2 彼は不幸に愛される
男が宿から出ると、朝はとっくに過ぎて昼だと言うことを思い知らされた。太陽が元気よく光を放つので、真っ黒に見えた男の髪が、少し青みがかった。
二日酔いの余韻で頭がガンガンと痛んだので、黒いコートについているフードを前に持ってきて深く被った。彼は昨日の夜中に酒を飲みきってしまい、ついでにタバコも買いに行こうと外に出たのであった。
男の名前はヒューイという。
ヒューイは長身痩躯のひょろりとした体型で、黒い髪の毛と鋭い青い目、白い肌が印象的な二十代の青年である。しかし、そんな麗しい青年時代を無碍にするように、酒を浴びるように飲み、タバコをスパスパ吸っていて、髭がジョリジョリと伸びている姿は、一端のおっさんの仲間入りだった。
短い丈のコートも、テーパードシルエットのスラックスも、革靴も、全部が黒で統一されており、そこに怪しいおっさん的な風貌を加えると、どこから見ても胡散臭い魔法使いのようだった。そんな彼がめんどくさそうに、酒が売っている通りの方に歩いていくと、走ってきた少女に強くぶつかり「きゃっ」と少女がヒューイに乗っかるような形で、彼は派手に尻餅をついた。
少女はどこかの屋敷のメイドらしくメイド服を着ていたが、その姿は薄汚れていた。
「ごめんなさいっ」と少女は言って立ち上がろうとすると、割と近くの方で「見つけたぞ!」という声がした。
少女は立ち上がりざまに膝でヒューイの頭をゴッっと抉り「ごめんなさーーーい!」という声を残して走っていった。
ヒューイはぐらぐらする顔を抑えながらいると、目の前に金属の兵士が見えた。兵士があと一歩踏み出せば、ヒューイの腹を踏んでいく直前で、怒りのような青い炎の火柱がごおおっと燃え上がる。蹴られた痛みと終わらない二日酔いにイライラして、彼は咄嗟に魔法を使ったが、この選択は不味かったことにすぐさま気づき、先ほどの少女が通った道を追いかけるように走っていった。
◆
ユリシャが黒いコートの男を乗り越えて走った直後に「キャーーっ!」という女性の声が後ろから聞こえて、一瞬振り返ると青い火柱が立っていた。
(――さっきの黒いコートの人、魔法使いだったんだ!)
まさかの魔法が使える人の登場に心が飛び跳ねたが、追われているユリシャにはどうすることもできずに、細い路地へと続いていく角を曲がった。ユリシャが結構走ったところで振り返ると、さっきまでいた金属甲冑兵士ではなく、先ほど踏み潰した挙句、膝で蹴飛ばしてしまった黒いコートの男が追いかけてきた。
(――なんでこっちが追いかけてくるのよ!)と思ったが、全速力で走っているため声にならずに、はあはあと言う息づかいしか出来なかった。
今日、寝泊まりした人通りが全くない橋の近くにきたときに振り返ると、先ほどの黒いコートを着た男が、ユリシャに負けず劣らずゼーゼー息をして、動きが一瞬止まった後に、壁に手をつけながら腰を曲げ、道の端っこで吐いていた。
流石に申し訳なくなって、ユリシャは男に「大丈夫ですか?」とさっきまでナイフの鞘代わりにしていた汚い布を差し出した。男は、汚い布を、汚物をみるような目をした(実際ものすごく汚れていて汚物なんだが)が、それに代わるような布がポケットに入ってないことを知ると、深くため息をついてエイっといったような感じで口を拭いた。
◆
ものすごく気持ち悪いし、疲れたしもうどこかで休みたいと考えていたところ、先ほどヒューイを乗り越えたメイド服の少女が申し訳なさそうな顔で「こっちの橋の下に休めるところがありますので来てください」と言った。
(お前のせいでこうなったんだ!)と怒りに震えたが、実際の気持ち悪さが感情を支配して、ゆっくりと少女の後についていく。階段を降りる途中で、先ほど通ってきた道を振り返り、呪文を唱え結界を張る。こうしとけば、さっきの兵士がこっちに来ようとしても同じ道を行ったり来たりするだろう。
ヒューイが魔法をかけているところを、少女がヒューイに穴を開けようとするかの如くジーっと見つめていたが、途端に嬉しそうな満面の笑みになる。
「魔法が使えるんですね」
ヒューイはどうでもいい問答に応えてやるつもりもなく、さっさと橋の下のじめっとしたスペースに横になった。ガンガンする頭を押さえて光が入らないようにフードを被り直し丸く縮こまっていたら、「水はあるんですけどコップが……」という少女の声が上から聞こえる。手元にコップを出現させると先ほどの少女が「すごい!」と嬉しそうな声で言い、軽く手をパチパチと叩いた。
「ちょっと待ってくださいね」と少女が言うと、コップに水がじょぼぼぼっと入る軽い音がして、「はいどうぞ」と横になったヒューイの顔の前にコツリと置いた。
ヒューイはゆっくりと上半身を起こし橋の根元の壁に寄っ掛かり、コップの水をごくごくと飲んだ。コップには少し水が残っている程度になった時、顔を上げると、先ほどの少女がこっちを見てニコニコしている。手には財布のような革の袋を持っているだけだった。
「ちょっと待て、この水どっから持ってきた」
言った瞬間に橋の下を流れる、緑の藻が生えている細い水路が視界に入る。
(まさか……)と思い、口をポカンとさせると少女が慌てて、「水路の水じゃないですよ!」と言ってきた。
