6 彼らの頭は春爛漫
ヒューイは車の運転しながら、助手席のいるユリシャの方をチラリとみる。
あんなにお喋りだったユリシャが黙ると、シャウラと二人で旅をしていた時の気持ちを思い出して、今までのどうでもいいやりとりと無駄な会話がちょっと恋しくなってきた。まるで、二人は雑談の方法を忘れてしまったかのように重い沈黙の中にいた。
「もうすぐ暗くなる。泊まるところを探そう」とヒューイは言ったが、「私は大丈夫……。運転代わるから、ヒューイは荷台で寝ときなよ」と彼女が落ち込んでいるのが分かる声で返された。
あれから何時間も経っていて、硬い座席しかないこのガタガタと揺れる車のせいで、ヒューイは尻が痛かった。ヒューイはそんな尻を心配し「俺は硬い床で寝たくない」というと、(よくそんなんで旅できたわね……)とユリシャは思ったが、口には出さなかった。
そのまま進んでいくと、街の光が見えたので、ヒューイはそれを目指してハンドルを切った。
夜になって、各々が宿の部屋に入る。
「一人でいるのが寂しかったら、こっちの部屋きてもいいんだぞ」とヒューイは優しく声をかけたが、「大丈夫、今は一人になりたいから……」とユリシャは言って、自分の部屋の方へ行った。
ヒューイの視線を背中に感じながら、ユリシャは部屋に入ると、ベッドに座った後に、そのままパタンと後ろに倒れる。
そして、殺してしまったフィオのことを考えた。
(あの時、私が助けを求めなかったら、今頃アーニャは優しいお兄ちゃんと一緒にいたのかな……)
(あの時、魔法を使わないでいたらヒューイが来てくれて、みんな助かったかもしれないな……)
(あの時、そもそもヒューイとケンカしなかったらこんなことにならなかったな……)
そんなことをぐるぐる考えていたが、旅の疲れが溜まっていたようでユリシャはそのままベッドの上で深い眠りに落ちた。
扉をコツコツ叩かれる音がしてユリシャは起きた。
(ヒューイかな)
そう思ってユリシャは身体を起こし、扉を開けるとそこには――フィオがいた。
「え」
ユリシャが固まる。
「ごめん、こんな夜中に迷惑だよね……」とフィオが申し訳なさそうな顔でこちらを見てくる。
(あぁ、これは夢なんだ……)
そう思ったユリシャが頬をつねると、頬がじんじんと痛んだ。
(夢じゃないのね……!)
「フィオ! フィオ生きてたのね!」と大きな声をあげたら、フィオは唇の前に人差し指を立て「ユリシャ声を小さくして」と言った。
「ごめんなさいフィオ……」と小さい声で言うと、フィオは「大丈夫、誰も起きてないみたい。行こうユリシャ」と言って手を差し伸べた。ユリシャは躊躇いもなくその手を取ると、今まで触れたことのない手のひらの感触が、ユリシャの胸を熱くさせた。
(フィオは実は生きてたんだ! だってまるで眠ってるみたいだったし、死んだように見えなかったもの!)
二人は誰にも気づかれないように真っ暗な階段をゆっくりと降りたあと、扉を開けて外の世界へ行く。
きっと今は深夜なのだろう。
外はまるで時が止まっているかのように動いているものは何もなくて、まるで秘密のデートをしているような気分になった。
「ユリシャ」と言ってヒューイの憎たらしげな顔と正反対の彼が優しく微笑むと、今までずっと一緒にいたヒューイのことなんかどうでも良くなった。
「一緒に森に行こう」とフィオは言った。
ユリシャはその素敵な申し出に「いいよ」と言って微笑んだ。
二人の男女はまるで相引きするかのように、深い森の中に消えていった。
◆
ヒューイはユリシャが起きてくるのを宿の一階にあるボロいソファに深く腰掛けながら待っていた。
ヒューイの隣にはシャウラがちょこんと座っている。
彼らは結構、長い時間その場所にいた。
(まだ起きないんだ。珍しい……)
昨日は色々なことが起きたから、きっと疲れて眠っているんだろうと思い、ユリシャのいる部屋に行くのを躊躇っていた。
しかしいつまで経っても起きてこないユリシャに痺れを切らした宿屋の主人が、お前らいつまでいるんだオーラをヒューイの方向に向けてくるのにもそろそろ耐えられなくなってきた。
彼は意を決してソファから立ち上がり、重い足取りで二階に行く。
ユリシャが泊まっている部屋の扉の前につくと、一回深呼吸をしてから扉を軽くコンコンと叩いた。あれほどの緊張感を持って、扉を叩いたのに中からは反応はなかった。なんだか拍子抜けしてしまいもう一回、今度はさっきより大きめなドンドンと扉を鳴らす。
なんだかすっごく嫌な予感がして、ヒューイはドアノブを回すと意外にも軽く扉が開いた。
(どうか生きてますように!)
