか分からずに、何も喋らないでいると、「なんでこうなったんだろう?」と男は独り言のように呟いた。
「君は人間の言葉が分かるのかい?」と男が聞いてきて、それにこくんと頷くと「なるほどな」と男は何かがわかったような感じで呟いた。
「君の魂は精霊なのに、なんで君は人間の身体の中にいるんだろう?」と男が呟いたのを聞いて、(あぁ、あの時の赤子の中に逃げ込んだんだ)とユリシャは思い出したが、特に何も言わなかった。
周りを見渡すとやっぱり真っ白な壁が広がっていて、壁には大きなガラスの窓があってその向こうに白衣を着た人間たちがいた。
「君はここがどこか分かるかい?」
その問いかけに無視すると「ここは魔法技術協会の実験施設だよ」と男が全く意に介さずに続けた。
「私は帰る」と抑揚のない冷たい声でユリシャが言うと、同じぐらい冷たい温度の声で「帰さんよ」と男は言った。
ユリシャはこの建物を壊すような大きな氷柱を何本も地面から突き出した。
建物が大きな音を立てて崩れ、白衣を着た普通の人間は全員死んだ。
今のユリシャは自分の力のことが全てわかっていて、何をどうすれば氷柱を出せるのか?なんて考えなくても出せた。
ただ、近くにいた男の周りには黒い炎がチラつくだけで全くの無傷だった。
「帰る」とユリシャは言った。
「ダメだ」と男が言った。
ユリシャはベッドから起き上がる。
「パスポーティオ」
ユリシャの手には男が取り上げたはずの銀色のナイフが握られていた。
「素晴らしい。精霊なのに人間が使う魔法を知っているのか!」と男は感心したように言う。
ユリシャは男の言葉を無視し、手に持った銀のナイフで、なんの躊躇いもなく自分の胸を貫いた。
◆
ヒューイとシャウラは鍾乳洞の小さな空間の中にいた。
ヒューイはシャウラを強く抱きしめて、「ごめん。シャウラ」と呟いた。
(ユリシャは精霊だったから、シャウラがなんて言ってたか、わかっていたんだな……)
そう思うと、なんだかヒューイだけ仲間外れになったような気がして、寂しい気持ちになった。
ヒューイがこれからどうしようと考えていると、胸の中にいるシャウラが「戻っ……てきた……」と呟いた。
――すると、狭い空間を照らすように白っぽい透明な水の煌めきを纏ったユリシャが浮いていて、今まで見たこともないような冷たい目でヒューイを見つめてきた。
『冥界に行くのか?』と元々ユリシャだった精霊は何の感情も乗せない冷たい声で言った。
ヒューイはその姿をじっと見つめ何も言えないでいると、『連れてってやる』と精霊が手を差し伸べる。
ヒューイは震える右手でその手を握ると、ユリシャを思い出すような冷たい指先だった。
――ヒューイが目を開けるとそこには大きくて蔦を纏ったような装飾がなされた灰色の扉があった。
周りを見渡すと扉以外には何もなく、真っ白な空間が広がっている。
ヒューイが扉を見上げるとその扉はどこまでも真っ白な空間の中で上の方が全く見えないほどの大きさがあり、人間の手で開けるのは無謀かのように思えた。
『来い』とユリシャの形をした精霊が言って、精霊が扉に手を軽く当てると大きな扉が人間を招き入れるようにゆっくりと開いた。
冥界の扉が開くとそこには、ヒューイのいる方に背中を向けて椅子に座った一人の女性がいた。
女性と椅子以外には何もなく、ただ真っ黒な空間が広がっていた。
ヒューイは白い空間に、その女性は黒い空間にいて、冥界の扉が二人のちょうど真ん中の位置で隔てている。
ヒューイの方からは女性の顔が見えなかったが、ヒューイにはその女性が誰なのかすぐにわかった。
「シャウラ」とヒューイが呼ぶと、「馬鹿ね!」と返された。
ヒューイが何も言えないでいると、
「何、ノコノコ来てるのよ!」と女性に叱責される。