「私、ちょっとだけ魔法が使えて、氷とか水とか操れるんです。でも私の住んでたところには、魔法使いなんていなかったから、いっつも一人でした。ぜひ魔法を教えてください! 名前はユリシャって言います。よろしくお願いします!」
ヒューイの頭の痛みに畳み掛けるように少女は一気に言ってきた。その言葉に「いや、無理」とサラリと返すと、ユリシャと名乗った少女は頬を膨らませて怒ったような顔をした。
(キレたいのはこっちの方だ!)と思ったが、少女相手に怒るのも大人気ないので、ふーっと息を吐いてやり過ごす。
「私、魔法が使えるせいでいつもメイド長に怒られていたんです。昨日、お屋敷の旦那様の部屋に行ったら突然……ベッドに……押し倒されて…………」
思い出したのか息を詰まらせながらユリシャは言った。
「……それでお屋敷を逃げてきて、一晩、森の中を歩いたら、ハンターのゼンって男の人に会ったんです。最初は優しかったんですけど、実は私を売り飛ばそうとしたんです。魔法を使えるからって……」
頑張って泣かないようしていたが、少女の声に嗚咽と涙が溢れてきた。
「……ひっ……逃げて逃げて……疲れちゃって……っ……今日はっ……ここで寝たん……ですっ……けどっ……ナイフをっ……売りにっ……行っ……たら……ぬすっ……とにされっ……ちゃって……またっ逃げてっ……きたんです」
ユリシャは溢れた涙を薄汚れたメイド服の袖で拭うと、嗚咽をしながらも先ほどの表情と打って変わってとっても嬉しそうな顔をした。
「でも初めて、私っ……以外の魔法使いにっ……会えました! だから、お願いですっ弟子にしてっ……ください!」
ユリシャは地面におでこを擦り付けるように深く頭を下げた。彼女は下を向きながら涙をこぼし、手が真っ白になるまで強くヒューイのコートの袖を握っていた。
「あのっ……魔法が使えるようっ……になっ……たら、ハンターになっ……て独り立ちしますっ……! 一ヶ月でもっ……いいので、教えてっください!」
さらにユリシャは泣いた。彼女は必死だった。初めて会った魔法を使える人間。夢にまで見た王子様や神官ではなく、怪しい黒いフードを被った如何にも胡散臭い魔法使いという感じの男に全身全霊の祈りを込めた。
すると男は観念したように「魔法のま、ぐらいは教えてやる」と言ったので、ユリシャはさらに地面に頭を擦り付けて「ありがとうっ……ございますっ」と言った。
さてはて、さっきまでわんわん泣いていた彼女の嗚咽が止まると、思い出したかのように「お名前聞いてもいいですか……?」と恐る恐る聞いてきた。
「ヒューイ」と本名を短く答えてしまい、自分が追われている身だということ思い出し、慌てて「間違えた。ジョルジュ」と言った。
不思議そうな顔した少女が「何で自分の名前を間違えるんですか?」と言ってヒューイの視線の先をみるとそこには、ジョルジュ運輸と大きな文字が書かれた樽が転がっていた。少女はまたもニコニコし始めて「ヒューイが本名ですね!」と嬉しそうに言って、生まれて初めて友達ができたかのような顔をした。
ヒューイは気持ち悪さと酷い頭痛により全く動いてない脳味噌に舌打ちしたが、どうせ長く一緒にいることもないだろうから、どうでもいいやと諦めた。
「私の魔法どうでした?」とユリシャが聞いてきて、(誰からも教わってないのに、水は操れるんだな。意外と良いセンスがあるのかも……)とヒューイが考えながらも、問いかけには無視すると、ヒューイの態度を全く気にした様子のないユリシャは、ひょいと更に顔を突き出して「なんの魔法を教えてくれるんですか?」と楽しそうに言った。
ヒューイはそんな少女の方を無視するように遠くを見た。
「いや、まずは一人で魔法を勉強する方法を教えてやる。生憎俺は忙しくてな。魔法の導入部分しか教えんからな」
ユリシャは一瞬しょぼんとしたが、すぐに気を取り直して「ありがとうございます!」と元気よく言った。
◆
ユリシャはヒューイが気持ち悪そうにしているのを、膝を抱えて見ていたが、暇だったので、ヒューイに見えないように背中を向けながら、金貨の入った財布を開いて金貨を数えた。ちょうど三〇枚あることを確認して革の袋の紐を結ぶと、ポケットに入れるのは怖いぐらいの大金だったため、そんなにない胸の谷間の中に押し込んだ。
すごい違和感があったが、他に良い案が浮かばず、仕方がないと思い諦めた。
ヒューイはそんなユリシャの不審な動きを眺めつつ、しばらく横になっていると頭痛と吐き気が引いてきて動けそうになってきた。
ヒューイが「古書店に行く」と言い立ち上がると、思ったより低かった橋にゴンと頭をぶつけて、もんどり打つ。
それをみたユリシャは口の端をぎゅっと結び、笑いを堪えながらゆっくり立ち上がる。
「笑うな」
「笑ってません」
しれっとユリシャは返した。
ヒューイは橋の下を抜けると太陽が未だに健在なのに腹が立ち、舌打ちをしながらフードを頭から脱いだ。先ほどはずっとフードを被っていたため、目立たないようにフードを外したわけだが、そんな姿を後ろから見ていたユリシャは意外にも若そうなヒューイの姿に驚いた。
(――髪の毛サラッサラ!)