そんなヒューイの祈りとは裏腹にユリシャがいた部屋はまるで誰も泊まっていないかのように、シワのない綺麗なシーツがかけられたベッドだけが残っていた。
ヒューイが部屋の中に入ってベッドの下とクローゼットの中を覗いてみたがやっぱり誰もいなかった。
第二の嫌な予感がしたので、急いで階段を駆け降りて宿屋の主人にお金を払ったあと、右手に革のトランク。左手にシャウラの手を握りながら、少し早歩きで街を出る。
いつもはぐるぐる回るのに今日は珍しく一発で車が置いてある場所まで行くと、車はまだそこにあったので、先に行ったのではないと知りひとまずホッとした。
ヒューイの第三の予感としては、ユリシャは街の中を気分転換にウロウロしているに違いないと考えたが、一緒にいたシャウラは違ったようで森の方向を向いていた。
(そういえば、シャウラってユリシャのためには動くよな……)
なんとなくシャウラの直感にかけてみようと思い、車の中に革のトランクを雑に置いてから、二つも予感を外したヒューイは情けない気持ちでシャウラを先頭に歩かせて森の中へ入っていった。
森の中は意外と深くて、獣道すらなかった。ヒューイは長い足で低い木や草を跨いで行けたが、シャウラはそのまま歩こうとするので全然先に進まない。
仕方なく、とっても重いシャウラの身体をお姫様抱っこで持ち上げて深い森の中に入っていった。
――何分かすると。
(重い!シャウラが重すぎる)
もう何年も剣を握っていないヒューイの細腕では支えるのはやっとだったので、ひとまず降ろして休憩。
お姫様抱っこがダメなんだなと思ったヒューイはおんぶに切り替えようと思ったが、ヒューイがシャウラに着せている白いドレスが邪魔をしてうまくおんぶができなかった。
暫く考えて出した結論が、これ。
「師匠とシャウラ……なんかごめん!」
水色の光に包まれたシャウラが、まるで強い意志を持ったかのようにキリッとした瞳になった。
「草を避けて、肉体が叫ぶ方向に進め!」とヒューイが命令すると、シャウラが少し困惑したような顔をしたが、すぐさまキリッとした表情で身軽に森の中を走っていった。
(なんで、そんな全力疾走すんだよ!)
「師匠もうちょっとゆっくり!」とヒューイは言ったが、シャウラは少し振り向いてニヤリと笑ってそのままのスピードで森の中を疾走していく。
その姿は、「お前、剣の練習サボってるな?」と言ってるような気がして、ヒューイはシャウラの背中を必死になって追いかけた。
◆
深い深い森の中に二人の男女が仲良く泉の淵に座っている。
泉の周りには沢山の花が咲き誇り、春を喜ぶように美しい蝶々が舞い踊る。水面につけた裸足をパタパタすると綺麗な水飛沫が跳ねて二人の間に虹ができた。
少女も少年も同じようなくるくると癖のある茶色の髪をしており、二人はとてもよく似ていた。そんな顔を近くに寄せて囁くように会話をしてくすくすと笑っている。
二人は手を動かして何かを作っているようだった。
「できた」
ユリシャが作ったのは華やかなピンク色のレンゲ草でできた花の冠だった。
「僕もできた」
フィオが作ったのはシンプルで可愛いシロツメクサでできた花の冠である。
二人が嬉しそうに笑っている。
――突然、そのムードをぶち壊すように白銀の髪を持った女性が力強く草むらから飛び出した。
二人の男女が一瞬とてもびっくりしたような顔をしたが、すぐに和やかなムードになって、二人でヒソヒソと話し出す。
今度はへろへろになりながら走ってきた男性が草むらから出てきた。
「もう……ダメだー……」
ゼーゼーハーハーしながら、額の汗で黒い前髪をおでこに貼りつけてヒューイはその場で仰向けに倒れた。仰向けになったまま頭上を見上げると二人の男女が相引きを重ねているのが見えた。
ヒューイが来たことが見えてないのか、二人は和やかな会話を続けていた。
「フィオ頭下げて」
「なに?」と頭を下げるとユリシャはレンゲ草で作った花の冠を、そっとフィオの頭に乗せた。