少し沈黙が続いた。
「ヒューイ。早く帰った方がいいわ」と先ほどの叱責する声とは正反対の、穏やかで花の香りが漂うような優しい声で彼女は言った。
「貴方を待ってる人がいるじゃない」
「うん……ごめん」
「ごめんって何よ。貴方が死ぬのを待ってるわ!」
女性がそう言った瞬間、冥界の扉がゆっくりと閉まっていく。
「……三人で一緒に旅できて……面白かったわ……」
最後に女性が呟くと、扉は完全に閉じてガチャンと鳴った。
夢にまで見たシャウラとの逢瀬はとても短かかった。
扉は上の方から消えていき、精霊も一緒に消えていく。
「ユリシャっ!」と叫んだが、そこにはただ真っ白な空間だけが残っていた。
――ぴちょん。
顔に冷たい水滴が当たり、ヒューイは目を開けた気がしたが、今度は真っ暗闇だった。
さっきまで見ていたのは夢で、これもまた夢の続きなのかと思った。
一応、物は試しということで、明かりをつける魔法を使うと、ぼんやりとした明かりに照らされた鍾乳洞の小さい空間にいることに気づいた。
(俺はずっとここにいたんだ……)
ヒューイの胸の中にはシャウラの死体があった。
冷たくて、重い。先ほどの夢の中で見たシャウラとは違い、そこにいるシャウラはただの物体であることをヒューイは再認識すると、ふと右手に冷たい小さな手があることに気づいた。
ヒューイの身体の上に乗っているシャウラの死体を地面にどかし、ヒューイが右手の方向に身体を寄せると、そこにはユリシャがいた。
「ユリシャ」
声をかけてみたが反応はなく、さっきより大きな声で「ユリシャっ!」と叫んだら、驚いたようにユリシャが目を覚まし「うるさい!」と怒鳴った。
「よかったぁ……」
安堵の声を出して地面の方に俯くと、ユリシャは「せっかく、いい夢見てたのに!」とぷりぷりしながら言った。
ヒューイは顔を上げて優しい視線でユリシャの顔を見ながら「どんな夢?」と聞いた。
ユリシャは楽しそうに自分が見た夢の話をヒューイに聴かせる。
「んっとねー、実は私は水の精霊で昔、森に住んでたんだけど、森が火災になっちゃって、人間の女の子の身体に逃げ込むの。
そのあとなんか、ヒューイが私のところに会いにきて冥府の扉の前まで連れて行くと、扉の中にシャウラがいて、みんなで仲良く面白い旅の話をしてたんだ。
本物のシャウラはもうすっごく美人で、もうすごい……ヒューイと付き合うなんて勿体ない! って感じだったんだけど、ヒューイとシャウラがラブラブだったから、仕方ない許そうって精霊の私がそう思ったら、いつのまにか森の中にいたの。
そしたらね。ヒューイとシャウラが結婚して赤い屋根で白い壁の小さな可愛いお家で暮らし始めるの。私がそれを羨ましそうに見てたら、シャウラが一緒に暮らそうって言ってくれて家族になるんだ。
シャウラが作ってくれたパンがすっごく美味しくて何個も食べちゃったら、ヒューイに食べすぎって怒られちゃった」
ユリシャが描いていた最高のハッピーエンドをみた気がして、「…………もっと夢の続き、見たかったな……」と呟いた。
(きっとあの夢は、お姫様と王子様が結ばれる物語のハッピーエンドのその先の未来なんだ……)
ユリシャはそう思い胸が熱くなった。
何も言わないヒューイの方を見ると、彼は今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「ヒューイ泣いてるの?」と聞いたら、「ユリシャ〜!」と涙声で呼んで、ユリシャに抱きついてきた。
「え? 何、どうしたの?」と言ってもヒューイは泣いているのか何も答えずに、ユリシャはぎゅっと力強く包まれた。
◆
さっきまで泣いていたもんだから、決まりが悪くなったヒューイは「行くぞ」と胸の中にいるユリシャから視線を外し言った。