ユリシャは自分のくしゃっと癖のある髪の毛と見比べて、神様の不平等さにちょっと嫉妬した。
◆
さっき捕まりそうになった通りとは別の大通りに行こうとしたが、あまりにも入り組んでいる水路と細い路地裏で、ヒューイは自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなってきた。後ろを見るとユリシャが不安そうな顔でこちらを見上げている。
「この街に来てまだ二日なんだ。ユリシャ、さっきの通りとは違う場所にある古書店に案内してくれ」と言ったら、ユリシャは「任せてください」と先頭を歩き出す。
近道をしながら、裏路地を通っていくと、先ほど追いかけっこをした通りより、さらに賑わっているメインストリートに着いた。メインストリートは道路の幅は広いのだが、床に絨毯を引いて商品を売っている商人が多いせいか、とっても狭い道のように見える。簡単な作りの布の垂れ幕を屋根代わりにしているため、身長の高いヒューイは色んな人と肩をぶつけていきながら、小さな少女のひょこひょこと人混みの中に消えていきそうな背中を見逃さないように、必死でついていく。ユリシャは小さな身長を生かし、ぎゅうぎゅうで雑多な世界をいとも簡単にスイスイと目的地まで進んでいる。「ユリシャちょっと待て!」というと、振り向いてようやく彼の状況を理解したのか「ごめんなさい」と謝った。
するとユリシャはヒューイの手を握り「こっち」と引っ張るように歩きはじめた。ユリシャの手はヒューイよりも全然小さくて、真冬に外にいたかのように冷たかったが、雑踏の中、黒いコートを着て、憎ったらしい太陽が見ている状況の中では、心地よい手のひらにヒューイの中のイライラが少し落ち着いた。
ユリシャはフルーツやら野菜やらを大きな声で売り込んでいる一画に、全く主張していない古い看板のぶら下がった店の中の扉を開けた。
がらんという鈴の音と古臭いカビの匂いが広がる店内に入ると、天井まである棚が所狭しと並んでおり、大量の本が雑多に置いてあった
店主は店の奥の椅子に座っていて、客が入った時に目線をあげただけでまたすぐに手元にある新聞に戻す。ヒューイは棚をぐるっと眺めて、魔法関係のある本の中でも比較的新しい緑の背表紙の本を抜き取って店主に渡した。
その間、ユリシャはうろうろと色んな本の背表紙を珍しそうにみている。
「これ、いくらだ」とヒューイが言うと、店主は本をチラリとみて、面白くなさそうに「銀一〇枚だよ」と言った。
ヒューイは黒いコートのポケットに入れている財布を手に持って銀貨を数えていると、「あの嬢ちゃんはあんたの連れかい?」と聞いてきたので、「違う」と即答したあとに「ちょっと案内をしてもらっただけだ」と付け加えた。
店主はその回答に眉を顰めながら小声で「森の向こうのガニータ・ガドルっていう商人の家の当主がメイドに刺されたらしいな。刺した犯人の特徴があの嬢ちゃんにそっくりだ」と言った。ヒューイも声を小さくし「へぇ、その当主は死んだのか?」と聞くと、「なに、生きてるってよ。ただそのメイドに懸賞金をかけてる」と答えた。
店主はこちらにも見えるように新聞を見せてきた
なるほど。茶色の癖のある長い髪にグリーンの目、一五〇センチぐらいの十六歳の少女。
名前はユリシャ。
(てっきり十三歳ぐらいかと思っていた)
ヒューイは店主に数えた銀貨を渡す。
店主は受け取った銀貨を数えながら、「捕まえたら、報奨金は折半にしろよ」と小声で言って、店にきた時とは違ってかなり愛想のよさそうな顔で「毎度あり〜」と買った緑の背表紙の本を寄越した。
ヒューイが店から出るとユリシャが慌ててこちらについてくるのでそのまま裏通りの方に進んでいく。ひと気のない暗い小径で立ち止まって振り向くと、早足で歩いていた少女と軽くぶつかってしまい、少女は慌てたように「ごめんなさい」といった。
「お前、新聞に賞金かけられて載ってたぞ」と言うと少女は驚いた顔をしたあと、すぐに泣きそうな顔をした。
慌てて「落ち着けって、そんなすぐに兵に出すようなことはしないから」と言うと、すっかり疑り深くなったユリシャは「信用できません」と言った。
ヒューイは別段何の感情も湧かずに「まぁ信用しなくていいよ。これお前にやる」と先ほど買った緑の背表紙の本を渡した。
「それ読んで、自分で魔法勉強しろ」
ユリシャはぽかんとした顔をしたあと、「あ、ありがとうございます」と急いで言った。
「じゃあな、ついてくんなよ。あとどんな事情があっても、魔法を悪いことに使うなよ。こっちの肩身が狭くなる」