「ありがとう、ユリシャ」と言いながらフィオが頭を上げると、今度は「はい、ユリシャ」と言いながらシロツメクサでできた花の冠を厳かにユリシャの頭に飾った。
その周りを蝶々がまるで二人のささやかな結婚式を祝福するかのようにひらひらと舞っている。
ヒューイはそのただならぬ姿を見て、重たい身体を起こし、ユリシャの方を向いた。
「ユリシャ!」と呼ぶとユリシャが声のする方に目を向ける。
ヒューイの姿に気づいたユリシャは「なんで来たの」と虚空のような視線を向けて感情のないのっぺりとした声で聞いてきた。
いつも楽しそうに質問を繰り返す少女と違うその声に、ヒューイはショックを受けた。
「その男はもう死んだんだ」と強い口調で言った。
「帰るぞ」とヒューイは手を伸ばした。
感情を無くしたような冷たい声でユリシャは言う。
「もう私に命令しないで」
若干イライラした声でヒューイは言う。
「いつまでもこんな森にいても仕方ないだろ」
隣にいるフィオに優しげな表情を浮かべながらユリシャは言う。
「私はここに住むの」
全然、現実を見ようとはしないユリシャのその姿を見てヒューイは頭にきた。
「ユリシャ! 現実をみるんだ! そいつは幻で、お前はその男に惑わされてる!」
ヒューイの叫びは、シンと虚空に消えた。
少しの沈黙の後に、ユリシャは心に溜まっていた苦しみを吐き出す。
「別に惑わされてたって良いわ! 私はヒューイに小間使いのように扱われるのに、もうウンザリなの! お屋敷から……旦那様から……ナタリーから解放されて……今の私は自由なの!」
少女の悲痛な心の叫びに寄り添うように、辺りは静かになった。
ヒューイが何も言えないでいると、ユリシャは「フィオはそんなことしないで私を大切にしてくれる……」と優し気に呟いた。
「何言ってるんだ。俺はユリシャのことすごく大事にしてる」
ヒューイは心の内を打ち明けるように言った。
「じゃあ、なんで果物を取りに行かせたの?」
ユリシャの純粋なその問いにヒューイは答えられなかった。
「じゃあ、なんで私に靴を舐めさせたの?」
ヒューイはユリシャの顔を見ることはできずに視線を外した。
少女の純粋な問いに答えられなかったヒューイに、ユリシャは簡単で残酷な刑を処した。
「もう、ヒューイなんか嫌い」
その言葉がヒューイの心に突き刺さった。
ヒューイは舌打ちをした。
「なんでその男なんだよ! 俺の方がもっと長く一緒にいたじゃないか!」ヒューイが叫ぶと青い炎がまるで嫉妬のように噴き出した。
ユリシャは空虚な目でそれをみると、泉の水を指先で簡単に操り、銀のナイフを思わせるような尖った氷を生み出すと、ヒューイの方向を指し示す。
目標を定めた氷のナイフがヒューイの方に飛んできたが、揺らめく青い炎がかき消した。
ヒューイの青い炎がそのまま周囲の樹をめらりと燃やす。
「なんで森を燃やすの」
悲しそうな声でユリシャは聞いた。
「森がなくなったらユリシャはこっちに帰ってきてくれるだろ」
淡々とした声でヒューイは答えた。
ヒューイの青い炎が次々に他の樹に燃え移り、森がどんどん燃えていく。
「もうやめてよヒューイ、私ずっとここにいる」
懇願するかのようにユリシャは言った。
「なんでそんなこと言うんだよ」
ヒューイは泣きそうな声で言った。
――突然、ユリシャはこのままいくとハッピーエンドを迎えられない気がした。
「ごめん、ヒューイ」
「いきなりどうした?」
「もう一回やり直す」
「は?」
「ごめん」
「こっちはもう燃やしまくってんだぞ」
「そこは大丈夫っぽい」
「……そうなんだ」
「じゃあ、もう一回だけ」
「ちゃんとハッピーエンドにしてくれよ」
「うん」
ユリシャとヒューイがそう言ったので、物語は一旦戻ります。
◆
「ここからかー……」
深くため息をつきながら、ヒューイは森の手前にいた。
隣にはシャウラが空虚な視線で森の中を見ている。
(さっきはちょっとセコイ手を使ったからな……)
「もういいシャウラ、ゆっくり行こう」と言って森の中をゆっくり歩いていった。
森を抜けると、そこには小さな泉があってユリシャが泉の淵に座っていた。