「どこに?」とユリシャがヒューイの顔を見上げて聞いた。
「シャウラの死体を元の場所に返しに行こう」と言って、ぎゅっと硬く抱いていたユリシャのことを柔らかく解放し手を握った。
(とは、言ったものの……)
地下の深くて狭い場所に押し込められている状況からどうやって脱出するかヒューイはまだ考えていなかった。
壁に背を預けて膝を抱えたまま頭を捻りうーんと言ってると、地面に落とした革の鞄を肩にかけながらユリシャが嬉しそうに「私ここから出る方法、知ってるよ」と言った。
ヒューイが眉を顰め「危険なことはやめろよ」と優しく諭したが、ユリシャは「大丈夫!」と言って立ち上がる。
身長の低いユリシャだったから、こんな狭い空間でも頭を天井にぶつけないんだなとヒューイが感心して見ていると、ユリシャは集中するように手を冷たい水の上にかざした。
するとユリシャに近い方から水がどんどん凍っていき、意思を持った生き物のように何本もの氷柱が徐々に天井を上へ上へと持ち上げていく。
人が通れるぐらいの道ができて「ほらね」とユリシャは言った。
今まで、ユリシャのショボショボな魔法を見てきたヒューイがポカンとした表情をする。
「なんで……そんないきなり魔法を操れるようになってんだよ……」とヒューイが聞くと、ユリシャはうーんと考えて「気合い……かな?」と自分でも分かっていなそうな答えが返ってきた。
どうやら彼女は自分が水の精霊であることに気づいていない様子であった。ヒューイはそのことに安堵しながらも、またどこかに行ってしまうのではないかと不安になる。そんな不安を振り切るような明るい声で「まぁいいや、行こう」とユリシャに手を差し伸べると、ユリシャはとっても嬉しそうな顔をしながら、小さい手を重ねた。
(やっぱり、冷たいんだな……)
人間になりきれなかった精霊なのか、精霊になりきれなかった人間なのか、ヒューイには分からなかったが、この小さな手と一緒にいたいと強く思って、ヒューイはユリシャの冷たい手を温めるように優しく包み込む。
シャウラの死体にも魔法をかけて、後ろを歩かせるようにすると、ユリシャは不思議そうに「なんで手を繋がないの?」と聞いてきた。
ヒューイが「もういいんだ」と言うと、ユリシャが全然納得してなさそうな顔でこちらを見てくる。
ヒューイはその様子をチラリと見た後、前を向き歩き始める。
「ほら、もうここに精霊なんかいなかったろ。人間は生きてるうちに冥界なんかに行けないんだよ」と諭すように言う。
通路の先に歩きだしたヒューイの身体が、いきなり足を止めたユリシャに引っ張られ、グンとなって足が止まった。
「ヒューイはそれで、もういいの?」とユリシャが悲しそうな顔でヒューイの青い目を見つめて言った。
「いいんだ。俺は」
ユリシャのグリーンの目を見つめながら寂しそうに言ってから「さっきユリシャが夢の中で見た世界が、冥界にあってさ。シャウラもそこで幸せそうに暮らしてるかもしれないだろ?」といつものヒューイらしく冗談めかして言ってきた。
その言葉に何か納得したらしくユリシャは「そっか」とだけ言って、また歩き始めた。
二人は来た道を戻るように遺跡の出口の方へ歩いていくと、突然「あれ? ない!」とユリシャが何か慌てたように革のコルセットについたポケットを探している。
その焦っているような様子がおかしくて少し笑ってヒューイは聞いた。
「どした?」
しょんぼりとしたユリシャの顔が地面を向いて俯き「せっかく買ったナイフ無くしちゃった……、結構気に入ってたのに……」と呟いた。
突然ユリシャが焦った理由が、些細な出来事だったのでヒューイは少しほっとした。
「また買えばいいよ。早くしないとまた崩れそうだ。急ごう!」