ヒューイはそう言って、自分の泊っている宿の方向に向かおうとしたが、突然「ちょっと待ってください!」とユリシャが言ったので足を止めて振り返る。
「何?」
「この本、読めないんですけど……」
「は? 貸せ、見せてみろ」
ユリシャが開いてる本奪いとり、読んでみる。
「ナ・セトエ・カトラレ……、読めるじゃないか?」
それを聞いた少女が、上を向いて少し泣きそうな顔をしながら「何語なんですかぁ?」とアホみたいなことを聞いてきた。
いや、実際、教養はなさそうだ。
深くため息をつきながら「古代アグリ語だ」とサラリと言って、本を少女に押し付けた。少女はそれを両手で受け取り、大事そうに抱えながら「わかりましぇん……」と項垂れた。
「『わかりましぇん』ではなく、正しくは『わかりません』だ。そうか、これを機に頑張ればいい」と言ってヒューイは再び踵をかえす。
背中の方から「待ってくださ〜い!」という声が聞こえたが、駆け足で大通りの人混みに紛れ込んだのち、同じような通りをぐるぐる周って、ようやく自分の泊っている宿に着いた。
不遇なユリシャを置いて行くのもなんとなく気が引けたが、これ以上関わってもいいことは何もないと結論付けホッと一息をつく。宿の三階の自分の部屋に着くとベッドに腰かけた。
(しかしまぁ……こんな新聞に載っているようじゃ、捕まるのも時間の問題だな)と思いつつ、ベッド横のサイドテーブルに置いてあるスキットルを持ち上げると、何も入っていない軽い感触がした。そして、彼は酒とタバコを買い忘れたことに気づく。
(あー……やっちまったー……)
頭を抱えながら、また外に出るか出ないか考えていると、外から怒声のような声が聞こえた。部屋の壁に隠れるように窓を覗くと人だかりができており、その中心には三人の兵士が、寄ってたかって小さい女の子を捕まえていた。視線を動かすとその近くを先ほどの本屋の男がいて、通報したらしいことが伺えた。
(危なかった……)
本屋の男は先ほど買った本をユリシャから奪いとり、兵士に何かを言っている。おおかた盗まれたとでもいうのだろう。彼女には悪いが、弁明する気はさらさらなく、そのまま視線を外そうとしたら本屋の主人と目があった。
すぐに視線を外し、そのまま窓を離れベッドに座った。そして、今は外に出るべきではないと結論づける。
ゆっくり本でも読もうと思い、革のトランクからぼろぼろの古い本を取り出すと、階段を上がってくる足音とガチャガチャとした重い金属音を響いてきた。
(めんどくさいことになりそうだ……)と思ったのも束の間、扉を大きく開けられ、先頭にいた兵士が銃剣をこちらにむけ「両手を上げろ! お前を連行する、巫女殺しのヒューイ。抵抗はやめろ」と大声で言った。
(そんな大声でなくても聞こえてる……)
ヒューイが舌打ちをして両手を上げると、すぐさま別の兵士がヒューイの腕を後ろに組んでそのまま手錠をかけた。手錠をかけられた瞬間に手に力が入らなくなったのを感じた恐らく、魔法を使えなくする魔術具なのだろう。
銃剣を持っていた兵士が銃口を下ろし、これはお前の私物か? と聞くので、無視したら蹴飛ばされ床に無様に倒れ込む。
兵士はヒューイのことを微塵も気にせずにベッドの上にかかっている薄い掛布をバサッとめくると、「ひゃっ!」と言う間の抜けた声を出した。続けて「なんだこれは! 死体か!?」という慌てた声に振り向くと、兵士はベッドの上の少女を指した。
「死体じゃない。俺の恋人だ」と床に転がりながら言うと、先ほどヒューイの腕に手錠をかけた兵士が「変態だ……」と呟いた。ヒューイはその不躾な一言に眉を顰めると、もうどっちがどっちかわからない兵士に無理矢理起こされながら、「もういい連行する」と言われた。
「ジョーイその死体を持ってこい」と上司っぽい兵士が言うと、「えぇ〜……俺っすか……」としょぼくれた声を出す。「言っとくけど。彼女を傷つけたら、俺は絶対にお前らを許さない」とヒューイが釘を刺しておくと、兵士は笑いながら「丁重にお姫様をお運びしろ」とふざけた口調で言ってきた。
(――絶対、後で殺してやる……)
殺意が最大になったところで、魔法が全く使えないヒューイは急な階段を突き落とされそうになりながら降りて行くと、宿の前にいた先ほどの本屋の店主と目があった。
「悪いですねぇ、旦那」と全く悪いと思っていない顔で言ってきて、ヒューイは更にイライラした。それと同時に本屋の店主は、ヒューイがお尋ね者だと知ったうえで声をかけてきたのかと思うと、まったくもって油断をするべきではなかったと後悔した。
後悔しても遅かったが。