その隣には、ふわふわな狐の耳と尻尾を生やした幼い女の子が座っていた。
橙の短い髪の毛をはためかせ緑のワンピースを着ているその狐のような少女は、足をパタパタさせ、クスクスと笑いながらヒューイの方を向いている。
それを見たヒューイは。
「は?」
と言った。
その声でヒューイの存在に気づいたユリシャはゆっくりこちらを向き「どうしたのヒューイ?」と問いかけた。
ヒューイは唖然とした表情で口をパクパクしながら、「キャラ変わってんじゃん」と言うと、「そうしないと物語が進まないらしい」と当たり前の如く、ユリシャは平然と答えた。
ヒューイが不思議に思って周りを見渡すと先ほど、燃やしたはずの樹々は、当然のように青々と葉を繁らせて、何事もなかったかのように佇んでいた。
突然、ユリシャの隣に座っていた狐のような女の子は立ち上がる。
「――森の者たちよ、あの男を狩るのです!」とヒューイに指を向けて言った。
ザぁっとした強い風が一瞬吹き、ヒューイは思わず目を細めた。
すると、その女の子の呼びかけに応えたかのように、樹々の影からのそのそと、体長が一〇メートルはあろうかというぷにぷにとした、巨大な緑の芋虫が現れた。
それを見たヒューイは全身に鳥肌が出るのを感じ「もっと! 他のにしてくれよ!」と叫んだ。
狐の女の子は「いや、ダメだ戦え!」と楽しそうに言うと、巨大な芋虫がヒューイの方に向かっていった。
「きゃぁああっ!」
ヒューイは女の子のような甲高い悲鳴を上げながら、巨大な芋虫から逃げだした。今までずっとクールで気障っぽい男がそんな声を出すとは思わず、ユリシャは少し笑ってしまった。
そして、意外にも素早い芋虫がヒューイの背中の上にのしかかる。芋虫は謎のねちねちとした攻撃によって、ヒューイの身体になぜか深い傷がつき、彼は地面にバタンと倒れた。
ヒューイは背中についた大きな傷の痛みに耐えながら、最期の言葉を残すように「ごめん、俺が悪かった……ユリシャにあんなことしちゃって」と泣きながら謝ると、その姿を見たユリシャがヒューイの方に駆けつけた。
巨大な芋虫が出番を終えたかのように、森の中へとのそのそと帰っていったのをユリシャは見届けて、地面にうつ伏せで倒れているヒューイの手を両手で握った。
「ヒューイだめ、死なないで……私を一人にしないでよ」
「じゃあ、今度から元気な……姿見せてくれ……」
ヒューイはうつ伏せの体勢から横を向くように身体を動かし、ゆっくりと目を閉じる。「ユリシャ……おいで……」
ヒューイは腕を広げた。
ユリシャはヒューイの手を離し、ヒューイの胸の心音を聞くように近くに寄ると、ヒューイが優しくユリシャを抱きかかえた。
(あぁ、こうするとあったかいんだ……)
ヒューイの身体はユリシャの身体とは全然違ってとっても温かかった。
トクトクと弱いヒューイの心音を聞きながら、今まで誰にも抱きかかえられたことがなかった少女は、初めて人間に心を許した。
彼女はずっとそのまま抱かれていたかったが、芋虫にやられたヒューイの背中の傷からじくじくと血が滲み、温かった身体がどんどん冷たくなってくる。
咄嗟にユリシャは頭上にあるヒューイの顔を見た。
「ヒューイ! 死なないで!」
彼女は懇願するように言ったが、ヒューイの顔色はどんどん生気を失っていくかのように白く冷たくなっていく。
フィオを殺してしまった時も悲しかったが、それ以上にユリシャは辛い気持ちになった。
そして、ユリシャは今まで自分が知らなかった不思議な気持ちに気づいた。その感情はきっとヒューイがシャウラを大切にする気持ちの秘密でもある。
ヒューイはそんな感情をすべてシャウラの方に向けることをユリシャは知っていたが、その優しさの一億分の一の優しさでもヒューイがユリシャを大切にしてくれるなら、ユリシャは彼の役に立ちたいと願った。真っ白い彼の顔を見ていられずにぎゅっと目を瞑り、心からヒューイのことを守りたいと強く願うと、ヒューイの身体がゆらめく水のような不思議な青い光に包まれて、芋虫から受けた深い傷がみるみると治っていった。