ヒューイに言われ握った腕を少し引っ張られるようにユリシャたちは走り出す。
二人と一体の死体が光のある出口の方向へと進んでいく。
(きっと、水の加護があったのね……)
そう思うことにして、失くしたナイフを諦めた。
ユリシャは、ヒューイに引っ張られている手を絶対に離さないようにしながら、人間がいる世界の方へ向かっていった。
◆
深夜の十二時に時計の針がまわる頃。
久しぶりに苦い想い出がたくさん詰まったこの場所に来た。
そこは、大きなハナミズキの樹がある丘の上だった。ハナミズキはもう散っており、そんな悲しそうなハナミズキの樹に寄り添うように、白い百合の花が風になびいて優しく揺れている。
ヒューイは一人で黙々とシャベルを動かして、何時間もかけて棺が入るほどの穴を掘った。
棺の中には、とても美しいお姫様が、魔女に呪いをかけられたかのように眠っていた。ユリシャは棺の中に白い百合を捧げた。ヒューイはいつも旅の途中に読んでいた、ぼろぼろな本を棺の中に収めた。
そのあと、ヒューイがシャウラの髪を飾っていた赤いリボンをこっそりとポケットに入れたのをユリシャはひっそりと見届けて、棺の蓋を閉めた。
ヒューイが一人でシャウラを埋めているのを見ていると、ユリシャとの旅はこれで終わりなのかと寂しく思った。
(これから私たちは別々の道に行くのかな……)
そう思うとユリシャとヒューイの関係はシャウラがいないと成り立たない、とても希薄な関係のように思えてきた。
ヒューイはシャウラの入っている棺に土をかけ始め、徐々に棺は見えなくなっていく。
そして棺を埋め終わると、ヒューイは黒いコートの内ポケットから紫の結晶を取り出した。
何も言わないでそのまま持っていると、痩せこけた浅黒い男が煙のように出てきた。
『ようやく解放してくれてありがとよ。ザマーミロ』と言って消えた。
ヒューイは次に水色の結晶を出して「今まで、ありがとうございました」と言うと、精悍な顔つきの男が霧のように出てくる。
「お前も、ようやく大人になったな』と言って、すっと闇の中に消えていった。
ユリシャが魂たちの消えてった空間を見上げていると、ヒューイが「こんなのしか、ないけど……」と、シャウラを埋めた場所の近くに生えていた白い百合の花を摘みとった。
ヒューイの体はシャウラの眠っている方向に俯きながら、
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、……」
(あ、これ結婚式で神官様が言うやつだ)
ユリシャは無言でヒューイの姿を横から見ていた。
「……富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、……」
ヒューイがゆっくりとした動きでユリシャと正面に向かい合う。
彼は俯いていて、表情は見えなかった。
「……その命ある限りずっと一緒にいようと誓ってくれますか?」
ヒューイは膝を折り、ユリシャの方に向け、まるで王子様のように恭しく顔を上げた。
その顔は、いつもより赤く染まっており、麗しい青い瞳でユリシャのことを突き刺すように見つめている。
震える手には百合の花。
ユリシャがポカンとしていると。
彼が「はいって、言え」なんて不遜に言うもんだから、「……はい」と答えて、ヒューイの手が捧げてくれた純白の百合の花を手で受け取ろうとする。
そしたら、いきなり黒髪の王子様が立ち上がり、強くユリシャを抱き寄せた。
そのまま、そっと優しく手を添えて、彼女の顎を上げられてしまったら、青い目線の王子様に、ユリシャの初めての唇が奪われる。
――見え麗しい王子様と夢見る小間使いの物語が幕を閉じるまで、満月のスポットライトが二人を明るく照らしていました。
めでたし、めでたし。