ユリシャの方は、もうどこかに連れて行かれたらしく、そこにはいなかったが、集まっていた野次馬の連中がじろじろとこっちをみている。そんな目線を無視しながら進んでいくと北の城門に着いた。
そこには八人ほどの兵士と六人乗り(運転席の方に二人と、後ろの屋根のある荷台の方に四人乗れる)のぼろぼろな緑色の車が止まっており、そのまま「乗れ」と言われながら荷台の扉の前で強く押された。ヒューイは押された衝撃によろめいて、車の後ろの荷台の扉にガンという音と強い衝撃で頭をぶつけた。
(痛ってぇ……。今日は何回、頭をぶつけりゃ気が済むんだ……)
ヒューイがイライラしながら荷台の扉が開くのを待っていると、彼のことを押してきた兵士とは別の兵士が車の荷台の扉を開けた。荷台の中は壁に沿って縦に座席があり、先ほどの少女は右側の奥の方に(こちらもロープのようなもので腕を後ろで縛り上げながら)座っていた。
ユリシャは驚いた表情でこちらを見つめ、すぐに申し訳なさそうな泣きそうな顔をした。
ヒューイはユリシャと向かい合うように座らされ、後から来た兵士に抱えられながら、シャウラ(先ほどのヒューイの恋人)がユリシャの横に座るように、ゆっくり降ろされる。
しかし、シャウラは自立せずにぐったりとユリシャの方に寄っかかっていき、ユリシャは怯えたように「ひぇ!」と言って、隅っこに縮こまった。最後に兵士が乗ってきて、ヒューイの革のトランクをぞんざいに椅子の下に置いた後、ヒューイの隣で銃剣を抱えて辺りを威圧した。
「乗りました」という掛け声をヒューイの隣にいる兵士が言うと、後ろの扉に外から鍵がかかるようなガチャンという音がした。他の兵士が運転席の方へ二人乗り込み、扉を閉める音がしたあと、鈍いエンジン音とともに車が動き出した。
◆
車が走り始めた時、ユリシャの頭は混乱していた。
ヒューイが捕まったのもすごい問題だったが、一番気になるのはユリシャの隣にいる動かない彼女だった。動かない彼女はとても美しい少女(少女と言ってもユリシャよりかは歳上のように見える)であった。
腰の高さまで伸ばしている羨ましいほどのサラサラで真っ直ぐストレートな白銀の髪と、どこかの国の輸入品かのような造形の小さい顔に、世界で一番可愛く見えるように、目は硬く閉ざされた瞳と、つんと立った鼻や小さい唇が配置されていた。
そんな彼女がこれまた控えめで美しい淡いパールホワイトのドレスを着て、同じくパールホワイトの半透明のヴェールで顔を覆っているもんだから、まるで(お姫様みたいだ……)とユリシャは凄く感動した。
しかし、白銀のお姫様が乗ってきて数秒後、いきなり体重を全てユリシャの方へかけてくるもんだから(嫌がらせをしてくるナタリーみたいだ……)と評価を一変した。
全然、自分の力で座ろうとしない死体のようなお姫様を押し返そうとしたら、目の前にいるヒューイがお姫様を傷つけたら代わりにお前を殺すと言った騎士のような冷たい青い目で見てくる。
(どうすりゃいいのよ⁉)
ユリシャは諦めて、重くのしかかってくる白銀のお姫様のための巨大なクッションになったような気持ちになりながら、ヒューイの座っている背中側の壁にある横長の窓の外を眺めていた。ずっと同じ街道の景色に飽きてきて、視線をヒューイの方に移すと、ヒューイは白銀のお姫様がいつ怪我をしないかと心配そうに見ていた。
(ヒューイの知り合いの死体なんだ……)
ユリシャがヒューイを見ていると、ヒューイがお姫様を見ていた顔から一瞬で表情を消し冷たい目でユリシャを見てきた。まさかヒューイまで捕まるとは思っていなかったので、とても申し訳ない気持ちになって一言謝ろうと「あの…」と声をかけようとしたが、ヒューイの隣に座ってる兵士に「喋るな!」と強く言われて、その先を言わずに俯いた。
(どうしよう、関係ない人まで捕まってしまった)
しかも先ほど、買ってくれた本はすでに本屋の店主に取られてしまったことを思い出し、ユリシャはますます申し訳ない気持ちになった。
(このままどこに連れて行かれるんだろう)
すぐに殺されるのだろうか、それとも研究所に連れて行かされるのだろうかと、ユリシャはぐるぐると色々考えていたが、散々走り廻って盛大に疲れていたユリシャには、車のガタガタとした揺れが、まるでゆりかごのように感じて、やがてコックリこっくりとしてきた。
しかし「おい!後ろっ」という兵士の声と、突然ガクンと上がった車のスピードによって目を覚ます。その瞬間、後ろから低いおぉおおんという動物のような鳴き声が聞こえた。
思わず荷台の扉にある窓から外を見ると、何やら紅い角の生えた白いクマのような生き物が三メートルぐらい後ろを走っていた。
(――魔獣だ!)