ヒューイは身体がだんだん生気を取り戻すように痛みが引いていくのに気づき、驚きながら胸の中で抱いているユリシャの方を向いた。
「え? お前、回復魔法使えんの?」
ユリシャは涙をヒューイの胸にこっそりと押し付けながら「初めて……」と言うと「そっか、ありがとう……」という優しい声が温かく響き、さっきよりも強く抱きしめられた。
ユリシャは本当に大切にしたい人が誰なのか気づいた。それは、今までのユリシャの人生の中で一番大切にしたい人でもあった。
「私もヒューイと一緒に旅をしたい」
切なそうな顔をしているヒューイを元気づけるように明るい声で彼女は言った。
ヒューイはその言葉を聞き、少しほっとしたような声で「当たり前だろ」と呟いた。
――突然、森の奥から、おじいさんが歩いてきた。
おじいさんは、地面で抱き合ってるユリシャとヒューイを見たあとに、狐の女の子の方を向き「もう行くぞ」と言った。
狐の女の子は元気よく「うん! わかった」と言っておじいさんの方にぴょんぴょんと駆けていく。
「じゃあね!」
狐の女の子は手を振りながら、「また、あいにきてねー!」と言った瞬間、どこからか風がブワッと吹いて大量の葉っぱが二人の視界を遮る。
二人は思わず瞼を閉じた後、ゆっくりと瞼を開けた。全ての葉がひらひらと地面に落ちた時には、おじいさんと狐の女の子の姿は影も形もない。
まるで狐につままれたかのような光景に、ヒューイとユリシャは抱き合いながらポカンとした顔した、
「意味わかんないんだけど……」
「俺も……」
二人はゆっくり視線を交差させて、なんだか幸せな気持ちで軽く笑った。
ヒューイとユリシャとシャウラが仲良く三人で森をゆっくり歩いて街を目指していた。
ユリシャは「あれってなんだったの?」とヒューイに聞いた。
彼は「妖精だなきっと」と笑って答えた。
ユリシャは不思議そうにヒューイの方を見上げた。
「なんかお芝居してるみたいだった」
そんな様子のユリシャに対してくくくっと笑いながらヒューイは言った。
「妖精は人の心を読んで惑わしてくるから、ユリシャの心を読まれたんだろ」
ユリシャは視線を正面に戻し、そういえば昨日はずっとフィオのことを考えていたことを思い出した。
「だから最初にフィオが出てきたのね……」
ポツリと言うと、ヒューイは急にちょっと真面目な顔をして「でもユリシャが俺を選んでくれて嬉しかったよ」なんていうからユリシャの心は少し煌めいた。
妖精がユリシャの心を読み取ったなら、役者として出演を果たしたヒューイの方も……。
「そういえば芋虫嫌いなの?」
「どう見てもあんなの無理だろ! 気色悪い」
不貞腐れながらヒューイは言った。
そんな会話を続けながら歩いていく。
ぐう
ユリシャのお腹が鳴った。
「お腹すいちゃった」と少し恥ずかしそうにユリシャは言った。
ヒューイは笑いながら「何食べたい? 俺が奢る」と言うと、ユリシャがまるで魔法にかけられたかのように目を輝かせて彼の方を見た。
食堂に着くとユリシャは「やっぱ森より街ね!」と現金なことを言った。
そんな現金な彼女は美味しそうにお肉を食べておかわり! と言いながらパンを食べた。
「魔法使うとお腹空くのね」
ヒューイはそんなユリシャの姿をテーブルにだらしなく右手で頬杖をつき、左手でスーと煙を吸いながら見ていた。
「太るぞ」
フーと煙を上に吐きながら言うと。
「いいわよ、ちょっとは健康的になるわ」と返されて、ヒューイはまた煙を深く吸い上げた。
ヒューイはユリシャを抱いた時、すっごく細くて、あぁ食べてないんだなぁと感じたことを思い出した。たしかに不健康そうな肋骨が浮いてる彼女の身体はあまりみられたもんじゃないと思い、そんな身体になってしまった少女の不遇な人生にヒューイは少し切なくなりながら、その気持ちを落ち着かせるようにふーっと優しく上に向かって煙を吐き出した。
「私、フィオの分まで生きようと思ったの」と突然ナイフとフォークの動きを止めながらユリシャは言う。