そうユリシャが思うよりも早く、銃を持った兵士が荷台の後ろに銃を向けて引き金を何度もひく。バンっバンっという音が響いたが、ダメージは与えられていないようで、白いクマのような魔獣は徐々にスピードを上げる。「ダメだ! 銃は効かない!」と兵士は大声でいうと、「っ捕まれぇ!」と運転席側から聞こえた大声とともに、車は大きく左に曲がった。
手が縛られてて掴まれないユリシャはそのまま目の前のヒューイの方へ強く突っ込んだ。
彼は「うっ…」と苦しそうにうめきながら、頭をさらに後ろの壁にぶつけた。
そのままカーブを曲がり切るまえに「ダメだ追いつかれる!」という兵士の声が聞こえた。荷台の後ろの扉から大きくガンという音と衝撃が車に走り、そのままガクンと傾いて、車は左の壁を下にしてゆっくりと横転しながら、地面に大きな擦れるような音がしてざーっと滑ったあとに止まった。
荷台にいるユリシャはヒューイがクッションになったおかげで無傷だったが、ヒューイは頭を強く打ったらしく気絶していて、お姫様は兵士に衝突しメリっという嫌な音をさせて、兵士の上に重なるように転がっていた。
魔獣にガンガンと荷台の後ろの扉を叩かれていたが、なかなか壊せないことに気づいた魔獣は、前の運転席の方に移動するようなザッザッという音が聞こえた。車が左側に転倒したことで上になった助手席の兵士が「うわぁあああ」と叫んだあとに何かがぐちゃりと潰された音がした。
気絶していたヒューイがその声で目を覚まし「早くこの鍵を外せ!」と兵士に言ったが、荷台に一緒にいた兵士は「俺は鍵を持ってない! 運転席の方だ!」と言った。
ヒューイは、自分の身体の上にいるユリシャに向かって「おい、お前! 魔法が使えるんだったな、今すぐ魔法で鍵を持ってこい!」と命令した。
「私、そんな魔法知らない!」と涙声で言ったところ、ヒューイは大きく舌打ちをした。
「精神集中させて、運転席に落ちてる鍵を思い浮かべて、自分のポケットに移動するようなイメージで! テレポーティオって言え!」
「テレポーティオ!」
ユリシャは叫んだが何も起こらなかった。
「このっ下手くそ! 早くしろ!」と隣にいた兵士にいわれたが、「お前は黙ってろ!」とヒューイが強い口調で兵士に怒鳴った。
「もう一回だ、鍵をもっとリアルに想像しろ。白くて少し重みのある金属でできた五センチほどの鍵だ! 深呼吸しろ!」
ユリシャは言われた通り、深呼吸をして目を閉じた。頭の中で、白い鍵を想像すると、なんとなくその重みがわかるような気がしてきた。
「テレポーティオ!」
すると、先ほどとは違いポケットに何かがストンと入るような重みを感じた。
「取れました! 右ポケットに入っています」
「早くとれ――「手が使えません」とユリシャが言うと兵士が急いで彼女を乱暴に起こし、右ポケットに手を突っ込んで「あったぞ」と鍵を取った。すぐさま、兵士がヒューイの上に乗っているユリシャのことをごろりと転がして、下敷きになっていたヒューイを起こすと鍵穴に鍵を突っ込み、鈍いガチャという音がして彼の手錠が外した。
ヒューイは自由になった両手で、黒いコートの前を開けて内ポケットに入っていたらしいカラフルな水晶のような結晶を三本取り出すと、呪文を詠唱し始めた。
ヒューイの呪文を唱える声と運転席から人間を咀嚼音するぐちゃぐちゃとした音が響き渡る。魔獣はまだ助手席にいた兵士を食べていたが、こっちにくるのも時間の問題だろう。
ヒューイの祈りのような呪文の声に反応するかのように、淡い風がヒューイを中心として吹き始め、サラサラな黒髪がパラパラと踊り始めた。
その間に獣は運転席にいる人間に飽きたらしく、また荷台の方へ来る足音がした後に、ドォンと突っ込むと大きな衝撃が走る。多少、体勢は崩したものの何も問題はなかったかのようにヒューイは詠唱を続けている。
すると運転席側の窓から明るい紫色の光が差し込んできて、ユリシャが顔を上げてみてみると、食い散らかされて首から上と右腕のない、先ほどまでは人間だったものがゆっくりと立ち上がった。死体は足元にあった銃を取り、空の方へバンバンと鳴らすと魔獣はまた興味を助手席の方へ移し、そちらのほうへ向かっていった。
ヒューイが持っていた結晶の一つが薄い紫色から透明に変わっていって、それを乱暴にコートの内側のポケットに戻し、もう一つの薄いエメラルドグリーンの大きな結晶を手にして、呪文を唱え始めた。結晶から溶け出した淡いエメラルドグリーンの霧のような光が、車の後ろの方の窓から外に出て行くとその霧は首の長くて羽の生えた、この車よりも一回り小さいサイズのドラゴンを形作った。
ユリシャが窓の隙間から、かすかに見えるドラゴンをじっと見ていると魔獣も突然現れたドラゴンに気づいたのか「ぉおおおゔぉおおお」と大きな唸り声をあげる。
そんな魔獣に気づかないかの如く、ドラゴンは大きな翼を広げ、バサリと力強く動かし、元気よく空を飛んだ。まるで飛ぶのを楽しんでいるかのように空を軽々と一回転してから、クマの形をした白い魔獣の方へ襲いかかった。
ドラゴンは魔獣の背中を大きく噛んで肉をベリベリと剥がすと、そこから噴水のように赤い血が噴き出した。クマの魔獣がドラゴンを掴もうとした時には、強く翼を羽ばたいたドラゴンの激しい風圧だけが残っている。クマの魔獣が届かない空の上から、ドラゴンはエメラルドグリーンの炎を吐いて魔獣の身体を燃やしていく。
エメラルドグリーンの炎を纏った白いクマが空に向かって叫んだが、ドラゴンはそんなクマを黙らせるように鋭い爪を持った後ろ足でクマの首を刈り取った。ぶしゃあぁああと噴き出した血飛沫が魔獣の断末魔となって聞こえるとぐるふぅうううと一息ついたかのようなドラゴンの声が荷台の後ろの扉から聞こえた。
どうやら、戦いは終わったらしい。
ヒューイは、通路の邪魔をしていたユリシャをさらにドンと床に転がし、ずっと転がっていた死体のようなお姫様に近づくと、何やら魔法を唱えた。淡い白い光がする方向を見るとさっきまで変な方向を向いていた手首が、通常の人間となるようにメリメリっと嫌な音をさせながら戻っていった。
ヒューイが「シャウラ……良かった無事で……」と言っているのを聞いて(それを無事というのか?)と思い、転がっているユリシャはうろんげに眉を顰めた。
兵士は放心状態のまま座り込んでいたが、ヒューイがパチンと指を鳴らすと兵士の体が敬礼の姿勢に固まって、ユリシャと同じく床にゴロリと転がった。もう一度ヒューイが指を鳴らすと扉からガチャっという軽快な音がして、扉が勝手にギーっと開いた。
ユリシャが開いた扉を見るように振り向くと、ヒューイが召喚した先ほどのエメラルドグリーンのドラゴンが扉の前にいた。エメラルドグリーンのドラゴンは実体が無いように思えたが、敬礼の形を崩さない放心状態の兵士を軽々とひょいと掴んだ。兵士は「離してくれ! やめろ殺すな! 頼む」と叫んでいたが、ヒューイは兵士には目も向けず「うっさい、殺さねーよ」と言いながら「お前も車からでろ」とユリシャに言った。
先ほどまでピクリともせずに転がっているお姫様(ヒューイにシャウラと呼ばれていた少女)がゆっくりと立ち上がって、ユリシャよりも先に荷台から降りていった。
(死体じゃなかったの?)
ユリシャは目をまんまるにしてその不思議な光景を見ていたが「はやくしろ」とヒューイに言われ、グイっと立たされるたので、急いで荷台を出ると辺りは血塗れとなっており、先ほどの獣が倒れて内臓のようなものがはみ出していた。
それを見た瞬間、頭がくらっとしたが、最後に荷台から出てきたヒューイに支えられて、車から離れたとこに座っていたシャウラの隣に座らされた。そのまま男が何かを言うとエメラルドグリーンのドラゴンが右手に持っていた兵士を草むらの方に放り投げたあと、よいしょと言うように転倒した緑の車を起こし上げ、車がグランと立ち上がる。立ち上がった車の助手席から、血塗れた頭のない兵士の死体が自分の意志を持ったかのように出てきて、運転席の方に移動した。運転席側の車の扉を開けて、先ほどまで人間だった死体をずるりと取り出した。運転席の兵士のほうも死んでいるのだろう。首が背中のほうへだらりと下がり血が滴っていた。死体をひきづる死体が草むらの方へ死体を隠す。ひきづっていた方の死体もそのままどさっという音といっしょに動かなくなった。
そのあと男がまた何か魔術を唱えると、運転席についていただろう血飛沫が蒸発しパラパラと灰のような粉になり、割れたガラスの窓から飛んでいった。
割れたガラスは自らの使命を思い出したかのように、窓の枠へと収まっていく。キラキラ煌めく割れた鏡も時が巻き戻ったかのようにサイドミラーとなった。
ヒューイは草むらで転がって敬礼している兵士に近づき、兵士の腰についていたナイフを取るとユリシャの方に近づいてきた。このまま殺されると思い「ひゃっ…」と声が出たが「殺さねーって腕出せ」というと腕を縛っていたロープを切ってくれた。ユリシャの腕にはロープの跡がくっきりと残っていたが、ヒューイはそちらには目もくれず、ゆっくりと周りを眺めながら「お前この辺知ってんだよな」とユリシャに問いかけた。
ユリシャは慌てて「うっ、うん」と答えると、ヒューイはホッとしたように「じゃあ安全運転でよろしく」と言った。