その言葉に導かれるようにヒューイは頬杖をつきながら、視線を彼女の方に向けた。
「ずっと昨日までは死にたいって思ったけど……」
そんなユリシャの突き刺さるような気持ちに気付いてやれなかったヒューイが、大きくゆっくりと瞬きをする。
――ユリシャは焼けていった森を思い出した。
「生きて生きて生き抜いて……、絶対ヒューイよりすごい魔法使いになって、ハンターになって、……ヒューイのことを芋虫から守ってあげる」ととびっきりの笑顔で言った。
ユリシャは温かくヒューイに抱かれた感触と守りたい強い気持ちを見つめ、ゆっくりと視点をヒューイの目線に交差させた。今まで人を傷つけていた少女が守りたいと思う青い視線を持つ男をじっと見つめ、(それは、きっとシャウラにはできないことだから……)と少し嬉しい気持ちになった。
ヒューイは巨大な芋虫に謎の攻撃をされ、地面に倒れたことが恥ずかしかったのか、顔をユリシャからちょっと逸らして「心強いねそりゃ」と呟いた。
そんなヒューイの姿を優しい気持ちで見たあと、ユリシャは食べることを思い出したかのように、テーブルの上にあった、籠の中に入っている大きな丸パンを取り出して、かぶりつく。
ユリシャはさっきのセリフの最後に。
(ヒューイがたとえシャウラのことを一番に想っていてもね!)
と、心の中で付け足した。
ご飯を食べたあとは、もう辺りは真っ暗になっていた。二人は昨日泊まった宿の方に足を向けて夜の街を軽やかに歩いた。
満点の星々が煌めいているのを仰ぐように見ていたユリシャは、ふと「ヒューイあの時痛かった?」と聞いてみた。
「あの時ってどの時?」
「私がヒューイの傷を治したとき」
あの水の煌めきを放つ青い光に包まれた時のことをヒューイは思い出す。
「全然痛くなかった。なんか水の中にいたような不思議な感じがした」
「じゃあ私の方がすごい魔法使いになれるかも」と胸を張って言うユリシャは嬉しそうだった。
そんな姿を見たヒューイは対抗するように「馬鹿言え。俺は首席で卒業したんだぞ」と胸を張って言った。
ユリシャはヒューイがいかにもな落ちこぼれ神官だと思っているので「あんなに痛い回復魔法なのに嘘だー。絶対ズルしたでしょ」と口を尖らせて抗議すると、ヒューイはニヤリとした顔をユリシャに向けながら「肉体蘇生の試験のときは相手が悲鳴を上げないように気絶させてからやった」と自慢げに言った。
また賑やかな旅になりそうだった。
――翌朝、街を出たユリシャが車の運転をしていると、なんだかずっと霞がかってた頭が少しずつクリアになっていくのをユリシャは感じていた。
そうすると今までわからなかったことが少しだけわかったような気がした。
孤児院にいた時、なんでひとりぼっちになったか。
お屋敷にいた時、謝るという行為を何のためにするのか。
シャウラのことを馬鹿にした時、なんでヒューイがあんなに怒ったか。
そして、どうしてフィオを殺してしまったのか。
でも、もうそれは過去の話で、今から懺悔しても何も取り返しがつかないことだった。
(きっとヒューイも取り返しがつかないって、気づいたからシャウラを大切にしてるんだな……)
今の私にできること……。
同じ過ちを繰り返さないために……。
ハンドルを握り正面を向きながら、ユリシャは声をかけた。
「ねぇ、ヒューイ」
「ん?」と隣の助手席から声が聞こえる。
「私に魔法を教えてほしいの」
ヒューイは突然のことで少しポカンとした後で「いきなりどうした?」と聞いてきた。
「私、今までずっと魔力のせいで、周りの人間のせいで自分が苦しいんだって思ってた。
でも、それって魔法を全然コントロールできない私の心が未熟だったんだなって、今気づいたの」
「だから教えて欲しいの?」
「うん。こんなこと頼めるの、ヒューイしか……いないから……」
前に何度も断られた記憶が巡り、ユリシャの声がどんどん小さくなっていく。
それを聞いたヒューイは「わかった。いいよ」と花の香りが立ち込める春の陽気のような声で言った。