「えっ……私、車運転したことない」と焦ったように言うと、ヒューイは鼻を鳴らして「それも教えなきゃ行けねーのかよ」と不満タラタラな声で言う。だが、すぐに何か良いアイディアを思い付いたようなニヤリとした顔をして「大丈夫、すぐ覚える」とヒューイは言った。
ユリシャとヒューイは向かい合って立った。
「いいか、俺の問いかけに二回『はい』って言えよ」
「はいはい」
「ちげーよ。二回問いかけるから、二回とも『はい』って言え馬鹿」
ユリシャはいきなり馬鹿呼ばわりされたことに首をすくめて(理不尽だ……)と口を小さく尖らせた。
そんなユリシャを無視してヒューイは呪文を唱えている、先ほど使った結晶は使わないらしく、その代わりに手にナイフを握っている。地面から光が出ていることに気づいたユリシャが下を向くとどこからともなく魔法陣が浮き出ており、何やら不穏なモヤっとした風が二人の周りを取り囲んだ。
ヒューイが自分の指をナイフで傷つけて血が出たことを確認してから、ユリシャの首を軽く締めるように手を添える。意外にも大きくて骨張っているヒューイの手にドギマギしていると「汝、魂を捧げると我に誓え」とヒューイが言った。
緊張していて問いかけの内容は全く耳に入っていなかったユリシャは(問いかけってこれのことかな?)と思い、すかさず「はい!」と元気よく答えた。
「汝、肉体を捧げると我に誓え」とさらに続けてきたので、さらに「はいっ!」と元気よく答えた。
すると、ヒューイに掴まれていたユリシャの首が蔦で絡まれたかのように苦しくなった後、焼けたように熱くなり息を飲んだが急激に痛みは引いていった。
「終わりだ」とヒューイが言うとユリシャの首から手を離す。ユリシャは自分の首を触ってみたが、何が変わったのかよく分からずにいると、ヒューイが「これでお前を使役できる」と眩しい笑顔を振りまいてきた。
「いや〜よかった成功して。初めてこの術使ったからあんま自信なかったんだよな〜」
ユリシャはヒューイが不穏なことを言っているのを横目で見ていたら、その視線に気づいた彼が「ちょっと鏡見てこいよ」と言った。何がどうなったが知りたくなって、ユリシャは急いで車のサイドミラーに向かった。
「何これー⁉」
ユリシャが鏡を見ると自分の首に蔦のような紋様がぐるりと書いてあった。
(え〜……さっきの魔法で、こうなっちゃったの⁉)
ユリシャが鏡をじっと眺めていると、後ろからゆっくり歩いてきたヒューイが「今日だけ助手席に乗ってやる」と言って助手席に乗った。さらに「さっさと運転席につけ」と命令したヒューイの横暴な態度に頬を膨らませると「何だ、その顔。魔法教えねーぞ」と更に横暴なことを言ってきたので、ユリシャは諦めて運転席の側に向かった。
助手席に座ったヒューイは、透明の大小2つの結晶を手に持って何か呪文を唱えると、エメラルドグリーンのドラゴンは霧状に戻り、大きな結晶の中に入っていく。すると結晶はエメラルドグリーンの明るさを取り戻した。それをマジマジとみていたら「見んな」と言われたので仕方なく顔を正面に向けた。
(なんで見ちゃいけないんだろう?)
今度は、紫の煙が結晶の中に入っていくのを、首を動かさず横目でじーっと見ていた。
ヒューイが運転席と荷台の間にある窓から、シャウラが乗ったことを確認した後に、パチンと指を鳴らすと、ガチャリと荷台の扉の鍵がかかる音がした。
そして、彼が「行け」とユリシャに命令すると、ユリシャの体は勝手に車のエンジンをかける。ユリシャが「え? っえ〜?」と訳も分からずに混乱していると、ヒューイは「体で覚えろ」と言ったあとにメイド服を着たユリシャの方を楽しそうに見ながら「ご主人様って言ってもいいんだぜ?」とふざけながら言ってきた。
(絶対、呼ぶもんか!)とユリシャは心に誓って、ヒューイの方をぐるっと向き「これから、列車が通ってるジーヒス機械都市に行くから! それでいいよね? ヒューイ!」と言ってやった。彼はちょっと唖然とした顔をした後に、正面を向きながら「……こっちの方が歳上だぞ」とぼそっと言うが、ユリシャはそれを無視して、手際良くサイドバーを下ろし、シフトレバーをガチャチャとドライブに変えて車のアクセルを踏み出した。
運転を覚えてしばらくすると、緊張も程よく解け、車の運転が意外にも楽しいことに気づいた。どこまでも続きそうな石畳を安全運転で走っていると、向かい側から別の車両が来た。ゆっくり道を譲ると相手の車両から短くブッとクラクションが鳴らされて、それはありがとうの合図のようだった。
今までずっと人間に虐げられてきたユリシャにとって、この瞬間、初めて他の人間と同じ立場になったような不思議な気持ちがした。